新しい人生は新米ポケモントレーナー - 1章
ムーファタウン:前編

 まだ太陽も高い時間。穏やかな風を背に俺らはムーファタウンへと向かう。
草木生い茂る道を一歩一歩進んでいく。徐々に疲労が蓄積し、休憩を挟んでもなおどっと疲れがじわじわとこちらを蝕む。
「疲れた……」
「つかれたですよー……」
 ワコブシティから旅立って1日と半日。陽が傾き始め、もう少しでムーファタウンにつくというところで足に限界を感じてきた。シアンも同様らしくぜえぜえと息を切らしている。
 ちなみにイオトは無言で死にそうな顔をしている。最年長しっかりしてくれ。
 エミはそんな俺らを見て呆れたように口元を覆った。
「君たち体力つけなよ」
 一人疲れを知らないと言わんばかりのエミはぶらぶらと空いた片手の袖を揺らして言う。
「ほら、あとちょっとでつくよ。ここでもたもたしてると今日も野宿になるけどいいの?」
 とはいうもののこちらは死屍累々。やっぱり鍛えたほうがいいのかもしれない。力尽きそうなイオトにマリルリさんがオボンのみをあげているのが見えた。マリルリさん、人間はオボンで体力回復はしないんだよ。
「しょうがないなー、もー」
 渋々とウインディをボールから出し、屍寸前のイオトとシアン、俺を順番にくわえてから背中に乗せる。3人はややギリギリだがウインディは気にもせず歩きだす。
「せっかく旅するから移動するときは極力ポケモンに頼らないって言ってたのに」
 エミは一人ウインディと並んで歩いており、ウインディの毛並みに夢中のシアンを見て複雑そうな顔をする。
「そいつあんまりそういうの好きじゃないから程々にね」
「合点承知ですよ!」
 3人を乗せつつ平坦な道を進んでいくと建物が見えてくる。
風が吹けば少し離れたところで鳥ポケモンが木から飛び立ち、草むらから野生のポケモンが顔を覗かせる。
 さすがに3人は重いのか途中で回復した俺は降りてエミと並ぶと癖なのか長い袖で口元を隠したエミに声をかけられる。
「やっぱり少し鍛えたら?」
「そうしようかな……」
 旅路が想像以上に疲れる。いやその分楽しいこともあるんだけど先にダウンしそうだ。
「まあ最初は軽く筋トレからしよっか! いきなりたくさんしなくていいから少しづつ増やして……」
 なぜか嬉しそうなエミにウインディに乗せられたイオトがくぐもった声でぼやく。
「歩き疲れてそんな余裕ないんじゃない……?」
「君よりは体力ありそうだし大丈夫だよ。ていうかそんなだから体力つかないんだよ。ね、ヒロ」
「イオトはそもそも俺より旅してるはずなのになんでそんな体力ないんだよ」
 俺より一回り近く年上で、ベテラントレーナーといってもいいほどなのに俺よりも体力がない。ちょっとそれはどうなんだろうか。
「いやー……そもそも俺最初からいたポケモンがひこうタイプだったしあんまり歩かなかったから……」
 旅をする上でそれはどうなんだろう。いやまあ、人それぞれだけどさ。俺はできるだけ徒歩で行けるところは行こうと思ってるけど。
「そういやイオトの手持ちって全然出さないよね。マリルリとボスゴドラとあとトドゼルガくらい?」
 エミが名を上げた3匹は俺も見たことある。それ以外は確かに道場にいたときも全然顔を出していなかった気がする。
 ボールから全然出してないけどいいんだろうか。そういえばボールからずっと出ないって大丈夫なのか。
「手持ちの切り札ってもんはできるだけ出さないようにするのが俺の主義〜。マリルリさんだけでだいたい対応できるし」
「出してやればいいのに」
 マリルリさんみたいに自由気ままに歩き回れないとストレス溜まるんじゃないんだろうか。
 ちなみにその当のマリルリさんは少し先を歩きながらウインディと何か会話しているようにみえる。相変わらず自由だ。ていうか多分イオトよりマリルリさんの方が上下関係の上に位置している気がする。
「……まあ、手持ちは出したくなったらそのうちな」
「おっかしいねぇ〜? 手持ちを隠したい何かあるのかな〜?」
 まるで煽るような小馬鹿にするような言い方をするエミにイオトは返事はしない。相変わらず死にそうな様子でウインディに体を預けている。
「イオくん、たまにはポケモン出してあげたほうがいいですよ」
「……あー、うん、まあ、今度。今度なー」
 あまり乗り気ではないもののシアンの言葉には返事をしてそのまましばらく無言で歩き続けているとムーファタウンの入り口が見えてくる。
「ようやくついたー!」
 木製の柵を越え「ここはムーファタウン」と書かれた看板を横目にどんどん進んでいく。
 ムーファタウンに足を踏み入れた途端感じたのは、干し草の匂いとどこか甘ったるい何かの香り。
 目立った施設は牧場や育て屋などで基本はのんびりとした人口の少ない町。広さだけは結構あるのが特徴で牧場や畑が各所に見られた。
「わぁ……!」
 牧場の一角にミルタンクやメリープが見え、シアンがぱあっと目を輝かせ、ウインディから飛び降りると柵の手前まで近づいて寝転んでいるメリープを見つめだす。
「おーい。置いてくよー」
「むう。またあとでもふもふしにくるのです」
 名残惜しそうに全員でポケモンセンターへと向かい、宿泊の手続きを行う。各地のポケモンセンターは宿やホテルとは別にトレーナーが無償で宿泊できるようになっている。もちろん最低限の設備なのでホテルを好む者もいるらしいが。食事は別途料金なため本当に泊まるだけである。
「とりあえず俺、夕飯まで休む……」
 そうそうにバテたイオトはベッドに倒れ込み、シアンはもう元気になったのか「メリープ見に行ってくるですよー!」と一人で行こうとしてエミも一応それについていった。残った俺はどうしようかとポケモンセンター内でぼーっと新聞とか雑誌に目を通し、自分も外に行くかと考えだした頃に、宿泊エリアからでてきた少女が目に止まった。
 遠目からでも美少女だとわかる。その腕には眠っているピチューがおり、その様子に釘付けになった。ピチューのとても愛らしいその様子と、憂いたような少女の様子が気になったからだ。
 まっすぐな亜麻色の髪をした少女はカチューシャをしており、こちらと目が合うとその赤い目がやけに印象に残った。エプロンドレスというのだろうか。所々にフリルのついた服装にどこか品のある雰囲気を漂わせた。
「旅の人……?」
 腕にすやすやと眠るピチューを抱えた少女はこちらを向いてか細い声をかけてくる。ぼそぼそとした喋り方、というよりたどたどしい喋り方の少女は腕の中のピチューをそっと俺に差し出す。
「抱っこしたいなら、どうぞ」
「え、いいの?」
「うん。でも、起こさないようにね」
 そっと受け取ったピチューを抱えるとぬくもりと寝息を感じられる。かわいい。これはかわいい。ベイビィポケモンのかわいさだけで世界救えるんじゃないか?
 かわいさを堪能しているとじっと少女に見られていることに気づいてはっとする。
「ふふ……ポケモン好きなんだね……」
 目を細めて笑う少女に少し照れくさくなるがこのかわいさを前にしたら仕方ないだろう。少女はどこか慈しむような目でピチューのことを話してくれる。
「その子ね……一昨日生まれたばかりなの」
「へぇ。まだ本当に赤ん坊なんだ」
 腕の中でピチューがもぞもぞと起きそうな気配があったので目覚めてすぐに知らない人間に抱かれてるのはいやだろうと少女に返すと大きくあくびしたピチューが目をごしごしこすって半分寝ぼけながら少女にしがみついている。
「でもこの子、さっき親のポケモンのトレーナーにいらないって言われちゃったから私が引き取ることにしたんだ」
 こんなかわいいピチューをいらないとか正気か。いやまああまりに当たり前になってるから忘れがちだがポケモンが増えるとそれだけ世話するためのエサ代とかもかかるしこれ以上は無理、というトレーナーも割りと普通のことかもしれない。
「あ……そうだ。私、シレネって言うの。この町で育て屋をしてるから……その、もしよければ……」
 唐突に恥ずかしそうに顔を赤らめてもごもごと肝心な部分が聞き取れずこちらが顔を近づけると更に赤くなって掻き消えそうなくらい小さな声で
「もし興味があるなら……来てくれると嬉しいな……」
 控えめに言っても美少女なのでその様子はぐっとくるのだがなぜだろう。背筋にすっと冷たいなにかを入れられたように悪寒が走る。けれど断る理由も特にないので「明日行けたら行ってみる」と曖昧な返事をするとピチューに頬をすり寄せて喜んだ。
「待ってるね……! あ、そうだ……名前……」
「あ、俺はヒロ。最近旅に出たばっかりだからまだトレーナーとしては未熟なんだ」
 するとシレネは「ヒロ君……ヒロ君……」と熱に浮かされたように俺の名を呼ぶ。
「楽しみに、してるね……」
 そう言い残してピチューとともにポケモンセンターから去ったシレネを見送り、自意識過剰かな、と感じつつも好意的に見られていたと受け取ってしまう。
「モテるなー」
 あまりに突然声をかけられたので慌てて振り向くとげっそりしているが手に飲み物を持ったイオトが半笑いで呟く。
「なになに、現地妻でも作んの?」
「しない」
 そういうからかいはやめてくれ。
 まあ、やっぱり傍目から見てもそういうのだと受け取っていいんだろうなぁ。とはいってもこちらから言うのも違っていたらみっともないので何も言わないけど。
「まあ現地妻を作るにしても……」
「作らねぇよ」
「執念深い女とか自分が一番じゃないと嫌だとか言う女とか思い込みの激しい女は本当にやめとけ。やばいから。地獄の底まで追いかけられるから。少しちょっかい出すだけで人生棒に振る危険性あるから」
 あまりに実感がこもりすぎてて笑えないんだけどこの話しはもうやめよう。
「ていうか休むんじゃなかったのか」
「喉乾いたから飲み物買いに来ただけだよ」
 手にしたボトルを示しながら疲れ切ったため息をはいて愚痴るように言う。
「つーか俺金欠だからさぁ……飯をヒロにたかろうと思ってたんだけど」
「飢え死んじまえ」
 なんで俺は年上にたかられるんだ? 逆だろせめて。
「頼む……とりあえず金を下ろすにしても今日はもう動くのしんどくて銀行に行く気力ない……」
「今回だけだからな」
 なんだかんだいって俺ってめちゃくちゃ優しいと思うんだ。優しさで賞をもらいたい。
 結局、シアンとエミが帰ってくるまで俺もだらだらと過ごし、町を見て回るのは明日にしようと心に決めた。4人で飯を食いに行って、シャワーを浴びたりして全員そのまますぐに就寝し、ムーファタウン一日目が終わった。



――――――――



 次の日、朝食を軽く4人でとりつつ、今日の予定について話し合った。
「シアンが昨日、ミルタンクの乳搾り体験申し込んでたから行くつもりらしいけど二人はどうする? 僕は一人で見て回るつもりだけど」
「絞ったやつは加工してモーモーミルクとしてお持ち帰りできるらしいですよ!」
 エミとシアンは昨日と同じく一緒に行動するらしい。イオトは「俺は適当にぶらぶらしようかなー」と言って眠そうにあくびをする。マリルリさんに脛を蹴られているが大丈夫か。
 イオトとどっか行く……でもいいけど俺も俺で見て回りたいし一人で散策することにした。今日の夕方くらいにはポケモンセンターに戻るように決め、それぞれ出かけるが、ポケモンセンターからそんなに離れていない場所に立っていたイオトがぼんやりと、メリープを見つめている。特になにかあるわけでもないのにと、気になって声をかけてみる。
「イオト、何見てんの」
「ん、ああ。ちょっと懐かしいなって」
 もしゃもしゃと草を咀嚼するメリープを見ながらため息をついてイオトは言う。
「マリルリさんの元トレーナーの話しただろ? 俺がそいつと交換で渡したのがデンリュウでさ」
「へぇ、デンリュウいたんだ」
 あんまりイオトっぽくないなぁと思ってしまった。マリルリさんを除いてボスゴドラといいトドゼルガといい、少しごついイメージの手持ちだからだろうか。
「まあ、メリープの頃からいたやつだからちょっと懐かしくなってな」
「たまには会いに行けばいいのに」
 ていうかマリルリさんあんまりなついてなさそうだし交換しなおせばいいんじゃねぇかな……。
「いやぁ……ちょっと会いにはいけないんだよな、今は」
 はあ……とまた重苦しいため息をついてそのあとは何も言わない。「じゃあ俺ほかのところ行くから」とだけ言うと「いってらー」と妙に軽い返事が帰ってくる。
 イオトも大概面倒なやつだよな。
 特に目的地もなく歩きながら手持ちを連れてきょろきょろと町並みを楽しんでいると、売店ののぼりが目に入る。
「名物のムーファソフトクリーム。ポケモン用アイスもあります……へぇ、そんなのあるんだ」
 新鮮なモーモーミルクを使ったものらしく、味の種類はそこまで豊富ではないものの雑誌とかで取り上げられるほどの有名なものらしい。
 せっかくだし食べてみようと思っているとグーが興味をいだいたのかズボンの裾を引っ張ってくる。
「グーも食べるか。つってもポケモン用の方になるけど」
 多分普通にソフトクリームも食べれなくはないんだろうけどそうなってくると持てないポケモンもいるからアイスとして売ってるんだろう。グー以外は食べるのかと視線を向けるとイヴは真っ青になって首を横に振った。氷タイプではないぞ。食べる分には平気だと思うんだけどまあいらないならいいか。ちなみにチルも似たような反応だ。
「じゃあグーの分だけでいいか、アイス。すいません、ムーファソフト一つとポケモン用のアイス一つ」
「は〜い。すぐお作りしますね〜」
 そういってすぐにソフトクリームを作り上げ、カップに入ったアイスクリームを同時に手渡された。会計を済ませてすぐそばのベンチでグーにアイスをあげ、自分もソフトクリームを口にすると濃厚な甘さが口いっぱいに広がった。しかし、しつこくないためあっという間になくなってしまいそうだ。
 グーはゆっくり食べ進め、時折冷たさでぶるっと体が逆立つも美味しいらしく笑顔で食べている。その横でイヴとチルが羨ましいけど口にするのに躊躇いがあるのでじっとその様子を見ていた。ちなみにドーラはあんまり興味がないらしい。
「すみません。モーモーミルク1ダースください」
「は〜い。こちらですね。いつもありがとうございます〜」
 別の客がダース買いしているのが聞こえ、なんとなしにそちらを見る。
「ん?」
 なんとなく見覚えがある姿が目に入る。青い髪のみつあみ。帽子をかぶり、メガネをかけていて一瞬気づかなかったがその横顔はとても覚えのあるもの。服も紺色などのいつもの黒服と異なっているが間違いなくそれは――
「リジア?」
「――げっ」
 こちらに気づいた瞬間、リジアはお釣りも受け取らず顔を歪めて荷物を抱えながら走り出す。
「あっ! 待て!」
 うっかり声をかけてしまったが失敗だった。慌てて追いかけるも既に結構距離ができている。このままじゃテレポートで逃げられる。それだけは阻止しようとチルにリジアを足止めするよう指示するとチルの綿羽に阻まれ包まれたリジアはバタバタともがいている。チルの羽便利だな。怪我させないし足止めはできるし。
「こう何度も遭遇するともう運命か作為的な何かを感じるなぁ」
「一人で勝手に勘違いしててください! 放しなさいこの失礼男!」
 後ろ手で動きを抑え、ボールを没収しようとして周囲の視線に気がつく。そうだ、今これこいつ何もしてないから俺がいきなり人のポケモン取ってるようにみえるんだ。
「とりあえず逃げるのやめようぜ?」
「放せって言ってるじゃありませんか」
 会話成立しねーや。とりあえずチルに押さえてもらいながらほかのやつらに連絡してみるがイオトは通話に出る気配がない。エミはそもそも電源が入っていない。シアンは乳搾り中だから当然反応がない。シアンくらいしかどこにいるかわからないしシアンをあてにするのもなぁ……。
 よし、諦めて一人でどうにかするか
「うーん、どうするか……警察が無難か……」
 半分抵抗するのを諦めたのかチルに包まれながら不機嫌そうにリジアは言う。
「だいたい、ここで何もしてない私をなんて言って引き渡すつもりか知りませんが」
「う、えっと、レグルス団の一員……」
「この格好で?」
 リジアの格好は身軽そうな紺色のシャツとホットパンツでレグルス団としての服装とは結びつかないだろう。そしてここで本当に何もしてないし強いて言うなら牛乳を買っていたくらいだ。
「姉さんに引き取ってもらうか」
 改めてチルと一緒になって逃げないようにしっかりと手に力を込めながら片手で姉へと電話をかける。少し長めの呼び出しのあとに『ごめんごめん』と姉の声が聞こえてきた。
『急にヒロどうしたの?』
「前に言ったレグルス団の下っ端捕まえたんだけど引き取ってくれないかな。今ムーファなんだけどこいつ、ここでは悪事働いてないから警察に相手されるか心配で」
『えっ、大丈夫? すぐに行きたいんだけどごめんちょっと今手が放せないから一、二時間くらい待てる?』
「それくらいなら余裕」
 電話が終わってあなぬけのヒモでリジアの片腕だけ結んで逃げないようにと自分と結ぶと拗ねたようにリジアが顔を背けた。
「はいはいわかりましたそうですね大人しくしますとも」
 あまりに投げやりな返答に思わず腹が立つ。なんでこうも上からな態度なんだ。
 手持ちもボールホルダーごと預かって適当なベンチで並んで座る。しかし、露骨に距離を取られて腕が少し引っ張られる。
「ミルク飲むくらいはいいでしょう?」
 一応聞いてはくるがこちらの言葉も聞かずに足元に置いておいたモーモーミルクのケースを開いて一本ぐっと飲み干す。その様子を見ていると露骨に舌打ちされた。
「じろじろ見て何なんですか。お金取りますよ。それか手持ち返せ」
「金も出さないし手持ちも返さないけどなんでそんなモーモーミルク買い込んでるんだよ」
 モーモーミルクって回復アイテムとしてはコスパがいいんだけど人間が飲むとなると何が目的なのかわからない。高級志向なんだろうか。
「牛乳飲むといいって言われたので」
「何が?」
「調べたらモーモーミルクが一番効果が高いらしいからここでまとめ買いしただけです」
「だから何が?」
 肝心な部分をはっきり言わないせいでなんのことかさっぱりわからない。まあたかが個人で買う分の牛乳になにか企みとかはあると思えないけど。
「胸……」
「……胸?」
 視線を少しだけ下げると相変わらず真っ平らな胸が悲しい。私服だというのにネクタイをつけているのだが男と錯覚しそうになるからもっと女らしい格好をしてほしい。手袋とかもそうだが服装がどこか男っぽいというか、例えるなら男役してる役者みたいな感じ。まあ顔とか体型で女なのがわかるんだけど。
「人の胸を散々馬鹿にしておいて白々しい……!」
 どうやら俺の発言を気にしていたらしく空いた手で死ねとジェスチャーしてくる。いや、うん、気にしてると思ってなかった。
 だってあの時の反応からして恥ずかしがる様子もないし仕方ないだろ。
「こう、年齢によってはまだ大きくかるかもしれないし、な?」
「私、19ですけど」
 絶望的だった。
 まあ背も高いし雰囲気からしてそんなに若いとは思ってなかったけど19かぁ。俺より二つ上とは。
 改めて拗ねたようなリジアの横顔をぼんやり見ていると強い風でみつあみが揺れる。歳に似合わない、一つにまとめたみつあみはくすんだ赤いリボンで結われており青い髪とあまり合っていない。そもそもリボンそのものがかなり擦り切れているため、やたら貧乏くさい。
「ダースで牛乳買うより髪留め買い換えろよ」
 まあこれから姉に引き渡すからあんまり意味ないことだがどうしても気になったので思わず口にした。すると、リジアはゆっくりとこちらに顔を向けて諦めたような、寂しそうな表情を浮かべた。
「これくらいしか、私には残ってないんです。放っておいてください」
 どうやら地雷だったらしい。淡々と諭すような言い方は怒ってはいないが失敗したと感じてしまう。キレられるよりも空気が重くなるのが耐えきれなくて視線をそらした。
「……なんで悪の組織なんかにいるのさ」
 話を変えたくて、何度も会ったからかそれともあまり悪人と思えないからか答えが返って来なさそうな話題を振ってみた。口に出してからまた失敗したと感じたが思いの外リジアは普通に答える。
「帰るところを忘れちゃったからですよ」
 漠然としたものだったがその様子に偽りはなく、事実を淡々と述べているようだった。
「そのポケモンを見たもの。一瞬にして記憶がなくなり、帰ることができなくなる……っていうシンオウ地方の神話をご存知ですか?」
「ユクシーのやつ?」
 ダイパ時代にそんな感じのものを見た気がする。ゲームでのフレーバー程度だと思ってるけど恐ろしい神話とか言われていたから印象には残っていた。
「博識なことで。そうです。私は昔、ユクシーの目を見ました」
 どこか遠く、懐かしむような声は物悲しい。
「と言っても、全て忘れたわけではありません。ほんの微かに残ったのは自分のことが少しと、忘れたくても忘れられなかった日々。本当の名前さえもう思い出せないですけど」
「だから行くところがなくてレグルス団に?」
「そうですね。といっても、レグルス団に入る前から盗みとかしてたのでそっちの罪状も調べれば出るかもしれませんねぇ。まああの頃は生きるのに必要最低限のものしか盗んでなかったので届け出が出てないかもしれませんが」
 聞けば聞くほど好き好んで悪事を働いていたように見えなくて少し同情する。当然、悪事を現在進行形でしてるし、昔も生きるためにやらかしてるのだから全面的に擁護できないのだけれど。
「思い出せないけれど、誰かに教えてもらった歌と、誰かにこのリボンをもらったことだけは曖昧に覚えてて、だからどんなに古くなってもこのリボンは手放せないんです」
 リボンの端をつまんでみせるがリボンそのものは特別なものではない。誰かにもらったものだからというその一点のみ。
 そう思うこと事態が彼女にとっては逆鱗かもしれないがかわいそうな女だと思った。思い出せない過去に縛られて、挙句悪事に手を染めて安寧の場所を手に入れた彼女の境遇が。
「レグルス団なんてやめていっそ俺の姉さんとかに保護してもらったほうが建設的だぜ? いやほんと、レグルス団のこと姉さんに情報提供すれば悪い扱いはしないって」
 憶測ではあるものの姉の性格上そのへんの融通は効くだろうしそもそも下っ端一人一人に重い刑罰とか現実的じゃないだろう。
「嫌です。レグルス団は今の私のすべてですから。恩も情も有り余るほどに返しきれないですし」
 強く否定され、こちらはもうなんにも言えない。そこまでなんの恩とやらがあるのかは知らないが機嫌を悪くしたのか先程より眉をしかめている。こいつの怒りポイントがわからない。盲目的なまでの狂信ぶりはいっそ心配にすらなる。
「レグルス団の目的って?」
「あれこれ聞いてばかりであなたは尋問官ですか」
「だって暇だし……」
 姉ができるだけ急ぐとは言っていたが取り込み中だったこともありまだ来る気配はない。警察に引き渡した方が早いんだろうけどなんだかなー。やけに放っておけないというか気になるというか。
「目的はたくさんありますよ。まあ私はすべてを知っているわけではありませんので自分の関わったことくらいですね」
「教えるつもりは……ないよなぁ」
「そうですね……」
 悩んだような素振りを見せたかと思うといきなり顔をこちらに近づけてきてじっとこちらを見つめてくる。背が高い方とはいえ俺よりは当然低いためわずかに上目遣いになりながら囁く。
「コレ、外してくれたら教えてもいいですよ?」
 そう言いながらきつめに結んだ縄を示す。顔が近いせいで吐息を感じて思わずドキッとした。そう、顔は悪くないからたちが悪い。
「それやったら逃げるだろ……」
 目を伏せてため息をつくとリジアはやたら軽い様子で言った。
「まあ、外してもらえなくても逃げますけどね」
 ふと、リジアを見ようとして違和感に気づく。

 ――縄が解かれている。

「あっ、お、お前!」
「バーカ! バーカ! お人好しバーカ! というかなーにちょっと同情してるんですかー? それで隙を作るとか恥ずかしくないんですかー? そもそも逃げることに関してはこちらが上と言ったでしょうが!」
 本当にいつ縄を解いたのか気づかないほどの早業で抜け出した挙句今も全力で走って逃げ出したリジアを追いかける。ていうか逃げながらめちゃくちゃ煽られて腹が立つ。あいつ一回殴っとけばよかった。
 いつの間にかリジアの手持ちの入ったボールのついたホルダーも盗られており急がないとテレポートで逃げられてしまう。
「チル! あいつの動きを止めろ!」
「ちるるるるるるー!」
 なんかやけに気合入ってるチルか飛んでリジアに追いついてあいつを両翼で捕まえようとするがリジアも黙ってやられるとつもりはないらしく手持ちを繰り出す。
 が、あまりの速さにボールから出た瞬間見失ってしまい、気づいた時にはチルは攻撃を食らっていた。
「なっ――」
 見えたのは氷の破片。それが冷凍パンチだと気づくのはそれから数秒のこと。
「そのまま追手が来たら迎撃しなさい!」
 走るリジアの周囲に素早く動く影が見えるがその正体がつかめない。青いポケモンだというのはわかるがそれだけでこちらが手を出さない今はなにもしてこない。
「待てやこらぁ!」
 倒れたチルをボールに戻して回収し、再び追いかけっこ状態になる。
 道中、町の人らに何を勘違いされたのか「仲良しねぇ」などと声が聞こえてきた。あははうふふ捕まえてご覧なさーいとかそんなふざけた状態だったらお互い罵倒しながら走ってないと思う。
 リジアが急に曲がったかと思うと見失うものかと更に加速して追いかけるが曲がり角で誰かと激突し尻もちをついた。
「っつ……すいません大丈夫で……」
 ぶつかった相手を確認すると昨日会った育て屋の少女シレネだった。
 彼女はきのみを抱えた籠を落としてしまったのか尻もちをついて「いたた……」と呟いている。近くにいたラッキーが落ちたきのみを拾って籠に一つ一つ戻しており、おそらく彼女の手持ちであることがわかる。
「こちらこそすいません……その、ちゃんと前を見てなかったので……」
 そう言いながら顔をあげると俺だということに気づいて「あっ」と嬉しそうに声をあげる。
「ヒロ君、来てくれたんだね……?」
「え、いや……」
 そういえばドタバタして忘れてたが育て屋を見に行く約束をしていた。
「今はその、やることがあって……。そうだ、青い髪のみつあみ女がこっちきたよな?」
「青い、みつあみの女の人……?」
 きょとんとした様子で首を傾げたかと思うとは後ろを向いてからシレネは言った。
「この先はうちの育て屋の敷地内だから……誰かが入ってきたらすぐわかるけどそんな人は見てないよ……。確認、する……?」
「あ、えっと、じゃあちょっとお邪魔します」
 もしかしたらテレポートで逃げられたのだろうか。ちょうど曲がり角だしそれが有り得そうだ。
「えっとね、普段は私、そんなにいつもお店にいないの……。今日はたまたま用があって……」
「へぇ。別の仕事かなにか?」
「うん……出張、みたいなものかな……ポケモンマッサージとか、アクセサリー作ったり色々してるから……」
 案内されながら育て屋というか店のことを詳しく教えてもらう。あくまで育て屋がメインらしいがオーダーメイドのアクセサリーとかも作ったり、マッサージや毛のカットなど色々やっているようで店内は結構繁盛しているようだ。
「やっぱり……サービスとか差別化していかないと、お客さん、来てくれないし……」
 切実な事情が垣間見えた気がするけどそこには触れないでおこう。
「ヒロ君も、預ける……?」
「俺? いや、まだ手持ち6匹すら揃ってないし今はいいかな」
「そっか……。あの…………その、もしよければなんだけど……」
 言いづらそうに口ごもったかと思うと小さな声で続きを口にする。
「そのうちね……預かりシステムを利用したネットでの育て屋申し込みサービスを考えててね……もし手持ちが増えたりとかしてボックスとかお家に預けるようだったら、考えてほしいなって」
「へぇー。それは便利そうだなー」
 詳しく聞くと、メールで申し込みとかをして転送システムで育て屋側に預けるポケモンを送ってメール等で状態を教えてもらえるサービスらしい。引き取りは店に来てもいいしメールで送ることも可能だとか。
「でも、こっちもまだそういうやりとりになれないだろうし、金銭絡むとテストっていうのも難しいから……ヒロ君どうかなって……。協力してくれるなら代金はいらないから……」
「んー。手持ち増えてそのときまだ協力してほしいっていうなら俺はいいよ」
 面白そうだし、基本が6匹だと多分増えたときとかに今の手持ちの誰かを実家に送る予定だったので無料で育ててもらえるならありがたい。どうしてもレベル差出ちゃうだろうし。
「うん……待ってる……。あの、これ、私の連絡先……」
 喋り方は相変わらずたどたどしいのにやたら積極的でびっくりする。正直言うと反応がわかりやすいからか好意的な感情を持たれているのはわかった。それがどんな分類かまではわからないけど、悪意はなさそうだ。
 ちょっと一日で距離を詰められた気がするけど大丈夫大丈夫。俺は簡単に勘違いしない男。
 結局、リジアがいる様子もないし逃げられただろうから姉に逃げられた事の報告をメールでしてポケモンセンターに戻ろう。
「どっと疲れた……」
 あまりにも無駄な体力の消費をしたし、この後姉に叱られるのが見えていて憂鬱でしかなかった。






とぅりりりり ( 2017/11/03(金) 20:58 )