ナナシマ数え歌
【2】藤蔓の揺籠
 昔、こんな話を聞いたことがある。
 名のある森や、山や、湖には、そこを統率するヌシがいる。
 ヌシは一族を率い、周囲の生き物を従えてその地の秩序を保つ。
 優れたヌシは治める土地に平和をもたらすのだ。

 その話を聞いた時、僕はなるほどと思った。そして、こうも考えた。
 もしもこの『二ノ島』にヌシがいるならば、それは長老以外にありえない、と。


  ◇◇◇


 長老はフシギバナという種族なのだと誰かに教えてもらった。本土のカントー地方で旅に出るトレーナーが最初に手にするポケモンの内の一匹、フシギダネの最終進化系。代表的な草タイプのポケモンだ。
 四足で立つ巨大な体は両生類に似ていて、背中には大輪の花を咲かせている。動物と植物が半分ずつ混じったような不思議な生き物だった。

 島の子供は長老と遊ぶ。幼い子供も、年長の子も、みんな長老が大好きだ。長老の蔓を使った大縄跳びは、僕たちのお気に入りの遊びだった。

 長老が大きく体を揺らした拍子に、ばさりと羊歯(しだ)のような葉が一枚抜け落ちた。
「痛くはないの?」という問いかけに返事はない。多分、人間の髪の毛が抜け変わるのと同じようなもので、それ自体には問題はないんだとは思う。そのうち新しい葉が生えてくる。
 ただ、最近は生えてくるまでに時間がかかるようで、少し心配になってくる。
 噂が本当ならば、彼は相当な高齢だ。
 
 一体、長老はどれくらい生きているんだろう。
「長老はな、何百年もこの島のヌシなんだぞ」「大昔の島の偉い人の家来だったんだ」などと見てきたようにいう者もあったが、彼の種族の寿命(諸説あるが)から考えても、まずあり得ないだろう。
 伝説と呼ばれるポケモンは抜きにすると、一般的にポケモンの寿命は数年から数十年。百年を生きれば長寿な種族と言える。
 例外的に千年生きると言われるポケモンもいるにはいるが、それを見届けた人間はいないはずなので、詳しいことはわかっていない。この後の千年、観察が続けば結論は出るのかもしれないが。
 ……千年生きる狐の話はともかく。


 岬の家に住む、変わり者のおばあさんに、長老の年齢について知っているかどうか訊ねてみた。
「……さてのう。わしが娘の時分、本土に旅に出る前には島にフシギバナはおったようじゃが、それが今の長老なのかはわからんのう。
 しかし、懐かしいのう。わしがバリバリの『えりーととれーなー』になって島に帰ってきた後、長年の修行の末に究極の技を生み出せたのは長老のおかげなんじゃ」
 首を傾げながら語られる話は、いつの間にかおばあさんの思い出話にすり替わっていた。

 まあ、結局のところ、誰にもわかりはしないのだ。
 

 ある時、僕は長老の好きな林の広場でのんびりと過ごしていた。この場所は、その昔ここに大きな木が生えていた時の名残なのだと誰かから聞いた。
 古い大きな木が倒れ、樹冠が遮っていた真昼の日差しは地表まで差し込むようになった。切り株はしばらく残っていたそうだが、危険だからと掘り起こされて無くなった。
 今や、ここは草ポケモンたちの憩いの場だ。陽の光を求めて集まってくる小さな生命達を、長老は暖かく見つめていた。

 長老と呼ばれるフシギバナは、言うなれば島を支える大樹だった。雑木林に暮らす者たちは、みな彼の庇護のもとにある。
 彼は二ノ島の自然の象徴であり、統率者であり、紛う方無きヌシであったのだ。


 ふと、林の地面を覆う木の葉を踏みしめる音が聞こえた。何人かの大人の足跡。
 僕は素早く樹の陰に隠れた。林で遊んでいたことに別にやましいところなどは無かったのだが、「宿題をしろ」等と、とばっちりで説教されるのはごめんだった。大人の話を盗み聞きしてやろうという密かな好奇心もあった。 

「こちらがそのフシギバナですか……」
 知らない男が話始めた。
「確かに、標準的な個体とは明らかに異なった特徴を持っています。身体の色が微妙に濃くて、フシギソウから進化した時に消失するはずの斑点が薄く残っている。何より特徴的なのは、背中に咲かせた花弁の数です。普通、フシギバナの花弁は六枚ですが、このフシギバナには五枚しかありませんね。いや、初めて報告を受けた時には驚いたのですが」
「そうですか、やはりこの島固有の個体だったのですね」
「ええ、これは新しい発見です」


 僕は息を殺してその場の成り行きを見届けた。
 交わされた会話を要約すると、つまりはこういうことだった。
 長老は、今までに知られていない特徴をもった珍しいフシギバナである。おそらくは遠い昔に本土から(どうやってかは知らないが)渡ってきたフシギバナの子孫であり、狭い範囲での交配が進んだために、突然変異の形質が定着した。
 二ノ島には、長老の他に同族はいない。いや、見つかっていない。長老が死んだら血筋は絶える。
 だから、本土の動物保護区から我々研究者がやってきた。本土に長老を連れて行って保護しましょう、長老の血統を後世に残すために尽力しましょうという訳だった。
 ……ふざけるなよ、と思った。


 長老の背中の花弁は五枚。
 本土で標準的に観察されるフシギバナの花弁は六枚。
 ナナシマ特有の血統。多様な種の在り方。
 ――だから、何だというんだろう。

 そんなことのために、彼は生まれ故郷である島を追われ、観察者の檻の中で余生をすごさなければならないというのだろうか。
 
 その場の研究者とやらに怒鳴り散らしたい衝動を抑え、何とか隠れて家に帰ってからも、もやもやとした気持ちは残っていた。
 勉強も宿題も手につかない。風呂の掃除なんかどうだっていい。
 手に持っていたカバンを机に叩きつけ、自分はベッドに雪崩れ込んだ。

 頭に浮かぶのは『正当な』未来だ。草ポケモンの専門家が長老を後生世話してくれる。長老は餌を取る必要も雨水に濡れることもなく、屋根のついた施設で管理されて暮らす。
 二ノ島のフシギバナと血統と近い『伴侶』が彼にあてがわれるのだろう。もしかしたら子供が生まれ、いずれその子孫たちが二ノ島に帰ってくることが出来るかもしれない。

 ――そして長老は……。

 息絶えた後、彼はきっと多様性の記録の保存という名目で剥製にされる。
 最新技術とやらを使えば、生きている時と寸分違わぬ剥製ができるのだろう。
 広場にいるのと同じ姿で、透き通ったガラスの瞳で見つめてくる長老を想像して、僕は耐えきれなくなった。

 気がつくと僕は自分の部屋を飛び出し、靴紐を結ぶのもなおざりに駆け出していた。


 あんな研究者が、島の外の人間が、長老の何を知っている。
 檻の中でほんのわずか命を長らえ、子孫を残すことが幸せだとでもいうのだろうか。
 長老には、この島にかつて伴侶もいたかもしれないのに……。

 道を走り、雑木林を抜け、ようやく彼を見つけた。
 陽の当たる、不思議な空間を取り囲む木々は、彼を閉じ込める檻のように思えた。もつれ合い、絡み合う、藤の(かずら)で編んだ牢獄だ。
 息を切らせて彼に話しかける。

「逃げろ」
 ……どこへ逃げろというのだろう。
「どこでもいい。あいつらに捕まらない、どこか、遠くへ」
 聞こえているのかいないのか、彼は濁った目を時折瞬かせていた。
「捕まったら、剥製にされるぞ。もう、戻ってこられないぞ」
 言いながら、頬に一筋涙が伝うのを感じた。

 はらり、と一枚木の葉が落ちた。夕暮れの風が林を揺らす。

 はたと気付いた。
 泳げない彼が、海に囲まれた島から逃げられるわけがない。

 彼の生まれた雑木林は、彼を育む揺籃(ゆりかご)であり、(つい)住処(すみか)となるはずだった。
 その当たり前の結末を、人間の勝手な都合で壊してしまったのだ。


 逃げろよ、長老。どこか、どこか遠くへ。ヌシならそのくらいできるだろ。

 ああ、でもだめだ。例え『何処か』へ逃げたとしても、結局『此処』にはいられない。

 どのみち生まれ育った島でこのまま眠りにつくことさえできないんだ。

 幾つもの感情が混ざり合う。もう抑えようとも思わない。
 溢れ出てくるそれが許容の限界を超えた時、僕は長老の隣に崩れるように膝をつき泣き叫んでいた。



 数日後、島に研究者達の乗った船が来た。獣を入れる大きな檻を持って。
 長老を保護しようと島の人々と林の中を隅々まで探したが、ついに見つけることができなかったようだ。
 研究者達は三日間島に留まるのを延長し、「もし見かけたら連絡をください」といい残して帰って行った。


 島の大人達は噂した。
 ――さして広くもない島で、大人数で探して見つからないはずがない。
 ――長老は、人の手が届かないところに隠れてしまったのだ。
 ――まさか、林から逃げ出して、崖から海に落ちたなどということはあるまい。
 ――やはり、我々が手を出すべきではなかった。
 ――可哀相なことをした。
 どれもそれなりに本当らしく、かなりの部分疑わしい。


 研究者達にも、島の人々にも、ひとつ盲点がある。
 長老が、この島そのもののような存在だからこそ、気がつかなかったことだ。

 例えば、島の一人の少年が、長老が連れて行かれるのを嫌がって、彼をモンスターボールに収めてかくまっている……などとは誰も思わないらしい。

 2の島の自然の中で生きているポケモンに、人が外から手を加えようとすることが許せなかった。
 それなのに解決策として、人工的なモンスターボールの中に捕えなければならないという、どうしようもない皮肉。


 優柔不断で何一つ満足に決められやしないと言われた自分が、一瞬の内によくも決断できたものだ。
 いいや、決断なんて呼べるほど立派なものじゃなく、ただ単に魔が差しただけ――。
 考えがそこに至った時、肝が冷える心地がした。"魔が差した"などと盗人の論理を持ち出さなければ説明のつかないことを、自分はしでかしたのだ。
 だが――往生際の悪いことに、僕はまだ言い訳を考えていた――野生のポケモンをボールに収めることが、果たして罪になるのだろうか。本土のトレーナーなどは旅をしながら日常的にそれを行っているというじゃないか。
 ……わからない。他の誰がどうであれ、"僕のやったこと"は、罪に問われることなのかもしれない。
 不毛な理屈をこねまわすほどに心は乾きひび割れた。荒涼とした、だだっ広い空間に砂塵が舞っているような空しい気分になった。
 唯一わかっているのは、この先いつまでも僕を責め続けるのは、他でもない自分自身だということだ。
 今でさえ、"これで良かった。他に方法が無かったじゃないか"と思う一方で、底の見えない後悔が渦を巻いているじゃないか。

 もしも長老が人間の言葉を話せたならば、本人に決めさせるのが一番良かったのだろうか。
「あなたは本土に渡って檻の中で子を残したいのか? それとも島の林の中で余生を過ごしたいのか?」
 酷な選択だろうが、長老にとってはどちらが幸せだったのだろう。

 けれど、いくら考えたところで、今となってはどうしようもない。
 年老いたフシギバナをボールに治めた瞬間に運命は二手に分かれ、選ばれなかった方の未来はもう見ることさえ叶わないのだ。
 例えこの先どれほど悔やもうとも、自分が行動を起こした事実は変えられないし、行動を起こさなかった場合の結果を知ることもできない。

 何が正しかっのたか、もうわからない。きっといつまでもわからない。
 長老は何も教えてくれない。

 元の状態に戻っただけだ。島に、何も起こらなかったのと同じことなんだ。
 押し寄せる罪悪感をごまかすために、そう、うそぶいてみる。

 ほとぼりが冷めたころ、彼を元の雑木林に戻すつもりだ。
 突然帰ってきた長老を見たら、島の人々は驚くだろう。
「やはり、長老は人間の考えることなどお見通しだった」などと、言うかもしれない。
 そう考えると、どこか愉快だった。

 僕はボールの中の長老に笑ってみせて、それから机に突っ伏した。


イサリ ( 2013/07/07(日) 01:27 )