パラセクトの恋
じめじめとした森、背の高い椰子が生い茂り、かすかな木漏れ日だけが地面を淡く照らす。
椰子の一つにもたれ掛かり、陰鬱げに佇むポケモンがいた。
彼はパラセクト。背中に大きな茸を背負い、両手に、大樹でも一断ち出来るほどの立派なハサミが付いている。
そのハサミで頭をかきながら、彼は大きな溜息をついた。
溜息とともに茸が揺れ、土の上に少しだけ胞子が堆積した。
彼の悩みは、恋の悩み。同じ森に住むライチュウに恋をした。
彼女は優しかった。根暗でいつもおどおどしているパラセクトに、花のような笑顔を浮かべながら話しかけてくるのだ。
彼が風邪をひいて動けないときは、木の実を持ってきてくれた。だれも近寄りたがらないパラセクトに、彼女だけが語りかけてくれた。それだけで、惚れるには十分だった。
ただ、不可解な点が一つだけあった。彼女はパラセクトが近くによると、決まってせき込むのだ。
考えてもその疑問が解決することはなかったし、本人に聞いても、いつもはぐらかされた。だが、そのことは恋の悩みからすれば、ささいな問題のようにも思えた。
長い長い逡巡の後、パラセクトはしばらく伏せていた顔を上げた。その顔には、決意がにじみ出ていた。
「告白、しよう」
たとえ振られるとしても、何もせず諦めるよりかは遙かに良いだろう。と、彼は結論付けた。
パラセクトはライチュウを呼び出した。昼間でも暗い森の中で、一カ所だけ開けた場所があった。色とりどりの花が咲き乱れ、芳しい香りが充満し、鼻孔をわずかにくすぐる。
ライチュウは来た。アースのような長い尻尾を左右に揺らしつつ。よく肥えたまん丸のお腹が若干目に付いた。
「どーしたのパラセクト? 君がこんな明るい所に呼び出すなんて、珍しーね」
彼女は何の気もなしに、少しせき込みながら言った。
パラセクトは生返事をしながらうつむく。
「? ほんとにどーしたの? 今日はいつにもまして暗いぞ。ほら、笑って、笑って」
にこにこと笑顔を浮かべながら、彼女は急かすように言う。
その笑顔は、周りに咲くどの花よりも美しく、たとえ世界をかけずり回ろうとも、それに代わる物は無いだろう。彼の心臓は小さく跳ねた。
「あの……」
パラセクトの小さな声にライチュウは少しだけ首を傾げる。
彼は意を決した。
「好きです!つきあってください!」
風が凪ぐ。ライチュウの控えめな咳の音だけが辺りに響く。
その時間は、パラセクトにとって数秒にも感じられたし、永遠とも思えた。
「ごめんね……」
ライチュウは、申し訳なさそうに呟いた。
ああ、やはりそうか。パラセクトは大きく肩を落とした。
「違うよ、君が嫌な訳じゃないんだよ。あたしみたいな変な子を好きといってくれるなんて、とっても嬉しい。でも、でもね……」
パラセクトは顔を上げることすらできない。胸が痛んで、視界がにじむ。そんな彼をいたわるように、彼女は言った。
「あたし、胞子アレルギーなの」
ライチュウと別れた後、パラセクトは椰子に寄りかかり、彼女の言葉を反芻していた。
胞子アレルギー。彼女はそう言った。長時間近くにいると、喘息が悪化し、呼吸困難に陥るとも。
完膚無きまでに振って貰えたなら良かった。それなら諦めがついた。だが、現実ではそうではない。
救いが残ってしまった。
パラセクトは背中にある、自らの体長より大きな、真っ赤な茸を見上げた。
物心ついた時から自分の背にあった茸。自らの成長とともに、茸も大きくなっていった。
自分の体長を超したのはいつの日か……それは遙か忘却の彼方にあった。
「こいつさえなければ……」
そう、茸さえ無ければ、彼女と添い遂げる事が出来るかもしれない。
彼は右手にあるハサミを大きく広げ、刃を茸の根本に添える。
このハサミを閉じれば、どうなるのだろう。茸を背負っていない同族など見たことがない。
茸から出すことの出来る、生き物を眠らせる効果のある胞子は、幾度と無くパラセクトの身を守ってきた。
命を救われた回数は、一度や二度ではなかった。
だが、彼は諦める事が嫌いだった。恋を諦めたくはなかった。
だから、彼は目をきつく瞑り、大きく息を吸う。そして、ハサミを力任せに閉じた。
瞬間、彼の意識は暗転した。
彼は知らなかった。彼の意識は、彼の身体には無いことを。
茸はパラセクトの身体奥深くに根を張り、脳をも浸食した。
彼が物心ついた時、その時は、茸が宿主の脳を完全に乗っ取った瞬間だった。
根暗でいつもおどおどしていた性格も、ライチュウに恋したのも、全て、茸だった。
彼はただ一本の茸だった。
宿主の脳から切り離された茸は、既に思考する事は出来ない。
茸は椰子の陰で土に根を張り、生息し続けるだろう。元宿主の養分をも吸い取って。
恋したことなど、無かったかの様に。
一陣の風が吹く。茸の胞子は風に乗り、森を駆けた。
椰子の群生地を越え、蘇鉄の木々をまたぎ、あの花畑に吹き渡る。
ライチュウはまだ花畑にいた。しゃがみこんで花を摘んでいた。
彼女の頬を、涼風がなでる。
『どうか、忘れないでください。あなたを愛した愚かな茸がいたことを』
聞き覚えがある声が聞こえた気がして、彼女は振り返った。
黄、赤、白。鮮やかな色彩の花々が、風に揺れていた。