ナナシマ数え歌
【5】潮騒の迷路
 もうすぐ長かった夏が終わる。夏の間は、他の島にも頻繁に遊びに行った。『しるしの林』で虫ポケモンを沢山捕まえたし、『宝の浜』で海水浴も楽しんだ。
 何かやり残したことは無いだろうか。夏にしかできないようなことは。『五ノ島』でしかできないことは。
 悪童仲間のテッちゃんと話し合った結果、「それじゃあ、空き地で遊ぶのにも飽きてきたし、ここはひとつ『帰らずの穴』にでも肝試しに行ってみるか」ということになったのだった。


  ◇◇◇


『帰らずの穴』は、ナナシマにある怖い場所の一つだ。中は天然の迷路になっていて、入るたびに地形が変わって見えるらしい。
 地下へ地下へと潜っていたつもりがいつの間にか入り口に戻されてしまったり、その逆に入り口に向かって歩いていたはずが奥深くに迷い込んだりといった噂をよく聞いた。
 地元の人間でも迷い込むと戻ってこられないとか、戻ってきたのはいいが何十年も経った後だったとか、魂を喰われて抜け殻になっていたとか……。
 そういう、怪談にありがちな曰くつきの場所だ。

 夏休みが終わりに近づいたその日、僕は親友のテツロウとその帰らずの穴に肝試しに行くことに決めた。
 ナップザックの中に弁当と水筒、懐中電灯その他を詰めて、まるで探検気分だった。


「ちゃんと準備して来たかー?」約束の時間、海岸に、テッちゃんは立っていた。
「もちろん。そっちも準備万端じゃん」背負ったナップザックを見せながら笑いかけた。

 五ノ島の海岸には、一匹のラプラスがいた。聞いた話によると、お隣の島の洞窟にはラプラスが群れを作って生息しているらしい。四ノ島で生まれ育ったラプラスが、たまに群れを離れてナナシマの近海に辿り着くことがあるのだという。
 このラプラスもそういった個体なのだろう。成獣になれば大人二人を楽々と背中に乗せて運べるようになるそうだが、今はまだ若く、せいぜい大人一人か子供二人が限界だろう。
「帰らずの穴まで連れて行っておくれよ」というテッちゃんの頼みに、ラプラスは歌うような鳴き声とともに頷いた。ヒトの言葉を理解する高い知能を持つこの海獣は、人間を乗せて海を進むのが何より好きだった。
 僕らはラプラスの甲羅に乗り込み、目的地を目指し出発した。


「ショウちゃん、何か持ってきた?」
「僕は毛糸玉。これの端を洞窟の入り口に結んでおけば、もし途中で迷っても、糸を手繰って外に出られるだろう?」
「ふうん。『帰らずの穴から出られなくなるなんて迷信!』って言い切ってた割に慎重じゃん」
「そういうテッちゃんは何を持ってきたんだ?」
「俺は、なんか家にあった古いお香。洞窟の一番奥までたどり着けたら、記念に置いてくるんだ。後から来た旅人が『これは何だろう』って思うんじゃないかな」
「どうせなら、蝋燭とか線香の方が良かったんじゃない? 雰囲気出てて」
「いっそ呪いのお札にすれば良かったかなー」
「いや、何でそんな物持ってるんだよ」
「冗談だよ」

 他愛のない話で気分がほぐれ、僕らは笑い合った。
 辺りを見渡すと、澄み切った青空と、濃紺の海が広がっている。所々に岩が突出し、波が当たるたびに白い泡が飛び散る。
 遥か彼方に、赤い粒が群れになって飛んでいるのが見えた。ふわふわと風に乗って揺れる動きが鳥には見えない。あれは何だろう。僕たちは顔を見合わせ、ラプラスの背から身を乗り出した。
 赤い粒の群れは、だんだんとこちらに近づいてきた。僕らが群れに近づいて行った、という方が正しいのかもしれない。
 肉眼でようやく確認できるようになった赤い粒は、ハネッコの群れだった。所々にワタッコやポポッコもいる。ハネッコは空き地に続く草むらでよく見かけたが、海の上にもいるものなんだなぁ。
 呑気な表情で飛んでいくハネッコたちに、僕らは手を振った。 


「せっかく肝試しに来たんだし、一つ怖い話でもしようか」気分を盛り上げるためにさ、とテッちゃんが提案した。
「怖い話ねぇ。自信があるなら是非聞いてみたいね。面白そうだし」

「それじゃあ、遠慮なく」水筒の蓋に冷たい麦茶を注ぎながら、彼は話した。
「昔、ばあちゃんに聞いた話なんだけどさ。本土に住むばあちゃんの知り合いの知り合いだかに、青い大入道に遭った人がいたんだってよ」
「大入道って……。なんだそりゃ。ポケモンか?」
「まあ、多分な。影を踏まれて動けなくなったって」
 固唾をのんで話の続きを待つ僕に、テッちゃんはにやりと笑って語り始めた。

 黄昏時の畦道を、男が夕陽に向かって歩いていた。野良仕事を終えて我が家へ帰るために。
 男の足元からは、黒い影法師が伸びていた。
 ふとした瞬間、男の足が地面に張り付いて、どうにも前に進めなくなった。立ち往生した男は困り果て、誰かいないかと後ろを振り返り、そいつを見たそうだ。
 いつの間にか自分の影を踏んでいる、青い大入道の姿を。
 男は肝を潰して助けを呼ぼうと叫んだが、生憎そこはさびれた田舎道。人っ子一人通りかからなかったそうな。
 陽が沈み、辺りが暗闇に包まれた頃、男はようやく自分の足で進めるようになっていることに気が付いた。
 幸いその晩は新月で、自分の影と暗闇の境目が消えていたのだ。男は脇目も振らず、走って家に辿り着いた。

「まあ、ずいぶん昔の話だからいいんだけれども、もし今の時代に大入道が現れたとして。電灯の真下で影を踏まれたら、そいつは逃げ出せるのかなぁ」と、彼は最後に空恐ろしいことを呟いた。


 海の上をゆったりゆったり進んでいくうちに、海面から突き出している岩の間隔が狭くなり、徐々に視界の両端を覆う壁のようになっていることに気が付いた。しかも、不気味なことに濃い霧がかかり見通しが悪くなってきている。
「帰らずの穴に行く途中にこんなに岩があったかなぁ」古ぼけた地図を眺めながら、僕はひとりごつ。
「この、地図の脇の方のさ。『水の迷路』じゃないかな。今いるとこ」地図を除き込み、テッちゃんが指差した。
「間違った道に入っちゃったのか。どうする? 今から引き返す?」
「こんなところに来るはずじゃなかったんだし、素直に引き返そうぜ」

 ところが、元来た路を引き返そうと進んでも、行けども行けども枝分かれした水路が続くばかりで、ついには方向がまるで分らなくなった。
 僕らを包み込む霧は深くなる一方で、数メートル先さえ見通せない。岩にぶつかる直前に方向を変えるので精一杯だ。

「きりばらいのできる鳥ポケモンをつれてくればよかったなぁ」テッちゃんが悔しそうに呟いた。
「そうだな。そうだけど、どうせならそらをとぶも使えたらもっと良かったな」と冗談半分に返したら、「馬鹿野郎!ラプラスを置いて帰る気か」と怒鳴られた。仮定の話なのに、なんて理不尽。


 会話が途切れるのを怖れるように、僕たちは次々と言葉を掛け合った。
 どちらに進めばいいと思うか。自分たちは果たして出口に向かって進んでいるのか。水筒の水を節約するためにどうすればいいか。ラプラスを休ませなくて大丈夫か。
 無理にでも話題を見つけ、言葉を交わした。

 それでも、出口の見えない焦燥はじわじわと体力を奪っていく。
 霧が、直射日光にさらされるのを防いでくれることだけは有難かった。
 何も話す気力が無くなったころ、空の色は灰色がかった青から、霧にかすんだ赤色に変化し始めていた。
 夕刻。もう少しすれば陽が落ちて、辺りを包むのは夜の闇になる。

 霧にかすんだ海は凪いでいる。波の音さえ聞こえなければ、大きな湖にいるのではないかと錯覚するくらいに。変化もなければ、終りもない。時間が止まっているみたいだ。
 いっそ大波が来て、ひと思いに僕らを攫ってくれたらいいのに――と暗い期待が頭を過ったが、さすがに口に出すのは憚られた。
 家に帰れないのなら、せめて土に還りたい。冷たい水の底に沈むのは嫌だった。




 進む先をラプラスに任せ、黙り込むこと数時間。陽は疾うに落ち、懐中電灯の明かりだけが心の支えだった。あれだけ行く手を邪魔した岩の壁はいつの間にか一つとして確認できなくなっていた。ひょっとして、僕らは今、島を離れて大洋に出てしまったのかもしれない。
 ――ああ、今頃父さんと母さんは心配しているかなぁ。
 このまま海の上で朝を迎えることになるのだろうかと覚悟していた時だった。
 闇の向こうに、月明かりに照らされた影が見える。僕は、思わず隣でうずくまっている友人を揺り起こした。久しぶりに海と岩以外の物を見た気がして、僕らはラプラスの背中から身を乗り出した。
 ラプラスに、そちらへ向かうよう指示を出した。陸地に上がれるなら、何でもいいと思った。例えそれが、迷い込むと出てこられないという『帰らずの穴』でも、海の上で夜を明かすよりましだった。

 近づくと、影は相当な大きさだということがわかった。この形の何かを、僕は見たことがあるような気がする。
 ラプラスから降りて上陸し、それに走り寄った。それは、大きな石塔だった。
 石塔の前には封の空いたミックスオレの缶が置いてあり、よく見るとその隣に小さく文字が彫ってあるようだった。ライトの照準を合わせて、文字を確認する。
『イワキチ ここに ねむる』と刻まれているのを見た時、僕は確信した。おそらく、そばで放心している友人も。

 これは、お墓だ。五ノ島の空き地のはずれの、『思い出の塔』だ。

 ……僕らは気がつかないうちに島の周りを半周して、反対側から上陸してしまったのだろう。


 ラプラスにいったん別れをつげて、僕らはすぐにお墓を離れた。
 遊びなれた空き地も、草原も、闇の中では薄ら寒い気配を放つ。風が草を揺らす音すら、化け物の囁き合う声に聞こえる程だ。
 僕らは手をつなぎ、はやる気持ちを抑えながら月明かりを頼りに家路を急いだ。


 町外れまで到着すると、数人の大人が懐中電灯を手に何か叫んでいるのがわかった。
「おおい。テツロウ君、ショウイチ君」
 僕らの、名前だった。

 僕らは夢中で彼らに近寄った。
 大人たちの一人がこちらに気づき、懐中電灯の光がまっすぐ向けられた。
「ショウイチ君じゃないか。おうい。見つかったぞぉ。テツロウ君も、こんな夜中までどこに行っていたんだ。神隠しに遭ったんじゃないかと、みんな心配していたんだぞ」
 そう言ってくれたのは、斜向いに住むおじさんだった。
 
 夏休み最後の僕らの肝試しは、結局、町内を巻き込む大騒動に終わった。
 僕とテッちゃんの父さんたちは、近所の人たちに申し訳ないと頭を下げていた。僕らも一緒に頭を下げた。
 無事に見つかって何よりと、みんな一応笑ってくれて、その日はそのまま家に帰された。

 家に帰ると、こっぴどく叱られた。皆に心配をかけてどういうつもりだと、父は唸るように問い詰めた。
 言葉も無く俯く僕に、今日のところはもう寝なさいと、母が促してくれた。
 夏休みが終わるまでの課題に、反省文が追加された。
 

 あの肝試し騒動からしばらくして、海岸でラプラスと再開した。
 まだ若かったラプラスは、あの水の迷路での冒険の後、すっかり逞しくなったようだった。


 一つ、考えたことがある。いくら水の迷路に霧が出ていたとしても、賢いラプラスが道を間違えたりするだろうか。
 もしかしたら……本当はラプラスは全てを知った上で、僕らが帰らずの穴に向かわないようにわざと道を間違えたふりをして、僕らを島の反対側へ届けてくれてたんじゃないかと。
 それを確かめるためには本人に聞くしかない。僕はラプラスと再会した時、ラプラスに耳打ちした。
 ――もしかして、わざと道に迷ったふりをしたの。
 ラプラスは歌って答えた。高く、低く、穏やかで澄み切った声で。その歌を聴いているうちに、なんだか眠くてどうでもよくなってきた。



 あれから、僕たちは時折、思い出の塔にお参りに行くようになった。
 甘ったるいジュースの缶を開け、石塔の前に置く。

 
 石塔の陰で草むしりをしていた青年が、こちらに気が付き、歩み寄ってきた。
「こんにちは……。きみたちもイワキチのお墓にお供えしてくれたのかい……」
 青年は、自分がこの墓に眠るイワークのトレーナーだったのだと語った。
 口元に陰気な笑みを浮かべる青年に、僕たちは気まずい愛想笑いで応えた。


イサリ ( 2013/07/07(日) 01:32 )