幽霊騒動編:伝説の怪魚ソルディーン
それはポケモンではなかった。かつてポケモンであったはずのものーー骸骨だった。骸骨がボロ布を体に巻きつけ、槍にすがって歩いているのだ。それが足を踏み出すたびに、顎の蝶つがいが緩んで歯がかたかた鳴る。
「ね、ねえ…」
カビゴンが喉の奥から声を振り絞って言ったが、2人の耳には届いていなかった。ジュプトルは、足から根が生えたみたいにじっとその場を動かない。ダイケンキも震えているようだった。
落ち着け、落ち着くんだ。怖くなんかない。一瞬だけ固く目を閉じて、カビゴンは自分に言い聞かせた。相手はただの骸骨だ。怖がる必要もないし、何よりダイケンキとジュプトルがいる。2人はこんな怖いところにまで、一緒に来てくれたんだ。2人がいるんだから、何も怖いものなんてない!
壁際までたどり着いた骸骨は、ちょっとのあいだやりに捕まってフラフラしていたが、やがてカラカラと音を立てて崩れ、その場で一人分の骨の山になってしまった。
ジュプトルがようやく後ろを振り返って言った。
「…二人共、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫だよ」
「ああ、なんとかな。しかし…さっきの骸骨は一体なんだったんだ?」
この問は3人共通だった。しかしいくら考えても、答えは見つかるわけでもなく、前に進むしか道は残されていなかった。
3人は嫌がる自分を駆り立てて、右のトンネルへと向かった。入口のところに山々と積まれた数々の槍は、どれもこれも薄汚く錆びていた。
右のトンネルの奥は薄暗く、肉眼では出入り口の周辺しか見ることができない。3人はいつのまにか言葉を交わさなくなっていた。さっき起こった出来事。あれは全く信じがたいものだった。見捨てられた教会はやはり恐ろしいところだった。ジュプトルはここにきたことを少しだけ後悔した。そして、友が苦しんでいるのにここにきたことを後悔した自分を恥じた。
今度のトンネルは、穏やかに下降していた。
ーーーどこまで続いてるんだろう?
時折、右に曲がったり左に揺れながらも、おおむね真っ直ぐにどんどん下っていく。そのとき、ダイケンキが声をあげた。
「2りとも、見ろよこれ!」
目を向けると、水に濡れた岩壁のあちこちに、文字や絵のようなものが書いてあるのがわかった。
磔にされてるようにしか見えないポケモン。床にあたまをこすりつけて、裁断に向かって拝んでいる大勢のポケモンたち。ウダイによくにた動物の首を、おので切り落とそうとしている者。血のように赤い色で書かれた、3人には読むことのできない落書き。
あまりの光景に、カビゴンは息をのんだ。
「なんだよ、これ…」
「ねえ、カビゴン」
ジュプトルが声をかける。
「なんだい?」
「僕、ずっと不思議に思ってたんだけど…。助けを求めてるっていう男の人は、どうしてカビゴンのもとだけにずっと現れ続けたんだろう?」
たしかに考えてみればそうだ。その男性は、カビゴンのもとにしか現れなかった。どうして彼はカビゴンを選んだのか?そして、なぜ彼はここに捉えられているのか?考えれば考えるほど、謎は深まっていくだけだった。
「分からない。だけど、このまま前に進めばきっとなにかわかると思う」
ジュプトルはうなずいて言った。
「そうだね。今はとにかく前に進もう」
3人は気持ちを奮い立たせ、さらにトンネルをくだった。道幅は次第に狭くなり、微妙に上下するようになり、やがてある場所まで来ると、完全に急な下り坂になった。
思わず、3人はぽかんと口を開けた。広さも高さも、さっきの礼拝堂後と思われる広場の倍はあるだろう。3人は、その空間の真ん中に突き出た、ひさしのような出っ張り部分にいるのだった。
目の下には、澄んだ水を湛えた地底湖が広がっている。なんて美しい水だろう。
地底湖の形は丸みを帯びた五角形で、上から見下ろすと、それ自体が巨大な宝玉にも見えた。うっとりするほど美しい眺めだ。見つめていると、水のそこへと吸い込まれてしまいそうなきがする。
ダイケンキはしばらく水では泳いでおらず、この埃っぽい建物の中が大嫌いだった。そのため、彼は今すぐにでも飛び込んで、このきれいな湖で泳ぎたいという一心で頭がいっぱいだった。
ダイケンキは頭を動かして、周りの岩壁を見回し、もう少し下へ降りる道はないかと探してみた。岩壁のまわりに、でっぱりがあちこちにあるのを発見すると、ダイケンキは我慢できなくなり、勢いよく走り出した。
ジュプトルがその様子に気づき、叫ぶ。
「あっ!ダイケンキ、危ないよ!ここには何がいるかわからないんだから!」
ダイケンキには、もはや友の忠告の声は届かなかった。残された2人は、慎重に岩場を降りて、彼の後を追った。
ダイケンキは片膝をついて、水面に右手を差し伸べた。久しぶりの水だった。彼はもともと水辺で生活しているのだから、水は彼にとっては生きるのに欠かせなかった。
清らかに光る水面を見つめていて、ふとあることに気づいた。自分はなにかに見つめられている。
ーーー何に?
大きな目玉に。いつのまにか、水面のすぐ下に、バスケットボールくらいの大きさの一つ目が現れて、ダイケンキをじっと見つめているのだ。
ダイケンキははっとして、湖から離れようとしたその瞬間。水そこから、目にも止まらぬ速さで、何かが飛び出してきた。よく見ると、緑色の触手のようだ。まるでスライムのように見えるが、その力はものすごく強かった。
「離せよ!」
喚きながら足をけろうとすると、かえってバランスを崩してしまい、その場に尻餅をついてしまった。
ダイケンキの声を聞き、2人が駆け寄ろうとする。それをダイケンキは鋭い声で制した。
「近づくな!もし近づいたら、お前らまで捕まっちまうぞ!」
「だったらどうすればいいんだ?」
カビゴンは無言で考え続けている。そして、ふと何かを思い出したように言った。
「そうか…!わかったぞ。こいつは伝説の怪魚、ソルディーンだ。こいつはたしか、死んだ者の魂を、奴隷のようにして捕らえてしまうと言われているんだけど…まさか実在するなんて」
「だから一体どういういみなんだ?」
「つまりこいつを倒せば、あの幽霊も助かるってことか?」
ダイケンキが尋ねると、カビゴンはうなずいた。
「だったらこいつを倒さないと!待っててダイケンキ、今助けるから!」
そう言うと、ジュプトルは飛び上がって緑色の玉を放った。
「エナジーボール!」
エナジーボールは触手に命中した。触手はひるんだのか、力が緩んだ。そのすきを見逃さずに、ダイケンキは湖から離れた。さっき巻き付かれたところは、少しあざになっている。
「ありがとうな、ジュプトル!まさか、お前に助けられる日が来るとはな」
「僕だってこのまま弱いわけにはいかないからね。さあ、みんなでこの怪物を倒すぞ!」
「ああ!もちろんだ。ジュプトル、お前は遠距離から攻撃しろ。カビゴン、お前は回復薬を頼む。オレは正面からいく。行くぞ!」
3人は一斉にジャンプすると、攻撃を始めた。ジュプトルは上に移動し、ダイケンキは湖に近づく。すると突然、水面が騒ぎ出し、天井に届きそうなほどの水柱が上がった。
そして、怪物が姿を現した。先に刺のついたヒレ、口から除く獰猛な歯、まるでピラニアを大きくしたような姿だ。そいつは耳を劈くような声で咆哮すると、緑の触手が姿を現し、一斉にダイケンキに向かっていった。
「今だ、ジュプトル!」
「わかってるさ!リーフストーム!」
リーフストームは触手を全て切り、それでも勢いを緩めずソルディーンへと向かっていった。続いてカビゴンが攻撃を仕掛ける。
「のしかかり!」
彼の重い体重が、怪魚の上にのしかかる。ソルディーンは叫び声をあげ、湖の中へと避難した。それを見逃すはずもなく、ダイケンキが湖の中に飛びこむ。今や、水は彼の味方となった。
「ハイドルカノウ!」
水は巨大な竜巻となって、怪物を包み込む。そして、空中にその身が投げ出されたと思うと、ジュプトルのソーラービームが直撃した。
ぎゃああああーーー!
怪物は叫びながら、身をよじらせ、反撃しようとする。だがその努力は虚しかった。やがてその体から、力が抜けていく。
「おおおお、おおおお、おおおお」
体が縮んでいくに連れて、叫び声のボリュームも落ちてきた。それにつれてその声は人の声へと近づいていく。やがて、伝説の怪魚と言わしめたその怪物の体は、見るも無残な姿となり、人の体くらいの大きさに縮んで、湖の底へと沈んでいった。
ーーやった!
緊張の糸が切れて、腰が抜けたみたいになってしまった。カビゴンはすうっと水に沈み込んだ。
「おいおいカビゴン、しっかりしろ!」
ダイケンキが水に飛び込んで、カビゴンを岸まで引き上げてくれた。みると3人とも荒い息をついている。ほっとしたと同時に、一気に疲れと恐怖がこみ上げてきた。あんな得体もしれない化け物と戦って、よく勝てたものだ。下手したら死んでいただろう。
「あれが噂の正体ってわけか。しかし…オレたちよく無事だったな…」
「みんなで力を合わせたからだよ。でもどうしてあんな化け物がここにいたんだろう?」
ジュプトルの問いに、ダイケンキは肩で息をしながらこたえた。
「さあな。それよりこんなところ早く出ようぜ。息がつまっちまう…」
その意見に2人とも賛成だった。腰を上げ出口に向かおうとしたとき。
湖の反対側で、また水柱があがった。一同はぎょっと身構える。
「またなにか出やがるか?」
いや、もう怪物は出なかった。岩壁が崩れ始めているのだ。大きな破片が剥がれ落ちて、湖の中に落下している。
ズズズズーーー地鳴りが始まった。
「まずいぞ!ここは崩れる!」
ジュプトルが大声を出した。それと同時に天井の一部が音を立てて崩れてきた。頭上に落ちてくる岩を、ダイケンキがシェルブレードで素早く壊しているが、間に合わない。
「ちくしょう!」彼の悪態にかぶせて、ジュプトルの大声が聞こえた。
「天井が!」
カビゴンは呆然と頭上を仰いだ。地底湖の真上に、かぎざぎの形の大穴が空き、そこから星空が覗いている。
「出口だ!ここからみんなで脱出するぞ!」
「でもどうやって?ここにはひこうタイプのポケモンは一人もいないのに!」
ジュプトルが半ばやけくそになって叫んだ。カビゴンの脳裏に、最悪の結末が浮かぶ。僕が2人に言ったから…僕のせいで2人は…
「落ち着け!」
ダイケンキの大声に、2人は驚いて彼を見る。ダイケンキの目は驚く程、青くすんで見えた。
「冷静になって考えろ。絶対になにか方法があるはずだ!俺たちは…こんなところで死ぬわけにはいかねえんだからな!」
親友の声に鼓舞されて、カビゴンも決心した。そうだ、今はとにかくここから脱出することだけを考えるんだ。謝るのはそのあとでもいい。カビゴンがあたりを見渡すと、そばの岸壁が目に付いた。目立つ出っ張りはないが、起伏はある。
「2人とも、この壁はまだ登れそうだよ」
「僕が上まで登って、ロープを垂らす。2人はそれを登ってきて」
腰につけたロープをほどき、輪をつくりながらジュプトルが言った。ジュプトルはわずかなでっぱりを使って、素早く上に登っていく。その姿はまるで、岩場を駆け抜けるカモシカのようでもあった。
「すげえ…」
ダイケンキが感嘆の声を漏らす。ジュプトルは無事に天井の穴から地上に出ると、淵から中にロープを垂らした。2人がロープをつかんだのを確認すると、急いで引き上げる。途中で、カビゴンの体重でロープがちぎれそうになったがなんとか無事に3人とも脱出することができた。
「2人とも、大丈夫か?」
「うん、なんとかね。それにしても…その幽霊はどうしてカビゴンのもとに現れたんだろう?」
「多分、カビゴンなら話を聞いてくれると思ったんだろう。あいつ優しいからさ」
ダイケンキが立ち上がりながら言った。そのとき。
まわりから白い光が舞い上がり始めては空へと消えていく。その光は、穴から出ているようだった。だんだんとその数は増え始め、3人の周りをくるくると回りながら消えていく。
「なんだこれ…?」
カビゴンがはっと気がついた。そうだ、この光は全部、ここに囚われていた人たちの魂だ。死んでなお、じゆうになることができなかった人々。だがあの怪物が死んだことにより、彼らはようやく自由になれたのだ。カビゴンには、彼らが解放された喜びを表しているように思えた。
「これ全部、ここに囚われていた人たちの魂なんだ…」
毎日自分の枕元に現れていた男性の幽霊も、ようやく眠りにつけるだろう。3人が、光に見とれていると、中からでてくる光が人の形を作り始めた。その光の人影はゆっくりと、3人に向かって礼をすると、もとの光の粒子となり空に登っていく。
「…さようなら…」
ジュプトルがつぶやく。3人もしっかりと礼をすると、最後の光が消えていった空を、いつまでもみつめていた