新しい人生は新米ポケモントレーナー





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2章
地底湖にて


 ――ハマビシティ、アクアリウム。そこで開かれるポケモン塾でナギサは指示棒片手にニコニコとホワイトボードを指していた。
「はーい、今日は水ポケモンについてのお話でーす。ハマビシティに暮らすみんなならきちんと覚えておこうね」
『はーい』

 うみ、かわ、みずうみ、など子供も読めるように書かれた文字を指し示しながらナギサはマグネットで作ったコイキングやニョロモ。
「先に難しい話をすると淡水と海水で水ポケモンは住む地域が違います」
 湖の下にたんすい、海の下にかいすいと書いて2つのエリアを線で分ける。
「お水がしょっぱいのが海水。しょっぱくないのが淡水。とりあえずそんな感じで今日は覚えてね」
「それがどうしたのー」
「ハマビシティの付近に住んでいるポケモンは海水エリアに生息する子たちばかりなんだけど、なんで水で住処が違うと思う?」
「うーん……しょっぱいのが平気なのでとそうじゃない差?」
 子供が手をあげながら答え、ナギサもふむふむと頷きながらペンを取った。
「そうだね。もうちょっと詳しく言うと、水ポケモンの体の作りが淡水と海水にそれぞれ適応しているっていう違いなんだけど、この適応、ポケモンによってかなーり違います」
 コイキングのマグネットをそれぞれ海と湖に貼り付け、ニョロモを湖の方に、メノクラゲを海の方に追加で貼ると子供たちに向き直る。
「コイキングは海や川、湖どこにでも生息できるけれどニョロモは海で住むには適応できなくて、メノクラゲも同じように海でしか生活できないの」
「じゃあメノクラゲを川でバトルさせたら死んじゃうの?」
 子供の質問に「良い質問だね!」とナギサは笑顔を浮かべる。
「結論から言うと、バトル程度の一時的な活動なら特に問題ないよ。それに、トレーナーと活動するうちにポケモンの方にも環境に適応する力が高まってくるから徐々に慣らしてあげようね。もちろん、急激な変化はよくないからポケモンの体調管理はしっかりね!」
「ねー、ナギサねーちゃん。この前海にトサキント見っけたって兄ちゃんが言ってたけど」
「ああ、その話は私も聞いたよ。極稀に密放流、もしくは放逐っていって、そこに元々いたポケモンとは別の種族であるポケモンを勝手に逃しちゃう人がいるんだ。もちろん、いけないことだからみんなはやっちゃだめだよ」
 メノクラゲのマグネットを海から湖のエリアに移動させるとその横に文字を書き足していく。
「基本的に適応できたりできなかったりなんだけど……飼育経験があるポケモンは特に適応しやすくて本来いるはずがないポケモンがそこに住み着いちゃって、ひどいときは元々そこにいたポケモンたちを倒しちゃったり食べちゃったり生態系がめちゃくちゃになってしまうこともあるの」
 食べる、ということばに子供たちがどよめく。生々しいことだが、ドヒドイデがサニーゴの体を捕食することは有名だし、ホエルコもヨワシを大量に食べるのだ。
 住処が違えば食物も変わる。変化に適応するためにライバルである在来種と争いに発展することもあり、こういった放流は当然悪いこととしてハマビシティでは全面的に禁止している。
「ちょっと前までいたエンペルト、あの子も本当はこの辺の海に住むポケモンじゃないから外来種扱いなんだけど……まあ、その話はいっか。あの子は自分で住み着いたし」
 自己解決し、ホワイトボードに更にマグネットを増やしていく。
「じゃあ次にご飯の違いだけど――」

 ナギサによるポケモンの講義はその後も続き、穏やかなハマビの海は今日もこうして正しい知識の元守られていくのであった。






――――――――






 絶え間なく飛んでくる毒のトゲをなんとか回避しながら、毒が効かないエンペルトに庇われ、地底湖のある空間を逃げ惑う。
「だいたいなんでドヒドイデがこんなところにいるんだよ! あいつ海のポケモンだろ!」
「大方、トレーナーが逃して放置したのがここに住み着いたか野生が餌を求めてこんな山の中に居を据えたかの二択でしょう」
「それにしたってあのサイズおかしいだろ!」
 先程より近くにきたことで大きさがはっきりとわかるが図鑑では0.7mとあるのに絶対に1m以上はある。さすがに実サイズはわからないがどうしたらあんなサイズになるんだ。
「埒が明きませんね!」
 クレッフィをボールから繰り出して、壁にへばりつくドヒドイデへと向かっていくクレッフィならエンペルト同じく毒は効かないが――
「クレフ! でんじは!」
 至近距離に迫ったところででんじはを放つがしんぴのまもりで無効化され、そればかりかうちおとすでクレッフィが叩き落される。
「あの子……! 元は手持ちですね……」
 リジアが舌打ちしながらゲッコウガを出して叩き落されたクレッフィを回収させる。
「なんでわかるんだよ」
「賢すぎるんですよ! それにこんな場所に住みついてる海水ポケモンが野生ってどんな確率だと思いますか!」
 クレッフィを無事回収できたものの、執拗にトレーナーである俺らを狙ってくるドヒドイデはエンペルトによって毒が弾かれるものの、攻撃の手を緩めることはない。
「それにこの、人間への執拗な攻撃は恨みがあるポケモンによくあることです! 嫌というほど覚えがありますから」
 逃げていても仕方ないとエンペルトと回復させたクレフに毒をどうにか弾いてもらいながら湖に近づく。エンペルトが湖を通って近づけば早いのだが、クレッフィだけでは毒を庇いきれない。
「ドヒドイデの毒に触れたらシャレになりません……」
 図鑑で確認するがドヒドイデの毒は強力で、三日三晩激痛に苦しみ、助かっても後遺症が残るほどだという。こんな状況で食らったら間違いなく助からない。
 俺の手持ちはエンペルトのみ。リジアのは数匹不在だがエスパータイプも毒タイプも上で取り残されたし、今しんぴのまもりで状態異常は無効化されるからリジアの手持ちも動きづらい。
「……いっそ捕獲……捕獲すれば……」
「捕獲のほうが難易度高いだろなに言って――」
 ドヒドイデがしびれを切らしたのか壁から降りて水の上に器用に浮く――否、水底から引っ張り上げた元々ここに住んでいたであろうポケモンの亡骸を足場にしていた。
「なんつーやつだ……」
「はっ、どうりでポケモンがいないはずです。一匹になって王様気取りでしょうか」
 まるで煽るような口ぶりに危機感を覚える。そんなこと言うと余計に狙われるだろうと。
 案の定、むかついたのかドヒドイデはリジアにトゲを飛ばしてくる。ゲッコウガとともに走り出して俺とエンペルトから離れたリジアを止めようと手を伸ばす。しかし、エンペルトが庇うように引っ張ったためその腕は引っ込められてしまう。

「コウガ、じんつうりき! クレフ、かいふくふうじ!」
 走って躱しながら二体ともドヒドイデにしてやったりと笑い、即座にリジアの元へと下がる。
「チッ、届かない――」
 地底湖のど真ん中に陣取っているドヒドイデにボールが届かないのだろう。取り出した空のネットボールをつかむ。
「あー……あー! ヒロ! ちょっとそこのエンペルト協力させなさい!」
「えっ、今名前呼んだ!?」
「どーでもいいから協力しなさい! 地底湖凍らせるくらいできるでしょう!?」
 ああ、足場がないから氷で作れってことか。ゲッコウガも冷凍ビームは使えるだろうが恐らく陽動に使うから手が足りないのだろう。
「どのへんまでだ?」
「だいたい5mほどで結構!」
 湖へ走り出したリジアに合わせて氷の足場をエンペルトに指示して作り、ボールの投擲範囲内に入った途端、一度にボールを2つ、そして時間差で2つ、ドヒドイデの方とは違う向きに投げる。
 明後日の方向へと飛んだボールはいつの間にか張られていたクレッフィのリフレクターで反射し、ドヒドイデに一斉にボールが向かうがドヒドイデは足でそれらを跳ね除けばかにするように笑う。

 ――そう、本体が見えた。

「ほらね、言ったでしょう。王様気取りだって」
 本体が見えたその瞬間、ゲッコウガが水中からダークボールを持ったままドヒドイデに体当りし、ボールに吸い込まれたドヒドイデはボールごと湖に沈んでいく。
「コウガ、取ってきてください」
 水面から顔だけ浮かせたゲッコウガが頷いてしばらくすると手にボール片手に戻ってくる。捕獲に成功した様子でほっと一安心だ。
「戻る時気をつけろよー」
 なんせ足場が氷だし、うっかり滑らないように気をつけないとドヒドイデの毒が染み込んだ水に浸かるのはとても危険だろう。
「はっ、余計なお世話で――」
 こちらを振り向いて戻ろうとした瞬間、わざとやってるのかと疑うほど綺麗に足を滑らせ、更には滑った先が水面。そのまま踏ん張れず湖に頭からダイブした。
「き、気をつけろって言っただろー!?」
 エンペルトも横で呆れながら慌てて救助を頼むとゲッコウガに担がれてそのままエンペルトにバトンタッチしてとりあえず地に足をつけたが全身ずぶ濡れでこのまま歩かせると風邪をひく。
「と、とりあえず、みんな探してるだろうししばらくここでおとなしくしてるか?」
「……非常に、不本意ですが、現在地がわからない以上はそうした方が懸命ですね……くしゅんっ」
 にしても、火を起こそうにも薪がない。燃やせる物は何かないかと探してみるが地底湖と岩があるだけで何もない。
「火はつけられるけど最悪何か紙でも燃やすか」
「へっくし! ああ、オルド。ちょっとだけ薪もらえますか」
 オーロットがボールから出てきて成長したかと思うと古くなった部分を薪として提供してくれた。……これ痛くないのか? 体の一部みたいだけど。
「というか寒いなら服脱げよ。濡れてたら寒いだろ」
「着替えなんて持ってるわけないじゃないですか……はっくしゅん!」
 まあそれもそうか。幸い、俺の荷物は濡れてないし、俺の服なら着れないこともないはずだ。
「じゃあ俺の着替えとりあえず着ておけよ。焚き火で乾かしてる間くらいは」
「…………」
「その死ぬほど嫌そうな顔やめろ」
 親切心で言ってるのにあんな風に蔑まれるのは納得いかない。でも最近ちょっとそれも含めて悪くない気がしてきた。
「服は借りますが、貸しを作ったなんて思わないでくださいよ」
「思わない思わない。ほら、毒消しも一応飲んどけって」
 シャツとタオル、ついでに人間にも使える毒消しを手渡すと後ろを向いてオーロットから貰った薪にマッチで火をつける。その間水で重くなった服服を脱ぐ音とタオルで体を拭う音が聞こえてくる。


 ――あれ、冷静に考えるとこれいわゆる彼シャツ的な状況では?

 特に下心はなかったのだがそう考えるとドッドッと心拍数が上がっていく。どうする、どうしよう。何だこの状況。
 落とすとかそういうことを前に彼シャツとか段階飛び越えすぎでは? え、事故だからセーフ。そうだよなセーフだよな。俺悪くないもんな。
 自問自答をしていると視線を感じて顔を上げる。そこにはいつの間にかリジアのクレッフィが無表情でこちらを見つめていた。
 その目にはまるで虚無のような何か恐ろしいほどに重い何かを宿し、俺への感情は少なくともいいものだとは思えない。そう、例えるなら死んだ魚の目。
「あの……」
「は、はいっ!」
 極限の状況で声をかけられてつい振り向くとシャツを身にまとったリジアが裾を抑えながら恥ずかしそうにか細い声を出す。
「し、下も貸してください……」
 そう、リジアは俺と背丈がそんなに変わらない。リジアが少しだけ低い程度で女にしては高めだ。そのせいか、彼シャツ、だなんて呑気なことは言えず、裾が足りなくて隠しきれないのだ。
「し、しっ、下な! これ! ベルトの替えはない!」
 テンパりながらカバンからズボンを引っ張り出して投げ渡す。ベルトの有無とか今どうでもいいだろうに思考が完全に回っていない。
 というか生足が心臓に悪い。今までも見えていたのに今日は長い丈だったせいで見えなかったそれが今晒されて、心臓に悪い。心臓に悪い。もう、なんか心臓に悪い、いや、素直に言うと興奮してきた。
「何、してるんですか」
「ちょっと煩悩を振り払ってる」
 とりあえず頭にイオトとかを浮かべるんだ。テンションをどうにかして下げろ。あ、ムカつくなあいつ。落ち着いてきた。
 ここで紳士を貫かないとさっきからガン見してくるクレッフィとか、見ては来ないけど殺気を放つゲッコウガに殺られる。エンペルトも多分紳士じゃない行動には助けてくれないだろうし理性をフル稼働だ。
「と、とりあえず焚き火当たれよ。服も乾かさないとだし……」
 濡れた服を十分絞ったのか少し皺になっている。それをオーロットが腕にかけて干し、とりあえずはしばらく様子見だ。
「……本当……最悪です」
「えーと、なんでここにいたんだ?」
 何か話してないと気が散る。とりあえず無難でも面白くなくてもいいから喋らないと。
「……ったく、しつこい男ですね。本当はここに住む主を捕獲しにきました」
 思ったよりあっさりと目的を教えてくれて内心びっくりする。
「……ドヒドイデも確かに強いですがここの主は鋼タイプですし、ドヒドイデに遅れを取るはずがありません。恐らくまだどこかにいるでしょう」
「へ、へぇーそうなのか」

「お前はそれを止めますか?」

 妙に、悲しい声音だった。望まないであろう答えが返ってくるのをわかっていながらも聞いている、というのが伝わる。
 リジアの望みはわかる。が、俺は一般人として悪の組織に肩入れするわけにもいかないし、リジアを全肯定するのもきっと違うだろう。
「多分……止めると思う」
「そうでしょうね」
 わかっていたと自嘲する声。表情は見えない。ふと、膝を抱えているリジアのズボンが湿っていることに気づいて手を取る。
「お前、手袋濡れたままじゃん。外せよ」
「あっ、待っ――」
 触れるとじめじしたその手袋は革製ではないのがわかる。右手を引っ張る拍子に手袋が抜け、一瞬だけ痛そうに表情を歪めたリジアが慌てて振り払おうとするがリジアのか弱い力はただ腕を揺らすのみだ。
「……リジア、これ」
「あっ、ぅ……うぅ……」

 今までずっと隠されていた手の甲には赤黒い傷と火傷の痕があった。

「見ないで……やめて、放して……」
 弱々しい声はまるで子供のようで急に罪悪感にかられ、手を放そうとするとクレッフィにひっぱたかれ、よろけている間にクレッフィがリジアに寄り添っていた。
「はあっ、はぁ……!」
 震えと動悸。明らかに異常な様子にいったい、俺の知らないところでリジアに何があったのか。一つわかるのはあの手の傷跡が強くトラウマになっていることだけだ。
「クレフ……大丈夫……大丈夫です……」
 パチッと薪の音がするとそれにつられてリジアの肩が揺れる。
 リジアは火が苦手だ。それは今までの様子を見ればわかる。そして、あの手は火傷と傷――傷は噛まれたような痕ということから恐らく――。
「もしかして、ポケモンに襲われたのか……?」
 一番考えられるのはそれだ。リジアの手持ちにほのおタイプもいないし、ヘルガーに対しては異常に恐怖していた。
 リジアは無言だ。クレッフィも、俺を睨んでいるように思える。
 これ以上、踏み込まれたくないということなんだろう。
「……手袋の下を見られたのは医者を除いてお前くらいです」
「えっと、悪い……」
「ほんっとうに最悪ですね……人の嫌な部分にずかずか入りこんできて、最低です」
「ご、ごめんなさい……」
 リジアの顔は見えない。でも声はちょっとだけ泣いているように聞こえる。
「悪いと思うなら誠意を見せなさい」
「誠意……誠意?」
「そうです。誠意を示しなさい」
 急に言われてもどうしろっていうんだ。でもまあ、責任っていうんだし、一つしかないか。

「とりあえず結婚するならあと一年はかかるけど……」



「は?」



 なんでだろう。普通のこと言ったはずなのにすごく頭おかしいみたいな顔をされた。

 手持ちのエンペルトにすら「何言ってんだこいつ」と呆れた視線を向けられ、クレッフィに至ってはクレッフィにあるまじき表情でリジアに見えない角度で俺を睨んでいた。



とぅりりりり ( 2018/02/07(水) 22:36 )