ワコブ道場での休息
人目が気になるということで全員で移動した先はジムの近くにある道場だった。ジムとは別に道場をやっているらしく、夜だというのに中庭のような場所でポケモンたちが取っ組み合いをしていた。
通された落ち着いた一室に適当に座布団を放り投げ、ケイは俺たちをそこに座らせ、シアンには座布団なしで座れと目で訴え険悪さが一層増したが話が進まないのでとりあえず俺とイオトが森での顛末を伝えた。
「……俺の管轄でそんなことをしてやがったのか。わかった、明日にでも調査を依頼しておこう。まあどうせあの勤勉なアリサのことだし先にやってそうだけどな」
あんまり姉が好きじゃないのかめんどくさそうにため息をつくケイは元々不機嫌そうな顔を更に不機嫌そうに歪める。
「気づかなかった、なんて言い訳にもならねぇな。ともかく、馬鹿シアンを助けてくれたことは感謝する。こんな馬鹿でも妹弟子だしな」
二人の関係は元々は門下生同士、まあつまり兄弟弟子の関係らしいが仲はよくないらしく家族間での接点もあるらしいが血縁ではないとのことだった。
終始般若の形相でケイを睨むシアンの横でカモネギがオロオロしておりちょっとかわいそうだった。一方クルマユはのんきにきのみをかじっていた。
「馬鹿ケイに馬鹿って言われると腹が立つですよ……死んでほしいです……」
「家出して拉致されたとか馬鹿の極みのお前にだけは馬鹿って言われたくねぇな」
「ていうかそもそもなんで家出したんだ?」
俺の疑問にシアンは言いたくなさそうに顔を背ける。カモネギもはぁ……と羽で頭を抑えるがクルマユは新入りということもあって頭に疑問符を浮かべている顔だ。すると、シアンではなくケイが淡々とした口調で説明してくれる。
「こいつはそこそこいいところのお嬢でな、まあ見合いをしろとせっつかれたわけだ」
歳でいえば結婚しても問題ないしすぐにじゃなくても婚約者で数年待つとかあるだろう。この世界の適齢期とかよくわかってないけど。
「で、あまりにもあれは嫌だこれは嫌だと我儘放題だったこいつにとうとう親御さんがキレて勝手に婚約者を決めたわけ。で、一応見合いの体でやるから顔合わせをするって形になったんだ」
ここまで聞くと正直シアンをあんまり擁護できなくなってくる。単に我儘言ってるだけにしか聞こえないし。
「で、この馬鹿は見合いが嫌だ婚約なんてごめんだと喚いて『運命の筋肉王子に出会うまで帰らねぇ』とかふざけた書き置きをして出奔したというわけだ」
「悪いこと言わないから帰れよ」
婚約云々はまあかわいそうだとしてもその書き置きはちょっとふざけてると思われても仕方ない。
「嫌ですよ! 素敵な筋肉を持った美丈夫ならまだともかく相手があんな……」
そんなに嫌な相手なんだろうか。まあ政略的とか家同士の、みたいな雰囲気なので自分より二回りくらい年上のやつとかそういうあれなのかも。でもまあすっぽかすのはよくないと思う。
「あんなヒョロガリの女なんて嫌ですよ!」
「俺もそれは家出しても仕方ないと思います」
相手は女かぁ。うん、さすがにちょっと同情した。俺で例えるなら見合いに男連れてこられるようなもんだよな。うわぁ死んでも嫌だ。しかも筋肉が異常に好きなシアンにしてみれば地獄のような婚約なんだろう。
「ヒロくんさんもっと言ってやってくだせぇ! あんな一回りも年上でチビでヒョロガリなクソ女絶対嫌です! だいたいなんで同性婚なんですか! ボクはせめて相手が男ならこんなことしなかったですよ!」
「俺との見合いもあったのにお前全部却下して相手がいなくなったからあの人にお鉢が回ってきたんだって」
「きいいいいいい!! おめぇと結婚するくらいなら野生のカイリキーに抱かれたほうがマシですよ! このひょろひょろ男!」
「でもお前、俺に勝てないじゃん」
「うるせぇですよ!」
また身内の喧嘩になってきた。
エミが正座していて足が痺れてきたのかぷるぷると緩慢な動きで足を伸ばし始める。イオトははなからあぐらなので飽きてきたと言わんばかりにあくびをし始めた。
「ねえ僕お腹空いてきたんだけど」
「俺も疲れてそろそろ眠い……」
俺、やっと気づいた。ここにまともなのは俺しかいないんだってこと。このマイペース集団でしっかりしてるのは俺だけなんだってこと。
「とにかく! お前は俺が責任持っておじさんとおばさんに引き渡す! お前の我儘でこっちまで振り回されるのはいい加減うんざりなんだよ! 文句言うならあの人かおじさんに言え!」
「ぜってぇ嫌です!」
「だいたいお前に一人旅とか無理に決まってるんだよ!」
「ひ、一人じゃねぇですし!」
びしっとシアンが指差した先は俺たち3人。おい待て巻き込まないでくれ。完全に巻き込まれる流れだこれ。
「ほー……? 一人で平気とか抜かしたら問答無用でしょっぴくつもりだったけどそう来るか」
「あのー、こっち男二人とよくわかんないの一人なんですけどー」
俺のささやかな抗議はあまり意味が無いのかケイは鼻で笑って顎でシアンを示す。
「お前らこれに手を出したいか?」
「あ、それは結構です」
「俺もご遠慮するかなー」
「手を出したらねじ切られそう」
俺だけじゃなくイオトもエミも苦笑いでそう答えるしかできなかった。ちょっと、うん。仕方ないね。
「なんだかすごく馬鹿にされてる気がするですが今はよしとするですよ。これだけいれば不安はないはずですよ!」
「うーん……」
俺をじろじろと見るケイは手持ちのボールにも視線を向け、少し困ったように言う。
「他二人はともかくアリサの弟は少し……。いや、新人だし頼りがいがないから数に含めるには」
「おめぇはジムリーダーでしょうが! 戦ってもないのに相手の実力判断して決めつけるとはなにごとじゃ!」
うん? 話の流れがおかしいぞ? なんで俺の話になってるんだ。
シアンとしばらく睨み合っていたケイはしばらくして諦めたように目を伏せ、あぐらに肘を立てそこで頭を支える。
「……はあ……わかった。とりあえず3日時間をやる。弟が俺とジム戦して実力を認めたら俺はお前のことを見逃すよシアン」
「よっしゃぁ! ヒロくん! 修行するですよ!」
「待って! 俺の意思!」
いやジム戦はしに行くつもりだったけどさ、なんで人の喧嘩に巻き込まれてるんだ? 俺の自由はどこ?
「いいじゃん。ジムトレーナー戦省いてジムリーダーと直接なんて楽だし」
他人事のようにエミが言うと俺に拒否権はないらしく完全に3日以内に挑む流れが確定していた。
プラスに考えろ、プラスに……そう、面倒なことすっ飛ばしてジムリーダーに挑戦できるんだからいいじゃないか……。
――なんか、俺の旅の今後の未来がちょっと見えた気がしてどうも前向きに考えられなかった。
気持ちを切り替えたのか先程よりもだいぶのんびりとした空気のケイが立ち上がり、肩を回す。
「んじゃ飯作るか。シアンお前手伝えよ」
「しゃーねぇですね。ボクの超絶ハイスペック美少女ぶりを発揮するときがきたですよ」
「あ、お前らもせっかくだから泊まってけ。飯準備してる間風呂使っていいから」
「なんでボクのこと無視するです? 死にたいです?」
ポケモンセンターに泊まる予定だったがもう夜も遅いので道場で一泊することになり使っていいと言われた部屋に荷物を置いて風呂場へ向かうと一応施設とはいえ個人宅でもあるのに結構な広さな浴場に感心する。埃っぽいし汗臭い服をどうしようかと悩んでいると脱衣所に強面のサワムラーが現れて服をよこせと腕をくいくいとしてくるので恐る恐る服を渡すと無言で手早く洗濯機の中に放り込んでしまった。器用にボタンを操作し、洗濯機のスイッチを入れ、その代わりにと浴衣を人数分置いて無言で立ち去っていった。
「……これ着替えってことでいいんだよな……」
「よく躾けてあるなぁ」
イオトも感心しておりタオル一枚でつい一連の流れをぽかんと見てしまった。
ふと、イオトだけしかおらずエミがいない。
「あれ、エミは?」
「ん? さっきまでいた気がするんだけど……」
どこにいったんだと考えそしてイオトと恐らく同じ思考にたどり着き同時に顔を見わせた。
――あいつの性別がわかるチャンスだ!
……30分後。
「……あいつなんで風呂来ないわけ?」
「さあ……」
二人してエミが来るのを待っていた。が、一向に来る気配がなく、手持ち達が飽きて先に風呂に入り始めた。
「風呂で待つか」
「そうだなー。さすがに寒いし」
風呂で待とうと脱衣所から中に入ると既に手持ちたちが濡れた体を震わせて水気を飛ばしていたりマリルリが湯船で泳いだりしている。イヴも小さめのポケモン湯船で気持ちよさそうにしていた。チルは泡と羽の区別がつかないくらいもこもこになっている。
銭湯みたいだがポケモンも入れるからか湯船も広いしゆっくりできそうだ。まあさすがにボスゴドラは浸かれないみたいで布で自分をピカピカに磨くにとどまっている。トドゼルガもしょんぼりしながら桶にはったお湯にぴちゃぴちゃと前足を突っ込んでいる。
「イオト、手持ち全員出さないのか?」
「んー、今日はボールからでてないしなー。いいかなーって」
そういうものなんだろうか。
フシデとジグザグマの名前をそういえば決めていなかったことを思い出し、体を洗いながら二匹の名前について考える。
「ジグザグマは……グー。フシデはドーラでどうかな」
二匹とも割りと喜んでいるように見えるので多分大丈夫、のはず。ペンドラーに進化するだろうしって名付けたけど気に入ってもらえてよかった。
「ヒロってポケモン知識はあるよな。何で勉強した?」
「え? これくらい普通じゃないのか?」
多分ペンドラーからドーラって連想したからだと思うけど進化系くらいは別に特別な知識でもないはず。
「普通……まあ普通な場所もあるけどコマリタウンは田舎だからな〜って思って。隠し特性とかもこの地方では大学での内容だし」
嘘やん。
「更に、マリルリさんがアクアジェットで回避したことには驚いたけどマリルリさんがアクアジェットを使うこと事態には驚いていなかっただろ?」
「え? だってマリルリはアクアジェット使えるし……」
あ、でもマリルリがアクアジェットを覚えるのはゲームだとタマゴ技だったっけ。それに気づくと同時にすっと自分の体温が下がっていくのがわかる。
「なんで、新人トレーナーが遺伝でしか覚えない技があることを知ってる?」
メガネを外したイオトの目がすっと細められる。品定めするような強い視線に思わず息を呑む。
自分の知識が前世での、ゲームでの知識で当たり前だった。が、この世界ではそれは新人トレーナーが知っているはずのないことだとすれば。
「異種配合による技の遺伝。稀に野生のポケモンもそうった技を覚えたやつもいるが、原則それは人間が異種で組み合わせたポケモン同士でなければ起こらないこと。四天王の姉から教わった? いいや違うね。なら君はそれをどこで知った?」
詰問されているようで言葉がうまくでてこない。前世の記憶のことを話すか? いや、話したところで頭のおかしいやつ扱いで終わりだろう。でも本当にそうだからなんて言えば納得するんだ。
しばらく無言でいたからか再びメガネを掛け直したイオトが楽しそうに笑いだし、マリルリが何笑ってんだこいつと変なものを見るような目を向けている。
「ごめんごめん。いや、そこまでびびるなって。ま、詳しいのはいいことだけどあんまり新人なのになんでも知ってる素振りだと変なやつに目をつけられるから気をつけなよ」
「お、おう……」
今まさにそんな感じだった気がするけど。
裸眼のイオトの目つきがかなり迫力があって完全に飲まれていた。今後は発言に気をつけよう。前世で例えると初めてポケモンに触れた子供が3値を知ってるようなもんだろうし。
「まー、そう知識があるなら将来有望だし? 俺は期待してるよ」
「期待って何を」
「俺は強いやつと楽しくバトルするのが人生での楽しみだから」
少し意外だった。バトルは好きだと思っていたがトレーナーはたいていそんなものだしエミの方がそういう面が強いと思っていた。人生での楽しみとは随分と割合が大きい。
「そういえばイオトはジムとか挑戦しないのか?」
「あー……ジムはいいや」
「手っ取り早く強い相手と戦えるのに?」
わかりやすく強い相手といえばジムリーダー、そして四天王とチャンピオンだろう。それなのにそれに挑戦はしないのか。
「うんまあ、俺はそういうのはしばらくいいやって感じ」
あんまりそれ以上は話す気がないのかマリルリにちょっかいかけようとして叩かれる流れに移行したイオトを見ながら不思議に思う。
実力があるけどジムに興味はない。そんなトレーナーがなんで俺との旅についていこうとするんだろうか。シアンもいるから、なんてのではないだろうし。
イオトはよくわからないやつだけど、それでも、あの森でとっさにいわなだれから俺とシアンを守っていたことから悪いやつではないとは思う。でもそれ以上に不可解な点が多すぎる。
――こいつと本当に旅していいんだろうか。
まあ難しく考えても仕方ないし明日以降考えればいいかといったん思考を打ち切り、その後もエミが入ってくるのを二人で待ち続けたのだが30分くらい経っても来る気配がない。イヴなんかのぼせてるしマリルリは先にあがっていった。チルは泡でタワーができていた。そこにグーが水をかけうず高く泡立った塔は流れ消えチルとグーが喧嘩を始めたりしてもう熱さで思考がぐだってきた。
「ふたりともー、いつまで入ってるですかー。もう夕飯の準備はできてるですよ。さっさとあがりやがれです」
遠慮なく風呂場の扉がガラガラとあけられ顔をあげるとそこには少し怒ったような顔のシアンがたすき掛けの状態で風呂場にいる俺たちに声をかけた。
「エミが来るの待ってたんだけど……」
「は? えっちゃんならとっくにこっちで待ってるですよ。あとは二人だけです」
は? あいついつの間に?
風呂にきてないはず、と言いかけてシアンは乱暴に風呂場の扉を閉めて行ってしまう。イオトと顔を見合わせて無駄な時間を消費したことに気づいて無言で風呂から上がり、無言で渡された浴衣を着た。すごく虚しい。
食卓へと向かうとエミは髪をおろしており、しかもしっかり濡れた髪に血色のいい顔色をしている。ちょっとしたホラーだ。
「エミ……いつ風呂入った?」
「え? 君らより先」
ほぼ時差なかったはずなんだけどおかしい。めちゃくちゃ追求したい。でも多分様子からしてはぐらかされる気がするのでこれ以上はやめておこう。
髪をおろしたエミは普段より少女っぽさが増している。普段はどっちかといえば少年寄りに思えたがこれでますますわからなくなった。
「はいはいごはんですよー。シャモすけ、落とさないよう気をつけるです」
大皿に煮物やら煮魚やらを盛り付け、それを食卓のど真ん中に配置するとようやく食事が始まる。基本的に和食で優しい味だ。ポケモンたちもそれぞれの食事をとっており、結構賑やかな食卓になっている。
「えっちゃんはよく食べるですねぇ。太らねぇです?」
「僕は運動してるから」
「ボクも運動してるですよ。太りにくい体質なんです? 羨ましい限りですよ」
そんな会話をしている二人だが多分現時点で俺の倍は食べている。量がやけに人数と比較しても多いと思ったけどこいつらがめちゃくちゃ食うのか……。
ケイも無言で食べ進めているが成人男性より少し多いくらいでエミとシアンと比べると少ないがそこそこの量を食べている。
その点で言えば俺とイオトは平均的な量だと思う。
「もっと食えよ。成長しないぞ」
ケイが相変わらず不機嫌そうに食べる合間に言ってくる。え、なんで俺怒られてる?
「あの、俺何かした……?」
「は?」
「いや怒ってるから……」
「別に怒ってないけど」
表情一つ変えずそう言うケイは酒に手を付け始める。酒を飲んでも表情が変わる気配がない。
「馬鹿ケイはいつもむすっとしてるから誤解を招くですよ。もっと愛想よくしたらどうです」
「別にこれで困ったことねぇし」
どうやら地顔が不機嫌そうなだけで怒っているとかではないらしい。心臓に悪いのでやめてほしい。
「道場のポケモンたち、やけに楽しそうですねぇ」
シアンも見知った顔がいるのか道場のポケモンたちを見て驚いた様子を見せる。ポケモンたちは俺達の手持ちも食事中でみな楽しそうにしている。
「客が久しぶりだからな」
気がついたら一升分の酒を飲み干したケイはじっとイオトとエミを見て困ったようなため息をつく。
「実力的には申し分ねぇんだが人格面が不安なんだよなぁ」
ケイのぼやきをイオトは聞こえなかったのか「ん?」と聞き返し、エミはそもそも聞いていないのかパチリスに里芋の煮っころがしを与えている。それ以上は何も言うつもりはないのか黙って食事が終わるのを見守っていた。
その後、布団を借りてシアンだけ別室でそのまま就寝する流れになり、初日の疲れを柔らかい布団の中で忘れようと仰向けになる。イヴもその横にきてチルとグーは布団の端の方に陣取って眠ろうとする。ドーラは足元ですでに眠っていた。
ふと、眠りに落ちる直前、目の回るような出会いと無性に気になる記憶の欠落、そして、あのみつあみ女ことリジアがやけに気になった。そして、リジアとはなぜかまたそのうち顔を合わせるような気がして複雑ながらもどこか少し安堵し、眠気に負けそのまま眠った。
夢を見た。
自分はまだ子供の姿でコマリタウンの一角にある公園である少女と遊んでいた。
『ヒロくん』
少し自分より背が高い少女の手を引いて公園のはじっこにある秘密基地へと連れて行く。ダンボールや大きな葉で作ったそれを見て少女は楽しそうに中へと入り、狭いその秘密基地で肩を並べていた。
『ヒロくん、ありがとう!』
こんなにも少女のことを恋しく思うのに顔も、声も、名前も思い出せない。ただ、漠然とそうだったと、かすれた記憶が夢として浮かんで消える。
それなに、いつからか自分の記憶からは少女は存在しなくなり、公園に行くこともなくなった。あの秘密基地がどうなったのかも知らない。
なのに今になってどうして、こんなにも気になってしまうのか。
泡沫の夢の一端に、赤いリボンが映る。どこにでもある、他愛のないそれを俺は彼女へとたしかに渡したところで夢から現実へと引き戻される。
イヴが俺の顔面で寝ていた。いや、ちょっとさすがに息苦しいのでどけさせてもらおう。寝相が悪いのは仕方ないけど窒息は勘弁して欲しい。
上体を起こすと同じ部屋で寝ていたイオトとエミが布団にいない。手持ちは部屋で寝ているので恐らくトイレか何かだろう。
昨日に続いて少女の夢を見ていた。それが偶然とも思えず、けれど決定的に思い出せるようなことがないため、もう一度夢で彼女に会えたらと再び眠りについた。
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深夜、道場内でケイが戸締まりの確認をしているとある人物が向かいから歩いてくることに気づいて眉をひそめた。恐らく方向からしてトイレなのだが迷いのない足取りに思わず舌打ちをかました。
「隠す気あるのかお前」
ケイの言葉に答えることなくその人はすっと横を通り過ぎ、暗闇に廊下を歩く木の軋みだけが響いた。
よく知る人物。けれど、まるで初対面のような態度をとったその人にケイは呆れるばかりだった。
「で、新人にまとわりついて何が目的だ?」
答える声はない。想定の範囲内だったがケイはこの人物のそういうところが嫌いだった。
新人とシアンに害はないだろうが何を企んでいるのかがわからない以上、忠告まがいなことしか出てこない。
「あんまりふらふらしてどうなっても知らないぞ。特にアリサからの雷がな」
ケイは通り過ぎた人物に独り言のように声をかける。その相手は暗闇の中薄く笑うと無言で立ち去った。
「……借りがあるから黙っておくけど、お前そのうち絶対後悔するぞ」
立ち去る後ろ姿を見ることなくそう言うとケイは相変わらず不機嫌そうな顔をして自室へと戻っていった。