馬鹿騒ぎと不穏
シアンが夕飯の準備のために早々に離脱した以外は特に劇的なことはなく、ドーラとグーはまだ進化していない。多分あと少しだと思うんだけど。
「まあまだ時間はあるし、バトル中に進化するかもしれないしな」
「バトル中に進化って結構よくあったりするのか?」
イヴの例はまあ、苔むした岩が原因だから特殊っていえば特殊だけどレベルが進化に関係しているとなるとそのへんどうなんだろう。メガシンカみたいに戦闘中だけの特殊なものもあるしこの世界では戦闘中での進化はそう珍しくないんだろうか。
疲れたのか大の字で鳴いてるグーの腹を撫でながらイオトに聞くとへらへらと掴みどころのない顔でのたまう。
「んー、まあ、運かな!」
こいつ殴りたい。
意外と汗をかいたこともありエミは「あっづー」とぼやきながら長い袖をまくってすっぽりと首を隠す襟を引っ張っている。こうしてみるとエミは露出が少ない上に暑そうな服だから大変そうだ。
「お風呂はいろー……」
しゃーねーなーとパチリスが肩に乗り、道場へと戻ろうとする後ろ姿を見ていると視線を感じてイオトと目が合う。
恐らく考えていることは同じだった。
「エミ……昨日も思ったんだけどみんなで裸の付き合いしようぜ」
「そうそう。ノリが悪いって言われるぞ」
一人去ろうとするエミの腕をそれぞれ両脇で捕まえて裏庭からそのまま道場の風呂場へと二人がかりで引きずっていく。エミもさすがに二人の力には抗えないのかずるずると引きずられているもののバタバタと抵抗はしていた。
「え、ちょ、ちょっとタンマ。なんで? なんでそういう流れになるわけ? その理屈ならシアンも呼べばいいじゃん」
「お前だけ性別不明瞭だからはっきりさせたいの!」
イオトの笑ってない笑顔にうんうんと頷く。男、っぽいとは思ってるんだけどいまいちわからないし。
「えー、待って? さすがに強要はよくないと思うな? 僕が仮にも女だったらどうするのさ」
「そういうこともあるよね。以上」
「クッソ! このメガネ最低かよ! ヒロも何か言って!」
「正直エミだし女だったとしてもそんなに罪悪感はないかな……」
「クズ!」
罵られても全然気になんない。どうせ旅にもついてくるんだろうしこういうのは早めにはっきりさせておきたい。
脱衣所手前まで抵抗していたものの最終的にはエミのコジョンドも手伝ってくれたため脱衣所に引きずり込むことに成功し、なぜか協力的なコジョンドに両腕を抑えられたエミは半ギレになりながらコジョンドに怒声を浴びせる。
「コジョンドお前! 主人を売るのか! ていうかなんで僕じゃなくてこいつらの手伝いしてんの!?」
相変わらずつーんとした表情でエミを押さえつけるコジョンドは羽交い締めで俺たちにエミを差し出してくる。
コジョンドも何考えてるかわからないけどまあ、その、なんだ。そこまでノリノリで協力されるとちょっと俺らも冷静になる。
「……こう、脱がさなくてもわかるかな」
「いや――あのみつあみ女みたいにまな板胸の可能性もある」
イオトの真剣な横顔はエミの胸部に向けられる。そしてみつあみ女――リジアのことを挙げられて俺は二度事故ったあれを思い出す。事故だってば。
まったくこう、揉む揉まないとかいう話じゃなかった。男胸との差がわからなかった。女の胸というものはもっと柔らかくて夢のあるものだと思っていた。そのせいで胸だけで判断するということがどれだけ早計かということを実感する。
「そんなホイホイまな板が存在してたらかわいそうだろ……!」
「え、俺はまな板全然いいと思うけど」
イオトがなんでもない表情で言うといつも通りの爽やかな笑顔とは少し違う、影のある横顔でボソボソと呟く。
「つーかさぁ……女は小さい方がいいって……背も胸も歳もさぁ……あのみつあみ女マジあり得ねぇ……背もでかいし……やっぱり若い子の方がいい……」
どうしよう。俺今夜こいつら全員置いて一人旅に戻ろうかな。
「ヒロ! こいつ目がやばいよ! なあちょっと! ていうか僕は――」
涙目になったエミにコジョンドは呆れたように息を吐いてパチリスに目で合図を送る。
すると、動くつもりなどなかったのにパチリスの方へと引き寄せられた俺たちはパチリスの誘導に沿ってエミへと手が伸びる。
「え、何だこれ――」
「このゆびとまれだ!」
イオトが気づいたときにはエミの下腹部――股間へとパチリスが誘導していることがはっきりとわかって三人揃って青ざめる。
「パッ――パチリス――!!」
エミの絶叫にコジョンドは「ざまあみろ」と鼻で笑うとパチリスもにやりと悪人のような表情を浮かべもうそれに触れようとしていた。
「おいこれ腕が止まらない――」
触れることを拒否できないその技の力は俺たちにそれを思い知らされた。
自分たちにもついている息子がある。
先程まで上がっていたテンションは急に氷点下まで落ちすっと冷静になってくる。俺たちなんで男の股間触ってんの?
「おい、お前ら今日の飯だけど――」
無遠慮に開かれた脱衣所の扉。なぜかジャージ姿のケイは見事に目の当たりにしただろう。
俺とイオトとコジョンドがエミを押さえて股間を触っている光景を。
「――邪魔したな」
即座に閉められた脱衣所の扉をイオトは閉まる直前に手を差し込んでケイと力比べを始めた。
「ちょっと待って。誤解だから。そういうのじゃないからさ。話を聞こう」
「その……俺にはそういう趣味がないからわからないが……合意じゃないとどうかと思う……」
「まず俺もそういう趣味がねぇしお前エミの性別わかってるんならさっさと言えよ!」
「俺もないよ!!」
さらっと自分だけ言い逃れようとするイオトに便乗して俺も否定しようと閉まる扉を無理やり開かせる。男二人だというのにケイはびくともせず、急に手を放したケイによって扉が開き、そのまま全力疾走で逃げられ、誤解がいまいち解けていないまま風呂場に虚しい野郎3人が取り残された。
「で、なんで性別ぼかしてたんだよ」
風呂でグーの体を洗いながら開き直って風呂に入ったエミは自分の髪の泡を落とすと嘲笑うように言った。
「勘違い野郎が告白してきたらバラして振るため」
「お前に罪悪感を抱いた俺が間違ってたようで安心したよ」
理由がしょうもなさすぎて無理やり触ったことへの罪悪感が消え失せた。
「え〜だってさ〜僕の顔ってかわいいじゃん?」
それは否定しないけど自分で言ってるを見ると心底ムカつくな。自意識過剰じゃないあたりが更にイライラする。
確かに顔はかわいいし、服を着ていれば少女と見られてもおかしくない。中性的な容姿は知らない人間から見れば魅力的に見えるだろう。
「まあおっさんとかがたまにナンパしてくるんだけど金だけ取ってバックレるの丁度いいから性別曖昧にしておくと便利なんだよねぇ」
「お前ってクズだな」
イオトも呆れながら自分の体にシャワーをかけて泡を落とす。湯船にはマリルリさんやイヴたちが既に入っており、小さいポケモン用の湯船にはパチリスがいるせいか電気風呂みたいになっている。害はないんだろうが入るだけで電気風呂とか一歩間違えると感電しそうで怖いな。
「そう? 女って勝手に思い込んでくれるとやっぱり面倒もあるけど楽だよ? 女特有の特権とかね。映画のレディースデー、あれ僕だいたい身分証明なしで通るし」
詐欺だぞそれ。
これで男3人が確定したわけだがシアン1人女がいてこう、問題ではないんだろうか、改めて。
といっても一人はロリコン、もう一人はナルシスト女男。そして俺……。
なんか普通に大丈夫な気がするわ。間違いが起こる想像ができない。といっても、俺が勝たないといけないんだけどさ。
「ところで俺、勝てると思う?」
ばしゃばしゃ泳ぎ始めたグーを横目に自分よりトレーナーとしては上の二人に問うとどちらも真顔で答えた。
「え、まああいつがどれだけ手加減するかじゃね」
「ジムリーダーの手の抜き方次第だよ」
ジムリーダーの手抜き次第で決まる俺の勝敗って。
ゲームとかだと進行に合わせてレベルがだいたい決まってたが今は相手が俺を見てどれくらいで相手をするか決めるもんだからどうなるかは未知数だ。
「ちなみにお前らは勝てる自信あるの?」
二人はケイの判断では実力は十分とされていたが実際どれくらいなのかははっきりしない。実力が十分というからにはジム戦しても勝てるとは思っているが。
「んー……俺は多分普通に勝てると思うよ。あいつの手加減なしでも」
「僕も多分勝てるかなー」
めっちゃ軽く言うけどこの二人どっちが強いんだろう。そこに触れたいけど触れたら最後な気がして口にできない。たぶんお互い自分の方が強いとか思ってそうだし。
「まあまあ、俺らが当日まで相手してやるし安心しろって」
「そうそう。別に負けてもシアンが実家帰るだけだしあんまり重く考えないほうがいいよ」
「お前らのその気楽さは見習いたいけど多分絶対マネできないわ」
ふと、風呂に入っているメンバーでチルがいないことに気づき、呼びかけるように「チルー?」と声を出すが返事はない。
「チル、どこいったんだ?」
――――――――
裏庭でチルは起き上がりバルーンに向かって何度もぶつかっていた。必死にぶつかっていく様子に野生のポケモンはそれをじっと見ているだけで近寄る者はいない。
が、そこにケイのバルキーが現れる。バルキーに気づいたチルはぶつかるのをやめ、バルキーと睨み合った。
「チル!」
「バル……」
両者の空気は険悪で、向かい合った瞬間戦闘となり、チルットのそらをとぶはバルキーにはなんなく避けられ、そのままローキックを食らい、次いでいわなだれでとどめを刺された。
倒れたチルを意地悪く見下ろすバルキーの表情は当然、と言わんばかりの自信に満ち溢れており悔しそうに呻くチルは夕焼けを背にしたバルキーを睨む。
「おいエイラク」
不機嫌そうなケイが裏庭に現れると同時にバルキーはまずいと思ったのかケイをすりぬけて道場へと戻っていった。その行動を不審に思ったのかケイはチルをじっと見る。そして、だいたい何があったのかを察したのか困った様子で息を吐く。
「……お前も大変だな」
蹲っているチルは泣いていた。ぽろぽろと溢れる涙が地面に染み込みケイはしゃがんでチルの頭を撫でた。
「エイラク――バルキーのやつも悪気はねぇんだ。ただあいつは負けも礼儀も知らねぇまま自信だけが育っちまった馬鹿なんだ」
だから、俺が代わりに謝るから許してくれと、ケイはチルに言った。
「……チル!」
チルはしょうがないから許す!と言わんばかりに飛び上がりそのままどこにそんな元気があるのか池で水浴びをしてびしょ濡れのまま道場へと戻っていった。
「――ジム戦当日、どうなるかね」
――――――――
ジム戦当日、わずかに緊張と、それ以上にジムリーダーとのバトルというワクワクが胸を踊らせ、道場からすぐ近くのジムへと4人で向かう。ジムの入り口で予め事情を聞いていたのか道着の男性がジムトレーナーを通さないで直接ジムリーダーの部屋へと案内してくれる。
ジムの内装は道場のような木造と畳かと思いきやバトルコートは地面になっており、天井も高い。天井が高い理由を聞いてみると飛行タイプで挑む挑戦者が多いからだそうでコートが土なのもじめんタイプが困らないようにするためだとか。
たどり着いたジムリーダーの部屋はジムトレーナーの部屋とそう大差ないが掛け軸に『不撓不屈』と書かれ、その前にジャージ姿のケイがあぐらで座っていた。
「ま、朝も会ったから特に言うことはねぇけど」
「……やっぱりなんか怒ってる?」
むすっとした表情に思わずそう聞いてしまうとケイは「はぁ?」と呆れた声を上げた。
「前から疑問なんだが俺の顔はそんなに怒ってるようにみえるのか?」
本人は別に不機嫌でも怒っているわけでもないらしい。
イオトとエミ、そしてシアンは観客席で俺たちを見守っている。まだ始まらないというかケイが気だるげに立ち上がり、しばらく黙り込んだあと口を開いた。
「と、いうわけで定型文だが一応言うぞ。ようこそ未来ある挑戦者。ワコブシティジムリーダーのケイだ」
唐突の名乗りに混乱しているとケイは手のひらのカンペを見ながらえーっと、など呟きながらこちらに視線を戻す。やや棒読み気味の声はなんとなく覇気がない。
「格闘タイプ。シンプルに強く、たくましく、えー……」
カンペに再び視線をやると何を思ったかそれをぐしゃぐしゃにつぶして頭をかきむしり鬱陶しそうに突然叫びだした。
「あー!! リーグの定型文めんっっどくせぇ! もういいわ。語るなんて俺ら武人には不要。拳と意思があれば人もポケモンも理解し合える。それだけだ。やるぞ」
「え、あ、はい」
あ、もしかしてこれゲームで言うジムリーダーの紹介なのか……。
ところで前々からたびたびジャージ姿なのを見かけていたがなんでジャージなんだろう。受付やジムトレーナーは道着だったし道場でも着物なのに。
「あ、あのさ……なんでジャージなんだ?」
「は? 動きやすいからだけど」
にべもない。というかジムにいた人らに比べてケイはいささか格闘使いにしては細身だ。どちらかといえばゲームの印象もあってかケイはあまり格闘タイプ使いに見えない。カラテ王とかみたいな印象がどうも先行してしまう。
「話はあとでもできるだろ。ほら、挑戦者。定位置につけよ」
追い払われるように挑戦者が立つ定位置に追いやられルールについての説明を受ける。
・挑戦者は手持ち(上限6匹)が全滅したら敗北。勝利条件はジムリーダーの手持ち(挑戦者の実力に応じて変動)を全滅させること。
・道具の使用は有り。トレーナーがバトルに乱入するのは禁止。
・故意にジムリーダーを傷つける行為など反則行為を行った場合は即刻失格となる。
「まあ、細けぇのは諸々あるが――シンプルなジム戦だ。レベルはお前の手持ちに合わせて俺の手持ちは一匹を除いて下がっている」
「一匹を除いて?」
それはつまり一匹だけ本気ということだろうか。さすがに無茶じゃないかと、言いかけたところでケイは手で俺の言葉を制して言う。
「その一匹は俺が育成しているまだレベルの低い――お前の手持ちとそう変わらないやつだ」
倒せない相手ではなさそうなので安心した。
ちらりと観客席を見るとシアンがカモネギを抱えながら「がんばるですよー」と言っているのが見える。まあ、あいつのことはあんまり気負わずいこう。どうせ負けてもあいつしか困らないし……。
「準備はできたな?」
ケイが目を細め確認を取り俺もそれに頷いた。
すると、横のモニターが点灯し、俺の手持ち欄は4匹、ケイの手持ちは3匹と表示される。
「――純真と絆の象徴ワコブシティ、ジムリーダー。さあこい挑戦者!」
同時に放たれたボールはコートの上で開き、戦いは始まりを告げた。