まっしろな闇











小説トップ
首都にて
Page 69 : 光る花
 円形に描かれた堀川に囲まれたセントラルは、文字通り街の中心にある中央区、そしてそれを囲むように区画された八つの区域に分かれ、それぞれ東西南北に倣って名が付けられている。
 中央区はセントラルおよそ全体を染める高層の建物群の森の中に、ぽっかりと空いたように佇む。政治や経済・防衛等々国の重要機関の核にあたる施設も数多く中央区に詰め込まれている。高層ビルとはうってかわって、見かけには渋い色合いの、どこか古めかしい石造りというアーレイスの歴史情緒をあえて残した建物も多い。国の発展と歴史を織り交ぜたかのようなこの地域では、他の地区とは違った異様な空気を醸し出している。
 圭の向かう施設は、この中央区にあった。
 アレイシアリスヴェリントン中央区立病院。数あるアーレイス国の病院の中でも医療技術の最先端を走り、規模も国内で指折りの巨大な施設。
 異質な場所だ。空から全貌を視界に入れた圭はそう感じた。空から中央区を見下ろした時もそう感じたが、この病院はまた独特だった。人工的に整然と配置された青い木々に囲まれ、対照的に白塗りにされた建物群は、まるで一つの違う世界を創り出しているようだった。
 ラーナーが指摘したように、圭は目的場所を完全に把握していなかった。首都の、セントラルの、中央区にある一番大きな病院。そこに居るというひどく曖昧な情報だけ、圭の記憶の片隅に残っていた。それだけを頼りに、なんの障壁も無く直射日光に当てられ、熱に肌が焼けるような感覚に襲われながら滑空していた。
 彼は直感した。根拠は無い。それでも、きっとあそこに居る、と。
「エアームド、降りてくれ。あの、一番大きな建物の入り口付近に頼む」
 圭は自分を乗せて空を飛んでいるエアームドに声をかける。エアームドは頷くと、滑らかに高度を下げていく。だんだんと地上に近づいていくとその姿を確認する人の姿も増えてきて、自然と視線が集中する。逃げるように無視して圭はただ白い壁を見つめていた。
 やがてエアームドの逞しい脚は地面を捉え、軽い衝撃が圭の全身に伝わる。鋭い翼を畳むと、エアームドは軽く鳴いて圭に降りるように促す。
「さんきゅ」
 小さく呟くのとほぼ同時に圭は軽々と降り立ち、オレンジ色の瞳はまるで遠くを眺めるように細くなって、すぐ近くの高々とした白い建物を見上げる。倣うように隣のエアームドも顔を上げた。無意識に圭は窓の位置から階数を数える。一、二、三――十、十一、十二。そこでカウントは止まった。ほぼ垂直になっていた首を戻し、圭は肩を落とした。面積も広く、この中で数え入れない人々が病床に臥している。ちらと圭は視線を横にやると、簡易な歩行車に体重をかけて身を支えながらポケギアを操作している男性の姿が見えた。空色の病衣と、纏っている独特の空気が入院患者であると示す。相手は不審な目を圭に向けた。咄嗟に圭は視線を戻す。居たたまれない気持ちに包まれて、彼は小さな溜息をついた。立っているだけで、この空間から邪魔だと弾き飛ばされそうだった。
「俺の世話になってた家の双子の妹、入院してるんだ」
 居ても立ってもいられなくなったのか、唐突に圭は口にしていた。隣に立っているエアームドは不思議そうに圭を見下ろす。明るさが持ち前の圭にしては、重い声の響きだったからだ。
「ぶっちゃけ、俺が実際に会ったのは一、二回くらいなんだ。一時帰宅みたいな感じでリコリスに少しだけ帰ってくる機会があったんだよ、ずっと前。でももう最後に会ってからどれくらい経つんだろう……一年以上は経ってる」
 小さく溜息をついてから続ける。
「覚えてくれてるかな、っていうかそもそも、会えるかどうかも分かんないよなあ、もしも面会謝絶、とかだったらなあ……。まあ、まずここにいるかどうかからか。でも、勘だけど、多分ここだ。俺の直感、よく当たるんだ」
 わざとらしく肩を大きく竦める。しかし直後、気合を入れるように両の足を両の手で思いっきり叩いた。軽快な一音が重い静寂の中に閃いた。
「っしゃ! せっかくここまで来たんだ、行こう。お前はボールで留守番な。さすがに連れて入れないし」
 鋼の体を軽く撫でると、エアームドは表情を変えず頷いた。さすが由緒正しき名家で育てられたポケモンと言ったところか、命令には一点の曇りも無く忠実である。圭はズボンのポケットに入れてあった飴玉サイズほどのハイパーボールを取り出し、スイッチを押して元のサイズに戻すと、すぐにまた開閉スイッチを押す。赤い光線がエアームドに衝突、一気にその巨体を包み込んだと思うとボールの中へと吸い込まれていった。手元のボールに重量感が増した感覚は微塵も無い。相変わらずの一連の鮮やかさに圭は舌を巻く。
「科学の力ってスゲーよな……」
 しみじみと彼は実感を噛みしめた。
 そして取り残された気分を振り払い、一歩を大きく踏み出した。



 夕陽色の髪はこういう息苦しい程落ち着いた場所では余計に目立つ。が、ちらちらと投げかけてくる視線には慣れたものだし生まれつきのものだ、仕方が無い。あえて胸を張るように廊下を歩く。纏わりつく空気が心なしか重い。消毒用薬品の匂いの中を彼は進む。目に見えぬ威圧感が圧し掛かってくるようだった。
 圭の直感は当たっていた。見舞う相手を尋ねたところ、慣れた手取りで氏名等の記入を指示され、場所を紹介された。彼の知らぬ点ではあるが、そもそも中央区にはこの病院しか無い。中央区であるということを刻んでいた彼の記憶力を称えるべきだろう。
 やがて受付で紹介された部屋の前までやってくる。九一六番病室。数字の羅列の下に、自分の見舞おうとしている人物の名が書かれているのを改めて確認する。圭はすうと静かに息を吸った。いざ目の前にすると、緊張で足が竦みそうだった。相手が自分を覚えていなかったら。目も当てられないほど、ひどい状態にあったら。その時自分は、どんな反応をすればいいのだろう。底知れない恐怖に似たものが、絡み付いてくる。
 しっかりしろ。
 怯える自分を鼓舞する。
 二度ほどぎこちなく扉をノックした。返事は無い。音をあまり立てないようにそっと扉を横に引いた。拍子抜けするほど滑らかに動いて、すぐにその先の景色は眼前に広がった。
 部屋の大部分を占める真っ白なベッド。花瓶に入れられた名も知らぬ花の匂いがした。ベッド横のテーブルにはたくさんのおもちゃが入った箱が入れられている。開放的な大きな窓を真正面に、彼は布団に臥している少女の姿を目に留めた。彼女も来訪者にはすぐ気が付いて閉じていた瞼を開き、そしてすぐに異変に気が付いた。見知った医者でも看護師でもない、そして母でもない。痩せた頬に赤味がさしていくように圭には見えた。
 白い。あまりにも白い肌。姉妹と同じ色合いの茶色い髪は、姉妹の誰よりも長い。そして突き刺さる様に印象深く圭の視界に入ってくる、小さな鼻に伸びる透明なチューブ、痩せてこけた頬。それ以外は、彼の知る双子の片割れとまったく同じ顔。故にか、余計に衝撃が走る。初めてその姿を見た時も、思わず言葉を失ったものだった。
「け、けいちゃん」
 弱々しくもはっきりと出てきた声に、圭の緊張感が僅かに解かれる。彼女は自分を覚えていてくれた。大きな不安が解決した瞬間、体の内から今度は喜びが溢れてくる。安堵に表情を綻ばせた。
「ユア、久しぶり!」
「ひさしぶり……どうして?」
 明らかに動揺している少女――ユアを前に、圭は扉を閉めてからゆっくりと傍まで歩いていく。
「ちょっとな、用事があって首都に来たんだ。で、そのついでに見舞いに来たぜ」
 と言っても何にも手土産は無いけど。苦笑しながら圭はベッドの横の丸椅子を見つけ、ショルダーバッグを肩から外してすぐ近くのテーブルに置くと、軽く服を払ってから腰かける。
 ユアはまじまじと穴でも開けそうなほど圭の顔を見つめる。まるで彼が本物であるかを確認しようとしているようだった。見張られているようで小さな気恥ずかしさに見舞われた圭は、唐突に腕を組んでおどけたような表情をとる。
「そーんな見られるとさすがに落ち着かないって。体の調子はどうなんだ?」
 気軽な口調で話しかけると、緊張で強張っていたユアの顔は僅かに綻んだ。
「う、うん……あの、今日はね、調子いいの。さっきちょっとだけ散歩したから、今は休んでるとこなの」
「おーそっか、散歩か! 気持ち良かったか?」
「うん、えっとね……ちょっとだけなんだけど、うん、今日は、調子いいんだ」
「そっか、そりゃあ何よりだ! いい兆しじゃないか」
 何度も嬉しそうに頷く圭。黙っていられないのはユアも同じなのか、顔だけ布団から出していた状態から起き上がろうと、おもむろに体を動かし始める。瞬間、慌てて圭は立ち上がった。
「おいおい、そんな起き上がらなくたって大丈夫だよ」
「うん、でもね、今日はね、調子いいから」
 三度目になる言葉を言いきってから、彼女は白い歯を小さく見せて微笑んだ。背後の壁にもたれ掛る様にして上半身を起こすと、ふうと彼女は息をついた。
 起き上がった少女を改めて圭は観察する。
 リコリスに住むルーク家の姉妹の末っ子、双子の妹の方。それが今彼の目の前にいるユア・ルーク。姉であるミアはリコリスで元気に走り回って過ごしているが、ユアは生まれてすぐに判明した病で長い入院生活を送っている。一方は毎日外を駆けまわり、もう一方は日常の殆どの時間をベッドの上で過ごす。同じ瞬間に生まれた顔も同じの双子で、これほどまでに生き方は変わるものなのか、と圭はユアを目の前にするたびに考える。詳しい病状どころか病名も彼は知らされていないが、最大の病魔は肺に巣食っていることは知っている。常に酸素ボンベによる供給を受け、運動などもっての外である。少し走っただけで酸素が足りなくなるからだ。散歩をしたと彼女は言ったが、ベッド付近に置かれた車椅子に乗ったものであることを圭は分かっている。以前、リコリスで会った時もずっとそうだった。重い病気であることは理解していたが、それ以上踏み込もうとはしなかった。ユアはルーク家にとってガラス細工のような繊細な存在そのものであり、実際には血が同じ家族ではない部外者の圭には無闇に入り込んではいけない世界だと自ら身を引いていた。
「……お母さんは、元気か?」
 なんの話題を出すか考えた末、彼はそう尋ねていた。ユアはちょっとだけ表情を曇らせながら小さく頷く。
「お仕事がお休みの時はよく来てくれるの」その後、でも、と彼女は零す。「最近はお仕事忙しいみたいで……でも、ユアね、いい子だからね、へーき」
「……うん、ユアはいい子だ。そりゃ間違いない」
「えへへ」
 嬉しそうに彼女は笑った。双子の姉、ミアと瓜二つの笑い方だ。
「ね、圭ちゃん、それ取って。そこの机の上の折り紙」
「折り紙? ……っと、これか」
 圭はユアの指差した方向、つまり自分の背後にあるテーブルに目を向けてすぐに気が付いた。黒い立方体の紙箱に入れられた色とりどりな折り紙。箱は高さ十センチほどのもので折り紙はその半分くらいまで積まれており、見ただけで大量に入っていることは分かった。それをユアに手渡すと、彼女は一度枕元に置いて、紙を選りすぐる。すぐにオレンジ色のものが出てきた。
「圭ちゃんはオレンジさんだからね、これで、なんか折ってあげる」
「おおまじかよ、何折ってくれるんだ?」
「ばら!」
「バラ!?」
「うん」
「えっそれって花の? 本気で言ってんのか?」
「うん」
「ひえーまじかよ、すげえな! あ、平らなとこがあった方がいいよな。ちょっと待てよ」
 圭は一度立ち上がり、ベッドに取り付けられたスライド式の白いテーブルを手繰り寄せる。そのまま滑らかに動かしてユアの手元まで移動させると、ユアは嬉しそうに笑って、折り紙を半分に折る。そこから一瞬で自分の世界に入り込んでいった。その様子を圭は興味深く観察する。自分よりずっと小さく痩せた白い手はてきぱきと動いて、しかし丁寧に折り目をつけていく。僅かなずれも殆ど見当たらない。慣れているのだろう、ただの一枚の紙だったものは瞬く間に形を変えていった。
「いやあすげーな、ユアは器用だ。俺、鶴も折れねーぞ」
「えー! 嘘だあ」
 一度手を止めて、心から驚いたようにユアは今までで一番活力に満ちた声をあげた。
「いやほんと。俺、手先はまじで不器用だかんな。雑さではソフィどころかミアにも馬鹿にされるからな。爆笑だぞ」
「そうなん?」
「そうそう。そもそも鶴、折り方も知らないし」
「え! 嘘だあ、鶴なんて、みーんな知ってるもん」
「いやーほんと、知らん知らん」
「ほんとに?」
「ほんとほんと、神に誓う!」
「ええー」
 ユアは目を丸くしながらも嬉しげな表情を浮かべていた。圭ちゃんは知らなくて、自分は知っている。圭ちゃんはできないけど、自分はできる。なんとなく誇らしげな気分になって、背筋をちょっとだけ伸ばす。改めて手元に視線を向ける。オレンジ色の紙は彼女の細い手によって変身を進めていた。
「じゃあね、これが終わったら鶴教えてあげるね」
「お、ほんとか」
「うん、でももう出来ちゃう」
「早!」
 圭は思わず声をあげたが、確かに随分折りこまれていったそれはもう完成手前までやってきていた。それから数秒も経たないうちに最後の仕上げに小さく折り目をつけて、ユアは作品を高く掲げた。平らながら丁寧に折られたそれは、多くの花弁を表現したオレンジ色のバラであった。
「できた!」
「おおお!」
 圭は歓声をあげた。ユアは少しだけ胸を張りながら圭の方に体を向けると、圭を手招きした。不思議に思った圭は誘われるままに身を乗り出すと、ユアは体を伸ばし腕も伸ばし、圭のオレンジ色の髪にその紙のバラを乗せた。直後、面白げにからからと笑った。
「えへへ、似合ってるっ」
「……いやいや、俺そういうキャラじゃないから!」
 しかしその表情は嫌そうなものではなく、むしろ嬉しそうににやけていた。そのことをすぐにユアは目敏く指摘する。
「嘘、圭ちゃん、すっごく笑ってるもん。嬉しいんでしょ」
「いやでもなー頭に花飾りって、俺、男だぜ?」
「でも似合ってるの」
「それ複雑だな!」
「……嫌だ?」
 不意にユアは表情に不安な色を注した。瞬間、どきりと圭の心臓は大きく鳴った。頬骨の浮き上がったような痩せた顔が急に色濃く目の前に現れたような気がしたからだ。僅かに垣間見える彼女の生活の端くれに、動揺が走る。しかし瞬時にそれを隠さなければと無意識に判断して、圭は微笑んだ。頭にオレンジ色の紙製の薔薇を乗せたまま、微笑んだ。
「バーカ! 嬉しいよ。ありがとう」
「ほんと?」
「ほんとのほんとだよ。神に誓うさ」
 そう言って徐に圭はユアの小さな頭に手を乗せた。
 遠きリコリスに住むミアと同じ大きさである感覚が、俄かに掌に焼き付いた。


 *


 ほぼ同時刻、場所はセントラル北区某所。瞳に張り付くように鮮やかな碧空の下、青年はその場に静かに降り立った。暑そうに服を自らはためかせながら、すぐ背後にある手摺に体重をかけた。
 吹き抜ける風が騒がしい。そんな錯覚を掴んだ彼は、瞬時にその自分の感覚を嘲笑するように鼻で笑った。ただの思い込みに過ぎないし、柄にもなく詩的な思考が一瞬でも過ったことに呆れすら感じたからだ。何も変わらない風だ。普段と変わらない、未だ鬱陶しい夏の気配を含んだ初秋の空気。
 青年は柔らかな金色の髪を風に揺らしながら、眼下の景色を見下ろした。信号に止まっているのか、真下で横一字に敷かれた道路には多くの車が並んでいる。様々な色が道を点々と塗りつぶしているようだ。その脇を虫のような大きさの人々が流れていく。彼等一人一人に命が吹きこまれていて、感情がそれぞれに渦巻いていて、誰とも重なることのない人生の歩みがある。そのことに気味悪さすら感じる。この首都にはアーレイス国の十パーセント以上の人口が押し込まれている、そのことをいつだったか、暇潰しで聞いていたラジオで言っていたのを微かに覚えている。国民の十人に一人はこの街の人間がいる。首都の人口密度は順調に高くなり続けているあるというから、現在はその割合は変わっているだろう。まるで強い力に引き寄せられるように、日々集まってくるのだ。深く考えようとすると、眩暈がしそうになる。
 あの中の誰かを捜そうなど、途方も無い話だ。
 彼は目線を上げ、近くなった空を視界に広げた。十数階のビルの屋上の手摺の向こう側に立った彼には力強いビル風が攻撃するように吹き抜けていた。噎せ返るような熱が同時に襲い掛かってくる。その足元は僅か。少しでもバランスを崩せば真っ逆さまに落ちてしまう。それは彼自身よく分かっていた。
 何を思ったのか、笑みが零れる。嬉しそうに、愉しそうに、快さそうに、歪んだように、笑う。久々に胸に湧き上がってきた高揚感を身体の奥に静かに押し込める。だが、抑えきれずに表情に徐に笑みが広がったのだった。それは長い間求めていた感覚だった。
 炎天下、惑う空気に走り抜ける衝動。止める者は誰も居ない。
 彼は空中である前に向かって小さく、――自ら、跳ねた。

( 2014/04/29(火) 23:27 )