Expedition - 1 夕焼けの浜辺
――その日、世界はいつもと違う意味での賑わいを見せていた。
普段ならば日没まで明かりが灯っているはずの店々のシャッターは今や完全に締め切られ、民家の扉も固く閉ざされている。
家路を急ぐポケモン達の足は足速で、その表情はどこか不安げだ。
これからやってくるであろう大きな災いを恐れているような――そんな様子だった。
「はい、リンゴが3つにオレンの実が2つですね。お待ちどうさま〜♪」
そんな町の様子とは対照的に、軒並み並ぶ商店街で、唯一灯りが灯っている建物から明るい声が聞こえてきた。
万屋――カクレオン商店だ。
「すみませんカクレオンさん。こんな日に遅くまで店を開けてもらって」
店主から商品の入った紙袋を受け取った、おそらく本日最後の客――全体はまん丸で、胴にちょこんとついた短い手足以外は頭部についた耳も、ギザギザの先端についた尾も全てまん丸な青色のネズミ――マリルが申し訳なさそうな様子で口を開く。
対して、店の主人である――腹部の赤いギザ模様が特徴のカメレオンのようなポケモン――色変化ポケモンのカクレオンは、にっこりと笑顔を見せ、
「大丈夫だよ〜。
うちの商品を望むお客様がいる限り、例えフリーザーが猛吹雪を起こそうがルギアが大嵐を引き起こそうが、どこへだって出向くのをモットーとしているのが我々カクレオン商店連合会だからね〜。
だから気にする必要なんて全然ないんだよ〜♪」
いきなりフリーザーだのルギアだの、お伽噺でしか聞かないようなポケモンを名指しで例に上げながら力説する
店主にどう対応していいかわからず、マリルは苦笑いを浮かべている。横では、弟である――やはり全体が青色でまん丸――みずたまポケモンのルリリが、自身と同じ大きさの尻尾の上に乗せた豪華な装飾が施されたリングを見つめながら、退屈そうにゆらゆらと揺らしながら話を聞いていた。
「それに、お母さんの病気なかなか良くならないんでしょう?
お母さんの代わりにお家のことを自分達でやってて大変なこともあるでしょう。
2人が買い物に来る時は何時まででも店開けて待ってるつもりだから、気にする必要ないからね」
「ありがとうございますカクレオンさん」
カクレオンの好意に申し訳ないと思いながらも、嬉しそうにマリルは笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん、早く行こうよぉ」
そこへ、ついに世間話に耐え切れなくなったのだろう。ルリリが尻尾の上に乗りぴょんぴょん跳ねて抗議をしだした。
「おっと。すっかり話し込んでしまったね。
ルリリちゃんの言うとおりだよ。もうすぐ嵐が来るそうだから早く帰らないとね」
「ありがとうございます。
行こうルリリ」
「うんっ」
弟に短く声をかけると、マリルは今一度カクレオンにお辞儀をして入り口に向かって歩いていく。
「気を付けて帰るんだよ〜」
幼い兄弟を気遣うように、カクレオンは店を後にする小さな2つの背中に精一杯の言葉を投げ掛けながらその後ろ姿をいつまでも見送っていた。
「お兄ちゃん、今日は嵐が来るの?」
両手にたくさん木の実が詰まった紙袋を懸命に持ちながら歩くマリルの傍らで、思い出したかのようにルリリが問いかける。
「うん。さっきギルドのチリーンさんが知らせに回ってた。
お天気研究所のポワルン所長の知らせだから間違いないって」
「ルリリ嵐なんて怖くないよっ」
そういってルリリは尻尾で力強く大地を蹴ってバウンドする。まるで、自分は強いんだということを必死でアピールするかのように。
ゴムボールのごとくぼよんぼよんとバウンドするルリリの姿に、思わずマリルは苦笑いを浮かべた。
どうも弟は自分と比べて負けん気が強いようにマリルは思う。その負けん気が、兄として嬉しくもある反面心配でもあった。
「すごいなルリリは。
でもルリリは平気でもお母さんは心配するから、嵐が来る前に帰ろうな?」
「わかったっ」
力強く答えるとルリリはマリルをおいてぴょんぴょん跳ねていく。
その後ろ姿に微笑みを浮かべていたマリルであったが、数秒後にその笑顔が凍り付くこととなる
「いてっ!」
転んだ。
しかも顔面から地面に向かって派手に突っ込んでいった。
「ルリリ!」
慌ててマリルは未だ地面に突っ伏しているルリリの元へと駆け寄っていく。転んだ瞬間、かろん、という何かが落ちたような音が聞こえたがマリルは気付かない。
「大丈夫か!?」
「……ぅ、ぐすっ。へーきだよっ」
土で汚れた顔を上げて精一杯の虚勢を張ってみせるルリリ。砂粒の間から滴が零れているように見えるのは気のせいではないだろう。
マリルは苦笑いを浮かべる。
ふと。
湿った感触が鼻を叩いた。
見上げると上空から次々と水粒が落ちてきている。雨が降り始めていた。
「急ごうルリリ」
「うんっ」
この世を司る16の
要素のうち、
彼は水を司っている。雨に降られても大した苦ではない。
だが、弟と、懐に抱えた果物は別だ。マリルはルリリがついていける程度にスピードを上げ帰路へとつく。
兄弟が立ち去った後、その場にいることを選んだかのように、小さなリングだけが1つその場に取り残されていた。
風が乱れ、雷鳴が轟く。
その日は幾月かぶりの嵐であった。
それもここ数年例にない程の荒れ様で、気象学者達曰く、先の陸王海王大戦時に発生した巨大な天災に匹敵するのではないかと言わしめる程の規模であった。
未曾有の天災にか弱きポケモン達ができることといえば、家に籠もり、ただひたすら嵐が過ぎ去るのを待つことだけであった。
だが、この暴君が過ぎ去る気配は一向に見えず、むしろ益々その猛威を振るっていった。
己の持つ強大なる力を誇示するかのように――
風はさらに激しくなり、雨はより一層勢いを増していく。ごうごうと吹き荒れる風音はそれだけであらゆる物を破壊できる力を秘めているように見えた。
嵐が到来してどれほど経ったか、一際大きな雷がまるで空を別つかのように海に向かって落ちた。
その時――
ふと、何かの悲鳴が響き渡ったような気がした。
だが、雷鳴に打ち消され、声が誰かの耳に届くことは、終になかった。
そして、2つの影が、それぞれ別の場所へと、落ちていった。
――明けて翌日、昨日の嵐が嘘のような晴天であった。
町には多くのポケモンが行き交い、まるで無事嵐が過ぎ去ったことを祝うかのように賑わいを見せていた。
それはここ、トレジャータウンも同様であった。
トレジャータウンは、中央大陸の南西に位置する小さな町だ。だが、町には活気があり、遠く遠方の方から訪れる旅人も後を絶たない。
その理由はただ一つ。
ここには、ある有名な探検家が親方を務める探検隊基地――“ギルド”があるからである。
そして、そんなギルドに、今日も1人のポケモンが訪れようとしていた。
高台の頂上に響き渡る重厚な音。
鉄製の柵がシャッターのようにするすると上がっていき、中から2人のポケモンが顔を出す。
1人は、常に忙しなくぱたぱたと羽を動かすコウモリのような出で立ちをしたポケモン、ズバット。かたやもう1人は、体の所々に穴が開いた紫色の毒々しいボール状のポケモン、ドガース。
2人は、建物を出るなり盛大なタメ息をつく。
「ここの掲示板にはろくな儲け話がなかったな。ケッ」
先に口を開いたのはドガース。目的が果たせなくて不満なのか、少々不機嫌な様子。
「リンゴ届けてくださいだオレンの実探してくださいだ、ちゃちなもんばっかだったもんなぁ」
ドガースの言葉に頷くようにズバットが呆れ口調で言葉を繋げる。
どうやらこの2人は仕事を求めてこの場所へやってきたようである。が、お目がねに適う仕事がなかったようで、空振りに終わってしまったようである。
「どうするドガース」
「手ぶらで帰ったら兄貴がうるさいだろうしなぁ」
「あーあ、どっかにうまい話転がってねぇかなぁ」
ふと、ドガースが何かに気が付く。
階段を登る足音。
誰かがここへ上がってこようとしているのがすぐにわかった。
「おい、誰か来るぞ」
「隠れようぜ」
そう言って近くの茂みへと身を隠す2人。
2人が隠れるのと同時に、来訪者は階段を登り終え正体を現した。
「……………………」
それは1人のナエトルだった。
若葉ポケモンという種目に分類され、陸亀の姿を模し、頭のてっぺんに二枚の若葉を生やしたポケモンである。
階段を上がりきると、なぜかナエトルはその場を動かず、真剣な表情でギルドの入り口の鉄柵とにらめっこをしていた。
「……おい、アイツなにしてんだ?」
一向に動かないナエトルの様子を不思議に思ったのか、茂みの合間からのぞきながらドガースはズバットに向けて問いかける。
しかし、当たり前だがズバットにもわかるはずがない。ナエトルに気付かれぬよう、小声でさあ、と答えるしかなかった。
「………今日こそ。
今日こそ中に入るんだ」
それからどれだけの時間が流れたのか、ナエトルは小さく呟くと、首から下げたペンダントにそっと触れる。
やがて覚悟を決めた様子で、目の前にある格子の上に乗った。
「ポケモン発見! ポケモン発見!」
真下から上がってくる声に一瞬ビクつくナエトルであるが、それでもまだ格子の上を離れようとせず。必死になって耐えていた。だが、その肢体は少し震えている。
「誰の足型? 誰の足型?」
今度は入口の奥から別の声が聞こえてくる。
その声に体をびくりと震わせながらも、ナエトルはぎゅっと目をつむり、まだまだ粘る。
「足型はナエトル! 足型はナエトル!」
「ぅわわわわっ!?」
が、自分の名前を言い当てられたことに驚き、とうとう耐えきれなくなったナエトルは慌てて格子から離れてしまう。それを境に声は聞こえなくなり、周囲は再び静寂に包まれる。
「……ハァ。やっぱりダメだぁ」
ナエトルはタメ息をつくとペンダントをじっと見つめる。が、何度見つめても、ペンダントが励ましてくれるわけもなく、もう一度チャレンジしようという意気込みは湧いてこなかった。
「……今日も、ダメだった」
ナエトルは自分で自分の事が嫌になっていた。
ほんの少しの勇気も出せない自分が情けなくてしょうがなかった。
一歩。
たった一歩前に進むだけでナエトルの世界は大きく変わる。大げさに聞こえるかもしれないが、ナエトル自身本気でそう思っているのだから仕方ない。
他人から見れば誰にでもできる簡単なことだと笑われるかもしれない。事実、タマゴから孵りたての赤ん坊ですらできることだ。
だが、今のナエトルにはそれができない。進もうとする度に足がすくみ動けなくなってしまう。足踏みしてしまう。そのたびに自己嫌悪に陥り、ますます自信を失ってしまう。それが嫌でたまらなかった。
これまでの自分を払拭する意味を込めて、とっておきのお守りまで持ってきて今日こそはと意気込んでやって来たのだが――どうやら肝心のお守りは効力を発揮してくれなかったようである。
ナエトルはもう一度タメ息をつくと、トボトボとその場を離れ、元来た道へと引き返していく。
だが、ナエトルは気が付いていなかった。この場所にいたのは、自分1人ではないことに。
ナエトルが立ち去った後、草むらから2人のポケモンが姿を現す。
ドガースとズバット。ナエトルがやってくる直前、草影へと隠れたあの2人組であった。
「おい、ズバット。今の見たか?」
「ああ。見てたぜ。ドガース」
2人は、互いの顔を見合う。その目は、獲物を見つけた時の野生味漂うポケモンのような、怪しい光を帯びていた。
「さっきの奴、なんか持ってたよな?」
「ああ。ありゃぁ、お宝かなにかだぜ。きっと」
「なら、やるこたぁ1つだな」
「おう。ヘヘッ」
意地の悪い笑みを浮かべて頷き合うと、2人はその場を後にする。向かった先は、ナエトルが去っていった方角と同じであった。
――「うわぁ〜。キレイだぁ」
夕日で紅色に染まった海に、クラブ達が吹いたたくさんの泡が反射されなんともいえない幻想的な光景をかもし出している。赤みが強い7色に輝く美しいシャボン玉は、この世に2つとないとても貴重な
宝玉のようにも見える。それが至る所にぷかぷかと浮いていた。この世のものとは思えぬ美しいその光景に、ナエトルは暫しの間みとれていた。
「この景色を見てると、嫌なことも忘れちゃうなぁ。
いつ来てみても、ホントいいよね」
この海岸はナエトルのお気に入りの場所だ。初めてトレジャータウンにやってきたその日に、今日と同じ景色を見て、心の底から感動したのを今でも鮮明に覚えている。
以降、ナエトルは度々ここを訪れるようになる。今日のように、落ち込んだときは必ずといっていいほどに。
沈んだ気持ちを、この景色は慰めてくれる。そう思えるのである。それと同時に、明日への活力が湧いてきた。またチャレンジしてみようと前向きになれるのである。それは今日も同じだった。
「……明日、もう一度頑張ってみようかな……?
うん。そうしよう」
ふと、ナエトルは海岸線の方に目をやる。
そしてそこに、普段見慣れない物体があることに気が付く。
「あれ、何だろ」
ナエトルはそちらの方に向かって歩いていく。
はじめは漂流物かと思いさして気に止めていないナエトルあったが、近づいてみると、それは1人のポケモンがうつ伏せになって倒れている状態だというのがわかった。
「わわっ! 誰か倒れてる! たたた大変だ!」
慌ててナエトルは倒れてる者に駆け寄っていく。
「ねぇ、キミ! どうしたの? しっかりしてよ! ねぇったら!」
…………………………
誰かが呼ぶ声がする。
死にも等しい眠りのなか、その者は微かな光を感じ取る。
「……ぇ……て……起……ら……!」
うるさいなぁ。もう少し寝かせてよ……
だが、そんな小さな光も、今の自分にとっては煩わしさでしかない。
このまま、深い闇の底まで堕ちてしまえば楽になれる――まるで誘われるかのように、その者はさらに深い眠りへとつこうとする。
「ど、どうしよう。全然起きないよ」
先程から何度も呼んでみているが、倒れている者は一向に動く気配がない。相手が全く反応しないということに、時間が経つにつれ、段々とナエトルの中で恐怖が生まれてくる。そして、一つの結論にたどり着く。
……ま、まさか……
不吉な予感をナエトルが覚えたその時、
「……うっ、ううん……」
微かに呻いたかと思うと、次には小さく身動ぎし、その者はゆっくりと目を開けた。
「…………?」
「気がついた!? 良かったぁ! 動かないから心配しちゃったよぉ」
「………………」
相手が生きていたことへの安堵と嬉しさから、ナエトルはぱぁっと笑顔の花を咲かせる。
それに対する相手の表情。現状が理解できていないのか、それとも自分はまだ夢を視ているのか。とにかく、目の前の
物体に驚き、一瞬言葉を失う。
「キミ、ここで倒れてたんだよ?」
「きゃあぁぁぁぁ!
……ナ、ナエトルが……ポケモンが……喋ってるぅぅぅぅぅ!?」
やはり現実だった。
あまりと言えばあまりな状況にその者は愕然とする。
しかし、驚いたのは相手だけではない。ナエトルの方も、きょとんとした表情で相手の方を見ていた。
「きゃあ……って、もしかしてキミ、女の子?」
ぷち。
ずきゅるるぅぅぅぅぅぅぅい!「失礼ね! 誰がどう見たって女の子でしょうが!」
いつの間にやら立ち上がり、左足をだむっ、と砂浜に踏みつける相手。
対するナエトルはというと、顔を半分砂に埋もれさせ涙目でうつ伏せていた。
「……うぅ、ご、ごめん。
でも、尻尾の先が分かれてないピカチュウの女の子なんて、ボク初めて見たから」
……………………………………
ナエトルから言われた言葉を聞き、相手はさらに言葉を失う。
「………………今、何と?」
一応聞いてみる。
何かの聞き間違いという可能性を考えたからである。
「え? 初めて見たって」
ナエトルは目をきょとんとさせる。自分は何か変なこと言ったかと。
「違う、その前!」
「……女の子……?」
「もう一つ前!」
「……尻尾の先が分かれてないピカチュウ……」
「うわあぁぁぁぁぁぁ!
やっぱり、聞き違いじゃなかったぁぁぁぁぁぁ!」
ピカチュウと呼ばれたその者は頭を抱えその場にうずくまる。
その様子にどこか怪我でもしているのかと勘違いをしてたナエトルは、慌てた表情でピカチュウをのぞき込み、
「ど、どうしたの? ピカチュウ!?」
「やかまひぃ! ワタシはピカチュウじゃないっての!」
………………………………
涙目になりながら睨むピカチュウの言葉に、今度はナエトルの方が言葉を失う番だった。
目の前にいるのは確かにピカチュウ。何度見回しても、ナエトルにはそれ以外の何者にも見えなかった。
「…………えーっと、どこからどう見てもピカチュウなんですけど」
「だぁかぁらぁ!
人間なんだってば! ワタシは!」
「え? ニンゲン?
まっさかぁ〜。アハハハハハハ!」
全く信じるカケラもないナエトルは笑い出す。
その態度に、ピカチュウは怒りのあまりこめかみをぴくぴくと痙攣させる。それに連動して尻尾がぴくぴくと動き出す。
……って、尻尾!?
ピカチュウは慌てて自分の姿を見回した。
黄色い毛で覆われた両手、頭上に生えた2つの耳。そして決定打はあの、電気ネズミ特有の雷を模したギザギザの尻尾。
見るとナエトルの言う通り、尻尾の先は分かれずきれいなまっすぐの線を描いていた。

「……うそ……」
ショックのあまりピカチュウはその場にへたり込む。
これにはさすがにナエトルも笑いを止めざるを得ず、再び慌ててピカチュウの顔をのぞき込む。
「だ、大丈夫!? ピカチュウ!?」
「……だいじょばない……かも」
心配そうに見つめるナエトルに、ピカチュウは力なくそう応えるしかなかった。
……でも、一体どうしてこんなことに……?
ピカチュウは必死で
ポケモン化した原因を探り出そうとした。
だが、何も思いつかなかった。
それどころか、自分は何者で、何故ここにいるのかも分からなかった。ナエトルに起こされるまでの記憶がきれいさっぱり消えているのである。
唯一つ、自分が人間であるということ以外、なに一つ――
これにはさすがにピカチュウも驚きを隠せない。それまでの困惑した表情から一変、動揺へと変わっていった。
その様子は、傍目から見れば不審者丸出しの言動である。事実、ナエトルの見るピカチュウへの目が、先ほどから疑惑の
視線へと変わっていた。
「……キミ、何か怪しいなぁ。
もしかして、ボクのこと騙そうとしてる?」
疑いの
視線を向けられ、ピカチュウは慌てて取り繕おうとする。
「ち、違っ!
本当に人間だったの! 信じてよ!」
「……うーん、じゃあどうしてここに?
どこから来たの? 何でここに倒れてたの?」
「……それは……分からない。
何も思い出せないの」
ピカチュウの言葉に、ナエトルは目を丸くする。
行き倒れていた理由はおろか、自分のことすらわからないとは。あり得るのだろうかそのようなことが。
――いや、ある。以前なにかの本で読んだことがある。
そのような症例に、ナエトルは一つだけ心当たりがあった。
「思い出せない……って、もしかして、記憶喪失ってやつ?」
「……多分……」
ピカチュウはそう言いながら左手で頭を掻く。
推測を肯定され、ナエトルは黙り込む。
もし本当に記憶喪失であるなら一大事である。
だが、もし嘘だったら――?
もしかしたら、やはり自分を騙そうと嘘をついているのではという可能性も捨てきれない。実物を見たことがないナエトルには判断がつきづらかった。
信じるべきか否か――ナエトルの頭の中で究極の2択がぐるぐる渦を巻く。
――でも、本当なのかもしれない。
思考の末に、心のどこかでそんな考えが湧き上がる。
昔から自分はお人好しすぎるところがあるとよく注意されたことがある。他人を簡単に信用しすぎると。実際そうかもしれないとナエトルも思う。
本当ならもっと疑わなければいけないのかもしれない。怪しまなければならないのかもしれない。だが、どうしても、ナエトルには、目の前のピカチュウが嘘をついているようには見えなかった。
ナエトルが再びピカチュウの方を向くと、今だにピカチュウは頬をぽりぽりと掻きながらうんうん唸っている。
と、その時、ピカチュウの手から何かが零れ落ち、音も立てずに砂の中に埋もれる。
「あれ? 今何か落ちたよ?」
「え? どこに?」
指摘を受けてピカチュウは回りを見回す。
そして足下に――それはあった。
持ち上げてみるとそれは緑色に光る指輪だった。
ご丁寧に革ヒモで下部を結びつけ、ペンダントにしてある。中心にはめ込まれた黄色い石が、夕陽に照らされキラキラと輝いていた。
「指輪だ。それ、キミの?」
「……分からないけど、多分……」
ピカチュウは指輪をじっと見つめる。
その時、何故かものすごく懐かしい気分になった。
「………なんか、すごく大切な指輪(もの)だったような気がする」
ピカチュウはそう言いながら、ヒモを首に回し、後ろで簡単に縛る。
「キミの宝物なんだね。それ。
ボクにもあるんだよ、
宝物。見てみて」
そう言って、ナエトルが首からかけたペンダントを外そうとしたその時――
どんっ!
後ろから誰かに押され、ナエトルはピカチュウに向かって突っ込んでいく。
「うわわわわわ!」
「きゃあ!?」
ちょうどナエトルがピカチュウの上にのしかかるような態勢で、2人は砂浜に倒れこんだ。
「いったぁ……」
「もう!
何なの!? いきなり!?」
正体はすぐにわかった。
ドガースとズバット。
ナエトルの後を尾けてきたあの2人だった。どうやらさっきのはドガースの体当たりだったようである。
「おっと、ごめんよ」
一応ナエトルに向けて謝罪の言葉を並べるドガース。
だが、口角を釣り上げている様子や声の
口調から見て、
相手はちっとも悪いと思っていない様子。それに気付き、ピカチュウは少しムッとする。
「いきなり何するんだよ! 危ないじゃないか!」
「ヘヘッ。それよりいいのか? 怒ってて。
あれ、お前の
物じゃないのか?」
ズバットはペンダントを指差す。
先には小さな石の欠片が通っていた。どうやら攻撃を受けたときに落としてしまったようである。
「あっ! それ!」
ナエトルが何かを言う前に、ドガースが
ペンダントを拾い上げる。
「ああっ!」
「悪いな。こいつは俺達がもらってくぜ」
「………………」
「何だ? 取り返しに来ないのか?
それともビビって動けないってか?
とんだ臆病者だなぁ、お前」
ナエトルは震えて動かない。いや、動けないといった方が正しいかもしれない。
そして、ピカチュウもまた、その場を動こうとはしない。
そんな2人の様子を見て、ドガースは馬鹿にしたように鼻で笑う。
「おい、行こうぜ」
ドガースはズバットの方を向く。
ズバットは頷いて、再びナエトルの方を向く。
「おう。じゃあな弱虫君。ヘヘッ」
明らかにナエトルを見下した様子で言葉を残すと、2人は浜辺の先にある洞窟へと入っていく。
ピカチュウとナエトルは、無言でそれを見送るしかなかった。
「……た、大変だ!
ど、どうしよう……どうしよう!?
あれ、すっごく大切な物なのに……盗まれちゃったよぉ〜!」
2人組がいなくなると、半ばパニック状態でナエトルは辺りをぐるぐると回り始める。
追う気配もなく、ただひたすらおろおろとするばかりのその様子に少しイラッとくるピカチュウ。
「何迷ってんのよ。
取り返しにいけばいいでしょう?」
当たり前の返答をされ、びくつくナエトル。
何を隠そう、彼は超がつくほどのヘタレなのだ。わかっていても、迷わずその手段は
流していた。
「ムリッ! 無理だよぅ!
だって、アイツ等強そうだったしぃ!」
……ヘタレだ。真の。
ピカチュウはそう思いながら眉間を押さえる。
「大事な宝物なんでしょう? このまま
盗られちゃってもいいの!?」
「うっ」
正論を述べるピカチュウの言葉に、ナエトルは言葉を詰まらせる。
勿論いいはずがなかった。
ペンダントは自分にとって、命の次に大切な物であったから。
だが、
「……でも……」
やはり怖い思いの方が強かった。
ナエトルは下を向いたまま曖昧な返事しかしせず動こうとしない。
その態度にとうとう耐えきれなくなったピカチュウは、
「ああ〜もうっ!
いいから行くよ!」
そう言うとナエトルの左手(足?)を掴んで走り出す。
「えっ!?
ちょっと、待って! まだ心の準備がぁ〜!」
抵抗もむなしくピカチュウに引っ張られていくナエトル。
2人はさっきの2人の後を追い、一路洞窟の中へと足を踏み入れていった。