急 実る赤と刺す赤
「さぁて、始めますか」
どのみち予定が狂っとるんやから、とことんやらな勿体ないやんね。創り溜めした試作品をバッグに詰め込んだ僕は、街から三十分ぐらい歩いた所に広がる森に辿りつく。ワイワイタウンから北にあるアクトアタウンとの間、そこから僅かに西に逸れた場所に位置するダンジョンに、僕は来ている。ダンジョンと言ってもゼロの島とかハートレイクみたいに、もの凄く難しいような場所じゃなくて、駆け出しのチームでも突破する事が出来る難易度…。とは言っても鍛錬を積んでない人にとっては危険やけど、実りの森という名前らしく、様々な種類の木の実が採れる事で有名だ。
そこに一人で突入した僕は、自分に言い聞かせるように声をあげる。多少は戦闘経験はあるけど、そもそも僕は救助隊にも探検隊にも所属していない、いわば一般人。気を引き締めないと、そのどっちかを呼ばないといけなくなってしまう。
「マトマの実は沢山落ちとるし、まずはこれから試しますか」
試作品を試す相手は、何か知らんけど沢山湧いてくるしね。自らを鼓舞した僕は、一旦腰を下ろして鞄の中を探り始める。この世界の鞄は便利なもので、外見の大きさ以上に物を仕舞う事が出来る。元いた世界との技術の違いに密かに感動しながら探す僕は、目的のモノを左の前足で順番に取り出す。一つは自作の不思議玉で、もう一つはどこにでもある一般的な種。それを小部屋の真ん中に移動してから床に置き、前者だけを右の短い指で何とか掴む。そして…。
「この艶霧の球が完成すりゃあ、初めての技の代用品やな」
右前足のそれを高く掲げ、発動を促す。不思議玉そのものの発動の原理は研究し尽しとるから、僕の思い通りの挙動を示してくれた。高く掲げた瞬間、やや薄桃色がかった不思議玉は、一瞬白い光を放つ。かと思うとそこから元色の霧が発生し、今いる小部屋の足元全体に広がった。
「よしっと…。ひとまず発動だけは成功やな。あとは…、うん、やっぱ来たね」
第一段階は達成やな! 卓上で理論的に導き出した結果通りになった事に満足し、僕は思わずこう声をあげる。三年間の研究の成果が出たから嬉しかったけど、本当の目的は一から創った不思議玉を発動させる事じゃない。本当の目的は、一週間前に完成した艶霧の球の効果を確認する事…。だから僕は、すぐに気持ちを切り替え、床に置いていた種を手に取った。丁度そのタイミングで、僕は小部屋の入り口で何かが動いたのが見えたような気がした。
「コソクムシ…、まぁ丁度ええ相手やな」
「グルルゥッ…」
相性的には最悪やけど、ここのダンジョンなら、問題なさそうやね。咄嗟に視界の端に目を向けると、僕の予想通りダンジョンに住むポケモンが入り込んでいた。詳しくはよく分からないけど、ダンジョンに住む人は理性というものが無いらしい。
話に戻ると、僕が薄桃色の霧を張り巡らせた小部屋に入り込んだのは、元いた世界でいうフナムシに似た、コソクムシという種族。光の宿らない目で睨んできた相手は、小さな唸り声を上げるなり真っ直ぐ僕に迫ってきた。
「グルァッ! 」
「弱点を突くつもりみたいやけど、そうはいかへんよ! 」
霧に紛れて迫る相手は、正面から僕を攻撃するつもりらしい。三メートル手前の位置で技を発動させ、僕めがけて跳びかかってくる。発動させた時の挙動を見た感じだと、コソクムシは吸血で僕を仕留めるつもりらしい。だけど庭同然にこの森を知り尽くしている僕は、右の前足に持つ種を口で軽く咥えてから、すぐに左に跳び退いた。
「んじゃあ早速、効果を試させてもらうよ! 」
すれ違い様に、僕は首を左から右に思いっきり振る。速度が最高に達したタイミングで、咥えていたモノ、睡眠のタネを解放する。結果的に相手は、その種に噛みつく事になる。クシャッ、と種が潰れる音を右耳で聴きながら、僕は相手の接近をやり過ごした。だけど…。
「グアァッ! 」
受動的に睡眠作用のある種を食べた相手は、夢の世界に旅立つことは無かった。それどころか、僕がその相手に向き直ったタイミングで、別の技を発動させてきた。
「
エコーボイスぅっ! やった、やっと完成した! 」
睡眠の種の効果も発動せんかったで、完璧やな! 種の効果は不発で終わったけど、それは僕が欲しかった結果…。艶霧の球の効果、ミストフィールドを張り巡らせているから、当然状態異常にならない。だから相手は、僕にとっては致命傷になりかねない、虫の抵抗を発動させてきた。
満足のいく結果に沸き上がる僕は、その気分のまま相手の技に対抗する。喉元にエネルギーを集中させ、それをすぐに開放する。ゴーストにはゴーストを、ドラゴンにはドラゴンを、という事で、僕はその状態で大声を出す。それがハウリングする音波となり、向こうの音波と重なり合った。
「ッ? 」
「不思議そうな顔しとるね。昔からの趣味で身につけた僕の音感を、なめんで…」
虫の抵抗と逆位相になるように声を出したから、干渉し合って互いに打ち消す。何が起こったのか理解できていないらしいコソクムシは、理性が無いなりに頓狂な声をあげていた。
そんな相手に僕は、勝ち誇ったようにこう声をあげる。元いた世界で身につけた知識を応用しているから、もしかするとこの世界でこの事を知っている人は少ないかもしれない。そんな事は頭の片隅に置いておいて、僕は次の…。
「ほぇー、ここがダンジョンなん…」
「だから、俺達から離れないでって、何回言ったら…」
「これだからガキの依頼は嫌だったんだよ」
なめんでくれるかな、そう言おうとしたけど、突然入り込んできた呑気な声に遮られてしまった。声からすると、まだ小さい子供らしい…。薄桃色の霧が消えかかっている小部屋に入ってきた声の主は、興味津々という感じで感嘆の声を漏らしていた。
突然の事に、僕の鼓動は早鐘を打ち始める。その状態で入り口に目を向けると、その声の主、小さなグライガーが右に左にと飛び回っていた。
そのグライガーの少年に遅れて入ってきたのは、彼に対して違う反応を示す二人。最初に入ってきたのは、ケララッパという種族の彼。彼は盛大なため息と共に、ボソッとこう呟いていた。その彼に対し、イライラした様子でこうはき捨てたのは、ヤレユータンという大柄な種族の彼。何があったのかは知らなけど、見たところ文句ありそうな感じで、相方と思われるケララッパにこう訴えていた。
「グァァァッ! 」
「…っと、そんな場合やなかったね。サイコキネシスっ! 」
「ッ! 」
「シャドーボール! 」
ヤバいヤバい! つい気が逸れてまったな…。気の抜けた来訪者のせいで、僕はほんの一瞬相手に隙を見せてしまった。僕が気づいた時には、既にコソクムシは技を発動させ、飛びかかってきていた。相手の咆哮で我に返った僕は、ほぼ反射的に右に跳び退き、同時に超能力を発動する。吸血で襲ってきているから、その本人を真上に弾く。勢い余って斜め四十五度、僕の方に向かって飛んでいったけど、それでもすぐに、別の技に切りかえる。口元に黒いエネルギーを集中させ、丸く形成する。宙を舞う相手を狙い、それを真っ直ぐ撃ちだした。
「グアァッ! 」
「えっ、戦闘中? だっ、大丈夫ですか? 」
「うわぁーすげぇー、これがバトルなんだー」
とりあえず、何とかなったかな。真っ直ぐ進む黒い弾は、空中で為す術の無いコソクムシを正確に捉える。エネルギー量の関係で一発で倒すことは出来なかったけど、床に落ちたコソクムシは勝ち目がないと悟ったのか、あるいは特性の影響なのか、一目散に逃げだした。
「エーフィのおにーちゃん、すげー! 」
「エーフィさん、大丈夫ですか? 」
「ん? あぁ、僕なら平気やよ」
そういえば、誰か知らなけどここに来てたんだっけ? 数秒の静寂の後、無邪気な声が僕の種族名を高らかに唱える。この少年の声で我に返ったらしく、同行していたケララッパの彼が血相を変えて、僕の方に飛んできた。それに僕は、心配ないよ、と彼に対してにっこりと笑顔を浮かべる。一瞬ヒヤッとしたけど…。
「んだけど、たった一人でこんな所にいるなんて、もの…」
「エーフィのおにーちゃんは、なにしてたのー? 」
「僕? 」
「ぼくはたんけんたいのおにーちゃんたちに、つれてきてもらってたんだよー」
そっか。この二人はどこかのチームだったんやね。言葉足らずだったって事もあるけど、うんざりした様子のヤレユータンの彼は、不審そうにぼくの事を見下ろす。確かに彼の言う通り、ダンジョンは一般人が好き好んで入る場所じゃないから、分からないでもない気がする…。この流れで彼は、物好きだね、そう訊こうとしていたんだと思うけど、その途中ではしゃぐ少年に遮られてしまっていた。
「僕はちょっとした実験やね」
「実験? 戦略の構築にしては小慣れてた気がするし、かといってこの辺じゃあ探検隊にも調査団にもエーフィがいるとは聞いた事ねぇーし…」
この世界に来て五年になるけど、僕も同じ種族でそういうチームに入っとる、っていう人は聞いた事が無いでなぁ…。
「僕も同族では知らないですね。…僕の職業はあまり聞きなれないかもしれないですけど、ワイワ…」
「あぁー、だからそれは食べたらダメだっ…」
「これってりんごでしょー? いただき…」
あぁ、グライガーのあの子、訊いてきたのに完全に聞いとらんね…。いつの間にか聞き手がヤレユータンの彼に変わってたけど、僕は気にすることなく話を続ける。自然な流れで、ワイワイタウンで化学者やってます、僕はこう言おうとした。だけどそれは、またしても移り気な少年の呑気な声に遮られてしまう。話している間に面倒を見ていたらしいケララッパの彼は若干慌ているような気がするけど、グライガーの彼は全く制止を聴いていなさそうだった。
「あっ…、それは…! サイコ…」
ちょっ、ちょっと待った! それをそのまま食べたら…。子供の世話に手を焼いている彼の方に目を向けると、そこにはある意味予想通りの光景…。ケララッパの彼が、もの凄く焦った様子でグライガーの彼を止めようとしていた。一瞬何が起こってるのか分からなかったけど、僕はその彼が手で持っているそれを見た瞬間、すぐにそれを察する事が出来た。少年が持っていたのは、パッと見赤くて丸い形の木の実…。林檎かな、最初はそう思ったけど、よく見たら全面に同色のトゲのような突起がある。探していた木の実と特徴が酷似していることに気付いた僕は、ほぼ反射的に技の準備に入っていた。逆にそれを楽しむ愛好家もいるけど、一般的には激辛の木の実として知られているマトマの実を、彼は何のためらいもなく口にしようとしていた。
「…キネ…」
「うわっ、からぃからひはらひからいはらぃ…みっ、みふひふひずぅ…」
「だからそれはマトマの実だって、あれだけ言ったのに」
「…遅かったか…」
サイコキネシスで赤い木の実を取りあげようとしたけど、ほんの少しの差で間に合わなかった。超能力の影響範囲がグライガーのそれに届く前に、彼の口に運ばれてしまう。躊躇することなくかじられたそれからは、独特な匂いが溢れ出す。鼻にツンとくる、目にしみるような刺激が、ほんのわずかな間に小部屋一面に広がった。
赤い木の実を林檎だと思い込んでいた彼は、あまりの辛さに舌が回らなくなてしまう。バタバタと部屋中を飛び回り、言葉にならない声をあげ続けていた。
「…きみ達、チーゴの実、持っとる? 」
「チーゴ? はい、持ってますけ…」
「なら、果汁を絞ってこの中に入れといて! 」
「あっ、はぁ…」
この状態やと、一刻も早く処置しないと! 即座にこう考えついた僕は、探検隊らしい彼らに対してこう声をあげる。訊いた感じだと必要な木の実は持っていてくれていたみたいだから、手短に指示を出す。口でこう言うのと同時に、僕は鞄から、常時持ち歩いている試験管をヤレユータンの彼に手渡す。半ば押し付けるような形になってしまったけど…。…とにかく、一刻を争うから、二人の反応は気にせずに、僕は薬品を調合する準備に移る。鞄から、拾ったマトマの実を保存するために持ち歩いていた小瓶を取り出す。濃度の高いデンプン溶液で満たされたそれを開け、超能力で操るピペットで数滴採取する。別の試験管に移し、二人に絞ってもらった薄緑色の溶液も流し込んだ。
すると二種類の溶液が混ざり合い、反応が進んで熱を帯び始める。その証拠に、別々だと無色と薄緑色だった二色が、翠色を呈し始めた。
「グライガー君、ちょっと苦いけどこれを飲んで! 」
「からひ…、
へっ、ひはひ…っ…! 」
苦いのは嫌やと思うけど、飲んでもらわな後で大変なことになるよ! 即行で治療薬を合成した僕は、辛みに苦しむ彼を大声で呼ぶ。反応はどうであれ、飲まさないと治まらないから、薬の入った試験管を浮かせた状態で彼に駆け寄る。苦い、って聞いて見るからに嫌がっていたけど、問答無用でそれを喉に流し込んだ。
「後味が悪いかもしれんけど、これで辛いのは治まったはず…」
「…ほんとだ…、からく…、ない…」
良かった…。応急措置とはいえ、僕の薬が効いたらしく、グライガーの少年は落ち着きを取り戻す。目に涙が滲んでいたけど、彼は切れ切れに言の葉を紡いでいた。
この後僕は、喉とかに残る辛味成分を完全に中和する薬を調合し、彼に処方する。その場ですぐ飲んでもらったから、理論上はこれで残さは無くなったはず…。ひとまず落ち着いたから、彼の経過を観察しながら本来の目的に戻る。集めるのは事の元凶になったマトマの実、だけど…。
必要数集め、ダンジョンから脱出してからは、一端アクトアタウンに寄ってから帰路に就いた。その頃には日が傾いていて、影が長くなるような時間帯だった。ワイワイタウンの店舗兼研究室に戻ってからは、急いで中断していた薬剤の製造を再開。徹夜で製造を続けたこともあって、何とか期日までには間に合わせる事はできた。明け方にペリッパー便に配達を依頼し、戻ったところでようやく僕は一安心するに至る。
…ここまでしかはっきりと覚えていないから、多分僕は気づかないうちに深い眠りに堕ちてしまっていた。
完