第一章 ミント 〜かけがえのない時間〜
002 あたしとミナモデパート
 元気よく駆け出したは良いが、食べてすぐの運動は流石に無理をしすぎた。20分ほど121番道路を走り続け、あと少しでミナモにたどり着くというところで、サファイアが訴えるは激しい腹痛。突如として踞る彼女を運べるだけの筋力がほむらに備わっていなかったら、どうなっていたことか。一匹と一人はポケモンセンターに雪崩れ込む。

 驚くことに、ジョーイさんが習得しているのは獣医学だけではなかったらしい。幸運にも空いていた中型ポケモン用のベッドのシーツを手際よく敷き変えるラッキーを傍らに、ジョーイさんはサファイアを診察。十秒で「なんともない」という診断結果が出たが、午前中のうちは安静にしているようにとのこと。なんとなく回答が保健室の先生っぽい。

 サファイアが三時間入院から退院する頃には、既に気温はかなり上がっていた。ギラギラとした炎天下。冷房が効いていたポケモンセンターとの格差に眼前暗黒感(立ち眩み)を覚える。空は台風の接近なんて嘘かのように晴れ渡り、何にも遮られない太陽光がサファイアの肌を直接刺激する。

「なによこの人混み……」
「なんか今日コンテスト開かれるみたいだねー」
「嘘……よりによって今日やらなくてもいいのに」
「だったらさ、折角だし見ていかない? ほむら、今までコンテストなんて見たことなかったでしょ」
「……あんま興味ないわね」
「えー、でもそれじゃほんとにただのお買い物じゃん。行くだけ行ってみようよ!」

 ミナモシティで一番有名な建物と言えば、ポケモンコンテスト会場。集まったポケモン達が自分のアピールポイントをここぞとばかりに見せびらかすこの大会は、最近は他地方からの関心も高い。

「行ったら絶対見たいって言い出すでしょ」
「言わない言わない! 行くだけならいいじゃん!」
「仕方ないわねぇ」

 ただ、先日オープンしたバトルフロンティアの影響か、最近はバトルテントの方が人気が高く、カイナやのコンテスト会場はバトルテントへと建て直され始めてている。

 故にミナモのコンテストは、ある意味の希少価値が高い催しだった。そんなものが開かれるということを考慮に入れると、この人混みは至極当然のものと言える。

「ふぇー、会場の中はもっと人がいるねー」
「サフィ、離れちゃだめよ。迷子になるから」
「それは私の台詞だよー!」
「それで、これはどこから見るのかしら」
「んーと、多分観戦席みたいなのがあるはずだけど……。にしても暑いねここ……」
「ほんとそれね。あっち行ってみよ」

 観戦席以前に二メートル間隔で人がいるような建物は、冷房の努力むなしく蒸し暑い。こんな中、出場ポケモン達は汗をかかないのか。汗で毛並みが崩れたりはしないのか。
普段はふさふさの体毛がぺったりと体に張り付いているほむらを見れば、その答えは容易に出せた。

「この分だと観戦席の入り口見つけたところで、入れりゃしないわね……」
「うーん、まあしょうがないかな。今日の主役はデパートだし……って、ほむらどうしたの?」

「なんかいい匂いするわ……!」

 キョロキョロとあたりを見回すほむら。どちらを向いても人しかいないが、ほむらはそれをやめない。

「匂い? いい香りの香水でも使ってる人いた?」
「違う……。この匂いは……カムラ! カムラジュースの匂い!」

 カムラのみは、強い甘味と酸味が特徴の、比較的珍しいきのみ。多少の苦味もあり、その味は果物でいうグレープフルーツに近い。食べると一時的に身体が軽くなり、素早さが上がることでも知られていた。

「カムラジュース? なんてこんなところで?」
「わかんないけど、これカムラを潰したような香りだわ!」
「カムラを潰した……あぁ、そういうこと」

「潰した」まで聞いて、漸く合点がいった。こんなところできのみを潰すなんて、考えられるのはひとつしかなかった。

「ほむら、それポロックだよ」
「……ポロック?」
「簡単に言っちゃえば、いろんなきのみのエキスを凝縮して作ったお菓子。ほむらは食べたことなかったね」
「お菓子……!?」
「ほら、あそこで作りながら売ってる」
「食べてみたい……!」
「じゃあ買って帰ろっか。カムラのがいいの?」

 きのみブレンダーを凝視していたほむらは、目を輝かせながら振り替える。これもアチャモの頃から変わらない、にっこりスマイルを浮かべ、大きく頷いた。
サファイアの大好きなそれだった。



☆★☆



 案の定、観戦席の面積辺りの人間数は凄まじいものだった。マイク放送をする審査員長の声すら聞こえなくなるほどの声援、結局ほむらが迷子になったほどの人口密度。そのどれをとっても「異様」としか言い表すことはできない。

 これにはサファイアも流石に諦めを見せ、一人と一匹は当初の予定通りミナモデパートへと向かう。相変わらずの灼熱が肌を焦がす。

 ほむらがポロックを口にする。
「うっ、ほっぺたが落ちそうになったわ!? 罠!?」
「お菓子に罠は仕掛けないんじゃないかな」
「やっぱ暑いわね今日」
「そうだねー。でも会場の中よりはマシじゃない? あんな蒸し暑いのほんと勘弁だよ」
「まあ確かにあれもあれできつかったわ。それにしても喉乾いた」
「デパートの屋上に自販機あるはずだよ?」
「……サフィはさらに太陽に近づきたいの……!?」
「でも、飲み物買えるのそこくらいしか思い付かないよ」

 コンテストが始まったのか、外に出ている人はかなり減った。その分お日様が自分達だけを虐めているような気がして、ほむらはいない人々を恨んで溜め息をついた。紛れもない冤罪ではあるのだが。

「ほら、もうすぐだよほむら!」
「ああ、あれね」

 自動ドアのセンサーが、気温より微妙に高い体温を感知した。心地良い音を鳴らしながら開くドアがその動作を止めるより前に、ほむらは思わず叫んでいた。

「超涼しい……!」

 真夏の日差しで火照りきったほむらにとって、そこは天国以外の何物でもなかった。

 ミナモデパートは、全5フロアと屋上から構成されている。
 まず入り口を通ってすぐに目につくのは、一日一回無料の福引きコーナー。箱の中から一枚引いて、めくる形になっている。そのシステムの単純さから、代わりにポケモンが引くということもできた。

「残念でしたー! これ参加賞のモーモーミルクね、ワカシャモちゃん!」

 ただし、システムの単純性と当たるかどうかは全く関係がない。

 福引きを終え、サファイアとほむらは五階へ上がる。もう極力歩きたくないというほむらの意見を反映し、彼女らはエレベーターを待つこととなった。

「ていうか、歩きたくないならボールに入ってればいいじゃん」
「それじゃ流石につまんないわ」
「まあこの混み具合ならはぐれることもないだろうしさ、別にいいんだけどね」
「折角来たんだから」
「それさっき私が言ったよ」
「…………」

 第5フロアは、最下層のそれと違い、非常に派手な作りになっていた。
ところ狭しとポスターが並び、床にはカラフルなマットが敷き詰められている。
極めて一般的な女の子感性を持ったサファイアにとって、そこは天国以外の何物でもなかった。

「ほら見て見てほむら! ピンクのバンダナ! ほむらに似合いそうじゃない!?」
「そんな派手なの私に似合わないわよ。私には、青とか落ち着いた色で十分」
「そうかなー。女の子なんだから、もっと可愛いのにすればいいのに……」

 ぶつぶつと呟くサファイアから、ほむらは少し距離をとる。その歩みの先はポケドール売り場。興味なさげに商品を見回すほむらの目が、ひとつの人形に止まった。白と水色のもふもふ。

「可愛い……」
「なになに? それ欲しいの?」

 無意識に手に取っていた。肩越しにそれを見つめるサファイアの顔には、でかでかと「やっぱ可愛いもの好きだよねほむら」と書いてある。微妙ににやけた唇が、それを強調する。

「ちっ、違うの、別にこれが欲しいとかじゃなくて、えと、この人形に魔法がかかってたのよっ! その愛らしさから見るもの全てを魅了する魔法が! だから、私がこの人形を――」
「つまり、これ欲しいの?」
「欲しいです」

 二度目を聞かれたら答えてしまった。だって仕方ないじゃない可愛いんだもの、と心の中で反論する。

「まあ確かに、このチルットドールが可愛いってのはわかるよ。これ買ってくるね」
「……ありがと」

 ぱたぱたとレジへ向かうサファイアの背中を見送り、ほむらは他の人形達を振り返る。チルットドールに目がいく度、頬が緩む。隣、隣、隣……。

 ハスボードールを見て、思い出した。

「お待たせほむら、買ってきたよ! はいこれ」
「……」
「ほら、来て良かったでしょ?」
「そうね。来て良かった」
「あー楽しかった! じゃ、そろそろ帰ろっか」
「その前にサフィ」
「なに?」

「喉乾いたって」

「ああ、さっきそんなこと言ってたね。ごめんごめん」

 五階から屋上へ、何故かエレベーターは通じていない。これは設計者の陰謀か、夏の悪夢の偶然か。どちらにせよ、ほむらが嫌がる階段を使う必要があったことには変わりはなかった。

 先程たっぷり休んだサファイアよりも、そのサファイアを運んだほむらの方が階段の負荷 は大きい。ひぃひぃ言いながら一段一段を上るほむらの手を、サファイアが上から引く。その様子は、まるで本当の姉妹のようでもあった。

 真ん中の黒いのをポチ。少し大きめの衝撃をたてて、少し大きめの缶が落ちてきた。軽快な音を鳴らしてプルタブを開けると、黒い炭酸の独特で爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

「ぷふぅ、生き返ったわ」
「あ、当たった。もう一本」

 天気予報が当たったのか、買い物をしている間にかなり雲が出てきていたらしい。先程までの強い日差しはどこへやら、不穏な空模様が展開され始める。最初の一粒が落ちれば、ギリギリを保つバランスは一瞬で崩れる。

 それは、降りだす前に帰ろうか、そんな相談をしている頃。

「ねぇ、きみ」

 唐突に話しかけてきたその男性は、サファイアとほむらの運命をねじ曲げる。

■筆者メッセージ
読んでいただきありがとうございました。
露草長靴 ( 2014/11/29(土) 22:10 )