まっしろな闇











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ウォルタにて
Page 4 : 忠告
 砂利の音を招いたのはポニータの蹄だった。できるだけ気配を消し、音を立てないようにラーナーに近づいていたのだった。
 ラーナーは息を詰まらせる。特徴的な外見とポニータには見覚えがある――やや遅れてはっきりと思い出した。数分前にすれ違った、つまり自分とは反対方向へと歩みを進めていたはずの人物がどうしてここにいるのか。じっとこちらを見ている様子からは用があると言いたげな雰囲気であったが、何故追いかけてきたのか、見当がつかなかった。
 少年はポケットから手を出して更にラーナーに歩み寄る。
 冷ややかな雰囲気には言葉を失わせる存在感があった。
 改めてラーナーは彼を観察した。濃い緑の帽子に大きなゴーグルが付けられ、その下から除くのは目を覆うほどまで伸びた深緑の髪と、それと同じ色の瞳。深い色味をしていた。柔らかな緑のフードの付いた長袖の上着の下には、濃い灰色のTシャツ。そして下に伸びる黒ズボン。頑ななまでに肌が見えない。手と顔、それ以外には見当たらないのだった。顔だってどことなく整ったように窺えたが、帽子と髪の黒い影に隠れてはっきりとしない。少なくとも真夏に相応しい格好ではなかった。見ているだけでも暑苦しい。そんな外見であるために体格を知るのは困難だったが、自分とそう年齢は変わらないように見えた。
「こんにちは……」
 沈黙に耐えきれず漸く口を出たのは、誰が聞いても明らかな程不信感に満ちた声だった。
 一方少年は怖々とした挨拶を流し、ラーナーの前にある二つの墓を見やる。慎重に墓石に刻まれた文字を目で追い、読み切ると軽く唇を噛んだ。
 ラーナーにとっては挙動の一つ一つがあまりにも怪しかった。どう記憶を漁ろうとやはり彼について見覚えは無い。墓前で彼は一体何を考えたのだろう。
「あの」
「あんたさ、ニノ・クレアライトの娘?」
 少年はラーナーを即座に制し、先手を打った。ラーナーは引っ込めた声をそのまま呑み込み、目を泳がせた。
 ニノ・クレアライトはラーナーの母親だ。墓に眠るのは彼女の両親である。
「なんで……」
「質問に質問で返すな」
 高圧的な物言いはラーナーの戸惑いを更に増幅させ、同時に身体の奥底からふつふつと膨れ上がってきたのは嫌悪感だった。すっくと立ち上がって少年と正面から向き合った。不躾な物言いの相手にはあくまで強気の姿勢でいようとする心中が窺える。栗色の瞳は怒りを交えた強い光を灯していた。
「なんなんですか、あなた。初対面の人に対して突然ずけずけと。というか、さっきすれ違った人ですよね!? なんでここにいるの、ストーカー!?」
 途端、少年の眉間に更に皺が刻まれた。ラーナーの発言は彼の機嫌を損なったようだ。
「……先に訊いたの俺なんだけど」
 氷のように冷たい声だった。強ばった表情の色がそのまま声に表れていて、ただならぬ雰囲気にラーナーはその迫力に気圧されてしまう。
 そんなラーナーの表情を尻目に、彼女の右手首に視線を移した。
「その手首にあるブレスレット」
「はい?」
「それはニノ・クレアライトのものだろ。彼女が大切にしていた」
 ラーナーは咄嗟に左手で右の手首を隠した。包まれたのは白い小型の石の連なるブレスレット。太陽の光を反射すると星のようにきらきらと輝くそれは、単なるファッションの一環ではなかった。少年の言う通り、それはラーナーの母親であるニノが生前常に身につけていた一品だ。ニノが死んでからは娘が毎日欠かさず形見として手首につけており、ラーナーにとっても特別なものだった。
 ラーナーはただ言葉を失った。
 目の前にいる、赤の他人として記憶から振り落とされるはずだった少年が、ラーナーの内面に突然切りかかってきたのだ。電光石火のような攻撃を防ぐ術はなく、無防備な彼女には効果覿面であった。威圧的な口調と態度は、ラーナーを押し黙らせるのを手助けし、つい先程までの強気の威勢はどこかへ萎んでしまったようだった。端的に言えば、恐ろしかった。
 瞳は真っ直ぐに、刃物のように鋭くラーナーを見つめている。一方のラーナーは顔を俯かせて少年と目を合わせようとしなかった。
 どうして、と細々と小さな線香の煙のような声が、彼女の口元から漏れた。少し顔を上げる。
「どうして知ってるんですか。あなたはお母さんの知り合い?」
 その言葉を聞いた途端に、少年はポニータと目を合わせ、やっぱり、と呟いた。あまりにも小さな声だったから、ラーナーの耳には届かなかった。
 ラーナーは首を傾げる。少年はその様子を見て、あからさまな溜息をついた。
「そんなところだ。それより」
 真面目な顔でラーナーに向き合った。
 音を立てて強い風が過ぎ去っていき、頭上の木々が荒ぶる。ポニーテールが風の吹くままに踊る。ブルン、とポニータは鼻に落ちた葉を取ろうと頭を振った。ポニータの体で舞う淡い炎。
 重なり合う林の音が耳に障る様に響いた。絶えることなく鳴り響いていた蝉の声が突如、途切れた。
 ラーナーは只ならぬ気配を予感した。
「……なんですか」
 少年は何か躊躇うように一瞬目線を落としたが、拳を強く握ると、またラーナーを見た。深緑の瞳と栗色の瞳の視線が再度絡む。
「忠告しとく」
 決心した少年は、幼さを残した成長途上の外見からは想像できないほど冷徹な光を帯びていた。冷たく鋭い氷の刃が深緑の奥に潜んでいる。冷たい生き物が背中を這いつくばって走るような感覚がラーナーを襲った。
 太陽は高熱の光を地に浴びせている。にも関わらず、ラーナーの袖から伸びる白い肌には鳥肌が立ちそうだった。
 少年の唇が動いた。


「あんた……このままじゃいつか、殺されるよ」


 暫く沈黙が続いた。
 殺される。誰が。
 あたしが。
 ゆっくりと言われた言葉を消化して理解しようとする。ただあまりにも彼の吐いた言葉が現実味を帯びておらず、平和な日常を生きている彼女には、突飛で常軌を逸した発言だった。しかし、少年の真面目な表情には、冗談だと笑い飛ばすほどの余地を見いだせなかった。突拍子も無いが、相手は真剣であった。
 震えている唇を魚のように小さく開閉していたラーナーだったが、時間と共にかえって気持ちが安定してくる。聞き返すほどの力が戻ってきた。
「どういう……意味?」
「そういう意味だ」
「訳解らない!」
 即答した少年にラーナーは苛立ちを露わに声を荒げる。
「何も知らないんだな」
 呆れたような思わせぶりな言葉がラーナーに突き刺さった。何も知らない。ならば彼は何を知っているというのか。
「あんたの命を狙っている奴等がいる」あくまで少年は冷淡な姿勢を崩さなかった。「できるだけ隠れて暮らせ。……その気があるならウォルタを出た方がいい。すぐにでも。それだけだ」
 早い口振りは焦っているようにも取れた。ラーナーは呆気にとられた。彼が何を言っているのかさっぱり理解できない。
「行くぞ」
 ポニータに声をかけ、ラーナーに背を向けた。ポニータはラーナーを気にかけているのか、ちらりと彼女の表情を見やってから、さっさと場を去ろうとする少年に倣った。
 その様子はラーナーの目にはあっさりと逃げていこうとしているように映った。驚いて麻痺した心に一気に怒りが湧いてくる。当然、止められるものではなかった。
「待ってよ、言うだけ言って帰るわけ! 殺されるだのウォルタを出ろだの、何の根拠も説明も無しに勝手なことばっかり……ふざけないでよ!」
 唾を吐くようにラーナーは叫んだ。
 少年はその言動に一瞬足を止めたが、軽く振り向いただけですぐにまた歩きだす。まるで聞く耳を持たないようだ。耳障りな蝉の声と砂利道を踏む音が絡む。
「ちょっと」
 自然とラーナーの足は動いていた。小走りで少年に近付く。背中越しに気付いていた少年だが無視を貫く。ポニータだけ足を止めてラーナーの行動に目を見開いていた。
 ラーナーは右手を伸ばす。その手首にはめているブラスレットが激しく揺れた。きらきらと太陽を反射する。その手は少年の右腕を掴もうとしていた。白く細い指が彼の腕目がけて伸びる。掴みかけたその瞬間、沈黙を貫いていた少年の様子が豹変した。脊髄反射の要領で振り返ると同時に目が鋭く光る。
「触るなっ!!」
 瞬時に少年は右腕を振り上げる。咄嗟のことで加減を忘れた防衛本能は、激しい音と共に彼女の手を思い切り弾いた。急に筋が伸びてラーナーの右手には厳しい痛みが走り、思わずその手を抑え込む。右腕を痙攣させ、その表情は痛みに歪んでいた。あまりの痛みに呻いたまま動けなくなった。
 力加減を制御できなかった少年自身も驚愕していた。居たたまれない空気に胸が浮かぶ思いだった。肩が上下にゆっくりと動き、唇を強く噛む。帽子と髪に隠された額にじんわりと冷や汗が滲んでいた。
「……すまない」
 小さな声で彼は謝り、そそくさと逃げるようにその場を離れた。
 苦渋に歪むラーナーの顔を心配そうな顔で覗き込んでいたポニータも、慌てて追いかける。彼等の足音がだんだんと遠くへ過ぎ去っていく。
 その場に残ったのはラーナー一人だけ。
 急に操り人形の糸が切れたように、砂利も厭わず座り込み、小さくなっていく少年の背中を呆気にとられながら見つめる。
 冷たい風が吹いた。蒸し返す熱気の中で心地良さを感じさせるほどの風。が、ラーナーにとってそれは悪寒を増幅させるものの他ならなかった。
 弾かれた手は肌に赤みを残していた。未だ痛みは続いている。咄嗟に膨れ上がった彼の激情の証。踏み抜いた地雷であろうが、ラーナーには知る由も無い。
 忠告が脳内で繰り返される。重く響きわたる。あの声、あの顔で。深い深い緑の瞳。冷たく鋭くそして切迫した雰囲気だった。
「なんなの……」
 寄る辺なく絞り出した混乱は霞んでいて、誰に届けられることもなく消えていった。


 *


 ブルン、とポニータは思い切り頭を振る。
 少年は木陰で淡い青で塗られた古びたベンチに座って考え事に耽っていた。先程ラーナーに掴まれかけた右腕を押さえる。表情は浮かない。心配そうにポニータが少年の顔の前に鼻を突き出し覗き込めば、気が付いた少年は力無く苦笑し立ち上がった。
 彼が座っていたのは錆びれたバス停のベンチ。風雨に晒されてきたのであろう、塗料は所々剥げて寂しげな印象だ。青々と風に大きく揺れる林を背にしている。
 バスを待っているわけではない。座れる場所を探していただけだった。どこかに座って、冷静になりたいだけだった。
 少年は目の前の広い田舎を眺望しつつ、口を開く。
「あの様子を見るに、まだ気付いてないみたいだな」
 その言葉にポニータは一度だけ深く頷いた。
 軽く舌打ちをする。
「奴らも気付くだろう。むしろ今まで何も無かったのが不思議なくらいだ」彼は小さく息を吐いた。「必ずこの町に居るはずだ。直感だけど、妙に嫌な予感がする」
 手に力がこもる。ポニータの目付きが瞬時に険しいものになった。
「そうなれば俺達も長くはここに居られない。けど、ほっとくわけにはいかない。恩を仇で返せない」
 ポニータは大きく頷いた。
 少年は思いっきり腕を上に伸ばし背伸びをする。自然と喉から漏れる声。そして腕を勢いよく下ろして、
「お節介だと笑うか?」
 真顔で相棒に尋ねた。ポニータは首を横に振り、くぐもった声で少年に寄り添う。彼等の間に多くの言葉は必要なかった。
 視線を移せば、青々しく茂る田園地帯の上に広大な夏空ががらんとしていた。真っ白い雲が転々と列をなして浮かんでいる。あまりにも鮮やかな青の中、強い日光を受けて目映く白く、フワフワと暢気に存在している。呆れる程に穏やかな日常を象徴しているかのようだった。夏の一日は始まったばかりで、そして長くなる気配を予感させた。
「……まだ当分寝れそうにないな」
 綻ばせた表情には年相応の純粋さが滲んだ。ポニータが少々残念そうにうなだれたので、少年は背中を叩いて励ましてやった。
 とりあえず宿だけはとっておこうと少年は思った。白い石の道をポニータと並び、漸く当初の予定地へと歩みを進める。


 *


 真昼であるにも関わらず、その部屋は一点の光も無く暗闇に包まれていた。ものが腐ったような異臭が部屋に漂い、どんな生き物も耐えられずに逃げ出してしまいそうだ。
 闇の中で蠢く姿があった。人間である。光のないその場所では、恐らく人間であるだろうという憶測しかできなかった。
 時を正確に刻む時計の音が部屋に響く。夜に潜む冷めた足音のようだった。その中で、金属同士が当たったような硬質な音が滑る。数秒たってから浅く笑う声。喉から思わず跳び出した、そんな気配があった。
「随分と丁寧に磨いているな」
 冷淡な声。やや低めの、若さの滲むはりのある声をしていた。
「ずっと待ってましたからねえ、この時を」
 返事をしたのは先程笑いを堪えきれなかった方だ。手元ではすりあわせるような金属音が絶えず鳴り響いている。
「長かった」恍惚と苦心の滲んだ感嘆の息を長く吐いて、芝居がかったような笑みが顔中に広がった。「実に長かった」
 自分の世界に浸る男を余所目に、他方は部屋を見回しては軽く手元を漁る。男の私物が至る所に転がっていた。異臭の正体はいくつも床に放置されたままだ。乾ききった血が靴底に擦れた。光で照らせば凄惨な光景が広がっていることだろう。
「準備はとうの昔に出来ています。シナリオは完璧ですよ。それとも何か不安でも」
「ただの様子見だ」
「そうですか」
 互いに探り合う様子には、信頼関係を感じさせない。
 やや間があって、机の上に何か置かれた音がした。部屋の主は手を止め、渡された麻袋の中身を確認した。一つ、二つーー八つ目で音は途切れる。
「手土産だ」
「気合が入っていますねぇ」
 かえって呆れたような声音だった。
「当然だ。A…Sに限りなく近い任務。今までどうしてここまで放置されていたのか不思議なくらいだが」
「上の考えていることなんて末端には知ったことないでしょう。なんだっていいですよ、報酬さえ貰えれば。こんなに簡単で美味しい任務も他に無い」
「……油断はするな。失敗は許されない」
「ハイハイ。心得ていますよ」
 へらへらとした笑い方が、他方の男には不愉快だった。渡すものさえ渡せばあとはこの腐った部屋にも用はない。さっさと後にしようと歩き出せば、背中越しに再び声をかけられる。
「万が一に邪魔された場合は?」
「解っているだろう」
 決まりきったことを。男は振り返り、至って平坦に、かつ限りなく冷たく、突き放すように闇を見た。
「殺せ」
 下されたのは、ごく短い命令。
「りょーかい」
 声は笑っている。
 一足遅れて、扉の閉まる断罪のような音がした。

( 2012/03/03(土) 19:28 )