新しい人生は新米ポケモントレーナー





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番外編
リジアの暇な一日(※イラスト有)


 ――今のリジアの状態を表すならば「とりあえず落ち着いた」という感じだろう。


 眠気はあるものの、洗面台の前で歯を磨きながら寝起き特有のボサついた髪の自分を見て目を細める。
 口を濯いで顔を洗うとコウガがタオルを手渡してくれる。隣でニャオルもうがいをしているのが目に入り、少しだけ微笑ましく思いながらブラシを手に取った。
 元々癖がつきやすいので寝癖を直すのに苦労する。髪の長さもあってからみやすいし身だしなみを整えるので毎朝時間を使うのが億劫だ。特に、ほぼ一日ベッドに潜って惰眠を貪っていただけあって髪がバサバサになっている。
 けれど、それくらい、最低限整えていないといつか自分が後悔する。
 ブラシで整えた髪をひとまとめにして編んでいく。見慣れた、馴染みの姿。昔から癖なのか無意識に右側に寄ってしまうせいで反対の髪が少しだけ結べていないが見苦しくないしいいだろうと済ませている。
「あ……リボン忘れてましたね」
 髪を抑えたままリボンを取りに振り返るとクレフが自分の輪にリボンを二つ引っ掛けて見せてくれる。どっち?と言いたげな様子にリジア「ありがとうクレフ」と言って新しい方のリボンを取った。
 元々持っていたリボンはなぜか捨てられなくて、古くなってもとっておいている。もう、昔の記憶に未練なんてないけれど、時折その唯一の縁は捨てきれない。
「これがあの男からのもらいものってことだけが不満ですけど」
 そう言いつつもリボンでまとめたみつあみを鏡で確認して「よし」と後ろへ払う。あとは着替えて厨房に向かうだけだった。

 時刻は午前6時前。まだ静かだが鳥ポケモンたちは朝を告げ始め、人間も目覚める兆しが伺える。
 リジアはアジトの自室から出て厨房へ向かうとまだ誰もいないそこで朝食の準備を始め、エプロンを身に着けた。
 今日は朝食当番の日なのでいつもより少し早めだ。予定通りスープとサラダを必要分用意しつつ、最低限必要なハムエッグを作っていく。これが人数分考えると憂鬱になる数なのでネネにも手伝ってもらっている。エスパーの力でうまいこと念力クッキングだ。
 自分で食事を用意するようなシレネやココナのような者を除いてもかなりの量だ。それでなくても、その日の気分によって今日は食堂で、という仲間もいるものだからその都度追加が入るし。
「相変わらず大変そうだな」
「あ、テオ様。お早いですね」
 声をかけられ、振り向くまでもなく上司であるテオだとわかって調理を続けたまま会話をする。
「準備はできてますのでお先に召し上がりますか?」
「いや、気にするな。何か手伝うことはあるか」
「テオ様に手伝わせるなんて恐れ多い! というか、私が他のみんなに怒られますって」
 苦笑しつつ、できあがったものを皿に乗せていく。テオは一瞬だけ笑って「それもそうだな」と呟いた。
「ところでテオ様。昨日の夕飯、ナスを残しましたよね」
「……それがどうした」
「子どもたちに悪影響なのでやめてください。少なくとも、見てる前で堂々と残さないでください」
 子どもたちというのは組織に所属しているか微妙なラインの、孤児のことだった。行く宛のない、リジアと似た境遇の子どもたちを組織のアジトで面倒見ている。家族も同然のように接するリジアにとっても、テオにとってもかわいい弟妹たちだ。
「悪党に悪影響を説くとはいい度胸だな」
「そういうのいいので」
 容赦なく真顔で切って捨てたリジアにテオは渋い顔を浮かべ「努力はする……」と苦々しい声で呟いた。
「お前……昔に比べて気が強くなったな」
「おかげさまで。イリーナ様とテオ様をすぐ近くで見て育ちましたので」
 楽しそうに言いながらリジアは決まった分の皿を机に乗せていく。特に、テオの座るであろう机にはサラダを多く盛る。
「おい。おい……なんで多くする」
「テオ様といいイリーナ様といい偏食がすぎるので。肉ばかり食べて野菜の好き嫌いが激しいとか子どもたちよりも子供舌ですよ。イリーナ様はご自分でお食事されるので時々差し入れして改善しようと思っていますが……お菓子ばかり食べて……本当に……二人とも子供じゃないんですから。キクジ様を見習って――」
 小言が続きそうになるのを予感して嫌そうな顔をしたテオはリジアの背後を見て何かに気づいたように指差した。
「お前のクレッフィ、何かゴソゴソしているが……」
「え? あ、クレフ! こらぁ!」
 勝手に備蓄のたくあんを盗ろうとしているクレフを引き剥がして封を切っていないたくあんを取り返すと、そそくさと離れていくテオにむっとする。しかしちょうどほかの団員が食堂に入ってきたので小言は中止して食事並べに再度取り掛かり、クレフはきっちりボールに戻して見慣れた団員たちに挨拶する。
「おはようございます、キッド君。今日は早いですね」
「グラエナに起こされて……」
 ぐしゃぐしゃの髪を掻きながら席に着く眠そうなキッドを見送り、同じく眠そうな子どもたちにも笑顔で手を振った。
「おはようございます。あ、リボンが解けてますよ、ユズコちゃん」
 目元を眠そうにこするまだ6歳ほどの少女。ユズコの頭についたリボンを直してやると欠伸をしつつもリジアにお礼を言う。
「ありがと……リジアお姉ちゃん……」
 ほかの子たちも眠そうだったり、逆に朝から元気だったりして面倒を見るのも大変だがリジアはなんとか全員分用意して、一通りが終わると自分も遅めの朝食を取る。
 手持ちたちも一緒に、人の少なくなった食堂で食事をしているとふと何かを思い出しそうになって頭痛がする。

 一人は寂しい。

 手持ちたちがいるのに、とわかってはいても人との繋がりを求めてしまうのは記憶が他人と比べて欠落しているからだろうか。記憶が人間を形成するならばきっと穴だらけの人間なんだろう。
「……もう、意味のないことなんですけどね」
 外の光が眩しくて、目を細めながらも窓の先を見る。
 生きる意味が欲しくて。誰かに必要とされたくて。そんな浅ましい願いは愚かにもこんなところにまできてしまった。
「私は地獄に落ちるんでしょうね」
 自嘲気味に呟いて食器を片付ける。洗い物の量も尋常じゃないのでさっさと終わらせようとネネやコウガに手伝ってもらって大量の洗い物を片付け終えるとその後の予定がないことに気づいてはっとする。
「最近任務であちこち出てましたからね……」
 外に出ない、休みの過ごし方というものがわからない。先日のモーモーミルクを買いに行った件で下手に外に出るのも怒られるし、アジト内で引きこもるくらいしかないのだが――
「……ほんっと、無趣味ですね、私」
 特技はあっても趣味ではないし、空虚な人間であることが改めて思い知らされて複雑だ。

 仕方がないので部屋に戻ってぼーっと裁縫箱を開きながら何をするか考える。子どもたちのためにぬいぐるみでも作るかと、適当なポケモンを思い浮かべる。子供が好きならピカチュウあたりが鉄板だが。
「……ピカチュウ……ピカチュウは……嫌だなぁ……」
 どこぞのジムリーダーの手持ちとしても有名だし、忌避感が強い。
「あー……そういえば、あいつミミッキュ……」
 なぜかしょっちゅう遭遇するいけ好かない男――ヒロのことを思い出し、ミミッキュを捕まえてやったことに思い至るとあれでいいかと姿形を思い出しながら型紙を作っていく。
「そういえばあいつ……リーフィアも連れてましたね……ああいうの、子供ウケしそうだしあれも作りますか……」
 次々と思い出すのはヒロの手持ち。妙にかわいいのが多い気がしてリジアは何とも言えない気持ちになる。
「チルタリス……もデフォルメすれば作れそうですね。あと……ルクシオは男の子が好きそうだしラルトスもかわいくていい――」
 ぼんやり考えていたせいかほとんどヒロの手持ち再現になることに気づいてリジアは奇声をあげながら型紙を床に叩きつけた。
「なんっで! あの男の! 手持ちを! 再現しないと! いけないんですか!」
 自分で自分の思考に逆ギレしながら型紙を踏みつける姿に、クレフが(色んな意味で)心配そうにリジアを見つめる。あなた疲れてるのよとでも言いたげな目にリジアははっとする。
「クレフ、大丈夫なのでその目で見るのはやめてくれませんか」
 心配そうなクレフは突然みがわりを出してそっと差し出してくる。ストレス発散でもしろと言いたいのだろう。そこまで気を使わせたことに申し訳なくなりながらリジアはいらないと手を振る。
「大丈夫ですから。あ、でも今度みがわりぬいぐるみは作りたいのでまた今度お願いします」
 クレッフィはぬいぐるみ向きではないし、リジアの手持ちはニャオルくらいしかモデルに適していない。というかぬいぐるみにしようと思っても全員難易度が高い。
 そのせいで毎回毎回みがわりぬいぐるみを作っていたがそろそろ子どもたちが「またこれか」という顔をしている気がしたので新しいものに挑戦しようとしていた。
 それなのに、思い出すのはヒロの手持ちばかり。それもこれもモデルに使えそうな手持ちばかりなヒロが悪いとばかりにリジアはイライラを増幅させていく。
「あいつのことばかり考えるのは癪ですし気分転換に散歩でもしましょうか」
 そう言って、型紙を放り出してアジトの外、といってもすぐそばの庭のような場所に出る。そう遠くない場所に砂浜が見える。そこからぼんやりと景色を見つめ、深いため息を吐いた。

 ようやく落ち着いたものの、ヒロの告白に対しての混乱は微妙にくすぶっている。
 趣味が悪いか頭がおかしいかの二択でしかない。
 そして、別に無視すればいいだけなのに妙に気になってしまう自分が嫌で、リジアは頭を掻き毟る。
「うぅ……だーかーらぁ!」
 地面にゴロゴロ転がりながら悶えるリジアの(頭を)心配するクレフ。しかしどうしようもできないのでクレフはその姿を見守るだけだ。
「違いますから! 告白されてちょっと印象が強いだけで好きとかそういうのじゃなくて!」
 自分に言い聞かせるようなクレフや手持ちたちに言い訳するような発言をじたばたと繰り返し、しばらくして静かになったかと思えば気落ちしたように呟く。
「……だいたい、私が応えられるはずないじゃないですか」
「それ、聞きようによっては応えたいってことになるけど」
「いやなんといいますか、立場の違いというものがです……ね……?」
 当たり前のように独り言に言葉が返ってきて不審に思ったリジアは恐る恐る振り返る。するとなぜかそこには無表情のメグリが立っていた。
「い、いつからいました!?」
「なんか、違う違う言いながらゴロゴロしてたあたり……かな」
「ほとんど最初からじゃないですか!」
 再度じたばたゴロゴロしはじめたリジアを見下ろすメグリは「面倒くさい」という顔を隠しきれていない。小さく「声かけなきゃよかった……」とぼやくメグリは嫌そうだがリジアの近くに座る。
「ていうか、独り言うるさいのなんなの?」
「癖といいますかなんといいますか……」
 手持ちに聞かせるのもあるが元々一人になることが多くて独り言ばかりの時期があったせいでついつい一人になると独り言が増えるリジア。悪い癖だという自覚はあったがほとんど無意識のせいでこういった失態を繰り返してしまう。
「で、誰の話」
「……他の団員には言わない約束してもらえますか」
 特にシレネには、と念押しすると呆れたように息を吐くメグリ。
「別に僕、仲のいい団員とかいないし。だいたい今日だって報告終えたらまた外回りだから」
「ああ、じゃあ……その、恥ずかしい話ですが」

 襲撃のときに妨害してきたヒロのこと。そしてその流れで告白されたこと。それをどうでもいいと無視できない自分の渦巻く感情のこと。
 それらをぐだぐだ語り終え、メグリがようやく終わったかとつまらなさそうな顔をあげ、しばらくの沈黙の後に言葉を発した。
「…………悩むくらいなら持ち帰って飼えば?」
「発想が斜め上すぎませんか!? ポケモンじゃあるまいし!」
「飽きるなり合わないなりでいらなくなったら始末すればいいし……」
「だからその発想が怖いんですよ! 人権って言葉知ってます!?」
「悪の組織の人間がそれを言うんだ……」
 最後の呟きだけ聞き取れなかったのかリジアは「今なんて?」と聞き返すもメグリは相変わらず真顔で別の言葉を発した。
「恋だの愛だのはよくわかんないけど……せいぜい、後悔しないように行動するのが一番だと思うよ」
 当たり障りのないことしか言えないメグリは隣のリジアを見て納得していない様子に困ったように眉を寄せた。
「そもそもシレネがあの男のこと好きなんですよ。これってどうなんでしょうか」
 リジアとしてはシレネに協力すると言った手前、まずヒロに告白されたことそのものが裏切りではないかとも思ってしまうのだ。
「……え? 今その話と告白されたことって関係なくない……? だってあんたが寝取ったわけでもないのに……」
「ねと……? まあそうなんですけど、気持ちの問題です」
「ていうか、あれと仲よくもないのに律儀なことだね……もうちょっと軽く考えれば? 頭堅いって言われるでしょ」
 割りと気を使ってくれている言い方に、メグリの方を改めて見る。表情が乏しいのでわかりづらいが――
「あなたのこと、誤解してました。メグリって、いい人ですね」
「……は?」
 ふと、頭痛がして一瞬だけ視界が霞む。時々、こういうことがあるのだが最近はその頻度が増えてきた。戻って診てもらおうと立ち上がってぽかんとしているメグリに笑顔を向ける。
「話を聞いてくれてありがとうございます。そろそろ戻りますね」
 そう言って、リジアはアジトの中へと戻っていく。置いていかれたメグリはリジアの言ったことを反芻し、呆れながらぼやいた。

「……悪の組織にいて何言ってんだか……」



――――――――



「すいませんイリーナ様。お忙しいのに……」
 医務室に向かったがリュウタが不在のせいで具合を見てもらえず、イリーナを頼る。研究者だが医学の心得もあるのかたまに診察してくれるイリーナに、リジアは尊敬の目を向ける。
「いいのよ。それより症状聞いてる限りいつものみたいだけど……」
 指示されたとおり診察用のベッドに横になって照明を遮るように腕で目を塞ぐ。
「最近、昔の記憶なのか断片的に思い出しそうで……そのたびに頭痛がひどいんです」
「前もそんなこと言ってたわね。具体的なことは思い出せた?」
「いえ……」
 特にここ最近ひどい。何かきっかけがあっただろうかと心当たりを探るが特に思い至らない。
「まあ、疲れもあるんでしょう。ちょっとリラックスするアロマ焚くから」
 そう言ったイリーナがごそごそと何かを探すように棚を見る。イリーナの手持ちであるフーディンが「これだろ」と手渡し、それに火をつけるとほんのり甘い香りが漂ってくる。
 よく寝たはずなのに、その香りのせいかうとうとと眠くなってくる。
「あなたはレ・グ・ル・ス・団・の・リ・ジ・ア・……私のかわいいリジア……昔のことなんて必要ない、でしょ?」
「……はい……私は……」
 レグルス団に拾われて、その恩を返すために組織に貢献する下っ端リジア。

 本・当・に・、そ・う・だ・ろ・う・か・。

 何か引っかかる。ずっと違和感が消えなかったそれは、まるで記憶が忘れるな、思い出せと主張しているようで――

「さあ、少し休みなさい」

 眠りを誘うイリーナの優しい声に、記憶の声は掻き消され、そのまま流されるままに眠りに沈んでいった。



――――――――



「……そろそろ危険かしら」
 眠りについたリジアを見下ろして、困ったように呟くイリーナはフーディンに向けて指を鳴らすとリジアに何かを浴びせる。
「思い出さない方が幸せなこともあるのよ、リジア。フーディン、しっかり、記憶を閉じておきなさい」
 フーディンが頷いて、安らかなリジアの寝顔を見てイリーナは微笑む。
「あの小僧にもしっかりかけておいたことだし、偶然出会ったりしない限り、記憶の心配は当面なさそうね」


 イリーナは知らなかった。既に二人が出会ってしまっているということを。



――――――――


 すっかりイリーナのところで昼寝をしてしまったリジアはスッキリした目覚めのあと、部屋に戻って人型のぬいぐるみを作っていく。慣れたもので、もうほとんどできあがってしまいそうだった。

『これから強くなって、お前が嫌がっても引っ張っていけるくらいになってやる!』

 作業に没頭していると、ついついあのときのことを思い出してしまい、それでも少しだけ落ち着いた影響か、鼻で笑える程度にはなった。
「馬鹿……ばーか……」
 好きとか嫌いとか、もはやその単調な分類では説明するのは難儀な感情。
 どこかで期待してしまっているのかもしれないし、余計なお世話だとも確かに感じている。
「ま、どうせ放っといてくれないでしょうし、せいぜい無駄な努力で時間を浪費すればいいんです」
 そう呟きながら出来上がった小さいぬいぐるみを軽く引っ張って子供のように笑ったリジアはそれを投げるように何もない机に置いて体を伸ばした。
「お風呂でも入りますか……」
 そう呟いて風呂に入る支度をするリジアを見ながら、浮いてぬいぐるみが雑に置かれた机を見るクレフ。クレフも何度も見たことのある男の姿を模したそれは、改めてリジアの面倒な感情を表していた。
「あ、クレフ。それは触っちゃ駄目ですよ」
 クレフはわかってはいるけど、それでも――素直になれない自分の主人に呆れたような顔を向ける。
「私のストレス発散用のみがわりみたいなものですから」




とぅりりりり ( 2017/11/25(土) 21:20 )