まっしろな闇











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トレアスにて
Page 26 : 料理
 夕日は沈み、辺りが暗闇に包まれていく。西に残る光がかろうじて町を照らしているが、すべて暗闇に包まれるのも時間の問題だろう。
 オーバンの薬屋も店を閉める時間になった。それを示す為にアランは正面の扉を開き、扉に付いた紐がかかった木の看板を回す。「OPEN」と書かれたものが引っくり返って「CLOSE」の文字を示す。それから扉の近くにある電灯に手を伸ばし上にある大きな黒いネジを回す。するとそれに合わせて淡白い光が灯った。
 慣れた様子で店締めのルーチンをこなすと、家の中へと戻る。
 中ではラーナーがせっせとカウンターを布巾で拭いているところだった。
「ラナちゃん、それはもういいからさ、そろそろ夕食だ」
「あ、うん」
 声をかけられたラーナーは布巾をカウンターの端に置く。
 その後アランはカウンターの後ろに回ると奥の部屋を覗き中を見回す。
 六畳程のその部屋の壁は四方を木の棚に囲まれていて、大きな木のテーブルが真ん中に置かれていた。棚には薬草や木肌、植物の根など様々な薬の原料がそれぞれ箱やボトルに収められ、所狭しと並べられていた。あまりにも多種類に渡っているので騒然としているようだが、仕事に情熱をかける部屋の主は自分のやりやすいように整理を心がけているらしい。
 中心のテーブルの上には様々な草や薬包紙、小鉢などの仕事道具が置かれている。独特の鼻をつく匂いが漂っており、机の向こう側で椅子に座りながら居眠りをしている、白いTシャツと黒いジーンズのラフな格好ををした中年の男性がいた。彼こそが、この薬屋の男主人であるガストン・オーバンである。
 アランはしっかりと掃除の行き届いた部屋を歩き、その男性の元へと近づく。木を歩く音が響くが、ガストンは小さな鼾までかいている始末で、気付く気配が無い。
「師匠いつまで寝てるんですか、夕食です!」
 大きな声を張り上げるアランだが、その言葉を吐くと同時に狙いすましたようなタイミングで大きな鼾があがった。そのおかげでアランの声はガストンに届かなかったようだ。
 部屋の入り口で覗き見していたラーナーは苦笑いをする。
 アランは全く起きる気配がないことを察すると溜息を吐き、その後思いっきり息を吸った。
「師匠、夕飯ですよ!!」
 耳元に向かって叫んだ。その途端ガストンの目がはっきりと開き、次の瞬間は椅子から転げ落ちていた。絵に描いたようなオーバーリアクションにラーナーは思わず口を抑えたが、それに動揺することなくアランは手を腰に当てて師匠と呼び敬愛するガストンを見下ろす。
「疲れても食べないとエネルギーは出ないっていつも言ってるじゃないですか。早く食べましょう」
「……あ、ああ……耳がジンジンする」
「おばさんが待ちくたびれますよ」
「す、すぐ行く。ちょっと待て」
 眠気は吹き飛び慌ててガストンは立ち上がると、机の上を片付け始める。アランも続くように手伝う。
 思わずラーナーは口元で笑う。やや寡黙だが仕事のできるこの男は、しかし仕事のスイッチが切れるとどこか抜けているところがあり、妻に頭が上がらない部分があるのが愛らしさすらある。
 ラーナーは身を翻すとその部屋を後に、廊下を歩く。途中でまた別の部屋に入る。大きなテーブルがまず目に入るダイニングルームだ。
 濃厚な匂いがラーナーの鼻を通り、一気に空腹感が増した。さらりとした乳白色のテーブルクロスがかかったテーブルの上には既にいくらか食事が並んでいる。
 キッチンからエリアが出てくると手に食事の乗った皿を持っている。その顔は上機嫌であった。
「手伝いますよ」
「ああ、いいのラーナー。これでもう終わりだし」
 そう明るく言うとエリアは皿をテーブル上に置いた。ラーナーは改めて今夜の食事の献立を見回し歓喜をあげた。
「これは何のお肉なんですか?」
「鴨肉よ」
 ラーナーが指差した先にはソースのかかった少し薄めに切ってある鴨肉があった。傍にはレモンや鮮やかなハーブも添えられ彩りもばっちりである。
「このソースはお隣さんから貰ったものなんだけど、ぴりっとしてるんだけどちょっと甘くて、美味しいの」
「へえー」
「また今度作り方を教えてもらうつもりよ。ラーナーもどう?」
「是非」
 ウォルタでは料理を行っていたラーナーは料理上手なエリアを尊敬していた。時々手伝うが同時に彼女自身が学ばせてもらっている。
 他にはスモークサーモンと様々な菜っ葉のサラダやコーンスープ、カットされたフランスパンなど色取り取りな食事が揃っている。育ち盛りのアランを意識してどれも多めに作ってあり、豪快な雰囲気が気持ちがいい。
 それにしても、とラーナーは感服する。約二週間ここに身を置き当然の如く食事も食べさせてもらっているが、勿論これまでも美味の料理であったが今日は一段と格別なように見えた。上機嫌なエリアの様子がそのまま表れているように料理も生き生きとしているようだ。
「今日は豪華というか、気合が入ってないですか?」
「あら、わかる?」思わせぶりに笑うエリアの顔は隠しきれない喜びに満ちている。「ちょっといいことがあってね。腕によりをかけてみたって奴よ」
「そうなんですか。でも、すごく美味しそうです!」
 ラーナーは目を輝かせ満面の笑顔を見せた。
 と、足音がしてきてラーナーは部屋の入り口を見る。すると先程の男性と、少し遅れてアランがやってきた。二人はテーブルに並ぶ料理に目を配る。
「おおおっ!」
 真っ先に感激の声をあげたのはアラン。目を光らせてテーブルの傍に駆け寄ると自然と笑みがこぼれていた。
 キョロキョロと目を泳がせて視界がまるで定まっていない。今にもそのまま料理に突っ込んでしまうのではと思うくらい身を乗り出している。
「すごい! なんですかおばさん今日ご馳走じゃないですか! 今日は全部やるっていうから任せちゃいましたけどこんな良い料理しちゃって家計は大丈夫ですか!」
「余計なお世話だよ、あんたは時々一言多いんだから」
「全くだ」
 背後にやってきたガストンは大きく頷きながらアランの頭を軽く叩く。男性の身長は一八〇センチを軽々と越えて高く、アランを完全に見下ろしていた。
 頭を押さえるアランだが決して痛そうではなく、顔は小さないたずら小僧のように笑っている。
「ガストン、ワイン飲む?」
「ああ」
 即答する様子には家族の慣れが窺える。エリアはキッチンに戻り、すぐに戻ってこればワインボトルとグラスを手に持っている。
「さ、人数も揃ったことだし食べようか」
 エリアは笑顔を浮かべて手に持っているものを置くと、腰エプロンの後ろで結んでいた紐をほどく。
 アランは早く食べたいと言わんばかりに誰よりも早く席に着く。その様子を見て他の3人は大声をあげて笑った。


 *


 今宵は薄明だ。薄い月光が部屋に差す中、寝がえりをうとうとするクロだったがやはり身体の痛みは続いている。恒例ではあるが面倒臭いものだと思う。強制的に動かせば全身の骨が折れるような凄まじい痛みに見舞われそうな予感がしたから、やめておくことにした。
 しかし余りにも寝過ぎてしまったせいで、もうこれ以上眠れなくなってしまった。静かで気温も適度で、布団がどこか埃っぽいことを除けば寝るには快適なのだが。
 蒸した布団をどけることも叶わず、クロは溜息をついた。
 とにもかくにも、暇であった。
 どうにか頭は少し動かせるから首を回して部屋を見る。相変わらず汚い部屋だ。何も変わっていない。積み重なった本や壁の角の蜘蛛の巣が目についた。今にも壊れそうな小さな扇風機はからからと回り続け、寂しげを通り越して哀れであった。
「掃除しろよ」
 思わずクロはぼそりと言葉に出していた。
 と、ドアをノックする音が部屋を叩き、クロは思わず身を固める。
 軋みながら開いた扉から入ってきたのは彼が予想していた人物ではなかった。エリアが右手にスープの入った皿、左手にはスプーンを持って入ってくる。
「クロ、本当に起きたのね。良かったわ」
 柔らかく笑うエリアの姿を見て、クロは自然と心が安堵する。
「エリアさん、お久しぶりです」
「もう、そういう敬語はいい加減やめなさいっていつも言ってるのに。あなたはもう家族みたいなもんなんだから」
 クロは苦笑する。
 エリアは左手で部屋の電灯をつけようとする。が、スイッチを入れても明るくならない。どうやら電球がエネルギーを使い果たしたようだ。思わずしかめ面になる。スープの皿にスプーンを入れて机に置くと、机にあるランプをつける。小さな光が部屋をささやかながら明るくした。
 それから両手を腰に当て、エリアは部屋を見渡す。
「ほんと、この部屋掃除しないと。よくこんなところで生活なんかできるわね、アランは」
「全くです」
 やれやれといった風に床に積まれた本をかき分けては重ね、机の傍にあった椅子をベッドの傍までエリアは運ぶと、再びスープ皿を運びそこに座る。
 小さな虫の声が開いたままの窓の外から届いてくる。空高くで月が朧気に白く光っていた。
「起きられる?」
 エリアの問いにクロはゆるく首を横に振った。
「首と指先しか今は動かないんです。ここまで痛いのは初めてなんですけど」
「無茶をした証拠ね。身体は嘘をつかないってホントなんだから。じゃあ口を開けて」
「……えぇ」
 思わずクロは怪訝な表情を浮かべる。エリアはスープをスプーンで一掬いするとにっこりと笑う。スープを息で軽く冷まし、クロの口元に寄せた。
「エリアさん、あの」
「しょうがないでしょ、食べなきゃ治るもんも治らないわよ。プライドなんてどうでもいいじゃない。はいどうぞ」
「えぇ、わっ」
 もう一度不満の声を漏らした瞬間をエリアは逃さなかった。開いた口に無理矢理スプーンを入れると彼の口内に流し込む。前触れも無かったので、クロは思わず咳込んでしまう。が、温かさととうもろこし独特の甘さとが自然と舌に溶け込み、クロの顔が緩んだ。咳込んで吐きだしたものの若干口の中に残ったスープも飲みこんでしまう。
 エリアはふわっとしたロングスカートのポケットを探ると白いハンカチを取り出し、クロの口周りを拭く。その力が少し強いのもあってクロは露骨に嫌な顔をした。なんだか赤ん坊扱いされているようで心地が悪い。
 拭きとるとエリアは白い歯を見せた。
「動ければねえ、こんなこともしてもらわなくて済むわねえ。ま、今は我慢しなさい。美味しいでしょ、今日は気合入れたからね」
「……はい」
 クロは仕方なく諦めた。何しろ彼女の言っていることは残念ながらどれも真実だ。
 おとなしく運び込まれたスープを力なく口の中に入れてもらうクロは、心の底から早く身体が動いてほしいと願った。彼の中に育っているプライドがこの状況を嫌がり、恥ずかしがっていた。こんなところ、アランやラーナーには一番に見られてほしくない場面であり、信頼を置きこれまでも恥を見られてきたエリアだから辛うじて許せるのである。
 暫く沈黙が続く。スプーンがスープを掬う度に鳴る金属音が妙に目立ち、扇風機の音が鼓膜を引っかくように鳴り続けていた。
 沈黙を破ったのはエリアの方だった。
「いつ頃動けるようになりそうなの」
 クロは何度目かのスープを飲むと暫し沈黙した。
「分かりません。こんなに強い反動は初めてなので」
「そう……アランに言われてね、ラナちゃんにはまだ教えていないの、あなたが起きたって。早く報告できるようになりなさいね」
「はい」
 少し悲しそうに顔を俯かせたエリアは、スプーンを皿に置く。その中身は綺麗に無くなっていた。
 エリアは椅子を立ち上がる。その動作からクロはほっと息を吐いた。ようやく終わった、と。
「じゃ、後はゆっくり休みなさい」
 微笑みを浮かべるエリアにクロは大きく頷いた。
 エリアはランプを消すと、途端に部屋が再び暗くなる。月光でエリアの姿がぎりぎり浮かび上がるような具合だ。
 ドアを開こうとするエリアは思い出したようにくるりと振り返って、クロに向かってにやりと笑う。暗闇も手伝ってその笑みがどこか不気味なものに見え、クロは顔を引きつらせた。
「良かったらお風呂入れてあげようか? おばちゃん頑張っちゃうわよ」
「いっ……遠慮します!」
 クロは顔を真っ赤にして全力で否定したが身体に力がこもったせいで全身に大きな痛みが走った。その途端声にならない声をあげる。
 それを見てエリアは大きな声で笑う。
「冗談だよ、ゆっくり寝なさい」
 からからとからかって、部屋を後にした。
 痺れるような痛みを我慢しながらクロはほっと息をついた。エリアの冗談に聞こえる言葉は冗談でないことも多い。クロは動けないのだから無理矢理連れていかれたら反抗のしようがない。
 全身に疲労が圧し掛かってくる。
 けれどそれとは裏腹に腹は温もり、胸が軽くなったのも事実だった。


 *


 キッチンで皿洗いを済ませ落ち着いてきた頃、裏の玄関から物音がしたのをラーナーは耳に入れて、ダイニングルームから出る。
 玄関の方へと向かっていくとアランが扉を開けて出ていこうとしている所だった。
「今日もバイト?」
 黒いショルダーバッグの中身を確認しているアランに向かってラーナーは声をかける。気付いたアランは顔を上げて力無く笑う。
「まあな。そろそろ行ってくるよ。おばさんには言ってないけどまあいいや」
「聞かれたらそう言っとくよ」
「よろしく。まああの人も知ってるだろうから別に聞いてこないだろうけどな」
 そう言った後に思い出したようにアランはそうだ、と言うと傘立てから青い傘を適当に取る。
 ラーナーは首を傾げてアランの横を通り抜けて夜の空を仰ぐ。月は光り瞬き星が散らばっているが、民家の隙間の遠くの方で、雲が立ちこめているのが何となく分かった。
 それが雨雲なのかは判断し辛いが、傘を持つということは恐らく水分を多く含んだ雲なのだろう。
「今日の天気予報で夜に雨が降るって言ってたんだ。一応傘持っていっとこうってな。じゃもう行くわ」
 軽くラーナーに手を振るとラーナーはワンテンポ遅れてから頷いた。アランは軽く笑って右方向へと道を進んでいった。
 軽やかなアランとは裏腹に、ラーナーは顔を曇らせる。前で組んだ手を握りしめ、何か迷っているようでもあった。アランの姿が十メートルほど遠くなった頃、思いきって口を開いた。
「アランくん!」
 叫んだ声は距離を置いたアランの耳にもはっきりと届き、アランは足を止めて振り返る。そこにラーナーは駆け寄った。
 何、と呟くように言うアランに対してラーナーは未だに迷いながら、顔を上げる。
「出掛ける時に言うのもあれなんだけど、その……クロは、まだ起きないの?」
「……」
 息を止めるアラン。沈黙が訪れ、その間に言葉を探るアランはまず深く頷いた。
「まあ、気長に待ちなよ。あいつなんだかんだで異常に丈夫なんだからさ」
 嘘をついているようで胸が痛んだ。誰が一番クロのことを心配しているかどうかなんて比較するべき事ではないが、ラーナーはいつもクロの様子を気にかけていた。
 アランはじゃあ、と言ってその場を半ば逃げるように後にした。ラーナーはその背中を追いかけようとせず、その場に立ち尽くす。
 溜息すらも出てこない。どれだけ同じ、暗澹たる夜を超えていけばいいのだろう。
 風の無い静かな夜だった。太陽が息を潜めた夜は暑くはなく、かといって涼しくもない。微妙な気温がねとりと身体に染み込んで、沈んだ気分を助長する。
 少し時間が経ってからラーナーの背後から蹄の音が響く。ずっと家の外で待機していて、ラーナー達の様子を観察していたポニータが傍までやってくる。
「クロ、死なないよね……」
 ポニータとラーナーの距離が1メートルを切った頃にラーナーは呟いた。
 ポニータは足を止める。
 ラーナーは両手を組み合わせて力を入れる。掴みようの無い粘着質な不安が日常的に流れていく時間をぐっと堪えながら、もうじき雨が降るという夜空を仰いだ。

( 2012/03/16(金) 11:56 )