Page 25 : 笑い
日陰に身を置くと、ラーナーは小さな溜息をついた。つい落としてしまう視線を上に向ければ、柔らかな青い空が覗く。
やや急勾配の坂道はレンガを所狭しと並べた道になっておりそこまで広くはない。町に帯びている雰囲気が彼女の故郷ウォルタと少し似ていて、ラーナー自身は安心感を覚えていた。
手にしていた竹箒を建物の壁に寄りかからせると、大きく伸びをする。
と、彼女の後方の方から何かが軋むような音がした。ラーナーはそれに気付いて右に歩く。建物の隣には小さな駐車場のスペースがあり、そこをラーナーは覗きこむ。
すると建物の駐車場に面したドアが開いて、中からもうラーナーも見慣れた顔が二つゆっくりと出てきた。
「アランくん」
「おーラナちゃん。箒持ってないってことは掃除終わった?」
「うん。今終わったとこ。ポニータまで中にいたんだね。どこに行ったのかと思ってた」
ラーナーはアランの元に歩み寄る。ポニータが身体を全て出したところでアランは木のドアを閉めた。軋む音は少し遠くでも聞こえるくらい大きい。油でもさせばいいのにとラーナーは何度か意見したが、この家の者達は一向にそういった気配を見せない。いつも軽く笑って流すのだ。
アランは一つ大きな欠伸をして、肩を回すと、大きな音が何度か跳び出してきた。ラーナーは苦笑いをする。
「肩凝ってるね」
思わずそう声をかけてしまうラーナーに、力無くアランは笑う。
「まあな。ああ早くも爺の仲間入りだ」
言いながらアランは大きな伸びをすると、やはり身体のあちこちから身体の悲鳴とも取れそうな音がする。
「おつかれさま」
「あーありがとー。でもまたそろそろ戻らねえといけないしまだまだこれからだ」
「相変わらず大変だね」
「まあな。でも全部俺が決めた事だしやりたい事だしちょっと辛いけどやるしかない」
ラーナーはその言葉に目を細める。無意識だろうが彼はその言葉をもう何度も口にしている。本当の心情をラーナーがはかることはできないが、まるで自らに言い聞かせているようだった。
ポニータが眠たげに欠伸をする。瞬きの回数が多い。
「なんか、アランくんもポニータもちょっと眠たそうだね」
その言葉に苦笑するアラン。
「ちょっとは休んだら? 身体壊したら元も子もないし」
「大丈夫安心しなこの程度で身体壊すほど弱くないから」
言いながらアランはへらへらと手を振る。その後軽くポニータの頭を撫でて背を向け建物内へ足を踏み出す。頑張ってね、とラーナーが改まったようにその背中へ一言声をかけると、アランは笑みだけを返し、後ろ手に扉を閉めていった。
急に静かになった雰囲気にラーナーは細い溜息を吐く。後ろに下がって日陰から出て、建物の屋根の方に目を向ける。
二階建ての建物の屋根は薄く汚れた茶色で、緩やかな斜めのラインを創り出している。その上に寝転がっている一匹のポケモンの姿があった。
エーフィだ。日光浴をしているようで心地良いのか目を閉じて、寝ているようだった。ラーナーからして見ればどうして暑い中日光に当たって平気でいられるのか不思議だった。
もう一匹のラーナーの持つポケモン、ブラッキーの姿はそこに無い。が、ラーナーは知っている。彼女はすぐ近くの大きな木に視線を移すと、やはり鬱蒼とした木の葉の中にブラッキーはいた。目を凝らさないと見えないが、太い枝にその身を下ろしている。
「皆のんびりしてるねえ」
声をかけると、ポニータは頷いた。
「何にもなくて平和ボケしちゃいそうだね。全然危ないことも無いし」
存分に羽根を伸ばしている彼女は、弛緩しきった言葉を吐き出した。
視線の先にいるブラッキーが、寝ている為に足のバランスを崩して落ちそうになったが、すぐに戻して何事もなかったかのように過ごす。
「早くクロも起きてくれればいいのに」
ぼそりと呟いた声はポニータの耳に届いて、彼女から視線を逸らした。
ラーナーはくるりと身体の向きを変えると竹箒を取りに行く。それを取るとアランの入っていったドアに手をかける。
「中の手伝いしてくるね」
一応ポニータに一言残して、ラーナーは中に入った。
残されたポニータは顔を俯かせて、数歩建物から離れると一つの開いた窓を見つめる。その窓の部屋の中にいるクロはすでに意識を取り戻している。ラーナーが知らないだけで。
それを彼女に教えることができるのは今現在はアラン一人。高い知能を持つポニータも人間の言葉を話すことはできない。
それはポニータにとってはもどかしいものであった。
中に入ってドアの傍の傘立ての隣に竹箒を置き、ラーナーはそのまま廊下を歩く。
落ち着いた焦げ茶色の床、柔らかな白塗りの壁。廊下をそのまままっすぐ行くと右や左に様々な部屋へと続いている。が、そこにはラーナーは目を配るだけで入ろうとはしない。
途中で廊下の角に当たりそこを右に曲がった。だんだんと人の声が耳に入ってきた。視線の先には大きな部屋。ドアは無くそのままそこに入ると何人か屯しているようだ。
「はいお釣り」
「ありがとうね、じゃあまた来るわ」
明るい会話にラーナーは目を向ける。そこには少し小太りの女性がカウンターに立ち、その正面には老婆がいた。老婆は小さな茶色の紙袋をもらって、背を向けた。
中にはカウンターの他には二つの小さな丸い焦げ茶の木のテーブルと、同じ色をした椅子がそれらを囲むように全部で六つある。
少し高めの天井といくつもある窓のおかげで解放感のある部屋だ。
カウンターにいる女性はラーナーの姿に気がつくと途端に満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
「ラーナー。掃除やってくれた?」
「はい。今日はあんまりゴミが無かったので、早めに終わりました」
「いっつもありがとうね」
「いえいえ、このくらいどうってことないです。それより、こっちで何か手伝えないかなって思って」
そう言いながらラーナーは軽く辺りを見回す。
「アランも働き者だけど、あなたもよく働くわよねえ。助かるけど、暑いんだから程々にね」
「ははっ大丈夫ですよ」
笑いながら会話を弾ませていると、カウンターの後ろからアランの顔が覗く。
「おばさーん薬できたよ何話してんのさ」
その声に女性は笑いながら振り向いて、アランの持っていた白い紙袋を受け取る。そこに書かれた文字とカウンターに置かれたメモとを見比べる。
「ありがとありがと。えーっとこれは……アレクシさんか。アレクシさーん!」
そこまで大きな声を出さなくても部屋の広さを考えれば相手に聞こえるのだが、癖なのだろう。地声がそもそも大きく、溌剌とした印象を持たせる。
名前を呼ばれた中年の男性が椅子から立ち上がる。カウンターに来ると持っていた革財布に手をかけた。
女性はアランからもらった小さな紙袋をさらに別の、先程老婆に渡したものと同じ紙袋に入れると、慣れた手つきでレジを打つ。
アランは再びカウンターの奥へと消え、それを見守るラーナーに客の男性は目を留める。
「エリア、新しいお手伝いさんかい?」
男性はラーナーに手を向けながら女性――エリアに尋ねる。エリアは嬉しそうに笑う。
「そういうわけじゃないんだけどねえ。ちょっとワケありで暫くうちに泊まってんのさ。良い子だよ」
「へえ、かわいい子じゃないか。この家には勿体ないな。アランが連れてきた彼女かとも思ったけどなあ」
「この家に勿体ない、は余計だねえ。残念ながらアランは彼女を作る余裕が無いよ。出会いが無いしね」
「それもそうか」
そう言いながら二人は大きな声で笑う。それにつられてラーナーも思わず笑ってしまう。
男性はお金をカウンターに出すとエリアはその金額を確認しレジに打ち込んだ。打ち切ると心地よい高い音がレジから放たれる。
「丁度だよ。また来てね」
「はは、早く来なくなれるようになるのが一番じゃないか。じゃあ、ガストンの旦那とアランによろしく」
客を見送り息をつくと、エリアは再びラーナーの方を向く。
「ほんとに休んでいいんだよ」
先程までの高いテンションから一転、優しい撫でるような声。それにラーナーは横に首を振る。
「何かやりたいんです」
「そうかい? じゃあ棚の整理をしてくれる? そこの棚の。どこに何を置くかとかは全部書いてあるから」
エリアは人差し指でカウンターのエリア側にある棚を指す。
「はい!」
ラーナーは花が咲いたように顔を明るくさせるとカウンターの中に入り、背の高い棚の前に立つ。
棚に並んでいるのは、ラーナーも見覚えのあるたくさんの種類の、いわゆる市販の薬である。所狭しと並んでいるが倒れたりばらばらの種類が何故か重なっていたりしている。ラーナーはそこに手をかける。力になれることは彼女にとって存在意義を確かめるような幸福感があった。
トレアスの町。程よく賑わい、山に沿うような坂の多い穏やかな時間の流れる町。
その町の中心近くにあるガストン・オーバンとエリア・オーバンの二人が経営する薬屋。そこにクロとラーナーは身を置いていた。