新しい人生は新米ポケモントレーナー





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2章
シアンの帰郷


 深い深い、シアンのため息が清廉な空気をぶち破る。
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜……」
「クソデカため息してないでほら行くぞ。こっちで合ってるんだよな?」
「帰りたくねぇ〜……です……」
 何度目かもわからないため息を吐きつつものろのろと歩くシアン。その様子も妙に人目を気にしているような、どこかおどおどしたものだ。

 俺たちはラバノシティのすぐ近くにある古い家々が立ち並ぶ住宅街へと足を踏み入れていた。
 ラバノシティのゲートまで徒歩5分くらいのこの立地。元々は華族だか貴族なんだか知らないが要するに上流階級の人間が避暑地や別宅として使っていた場所らしく、見た目もワコブのような木造建築や和風な建物が7割を占める。店はちょくちょくあるにはあるが基本的には住宅街なので用向きがあれば直通のバスでラバノやらヒナガリに行くか車やポケモンの力を借りるのが普通のようだ。
 まあ、町というほどでもなく、分類的にはラバノの管轄みたいなので住宅街としか呼ばれていないため、観光目的のトレーナーはほぼほぼ見当たらない。そのため、俺達の姿は浮いて見えるだろう。
 いかにも富裕層な着物のおばさんや紳士の怪訝そうな目を無視して住宅街の奥へ奥へと進む。
 しばらくしてだいぶ家がまばらになってきたのだがまだ歩き続けるシアンに直前になって怖気づいたのかと不安になる。

 ――頼みたいこと。それは実家に一旦戻るからついてきてほしいとというものだった。

 本当はよその家の揉め事に関わるのは良くないんだろうがシアンも決心したみたいなのでここで断るのはさすがに冷たいだろうし、ユーリさんにも悪いので俺たちは承諾した。
 ユーリさんのあの敗北が、シアンの中で何か決心を促すものになったようだが、詳細はわからない。
 ただ、あれだけ帰らないと豪語していたシアンがようやく一歩踏み出せたのは仲間であることを抜きにしても賞賛に値すると思う。普段がひどすぎる? それは言ってはいけない。
「はぁ〜…………家に入りたくねぇです……」
 急に足を止めてすぐそばの木にもたれかかったシアン。ネギたろうがぐわぐわ言いながら引っ張るけど動く気配はない。
「ほら、ここまで来て愚図るなよ。で、家はどっちだ?」
「ここ……」
 テンションが地に落ちた声で指さした先にはやたら大きな日本家屋らしき建物。旅館か何かだと思ってスルーしていたそれは外から見ても美しく整えられた庭園と、自然が彩る季節の華やかさが調和しているいかにも『凄そう』な所だった。
 ユーリさんの屋敷を見てちょっと慣れていたけどこいつの家も大概すぎて呆気にとられてしまった。こんなの絶対金持ちじゃん……屋敷のジャンルが違うだけで超富裕層の匂いしかしねぇ。
 いや、元々シアンがいいところのお嬢様だということはわかっていたのだが思ったよりスケールがでかくてびびってしまう。いわゆる住む世界が違うというやつでは?
 すると、イヴが庭園に実るきのみに興味をそそられたのか俺を無視してとことこと中に侵入してしまい、慌てて止めに入った。
「こら、イヴ! 勝手に入ったらまずいだろ!」
「どちらさんですか?」
 入り口の前でイヴを抱えてばたばたしていると和風のメイド服を着た女性がきょとんと俺を見ている。警戒とかではないので嫌な気はしないがちょっと緊張する。
「あっ、いやすいません。手持ちがちょっと――」
「ああ、マゴのみがそろそろ収穫やからねぇ。お一ついかが?」
 気さくに庭のマゴのみを差し出してくるのでありがたく受け取ると、女性は俺の後ろにいるシアンたちに気づいてはっとする。
「おっ、お嬢様!? お嬢様ですよね!? 格闘タイプと筋肉を愛するお嬢様ですよね!?」
 ここまで間違いねぇとわかる確認は初めてだ……。
 メイドの女性は慌ただしく屋敷へと戻り、シアンは今にも死にそうな顔でその場にしゃがみ込む。
「あぁ……腹くくるしかねぇです……」
「まあ、家出して心配かけたんだから怒られるくらいは我慢しろよ」
「ちげぇです……怒られるとかよりも面倒なのは……」



「お嬢様!! シアンお嬢様アアアアアアアアアアアアッ!!」



 屋敷からすごい大声で駆け寄ってきたのは執事服姿の男。俺を突き飛ばしてシアンへと駆け寄り、子供を持ち上げるように掲げた男は目に涙を溜めながら近所迷惑待ったなしの大声で叫んだ。ちなみに俺はマリルリさんが支えてくれたので地面に激突はしなかったが危なかった。
「ようやくお戻りになられたのですね! このケニス、お嬢様のことを想うと毎日夜も眠れず――!」
「うるせーですよ。とっとと降ろせです」
 シアンのテンションは氷点下。ものすごく嫌そうで降りるなりエミの後ろに隠れてしまう。
「お嬢様!? どうして見知らぬ者共と一緒にいるのですか!? お嬢様いけませんよ! 程度の低い者、しかも男なんてダメですよ! お嬢様にふさわしい者じゃないと――」
「これが帰りたくない理由の一つですよ」
 雑にまとめられてなんとなくわかった。シアン、お前も大変なんだな……。
 これはうざい。初対面で程度が低いと言われて俺もちょっとイラッとした。ていうか突き飛ばされたし。マリルリさんありがとうな。あとでおやつあげないと。
「お嬢様に取り入ろうとは卑しい奴らめ! さっさと――」
「だーまれ、この年中頭がフラワーセット」
 執事の男をひっぱたいて黙らせたのは先程の和装メイドさん。恭しく一礼した彼女は俺たちを招き入れる。
「お嬢様がお世話になりました。旦那様と奥様がお話したいと仰っております。どうぞこの馬鹿の発言は10割無視して中へ」
 メイドさんに連れられて、中に入る俺たちだったが、絶対面倒なことになる予感だけはひしひしと感じていた。



――――――――



 案内された一室で俺たちは正座しながら3人で無言を貫いていた。
 シアンはメイドさんに着替えのため連れられていき、執事は別の仕事中だったのに抜け出してきたのか連行されていった。
 部屋の置物とか絶対高そうだし下手に動けないのもあって妙に緊張する。手持ちたちはイオトのマリルリさん含めて全員戻しているし静まり返っていて居心地が悪い。
「俺たち、必要だったかな……」
「断っても変だし仕方ないんじゃないかな」
 確かにシアンを置いてどっか行くのも今更だし不自然すぎる。エミの言う通りなのだがこの居た堪れない感じはどうにかならないだろうか。
 すると、俺達に茶を持ってきたのか先程のメイドさんが盆を持って入ってくる。
「旦那様方は少々会議が伸びておりまして、もう少々お待ちいただけるでしょうか」
「あ、はい」
 というか待たないってこの状況で言えるはずがない。
「そういえば、シアンの親って何してる人なんだ?」
 イオトがふと疑問を口にし、俺もそういえば……と声に出す。実際、お嬢様ということくらいしか知らないので漠然としたイメージしかない。
「僭越ながら私が説明いたします。旦那様はアマリトで300年以上の歴史を持つ呉服……今では服飾全般を取り扱う老舗店の社長でいらっしゃいます」
 更に詳しい説明を受け、衝撃の事実が発覚する。

 アマリト全域の店舗を持ち、最近はよその地方にも出店している服飾ブランド『華岬』のデザイナーも勤めるシアンの母。華岬とはいわゆる高級ブランドだがそれはシアンの父親社長を務めるグループの一つのブランドに過ぎず、老若男女問わず世話になっているだろう安価なものからオシャレな服まで幅広く取り扱うアパレルメーカーのハナヤマグループ。
 アマリトで知らない人間の方が少ない有名企業である。シアンがマジもんのご令嬢で頭おかしくなりそうだ。
「お嬢様はその一人娘であり、本来はもうご結婚相手を決めていてもおかしくないのですが……なにせ当人があれでして……」
『あれだもんなぁ……』
 3人揃ってメイドさんに同意の声しか出ない。

「あれとはなんですか! 失礼なやつらですよ!」

 怒声とともに部屋に飛び込んできたのは鮮やかな柄の着物に身を包んだシアンだ。旅の服から一転していかにもお嬢様感が強まったはずなのだが――
「シアンは何着てもシアンだよな……」
「シアンらしくていいと思うよ」
「動きづらそう」
 俺、エミ、イオトの順にしょうもない感想しか湧いてこない。なんていうかこう……似合うんだけど中身の方が率先して出てくるから……。
「まったく! もっとボクを少しは褒めようとは思わねーですか!」
『全く思わない』
「ぎぃーっ!」
 ハモった俺たち3人と地団駄を踏むシアン。ネギたろうがどうどうとシアンをなだめるがだってシアンだし……というコメントしか出ない。
 ふと、シアンの後ろにはメイドが3人控えており、説明してくれたメイドさんを合わせて4人いることになる。
「申し遅れましたが私、アキコと申します。お嬢様付きのメイドの一人でございます。お見知りおきを」
 入り口で出会ったメイドさんはアキコさんと言うらしく、大人っぽく落ち着いた雰囲気の美人さんだ。改めて見るとその雰囲気とはそぐわないほど鮮やかなメイド服。派手すぎることはないのだが華やかさが本人の気質からはイメージできない。どちらかと言えば着物を着て凛としている方が似合いそうだ。
 というか、入り口で会話したときと印象が違うなと改めて思ったのだがよそ行きモードなんだろう。明らかに雰囲気が違う。
「あなた達もご挨拶なさい」
 アキコさんがシアンの後ろにいたメイドたちに声をかけ、左から順番に一歩前に出る。
「おっ……、わっ、わだ――私はハルナと言うです! お嬢様がお世話になりました!」
 そばかすが目立つ、どこか田舎っぽさが混じる女性はあわあわしながら俺たちに挨拶する。ちょっと訛っているような喋り口だががんばって普通に喋ろうとしているのは伝わってきた。彼女のメイド服もちょっと和風だがアキコさんとは違ってどこか控えめな印象を受ける。
「ナツエでーす! おじょーさま付きのメイドでーす。とりまよろしくー」
 こちらは完全にメイド服、しかもスカート丈が短めのタイプでいかにも今どきの若者という感じが強い女性。
「……フユミです」
 最後にスカート丈の長いいかにもきちっとした雰囲気のメイドの少女が短く挨拶する。
 フユミさんが一番幼く、アキコさんが一番年長だろうか。パッと見た限りだとアキコさんが20代前半くらいに見えて、その次がハルナさんとナツエさんが18とかその辺でフユミさんが14くらいな印象だった。
 シアン付きのメイドということはシアンの世話をしていたのは彼女たちということだろう。なんというか、今のシアンを見るに、なるべくしてなったんだろうなぁという気持ちになる。なんだこの濃さ。
「あと、先程の失礼極まりないクソウジ虫野郎の執事も含め、5人がお嬢様付きの者です。あの男は今は別の仕事の最中ですし、記憶から消していただいて結構です」
 すごい。同僚の人間にここまで罵倒される人なかなかいない気がする。
 まあでも初対面でろくに会話しないうちから俺も関わりたくないタイプの人間なのは察したので仕方ない。
 ふと、隣にいたはずのイオトがいなくなっていることに気づいてまさかと思ってメイドさんたちの方を見ると案の定というべきか、ツンとすましたフユミさんの近くに寄っていた。
「君いくつ? 若いのに偉いね」
「今年で15になります」
「かわいいけど彼氏とかいるの?」
「いませんし今後も予定はございません」
 こいつ本当に期待を裏切らねぇな……。しかも一番見た目が幼いのをターゲットにするあたりもう恐怖だよ。
「イオ君、うちのメイドにまで手出ししたらさすがにドン引きするですよ」
「えっ、いやーほら、挨拶挨拶……」
「死んでくれないかな、この恥知らず」
 エミがゴミを見るような目でイオトを睨んでいる。気持ちはわかる。つーか本当にすげぇ神経だよお前……。
 ふと、アキコさんが端末の音を聞いてそれに応じると短く返事をして「こちらにお連れして」とだけ返した。
「ユーリ様がいらっしゃいました。思ったより早くのご到着ですね」
「なんであいつまで呼んだですか!?」
 シアンがぎょっとして、イオトとエミの顔色が一転する。うわ、会うの怖い。今度こそぶん殴られたらどうしよう。
「一応形式上はまだ婚約者ということになっていますので……。ユーリ様、お嬢様がご不在の間他に婚約が決まらないように解消しないでいらっしゃったんですよ? もう少し感謝されたほうがよろしいかと」
「そういうことですか!? あいつほんっとうにわかりにくい野郎ですね!」
 そういえばユーリさん、勝手に解消して関わらないとかじゃなくてわざわざ首突っ込んで当事者でいたんだよなと思うともしかしなくてもめちゃくちゃシアンに甘いのでは?と思えてくる。実際、ユーリさんにメリットなんてないだろうし。
 すると、怒声罵声がどんどん近づいてくることに俺たちは気づいて一斉に声のする方に視線を向ける。
「貴様まだここにいたのか! いい加減自立したらどうだ!」
「お前にごちゃごちゃ言われる筋合いはねぇ! つーかお前こそさっさと引退しろよロリババア!」
「貴様と違って俺様は有能なんでな! あいにくと引退するほど老いてなどないわ! というか相変わらず罵倒の語彙力が低いな。一度スクールからやり直したらどうだ? まあお前のことだからガキに対してもすぐムキになってどこからも厄介者扱いされるんだろうがな!」
 ユーリさんと……多分さっきの執事の声である。うーん、やり取りが幼稚。
 不機嫌そうに顔をのぞかせたユーリさんが俺を見るなり露骨に舌打ちしながら吐き捨てる。
「お前……よくもまあ、シアンの逃亡手伝っておいて俺の前に顔出せたな……」
「すみません、どうか許してください。あの、ホント後生ですから」
「ふん。色々言いたいことはあるがシアンが帰ったならもうどうでもいいぞ」
 不機嫌そうだがこれ以上は俺には何も言うつもりはないらしい。
「……あれ? ヒロ君、二人ともいねぇですよ」
「えっ」
 よく見たらイオトもエミも姿を消していた。誰か見ただろうかとメイドさんたちに目を向けると首を横に振られた。まあ全員ユーリさんと執事の方に気を取られていたし、仕方ない。
「……逃げやがったなあいつ」
 ユーリさんが何か呟いた気がしたが聞こえず、聞き返そうとすると襖が開いて新たな人影が姿を現す。
「おお、シアン! ようやく帰ってきてくれたんだね! 我が愛娘よ!」
 三十代後半くらいの男性が感激しながらシアンに抱きつき、その後ろにいた女性がよしなさいなと嗜める。
「まったく、あなたがそうやって甘やかすからいけないんですよ」
 凛とした、しかしどこかシアンに似ている雰囲気の女性。着物をきっちり着こなしたその人は俺を見るなり頭を深々と下げる。
「娘が大変お世話になりました。ここまで連れて来ていただきありがとうございます」
「あ、いえ……」
 ようやく人が揃い、何を話すのかはわからないがそれぞれ座ってようやく本題に入る。そして、俺はあることに気づいた。

 あれ、イオトもエミもいないってことはつまり、俺一人でこれを相手にしろってことでは……?

 この状況を押し付けられたということを理解するのに、そう時間はかからなかった。





とぅりりりり ( 2018/06/12(火) 00:35 )