新しい人生は新米ポケモントレーナー - 2章
不変と変化の境界

 ――グルマシティ。

 鉱山に囲まれたその町は交通の便が悪いにも関わらず人で溢れている。自然多きこの町は鉱石――宝石や進化の石が目玉でそのアクセサリー類も人気の一つである。
 炭鉱夫たちも活気に満ちていて夜でも都会とは違う光が輝いていた。



 そんなグルマジムの午後、ジムリーダーの部屋に一人立ち尽くした男が机を見下ろして震えていた。

『大地が私をアタイを呼んでいる! てなわけで留守番よろしくね!』

 丸っこい字で急いで書いたのがよく伝わるそれを死んだ目で見る男は肩に羽織った上着が震えでずり落ちていることも気に留めず唇を噛む。
 彼はグルマシティのジムトレーナーの一人、シン。
 ふざけた書き置きを握りつぶしたシンは震えながら呪詛を吐く。
「いい加減にしろよあの馬鹿……」
 連日の仕事疲れからか、はたまた元々か、目の下のくまがひどい彼はジム内全域に届く館内放送を使ってジムトレたちに怒鳴り散らした。
「総員! あの馬鹿ジムリを確保しろ! ようやくクレーム処理が一段落したと思ったらまた勝手に山に行きやがった!」
 ジム内が慌ただしくなり、ジムトレたちが町の方方に散っていく。
 その様子を物陰から観察する一人の女。一つにまとめた髪を揺らしながら、近くにジムトレがいないことを確認し、小さく息を吐いた。
「仕事ばっかじゃ疲れちゃうって。ちょっとくらい息抜きしてもいいじゃんねー?」
 ボールの中にいるドリュウズに声をかけにししと笑う女を見下ろしてシンは今にも血管がはちきれそうになりながら吐き捨てた。
「そのセリフは今ある仕事を全部片付けてから言え」
 シンの声に反応して笑っていた女は真顔で走り出す。その動きをわかっていたのかシンは指を鳴らすと女の進行方向にホルードが地面から現れ、行く手を阻む。
「バーカ! アタイにバトルで勝てるわけ――」
 ボールを出そうとして止まった女があれ、と違和感に気づいたときにはもう遅い。
 シンのヌマクローの技で足元がぬかるんでおり、その泥のせいでバランスを崩した女をシンが転ぶ寸前に受け止め、そのまま簀巻にして転がし、紐でくくってそのまま何事もなかったかのように路地裏から出てジムへと戻ろうとする。
 簀巻にされた女は子供のように駄々をこねだしてシンは苛立ちを隠しきれない。
「やだやだやだー! ずるいー!」
「跳ねるな! 釣り上げられたコイキングか!」

 コイキングのように跳ねる彼女こそ、グルマシティジムリーダーのコハクであり、町の人間からしてみれば日常茶飯事である簀巻も微笑ましい目を向けられるだけであった。

 簀巻の状態で暴れるコハクを引きずりながらジムリーダーの部屋へと向かうと、観念したのか萎れた花のように覇気のないコハクが小さく息を吐く。
「シンってば意地悪だよ」
「へぇ」
「もっと年頃の女の子に対しての扱い方ってものがあるんじゃない?」
「ふーん」
「聞いてる?」
「そうかそうか、すごいすごい」
「アタイの話聞いてないでしょ!?」
 びちびちと簀巻状態で怒ってみるがシンは本気でどうでもよさそうに足元のコハクを見下ろす。
「お前を女の子なんてかわいいものだと思ったことは一度だってない」
 なおも不満そうにブーブー言うコハクにシンのストレスは限界だ。
「だいたいお前が不在の間訪れる挑戦者やジムリーダーの業務が滞ってクレーム対応してるの誰だと思ってんだ!? どれだけ迷惑被ってると思っている!」
「若いときの苦労は買ってでもって言うし……」
「だーまーれー」
 簀巻は解くが椅子に縛り付け、手は動かせるものの逃げないように監視する。
 しばらくは面倒そうにしていたがしばらくしてようやく業務に手を付け始めた。驚くほど集中して発掘の許可や新しい出店の許可申請を確認していく。
 認めるのはシンとしても癪なのだがコハクは天才というに相応しい人物だった。
 バトルのセンスもさることながらアホそうに見えて博識であり、採掘所でも質のいい石を掘り当てる能力と身体能力の高さ。大地とともに生きる、まさに地の申し子。
 だが、それ以上に迷惑極まりない人物でもある。
「はぁ〜楽しくやりたいことだけやりたい〜」
「馬鹿を言うな。先日のレンガノシティでの事件といい、うちだっていつレグルス団とやらがちょっかいかけてくるかわからない状況でふざけるんじゃない」
「ん……でも実際アタイならなんとかできる気がする。気がするだけ」
「お前は本当になんとかしかねないから恐ろしいよ」
 事実防衛戦においてグルマシティとコハクは無類の強さを誇るだろう。実力もさることながら地の利が圧倒的だ。
「それでも! あのリコリス女史が出し抜かれたんだ。油断できるような相手じゃない」
 ジムリーダーの中でも恐らくユーリを除いて上位の強さであるリコリス。彼女が繭石を奪われたという失敗は既に各ジムにも通達が来ていた。
 だがコハクは知らなかったのか興味がなかったのか、なんでもないように言った。
「ふーん。リコリスさんも意外と抜けてるんだ」
 恐らく、本人はまったく悪意なく言っている。しかし、自然に他者を見下すその発言に天才ゆえの傲りが伺える。
「仮にもしレグルス団がうちの町にきても返り討ちにして、全部捕まえるけど『そもそもこの町に手を出さない』んじゃないかな。リコリスさんの一件も考えると頭は悪くないだろうし」
 ある意味狙われることがないのがはっきりとした余裕に繋がっている。この山に囲まれた地で争いを起こすということはつまり――
「敵の巣に策もなしに入れば食われるのは当然、だからね」

 無邪気で、純粋で、それ故に危ういコハク。
 この閉じた町を完全に把握している彼女はこの町の女王と言っても差し支えない。
 だからこそ、しっかりと構えていてほしいのにすぐに遊びに抜け出すからシンとしては胃が痛い。
「シンー、喉乾いたー。おちゃー」
「ったく……。淹れてくるからそこの3枚に目を通しておけよ。終わったら待たせてる挑戦者の相手だ」
「はーい。あ、できればお茶は熱めで」
 ぶつぶつと文句を垂れつつもようやくまともに仕事をしてくれたコハクに安堵しながらお茶とちょっとした茶菓子を持って部屋に戻る。この窓もない密室で逃げるなんて――

 そう思っていたシンは部屋に入るなり、床に大きく空いた穴を見てとうとう血管がキレた。


「コハクてめえええええええええええええええええ!!」


 グルマシティジムリーダー、コハク。ジム脱走常習犯。これを聞いたアリサは恐らく「だからあいつ早く首にしとこうって」とぼやいたとか。



――――――――





 ――ハマビシティ。

「ストーカー、ですか?」
「う、うん……。最近どうもおかしくて」
 ナギサが困った顔でガンエを見る。ガンエも不思議そうな顔でナギサの様子を伺うが怯えているわけではなく、困ったということしか読み取れない。
「警察に駆けこむ……にしては証拠や被害はないと?」
「どうも見られてる気はするんだけど一度も犯人見たことなくて……ミライにも不審者がいないか聞いたけど、特に怪しい人はいないみたい」
「ナギサちゃんはどうしたいですか?」
 捕まえるにしろ静観するにしろ、ナギサがどうしたいかが重要だとガンエは改めて向き直る。ナギサは確かにジムリーダーではあるがまだ16歳の少女なのだ。不安も多かろうとガンエ考える。
「うーん……誰かに送り迎えとかしてもらおうかな……さすがに死んじゃったら困るし」
「あなたを殺せるトレーナーの方が圧倒的に少ないでしょうに」
 不謹慎だとはわかっていても思わず苦笑してしまうガンエにナギサは真剣な顔で言う。
「ううん、私がうっかり過剰防衛で死なせたら困るから……」
「すいません、私が間違ってました」
 自分じゃなくて相手の安否を心配するあたりどこかズレている。そう思わずにはいられない。
「でしたらユーリ様にご依頼するのは? あの方、副業で探偵事務所をしていますし、調査してもらうとか」
「あ、それいいね! 一区切りついたらユーリさんに連絡してみる」

 ジムの備品を確認していたアクアはそれを聞きながら思わずにはいられない。

 ナギサ(ジムリーダー)、ランタ(四天王)、ユーリ(元チャンピオンのジムリーダー)。

 ――過剰戦力にも程があるのでは、と。



――――――――





 ――ヒナガリシティ。


「――……そうか、わかった。ひとまず一人そちらに人手を回そう」
 ナギサとの電話を終えたユーリは早速ナギサのストーカー被害の調査を誰に任せるか考えていた。自分が行こうかとも考えたが今は忙しくてつきっきりの仕事は難しい。
「さて……ああそういえばグルマシティの調査もあったな……」
 優先度はさほど高くないがグルマシティではコハクと打ち合わせしようと考えていたためついでに片付けてしまおうかと調書を見る。
 そこに、自分の仕事を終えたリンドウが「ああ」とユーリを見て調書をちらりと見て言う。
「グルマシティでしたらお供しますよ」
「そうだな。ちょうどコハクのやつとも打ち合わせしたいと思っていたし、助手として同行してもらうぞ」
 そう言いながらジムリーダー直通電話の受話器を取り、グルマジムのボタンを押す。各ジムに必ず設置しており、大抵はジムリーダーの部屋にあるその直通電話はしばらくコール音が続き、出る気配がない。
 予めアポをとっておくかと思ってのだが、ユーリは留守か?と電話を切ろうとするとコール音が消え、通話中になる。
「もし――」


『ふっざけんじゃねぇぞこの万年穴掘り脳ミソ土塊ブス! どこほっつき歩いてんだ! えぇ!?』


 少し離れたところにいるリンドウにすら聞こえる大声にユーリは耳がキーンとなって思わず耳から受話器を遠ざけた。片目をつぶって呆れたように再び受話器を近づけ、落ち着いた声で通話の相手に言った。
「……その声はシンか? 元気そうだな」
『ん……? あれ、もしかしてユーリさ……ああ!? すいません! すいません! てっきりコハクかと思って!』
 先程より大声ではないが焦って声が大きいため、リンドウがちらちら大丈夫かと見てくる。
「いや、いい……。お前が出たということはコハクは留守ってことだな?」
『ええ……まあ……』
「そうか。そっちに顔出そうと思ったんだが今度にしておく。俺はしばらくジムを離れるからコハクには伝えなくていいぞ」
『なんか……すいません……』
 微妙な空気を打ち消すように受話器を戻して通話を切る。なんとも言えない顔をしたユーリがため息をついてリンドウに言った。
「予定変更だ。グルマは後回しにするぞ。どうせあいつ、しばらく戻らんだろうしな」
「ではどうします? 優先度でいえばアケビシティの案件を――」
 リンドウが他にも仕事をいくつかピックアップし、ユーリが赴くべきだと判断した依頼を選んで、副業である探偵としてアケビシティへと向かうのであった。


――――――――



 ――アケビシティ。

 ここアケビシティは学問の町とも呼ばれ、大学や名門スクールが立ち並んでいる。
 巨大図書館や研究所、とにかく多様な人間が出入りする町だ。
 そして、この町のジムはエスパータイプの使い手であるため、超能力者も多い。
 アケビシティジムリーダー、オトギ。落ち着いた雰囲気と知的な眼差しの青年は自らが治めるジムへと向かっていた。
 大学の非常勤講師を勤める彼は、その帰りにジムでの仕事をするために忙しい毎日を過ごしている。
「オトギさーん!」
 ジムトレの少年がオトギの方へと駆け寄ってくる。頭に乗ったリーシャンが鈴の音を鳴らすような音を出しているため、まるで首輪につけたの鈴のようだとオトギは苦笑する。
「どうかしたかい、ハツユキ」
「ついさっき、オトギさんの客が来ました! 応接室で待ってます!」
 客、と聞いてオトギはああ、と納得したように微笑む。
 そう幼くはないハツユキの肩に軽くぽんと手を置いてご苦労様と労うとオトギはそのままジム内部の応接室へと向かった。
「ユキ坊、客ってどんなやつ?」
 ほかのジムトレがハツユキに問いかける。するとハツユキはうーん、と難しい顔を浮かべた。
「無表情な女なんだけどー、リーシャンにお菓子くれたから多分いい人じゃない?」
「りぃーん」
「なんだそれ」
 あまりに情報が少ない客人に思いを馳せながら、ジムトレたちは各々の仕事に戻っていった。





「――報告するなら連絡してくれたらよかったのに」
「突然申し訳ありません。オトギ様」
 応接室で他に人の気配がないことを再三確認したオトギは目の前にいる彼女を見て薄く微笑む。

「で、急にどうしたんだい? レグルス団の本拠地でもわかったのかな」

 客人――メグリは無表情のままオトギを見つめ、小さく息を吐く。

「いえ、やはりまだ信用されていないようです。僕の立場では現状難しいかと」
「ふぅん……」
 期待してないのか、それともわかっていたのかオトギは関心が薄そうな声を出す。
「やはり本拠地は別の方法で捜索したほうが――」
「同じことを言わせるんじゃないよ。君は引き続きレグルス団に潜入したまま情報を引き抜いてきなさい。それとも何かな。正体がバレたとか?」
「いいえ、そういうわけでは……」
 メグリは珍しく表所を曇らせる。その様子を見て、オトギは意外そうに目を見張った。
「珍しいね。君がそんな顔するなんて、何かあった?」
「いえ……その……」
 メグリの頭には二つのことが引っかかっていた。
 一つはリジアの存在。レグルス団という悪の組織に似つかわしくない彼女のこと。
 そしてもう一つは――

「あなたの……弟君と遭遇しまして……」

 その言葉にオトギは驚いた後、愉快そうに笑った。




――――――――




 リジアは漣の音が聞こえる小さな丘から浜辺を眺めていた。アジトのすぐ近く、人の気配はないその場所で薄ぼんやりと赤く彩られる空を見上げる。
 もうすぐ黄昏時。夜は任務でもない限り、外に出るなとイリーナに言われていたことを思い出し、リジアはここ最近の自分の変化を思い起こす。
(何か……漠然とした違和感が消えない……)
 胸に引っかかるような何かはあるのだがそれが何かはわからない。かつて失った記憶に起因するのかもしれないが、結局は思い出せず、八方塞がりだ。
 あの時の告白も、ようやく冷静になって考えられる。

 ――無理に決まっている。

 そう断言し、古くなったリボンを掴んで汐風を浴びながら顔を伏せた。
 この、たった一つ残った縁がある限り、自分は誰の想いにも応えるつもりはない。
 そして何より、罪を重ねた自分に、正しい人間は不釣り合いだ。

 ――ああ、本当に……まるでそれがなければいいと思ってるみたいで嫌になる。

 自嘲したリジアはなんとなしに空を見上げると一筋の流星が瞬く間に煌めいた。
 流れ星はあっという間にかき消え、リジアは視線を再び海へと戻す。汐風で揺れる髪を抑えながら独り言をもらす。

「私は……本当にこのままでいいのでしょうか」

 その答えはない。ただ傾く陽で彩られた浜辺に背を向けてリジアは自室へと戻ろうとする。
「待ってたって、誰も助けてくれないのはよくわかってるでしょうに」





――――――――




「誰か助けて……」
「なあ……まだつかないのかよ……」
「もうぐるぐるぐるぐるおんなじところを何度も迷ってるです……」

 ヒロたち一行は迷子になっていた。

 シシバの洞窟へと向かおうとしていた四人はもう暗くなりつつある森の中でバテていた。シシバの洞窟はこの森から入る必要があり、すぐに通過できるだろうと完全に舐め腐っており、まさか数日かかるとは思ってもみなかった。
 ところがまったくたどり着かない。空を飛んで洞窟の入り口を探そうとしたが樹海みたいに覆われてるせいで入り口すら見当たらない。
 いっそルートを変えたほうが早い気がしてきたのだがとりあえず、蓄積した疲労に苛む俺達はだらしなく行き倒れていた。
 唯一、まだ元気なエミが地図をぐるぐると回転させながら首を傾げる。
「うーん……この辺、磁場の関係かコンパスも役に立たないし困ったね。とりあえず一旦ラヅタウンに戻ってみる?」
「その前に飯……飯食ってから帰ろうぜ……」
 もうすぐつくだろう、を繰り返して今日は特に食事を後回しにしてもう夕方だ。陽が沈んだらさすがに飛ぶのも危ないので今夜はここで野宿して朝にラヅタウンへと飛んで帰ることにしよう。
 野宿の準備をしていると、イヴは急に何かに気づいたのか俺から離れて茂みの奥へと行ってしまう。
「イヴ! どこいくんだー」
 はぐれたら困ると追いかける。幸い見失うことはないがあまり遠くにいくと3人のところまで戻れない。

「こら、イヴ? どうし……?」
 何かを見つけたとアピールしてくるイヴが案内してくれるが、きのみでも見つけたんだろうかと草木をかきわけてみる。

 そこには行き倒れの人間がいた。

 弱々しい掠れた声と薄汚れた姿。放置していたら死ぬんじゃないかという不安を煽ってくる。見つけてしまった以上、放っておくわけにもいかず声をかけてみる。
「あの……生きてますかー?」
 行き倒れの人物は軽装の女性だ。歳は俺より少し上だろうか。何かぼそぼそと言ったかと思えば、俺を見るなり急に起き上がって奇声をあげた。



「おまんまよこしぇええええええ」


 迫力にびびって思わず後ずさるとイヴが俺を守るように尻尾で女性をひっぱたいた。そんなに痛くはないはずなのだが……弱っていたのかパタリと倒れてしまう。
「あひええええ……もうだめだ……このまま干からびてあたしはミイラになるんだ……デスカーンの中に入れられるんだ……うえっく……ひっく……」

 生き物は空腹になると余裕と尊厳がなくなるんだなぁ、と思いました。




とぅりりりり ( 2018/01/12(金) 21:02 )