まっしろな闇











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リコリスにて
Page 41 : 動向
 頭をハンマーで殴られている感覚がする。繰り返し繰り返し不規則なリズムで割れんばかりに頭を裂こうとする。体はふわふわと浮いて心はどこか遠くの方にある気がするのに、頭痛だけはやたらとリアルだ。そのうちに吐き気が伴うようになる。指先がじんとして動かない。目は開かない。耳鳴りがする。確かに自分の体のはずなのに自分のものではないようだった。痛覚だけを引き連れて客観的な位置に立っている。似た感覚を彼は知っていた。当時どのような要因があってどのような過程があってこの状態に陥ったのか、それを思い出そうとすると更に鈍い音が頭で響き、ノイズばかりの映像が走る。息が詰まる。心が遠のいていく。現実感と虚無感が混沌とした世界で、今彼の中で淀むように唸っていたのは、一刻も早くこの状況、痛みから抜け出したいという欲望だった。
 渦巻き、彼を突き動かす。


 クロの視界は今、開いた。
 ぱっと閃いた意識と共に体のあちこちの痛みが雪崩れ込んでくる。次点に、自分の体が誰かによって力強く押さえつけられていることを理解する。うまく体が組まれて身動き一つできなかった。視界がぼんやりとしている。闇夜の中で月光にさらされたカーペットの上にいる。彼は目だけを動かし影を見た。押さえつけている人物が誰なのかを判断しようとする。小柄で奔放に跳ねる短髪。すぐに圭であると理解した。
「ようやく気が付いたか」
 圭はクロの体の力が僅かに抜けたのを察知してそう呟いた。けれど彼は決して手を緩めようとはしない。
「突然なんのつもりだ。ここの人に危害を加えるつもりなら、只じゃ済まねえぞ」
 怒りに燃える声が、暗闇に低く響くようだった。
 しかし、今何が起こっているのか、クロには全く理解できなかった。どうして自分は圭に捕えられているのか、何故圭の口調が厳しく、怒っているのか皆目見当がつかなかった。しかしそれを尋ねるための声は痛みのあまり出てこなかった。呼吸だけはかろうじてできる状態である。
 状況を整理したく思い圭の発言を思い返し、危害を加えるつもりなら、という言葉に彼は引っかかりを覚える。
 クロ自身は無意識であったため記憶していない出来事のことだ。彼はしばらく昏睡状態にあったが突然真夜中になって目を覚ました。カーペットで浅い眠りについていた圭は物音に気づきつられて起きたが、眠気のせいか虚ろになった深緑の瞳は圭を捉え、咄嗟に火閃に手をかけていた。刃の跳び出す言葉を発する直前に圭が目を鋭く光らせ火閃を払うとクロを床に押さえつけた。まだ残る酔いもあってか、普段ならあげない奇声が跳びだし、圭は家の者が起きるのを恐れ、口を押さえるために躊躇なく顔面を床に叩きつけ小さな体で締め上げた。しかしクロは力づくで抵抗し続け、正に衝動に狂う獣であった。
 そしてまた前触れも無くふと我に返り、今に至る。 
「何をしにここにやってきたんだ」
 夜の静かな室内では囁く声も明確に聞こえる。
 クロの頭の中で何度も鈍い音が響き、自分の口から零れるアルコールの匂いがくらりと眩暈を引き起こす。咳が数回掠れた後、冷たい表情を崩さない圭に導かれるようにクロの考えは不思議と落ち着いていき、力んでいた筋肉が静まる。
「圭、離してくれ。もう、大丈夫だ」
 声を出すことも辛いほどきつく締め上げられていたが、圭は呂律のうまく回らないその言葉をうまく聞き取ったらしい。不審そうに表情を濁しながらも一切の抵抗がないことを受け、力を抜き、硬直をゆっくりと解き始める。
 クロは体の自由がきく立場に戻ったものの体が痺れ痛むのに我慢できず、床に座り込んで圭を見上げる。見た目は自分よりも小さくまだ幼さが残る圭だが、月に照らされ険しい形相を崩さない彼の姿は数段大人びているようだった。滞る気まずさの支配する場を少し和らげたく思い、クロは痛いと弱々しく呟いた。けれど圭は同情の余地も無いと言わんばかりに鋭い視線をクロに突き刺すのみだ。
「……ごめん」
 謝罪の弁も圭には最早届かず、許すとも許さないとも返事がくることはなかった。
 沈黙を間に置き、圭はもう一度口を開いた。
「何しにきたんだ」
 真剣な面持ちで再度問う圭に、もう逃げることはできないことをクロは悟った。
 躊躇っていた言葉が喉の奥からするりと昇ってくるのをクロは感じた。原因は暗闇であることか、今日一日語り合った過程か、ごく自然と。
 空回りの咳。しんとした冷たさ。夜の風。通り過ぎる中で、圭は僅かに開かれたクロの口から言葉が出てくるのを待つ。足踏みをしている場合ではなかった。
「……黒の団を倒したい」
 息が詰まるひやりとした沈黙が流れる。
 呆気にとられ、圭の顔つきがようやく変化の片鱗を見せる。畳みかけるようにクロは光る圭の眼差しと対峙した。
「お前に協力してほしくてここに俺は来たんだ」
 オレンジ色の目がゆっくりと見開かれていく。硬直していた小さな体の力が抜けていき、数秒後に彼は何故か小さな笑いを零した。嘲るようなそれが空気を滑り、座り込むクロに視線の高さを合わせるために圭は腰を下ろした。そしてソファの傍に置いていた木刀を手に取る。クロは緊張を走らせる。
「余程辛い旅をしてきたんだろうな。そんなことをせざるを得ない状況か」
 呟いた彼の言葉にクロは頷くこともできず、ただ前を見据えていた。
「目的は達成できないし黒の団に追いかけられるし、俺が想像できないことたくさんあったと思う。けど、お前はお前。俺は俺だ。俺はようやく自分の居場所を見つけた。この家の人にも村の人にも受け入れてもらってる……それを実感できる。それがどれだけ嬉しくて、安心できて、幸せだって思えることか、分かるか。俺はこの場所を離したくない。わざわざ危険に飛び込みたくはない」
 多少気取った台詞が出てくるのも、真夜中という日常とは違う世界に居るおかげだろうか。すらすらと出てきた言葉に、クロは少し目を細めて納得したように頷いた。拒否を示す返事がくることを分かっていた。リコリスに来て、圭がルーク家に溶け込み、また話している時に心から満足しているような穏やかな表情を見せている様を目の当たりにしたクロは理解していた。
 けれどクロもわざわざ彼を求めて山奥にまで足を運んできた身。そう簡単に折れる性質ではない。
「わかってる。けど、黒の団が居る限り、この家の人も奴らに狙われる可能性がある」
「ああ。でもリコリスは本当に外から断ち切られた場所なんだ。黒の団が思いつく可能性も低いってもんさ。現にここに来て長いけど、影も見たことない」
「俺を匿っていた家族は一度やられた」
 クロがはっきりと断言すると圭の飄々とした態度が固まり僅かに狼狽を見せる。
「絶対に、百パーセント来ないと言い切れるか。確実なんてこの世にあったもんじゃない。命が狙われていること、忘れていないか」
 圭は自分がラーナーに放った言葉を返されたように思い息を呑む。あれは冷静な自分の意見だった。故に一層強く彼に突き刺さる。けれど首を横に振り考えを吹き飛ばすと持っていた木刀を床に突き刺さんばかりに立てた。
「もしも奴等が来たら、俺が守る。絶対に守る。大体、黒の団を倒すなんて突拍子も無い話、言うだけなら簡単。実際は死ににいくようなもんだ。なんでそんなこと本気で考えてるんだよ」
「現状を打破するためだ。今のままじゃ何も進まない。そして、これ以上無駄な犠牲を出さないために」
「ラーナーのことか」
 圭は表情を緩め浅く笑う。
「やけに夢中じゃないか」
「恩を仇で返すわけにはいかないだけだ。けど、埒があかない。あいつは旅を続けていたところで未来が無い。それに誰かを守りながら戦うのは苦労するんだ。お前も分かるだろう」
「分かりたくねえな。それってここに奴等が来るってことだろ」
 圭は溜息を吐きカーペット上に置かれていたタオルケットを引っ張り、木刀を元の位置に静かに戻す。
「もう寝よう。とにかく、生憎だけど俺はそういうつもり一切無いから。会えたのは嬉しいけど、それとこれとは話は別。おやすみ」
 さっさと強制的に話を断ち切るように圭は寝転がる。遅れて手でクロの寝る場所であるソファの上を示す。そこで寝ろ、という指示だ。欲求不満に終わったクロは仕方なさそうに肩を落とすとソファの上に座る。
 圭は体を動かしクロに背を向ける。クロにはそれが、クロあるいは現実から逃げている背中のようにしか見えなくなっていた。話が無くなり場が落ち着いたところで忘れかけていた頭痛が蘇る。ゆっくりとソファに寝転がり、しかし視線は圭の背中に投げかけたままクロはぼんやりと時間を過ごす。
「圭、お前は居候の身だろ。……どうにしろ、この生活はずっと続くわけじゃない」
 投げかけたが返事が来ることはない。少し背中が動いただけで圭は全身で拒んでいた。無理矢理起こすほどの気は起こらず、おやすみの言葉も無くクロは天井に顔を向け目を閉じる。全身にかかる疲労とは裏腹に頭は妙に冴えていて眠れる予感はしなかったが、熱を帯びてきた心を落ち着かせるためにも体を休める他なかった。
 ゆっくりと時間をかけて静寂に溶けるように沈んでいく。


 *


 農業仕事などを手伝いながらもだらりと彼等は過ごしていた。
 リコリスにクロ一行がやってきて二日が経った朝。夏が終わりに差し掛かっていることを示す涼しい空気がしんと佇んでいる日のことである。前々から話していた通り山の麓にある町へ作物を売りに出すことをソフィは提案した。軽トラックの荷台にできるだけ商品を乗せて出発し、商売だけではなく日用品の買い物のためにも一泊するという。元気に生活しているように見えるフェルマンだがやはり補助は必要らしく、いつもはソフィとジークのどちらかがミアを連れて町へ行き片方は家に残るのが自然な流れらしい。見た目以上に力仕事が得意な貴重な男手である圭はどちらに同行しようと重宝されるため、気の向くままに任せているようだ。
 しかし今回はクロとラーナーがいる。ソフィはラーナーと共に町へ行くことを望んでいるがクロも町へ行きたいという。山奥の閉鎖的な村であるリコリスでは外部情報が皆無であり、機会があればなるべく集めたいと考えているのだ。
「じゃあ僕と圭がここに残ってお爺さんを見る。ミアも行っておいで」
 ジークはミルクコーヒーをすすった後に平然と提案する。
 早い朝食を終えリビングにいるのはクロとラーナーに圭、ソフィ、ジーク、そしてまだ寝ぼけているミアの六人だ。またソファにはコノハナが幸せそうに木の実を頬張っている姿が見受けられる。
 ソフィは父親をちらと見て不安そうに声をくぐもらせる。
「多くないかな。四人って」
「確かに荷台に乗せられる荷物が少なくなってしまうけど、もうピークは過ぎて商品は多いわけじゃないし。クロくんも力持ちだけん助かると思うよ」
「あんま細かいことは気にすんなよ。こっちはこっちで勝手にやってらあ」
「そう言う圭が一番心配なんよ」
 ちくりと刺すソフィを軽く受け流すように圭は笑う。
「ミアも行きたいだろうし、それが無難だと僕は思うな」
 温和な父親の笑みにソフィは何も口に出せなくなり、ゆっくりと頷いた。
「俺とジオさんとじいちゃんがここで、ソフィとミアとラーナーとクロが売りに出る。決まりだな」
 ちゃっかりまとめ上げた圭は近くに座っていたクロの肩を持ちにやりと悪戯な笑みを浮かべる。意図が見えずクロは顔をしかめた。
「なにその顔」
「ソフィは案外抜けてるとこあるからな、お前がしっかりしろよ。四人居て唯一の男なんだからな!」
「仕方ないだろ」
 溜息混じりにクロは言う。茶化したつもりが冷静に流された圭は唇を尖らせる。
 圭がちらと自分を突いたことにソフィは勿論気付いており、突然立ち上がって圭の背中を思い切り叩く。張り裂くような音が部屋に響いた。
「ほら、荷物積むよ。手伝って」
「お前力の加減を知れよ! いってええ背中の骨が、背骨が折れる――おいミアまで来るな」
「へへーっ」
「あんたはいちいち大袈裟なの」
「大袈裟じゃなくて本気でいてえんだって」
 ひりひりと痛みが滲んでいる背中に圧し掛かってきたミアをひょいとそのまま持ち上げる。先程までの眠そうな表情はどこへやら、ミアは一回り高くなった視界に興奮して甲高い声を上げる。大きな反応に圭の気分は高揚し大きく左右に体を揺らし、ふと何かを思いついたのかにやりと笑みを浮かべた。
「こいつも段ボールに入れて行こうぜ」
 ソフィに話を持ちかけると、彼女は思わず笑い声を噴き出した。嫌だと声をあげながらも、弾けるような笑顔のまま駄々をこねるようにミアは圭の頭を何度か叩く。痛い痛いと圭はミアの足のかかった腕を緩めるがミアは離れまいとして必死にしがみ付く。
「はいはい、行くよ。お父さん、なんか買ってきてほしいものあったらメモに書いておいてね。荷物まとめたらすぐに出るけん、ラナ達も準備をしてね」
 お腹を抱えながら少し呆れた声音でソフィはてきぱきと声をかける。二日という時間を隔て敬語を始めとする余所余所しさは随分と減ったようだ。ラーナーは穏やかな笑顔で大きく頷く。
 ソフィもその笑顔につられて柔和な笑みを浮かべると、急くように大股で玄関口へ向かう。
「よし、俺も」
 気合を入れた声をあげて、圭はミアを背負ったままその後を追う。呼ばれはしなかったが察したのだろうコノハナも慌てて追いかけ、忙しい足音が遠くへと消えていき部屋は静けさを取り戻す。
 クロは様子を遠い風景を見渡しているように眺めていた。本物の家族のように溶け込んでいる圭の優しく充実した表情を見ていると、彼を強制的にこの生活から引き離すことなどできようか。答えは否だ。圭のことはよく知っている。ずっと望み続けてきた平和を易々と奪うことなどできない。
 自分ももし、あの立場にあったなら。
 ふと浮かんだ思いをすぐにクロは消し去った。

( 2012/10/17(水) 00:45 )