新しい人生は新米ポケモントレーナー





小説トップ
番外編
ジムリの日常:ユーリ編「愛憎スクランブル」



 ヒナガリシティジムリーダーであり、この地方でも最大規模の探偵事務所。そこの所長であるユーリはいつにもまして不機嫌だった。
「がるるるるる……」
「ぴーかぁ……」
 元気だせよと言わんばかりにせんべいを渡すピカチュウだがユーリは「いらん。お前が食え」と突き返す。ピカチュウはバリバリとせんべいを食べながら不機嫌そうなユーリを見つめる。
「ううううううう」
 ぎりぎりと歯ぎしりが静かな事務所に響き渡り、それをちら見しながら職員たちは声を潜めた。
「所長、何かあったんですか? ポケモンみたいに唸ってますけど」
「どうせまた無視されたのよ。チャンピオン様に」
「ストレスになるだけなんだから気にしなければいいのに」
 そんな不機嫌なユーリに近づく猛者はいない――と思われたがそこそこいた。

「ユーリさん!」
 大型犬のように飛びついてきた男をかわしたユーリは相変わらず不機嫌そうだが落ち着いた声で男に言葉をかける。
「リンドウか。頼んでいた業務は?」
「終わらせて担当に引き継ぎました。ところで今日の夜お暇ですよね?」
「暇だがお前に使う時間はないぞ」
 冷たくあしらわれているにも関わらずめげる様子のない男に、職員たちはまたかとやや呆れた顔を浮かべた。
「お前もいい歳だろうに、俺にばかり構っていると婚期逃すぞ?」
「いや、それ君にも言えることだからね」
 突然、背後からの声。パサッとユーリの頭に書類の束を叩きつける男とも女とも判断できない人物。仕事のときだけ眼鏡をつけているのか胸ポケットに眼鏡を入れて頭を掻く。年齢も20代後半ほどに見えるがどこか老成した雰囲気があった。
「なんだイオリ」
「これ、頼まれていた君の婚約者様とやらの手がかり」
「ああ、早いな」
 婚約者、と聞いてリンドウの顔が引きつる。さっきまでニコニコしていたリンドウの不機嫌オーラにユーリは無感情な声で吐き捨てる。
「別に結婚するつもりなんぞさらさらないがあいつが実家に戻らんと話が進まん。あいつの親には世話になっているしな」
 だがリンドウの表情は晴れない。むしろ今度はリンドウが歯ぎしりしながら拳を握りしめる。
「妬ましい……婚約者という立場になりながらユーリさんを嫌うそいつが憎い……」
「リンドウ君、そういえば君、ユーリの婚約者の話知ってたんだ」
 イオリは腕を組んでユーリから視線は逸らさないもののリンドウに話しかける。リンドウは逆にイオリを向いて当然とばかりに言った。
「ええ、知ってますよ。ユーリさんと婚約できるってのに家出したクソ野郎でしょう?」
「え、ああ……あー……なんか微妙に勘違いしてそうだけど訂正面倒だからいいや」
 ――相手が女だって知ったらどうするんだろうなぁこいつ。
 ユーリとリンドウ以外が一斉にそんなことを考えながらリンドウを見た。ユーリはそもそも性別に関して気にしていないのか口にする様子はないようだ。
 事務所の職員は皆(でもあの二人もヒナガリジムのジムトレになれるだけあってエリートなんだよなぁ)とアホなやりとりを見守りながら不思議に思う。
「ところでさ」
 イオリが突然、ユーリの座る椅子を勢い良く引っ張って腰の辺りを両手で掴んで持ち上げだす。急に子供のように持ち上げられたユーリは顔や体型のこともあって本当に子供のようだ。
 が、ユーリの表情はみるみる青ざめていく。「やっべ」と今にも口にしそうな雰囲気にリンドウは何か気づいたのか納得したように「ああ」と声を上げた。
「ユーリ。最後に食事したのはいつ?」
「……き、のう……」
「嘘、一昨日くらいだね? はあ、放っておくとすぐ食事抜くんだから君は」
 軽々とユーリを肩に担いでイオリは暴れるユーリをなだめるその様子はまるで親子のそれだった。
 ユーリは少食なのと、仕事で忙しいあまりに食事を軽んじる癖がある。それを正すのは主にジムトレたちの密かな日課であった。
「放せ! 担ぐな! 人を米俵みたいに持つな!」
「はいはい一日三食食べない子は出荷よ〜。リンドウ、適当になんか持ってきて」
「はーい」
「リンドウー! 貴様もかぁ!」
 忠犬リンドウの裏切りに唸りながらも捕まった以上抵抗は無意味と悟ったユーリは抱えられたまま「あとで仕事をたっぷり与えてやる……」と恨み言を呟く。
 ユーリのピカチュウもしゃーねーなとイオリの後ろについて歩く。助ける気は微塵も感じられない。
「じゃあちょっとついでにジムの方行くからなんか所長案件あったら連絡お願い」
「あ、はい。――ところでイオリさん」
「んー?」
 引き止めた職員が頭から爪先までイオリを眺めてずっと気になっていたことを口にした。
「前から気になってたんですけど男なんですか? 女なんですか?」
「どっちだろーね?」
 気障ったらしいウインクをして担がれたユーリとともに事務所を後にしたイオリの謎が増々深まり、職員たちは彼らと一緒に仕事をしているのに知らないことばかりだと頭を悩ませるのであった。



――――――――


「もういっぱいだぞ……」
「半人前も食べてないけど」
「俺は低燃費なんだぞ……」
 机に突っ伏したユーリは半分ほど残った食事を前にして手帳を開く。
「ったく……揃いも揃って世話好きかお前ら」
「んー、ユーリだから、かなぁ」
 イオリは首を傾げながらリンドウの方を向く。リンドウも頷いて残った食事をあとで食べれるように片付けていく。
「ユーリさんの人望ですよ」
「ふんっ。まあいい」
 少しだけ嬉しそうに顔を背け、ユーリは手帳に書き殴られた自分の文字を見つめる。

(最後にあの馬鹿に再戦を仕掛けてから結構経ったな)

 ユーリが最後にチャンピオンに再戦を求めたのはほんの二ヶ月ほど前。それまでは二週間に一回は押しかけていたほどだったがもうずっと行っていない。
 レグルス団のことで忙しくなり始めたこともあってそれ以降ぱったりと途絶えてしまったお百度参りはなぜか今、行く気がしないようだ。

「なあ。お前ら、俺がジムリーダー辞めてまたチャンピオンになったらどうする?」
 口にはするものの、あり得ないこと。あのチャンピオンに勝つまで復帰するつもりはない。だから不確定な未来だ。
「まあユーリが辞めるなら僕は辞めるかなー」
「俺も多分辞めてオウシャ島のなんか職探しますね」
「俺様が言うのもなんだがお前らは思い切りがよすぎないか……」
 ほんの数秒も迷わず言い切る部下に半ば呆れてしまう質問の当事者は二人の言葉を聞く。
「というか、僕は一応ユーリのために働いてるんであって、ジムそのものに愛着があるかっていうと……」
「俺もユーリさんのそばにいたくてジムトレになったのでユーリさんがチャンピオンになるならリーグの職員になるしかないっていうか……」
 面と向かって自分を好いて追いかけるという二人に、ユーリは照れたのか顔を手で覆って「お前らアホか……」と呟いた。その様子をほっこりした様子で見る二人は妙に嬉しそうだった。
「まあ、こういうことがあるからジムリーダーである限りは辞めらんないね」
「そうですねー。ユーリさんを遠くから見てた頃よりずっと色んな一面が見れて幸せなので」
「もういい。わかった。俺のことが好きなのはわかったからやめろ」

 ユーリは一応、自分に妙なカリスマがあるのは悟っており、友であるギフトもまたそれに当てられていることには気づいていた。
 が、それをどうにかしようにも普通にしているだけでそうなるのだからどうしようもない。フィル曰く「いわゆる王者の器ってやつさ」とのことで、ユーリは自分の存在価値をそこまで気に留めたことはあまりなかった。ようやくここ最近で「よくない傾向だな?」ということに気づいた程度である。
 どちらかといえば、今は亡き姉にそういった素養があると子供の頃思っていたので自分がそうなるとは考えもしなかったようだ。

 まあ、嫌われるよりはいいかとなあなあで今過ごしているのだが、ユーリはそれ以上に恋愛的な好意は素直に受け取れなかった。
「ていうか……俺を恋愛対象として好きとかただのロリコンだぞ」
「自分の容姿を客観的な目で見られるんだ……」
 イオリがぼそりと意外そうに呟くと「黙れ」と声を低くしたユーリに咎められる。自分で認めることはできるが他人に指摘されるのは嫌らしい。
「俺は中身で人を見てるので……」
「何度も言うが俺は恋愛しないぞ」
 リンドウを牽制するように言うが聞いていないのかそれとも聞こえない振りか、そのまま言葉を続ける。
「俺は色んな意味でユーリさんを敬愛してるので俺の心がある限り諦めません!」
「……俺は何度も忠告したぞ? 早く見切りをつけて他に女でも探――」
 ユーリの言葉を遮ったのはジムの来訪者を知らせるアラーム。
 その音にイオリもリンドウもスッと表情を引き締める。
「ユーリ。挑戦者だけど僕らは加減したほうがいいかな?」
「好きにしろ。俺のところまでくるにしても結果は同じだ」
 気だるそうに立ち上がるユーリはジムリーダーが待機する最奥のフィールドへと向かう。その目はギラギラと巣に迷い込んだ獲物を狩る獣のようだった。



――――――――


 ヒナガリジムの仕掛けは強制的なジムトレーナーとの戦闘はなく、やろうと思えば無傷でジムリーダーまでたどり着くことができる。
 なので、一見簡単なことにも思える挑戦は、自らの愚かさを思い知らせるだけだとユーリと戦って初めて気づく。

「貴様にやるバッジなどない」

 帽子を目深に被ったユーリがそう呟いて一瞬のうちにフィールドか土煙で視界を奪われる。
 挑戦者の手持ちは残り1匹。ジムリーダーにたどり着くまで無傷であるにも関わらず、ユーリの手持ち1匹すら倒せず、唖然としながら最後の1匹を繰り出した。
「ほう。クイタランか。ここらでは珍しいじゃないか」
 嘲笑うように小さく口を歪めるユーリにかつて多くの人間が憧れたチャンピオンの面影はない。ただ純粋にバトルを楽しんでいた輝く笑顔は赤黒く染まったかのように歪んでいた。
「天敵とはやってくれるな。なあ、アイアント」
 たった一匹で挑戦者の手持ちを壊滅させたアイアントは地中に潜って姿を消す。
「クイタラン! れんごくだ!」
 どこから来てもいいように自分の周りに炎を撒き散らして警戒するクイタラン。挑戦者も最後の1匹ということもあってか相当慎重になっている。
 弱くはない。ポケモンもよく育っている。自分がチャンピオンの時代ならジム制覇も夢ではなかっただろうにとユーリはどこか冷めた考えで挑戦者を見た。
 自分を倒せる者だけが、あのチャンピオンに挑む資格がある。

「この俺様を倒せぬようならあいつに挑む真似すら認めんぞ」

 傲慢な言葉とともに、岩の欠片がクイタランを襲い、かわしたかと思えばいつの間にか岩に囲まれて身動きが取れなくなっていることに気づいたときには全てが遅かった。
「終わりだ」
 今までの岩とは訳が違う大きさ。これがストーンエッジなのか、と困惑するほどに鋭く巨大な岩がクイタランを押しつぶし、戦闘不能となったクイタランを悔しそうにボールに戻した挑戦者にユーリは吐き捨てた。
「出直してくるんだぞ。その程度では俺には勝てん」




――――――――



 ――ヒナガリシティはジムリーダーが変わってから突破者が一人も出ていない。

 有名な話だ。しかも、チャンピオンと因縁があることもあって「チャンピオンに挑戦者を寄越さないための嫌がらせだ」と言う者もいる。
 それは概ね間違っていないが俺からしてみればそれよりも大事なことがある。

 他の誰かに、あれの視線を奪われるのが、想像しただけで吐き気を催す嫌悪なのだ。

 自分を初めて打ちのめした相手。憎くて、嫌悪して、どうしようもなくその瞳に焦がれる相手。
 最初から自分のことなど眼中にないことはわかっていた。だからせめて、俺を認めてほしいと、こちらを見てほしいと思った相手。
 それなのに何度も何度も何度も挑もうとあいつは俺のことなど見ていなかった。
 目の前に蝿がいたから払った。多分その程度。興味もなければ好意もない。
 バトルマニアであるあいつからしてみればさぞ自分は憎いだろう。そう思っていたのにそれすらどうでもいいのか、押しかけてバトルを挑むときも何も言われない。

 ――憎め。もういっそ嫌ってもいい。だから俺を見ろ。

 そう、何度も願うほどに、俺はあいつへのドロドロした感情を哀れな挑戦者に向ける。

 かわいそうな挑戦者。個人の私情に振り回されるなんて。

 だが、こうすることでしか、俺はあいつの特別を奪えない。


――――――――



 哀れな挑戦者とのバトルをイオリたちは見守っていた。
 間違いなく挑戦者は強い部類だ。ただ、ユーリを相手にするのは荷が重すぎる。
「愛憎ってやつだよね」
 モニターのユーリに釘付けのリンドウには聞こえていないのか何も言わない。他のジムトレはそれを呆れつつもイオリの言葉を黙って聞いている。
「見てほしい、って感情は憎さからくるものだけど、それとはまた違う別のものも間違いなくあるよ」
「……好意ってことですか?」
 ジムトレの質問に、イオリは苦笑した。
「でもまあ、あれを恋と呼ぶにはいささか――」


 一人、挑戦者を打ち負かしてまたチャンピオンに近づく者を排除したと嗤うユーリの顔を見てイオリは嘆息しながら言う。


「重すぎる」



とぅりりりり ( 2017/12/04(月) 23:24 )