まっしろな闇











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リコリスにて
Page 43 : 危険
 夜は深まる。
 濃厚な藍色の空に点々と弱い星の光がちらついているが、遙か下のこの町はまだ眠らない。マーケットの軒下に並ぶ灯りがそれぞれともり、ほろ酔いの賑わいが漂っていた。特に町のちょうど中心を陣取るこの巨大広場では、野外でテーブルが多く並べられ、酒の入った大人たちが明るい声をあげて頬を染めている。
 クロは混雑した巨大広場で、プラスチック製の軽い椅子に腰かけとある女性と話していた。黒髪のショートカットできりっとした固い顔立ちの彼女は、随分小さくなって燻る煙草を片手に、不審そうに机の向こうのクロを見つめる。
 時刻はまだ九時には到達しておらずこの女性は手紙を突き付けてきた人物とは違い、クロが自ら訪問した先の者である。怖気づくことなく、むしろ積極的に身を乗り出してクロは女性に話を持ちかける。
「笹波零という人物について、何か無いか」
「聞いたことないね」
 長く吐き出した煙と共に女性は即答した。紫煙の匂いが不快なのか、クロは厳しい顔つきを更に顰める。
「李国の名前だね。ホクシアには李国の人間も混じってる。そっちに聞いた方がいいんじゃないか」
「成る程な……じゃあ、ここらに黒の団の情報が入っていたりしないか」
 得たかった情報を手に入れられなかったことに残念がる表情も見せず、まるで慣例化した流れ作業のように淡々と話を進めていくが、黒の団という単語を聞きいれた途端女性は怪訝な顔でクロを見つめる。
「ガキのくせに顔つっこんでるね」
「情報屋を求めてきたってだけで、そこらのガキとは違うっていうのは分かるだろ」
 口のきき方を覚えろ、情報屋の女性は小さく吐き捨てた。小さくなってしまった煙草を足元に捨てて高いヒールの靴で踏みつぶし火を消す。その後煙草を持っていた右手をクロに差出し、何かを招くように動かす。金の要求だということにクロはすぐに気付き、溜息を吐きながらも、ズボンのポケットから皺だらけになった札を一枚出してその手の中に乱暴に入れる。
 毎度、と彼女は薄く笑う。
「丁度今日、あたしのところにやってきたさ」
「今日?」
 クロは大きな声をあげた。反応の大きさに女性はけらけらと楽しそうに嗤う。
「ああ、昔首都でやんちゃしていた頃、何度か会ったことがある顔見知りだ」
「誰だ、何が目的でここに来ている」
 前のめりになると、クロの目の前に再び手が差し出された。赤く塗られた爪が照り、同じく赤いルージュで染まった唇が緩やかな弧を描く。
「もう少しもらおうか」
「細かい」
「つべこべ言うな、あたしだってガキに要求するのは心が痛むさ――はい、毎度」
「続き」
「急かすねえ。……人を探していた。あんたと一緒さ。笹波白、そしてラーナー・クレアライトという子供二人」
 クロは思わず息を詰まらせる。何故タイミング悪く丁度鉢合わせてしまうのか。偶然と呼ぶには出来過ぎているように彼には思われた。
 女性はふと気が付いたようにクロに顔を近づける。強くこびり付いた煙草の匂いが鼻腔を刺激し、クロは顔を引く。舐めるように彼女はクロの顔を見回し、感嘆の息を吐く。
「よく見れば奴が言っていた格好によく似ているじゃないか。深緑の瞳に髪。どこにでもいるものでもないだろう。あんたがもしかして笹波白か?」
「それは断じて違う」
「ふうん?」
「質問は終わっていない。誰が来ている」
「少し落ち着いたらどうだ、少年」
 女性は手元のワイングラスをクロに傾ける。透明感のある赤ワインが揺れるが、先日泥酔した件もある。クロは心の底から嫌悪するような表情で固く断ると彼女はつまらなさそうにゆるやかに笑う。
「名前は知らない。お互い詮索しなかったからね。長い茶髪にウエーブのかかった背の高い女だ。首都に居た時は白衣を着た姿が印象に残っていたが、今日はそんなことなかったね、そういや」
 ワインを一口飲む。僅かに頬が赤くなっているが、気が昂ぶっている様子も無く、至って冷静な様子だ。
 それに対してクロは息を呑み表情を硬直させる。心臓が大きく跳ね、目を大きく見開かせ、頭の中は一瞬で真っ白になった。
 明らかに狼狽した様子に彼女は気付き眉間にしわを寄せる。
「どうした。顔色悪いよ……おい」
 一度声をかけたところで茫然と顔が固まっていたままのクロの肩を軽く叩く。そこでようやく彼は硬直を解いた。
「あ、いや……ありがとうございました」
「なんだい突然かしこまって。気持ち悪い。大丈夫か」
 クロは相変わらず挙動不審の状態で小さく頷いた。
 居たたまれなくなったクロはこれ以上詮索されることを恐れたか、無言で椅子から立ち上がりさっさと逃げるようにその場を後にした。動揺する心を押さえようと深呼吸をする。周囲の人の笑い声が掻き鳴らされている。足音が無数に行き交う。ジョッキを乾杯する音が跳ねる。空高くには地上の騒がしさとは裏腹の静寂の月。内界とは完全に切り離されたそれをクロは鋭く睨んだ。
 悪い夜になる予感は膨れ上がっていた。
 オープンテラスの広がる広場を離れて人気の無い場所を歩き回り、結局昼に通った路地裏のあたりまでやってくると無造作にポケギアを取り出し一本の電話を入れる。三度ほどコール音が流れた後に途切れ通話が成立した。相手はソフィだ。
『もしもし』
「ラーナーはそこにいるか」
『ラナ? 話してたところだから、いるけど』
「代わってほしい」
 ミアのはしゃいでいる声を背景にポギアが回される様子がスピーカー越しに想像できる。いくつかの雑音が入った後にラーナーのどうしたのと尋ねる声が彼に届く。
「今どこにいる」
『今――今は休憩して近くでホットドック買って食べてるとこ』
 呆れ声をあげようとしたところを寸前でクロは堪える。現在の周囲の状況を知らないとはいえその温度差に肩を落としたくなってしまった。
「俺はしばらく合流できないかもしれない。エーフィとブラッキーを出して、常に傍に一緒に居るよう指示するんだ」
『何、突然』
「黒の団がここに居る」
 スピーカーの向こうでラーナーは息を止めた。数秒の沈黙の後クロはもう一度口を開く。
「それも多分、危険な類だ。俺はもう少し探ってみる」
『危険って……そんな、クロは大丈夫なの』
「さあな」
 自然と弱気になってしまっているクロは自分に苦笑する。
「くるくるの長い茶髪に背は少し高めの女。……多分、甘い香水をつけてると思う。そういう奴を見かけたら連絡してくれ。そして会わないようにしろ。あっちはあんたの顔を分かってる」
『……そっそんな女の人って沢山いるじゃんか』
「気をつけろよ」
 低い声で呟き、一方的に通話を切る。最後にラーナーが何かを言おうと声が漏れていたがそれを聞き届けることはなかった。クロは息をつき、再度表通りへと出る。
 記憶は薄れていないのだ。すらすらと口を出た自分の言葉を思い返し、クロは目を伏せた。
 夜の通りを照らす外灯の列を潜り抜けていく。感覚を研ぎらせる。周りの視界を細かく見つめていく。脳内が展開していき、入ってくる大量の情報を処理する。鼓膜を掻く大量の音の雪崩はとても聞き分けられるものではなかった。諦めるように忙しい情報処理を閉じる。
 再び巨大広場へ向かい、手前でポケットに入れていた小さな紙切れを二枚取り出す。一つは店に残されていた彼への手紙、もう一つは走り書きされた彼の覚え書きだ。いくつかの名前と場所が書き記されている。その内何個かは横に走る線によって消されている。この町で得た情報屋のリストである。精神が昂ぶり先程の女性の元から離れてしまったが、今更後悔に駆られる。苛立った手取りでそれを戻し、周囲を見回した。
 ポケギアの時計を見やると、匿名の人物に指定された時刻には二十分程時間があることが分かる。なんとも中途半端な時間しか残されていない。そこで彼は着信がいくつか入っているのに気付く。履歴を見るとソフィと圭から一度ずつ、ごく最近のものだ。ソフィのものは恐らくラーナーがあの直後にかけ直そうとしたものだろう。圭に関しては心当たりが無いが、クロは彼と通話をすることを思わず躊躇う。圭に黒の団がホクシアにいることを知らせるべきか否か。暫し迷った後、彼はポケギアを定位置に戻した。
 クロは懐からボールを出す。
「ラーナー達を探して、様子を見張るんだ。何かあれば加勢してくれ。俺は多分行けない」
 そう言って空高くボールを投げる。光が中から出て遥か高くでアメモースが登場する。四枚の小さな翅を羽ばたかせて夜の町を滑空し、すぐにクロの視界の外へと消えていった。
 落下してくるボールを器用に受け取り元の位置に戻す。
 クロは約束の時間の前に巨大広場に身を置き、誰が手紙を出したのか図ろうと画策していた。けれど予想以上に夜をこの場所で過ごす人の数は多く、その計画が難航するのは目に見えていた。どのように時間を過ごそうか、どのように探し出すか考えようと息をついたその時、彼の肩に細い手が置かれた。
「やあ」
 後ろからかけられた声に噛みつくように振り向いた。肩に置かれた手が弾かれ、彼女はわざとらしく驚いた表情を作りだしてみせた。
 緩いウエーブのかかった茶色の長髪。凛と背筋の伸び、良いスタイルを保っている姿からささやかに香る甘い匂い。すっと描かれた大人びた顔立ちをした彼女は、正しく先程から警戒していた黒の団の一員である女性に違いなかった。服装は黒の団の象徴である上着を着ているわけではなく、藍色のシャツに黒いタイトスカートをぴったりと着こなしまるで普通を装っているが、クロは一目ですぐに分かった。
「あら、警戒してるのね。予定より随分早く来てたから会うことを期待してるのかと思っちゃった。前みたいに可愛げのある素振りを見せてくれないの」
 残念そうに言う声音は粘り気を帯びて絡み付いてくる。予定、というのは手紙に書かれていた指定時刻のことだろう。
 クロの心の準備はできていない。先に見つけだすつもりが、先手を打たれるとは予想できていなかった。クロは速まっていく鼓動を抑えようと慎重に呼吸をするが、動揺する自分をできるだk悟られないように、固い表情を崩さずに彼女と向かい合う。
「……初めまして」
「あら、何を言ってるのかよく意味が分からないんだけど」
「俺と貴方は会うのが初めてだ」
「なんの話かしら、白」
 ふと顔を覗かせたその名にクロは眉を顰めた。
「まあいいわ。こんなところで立ち話もなんだし、どこかで座ってゆっくりしましょうよ」
 ゆっくり、という言葉を強調するように粘っこく言う。彼女は周りを見回し空いているテーブル席を発見するとそこに移動しようとした。クロはそれにみすみすついていくようなことはせず、静かに足を後ろに引きずらせる。逃げろ、そう叫ぶ危険信号が脳内で喚くように響く。逃げろ、逃げろ。従うべき叫びに対して何故か足は凍り付いている。
 動かないクロに向かって彼女は唇を尖らせる。
「何をしてるの、来なさいよ」
「……」
「まあ、予想通り。でも逃げようともしないのね。足が竦んでるの? ――何か言ったらどう」
 苛立ちがあからさまに反映された重い言動にクロは視線を上げる。長い髪が風にふわりと揺れ、その中で彼女は微笑んだ。
「別に逃げてもいいけど、そしたら可愛い女の子達が困ったことになっちゃうわね」
 クロの表情が硬直したのを見届けた後、彼女は次の言葉を吐く。
「ポケモンって便利よね。自然と場に溶け込み、ちゃんと訓練をすれば思った通りに動いてくれる。うまいことくるめて“事故”にできる」
 浅い笑いが零れる。強張ったクロの背に細い手が当てられ、しかしその華奢な風格からは想像もできないような力で押されたかと思うと無理矢理にテーブルへと誘導される。帽子が取られて深緑の髪が露わになる。動揺を隠せず泳ぐ深緑の瞳を覗き込む彼女の様子は、子供をあやそうとしているようだった。冷たい場には不釣り合いなふわりと甘い匂いが彼女から洩れて鼻を擽る。この匂いを、覚えている。
「まずは座りましょ。お互い面倒事は避けたいんだから」
 もう逃げられない。そう確信したクロは流れに逆らわず、険しい顔つきのまま椅子に腰かけた。表面だけ着飾った彼女の一見優しげな笑顔が面でもしているようで気味が悪く、その下で薄ら笑いを浮かべながら虎視眈々と様子を伺っているように思われた。油断をしたら惑って持っていかれそうな気がして、せめてもと自分の固い面持ちだけは崩さんと誓う。そして狙う状況の打破。大人しくしていたところで何時の間にかラーナー達に危害が及んでいる可能性はゼロではない。
 ざわめきの中で彼女はカフェテラスを何種かの飲み物を乗せたワゴンを押して歩いていたウェイトレスに声をかける。懐から出した小銭を出してコーヒーを二つ頼む。視線がクロからずれたその時、クロはそっとポケギアを出して開き画面を見ずに静かに操作を行う。スピーカーを掌で押さえ、ぎりぎり相手に見られないだろう位置に手を動かした。
 すぐにコーヒーはテーブル上に乗せられ独特の香りが立ち上り、また彼女の注目がクロに移る。
「奢りよ、今見て分かっただろうけど、毒なんて入ってないわ」
 彼女はそう言いながら真っ先にそれを飲む。
「要りませんよ」
「コーヒー苦手なの? まだまだ子供ね。オレンジジュースが良かった?」
 瞬間、癇に障り鋭い眼光を彼女に突き刺すが、彼女は余裕綽々で少しも表情を変えない。
「ぎこちないのって私苦手なのよ。ほら最近うまくいかないことばっかでさあ、こうやって話す時くらい肩の荷を下ろしたいわけ」
「そんな話はどうでもいいです」
「そうやって切り捨てるからいつまでも成長できないのよ、白」
 最後に付け加えられた名前にクロはまた苛立ちを覚える。
「俺は白じゃない」
 吐き捨てると、彼女は少し静止して上半身を少しクロ側に寄せる。探りを入れるようにじっとクロの顔を覗き込むのに対して嫌がるようにクロは目を逸らした。ゆったりとした数秒が過ぎた後、彼女は鼻から息を吹かす。
「見え透いた嘘ね」
「嘘じゃない。笹波白は死んだ」
 視線を再び彼女に戻したクロは強く突き放す。軽く受け流すようにふぅんと呟いて彼女は頬杖をついた。
「そう言い張るんだったらもっとまともな顔をしといたらどうかな。可愛い目が、雨に濡れたコラッタみたいに震えて怖い怖いって言っている」
「言ってない」
「あはは」
 声の面だけの笑いだ。目が笑っておらず、裏に潜む刃物が見え隠れしている様相を物語る。
「……ラーナー達に何を仕掛けている」
 唐突に傲慢な装いで尋ねると、彼女はすぐに口を開いた。
「教えてほしい?」
 クロは沈黙を保つ。鼻で笑う彼女の様子はこの場を面白がっているようにも見える。考え込むように数秒程間を置きクロを焦らした後に、少し明るいトーンで話し始めた。
「デルビルって知ってる? 犬型のポケモンで町中に隠れていてもうまく溶け込める。でも“スモッグ”を覚えてるんだな。うちの子等はちょっといじくって、密度の濃いものを吐ける」
 クロは視線を上げる。
「しかも炎も出せる。毒で苦しむ間も惜しいなら、引火させて爆発させてしまえばいい」
 自然と高揚している声が彼女が愉しんでいるということを露骨に表していた。クロの僅かな変化を一つ一つ確かめるように、彼女はゆっくりと、誇張なほどはっきりとした発音で言うのだ。その内容に身の毛もよだつ思いに駆られたクロは今すぐ彼女に掴み掛りたい衝動に襲われるが、今後先考えずに行動すれば最悪の事態になりかねない。女性の言葉は決して冗談ではないのだ。必死に自我を保ち、なんとか声を絞り出す。
「町の人も巻き込むつもりか」
「面倒事は嫌いだから、できるだけ穏便に済ませたいの。罪の無い子達を手にかけるのもね、ほらやっぱり良心が痛んじゃうし。君次第よ」
 良心が痛むなんてどの口が言えるんだ、クロは心中で毒づいた。帯を締める心持で睨むように女性を見つめる。そして、手元のポケギアのボタンを一つ押した。


 *


 通話が切れたポケギアを手に、圭は茫然と虚空を見つめた。椅子に座りながらも不思議な浮遊感が彼を襲う。ざわめきの中で確かに聞こえてきたクロと女性の会話。初めに電話がかかってきた時は返事の無い様子に違和感を覚えたが、耳が女性の声を掴んだ途端に彼の血の気は引き、その声に耳を立てた。忘れるはずもない声だった。
 圭の正面に座っているジークにも話しかけないよう促して聞いた内容は驚愕に震えるものだった。ソフィが、ミアが、危ない。クロがわざわざ圭に電話をかけて盗聴させたのは、ソフィでは状況をすぐに状況を汲んで会話内容を聞こうなどという選択肢をとらないととったからだろう。スピーカーから無闇に声が漏れては、ばれると踏んだのか。つまり、クロは圭に橋渡し役を無言で押し付けたというわけだ。咄嗟な行動だが圭にとっては残酷なものだった。
 本当なら今すぐ自分が駆けつけたかったが、車は無く、たとえあったとしてもリコリスホクシア間には大きな隔たりがある。エスパーポケモンによるテレポートでも使わない限り到底無理な話だが、残念ながらそのように都合の良いポケモンは自然豊かなリコリスといえど生息していない。
 焦がれ、歯がゆさ、悔しさが渦巻き顔を歪める。
「圭、大丈夫かい」
 ジークが不安そうに尋ねると圭は静かに頷いた。
「大丈夫じゃないよ。電話、なんて言ってたんだ。ソフィ?」
 溜息を吐いて彼は自分の飲んでいたアイスココアを圭に差し出しながら質問を重ねる。
 当然内容を言えるわけがなく、黙ったまま圭は席を立つ。ジークの放つ視線に後ろめたさを背中に感じながらリビングを足早に出ていくと、薄暗い廊下に立ち登録してあるソフィの電話番号を見る。もどかしい、もどかしい、もどかしい。連鎖し、回転し、けれど行き場の無い思い。
 どうして。
 心の中で吐き捨てた。
 歯を食いしばりながら、数日前に交わしたクロの会話が頭をちらついた。

( 2012/11/08(木) 01:43 )