まっしろな闇











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続・キリにて
Page 107 : 迷子たち
 訪問者を部屋に招き入れると、ザナトアは扉を素早く閉め、強い足取りで案内した。老齢を思わせない足腰でさっさと進み、エーフィ達はそれを追う。
 玄関から入るとまず横に長いカウンターテーブルがあり、右端の空白が通行口となっている。部屋の壁には棚が並べられ、ファイリングされた資料が所狭しと詰め込まれていた。彼女は育て屋を営んでいた。短期か長期かは客に寄るが、他者のポケモンを預かるにも契約書を始めとして様々な書類が必要となる。夥しい量のそれは、職場を通り過ぎ、生活の居住空間に入ってもずらりと並ぶ。日焼けしたように変色したものも少なくない。長きに渡って職を全うした痕跡が窺われた。
 褪せた部屋の香りと、古びた紙の匂い、そして濃い獣の臭い。其々が混ざり合い、育て屋の空気を形成している。新たな臭いを纏った者達は、ある者は興味深げに鼻をひくひくと動かし、ある者は無心で物音立てずに歩き、ある者は慣れぬ浮遊に夢想気分で浸る。
 ザナトアはエーフィを促し、リビングルームの奥のソファに彼女を横たわらせた。滑らかな念力に、老婆は内心舌を巻いていた。同時に複数の対象物を操り、異なる動きをさせるには相当の力量が必要だ。にも関わらず、このエーフィは涼しい顔をして、自らの手足のように自在にサイコキネシスを操ってみせる。
 血の気を失った顔を薄く開いた目で確認する。呼吸は穏やかだ。ただ眠っているだけのようでもある。
 ポケモンに対して言えば多少の医療知識は持っているし備品もある。しかし人間となれば話は別だ。湿布に絆創膏、包帯にガーゼ、それと自身の常用薬ばかり。歳をとれば嫌でも身体は衰える。自分の為の備えならある程度揃っているが、あくまで自分へ向けたものだ。
 面倒なことを、と心中で改めてぼやく。苦渋の表情を緩めないザナトアの脇で、フカマルはソファを登ろうと足をかけていた。
「馬鹿、何やってんだい」
 小さな手が少女の顔に伸びたところで咄嗟に叱りつけると、フカマルはひっくり返り床に背中から転がった。
「ばれてないとでも思ったかい。無闇にソファを傷つけられても困るよ」
 ザナトアは翻り、部屋を出て行く。
 見張りがいなくなれば、叱咤にしょぼくれるのも一瞬である。頭をブルブルと振り、性懲りも無くまたラーナーに手を出そうとしたところで、今度は違う叱責が飛び込んできた。
 殺意を帯びた声に、流石に萎縮し、悪寒を頼りに振り返った。視線の先で赤い眼差しに串刺しにされる。彼の特性は威嚇ではないけれど、フカマルを怯えさせるには十分だった。硬直する獣を放置し、ブラッキーはその目の前を通り過ぎ、見張りをするようにソファの前を陣どって横たわった。ザナトアが部屋に戻った頃には、その場に座り込んでいる訪問者達と落ち着かずに右往左往しているフカマルとの対比は明らかだった。
 呆れた表情を浮かべながら何も言わず、ザナトアはポケモンフーズをたっぷりと盛ったプラスチック容器を両手にポケモン達に足早に近付き、エーフィとブラッキーの前にそれぞれ置く。
「味気ないものだが、腹を空かせているなら食べな。夕食には少し早いけどね」
 二対の獣は互いに視線を交わし、ザナトアに向け、最後に足下に移した。ザナトアは気に留める素振りも無く、アメモースを見る。
「あんたはどうだ。まだ食べられそうかい」
 逡巡の後、アメモースは力無く頭を横に振る。
 警戒心がなかったわけではないが、既に気を許し始めていたエーフィは差し出された食事に真っ先に口をつけた。一つ啄み、やがて決壊したように夢中になって食いついた。その様子を遠目に眺め、ブラッキーは暫し悩んだが、やがてゆっくりと頬張り始めた。
 固形物を齧る硬質な音が転がる。
 フカマルからは切実な視線が送られている。ザナトアは微かな苦笑を浮かべた。ドラゴンポケモンは基本的に総じて大食漢だ。目前で潔い食べっぷりを見せつけられれば、大きな涎が垂れても仕方が無いだろう。
 ザナトアは身を翻し、壁際の台所へ足先を向けた。シンクの下の引き出しを開け、魚肉の缶詰を三個取り出し、エーフィ達に差し出したものより一回り大きな容器に慣れた手つきで中身を掻き出していく。特有の魚臭さが一気にたちこめ、誘われるようにフカマルは彼女の足下に駆け寄り、輝く視線を向けた。
 栄養価の高いポケモンフーズを一緒くたに容器に流し入れ、和え物のようにかき混ぜる。殆ど茶色の外見は華やかとは言い難いが、フカマルには十分にご馳走だった。
 山盛りの夕食を用意し、ザナトアはまたソファの元に戻っていく。刷り込まれた雛鳥のようにフカマルは彼女の後ろにぴったりと付き、エーフィの傍に置かれた食事に飛びついた。生え揃った逞しい牙の奏でる咀嚼音は豪快だ。しかし、床に撒き散らす様子は無い。ザナトアがしつこく躾てきた証であった。
 一息ついたザナトアは、ダイニングテーブルに置かれたラジオをつけて、ラーナーの横たわるものとは違う一人用の小さなソファに腰を落ち着けた。
 低音がのびやかに空気を震わせる。響き渡るチェロの旋律に他の弦楽器が伴奏している。電波に乗った音質が妙に心地良く、褪せた部屋に浸透していく。
「もういいのかい」
 ザナトアは本を手に取り、半分ほどで食事を止めたブラッキーに声をかける。小さな頷きを追随せず、目を細めただけで、そう、と呟いた。
 栞を挟んだところへページをめくろうとしたところで、袖を引かれるように、改めて横たわる少女を見る。
 終始、仮面を身につけているような印象だった。
 初めから終わりまで、アメモースがこのままでは死ぬとはっきり宣告しても顔色も表情も殆ど変わらなかった。発する声は僅かに震えていた。辛うじて狼狽える様子はあったけれど表面的なもので、ある種の気味悪さを受け取った。
 個性豊かなポケモン達を見てきたのと同じように、千差万別のトレーナーと出会ってきた。育て屋に預ける理由は様々だ。覚えさせたい技があり確実な習得のために預ける者もいれば、効率的に能力を伸ばすことを目的とする者もいる。中には捨て子同然に預けてそのまま戻ってこなかった例もある。見極める目はある程度養っている。彼女を無責任だと突き放すことは簡単だ。しかしその一方、ポケモン達、とりわけエーフィとブラッキーが向ける労りが気にかかっていた。
「物好きだね、あんたたちは」
 ブラッキーは視線だけ老婆に寄越した。
 弦楽器の調べに、歌が乗る。男声のバラードがしっとりと時間をくるめる。
「トレーナーとポケモンはモンスターボールが間にあるから面倒さ。だけどボールの強制力なんて本当は大したことないはずなのさ。生き物だから、お互い相性がある。人同士なら適当にやり過ごせばいいけどね、だけど、何も無理についていかなければいけないわけじゃない。この子に限った話じゃない。子供のトレーナーは総じて未熟なんだ」
 ザナトアは浅い溜息をつく。
「子供に限った話じゃない。いつまで経っても駄目なトレーナーはいる。おやとするポケモンが不憫でならない。時折居るよ。たとえば、自分のポケモンに怪我を負わされて激昂し摘み出す奴。出来の悪いポケモンだってね。そりゃあね、ポケモンにも頭の良い奴悪い奴はいる。だけど責任を片方にだけ押し付けて自分を顧みないのは都合が良すぎる。言葉が通じないから誤解しやすいけどね、相手をよく見ていない証拠さね。真摯にしていれば、なんとなく相手の考えることはわかる」
 綺麗に平らげたエーフィを見やり、ザナトアは柔和な笑みを浮かべた。その横で
「あたしは事情を知らないけれど、あんたたちが聡いことは分かる。一目見て分かったよ、よく育てられている。……これは勝手な予想だけど、この子、本当はあんたたちのおやではないだろう」
 見通しているような鋭さに、ブラッキーの目が丸くなる。
 いつのまにか皆ザナトアに注目している。ザナトアがそれぞれに視線を配れば、アメモースの目が揺れた。
 この子達は恐らく人間に沢山触れてきたのだろう、とザナトアは思う。触れてきたとは話しかけられてきたということだ。肌を知り、言葉を聞き、感情の機微に触れ、影響を受けている。
 目を閉じ、手に取っていた本を戻した。なだらかに終わっていく黄昏を彩る音楽も結末を迎えようとしている。
「あんたたち、このトレーナーのことが好きかい」
 ビブラートのかかったヴァイオリンの長い、長い、糸のようなか細い音が、少しずつ収束していく。その末端が消えるか消えないか、あやふやなほどの余韻もまだ響いているような静寂が辺りを満たす。
 暫くして、そうかい、とそれだけ声がする。
 窓の外では、鮮やかな夕焼けは息を潜め深い藍と混ざる。沈黙する夜の帳が下りようとしていた。



 栗色の薄眼が覗き、最初はぼやけた視界が時間をおいて慣れぬ天井を映す。すぐには理解しようがなかった。頭に痛みが疼いているが、我慢できない程ではない。
 気怠く起き上がり、徐に部屋を見渡す。傍には小さなダイニングテーブル、その上に置かれた読みかけの古めかしい本とモンスターボール。更に視線を奥に動かせば、半分ほどが物で埋まったテーブルに台所が見える。そして壁を覆ういくつもの本棚が目を引く。どれも一切の隙間が無く詰められている。ちらかっているわけではないが、どこか雑然としている生活感のある部屋だった。当然、彼女には見覚えの無い内装である。
 ソファの足下で、ブラッキーが眠っている。エーフィやアメモースは居ない。他にも姿は無い。壁掛け時計を見れば、正午を過ぎたところ。彼女から向かって右側の窓からは目映い陽光が差し込む。白い光だけが部屋の輪郭を確かにする。真昼のさなかだった。
 靴を履き、獣を起こさないように慎重に立ち上がる。普段なら物音に敏感だが、疲労が溜まっているのか、まるで目を覚ます気配が無かった。
 リビングルームから、直接外へと出られる扉が部屋の隅に設けられている。頭の高さほどのところに小さな硝子張りの窓が取り付けられていて、そこから覗き込めば、手前側に、高く積みあがった籠やブラシなどが棚に並べられている。その奥には、広大な草原が広がっていた。
 引き寄せられるようにドアノブを回せばすんなりと扉は開く。爽やかな青空を示す風が肌を撫でる。
 草の重なる音と香りに包まれる。それは自然のざわめきだ。
 芝生を踏みしめ、日向へと歩を進める。穏やかな日光は真夏ほど強くはない。近くで音がしたので顔を上げれば、民家の隣から並ぶ木々でポッポが羽を休めていて、木陰の中からラーナーを見つめていた。
 俄には信じ難いが、薄い記憶を頼りにすればここがどこなのかを彼女は察しつつあった。
 だとすればどこかにこの家の主がいるだろう。
 背後を振り返れば、見覚えのある背の高い建物が民家の隣にある。出窓からムックルが二匹飛び出していく。
 引き寄せられるようにラーナーは歩みを進め、民家の裏手に回る。壁に沿って歩いていけば、すぐに隣の小屋の入り口に辿り着いた。巨大な円柱のような石造りの建物は、物々しい雰囲気で立ちはだかっている。
 淡々と木の扉を後ろ手に叩く。待てども返事は来ない。
 慎重に扉を押せば、立て付けが悪いのか、軋むのみだった。試しに引いてみてもびくともしない。もう一度押せば、僅かに動き、鍵がかかっているわけではない様子だった。体重をかけると少しずつ扉が床を引きずり、ようやく開けたと同時に悲鳴のような音が辺りに響いた。
 円柱の壁に沿うような円を描く緩やかな螺旋階段。一階は、均一な棚がこれも円形に合わせて設けられているが、何も置かれていなかった。ゆっくりと歩み寄ると埃が溜まっていると分かり、指で掬えば指先が白く濁った。まさにもぬけの殻である。元々何に使われていたかは判断が付かない。螺旋階段は長く、天井は少々高い。棚の上は均等に窓が並べられ、陽の入る明るい部屋造りとなっていた。
「上がってきな」
 ぼうっと天井を仰いでいたところに、唐突に声をかけられてラーナーの口元は引き締まった。声は上からした。嗄れた声には心当たりがある。
 石造りの階段は一段一段は低く、安定感がある。内側の手すりに手をかけ、踏みしめるように上がっていく。
 二階に上がる。外へと大きく開け放たれた窓は、外から見るよりも大きく見えた。
 一階部分と違って、そこは賑やいでいた。
 壁際に設けられた棚は一階よりも高さがあり、ふかふかの芝に横たわるヤヤコマやピジョンなどの姿が見える。天井にはいくつもの止まり木が直径を描くように重なり、鳥ポケモン達が身を寄せ合うようにして留まっている。独特の獣の臭いが一階よりも充満していて、騒がしい羽音が空気を震わせている。
 鳥ポケモンに目を奪われていたラーナーの目前に、紫の獣が飛び込んできて、漸く我に返ったようだ。明るい鳴き声が、不思議と懐かしい。
「エーフィ」
 歓迎されたラーナーは名を呼び、エーフィは二又の尾を忙しなく揺らした。
「起きたんだね」
 続けざまにかけられた声に、ラーナーはエーフィを撫でる手を止めて視線を上げる。窓際に置いた椅子に座って、ザナトアはラーナーを正面から見据える。
 緊張しないはずがない。彼女の記憶では、叱咤と直接地続きになっている。
「まずはポケモン達に感謝するんだね。その子達があんたをうちに連れてきた」
 ラーナーは視線を落とす。
「……ありがとう」
 素直に零すと、なんでもないとでも言いたげに、エーフィは涼やかな顔で無垢に笑った。
「ありがとうございます」
 再びザナトアを見て述べたが、ザナトアは何も言わなかった。窓の淵に降り立ったポッポを撫で、立ち上がる。
「おいき」
 突き放すような声音ではない。ポッポは暫しザナトアを見つめる。そこに、ポッポよりも一回り大きな朱色の鳥ポケモンが天井から飛んできて、小鳥の隣に着地する。
「ヒノヤコマ」ザナトアは微笑む。「見ていてあげられるかい」
 指名を受けたポケモン、ヒノヤコマは凛とした顔つきで深く頷き、励ますような声をあげた。つられるように、他の小型の鳥ポケモン達が、何匹か降りてきて、窓から羽ばたいていった。ポッポが、引かれるように翼を広げた。不思議と、身体が大きくなったように見える。窓枠を蹴り上げた。そこからはあっという間だった。すぐにヒノヤコマが追随し、空を併走していった。
 一部始終を見届けたラーナーは、空をじっと眺望した。
「あのポッポは二週間程前、身体に怪我を負った。近くで倒れていたのをうちの子が見つけた」
 静かに語り始めたザナトアもまた空を見つめていた。彼女の目は、小さくなりゆく羽ばたきのみを追う。
「幸い軽傷だったから、自然治癒でまた飛べるようになった。ただ、気の小さい子で、群を外れたことで余計に怖くなったんだろうね。元々まだ幼い。今はまだああして誰かがついていてあげないと。いずれ一匹で飛び出せるようになれば、野生に戻れるかもしれない。ただ、群に戻れるかはやはりわからない。野生に放っても、数日後には無惨な姿で見つかったなんて、珍しい話じゃない」
 ラーナーは、老婆に歩み寄る。彼女は再び椅子に座り、隣にやってきたラーナーを仰いだ。
「ここは、そういう、野生からこぼれた子たちの居場所さね」
「……飛べなくなって?」
「そうとは限らない。なんらかの原因で群から追い出された子、親から捨てられた子、あるいはトレーナーから捨てられて、野生に馴染めなかった子。それを再び野生に帰してあげる、あるいは最期まで面倒を見るのが、今のあたしの仕事」
 いや、とザナトアは続ける。
「趣味みたいなものかね」
「育て屋は、本当にもうやめたんですね」
「そう言ったろう。とっくに引退した。確かに勘違いしてやってくるトレーナーは未だに他にもいる」
 ザナトアはラーナーの表情を観察するが、少しも曇らなかった。何も無いようにも見えた。
「アメモースは、何故翅を」
 ラーナーは暫し黙りこんだ。
 辺りをちらつく鳴き声に耳を澄ませた。ここにアメモースはいない。ボールで休んでいるのだろう。ラーナーの言葉が当事者に届くことはない。
 薄い唇の隙間から、溜め込んだ息が逃げ出していく。
「噛み千切られたんです」淡々と、簡潔にラーナーは言い放った。「激しいバトルの最中に。止められなかった」
「バトル?」
「はい」ラーナーの声音は、変わらなかった。「相手はすぐに逃げていったけれど、こちらもそれどころじゃありませんでしたから。命は幸い助かりましたけど、アメモースは飛べなくなった」
「……確かに、野良バトルでは、そういう事故はあるがね」
「アメモースをもう一度飛ばせるために、ここに来ました。羽を失ったクロバットをもう一度飛ばせたという、ザナトアさんの噂を聞いて」
 沈黙に乗り、ラーナーは話を続けた。
「もし、失われたものが戻るのなら、何だってしようと思っていたんです」
「過去形かい」
「今は、よくわからないです」
 自棄ともとれる言動だった。それを最後にラーナーは何も言わなくなった。
 もう既に視界に飛び立ったポッポ達の姿は見えない。
 失敗をすれば二度目を恐れる。立ち直るのに時間を要する場合もある。あのポッポはしかし羽ばたいていった。仲間に付き添われながら、ゆっくりと前を向いている。元の世界に戻っていくために。
「あんたは、アメモースのことをちゃんと見てあげた方がいい」
 ザナトアの言葉に、ラーナーの視線が横に流れた。
「トレーナーのひとりよがりだけでは失敗する。まずすべきは、衰弱したあの子を回復させることだ。違うかい」
「……はい」
「そうしてから、あのアメモースが本当に飛びたがっているのか、飛ばせるべきなのかそうでないのか、話し合うんだ。もう一度飛ばせるとは、そう簡単にできることでない」
 諦めた方が楽な場合もある、と老婆は言う。
「トレーナーが言うのは簡単さね。何故ならその苦難を味わうことは決して無いから。それでも飛べというのなら、必ず支え続けてやらなければならない。勿論、アメモースの意志が前提になる」
 皺の寄った瞼が上向き、部屋で休む鳥ポケモン達を見渡す。
 ここには、少なからず飛行を手放した鳥ポケモンが住んでいる。羽を傷つけた者、病んだ者、心に痛みを抱えた者、生まれつき出来ない者。誰もが当たり前に出来ることを、当たり前に出来ない者は存在する。迷い子のように世を足掻き、巡り巡ってここへ寄せられてきたポケモン達だ。
「飛べない鳥ポケモンは手が掛かる。翅を失ったのが事故だとしても、その生涯を背負う責任がおやにはある。それがトレーナーだとあたしは思っている」
 ザナトアはラーナーを見る。
「残念だが、育て屋に押し付けて消える輩はいる。あたしには、あんたがその責任を背負っているようにも、飛ばせる覚悟があるようにも見えなかった。だからあの時追い払った」
 槍のような言葉を、敢えて彼女は使う。返ってくるのは淡泊な目線ばかりだった。
 まるで池に石を投げ入れるばかりのようだった。水面に波紋は広がるけれど、やがて何事も無かったように凪いで元の静けさへと還る。いや、波が立つならまだ実感がある。何も届いていないような予感も過ぎった。栗色の瞳は深みを湛えてザナトアを見つめている。ここにいるのにどこにもいないような、無色透明の気配を纏っている。
 それが益々ザナトアの神経を静かに逆撫でた。
「投げやりにするならすぐに出ていきな。年齢は関係無い、責任感の無いトレーナーの頼みを聞くほど暇じゃない」
 用意された導線。火がつけば瞬く間に爆ぜるだろう。
 エーフィは固唾を呑んで主人を見上げた。緊張を汲み取っているのか、心なしか、周囲の鳥ポケモン達もラーナーの返事を待っているかのように静まっていた。
 白い指が右手首に巻かれたブレスレットを撫で、光が当てられれば星のように煌めく石の輝きを遮るようにそのまま掌で包み込んでしまう。
「少し、時間をください」
 時間をかけて導きだした返答に、ザナトアは目を細める。
「それはなんの時間だ」
「アメモースが回復するだけの、時間。それと考えたいんです。これからどうしていくべきなのか。ポケモン達のことも、全くわからなくなってしまったから」
 だから、と続けて、ラーナーは身体ごとザナトアに向けた。
「アメモースが回復するまで、ここに置かせてくれませんか。お手伝いはします。ザナトアさんとここのポケモン達の関係を、もう少し見ていたいんです」
 ザナトアはまっすぐに向けられた視線を受け止めた。
 これはまた。ザナトアは驚いたような納得したような心地に浸った。覚悟があるかと問うて、これでは覚悟は無いと宣言したようなものだ。いっそ清々しさすらある。存外図太い性格をしているじゃないか。堪えきれずに苦笑した。
「呆れた。随分大きな迷子が来たもんだ」

( 2019/04/06(土) 23:16 )