まっしろな闇 - 首都にて
Page 74 : コミュニケーション
 漆黒を残してビルディング群の向こう側へと太陽は完全に去っていった。頭上から道を照らす人口の灯火はちかちかと不規則的な点滅運動を繰り返していて、どこか頼りない。管理が行き届いてないんだと真弥は言う。人間に放っておかれた道具はゆっくりと時間をかけて力を失い、朽ち果てていくだけ。無数の窓から放たれている室内灯の大群や派手なネオンの広告が目に焼き付く情景を思い出すと、華美とは正反対の枯れた静寂に違和感を抱かざるを得なかった。けれど、そういうものなのかもしれない。クロはひとり自分に納得させる。どんな場合でも何かしらの死角がある。手の届かない隙間には埃がたまっていくものだ。首都も例外ではない。きっと、それだけの話。
 アパートから歩いてすぐ辿り着く場所にピザを売っている店がある。真弥がクロと圭を引きつれてやってきたのは、そこだ。
 セントラル北区のカラーである住宅区らしく道沿いを埋めるようにマンションやアパートが立ち並ぶ中で、息を潜めてこじんまりと構えている小店だったが、扉を開いてみれば彼等と同じく夕食を買いに来ている客で店の中は賑わっていた。闇夜の中で煌々と輝く店内はそこだけ陽だまりになっているかのようで、食欲を刺激する濃厚なピザの香りと雑多な明るい声で満たされていた。きらきらと輝いているような温かな照明が闇夜に慣れた目には眩しく焼き付くようだ。
 一ホール頼むことも勿論できるようだが、木でできた見世棚に並べられたカラフルなピザはそれぞれ切り分けられていて、透明なケースで蓋がされている。好きなものを選んでトレイに乗せていく形式が基本らしい。奢るから遠慮しないで食べなさい育ち盛りの青少年。真弥があっけらかんとそう言い放って自由に泳がされた青少年二名。圭が目を輝かせピザに釘付けになっている横で、クロは目を右往左往と動かして圭についていっているような状態だった。
「なあなあ、トマトならどれがいいかな! やっぱりこのマルゲリータかなあ、この店で二番目に人気だって!」
「結論ついてるならそれにすればいいだろ」
「いや、でも、ハムとかチキンとか大量に乗ってるあれも気になるんだよ」
「もうどっちも買えば? どうせ一枚だけのつもり、ないんだろ」
 明らかに興味が無さそうな受け答えはあてにならない。ちゃんと考えてくれよ、と口を尖らせながら、圭はトマトベースのものが並んだ一角を前に悶々と悩む。その最中、肩を落として溜息をついたクロの様子に視線が動く。
「クロは何にしようとしてんの?」
 一度自分の迷いを棚に上げて圭が尋ねる。
「いや、別に、俺は何でもいいんだけど」
「けど?」
「……大したことじゃないから」
 誤魔化そうとするクロを前に、圭の眉間に皺が寄る。目の前で淀んだ言い草をされるのを圭は特に好まない。
「なんだよ気になるじゃん。大したことないなら別に言ったって問題ないだろ!」
 ああ、面倒臭い追求だ。無意味に隠そうとすればすぐに食いついてくる。圭はそんな奴だった。クロが大きな溜息を吐いた瞬間、ピザをとるヘラが目の前に飛び込んできて反射的に身が震えてしまった。
「旨いもんの前でむやみやたらに溜息を吐かない! 飯に失礼だ!」
 鋭い指摘。視線を横にずらしていくと、クロをまっすぐ睨みつけている圭の顔にぶつかった。クロはまた大きく息を吐きそうになったが、寸のところで止める。
「……あいつは」
「あいつ?」
「何が、好きだったっけ、って思ってただけ」
 クロが何のことを指してるのか数秒思考して、思い至る節にぶつかった。その瞬間、圭の顔がゆるまっていく。
 ああ、なるほど。それはつまり。
「ラーナーの喜ぶ顔が見たいけどそういえばラーナーの好みをよく分かっていないことに今ようやく気がついて焦ってどうしようどれなら好きなんだろう喜んでくれるんだろう、というやつか!」
「そこまでは思ってない」
 忙しなく動いた舌のなんと軽やかなことだろうか、クロは低い声で応戦する。
「またまたあ、お前も可愛いとこあるじゃん」
「そういうのじゃなくて、だから……ああ、もういいや」
「そういうのってなんだよー、どういうこと俺が思ったって?」
「もういいって言っただろ!」
 にやけた表情で顔を覗き込んでくる圭から逃げるように、クロはその場から足早に立ち去ろうとする。からかう素振りが気に入らなくて、無性に腹立たしい。同時に急に顔が熱くなってきていて、胸の奥が引っかかれているようだった。
 ごめんごめん、と圭が笑いながらクロを追いかける。謝罪の言葉は上っ面だけで、反省の欠片も見えない。気に入った玩具でも見つけたような笑い方。全く、こっちは真剣だというのに。先程の圭に対する自身の態度は棚に上げ、クロは圭を見ないようにわざとらしく視線を上げて周りを見渡す。相手が低身長だというのはこういう時に便利だった。
 そこで、多忙に声をあげながら店員が手を動かしているレジカウンターの隣に立つ真弥の姿を視界に入れた。
 真弥はよく足を運んでいる常連らしく、一人他の店員とは違うデザインの制服を着た――安易な発想だが、店主だろうか――中年男性と談笑している様子が認められた。一体どんな内容の話題を膨らませているのか、騒がしい店内では聞きとることができない。けれど真弥の表情は非常に和やかなもので、相手も同様であった。真弥の持っているプレートに男性が破顔しながらどんどんピザを乗せていって、真弥は少し困ったような素振りを見せながら、けれど笑っている。その日常の切れ端を垣間見ただけでも、打ち解けた仲であることは容易に想像できた。そういう空気を纏っていた。森の中に生える一本の木のように、なんの違和感なく空気に馴染んでいる真弥の姿は、クロの目にはやたらと印象的に焼き付く。意識して見つめていると、不意に自分が置き去りにされているような感覚に襲われた。ざわめきの中で浮き彫りになる、自分というかたち。耳から遠のいていく笑い声。
 腕から力が無くなっていく最中、突然背中を叩かれる。衝撃は決して強いものではなかったが、驚きが全ての思考をはねとばした。濃厚なチーズの香りが鼻孔に同時に蘇ってくる。彼の中で消えていた周囲の声が息を吹き返して一気に降り注ぐ。
「なにぼーっとしてんだよ。人の話聞いてんのか!」
 真弥に気がとられて、すっかり圭のことは頭から飛んでしまっていた。怒っているようだが、隣にいたにも関わらず圭が発していたらしい言葉をどうしても思い出すことができない。
「聞いてない」
「そういうところは正直だな、まったく……」
 諦めたように圭は肩を落とし、再びクロを見上げる。
「俺はやっぱり無難なのは人気なものかなって思うんだけど」
 何が、と尋ねようとしたところで、ラーナーに何を買って帰るべきか悩んでいたことを思い出した。圭は店が提示している紹介タグを頼りに候補を挙げていく。自分が他のことに気を取られている間に真面目に考えてくれていたのだと気付くと、申し訳無さが沸き上がってくる。
「ほんとなんか、知らないわけ。なんだかんだ二ヶ月くらいは一緒にいるんだろ?」
「うーん……」
 クロの視線は自然と落ちる。圭からは呆れたように苦笑が漏れた。
「お前さ、笹波白とか俺達の仲間とか黒の団の情報とか集めるのもいいけど、目の前の情報を手に入れる方が先なんじゃね? ほんと他人に興味無いのな」
「うるさいな」
 声は濁っている。裏表の無い言葉は軽くとも時折容赦なく的を射るから、油断していると身構える前に胸に突き刺さってくる。相手に悪気はなくても。つまり、図星だった。同じようなことをアランにも言われたことを思い出す。他人のことを知ろうとしていない、わかっていないと激しい怒声で揺さぶられた道中の記憶が脳裏にちらつく。
他人に対して自分の姿勢に問題があるのは間違いないのだろう。気持ちを読み取ろうとする意欲も欠けている。
「あいつ、なんでも食べるから。……分かりづらい」
「大事だぜ、コムニケーション」
 聞き間違いか、圭の発した単語に違和感を抱いたが、クロには言い返す言葉もない。
 なんでこんな話を圭としてるのだろう。情けなさが湧き上がってきて、クロは肩を落とす。ラーナーが倒れてアランに連絡したときもそうだ。彼女が関わると、自分ひとりでは匙を投げてしまう。答えを求めるように誰かに縋る。いつの間に、自分と誰かを繋げている糸がこんなに強く纏わるようになったのだろう。
「じゃあ、逆に嫌いなものとか」
「嫌いなもの」
 反復すると、脳内の端っこで何かがちらつく。引っかかりを手繰りよせると、自然と眉間に皺が寄る。何かが、思い出せそうだ。その正体を判明させようと思考を回転させる。頬を綻ばせて食べている表情で、何かを言っていた。会話をしていた。そう遠い過去のことではない。昼下がりの、たくさんの人の声とジャズ音楽。サンドイッチ。穴を掘っていくように外側から記憶の断片を繋いでいくと、思い至る節に突き当たる。思いついた瞬間閉じ込んでいた心に涼風が吹きこんだ。
「ピーマンが駄目だって言ってた」
「お、有用。じゃあピーマンが乗ってそうなやつはやめよう。……って、そんなに無さそうだけど」
 からからと笑うと、つられてクロの口元も僅かに緩む。
 夜はますます深まっていく。店主との談話を終わらせてやってきた真弥に急かされて、夕食を選ぶのにそれからそう時間はかからなかった。
 結局、無難に人気なものを数種と、ウォルタ出身ということで海鮮物は好きなのではないかというふと思いついたクロの安直な予想のもとシーフードのピザを選んで、ラーナーへの土産となったのだった。


 *


「あそこのピザは美味しいんだ。店長もいい人だし。いつ行っても明るくてね」
 軽い足取り、軽い口ぶりで帰路を辿る。道を歩く男三人の手には平たい箱の入った袋がそれぞれ入っていた。相変わらずふらふらと点滅している外灯の下を潜り抜けていく。
「近所に旨い食べ物屋があるっていうのは幸せだと思わないか。あのピザ屋があるから今のアパートに定住しているようなものだよ」
 隣を歩くクロは目線を上げる。
 まるであの店が真弥とこの地を結び留めている綱であるかのような物言いだとクロには聞こえた。勘繰りすぎなのだろうか。そうでなければ今すぐにでもここを出て行くのに、と言葉にならない部分が含んでいるかのようだった。けれど、生活に大きな不満を抱えているようには見えない。彼は、彼なりの良き生活を手に入れているのではないのだろうか。首都に溶け込んで、そんな真弥を見ていると、クロの心にちくりと針を刺したような痛みが走る。どこかで感じたことのある痛みだ、すぐに、リコリスでルーク家に優しく包まれている圭の姿が頭に浮かび上がってきた。その本能的な感覚が、感情が、一体何を示しているのか。自分のことなのにひどくぼんやりしている。
 そういうことばかりだ。自分のことも、他人のことも、よくわからない。真弥のことも、よくわからない。
「意外でした」
「何が?」
 振り返った真弥の表情は不思議そうに笑っている。
「いや……普通に生活してるところというか、馴染んでいるところが」
「ああ、わかる。クロとはちょっと違った雰囲気で、一匹狼でいそうだって思ってた!」
「何それ、俺そんなに孤独なイメージあったの?」
 真弥は苦笑を浮かべる。
「そういうつもりじゃないですけど。なんていうか」考えを整理するように一呼吸を置いてから、クロは再び口を開く。「普通の人みたいだって」
「そう見える?」
 試すように彼は改めて問いかける。
 濃厚に凝縮された熱を閉じ込めた袋が、歩く度にがさがさと音を立てる。静寂に浸った夜の中ではやたらと耳を突く音だった。
「お前等にそう見えたなら、及第点かな」
 返答を待たずに言い放ち、真弥は満足そうな表情を浮かべた。
「クロや圭はどうしてたわけ。あの時に解散したはずだけど、なんでまた一緒にいるんだろうなって思ってたんだよね。二人ともずっと旅してるのか?」
「違う違う。俺はついこないだからクロに合流したんだ。それまでは、リコリスに」
 即座の圭の返答に、真弥がへえと声をあげた。
「リコリス? ……っていうと、どこだっけ。アーレイスだよな」
「わかんないのかよ、ひでえな。アーレイスだよ。李国との国境に沿って、山脈があるだろ。そのあたり」
「大雑把すぎてあんまり場所がぴんとこないよ。まあ、それはまた辺鄙な所に」
「山奥だから分からなくたってしょうがないけどさ。あまりに田舎だから、ずっといても黒の団の影一つなかったんだ」
「はは、それはいいや」
「だろ? いいとこなんだ」
 自慢げに胸を張る圭。無意識に零れる無邪気な笑顔。
 その裏側にある淋しさは見せないように振る舞っている。
 真弥はふと口を開ける。でも、と何かを言おうとしてしかし引っ込めた。尋ねようとして野暮な問いだと気が付いたのだ。ならば今どうしてここに。昔に比べて明るくなった性格、彼をそうさせた環境。僅かな会話からも感じ取れる、圭がリコリスに抱いている愛情。平穏な場所を飛び出した理由は、どうせ、黒の団に繋がっていく。真弥には容易に想像できた。思い出が美しいほど、汚れた記憶は顧みたくないものだろう。
「じゃ、クロと圭が再会したのは、リコリスか?」
「そう。クロから来てくれたんだ」
「よく居場所が分かったな。黒の団だって掴めなかったんだろう」
 真弥の視線は圭からクロに流れていく。会話の相手に指定されたクロは目を俯かせて淡々と応える。
「昔ポケギアで連絡先の交換をしてたのが残ってたので。幸いにも、お互い捨ててなかったから」
「ポケギアって、まさか、あの?」
 驚きに上ずった声に、クロは頷く。真弥の目はぐんと丸くなる。
「よく捨てなかったな。俺は気色悪いし今は新しいのにしてるよ」
「そりゃ、俺だってできるなら捨てたいですけど……便利なのも、事実ですから」
「同じく」
 だって仕方がない。圭は両手を開いておどけたポーズをとってみせた。
 気持ちが悪いというそのポケギアが、クロと圭を繋ぎ直して、アランや他の誰かと繋げていく。重要なツールは身に馴染むと簡単に手放すことが出来ない。クロは左手にピザの入った袋を持ち替えて、右の腰につけてあるポーチからポケギアを手に取った。小さな傷が無数に刻まれた、闇夜のような黒色のボディ。懐かしいな、とそれを見た真弥は呟いていた。溜息を共に吐くような感慨の籠もった声であった。
「……圭に会いに行ったのには、何か理由があるんだろ」
 ポケギアを定位置に戻した後、不意打ちの発言に、クロの手が止まる。
「よくわかりましたね」
「わかるよ。山脈付近なんてそう気軽にいける場所じゃないんだし、なんとなく話をしたいだけならそれこそ電話で出来る」
 妙に察しがいい。クロが次の言葉を探っている間に、次々と真弥からは問いが浴びせられる。
「何をしようとしてるんだ? 他の奴はどうした」
 クロは口を閉じ、考え込む。回り込んでこずに直球で真ん中に投げてくる。隠す理由も特に無い。どうせ、真弥にも持ちかけようとしていた話題だ。まさかこのタイミングで話すチャンスがやってくるとは考えていなくて、不意を突かれただけだ。クロは細く息を吸って続けざまにゆっくりと吐き出す。
「真弥さんにも言おうと思ってたんですけど」
 無意識にクロの声はいつもに増して小さな声になっていた。
 軽く周囲を見回す。何を言おうとしているのか、同じようにリコリスで話を持ちかけられた圭には簡単に予想できた。クロにつられるように彼も周りに人影が無いことを確認する。
 それからクロは真弥に顔を近付け、遠くの誰かに聞きとられないよう慎重に口を開いた。
「俺、黒の団を、倒したいんです」
「へえ」
 口の中で転がしただけのような小さな声に、即座に相手の声のトーンが上がる。真弥の興味を引いた。クロは手応えを掴む。
「それはまた、物騒で抽象的な目標だ」
「圭にそれに協力してほしくて俺はリコリスに行きました。まずは信用できる仲間がほしかったから。他の皆はまだ何も分かっていない状態です」
「……それで首都に来たと。ここなら何か分かるかもしれないって」
「それだけではないんですけど……はい。それに、真弥さんが首都にいるかもしれないという噂は聞いていましたし」
「ふーん」
 ふと真弥の足が止まり、それに合わせてクロと圭も立ち止まる。いつの間にか、彼等は真弥の住むアパートの目の前へとやってきていた。すっかり暗闇に包まれた住宅街では、点々と窓から零れている光が人の気配を感じさせる。真弥の住む部屋も、ラーナーやノエルの存在を示すように明かりがついている。
 真弥はクロ達の方を見ず、考え込むように口を紡いでいた。
「真弥さんにも、協力してもらいたいんです」
 崩れなかった柔和な笑顔は今は影に潜み、固くなった表情で地面に視線を落としている。返答が来る気配はない。
 多分、もう一歩だ。クロは姿勢を前のめりにさせる。
「黒の団の行いは、真弥さんもよく解ってるでしょう。もう、終わらせたいんです、全部。団員も、秩序も、実験も、全て壊す。そうしないと、いつまでも俺達は本当の意味で自由になれない。そう、思いませんか。それに、旅の最中でも黒の団の理不尽な行為を目の当たりにしてきました。直接的には無関係なのに傷つく人も見てきました。リコリスで圭が世話になった家族も、圭を匿った事実がある以上、黒の団がいる限り安全とは限りません。あいつは……ラーナーは、家族を黒の団に奪われた」
「……そうだな。ニノも」
 ほつりと落とされた呟きは風に溶ける。癒えることのない古傷が痛んだように、強気に強張っていたクロの表情がニノの名前に歪んだ。
「ラーナーは、ニノや父親のことを知りません。自動車事故だと報されてる」
「そうか……」
 項垂れていた真弥の頭がゆっくりと上がり、視線は遠くの空へと向く。しばらくそのまま考え込むように無言を貫いた後、そうか、と繰り返した。そして、クロの方に顔を向ける。
「複雑だな、クロ」
 疲れたような浅い笑みから滲み出た声に、クロは応えることができなかった。
そこにいる誰もの身体の奥にあるそれぞれの傷が、痛む。
 真弥は息を吸い込んだ。落ち着かせるように、深く。
「それにしても、打倒黒の団ってやつか」重量のある感情を払いのけたように、真弥の声は軽くなっていた。「考えておくよ、前向きに。面白そうだからさ。ただそれより今は、夕飯の方が優先だ」
 話題を転換させて、真弥はまた元のように穏やかな笑みを浮かべた。
 消化不良と言いたげにクロは顔を顰めたが、深追いはしない。したところで、躱されるのは目に見えている。誤魔化し躱すことが得意で飄々とした彼だからこそ、真面目な顔をして吐きだす言葉には本心がより滲み出ているようだった。
 複雑だと言い放った真弥の渇いた笑みに滲んだどこか悲しげな顔は、クロも圭も殆ど見たことのない顔だった。
 一行が真弥の部屋に戻ってくると、窓際に立ちポニータの頭を撫でているラーナーの姿がまず彼等の目に入る。見回りを支持されていたアメモースも戻ってきており、ポニータの火に照らされて空中で羽ばたきを続けていた。彼女の足元にはエーフィやブラッキーも揃っている。囲むように旅を共にしているポケモン達が並んでいた。
「これは壮観だ」
 思わず感嘆の声をあげる真弥。帰宅した面々は持ち帰ってきた食事をテーブルにそれぞれ置く。
 ブラッキーが耳をぴんと立てて真弥を見やる。遠くのものを目をこらして見つめようとしているように赤い瞳は尖る。睨みつけられている真弥は苦笑いを浮かべた。やがてブラッキーはラーナーの傍を離れ、庭へと飛び出す。
「ブラッキー!?」
 慌ててラーナーは身を外に向けたが、いつものアメモースのように遠くへいくような素振りは見せない。正方形に区切られた真っ暗な草むらの中で、黄色い輪が浮き上がるように光る。草同士が擦りあっている音はやがて沈黙する。その場に座り込んだらしい。
「あれニノのポケモンだよね。俺、昔からあのブラッキーには嫌われてるんだ。基本的にポケモンには好まれないんだけど」
 真弥は諦めるように肩を竦めた。
 その横で圭が率先してピザの箱を開いていた。蓋を開けた瞬間、店に満たされていた香りが褪せずに溢れ出す。その香りはすぐにラーナーの鼻にも届き、空腹感が擽られる。表面に乗った油分が照明を照らし返して光っており、生地はふっくらと焼けている。今にも蕩けていきそうなチーズは、まだ乾燥せず温かさが残っている。
 ラーナーは庭から離れクロ達の元へと集まる。本日の夕食を目の当たりにして、抑えきれない興奮が歓声となり湧き上がる。
「すごい。ピザなんて、本当に久しぶり!」
「俺のおすすめ。ホールも買ってあるし、これだけあれば腹いっぱいになるでしょ」
 次々と箱は開かれていく。計五箱。それに新鮮な野菜が詰め込まれたサラダや柔らかく揚げたばかりの山盛りポテトといったサイドメニューの詰め合わせ。一堂に集まっている人数に対して、少し多すぎるくらいだ。
「これ、ノエルさんの分も含まれているんですよね?」
 想像を遥かに上回って大量に用意された御馳走に圧倒されラーナーが尋ねると、勿論と真弥はすぐに頷く。
「あいつも好きだからね。残しておけば夜中にこっそり食べるよ。全く、出てこればいいのにな」
「真弥さん、それより早く食べようぜ。俺もう腹減って死にそうだ!」
 真弥がノエルに対して憂いているのを気にも留めていないかのように圭は訴えかけた。トマトソースの赤とチーズの白が鮮やかに分かれたマルゲリータに既にその手は伸びている。
 食欲を我慢しようとも隠そうともしない圭を前に、ラーナーも真弥も一瞬ぽかんと面食らう。やがて、真弥は胸の奥からふつふつと湧き立ってくるように、身体を震わせるように笑った。
「ははっそうだな。それが大事だ。よし、どんどん食べろ!」
「お言葉に甘えて!」
 よしと命じられた飼いならされた動物のように、圭の手はピザを掴んだ。それに続く様に、各々好きなものを手に取っていく。濃厚に味付けされたそれらはまだ焼き立ての熱気を含んで膨らんでおり、ひとたび口の中に入ればあっという間に味覚を豊かに刺激する。歯が具を潰すたびに程よい油と熱が破裂して満たしていき、各口を緩ませた。
「美味しい……!」
 心底幸せそうに頬を蕩けさせて、海老や烏賊といった海鮮物が豪快に乗ったピザをゆっくり噛みしめているラーナーの顔を横目に、クロはこっそりと胸を撫で下ろすのだった。

( 2015/02/22(日) 23:04 )