赤と桃の狂想曲
本編
破 足りないもの
 「よぅし、始めますか」
 一夜明け、僕は店内のとある部屋を開けながらこう呟く。時刻は九時なのでそろそろ店を開ける準備を始めなければならないけど、今日は定休日。入り口自体を締め切っているから、問題ない。
 僕が扉を開け、入った場所は、店の奥から下に降りた、地下スペース。地上二階、地下一階の建屋であるこの店は、廃業した前の家主が倉庫兼店舗として使っていたらしい。一階は言わずもがなだけど、他は分類に応じて使い分けていたのだとか…。それをナゼルが買ってから、二階部分を居住スペースに改装…。それでも二人で住むには十分すぎる広さだから、空いている地下を二部屋に分け、片方を研究室兼製造所として使わせてもらっている。
 定休日の前日から、研究で木の実を大量に使うので、僕が使ってるこの部屋からは何かしらの香りが漂っている。頻繁に香りの強いものや味の濃いものを同時に使ったりもするから、もしかすると嗅覚が鋭敏な種族には辛いかもしれない…。そうなると近所付き合いが悪くなるので、出来る限りの脱臭、無毒化はしている。
 「ええっと、今日はろ過からだったよね。…サイコキネシス」
 研究室に入り、口に咥えていたリストをテーブルの上に置いてから、僕は別の机の上に一晩静置していたガラス容器の所に向かう。PPマックスの瓶を加工した手作りのビーカーの中には、空の色を映したような薄い水色の溶液が満たされていて、底には白い粉末が沈んでいる…。その水色の溶液は、エタノールにヤチェの実の粉末を溶かしたもの…。脱水作用のある白い粉末が沈んだそれは、木の実由来っていう事もあって無害。なので実験室には、微かに酸味の利いた香りが漂っていた。
 そこで僕は、予め昨日のうちに用意しておいた別のガラス器具を、見えない力で拘束する。ヤカンにも似た形状のそれを前者の前に置き、口の部分をホースと専用の器具で水道の蛇口につなぐ…。…長くなるから端折るけど、こんな感じで次の手順に必要な装置を組み立てていった。
 「これでよし、っと。ここに溶液を流し込んで…」
 発注されてる数は多いけど、これだけあれば十分かなぁ…。水道の蛇口につないだろ過装置を完成させた僕は、そのままの流れで水色の溶液で満たされたガラス容器を手繰り寄せる。本音を言うと、直接手で持って操作したいところだけど、何しろ僕はエーフィ…。エスパータイプだから何とかなってるけど、指の短い前足ではビーカーはもちろん、試験管でさえ持つことが困難…。実験中は常に技を発動させてるような状態だから、最低でも一日五、六個のPPマックスが欠かせない。…エーフィはなりたい種族だったし、好きな実験が出来るから、妥協策といえばそれで終わりだけど…。
 僕の技で傾く容器から流れる液体が、装置の上部に設置されたろ過用の漏斗に流し込まれる。するとそこに水色の溶液と白い固体が溜まり、前者だけが少しずつ下のガラス容器に滴り落ちていく…。
 「ろ過に時間かかるし、この間に木の実を用意しとけばええかな」
 吸引ろ過で所要時間は短縮してるけど、それでも十分はかかるから、十分かな。漏斗に完全に流し込んでから、浮かせていたビーカーを机の上に置き、解除する。ろ過され始めているのを目で確認してから、その目線を別の方へと向ける。その先にあるのは、入って来た時とは別の扉。倉庫に続く扉を目視しながら、僕はそこへスタスタと歩いて行った。
 「ええっと、この数やとマトマの実が十個と、ノワキの実が六個あればええかな。サンプルとして持ってくだけやし、一個で十分やろぅ」
 十本分やからな。扉の傍に置いてある透明のゴーグルをかけてから、必要な木の実を仕舞ってある棚を探し始める。種類別に整理された引き出しの中央部分、取っ手の下には、言語の異なる二種類の文字が書かれている…。書き換えるのが面倒なのでそのままだけど、かな文字と足型文字で書かれた意味はどちらも同じ。高い位置にあるのは届かないから、サイコキネシスで順番に引き出して…。
 「うっ、嘘やろ? こんな時に限って…」
 触媒として使う予定のオッカの実、反応させるノワキの実は必要数取り出すことが出来た。だけど主要成分になるマトマの実だけが、全くその数が足りていなかった。
 「あっ、そういえば…」
 そういえば一昨日、エンニュートの奥さんが買い占めていった、ってナゼルから聞いたような…。あそこの旦那さんは激辛好きで有名やからなぁ…。呆然と二つのマトマの実を眺めていると、僕はある事を思い出す。その日は別の木の実を採りに行ってて僕は店にはいなかったけど、ナゼルが言うにはそんな事があったらしい。その証拠に、四日前には四十個ほど在庫があったはずなのに、今ではこの数になっている。どの種類の木の実も僕が採りに行ってるから問題ないけど、流石に在庫を切らせるのはマズい。ましてこれから調合に使うから、尚更…。
 「はぁ…、出荷が遅れるけど、採りに行かなしゃぁないか…」
 ペリッパー便で送るつもりやったけど、これは直接持って行くしかないかなぁ…。壁際に掛けてあるカレンダーを見ながら、僕は製造と発送を合わせた所要日数を計算する。予定では明日には送れる予定だったけど、それは原料が全て揃っていればの話し。マトマの実が実っているのは近所の農園じゃなくて、そこから少し先にあるダンジョンの中と奥地…。難易度的には僕でも突破できるぐらいだけど、隣街の近くだから往復だけでそれなりの時間がかかる。
 「…採りに行くだけやと時間が勿体ないし、ついでにアレも試しますか」
 知りあいからの頼みやから、直接持ってけば何とかなるけど…。ダンジョンに潜るんなら、そのついでに試作品を試す、それが僕のいつもの流れ…。ダンジョン自体の難易度も高くないから、研究で創った試作品の性能や効能を試すのには最適。ダンジョンにいる種族の属性も多いから、僕は頻繁にそこを利用している。
 「改良してからは試した事ないけど、まぁ大丈夫やろぅ」
 ナゼルにもらってから初めてやけど、理論上はこれで大丈夫なはず…。僕はこう独り呟きながら、カレンダーを見ていた視線を左前足の腕時計に視線を落とす。長い針は三の辺りを指し、短い針はちょうど真逆の数字を示している。どのみち今日は調達だけで時間が潰れるんだから、この際そっちの方もやってみてもいいかもしれない、時計から判断した僕に、すぐにこんな考えが巡ってくる。昨日の夜に試作品として完成したばかりだけど…。なので僕は、取り出した木の実を一旦しまい、すぐに倉庫の外へと跳び出した。
 「そうと決まったら…」
 戻って作業を再開するためにも、すぐに行かないとね。ろ過のために出しっぱなしにしていた水道の蛇口を止め、操作を一時中断する。結果的に飲料物を合成するので、液体で満たされている漏斗を薄いフィルムで保護する。これ自体も自分で合成しないといけないので、必要最低限だけを切り取ってそこに被せる。
 「実りの森やし、軽装で十分やな」
 何しろ、実りの森はアクトアタウンのギルドで、最初に突入を許されるダンジョンだって聞いた事があるぐらいやしね。一通り器具の処理を終えてから、僕は研究室の出口に足を進める。その途中の壁際に置いてあるショルダーバッグを浮かせ、紐の部分を首にかける。落ちたりズレたりしないように、長さを調節しながら部屋を跳びだした。
 ちなみにアクトアタウンとは、ナゼルが店を構えるワイワイタウンの北に位置する商業都市。ワイワイタウンに次ぐ人口で、文字通り他の大陸や都市との交易で栄えている。水の大陸らしく、街には水路が張り巡らされていて、水中に住むような種族の人達も頻繁に訪れている。それから、一年ぐらい前に新しく設立した探検隊ギルド。草の大陸で有名なチームが立ち上げたギルドで、ここのお蔭で治安がかなり良い。あのプクリンのギルドとの交流が盛んで、三ヵ月ぐらい前には合同で遠征に出掛けたんだとか…。
 とにかく、僕は照明を消してから戸締りをし、足りない材料を採るために近場のダンジョンへと急いだ。

■筆者メッセージ
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Lien ( 2016/12/20(火) 00:00 )