まっしろな闇











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首都にて
Page 73 : 首都での生活
 ラーナーと真弥が麦茶を用意してキッチンを出たのとほぼ同時に、クロはリビングにある大きな窓を開け放とうとしていた。滑らかにガラス戸が真横に動いた瞬間に穏やかに吹き込んでくる涼やかな夜の息吹。湿った部屋の空気が循環する。
「うお、庭がある!」
 ソファに腰掛けていた圭からはしゃいだ子供のような声が飛び出した。
 窓の向こうにはコンクリートで固められたベランダではなく、こじんまりとした正方形の庭が闇夜の中に潜んでいる。部屋の明かりで全貌が明らかになるが、男二人はガーデニングには一切興味が無いようだ。掃除が行き届いた簡素な内装とは裏腹に、雑草が自由奔放に領土を占めている状況である。
 来て早々家主に一言も声をかけずに窓を開けるクロの様子にラーナーは隣に立つ真弥に視線を向けたが、癇に障るどころか真弥の表情は何故か嬉しそうだった。
「いい部屋だろ。ま、庭っていっても小さいしほぼ使わないんだけどね」
「でも、こいつらを出すには十分です」
 そう言って、クロは懐からモンスターボールを二つ取り出す。両の指がボールの開閉スイッチを捉え、次の瞬間には無骨なベランダに向けて白い光が放たれていた。姿を現したのはポニータとアメモース。セントラルに入ってから漸く外の空気を吸えた彼等だが、退屈に疲弊したのだろうか、少々気怠そうに目尻が下がっている。
 クロと向かい合ったポニータは頭を伸ばして彼の身体を鼻で突く。眼の間に皺を寄せて低い声を唸らせていてささやかに攻撃している様子は、恋しかったというよりも不満を爆発させているようだった。
「痛い、痛いから。外に出せなかったのは仕方ないってわかってるだろ」
 ポニータに視線を合わせながら軽く宥めると、攻撃は多少穏やかになる。火馬の不満を受け止めながら、僅かに頭上を羽ばたいているアメモースに今度は目を向けた。
「アメモース。散歩がてらこの周辺を見回ってきてくれ。何かあればすぐに知らせろ」
 簡潔に命令を下すと、アメモースは一度頷いて羽ばたきを加速させ、風をその場に残して上昇する。照明から離れて星の見えぬ夜空へと空色の身体がすぐに溶けていき、見えなくなる。町で放つといつもひらひらと空に遊泳しにいく自由な性格だが、主の命令には従順だ。
「用心深いな。そんなことしなくたって大丈夫だよ」
 クロが虚空に目を向けている間に、真弥はからからと笑う。
「でも、夜だし……今日だって、つけられているかもしれない」
「俺とお前等が合流したことが知れている可能性はあるけど、少なくともここにいる限りは、大丈夫。そういう場所だから」
「そういう場所?」
 手元の麦茶を含んでから、真弥は頷いた。
「暗黙の了解であり、掟だよ。この敷地内での戦闘行為は禁じられてる。裏側では有名な話でな、昔からそう決められているんだ。誰がそんなことしたのかは知らないけど。黒の団も例外じゃない」
「……噂には聞いたことありますけど、それって破ったらどうなるんですか」
「さあね。誰も破ったことないし。或いは、破った人がいても、その事実ごと無かったことにされているのか」
 その事実も、掟を破った本人も。
 ぴん、と空気が張りつめるような言葉なのに、真弥の軽い口調のせいで、重みを感じさせない。
 しかし、誰が、とは言わない。誰が裁くのか、真弥自身も恐らく知り得ないのだろう。クロにはとても信頼足り得る約束であるようには思えなかった。
「そんな曖昧な掟、本当に効力があるんですか」
「あるよ」
 真弥は間伐入れずにはっきりと言い放った。力尽くの威圧でもってクロの懐疑心を押さえ込む一蹴だった。
「この首都は、あまりにも多くの人間とか主義とか思想とか、面倒くさいものを抱え込んで飽和してる。輝かしい発展の裏では苦しむ奴も置いていかれる奴もいるし、のほほんと住んでいれば気付かないだろうが極悪の犯罪者も死にかけのホームレスも溢れてる。下から信じられないくらい上り詰める奴もいれば、逆にどうしようもなく堕ちていく奴もいる。俺は気に入ってるけど、汚い場所だ。けど、それを全て受け入れて均衡を保っている。それが首都だ。その危うい均衡を保つためのはしくれが、ここ。確かに曖昧な決まりではあるけどな、重要なんだよ、かなりね」
 恐ろしい場所なんだよ。
 真弥は最後にぼそりと付け加えた。僅かな呟きにこそ真実が滲み出ているようだった。恐ろしい場所。飽和しながらその均衡を保ち続けている空間。首都に住み続けている真弥だからこそ体感した事実があるのだろう。まだ訪れたばかりのクロ達に首都の仕組みや決まりを真に理解できようもない。けれど、クロはようやく口を噤んだ。そういうものなのだ、と飲み込むしかない。
 ところで、と真弥はまた明るい調子の声をあげた。
「アメモースなんて持っていたのか」
 それまでの会話からすればなんの脈絡もない質問に、クロは目を丸くする。
 真弥は片手に麦茶を持ったまま、クロの傍に近寄っていった。
「ああ、まあ……」
「お前って意外と可愛い外見のポケモンが好きなのか?」
「別に、たまたまです」
 ふうん、と麦茶を口にする様子は特に大きな興味が無さそうな様子だったが、すぐに質問を浴びせかける。
「アメモースって進化系だったっけ」
「はい。アメタマの進化系です」
「そうそう、アメタマ。その頃から育ててるわけ?」
「まあ一応。元は野生ですけど」
「数ある野生ポケモンの中でアメタマを仲間にしたというのは、潜在的な嗜好が露呈するな」
「だから、たまたまです」
 シコウってなに、と不思議そうな顔でラーナーに尋ねる圭の声を背中で流す。
「水を出せるポケモンがいた方が何かと旅では便利だと思っただけです」
「便利ね」端正な瞳が遠くを見るようにすっと細くなる。「ノエルと同じような言い方だ」
 真弥はベランダの手前までやってくると、目の前に凛として立つポニータを眼前に見下ろす。クロを突くのに飽きたポニータは二人の会話を傍観していたが、真弥の視線を感じ取ると、すいと彼に意識を向ける。しかし、それも束の間。大きな丸い瞳は真弥の正面から逃げていく。
「あの人もポケモン持ってるんですか?」
「いや、ポケモンじゃない。そもそも生き物でもない……けど、まるで生き物のような存在というか、な」
「……どういう意味か、よくわかりません」
「パソコンの中で生きている、自律型のプログラムだよ。不思議なものさ」
 パソコン、プログラム。コンピュータのことは全く分からないクロには、要約を聞いてもぴんとこない。ただ、パソコンという無機質な物体とその中に生きているという事実は、矛盾しているような違和感のある繋がりだった。
 真弥はポニータに背を向けて壁に背を預ける。クロと二人で会話を続けていたが、ラーナーと圭もソファに腰掛けて熱心に耳を傾けているようだった。二人して窓側に視線を集中させている。
「あいつ、基本は根っからの引き籠もりのタチでね。昔からパソコンの前から一日動かない生活だったらしい。で、いつものようにネットしている最中に突然あいつのパソコンに入ってきたのがそのプログラム。不要データを食べて、自分で思考し、人間の言葉も理解できる。文章による会話だってできる」
 まるで生き物みたいだろ、と彼は笑った。
「ポリゴンっていう名前らしい。最初、プログラムが自分でそう名乗ったと」
「ポリゴン、ですか」
「知ってる?」
「いや、知らないです」
「だろうな。ノエルもだいぶ調べたけど、結局分からずじまいだし。そのあたり、ちょっと気持ち悪いけど、ま、面白いよ」
「面白い……ですか。まあ確かに、だいぶ生き物っぽいところあるみたいで、変だなとは思いますけど」
「そうだろ。ノエルとの関係も見てると滑稽でね。あいつ、ポリゴンのことはプログラムだと割り切ってるし、本気で便利な道具だと思ってるんだけど、その一方で本気で唯一の友達だとも思ってる。面白いだろ」
 面白い、という言葉を何度も彼は重ねる。そのたびに彼の張り付いたような笑窪は更に深みを増す。
「……それで、似たようなことを俺が言ったって」
「そういうこと。ま、アメモースとポリゴンは別物だけどね」
 クロの眉間は相変わらず歪んだままだ。
「一言強調しておくと、俺はアメモースのこともポニータのことも道具だなんて思ってませんから」
「まあそう怒るな。ただ、主人の言うことを従順に聞いてるのを見るとなんだか不思議な感じがしてね。ボールの力もあるだろうけど……だから、そんなに睨むな」
 茶化すような口振りが気にくわないのだろうか、クロは静かな怒りを表情にだし、崩さない。
「お前の主人は短気だなあ」
 呆れた顔でポニータに声をかけると、喉を震わせてぐるると鳴いた。同意なのか、否定なのか、いまいち判定がつかない。
「……そんなことより、俺、聞きたい話が山ほどあるんですが」
「そんなに急くなよ、真面目だな。……まあ、いいか」
 先に折れた真弥は、クロを誘導し、キッチンの傍にあるテーブルの元から椅子を運び込む。その後、ラーナーよ圭の座るソファの傍までやってくると、四人は半円状に顔を見合わせる形となった。
 腰を下ろした真弥は深い息をつく。肺の中の空気を全て出し尽くすようにか細く、長い、長い息。
「さっきお前、なんて言ってたっけ。何を訊きたいんだって」
 尋ねられたクロは、身を乗り出す。かわされ続けていたが、いよいよ本題だ。
「なんで俺たちが来たのがすぐに分かったのかとか、腕はどうしたのかとか……いろいろありますけど、でも、まずはどうして首都にいるかを訊きたいです」
「ああ、なるほどね」
 すぐに納得したようだった。何度か頷きながら、背もたれに体重を乗せた。
「つまりあれでしょ。こんなに人がたくさんいて黒の団も根を張ってる場所でわざわざ住んでいるのが、意味が分からないっていうこと」
 二、三秒の間を置いてクロは深く頷いた。
「端的に言えば、面白い街だから」
「また面白い、ですか」
 要点を極限まで絞った言葉は、かえってあまりにも抽象的な答えになってしまっていた。真意を掴めないクロを横目に、真弥は話し始めた。
「俺が首都に来たのは、二年くらい前だったかな」
 麦茶で喉を潤し、場の雰囲気にもなんとなく慣れてきて緊張が落ち着いてきた頃合いだった。
 クロ達は真弥に視線を集中させる。
「李国でやりたいことをやりきってからは、なんだかどうでもよくなってアーレイスに流れて来てね。目的も無く、適当に過ごしてただけ。どうせ俺がまともな生活できるとは思ってなかったし、適当につるんで、適当な仕事をしていた。まあ、それは今も似たようなものなんだけど」
「仕事って一体、何を?」
「うーん」
 少し間を置いてから、真弥は隠すように笑って誤魔化す。
「依頼を受けて実行する。ただ、それだけだよ。やってることは昔と大きくは変わらないかも。けど昔と大きく違ってお金入るからなあ。あるとないとじゃまるで違う」
「そんなに稼いでるのか?」
 圭が横から口を挟むと、真弥は目を細める。
「そこは、秘密」
「……ふーん」
 曖昧に誤魔化されてつまらなかったのか圭はソファの背に思い切り身を委ねると、手に持ったグラスに口をつける。
「で、点々としてるうちに首都に辿り着いてね。ここのぴりっとした空気が、一瞬で肌に馴染んだんだろうな。黒の団との距離が近く、仕事で作った諍いも時々ある。さっきも言ったけどね、いろんな意味で汚い場所だから信頼とも縁遠いし、騙し騙されの応酬だし、俺でも恐ろしいと思うこともある……特に来たばかりの頃はね……今だから慣れたもんだけど。ま、首都の環境なんて、来たばかりの君らには解らないだろうけど、結局、そのくらいが良いというか」一つ休憩を入れるように、僅かな間を置いた。それから、わざとらしく明るい調子で言い放った。「スリルが無いと、人生なんてどうしようもないくらいつまらなくて、吐きそうになるからね。楽しんでいかなきゃ」
 端的に言えば、面白い街だから。
 真弥にとって楽しむものが揃っている舞台が、首都。
 クロは唇をあまく噛み、隣で穏やかに構えている青年の姿を眺める。来るものを拒まない、むしろ歓迎しているかのような彼の姿勢。自分では考えようともしない。
 自分は、弱いから。
 真弥は。
 軽率でも何故かどこか芯の通った、この人は。
 無意識に比較したと同時に訪れた別のわだかまり。クロは顔を俯かせ、耐えきれず深い溜息をついた。
「本当に何もかも相変わらずですね」
「辛辣だな。これでも昔よりずっと自由な分、のびのびとやれてるんだから」
「……そうですね。愉しそうで、何よりです」
 神経を逆立てられている気分だった。クロの口元はくすりとも笑わない。
「でもそうやっているから、その左腕、無くなったんじゃないですか」
「ん。ああ、これ」
 真弥の左肩が上がった瞬間、その下に伸びるただの布切れが揺れた。
「まあ……左腕に関しては俺の不注意みたいなものだよ。いつだったかな、寒かったことは覚えてるけど。風が途轍もなく滲みて血は溢れだして、意識が吹き飛びそうだったことも。あれほんと、痛かったなー」
 当事者なのに、まるで他人事のように淡々と話す。だらりと下がる力ない左袖を真弥は右手で緩やかに掴む。そこにあるのは布だけ。中身は無く、容易に握りしめることができる。
「黒の団の女の子にやられたんだよ、これ」
 クロに回りくどい詮索をさせる時間も与えず、あっさりと自分から失態の詳細を明かし、クロ達の表情が険しくなる。
「……やっぱり、黒の団ですか」
 真弥は一つ頷いた。口元を緩めながら、遠景を眺めるような瞳。当事者は何故か微笑している。違和感の塊は再び口を開く。
「強い子だったよ。しかも黒の団には勿体ないくらい美人。強くて美しいとなったらもうたまらないよね。見惚れてたら腕切られちゃった」
 わはは、と真弥は肩を揺らして笑った。それに呼応するように笑う人物は、その場にはいない。あまりにも態度が軽く、まるで夢の話でもしているかのようだった。恨みの欠片も見せず、寧ろ敵の魅力を語る。素直にそのまま受け取れば、なんと間抜けな事実だろうか。
 思わず言葉を失っていたクロだったが、やがて肩を震わせながら怒りを露わに勢い任せに立ち上がった。
「何やってるんですか……!」
「唯一の欠点といえば胸がほぼ無いことかな。あれは惜しいね」
「そんなこと聞いてません!」
 どうしてこの人は真剣にならないんだ。どうして誤魔化すように軽く発言するんだ。苛立ちともどかしさが胸で交差する。
 幸いにも命は助かったものの五体満足の壁が崩されたというのに、真弥はまるでそんなこと気にも留めていないかのようだった。敵と分かれば全て一閃するクロからしてみれば、真弥の神経はまったく理解できない。
「ま、見ればわかるよ。多分そう遠くないうちにあっちから会いに来るから」
「はあ……追われてるんですね」
「まあね。あの子、俺を殺すことが任務らしいからさ。最近は忙しいのかあんまり来ないけど」
「……ほんと、愉しそうですね」
 皮肉にも力が籠もらない。
「でも、美人ってちょっと気になるよな」
 ふと零したように圭が食いついた瞬間、クロからは厳しい睨みが、真弥からは爛々とした視線が送られた。真逆の感情がまっすぐに圭に打ち付けられる。
「圭までふざけないでくれ!」
「いやいや、圭のこれは男として正常な反応だよ」
「クロも正直ちょっとどんな人か気にならね? 真弥さんにここまで言わせる人って」
「下らない」
 刃を勢いよく振り下ろすが如く切り捨てる。
 一貫として態度を変えない様子に、真弥は声を上げて笑った。
「堅いな。ちょっと外で風にでも当たってきた方がいいんじゃないか?」
「風に……って、それはどういう意味で」
「おいおい、勘ぐりすぎ。……そうだな、時間もいい頃合いだし、ちょっと夕飯でも買いにいくか。圭も」
「俺もですか?」
 急に指名された圭は目を丸くした。
 真弥はゆっくりと椅子から立ち上がり、三人のうちラーナーに目を向けた。
「ラーナー、悪いけど、ちょっとクロと圭とだけで話したいこともあるし、家で休んでもらっていてもいいかな」
 柔らかに言い聞かせるような声音だった。ただ、中身はストレート直球。置いていかれるような、除け者にされているような感覚がラーナーの胸に落ちていく。けれど、確かに自分がいては話しづらいことも当然存在するのだろう。
 彼女は頷く他無かった。ありがとう、と真弥は声をかけた。撫でるような優しい声は、彼が多くの顔を持っているのだろうということを想像させた。軽率な顔、脅す顔、真剣な顔、わらう顔、優しい顔。騙し騙されてきて、多くの名前を作ってきた真弥は、自然に顔を使い分ける。掴み所のなさにラーナーの戸惑いは拭いきれなかった。

■筆者メッセージ
>レイコさん
キャラクターばかり投入してなかなか本筋を進めることができずもどかしいです……!
真弥もノエルも早くもっと掘り進めていきたいところ><
ありがとうございました!
( 2014/11/09(日) 21:57 )