まっしろな闇











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首都にて
Page 75 : 陰にて
 隔絶された小部屋にキーボードを叩く音が途切れることなく走る。誰の声も今の彼の耳には届かないだろう。眼前の電脳世界に没頭し、研ぎ澄まされた集中力は感覚を麻痺させる。時を忘れて打ちこんでいるうちに夜は随分と深くなっていた。そのことにノエルが気付いたのは、彼のパソコン内に住まうプログラム、通称ポリゴンの発する吹き出しが画面端にて表示されたときだった。
<午前三時をお知らせします。>
 視線が揺らぎ、思い出したようにすっと空気を吸った瞬間、集中は途切れる。忙しなく活動していた指は停止し、瞳の裏が急に痛む。表情を歪めたまま分厚い眼鏡を外して目頭を抑えると、冷たくなった指先が皮膚を刺激した。疲労を絞り出すように長い溜息をつくと、夢中になって気付いていなかった身体の悲鳴が雪崩れ込んできていた。ただ、心地良い疲労感でもあった。時を忘れて脳を回転させ続けている行為は、ある種の陶酔状態。その余韻に浸っていると、痺れていた思考が現実を取り戻していく。
 眼鏡が無ければ生活できないほど著しく視力が低下しているノエルだが、靄がかかった視界でも、赤と青のブロックで構成された自律プログラムがモニターの端で動いていることは朧気に把握できる。白い吹き出しが消えて、代わりに赤い同種のものが現れる。
<休憩を挟むことをお勧めします>
 ポリゴンは午前二時になるといつも同じことを言う。それ故に文字が読めずともわかる。生きているかのように自由に言葉を操るが、誰かがポリゴンを構成する際に設定したものなのだろう。昼も夜も無く時間に対する感覚を失っているノエルにはどうでもいいことだったし煩わしくもあったが、ポリゴンの設定を変更しようとすれば打てば響くようにエラーの連続が返ってくるのみだ。既に何度も挑戦済みで、とうの昔に白旗を上げた。
「うるさいよ」
 最早口癖と化した僅かな抵抗。
<おつかれさまです。>
 眼鏡をかけなおす。鮮明になった視界で吹き出しを確認する。これも口癖なのだろうか、規定された言葉なのだろうか。どこか噛み合わっていない無機質な返事だと思いながら、ノエルの疲れた口元は僅かに上がっていた。
 背もたれに体重をかけながら、モニターに映し出された文字の羅列の動きを観察する。着実に処理している様子を眺めているうちに、三台のモニターを跨ぐように泳いでいるポリゴンが欠伸をする。昔、初めて欠伸を確認した時に眠いのかと尋ねたところ、相手は頷いた。ポリゴンはノエルにとって、仕事を補助してくれる便利な相棒だが、眠くなってくるとやや動作も遅くなるから不思議なものだ。
 だが、ポリゴンの遅延で作業がやや鈍くなろうとも、安易に休むわけにはいかない。気怠い身体を起こし、キーボードを軽やかに叩く。淀みない音が小部屋を走り回る。
<ミスタイピングです。>
「……分かってる」
 吹き出しが出るのとほぼ同時に修正はなされていた。自らカーソルを動かすよりも素早い。
 ノエルは動かす指を止めて、額にそのまま当てる。トリップ状態が切れた直後はミスが増える。いつものことだが、すかさず助けられると、情けなさを覚える。閉所で育てられたささやかな自尊心は気弱で、簡単なことで傷つけられるのだ。ノエルの手が彼の視界を覆っている傍らで、ポリゴンは首を傾げた。
<ストレス及び疲労がたまっていますね。>
<睡眠をお勧めします。>
 拡大したかのようにポリゴンの顔が一台のモニターいっぱいに広がって、まるでノエルの顔色を窺おうとしているかのようにノエルの目線の下から彼を見つめる。角ばった大きな白目に、一点の黒目。無機質な瞳に映るノエルはやがて顔を上げた。巨大なポリゴンの顔は触れられそうなほど鮮明で、どこか滑稽な光景だ。ポリゴンからの無音のメッセージに目を通す。
 どうやら心配されているらしい。やはりおかしくなって、ノエルは自嘲じみた笑みを浮かべた。
「平気。それよりも、真弥さんが来る前に仕上げておかないと。あの人、出掛けたのはいつだっけ」
<0:03に退出した記録が残っています。>
「約三時間か……そろそろ戻ってきてもおかしくないかもしれない」
 気分屋の真弥がまだ処理を終えていない案件を前にしてどう出るかは、蓋を開けてみなければわからない。わかるのは、終わらせておけば問題無いということだ。
 が、現実はそううまくもいかないらしい。
<真弥、帰宅確認。>
 丁度再び作業を始めようとしたところだった。無意識にノエルは頭を抱えたくなる。噂をすれば、という使い古された言葉がこれほど合う瞬間も無いだろう。地獄耳を立ててタイミングを見計らっていたのではないかと疑いたくなる程だ。
 間もなく、固く閉ざされた扉を叩く音がする。トントントン、と三度叩いてから、二秒程間を置いて、トンと一度ノック。
<真弥、ノエル部屋扉の前にて確認。>
 言われなくても流れで分かっている。ノエルは泥を纏ったような重い身体で立ち上がり扉の傍まで足早に近寄ると、音を立てないように鍵を開けた。ゆっくりと扉を開き視線を上げると、部屋の中の明かりが外へと零れ、扉の前に立っている真弥の姿が明らかとなった。張り付いた笑顔を浮かべている。内心、ノエルは安堵を覚える。どうやら機嫌がすこぶる悪いというわけではなさそうだ。比較的纏っている雰囲気はやわらかい。
「や、捗ってる?」
 とりあえずすぐに部屋の中に招き入れると、真弥は軽い口調で尋ねる。
「……いえ、まだ途中で」
 誤魔化したところで意味は無い。正直な応えに対する返事は、ふうん、とそれだけ。
「今日の仕事は終わったんですか――って、なんか鉄臭いんですけど」
「まあねー。ちょっと汚れたから後でシャワー浴びてくる」
 言いながら真弥が遠慮なくベッドに座りこんだ。ノエルは嫌悪を見せないよう表情筋に気を遣いながら、真弥の身体を確認する。彼自身に目立った傷は無さそうだが、服の至るところに血痕とみられる汚れが染み付いている。動きに違和感が無いうえに涼しい顔をしているところを見れば、恐らく自身の怪我によるものではなく返り血かなにかだろう。既に乾いているようだが、その状態で座られるのは気分が良いとはいえない。思わず文句の一つ、いや、一つといわずいくつも言いたくなったノエルだが、適当にあしらわれることなど目に見えている。下手に口を出して機嫌を悪くされては痛い目にあうだけだ。後で一人になってから汚れを確認しなければ。
「ま、特に問題無く終わらせてきたんだけどさ」
 草臥れた声色だ。まじめに面と向かって聴く必要のない愚痴だと判断し、ノエルは再度パソコンに向き合った。
「後で口座確認しておいてよ。今日の依頼人、電話したらなんか嫌ーな感じしたんだよね。明らかに動揺してたし、どっちかというと死んでほしかったのは俺の方か……だとしたら、なめられたもんだ。ま、どうでもいいけど」
 背中ごしに溜息が伝わってくる。深い落胆がそのまま示す心の余裕。姿を見ずともわかる傲慢な態度は、ノエルの胸をちくりと刺激した。
「敵が多いと大変ですね」
「楽しいよ?」
 そして真弥は笑った。さりげない皮肉をこめた言動程度では、びくともしない。
「……そう、で、即刻振り込んどけって言っておいたけど、怪しいから確認しておいてっていう話。一文でも足りなかったら殴り込みに行かなきゃ」
「頼みますから無闇にトラブル撒くのはやめてください」
「その場合悪いのは俺じゃなくてあっちだから、問題ないでしょ」
 言い返せず、ノエルは口を紡ぐ。
 真弥から顔を背けると、再びパソコンの前に座る。キーボードを叩き始めるのとほぼ同時に、背後でぎしりとベッドの軋む音。無表情で作業を再開したノエルのすぐ隣に真弥がやってきてモニターを覗き込む。画面に反射するノエルと真弥の顔、そしてその端にいるポリゴンは逃げるように顔を背けた。ポリゴンと真弥の目が合わないのはいつものことだった。ポリゴンは真弥を気に入っていない。理由は勿論、不明である。
 手を止めずにノエルは応対する。
「すいません、まだカンナギのデータを整理しきれていません。データベースには入れたので、もうすぐコピーは終わると思うんですけど」
「上々だ。そこまでいけばあとはすぐだろう?」
「はい」
「構成員のデータはとった? あるならこっちのモニターに出してほしいんだけど」
 返事の代わりに望みのものは真弥の目の前に現れた。満足げに真弥は笑みを浮かべると、ずらりと並べられた顔写真や名前といった個人情報を目でなぞる。
 カンナギは、李国系の組織の一つだ。
 西の山脈を越えた先、一向に情勢安定の兆しも見えないかの国では、生に呻き路頭に迷う人間が後を絶たない現状が続いている。治安が底沼にあれば、犯罪行為が栄えるのも世の摂理。
 カンナギもその闇に潜んでいる組織だ。ごく簡単にまとめれば、巷にまで溢れている孤児を集め、売春行為や人身売買を行っているという話である。そういった密売の類は裏側の世界ではそう飛び抜けて珍しい話ではない。このアーレイスにおいても、急激な経済発展が人々の目を眩ませているだけで、実際のところは穴だらけだ。山脈で区切られた国境線も今や簡単に行き来を可能とするルートが開拓されている。需要があるからか、見過ごされている部分も多いのが現状だ。
 どんな者も受け入れ、それでいて均衡状態を保っている首都だが、それは決して平和に成り立っているものではない。カンナギのリーダーの打ち出す売値は高額で、前々から不満を持っている者が多かった。最近では品質も悪くなってきているという話も立っていたらしい。
 真弥達に依頼が寄せられるのに至る経緯の主な原因も、その延長線上にある。
 要因が積もりに積もっていた中、とある子供が、感染症を宿したまま市場に出された。病は価格を数段階も下げ、往々にして売れない。カンナギは事実を隠蔽し、口を軽やかに売り文句で誘導し、そうとは知らずに引き渡された先でしばらくしてから病を発症、気付いた頃には何人か感染しており、死亡したそうだ。カンナギに責任を問うたが、知らなかったの一点張りで煙に巻くのみであった。不審を拭えず真相の糸を手繰り寄せるうちに、やがてボスには内密に賄賂の取引が行われていたことも発覚した。胡座をかいている態度が身を滅ぼすことになろうとは考えていなかったのか。ばらまかれていた火種は連鎖し爆発した。遺された人間ーー今回の依頼主であるボスから、カンナギの幹部の抹殺依頼が真弥とノエルのチームに届いた。部下を使わないのは、混乱と緊迫の最中、動きを悟られたくないからだろうか。真弥達は一度仕事を渡された経験があり、迅速にこなしてきた。その縁が再び繋がったのだろう。
 補足として、子供は出来る限り回収することが付け加えられている。白い肌をした黒髪の健康な子供を引き渡せば、一人につき報酬金は倍額出されるということだ。
 欲に塗れたなれの果て。
 気持ち悪い。しかし興味もない。
「下」
 真弥が指示すると、すぐにノエルの手で名簿は下にスクロールされる。
 組織の主要な構成員の下には、収容されている子供達がずらりと顔を揃えていた。いかにも血色が悪い貧相な面々が男女混合で並んでいる。引き攣った笑みを浮かべた写真の束。明らかに恐怖を隠しきれていない硬直した子供もいれば、見た目の年齢よりずっと大人びた甘い視線を絡めてくる子供もいる。中には屈託ない自然な顔で笑っている子供もいるが、慣れているだけだろうと思えばその表情も真弥の目には穢れて映る。本当に醜悪なのはこの子供達ではなく、彼等で弄ぶ人間のはずなのに。
 ――と、ある顔写真に目を止める。底の見えない真っ黒な瞳。表情筋が壊れてしまっているかのように、一切笑っていない男児。
「一通りコピーし終えました」
「お疲れ。ちょっと、この子供の詳細出して」
 言いながら、真弥の人差し指がその男児を指す。
「ちょっと待ってください、こっちの後処理を終わらせてから……」
「早く」
「分かってます、分かってますから」
 急かされるままにキーボードを叩く音が速くなる。ポリゴンも手助けしているのだろう、複数の窓がモニターに開かれてそれぞれに文字が打ちこまれていく。やがてそれらが消えていき最後の一つの窓を閉じたところで、すぐにノエルは真弥の指示の遂行に移った。男児の顔写真をクリックすると、より詳細な彼の個人情報と、体の全体像が映し出された。直後、ノエルの顔は凍り付いた。
「……この、身体は……?」
 無表情でモニターを睨みつける真弥よりも、ノエルの方が明らかな狼狽を見せた。
 赤く何かが締め付けられていたかのような痕の残った首。脂肪どころか肉すらあらかた削ぎ落としたような、立っているのが不思議なくらいか細い棒のような足。骨の形が外観からでも分かりそうな腕。過剰に痩せた姿も目に余るが、特筆すべきは他にあった。
 腕や足を所々覆った、ベージュ色の毛。その厚みは長毛の犬ポケモンを髣髴させるようだ。右腕に至っては、ほぼ全て毛に覆われており、その先には、白く尖った爪が見える。それも、人間のものではない。獣を髣髴させる、分厚く尖り発達した爪。その両手が容易に動かないように嵌められた、手錠。足には鉄球のついた、枷。自由を与えさせない、鎖。
「……はは」
 歪な男児の写真から目を離せないでいたノエルだったが、隣から聞こえてきた笑い声に恐る恐る顔をあげた。
「黒の団から“出来損ない”が流出している噂も聞いていたけど、そうか。こんなところに漏れてたとは思わなかったな」
「真弥さん?」
 声をかけても真弥はノエルの方に意識を向けようとしない。顎に手をあてて、モニターに視線が張り付けにされている。
 上目遣いの深い黒が、じっと彼等を見つめている。
 辛うじて人間の形を留めている二本足の生き物が、生気を失った顔で立っている。
 絶望を身体いっぱいに抱え込んで、檻に閉じこめられている歪んだ人形。そこからはなんの感情も読みとれない。
 考え込んでいた真弥の口元が、何か名案を思い付いたかのように上がった。
「ノエル」
「……はい」
 視線は動かないまま。名前を呼ばれたノエルは萎縮しながら返答した。
「今夜中にカンナギの資料をまとめておいて。明日の夜、カンナギに乗りこむ」
「……いささか急では?」
「こんな爆弾を受け入れるような連中だ。大した問題じゃないだろう」
「爆弾って……この子供が、ですか?」
「勿論。こいつ、十中八九黒の団出身だよ」
「黒の団って、どうして解るんですか」
 考えなしに口走って瞬時にノエルは後悔に駆られた。しかし時既に遅し。金色に光る瞳がノエルを捉えた。触れてはいけない一線を安易に越えてしまったのではないかとノエルは息を呑んだが、それは杞憂であったことをすぐに知ることになる。一呼吸置いて、真弥の口は再度開いた。
「首輪の跡、生気の無い顔つき、何よりもこの中途半端で歪な身体……典型例だ」
 十分綺麗な体を保っている方だけど、と真弥は小さく付け加える。
「放っといたら暴走するだろうな。だからこれだけ枷をつけてるんだ。恐らく他の子供にはここまでしてないさ」
 真弥はノエルの手元にあるマウスを手繰り寄せ、他の子供の詳細情報を開いていく。次々と映し出される荒い全身画像。不器用に笑った子供達の細い手足には、真弥の予想通り枷は付けられていない。
 妙に彼は落ち着いていた。隠しきれないほど心に大きな波風が立っているノエルには、不思議なほど冷静に見えた。それに、なんだか舌が軽やかだ。もともと軽い性格で喋り好きだが、彼にも黙殺してきた話題はある。
 それは、たとえば、黒の団。
 しかし、今宵は、よく喋る。
 そういう時の真弥は、内心、ひどく高揚している。
「……もう一つ、質問して、いいですか?」
 ノエルの声は僅かに震えていた。
「何?」
 神経が過敏になっていると、些細な言葉ですら機嫌を損ねていないかと不安に駆られる。
 真弥に対して、時折繊細に言葉を選ばなければならないと直感する瞬間がある。
 飄々と壊し平然と殺す真弥の非情な強さや異常性に普段から触れていると、忘れそうになる。自分は守られ、生かされているのだということ。ひどく気まぐれなこの人間がふとした瞬間に矛先を自分の喉元に向けたら、綿を飛ばすように軽い衝動で息の根を止められるだろう。或いは捨てられれば、絶望の底に堕ちていくだけ。骨の髄まで汚れが染み渡っていく感覚があろうと、自分を保つことができているこの居場所から。満足してしまっているこの現状から。
 依存。淀んだ甘い蜜に浸りながら、縋りつく。
 そうでないと生きていられない。
 そうでない生きかたをしらない。
「黒の団が、こういう子供を生み出している、ということですか……?」
 黒の団に関連する話題は、特に気を遣わなければならない。
 真弥の気分にもよるが、黒の団について尋ねると往々にして口を紡ぐ。空気が凍りつく瞬間を何度も味わってきた。本心を見せないように振る舞うのは専売特許である真弥の明らかな落とし穴。だが、先程思わず口走った時には、何も咎められなかった。
 今回は、どうだ。
「……そうだな」
 やはり比較的、やわらかい。彼の気分が高揚しているおかげかもしれない。
「そういえばあまり話してこなかったな。だけど、……そろそろ知ってもいいかもしれない」
「……知る、とは」
 安堵した直後だが、嫌な予感がする。
 自分で自分を納得させているかのように何度も真弥は小さく頷く。
「少し話とずれると」真弥はそう前置きを敷いた。「今日帰ってきたら言おうと思っていたんだけど、普段の仕事と並行して――状況によっては、優先的に、黒の団のことを調べてほしい」
 ノエルの眉間に皺が刻まれる。
「……黒の団を、ですか? でも前、真弥さんは」
「ああ。黒の団には足を突っ込むなってきつく言ってきたけどね。下手に調べられて変なことを吹きこまれても困ると思ってた」
 あなたに脅されたのが原因ですけど。
 などと、このタイミングでは口が裂けても言えない。黒の団について調査していたことがばれたあの時を思い起こすと今でも全身の毛がよだつ。視認できない鋭いなにかでモニターを破壊された衝撃音を、弾け飛んだ破片の痛みを、そして震えながら顔だけ振り返った先で、普段の朗らかな顔とはまさに正反対、冷徹に見下すあの血も涙も無い顔を、誰が忘れられるだろう。死ぬ、と本気で覚悟した瞬間の一つだ。絶対零度の空気に呼吸もできず、血も凍り付いていくかのようだった。沈黙は永遠に続くかのように長く、なぶり殺されている気分だった。
 無言の圧力で全身を締め付けられ続けた先で、次は無いよ、と、ただそれだけ短い宣告。
 まだ真弥と出会ってそれほど日が経っていない頃の話だ。当然あれ以来黒の団には関わらないようにしている。
 その日を顧みれば、疑わしくなるほどあっさりとした方向転換。一体どういう風の吹き回しだ。
「状況が変わってね」
 真弥は机に軽く腰をかける。やや急な傾斜ながらも、向かい合える角度になる。
「今日ここに来た奴のこと、お前はちゃんと覚えていないだろうけど……そのうちの一人が、黒の団を倒すと言っている」
「黒の団を……倒す?」
「そう。あの様子じゃまだこれからどうするか、具体的なことは考えていないだろうけどね」
 くすくすとわざとらしく笑う。
「面白そうだって思ってさ。もっとスリルが欲しいんだよ。心躍るような沸き立つ出来事が。そうしたら打倒黒の団の話だ。ただ、今のままじゃただの夢物語。俺だって今まで黒の団は出来る限り避けてきた。だから、黒の団の現状をなるべく詳細に調べてほしい」
「……黒の団は相当堅いって、前言ってましたよね」
「弱気だなあ」
 と、真弥は肩を揺らした。
「俺はね、お前なら勝てると思ってるよ」
 直後、心臓が大きな音を立てる。続け様にノエルの胸の奥から、熱い鉛のようなものがゆっくりとせり上がってくる。堪えるために唇を噛みしめるので精一杯だった。
「できるか?」
 問いかけてくる。試してくるような言い素振り。
 笑うしかない。真弥の中ではどうせ口に出さないだけで思惑が渦巻いているのだろう。急に許された理由も何かあるのだろう。気にならないわけではない。でも、どうだっていい。余計な思考はやめた。結局、掌の上で踊らされている。
「はい」
 真弥は満足げに笑みを浮かべた。
 しかしすぐにその笑みは消え、モニターに視線を戻す。獣の身体と人間の身体が混ざり合って成り立っている子供。今にも壊れてしまいそうな体に、黒く重い枷はあまりにも不釣り合いだ。足元に転がった鉄球を引きずることもこの足ではできないのではないだろうか。どこかに心を置き去りにしてきたかのような瞳では、死にかけだと言われても納得できる。
 非力で歪んだ少年の姿にノエルは遂に耐えられず、目を逸らした。
「“出来損ない”は黒の団内で使われている名称でね」
 唐突に真弥は話し始める。画像を直視できずにいたノエルの目が自然と真弥の顔に向いた。
「黒の団は、人間とポケモンを合成する実験を繰り返していたんだよ。“出来損ない”は、その実験に失敗したもの達のことだ」

( 2015/06/21(日) 23:05 )