Expedition - 2 大切な宝物
――湿った空気が鼻孔をくすぐる。
すぐ側が海ということもあってか、潮特有のほのかな芳しい香りがスパイスとなって、独特な風味と刺激が与えられる。
どこからか海水が漏れだしているのだろうか、遠く離れた所から、ぴとんぴとん、と水滴の落ちる音が聞こえてくる。
それ以外は全くの無音。時折聞こえてくる唸るような音を除けば、不気味なまでに辺りはしんと静まり返っている。まるで、此処とは別の次元に通じていて、入ったら最後、二度と戻っては来られぬのではないかとの錯覚を覚えそうになる。
そんな静寂が支配する空間のなか、響き渡る小さな足音が2つ。
「――ねぇ。あんまりぴったりくっつかれると歩きにくいんだけど」
突入後、しばらくは現状に目をつぶっていたピカチュウであるが、とうとう限界に達したのだろう。ため息の後に、呆れた口調で口を開きながら振り返った。
「……あ、うん。ごめん」
言われてナエトルはすぐに半歩下がってピカチュウから距離を取る。しかし、その幅はかなり小さい。はた目からすれば先ほどまでとあまり大差ない。
ピカチュウが再び歩きだすと、その歩幅に合わせてナエトルもぴったり後をついてくる。その姿はさながらマンタインに貼りつくテッポウオである。
びくつきながら周囲を警戒しつつ歩くナエトルの様子に、ピカチュウは頭を抱えそうになり、再びため息をつきたくなった。
ここは海岸から程近くにある洞窟の中。
ピカチュウとナエトルは、ナエトルの宝物を奪っていった2人のポケモンの後を追って中へと足を踏み入れていた。
内部は割と広い空間が広がっており、ところどころから湧きだした海水がいたるところで水たまりを作っていて、野性のポケモンが住めるような環境が整えられていた。事実、歩いている途中でピカチュウ達は
洞窟で暮らしているとおぼしきポケモン達と何匹か遭遇している。だが、その度にナエトルが逃げ出してしまい
戦闘には至らなかった。
そして
現在は、逃走防止の為、ピカチュウが先頭を歩いているという状況であった。
「――でもさあ、ピカチュウってものすごくせっかちだよね」
洞窟に入ってしばらく経ってのち、ようやく内部に慣れてきたのか、ナエトルが口を開く。
「そうかなぁ?」
いきなり欠点のように指摘をされてもそのような自覚のないピカチュウは曖昧に返事を返すしかない。
その返答に、ナエトルはこっくりと首を頷かせて、
「そうだよ。だって、ボクのこと無理矢理引っ張って
洞窟に入っちゃうんだもん」
頬を膨らませてむくれるナエトルに、何を言いたいのかを察したピカチュウは眉をひそめた。
……なんだ。根に持っているのか。さっきのことを。あれは誰がどう考えたってワタシに非はないはずだが。
「ワタシから言わせてもらえば、キミは優柔不断で決断力がない様に見えたけど?」
毒を以て毒を制すとはこのことか。先ほどのお返しというわけではないのだろうが、ピカチュウはこれまでのナエトルの立ち振舞いなどから総合的に判断したことをありのままに告げた。
「う゛っ。
……そうなんだよね」
事実を言われ、ナエトルの声の
調子が段々と下がっていく。ピカチュウの指摘に肯定はしたものの、やはり多少のダメージはあったのだろう。頭上に生やした2枚の若葉が、目で見てわかるほどに萎れていた。
「――で、でもね! ボクだってこのままじゃいけないと思ってるんだよ?
変わらなくちゃいけないって。
その為にも今、色々とがんばってるし……!」
「心掛けは立派でもそれに見合う行動力がないとねぇ。
行動を起こさないと、何を言ってもそれはただの口先だけの出任せにしか聞こえないよ?」
「うぅぅ…………」
ピカチュウの言葉に反論できず、ナエトルはとうとう沈黙せざるをえなくなってしまう。
ピカチュウに言われたことは全部、今の自分の状況に当てはまりすぎている。だから反論したくてもしようがなかったのだ。
それきり会話は途絶え、洞窟内に本来の静かな空間が広がっていく。ピカチュウは、黙ってしまったままのナエトルを肩越しにチラリと見て、息を吐いた。
……しょうがないなぁ。
「……でも、まあ、確かに想うことは大切かもね。
考えなしに行動しても、それはただの無鉄砲としか思われないから」
「!……う、うん!」
ピカチュウのフォローに、ナエトルは弾かれたように顔を上げ、ぱっと表情を輝かせる。
ナエトルが元気を取り戻した様子を見て、ピカチュウもニコリと微笑んだ。
……それにしても、今の言葉。
捜索を再開したピカチュウは、歩きながらナエトルに言った言葉を頭の中で
再生する。落ち込むナエトルを元気づけようと無意識に出た言葉だったが、なぜかピカチュウにはこの言葉に引っ掛かりを覚えていた。
……なんだか、昔どこかで聞いたような気が……自分で言ったのか、誰かに言われたのか、それはわからないけど。
ピカチュウがもの思いにふけっていると、後ろにいたナエトルから、あっ、という声が洩れるのが聞こえてきた。
ピカチュウは顔を上げる。
先の方から光が漏れている。どうやら一番奥まで辿り着いたらしい。
ここまで、あの2人組の姿を、ピカチュウとナエトルは見ていない。となると行き着く結論はただ一つ
2人は互いを見合いこっくりと頷き合うと、奥に向かって走り出す。近づいていくにつれ、まるでこちらを迎え入れるように輝きを増していく光の中へと、迷うことなく、勢いよく飛び込んでいった。
――たどり着いたのはちょっとした広さを持つ空間であった。特殊な鉱物でも含まれているのだろうか、そこは外と同じくらいの明るさが保たれていた。
ピカチュウとナエトルは辺りを見回す。
そこに――
「いた」
ドガースとズバット。逃げたあの2人組の姿があった。だが2人はまだピカチュウ達に気付いていない様子。
ピカチュウはナエトルの横に並ぶと、軽くナエトルの甲羅を小突いた。あの2人に、何か声をかけろという
意思表示だった。
ピカチュウの意図を察したのか、ナエトルは大きく目を見開きぶるぶると首を横に振って拒否反応を示す。
だがピカチュウは無言でこちらを見つめたまま。何もしようとはしない。その視線が、物を盗まれたのは自分なのだから自力でなんとかしろ――と物語っているように感じたのは決して気のせいではないだろう。
それにより理解する。この場において、ピカチュウは自らの意志で行動を起こすつもりはないのだと。助けを求めることはできぬのだと。その対応はナエトルを絶望のどん底にたたき落とす十分な厳しさを備えていた。
ピカチュウが動かないことに、早くも泣きそうになるナエトルであるが、抵抗は無駄だと悟ったのか、震える体にムチを打って、やがて意を決して大きな声で叫んだ。
「……ぉ、おい!」
腹の底に力を入れて目一杯出したはずが、思っていたほど大きく出なかったその声に気付いて、ようやくドガースとズバットはピカチュウ達の方へと振り向く。
「なんだ。誰かと思ったら、さっきの弱虫くんじゃないか。
何しに来たんだ? こんな所へ」
相変わらず相手を見下すような態度のドガースに対し、問われてなんと答えていいかわからず、ナエトルは口をぱくぱくさせることしかできない。
そこへ、すかさずズバットが、
「迷子にでもなったのか?
なら、出口はあっちだぜ? ヘヘッ」
笑いながら元来た道の方を指差してきた。
それが何を意味しているかはコイキングでもわかる。
ピカチュウは、ナエトルがズバットの忠告を受け、即Uターンするのを防ぐため、こっそり背後に回り込み、その背中を押すようにさらにナエトルを小突いた。
「……ぼ、ぼぼぼボクの宝物返してよ!
あ、あああれは、ボクにとって、とっても大切な
宝物なんだから!」
僅かに息を切らしながらも最後まで言い切ったナエトルの様子を見て、ピカチュウは満足そうに頷く。
だが、小悪党にとってはナエトルの一世一代の担架も大した、いや、まったく迫力もなかったようで。聞き終えるなり、ドガースとズバットは、軽く鼻で笑い飛ばしてしまう。
「ほぉ、宝物ねぇ?
やっぱり珍しいものなんだな? これは」
「どこかで売っ払っちまえば高い値がつくかもしれないぜ?」
「ヘッ。そんなこと言われちゃあ、余計返せなくなったぜ」
「……そ、そんなぁ」
ナエトルはすっかり腰が引けていた。先程までの気合いは一体どこへやらである。その様子に、ピカチュウは呆れた様子でやれやれとため息を吐いた。
……まぁ、ここまで追ってきてあれだけのことが言えたのだ。今のナエトルにしてみれば上々だろう――そう思うことにした。
ピカチュウは一歩前に出る。
「まぁ、そう言わず。
ここはワタシに免じて返してくれないかな?
ペンダント」
顔には笑顔を湛えて、しかしその体からは厳かなオーラを漂わせながらピカチュウは口を開く。
その言葉で、ようやくピカチュウの存在を認めたドガースとズバットの2人は、その迫力に気圧されたのか、僅かにたじろぎながら動揺の表情を浮かべた。
「……な、なんだ? お前」
「
ナエトルの仲間かよ?」
「ううん。違うよ?」
『えぇっ!?』
迷わずはっきりきっぱりと言い放ったピカチュウの言葉に、ピカチュウを除く全員が声を上げる(ちなみに全員とは勿論ナエトルも含まれている)
「……こ、こういう時はお世辞でもいいから仲間だっていうもんだろ? フツー」
ナエトルに同情したのか、はたまた混乱しているのか、悪人らしからぬ発言をするドガース。その顔に貼りついた動揺が、先ほどよりも一層濃くなっていた。
「だって、さっき知り合ったばかりだし。友達でも何でもないし」
『冷たっ!』
ドガースとズバットの声がきれいにハモリを上げる。ちなみに今の一言でナエトルは目を点にして体を硬直させていた。
小悪党2人に有利だと思われていた状況は、ピカチュウという予想外の存在により一変する。
もはや、この混乱した空間をどうやり過ごせばよいかわからないのは、この場にいる全員だろう。唯1人を除いて。
そんな、唯1人であるピカチュウは、口の端を上げ、したり顔を浮かべていた。
相手の動揺を誘うために咄嗟についたでたらめだったが、どうやら相手は見た目通り小者らしく、見破られることもなく上手くいったようである。
……これならなんとかなるかもしれない。
ピカチュウは表情を引き締め、未だ困惑で固まる3人に呆れながら口を開いた。
「……でも、
宝物を
盗られて、困ってる姿を見たら、助けるのは当然でしょ?」
「……ピカチュウ……」
その言葉に、ナエトルは硬直を解き、少し涙ぐんだ
表情でピカチュウを見る。
だが、ドガースとズバットも僅かに身動ぎはしたものの、引く気は全くないらしく。
「……ふ、ふん!
取り返したきゃ、力づくで奪い返すんだな!」
そう言い終えると同時にドガースは上空に浮かび上がる。
相方が上へと逃れるちょうどタイミングを見計らい、ズバットは翼を大振りにはためかせた。ドガースが喋っている間に、パワーを溜めていたのだ。
「エアカッター!」
羽ばたきにより圧縮された空気が刃となり、雨となって、ピカチュウとナエトルに襲いかかる!
「わあぁぁぁ!」
迫り来る無数の風の刃に圧倒され、思わずナエトルはその場にしゃがみ込んでしまう。殻にこもる体勢を取りつつ薄目で見てみれば、降り注ぐ三日月状の刃が着弾し、地面を切り裂いたような筋状の浅い軌跡がいくつも残っていた。まるで、チーズを切るかのようなその切れ味の鋭さに萎縮し、ナエトルは益々身を縮めてしまう。
無数の不可視の刃が迫るなかしかし、ピカチュウは怯むことなくそれらを全てジャンプで軽やかにかわしていく。
『なっ!?』
ドガースとズバットは思わず声を上げた。かわされるなどとは露程も思っていなかったのである。
2人が驚き呆けるその隙に、ピカチュウはすたりと地面に着地した。
「言い忘れてたけど、ワタシ結構強いよ?」
不敵に笑うと、今度は壁を蹴り、ズバットとの距離を一気に詰めていく。相手が空を飛んでいることは、ピカチュウにとってあまりハンデにならないようだった。
「なっ! しまっ!?」
空という慢心と驚きから完全に油断していたズバットに向かって、ピカチュウは回し蹴りを食らわせようと体を捻る。
だが――
スカッ!「……あら?」
蹴りは空しく空を切っただけ。
支えがないピカチュウはそのままの体勢で落下していく。
「ぅわきゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
めみっ。『…………………………』
言葉を失う一同。辺りの空気が完璧に凍りつく。
「……あたたたた。
――そっか。ワタシ今、ポケモンなんだっけ。
どうりで足のコンパスが短いと思って――」
ピカチュウは腰をさすりながらなんとか起き上がる。
「……ん? ポケモン?」
ふと、ピカチュウはそこで我に返る。
――そっか。ワタシ、今ポケモンなんだ。
ってことは、さっきから感じてるこのピリピリした感じは……もしかして――
ピカチュウはポケモンになってから、人間の時にはない、不思議な感覚を感じていた。
血液とは違う、全身を巡る特異な気の流れ。それがなんであるのか、ピカチュウにはわからなかった。
だが今ならわかる。そしてそれによって、自分が今
電気ネズミであるということをはっきりと自覚する。それは、ピカチュウがポケモンとしての本能を目覚めさせた瞬間であった。
「……な、なんだか、強いんだか弱いんだかよくわからんヤツだな」
「あ、ああ」
さすがにどう対処していいのかわからず困惑するドガースとズバットの2人組。
「……ピカチュウ……」
ナエトルも、ピカチュウの身を案じていたが、自分がどうにかしようという動きは全く見せなかった。全くもって見事なまでのヘタレっぷりである。
「ゴメンゴメン。まだこの
現状に慣れてなくてさ」
不敵な笑みを浮かべて立ち上がるピカチュウ。それは開き直りのようにも、起死回生の一手を見出したようにも見える。
「……でも、ここからが本番! 遠慮なく行くよ!」
そう言うと再びピカチュウはドガースとズバットに向かって走っていく!
「バカなヤツッ! 自分から突っ込んでくるなんてな!
今度こそ食らえ! エアカッター!」
再び発生した無数の風の刃がピカチュウに向かって飛んでいく。
だが、ピカチュウは体を倒し、4足歩行の姿勢を取ると、後ろ足を思い切り蹴って先程までとは比べものにならない
速さで駆けていく。
右へ左へ。ジグザグに走り回ることで、着弾する寸でのところで全て避けきってしまった。
「んなっ!? さっきより速いだとぉ!?」
ピカチュウは左側に体重をかけてブレーキをかけると、土煙をあげながら静止する。
「――うん。こっちの方が速く走れる。なんか変な感じはするけど」
ピカチュウは元々、4足歩行を主とするポケモンである。人間のように、2本足で歩くことも走ることも不可能ではないが、やはり走るとなるとその速度には雲泥の差が出てくる――ピカチュウの生態を詳しく思い出した結果取った行動は正しかったようである。最初の攻防よりも楽に動くことができた。
「な、生意気なぁ! ヘドロ爆弾!」
業を煮やしたドガースが、口からコールタールのような黒い粘性の物体を発射する。
ヘドロ爆弾は、相手に触れた瞬間に爆発する揮発性の高い危険なヘドロである。
だが、これもピカチュウは後ろ足に力を込め、思い切りジャンプすることで、さっきよりも高い跳躍で難なくかわしてみせた。
そして、落下しながらドガースに接近していく。
それを見たドガースは、またさっきのように蹴りがくると予測した。
「また
回し蹴りか!? んなもん当たらな――」
バシィッ! 嘲りの言葉を遮って、突如衝撃は上からきた。
ピカチュウが尻尾でドガースを叩き落としたのだ。
「残念。
尻尾が
本命」
落下の威力も加わった重い一撃に加え、今の一撃が急所を捉えたようでドガースは完全に目を回す。
まずこれで一体ダウン!
ピカチュウは着地して、同様に地面に落っこちたドガースに目をやる。
見れば、ドガースが倒されたことに驚いたズバットが、慌ててドガースの元に駆け寄っていく姿が目に入った。
「ド、ドガース!?」
「さて、と。それじゃあ……これで決めるわよ!?
行くわよ! 電気ショーーーック!」
ピカチュウの両頬が黄色く光ったかと思うと、次の瞬間、バチリという音が弾ける。まるで空気が破裂するような音がしたかと思うと、次の瞬間には電気袋に溜まった電気が一気に放出されドガースとズバットを強襲した!
ぴバシィィィィィィーーーーーーーーー!『うぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?』
全身に弾ける感触が襲いかかり、訳のわからん悲鳴を上げるドガースとズバットの2人。体の細胞1つ1つがスパークし、今にも爆発しそうであった。
それからどれだけの時間が流れたのか。ふいに、ピカチュウは放電を止める。それと同時に、感電から解放された2人は、どさりと音を立てて崩れ落ちた。焦げた匂いを漂わせながら体を帯電させ、目を回す2人の姿は、もはや戦闘不能であるのは誰が見ても明らかだった。
「どお? まだ
戦る?」
ピカチュウは電気袋をバチバチと光らせながら一歩前に出る。
それは、戦いを続けるのならば遠慮はしないという――明らかな警告であった。
「……うぅ、ちくしょぉ……」
体を焦げ付かせながらも、ズバットはよろよろと起き上がる。
「ちぃっ! こんな
欠片、頼まれなくったって返してやるよ!」
ドガースも、ふらつきながらなんとか浮かび上がると、悪態をつきながらペンダントを放り投げた。
「お、覚えてろ!」
悪役丸出しの捨てゼリフを残すと、ドガースとズバットの2人は慌ててその場を走り去っていった。
それを見届け、ピカチュウは軽く息を吐き、呼吸を整える。
対するナエトルは、呆然とした様子で一連の出来事を見ていた。
「……ス、スゴイ。
強い……」
……ピカチュウって、ホントに強いんだ。
わずか数分の間に、たった1人であの2人組を負かしてしまったピカチュウの手腕に、ナエトルは感嘆の息を漏らす。そして、心の中で、突き動かすような何かが動くような感覚を覚えた。
「ハイ」
唐突にかけられた声で、はっとしたようにナエトルは我に返る。
そこには、いつの間に拾ったのか、ペンダントをナエトルの前に差し出すピカチュウの手が。
「あっ! 遺跡の欠片!」
「これはキミの宝物。もう何があっても手放しちゃだめだよ?」
「うん! ありがとう、ピカチュウ!」
ナエトルはペンダントを受け取ると、それを大事そうに握りしめた。
「さて。こんな所、さっさと出ちゃおうよ」
そう言うと、ピカチュウは出口に向かってさっさと歩き出す。
その後に続こうと、ナエトルもピカチュウの方を向いた。その時――
風が。揺らめいた。
ピカチュウの後ろに、白い陰影を、ナエトルは見た。ポケモンではない何か。たなびく衣をまとうその姿は、これまでどの本でもみたことない、どこか神聖な雰囲気を醸し出しているように見える。ナエトルが、これまで見たことない生き物の姿だった。
びっくりして数回瞬きをしてもう一度ピカチュウの方を見る。
――だが、今度は何も見えない。
「……今の……何?」
気のせい、だったのだろうか――
ナエトルは言葉をなくして暫し呆然としてその場に立ち尽くす。
そこへ、
「何してんのーー?
早くーーー」 呆けるナエトルの耳に、ピカチュウからの声が聞こえ、ナエトルは我に返る。既に遠くの方を歩いていて小さくなっているその姿に、置き去りにされることを恐れ、ナエトルは慌ててピカチュウの後を追いかけるのであった。
こうして、無事目的を果たした2人は、海岸の洞窟を後にしたのだった――
――「本当にありがとね!」
ナエトルはそう言って何度も頭を下げる。胸元には、無事取り返した石の欠片のペンダントが、元の場所へ戻ったことを喜んでいるかのように、ゆらゆらと揺れていた。
2人は洞窟から、元の美しい海岸へと戻ってきていた。
心の底から嬉しそうに笑うナエトルとは対称的に、ピカチュウはなんともいえない複雑な表情を浮かべていた。
……成り行きとはいえ、つい勢いで助けちゃったけど、本当に良かったのかなぁ。
ピカチュウは勢いまかせで行動してしまった自分の行いを反省していた。
今回はたまたま相手が弱かったから良かったようなものの、もし相手に仲間などがいて、自分よりも強かったら――? 怪我だけじゃ済まなかっただろう。そう考えると、今回は運が良かったといえた。
だが、ナエトルが本当に嬉しそうな表情でこちらを見ているのを見て、ピカチュウは考えを改めることにする。
――まあ、いっか。感謝されて悪い気はしないもんね。
「さっき盗まれたものだよ」
いつの間に外したのか、ナエトルペンダントの先の石をくわえ、それをそっと砂浜の上に置いた。
「これはね、遺跡の欠片っていうんだ。
――と言っても、ボクが勝手にそう読んでるだけなんだけどね」
「へぇ……」
えへへ、とはにかむナエトルを前に、ピカチュウは欠片をのぞき込む。
ただの石にしか見えないが……一体どこがすごいのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのかわからないが、ピカチュウの疑問に答えるかのように、ナエトルは話を続けた。
「一見ただのガラクタのようにも見えると思うけど。よく見て。不思議な模様が描かれてるの。わかる?」
言われてピカチュウはじっと目を凝らす。
よく見ると、石の表面に白っぽい線で何かの模様が描かれているのが見えた。それは華のようにも、何かの紋章のようにも見える。
「本当だ……何か不思議な感じ……」
「ボクね、
以前から昔話や伝説が大好きで、そういう話を聞いたり、本を読んだりするのが大好きだったんだ」
嬉嬉として言うナエトル。その瞳には憧れの色が宿っていた。
「謎の遺跡とか未開の地、そしてそこに隠されたたくさんの財宝!
もう考えるだけでワクワクしてくるんだよ! そう思わない!?」
「えっ!?……まあ」
熱のこもった視線で見つめられいきなり同意を求められてもどう返せばいいかわからず、返答に困るピカチュウ。若干引き気味になりながら、適当に相づちを打っておいた。
しかし、話し始めるうちにスイッチが入ってしまったのか、それに気付くことなく、ナエトルは話し続ける。
「そしてある日、ふとしたことで拾ったのがこの遺跡の欠片なんだ。
きっとこの模様には何か意味がある。
この欠片が、伝説の場所へと導く鍵になっている。
いつしかそう思うようになったんだよ」
力説しながらナエトルはいとおしそうに欠片を見つめている。それはまるで恋人を見つめるかのように。
その姿を見て、ナエトルが本当にあの欠片を大事にしているのだなというのがわかり、ピカチュウは微笑を浮かべた。
「だからね、ボクはこの欠片の謎を自分で解きたいって思ったんだ。
そしてその為には、探検隊になるのが一番いいって考えて弟子入りしようと思ったんだ。
――けど」
「けど?」
「……ボク、意気地無しでさ……」
「あー……」
ナエトルは白状するような言い回しで言うがピカチュウにはよくわかっていた。
弟子入りしようとしてできないナエトルの姿が容易に目に浮かんできた。
「……いつも、入口の前までは行くんだけど……」
「手前で引き返しちゃうんだ」
「えっ!? うそ! 何でわかったの!?
ピカチュウって
超能力者!?」
……いや、誰でもわかるって。
のど元まででかかった言葉をなんとか押さえ込み、ピカチュウは心の中でツッコミを入れる。
「それでさ。あのぅ……ボク、ピカチュウにお願いがあるんだけど……」
「お願い?」
イヤな予感。
直感的にそう感じ取り、ピカチュウは眉をひそめる。
「お願い! ボクと一緒に、探検隊やってくれないかな!?」
……ほら来た。
いきなりといえばいきなりのお願いに、頭痛がしそうになりピカチュウはこめかみを押さえる。
「さっきドガース達を倒した実力。
あれを見てボク、ピカチュウはただ者じゃないって思ったんだ。
ピカチュウならきっと、一流の探検家になれる! そう思ったんだよ!」
熱弁振るうナエトルに対し、ピカチュウはジト目でナエトルの方を見て、
「……何か、うまく丸め込もうとしてない?」
「ぎくっ!
……そ、そんなことない!……よ?
そりゃあ、ボクは意気地無しだし……ピカチュウのことを頼りにしたいと思ってるよ?」
……やっぱ、
他人任せが目当てかっ。しかもはっきり、ぎくっ、言ったしっ。
突っ込みたい気持ちをなんとか抑えつつも、ピカチュウは黙って話を聞いている。
「……でもボク、ピカチュウと一緒にいると、勇気がでてくるような気がするんだよ。
遺跡の欠片だって、ピカチュウが一緒だったから取り返すことができたし……きっとボク1人だったらとっくに諦めてたよ。
ピカチュウと一緒なら、ボクも頑張れるような気がするんだよ!」
……心の底から気のせいです。
ピカチュウはまたまたツッコミを入れる。
「んー……でもねぇ、大体、探検隊ってゆうものがよくわかんないし」
「探検隊は、依頼を受けて困っているポケモンを助けたり、未開の地を探検したり、財宝(おたから)を探したりするんだよ!
どう? 面白そうでしょ!?」
微塵もそんな気がおきないピカチュウ。その表情は変わらず冷静なまま。
「けどワタシ、今までの記憶がないし……」
「だ、だから、いろんな所を探検していれば、いつかその原因がわかるかもしれないよ!?
ピカチュウがポケモンになっちゃった
理由も!」
もう一押し! とでも言うかのように尚もナエトルは押してくる。しかし、それでもピカチュウの表情は変わることはない。
早くも万策尽きようとしているナエトルに残されているのは最後の手段。奥の手であるとっておきを出すことだけであった。
「それともピカチュウ、どこか他に行くあてとかある?」
「う゛っ!?」
――イタイ所を突いてきた。
いきなりのカウンター攻撃にピカチュウは思わず呻いてしまう。
確かに右も左もわからぬこの世界。
自分は何故かポケモンになっているし、知り合いも他に誰もいない。この状態で1人投げ出されたら少々キツイものがある。
今ここで頼みの綱といえば、目の前にいるナエトルだけなのだが――
……といっても全然頼りになりそうにないけど……
ピカチュウは軽く息を吐くと、なにやら覚悟を決めたように頷いた。
「……た、確かに行くとこもないし。
これからどうしたらいいのかもわからないしね」
「じゃあ!」
「いいわよ。探検隊、やるよ」
「本当!? 本当に!?」
確認のため、ナエトルは何度も何度もピカチュウに尋ねる。
それに答えるように、ピカチュウは何度も何度も頷いた。
幾度かそのやり取りを繰り返しているうちにようやくナエトルも納得がいったのか、顔を綻ばせ満面の笑みを浮かべ、
「やったぁ! ありがとう!
ボク達、絶対いいコンビになるよ! ヨロシクね!」
「こちらこそ。よろしくね
相棒」
「うん! うん!
ピカチュウに負けないように、ボクも精一杯頑張るよ!
一緒にがんばろうね!?」
ナエトルは心の底から笑顔で言う。
ピカチュウもそれに頷き、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、まずはギルドに行って弟子入りしよう。
そこで探検隊の修行ができるんだよ。
修行はすっごく厳しいらしいけど――でも、がんばっていこうね!」
「うん。それで、そのギルドってどこにあるの?」
「この先を行った崖の上にあるよ。ついてきて!」
先ほどまでの控えめさがウソのように。言うが早いか、ナエトルは海岸の洞窟があった方角と逆の方へと走り出す。
いきなり積極性を見せたナエトルに反応が遅れ、ピカチュウは慌ててそれについて行った。
こうしてピカチュウは、ナエトルと共に、探検隊という新たな一歩を踏み出すこととなった。
一方その頃――
――ピカチュウがギルドを目指して歩き出したその同時刻、別の
場所で別の場所を目指す
陰がいた――
場所はギルドから遠く離れた東の森。
訪れる者も滅多にいないその場所は、いつしか
忘却の森と呼ばれるようになっていた。
針葉樹が青々と生い茂り、天候も不安定なそんな過酷で厳しい場所に1人、陰は立っていた。
小高い丘に登ったその陰は、辺りをぐるりと見回す。
「――ここが、そうなのか」
頭上に生えた長い草がたなびき、視界を軽く遮る。
陰は、それをうっとおしそうに左へと払った。
本来ならこの自然現象をゆっくりと堪能したいところであるが。だが、いまこの者にそんな余裕は一切ない。
「――ここが運命の地……世界が
変革わる……始まりの場所――」
陰はそう言うと左腕に巻かれたバンダナをぐっと握りしめる。
やがて顔を上げ、きっと正面を見据え、
「……まずは――『始まりの森』へ」
陰は鮮やかな跳躍を見せると、地を蹴り、一気に丘を駆け下りていく。
「……
崩壊……開始だ――」
瞳の奥に固い決意を秘め、陰は目的地を目指して、迷うことなく一直線に走り抜けていった――