第1話
春の草木の香り。滝だろうか。遠くで水の音も聞こえる。そしてそれらを連れてきてくれる澄み渡った風。
ずっと夢を見ていた気がする...
しかしその夢の内容は覚えていない。
そしてその夢は、なんというか、母親の愛のように暖かく、そして大切な者を失うかのような切なさ...
この心地よい森の風で僕は目を覚ました。
...ここは、どこだろう...
大きな木のもとで寝ていた僕はゆっくりと体を起こし、周りを見渡した。
たくさんの虫ポケモンや草ポケモン、水浴びをするポケモン。
...ポケモンがたくさん...
その時ふと見た小さな池に、こちらをじっと見ているポケモンがいた。体は小さくて青かった。自分は知っていた。このポケモンの名を。
...リオル?...
すぐには理解できるはずもなかった。
まさか自分がリオルになっているとは思いもしないのだから。
そういえば、僕が僕自身を思い出せないでいる事に気づく。
...えーっと、僕はニンゲンの世界で生きてきたはず...
何も思い出せない。今までに何があったか、どうやって生きていたか、他にニンゲンは誰がいたか。その全てが自分の脳の記憶からは失われていた。
...とりあえず、生きて...生きていかないと...
そう思い、元いた場所から山を降り始める。
体はポケモンだが、幸いなことに自分は二足歩行のリオルだ。人間ともさほど変わらぬ動きで移動することが出来た。
道中色々な種類のポケモンを見たが、特に話しかけられたりすることも、争いごとも何もなく、ただただ山を下って行くことが出来た。
もしかすれば、この世界のポケモンは話すことが出来ないのかもしれない、と思ったくらいだ。
進んでいくにつれ変わっていくこのポケモンの世界の景色を味わいながら進んでいく。
2時間ほど歩いただろうか。やはりポケモンも動けば空腹になるらしい。しかし食べるものはそこまで近くにたくさんあるわけでもない。唯一あるとしたら、あの高い気の上になっている色とりどりの木の実くらいだろうか。取って食べるには高すぎる。どうにかして僕は熟れて落ちた木の実を探したが、殆どは鳥ポケモンか虫ポケモンにやられた後のものだった。
仕方なく他の食べられそうなもの探そうとしたそのとき、
何かがかなりのスピードでこっちにやって来るのを感じた。それは恐らく小柄なポケモンだろう。だがどこにいるかまでは分からない...と、そんなことを考えていた時
ドンッ!
何者かに思いっきりの体当たりをされてしまった。
「痛ッッッ!!」
思いっきり衝突してしまったのは、
...ピカチュウ
何故かはわからないが、その黄色い体毛、ギザギザの尻尾、細長の耳を見てそう思った。
「ってて......君は...」
そう言いかけた途端そのピカチュウは僕の口を強く抑えて、静かにと言わんばかりに僕をキッと睨む。しばらくして少し遠くから声が聞こえてきた。
「この辺に紛れ込んでるはずだ!さっさと見つけてとっ捕まえろ!」
声の主は、自分の何倍の大きさもあるだろうサイドン。どうやら、何人か...いや、何匹かに追われているらしいことは把握出来た。しかしこのまま黙っていてはそのうち見つかってしまうだろう。
「あんた、走れるよね?」
そのピカチュウは自分に対して喋った。ポケモンが話せる事に驚いたが、それ以上に、この面倒事に巻き込まれたくなんかない、と言おうとした。
が、そのピカチュウは既に僕の手を握って草むらの中から飛び出していた。
「...いたぞ!捕まえろ!」
僕とピカチュウは全速力で山を下る。
しかし、ただでさえ空腹の僕にはそこまでスタミナは残されていなかった。
「僕...もう...!」
「仕方ないわ...こっちよ!」
そう言われて草むらに連れ込まれ、出た先は大きな洞窟だった。
「ここに入ってさえしまえばこっちのものね...入るわよ」
洞窟に潜り込みやっとサイドン達の追手を免れたものの、リオルにはこの数分に起きた出来事が全ては理解出来ていなかった。
「悪かったわね、だけど許しなさいよ。丁度私が逃げてる最中にあんたがぶっ飛んで来たもんだから...あいつらにやられるよりはマシよね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
やることを終えたようにさっさと彼女は洞窟の奥の方に進んでいこうとする。
「何?まだ何か用があるの?」
「用も何も...!き、君は一体何であんなやつらに追われてたんだ?」
「...私がどんな理由で追われようとあなたには関係ないんじゃない?」
「そ、それはそうだけど...でも...!」
「ごめん、私そんなに暇じゃないの。ここに潜り込めてもまだ追手が来ないとは限らないし...悪いけど私は先に行くわ。そうだ、あんた名前は?」
「名前...名前は...」
一瞬自分の名前を思い出そうとしたが、フッと頭に浮かんだ名前が口から出た。
「...レオ」
その言葉を聞いた彼女は一瞬だけ驚いた表情を見せたが、それもほんの一瞬で、すぐにもとの表情に戻る。
「ふーん、レオねぇ...そう。レオ、この先は不思議のダンジョンだから気をつけなさいよ。それじゃ」
彼女は自分は名乗らずただそれだけ言って洞窟の中に潜っていった。
(たしか彼女は今不思議のダンジョンって言ってたよな?)
レオは不思議のダンジョンが何のことだか分からなかったが、とりあえず外に出るのも危険だと判断し、彼女の向かっていった洞窟の奥、不思議のダンジョンへと進んでいったーーー