【7】旅の終わりに
旅の途中でこんなことがありました。
畑で農作業をしているおじさんに道を尋ねると、彼はこう答えました。
「この先で二つの道が交わっている。かまわず真っ直ぐ進みなさい」
しばらく進むと、ポケモンを連れた旅人とすれ違いました。「何処に行くの?」と訊ねられ、私が目的地を告げると彼はこう言いました。
「この先で道が三つに分かれている。そこを真っ直ぐ進めばいいよ」
何か変だなと思いながらもそのまま進むと、目の前に現れたのは大きな十字路でした。
確かにこれならば道が交差しているとも分岐しているとも表現できると納得しつつ、二人の言葉の微妙な違いに気づき、はっとしました。
地元の人間から見れば、十字路は日々利用する通過点。旅人から見れば、十字路は目的地に着くために選択するべき分かれ道なのです。
◇◇◇
七ノ島にある民芸品店に入って、本土の両親に買って帰るお土産を選んでいた時のことです。
お店に並べられた棚には、木彫りの人形や綺麗な石で組み上げられた置物が所狭しと並べられていました。
一際目を引いたのは、カウンター近くの棚いっぱいに並べられているフクロウの置物でした。片足で立つ真ん丸い子供のフクロウたちは、一体一体微妙に表情が違い、とても愛嬌があります。
対して、親フクロウの置物の、鋭い眼を光らせ、両翼を広げるさまは、さながら夜闇を引き裂き獲物を狙う狩人のようです。
そういえば、このお店の看板もヨルノズクの浮彫でした。フクロウはこの店のモチーフなのでしょう。眼鏡をかけて座っている、優しそうな店主のおばさんも、どこか枝に止まったフクロウのように見えます。
並べられていたホーホーの置物の中から、気に入った一つを選び、カウンターの前に立ちました。
店主のおばさんと目が合っい、何となく「このお店にはフクロウが多いですね」と話しかけてみました。
「気が付いてくれてありがとう。フクロウは、縁起の良い鳥なのよ。苦労がない。
不苦労ってね。」と朗らかな返答がありました。
「お客さんは、旅人さんなのかい?」
「え……っと」
肯定か否定か、どちらを答えればよいのか、少し迷いました。おばさんのいう『旅人』が単に旅行者のことならば、「はい」と答えて差し支えないでしょう。
ですが、旅人という言葉はしばしば、リーグを目指すポケモントレーナーを意味するのです。各地方に点在するジムを巡り、手持ちポケモンを戦わせ競い合わせることで頂点を目指す、狭い意味でのトレーナーのことです。
つまり、「あなたは旅人ですか?」と訊ねることは、「お手合わせ願いたいのですがよろしいですか?」という意図を含むことがあるのです。実際に、よくわからないままバトルを申し込まれた人の話を耳にしたこともありました。
……今の自分の状況を考えると、そういう意味で訊ねられた可能性は低いのでしょうが。
「ナナシマには、観光のために、来たんです」
私は護身用にポケモンを連れてはいますが、リーグを目指しているわけではありません。広い意味でのトレーナーには違いないのですが、微妙な立ち位置ゆえに歯切れの悪い回答になってしまいました。
「そうかい。ナナシマの自然は美しいでしょう」感慨深げにおばさんが目を細めるので、「ええ、とても」と私も微笑みで返しました。
本当に、ナナシマは美しいところです。
「旅人さんに気に入ってもらえて、なによりだよ。この島のポケモンセンターの隣に資料館があるから、興味があるなら行ってみるのはどうかしら」
「そうですね、ぜひとも行ってみたいです」
そんなところがあったとは知りませんでした。島の人のお勧めとあれば、一度は見てみたいものです。
子フクロウの置物の御代を手渡しながら、私は彼女にお礼を言って、店を後にしました。
小さな民俗資料館は、予想以上に興味深いものでした。
ナナシマの各々の島の特徴、成り立ち、祭事や風習、生息しているポケモンの種類まで細かな展示があり、夢中になってそれらを眺めていました。
展示の最後、七ノ島のアスカナ遺跡の展示の前にたどり着いたとき、私は我に返り、時計の表示を確認しました。
時計の短針は二時を過ぎたところ。予定ではシッポウ渓谷を半ばまで歩いている頃です。
ああしまったと思いつつ、船の時間を確かめるためにポケモンセンターに向かいました。
アスカナ遺跡観光は、七ノ島で最も楽しみにしていた事の一つ。明日の朝には本土へ返らななければならず、この機を逃せば次がいつになるかわかりません。
アスカナ遺跡へ向かう船の次の便は、今からちょうど一時間後でした。
シッポウ渓谷は長くて険しいでこぼこ道で、この分だと遺跡に辿り着けたとしても返ってくる前に日が暮れてしまうでしょう。
――定期便の発着時刻をしっかり確認しておけば良かったなあ。
しかし、後悔しても始まりません。
気分を変えるため、海の見える高台に登り、ぼうっと遠くを見渡しました。
北の方角を眺めると、お隣の六ノ島が手前に見え、その向こうに島の影が二つ、三つ連なっているのが微かに見えました。
この旅の間で、自分の辿ってきた軌跡です。
辺りに人気のないのを確認して、私は腰につけたモンスターボールを放りました。
獅子のようなタテガミをもった勇猛な獣――ウインディが、ウォン、と一声吠えながらボールから飛び出しました。
元々はボディーガードの代わりに家から連れてきたガーディでしたが、一ノ島の灯火山に登った時に図らずも進化してしまったのです。
灯火山では今でも時々炎の石が見つかるそうです。きっと私のガーディもどこかで石の影響を受けてしまったのでしょう。
大自然の力って素晴らしい。
……そう、納得してしまって良いものでしょうか。実のところ、電話での母への定期連絡ではまだ正直に伝えられていません。こんな筈ではなかったのに、何と言い訳すれば良いのやら……。
でも、まあいいや、と私はひとりごちました。例え家の中で飼えなくなったとしても、私がトレーナーとしてしっかりすれば良いことです。……具体的にどうすればいいのかは今は敢えて思考の外なのですが。
アスカナ遺跡を観に行けないとわかると、なんだか途端に気が抜けてしましました。
一週間、ナナシマを旅し続けた疲れがここで出てきたのかもしれません。
高台の広場をのびのびと駆けるウインディを見ながら、私は大きな木の幹に背中を預け、ゆっくりと目を閉じました。
朧な意識は暗闇の中を浮かんでは沈んでいきます。
夢に成りきれなかった映像の断片が、水面に浮かぶ泡のように目の前に現れては消えていきます。
ほとんど記憶に残ることのない儚い幻の輪郭を、もっとしっかり見ていたいような気持ちになりました。
――きらきら光る水面に映る鳥の影。羽ばたく。羽ばたく。大きな翼で風を切り、海面すれすれを飛ぶ。目指すのは、彼方に見える緑の島――
眩暈のような浮遊感とともに、視点がくるりと変わります。
――自分より背丈の高い草の中に身を隠す。走る。走る。凶暴な鳥に見つかるとまずい。早く巣穴に帰らなくては。巣穴は、林の岩の陰。そこに行けば、守ってくれる。五片の花を咲かせた偉大なヌシが――
頬に当たる冷たい感覚で、急に意識が覚醒しました。目を開けて、状況を確認しました。
ウインディがそばにすり寄り、湿った鼻先を私の頬にくっつけていたのでした。
わずかの間に夢を見ていたのです。
もうよく覚えていませんが、何かを追っていたような、何かから逃げていたような、不思議な感覚が残っていました。
霞む目をこすりながら、今日ここへ来る前に資料館で見た、ナナシマの成り立ちについての記述をふと思い出しました。
それによると、七つの島があるからナナシマと呼ばれている……というのは間違いで、本当は七日で出来たという伝承からナナシマと名付けられたそうなのです。
よく考えたら妙な言い伝えだなと思います。七の島にはアスカナ遺跡があります。千年以上も前の遺跡で、遺跡を作った人々は既に絶え、現在のナナシマの人々とは文化的繋がりはおろか血縁的な繋がりさえ無いと考えられています。
何のために造られた遺跡なのかもわからず、そこに残る古代文字の解読も、未だに終わっていません。いにしえの人々が何を見て、何を考えていたのかを現在正確に知る者はいないのです。
それならば、ナナシマが七日で出来たのを誰が見ていて、現代に言い伝えたというのでしょうか。
七日で出来た……ではなく、七日の内に出現したと考えるとどうでしょうか。ナナシマは海と大陸の微妙な均衡の上に存在する島々で、大地の隆起によって現れ、海水面の上昇によって水の底に沈むと考えれば。
かつて陸の神と海の神が争っていたといわれる大昔には、ナナシマは沈んだり浮かんだりを繰り返していた。そのために七ノ島と六ノ島には文化的な断絶があると考えるのはどうでしょう。
いえ、それよりももっと突拍子もなく、ナナシマは長い長いスパンで現れたり消えたりを繰り返しているのでないでしょうか。いつだったか聞いたことのある、遠い地方の幻島のように……。
――ありえない。
その考えは即座に打ち消されました。
やはり伝承は伝承でしかなく、昔の人の思い違いが伝わったものか、何か別の話が形を変えたものと考える方が妥当な気がします。
そうでなければ、今ここにある島々さえもいつの間にか消えてしまいかねないではありませんか。……そんなことは考えたくもありません。
不毛な事を考えるのはもう止めよう。寝ぼけた頭でこれ以上考えても仕方のないことです。
きっともう一度眠りに落ちて目覚めたらきれいさっぱり消え失せて、記憶の端にも残っていない幻なのですから。
嗚呼、それにしても、ナナシマは本当に美しい場所です。
かつて確かに断ち切られたはずのこの土地との絆を、今ならもう一度結び直せるような気がしました。
薄らと目を開けると、水平線の彼方へ沈んでいく夕日が見えました。
空も、海も、陸も、すべてが溶けあい、入日色の光に包まれます。私は再び目を瞑り、温かい微睡の中に沈んでいきました。
何処からか、子供たちの歌い合う声が聞こえてきた気がしました――