ジムリの日常:アンリエッタ編「花の貴公子と俺」
ふとした瞬間、死にたいと思ったことはないだろうか。
俺は特にそう思う。
「喪服ー。掃除やっといて」
「喪服、あんた洗い物適当すぎる」
「喪服どこー?」
人のことを喪服呼ばわりするクソジムトレ女どもに日々こき使われる毎日。ストレスで禿げそうだ。
「ユウタロウです」
「ふーん。あ、喪服タロウ。ここ片付けといて」
散らかった談話室の机を見てもはや怒りを通り越して呆れてくる。
しかしここでは男の地位はとても弱く、おまけに自分はジムトレたちの中でも新人。正直地獄でしかない。
ことを荒立ててもよくないと今後のためにも逆らわずパシリ生活をしていたがそれも我慢の限界だ。人が無口だからってなんでもやる便利なパシリだと思いやがって。
こんなことならハマビジムにしとけばよかった。最初、ハマビジムのリア充オーラに気圧されてしまったのが間違いだった。確かにリア充系だがここよりはるかにまともなのだ。
手持ちであるハスブレロのハスことハスろうも手伝ってくれるがそれでも疲れる。マジで転属したい。
「力が欲しい……」
「力が欲しいのかい?」
「欲しい……」
当たり前のように声をかけられて思わず答えてしまったがその声は聞き覚えのあるものではっとして横を見る。
無駄に顔面偏差値の高いイケメン――否、女性である。
我らがラバノジムリーダーであり、役者として、コーディネーターとしても活躍するアンリエッタさんだ。
通称花の貴公子。その派手でキザな二つ名にふさわしいオーラと気品を備えた彼女は俺の前に立つ。
「君たち、一人に片付けを押し付けたらいけないよ」
中性的な声はよく通り、俺に片付けを押し付けようとしたジムトレたちは僅かに慌てた。
「アンリ様。これはその……」
「言い訳もなしだ。僕は皆仲良くと常々言っているだろう?」
優しいが有無を言わさぬ言葉にジムトレたちは渋々部屋の片付けを始めた。俺はその隙に部屋から抜け出し、久しぶりに見たアンリエッタさんに少し緊張していたことから肩を下ろした。いい人なのはわかっているがどうしても近寄りがたい。
「ユウタロウ君」
早く持ち場に避難しようと早足になるがそれを引き止める声――アンリエッタさんがキラキラする笑顔で俺を見た。女性にしては背は高いが、俺よりは低いため、珍しく見上げるように俺を見てくる。
「ユウタロウ君、ごめんよ。また困ったことあったら言ってくれ」
「あ、はい……」
ハマビジムに転属したい、と言おうと思っていたのだがとっさに言葉が出て来なかった。というのも、大半の原因がこの人のせい――ジムトレの9割がアンリエッタさんのファンばかりでそのノリについていけない上にパシられるからだからだ。理由を聞かれたら困る。
「アンリ、仕事」
「ああ、わかってるよ。それじゃあユウタロウ君、頑張って」
秘書兼ジムトレのまとめ役であるリーホさんがアンリエッタさんに声をかけ、アンリエッタさんは一足先に事務所へと向かった。
一応先輩であり上司のリーホさんがいるので勝手に何処かに行くわけにもいかず、彼女が何か言うのを待つと少しかわいそうなものを見るような目で俺を見てくる。
「一応言っとくけどあんまり勘違いしないほうがいいわよ」
「……はい?」
よくわからないことを言われて本気で首を傾げる。俺の真似をするように両脇のハスことハスろうも首を傾げた。
「あの子はみんなに優しくあろうとしてるだけ。そういうやつなのよ。みんなの理想の王子様らしく、ね」
「はあ」
「たまにいるのよ。男女問わず、あいつが無闇やたらに優しくするものだから自分が特別って思っちゃう子が」
「そうですか」
自分には関係のない話だ。まだ最近入ったばかりのジムトレだからたまたま覚えていただけだろうと思っていたし。
「ま、その様子だと問題なさそうね。今日はもうあがりなさいな。まったく……私とアンリエッタがいないときパシリにされるようなら連絡よこしなさい。いい?」
こくりと頷いて出ていく後ろ姿を見送る。彼女もまたいい人なのだが言い方が少しきついせいで叱られているみたいに感じてしまう。
はあ、とため息をついて今日はもう帰ろうとするも、本気でハマビジムへの転属を考え、その理由を聞かれた時の言葉を考えながらジムから出る。
すると、無愛想な男がまるで俺を値踏みするように見ていることに気づく。全身真っ黒の俺が言うのもあれだがその男も執事服のような格好で黒一色の装いだ。背は少し低めだろうか。少なくとも俺やアンリエッタさんより低い。
「お前、ここのジムトレか?」
「はあ、そうです」
やけに高圧的だなぁと思いながらも答えると男は早口でまくし立てた。
「ジムリーダーに取り次げ。それくらいすぐできるだろう。誰がと聞かれても答えるな」
「……えーと、アンリエッタさんは仕事で不在なので、無理です」
さすがに来客を告げ、誰であるか伝えればこちらに戻ってくるかもしれないが名前を出すなと言われたら無理としか言えない。そもそもなぜこんな高圧的なんだ。
「チッ、使えないやつだな」
男はそれだけ吐き捨ててさっさとどこかへ行ってしまった。
ハスこがその失礼な態度に腹を立てて「シャーッ」と唸っており気持ちはとてもわかる
挑戦者にしては歳がいっているし、装いからして旅人ではなさそうだ。が、結局名乗りも身分を教えることもなかったので俺はそのことを次の日にはすっかり忘れてしまうのであった。
――――――――
アンリエッタさんが他のジムトレに注意をしてくれたおかげか、前よりひどいパシリ扱いは受けなくなったものの、腫れ物というか数少ない男ということであまりいい目で見られない。
これだから女の集団は嫌なんだ。群れると強気になるから。
「ああ、ユウタロウ。ちょうどよかった」
暇だったのでハスことハスろうの一人と二匹でトランプをしていたらリーホさんが声をかけてきた。ちなみにハスろうに負けそうだったところなのでごまかすようにリーホさんの方を向く。
「仕事ですか」
「ええ。ちょっと普段と違うから来てもらえる? 案内するわ」
リーホさんの後ろについて新しい仕事とやらを教えてもらうために普段通らないジムの奥の部屋へと入る。ハスろうとハスこは一旦ボールにしまったがなんだろうか。
「アンリ。連れてきたわよ」
ん?と部屋に入ったところで目の前を見渡すと書類の束に囲まれて瀕死のアンリエッタさんがいた。一目でわかるほどやつれている。
「うん……おかえり…………あ、ユウタロウ君も……」
「ほら、栄養ドリンクよ」
隙間の少ない机に栄養ドリンクの瓶を置いてリーホさんは別の机に座って呆れた声を出す。
「あんた予算の計算ミスひどいんだけど」
「無理……頭回らない……」
「明日の撮影あるんだから今日中に終わらせないとしんどいのはあんたよ」
今は午後2時だが書類はどう見ても二人でどうにかなる量ではない。ていうかなんだこれ。ジムの書類関連にしては多すぎる。
「というわけで、ユウタロウ。特別に書類仕事を手伝ってもらうわ。ただし、ジム関連以外の仕事もあるからこのことは他言無用。いい?」
「はあ……」
とりあえず即席で用意したのがわかる机に座って、手近な書類を確認する。ラバノシティに関する嘆願書だ。他にはとある会社の経理のまとめだったりなんかごった煮すぎてまず整理から始めないと話にならない。
「これ、どれだけ違う案件あるんですか」
「まずこのジムに関連すること。次にラバノシティ全体の事件や商売に関するもの。あとアンリの実家の会社の仕事と役者として活動する際のインタビューやスケジュール調整にコーディネーターとしての仕事依頼。一応コーディネーター関連でアンリ監修のグッズあるから」
尋常じゃない仕事量である。しかもリーホさんいわく、大半はアンリエッタさんの承認印やサインが必要らしいので目を通さないといけないらしい。
「あなたの仕事はアンリの目を通した書類を種別ごとに分類して整頓。手が空いたらラバノの嘆願書への意見とりあえず、あなたの考えでいいからメモしておいて」
「わ、わかりました」
部屋の中はアンリエッタさんのロズレイドや俺のハスろうとハスこ、リーホさんのノクタスがそれぞれ手伝いつつ、集中しているのかほぼ会話もないまま黙々と作業を続けた。
おおよそ18時を迎えるあたりで積み上げられていた書類がようやくなくなり、疲弊しきったアンリエッタさんも少し心に余裕ができたからかぎこちないながらも笑顔を浮かべる。
「ユウタロウ君、ありがとう。わざわざすまなかったね、手伝わせて」
「いえ……」
「やっぱり一人増えるだけで効率が違うわ」
そんなに変わるものなのかと不思議に思うがまあ俺プラスハスコンビ2匹なのでそう考えると早くなっているのかもしれない。
「アンリって役者としての稽古とかテレビ出演とかであんまりジムにいないじゃない? しかも本人がしょっちゅう後回しにするからこのザマよ」
「なんとかなると思ったんだ……思ったんだよ……!」
小学生の夏休みの宿題をギリギリまでやらない理論だった。
というか、この数時間でアンリエッタさんのイメージがかなり崩れたというか、完璧超人イケメンだと思っていたら仕事を溜め込む残念なイケメンになっている。
「二足のわらじどころか無駄にわらじ抱え込んでる癖についつい後回しにするのがいけないのよ。おまけにジムトレの子はファンが多いからこんなの頼めないしね。ユウタロウはそういうのじゃないからちょうどいいかと思ったらしいわよ」
「ほら……ユウタロウ君、他のジムトレの子らとあまり仲良くないだろう? 無理して仲良くしろとも言えないからこっちの仕事を手伝ってもらったほうが本人も気が楽かと思ってさ……」
あれからずっと気を使われていたらしい。申し訳ないような、目をかけられて嬉しいような複雑な気持ちだ。
「だいたい、男手が少ないのもあんたがジムトレの条件厳しくするからファンの女しか来ないのよ。募集要項に書けないからって面接で弾くのやめなさいよ」
「いや……だって……」
アンリエッタさんは普段の王子スマイルを保てないでしどろもどろの様子でリーホさんから目をそらす。そういえば俺の時はすんなり合格だったけど条件ってなんだろうか。
「その条件ってなんですか?」
すごく強いとかではないと思うが自分に特徴があるかと言われると微妙なところだ。見た目に特徴があるわけでもないし。
すると、アンリエッタさんはすごく気まずそうに、そして顔を赤くしながら本当に注意して聞かなければ聞こえないような小さな声で言った。
「ぼ、僕より背の高い男……」
真っ赤な顔を俯けて呟かれた内容は想像していた条件とはだいぶ違った。ロズレイドが呆れたように両手を広げているのが見える。
改めてアンリエッタさんを見るがたしかに女にしては高身長だ。下手したら男の中に混じってても違和感がない。
「アンリは昔『俺より背の高いデブとなんか付き合えるか!』ってフラれて以来それがコンプレックスなのよ」
「わああああああああ!」
慌てたようにリーホさんの口をふさごうとするが軽くあしらわれ、追い打ちのように暴露が続く。
「とまあ、その悔しさをバネにダイエットして、挙句自分が最高の王子様になるとかいう頭の悪い考えで今この姿ってこと。思っているより俗よ、こいつ」
「……こじらせた普通の人ですね。アンリエッタさん」
暴露された恥ずかしさから普段の毅然とした姿は霧散し、部屋の隅で蹲りながら呻き声をあげるだけの存在と化す。
「ああ、昔の写真あるけど見る?」
「アーッ! その写真は! それだけはやめて!」
どれどれとリーホさんから渡された写真は何人か子供が写っているもの。アンリさんらしく銀髪の子供がいるが――
「あー……」
控えめに言ってマクノシタを少しスリムにした感じというべきか。要するにぽっちゃりでは済まない。
今の彼女を見ると長身ですらりとした体つき。必要な部分にほどよく肉がついていて、努力が伺えた。
「……努力したんですね」
「うう……ありがとう……でも忘れて……」
多分、ダイエット本出せば売れると思う。
ふと、同じ写真に映る他の子供に見覚えがあってよく見てみるとあの有名人であることに気づいた。
「この隣の人、ヒナガリのユーリさんですよね? この二人は……?」
ユーリの隣に写っている、彼女とよく似た少女と、アンリエッタの隣にいる銀髪の少年。見覚えがない二つの存在が妙に引っかかった。
「女の子の方は知らないけど銀髪はアンリエッタのお兄さんよ」
「よく兄様と並ぶたびに二人揃って悪役ヅラとか言われたものだよ……」
まあ写真だけみると確かに悪役面してると思う。目つきとか雰囲気がそういう類だ。兄らしい人物はにやにやと意地悪い顔をしており、子供のアンリエッタさんの頭に肘を置いていた。
「僕はその……昔から兄様たちと比べて落ちこぼれでさ……悔しくて見返してやろうと頑張ったんだけどユーリに……姉様は軽く僕が時間をかけてできることをすぐにやってしまうから正直同じジムリーダーって立場がしんどくてさ」
「今でも顔合わせるたびに言いくるめられるもんね、あんた」
今はじめて知った力関係にちょっとかわいそうだなと思ってしまった。アンリエッタさんといえば俺の中ではどんなときでも笑顔で余裕そうな人だったのでかなりイメージが変わる。というか前までと比べてかなり親しみやすい。
「とりあえず、ユウタロウは通常のジムトレ業とこの書類処理手伝いで今後も大丈夫かしら。シフトの調整は当然するし手当も出すわよ」
「あー……そういえばその、俺……ハマビジムに転属したいんです……けど……」
アンリエッタさんがいるしちょうどいい機会だと思ってずっと考えていたことを口にする。するとなぜかアンリエッタさんは一瞬だけ悲しそうな顔をし、すぐに真面目な顔で言った。
「原因は……ジム内での立場かな?」
「あ、はい……」
色々それっぽい言い訳を用意していたが言い当てられてしまってつい頷く。
「……もしかしてずっとそれ考えていたかい?」
「まあ、やっぱりここは合わないので」
「そっか……うん、ナギサちゃんはいい子だからきっといいと思うよ」
少しだけ寂しそうな風に言うものだから罪悪感が募ってついおかしなことを口走りそうになる。せっかくのチャンスだ。口を閉じているべきだ。
「ただ向こう側が受け入れしているかの問題と、君が向こうの条件を満たしているかもあるので確認が取れるまでは少し待ってくれないかな。またその時声をかけるから」
「はい……」
恐らく俺の詳細を書いたジムトレのプロフィール用紙を一覧から取り出してコピーを取り始める。アンリエッタさんはそれ以降何も言わなくなってしまった。
――――――――
二日後、ジム内で見かけるアンリエッタさんの機嫌が悪いと他のジムトレたちが噂しているのを耳にし、まさか俺のせいかと少し不安になった。知られたらリンチされてもおかしくない。
今日は書類の手伝いなので少し気まずいがとりあえず例の部屋へと向かうとリーホさんがいない。いるのはアンリエッタさんとロズレイド、ノクタスだ。
「ああ、ユウタロウ君か。今日はそんなに多くないから」
「はい」
机の上の書類を見て確かに先日はあまりに溜め込みすぎたんだなと改めて実感する。これくらいならまだ普通の範囲内だ。
しばらくは黙々と作業を続けるがリーホさんが来ないせいで部屋の空気が気まずい。早く来てくれ。
「……ナギサちゃんに君のこと伝えたら転属に関しては問題ないと言われたよ」
「あ、そう、です……か」
思ったより早い返信になぜか望んだはずの自分が驚いてどもってしまう。
これで念願のハマビジムだというのにあまり気が進まない。ここに愛着でも湧いたんだろうか。
「ねえ、ユウタロウ君。やっぱりハマビジムに行きたいかい?」
静かな声だった。普段のアンリエッタさんが出す毅然としたものではなく、本当に素の落ち着いた声。
よく考えて、自がどうしたいかの結論を出す。確かに行きたい気持ちはまだ確かにあるが――
「いえ、ラバノジムでがんばってみます」
聞いてきたくせにアンリエッタさんは驚いたように目を見開く。かと思うと書類で顔を隠して少し上ずった声で言う。
「ほ、本当に? 後悔しないかい? 別に誰も怒らないよ?」
まあ、たしかにほかのジムトレたちは嫌だが、アンリエッタさんのこういうところが案外嫌いじゃないと言うか、見ていて面白いのでそんなに急いで離れなくてもいいかと思えてしまったのだ
「アンリエッタさんが意外と面白い人だったので、それが理由です」
書類越しで顔は見えない。多分俺の顔も向こうは見えていないだろう。ちょっと照れくさいので口元を引き結んでごまかす。見えているのはノクタスくらいだしセーフ。
「……そ、そうかい。まあ、一応どうしても転属したかったら言ってくれよ」
「はい。ところでリーホさんまだですか」
「えっ、ああ! そういえばそうだね、ちょっとジム内放送で呼び出してみようか!」
慌てて立ち上がったからかよろけているのが目に映る。そのまま館内放送でリーホさんを呼び出そうとして机に足をぶつけたりしているのを見て思わず吹き出してしまった。
他のやつらはこんなアンリエッタさんを知らないかと思うと、少しだけ楽しいなんて思えるほど、彼女の姿は皆が言う王子様とかけ離れていた。
まあ、もちろん勘違いはするつもりはないので程よい距離を保ちながら彼女を見守りたいと今後のささやかな目標を決めて俺のジム生活は少しだけマシになったのである。