File.2 文系クラス 2年D組
『ウォルタ君、教えるのは慣れないかもしれないけれど、今日はよろしくお願いしますね』
『これも経験のうちの一つですから、どうって事ないですよ〜』
朝の定例会議が終わり、私達はこの日の一限目を受け持つ教室へと足を進めていた。職員室を出たのは他の先生方よりも少し遅くなったけれど、それは準備に少し戸惑ってしまったたから…。私自身も初めての事だったので、出る時にほんの少しだけまごついてしまっていた。
そんな訳で、職員室を出て二階に上がった廊下を歩く二つの影のうち、四足で薄い水色がかった体毛を持つ方は、氷タイプのキュウコンの私、地方史教師のキュリア。歳までは流石に言えないけれど、この学園に赴任してから五年になるかしら? この学園で換算するなら、今までに四十人ぐらいの生徒の旅立ちを見送ているわ。
そしてもう一人、私の隣で軽く羽ばたきながら答えてくれたのが、先週から教育実習生として来てくれている、ウォーグルのウォルタ君。若干気の抜けそうな返事をしてくれた彼は、聴いたところによるとこの学園の卒業生らしい。生徒指導部のラグナ先生が新任だった頃だから、六年前、かしら? その彼も私と同じ地方史の教師を目指しているので、私について実際の現場での雰囲気とかを体感しているという感じね。
『キュリア先生の授業で勉強させてもらったので、自信はありますよ〜』
『頼もしいわね。さぁ、いきましょ』
『はい〜』
そう言ってくれると、私としても嬉しいわ。種族の関係で私よりも背が高い彼は、たぶん心からの感想を言ってくれる。あまり褒められるのは慣れていないから、つい頬を赤らめそうになってしまったけど、そこは何とか自身の冷気で誤魔化してみる。その関係で周りの温度が少しだけ下がったけれど、この感じなら実習生の彼にはバレていなさそうだった。
流石にスルーする訳にはいかないので、私はひとまずこんな風に返事する。褒め倒されては私自身がもたないので、半ば無理やりに彼の前に一歩出る。話している間にも二年D組の教室前に着いたので、取っ手に右前足をかけながら彼の歩に振り返る。尻尾で持っているテキスト越しに、彼にこう呼びかけた。
『皆さん、おはようございます。…、ラグビー部以外は全員揃っているわね』
『あっ、今日は朝からウォルタさんもいるんだね? 』
『今日の一限目は地史だもんねぇー』
確かラグビー部のフライ君は、県大会で公欠だったかしら? 引き戸を開けながら、私はいつもの一言で教室中に呼びかける。賑やかなC組からの声を聴きながら入ると、それなりの人数の生徒があいさつで応じてくれた。公欠の一人を除いて全員席についていたので、すぐに出席状況を確認する事が出来た。
私に続いてウォーグルの彼が入室したタイミングで、十三人いる生徒のうちの二人が、真っ先に声をあげる。そのうち最初にウォルタ君について言及したのが、テニス部に所属している、ピジョンのイグリー君。テニス部といえばC組のフレイ君の事が頭を過ぎるけれど、イグリー君はあまり彼とはかかわりは無いらしい。むしろイグリー君は、クラスの方がメイン、というのが私の見解かしら。
そしてイグリー君からほんの少し遅れてこう発言したのは、その彼と仲が良いニドリーノのニド君。彼の所属は、イグリー君とは違って陸上部。それでも仲が良いのは、家が近所で幼い頃から苦楽を共にしてきたかららしい。今でもその関係は変わらず、部の休みが同じ日には、よく街に出ているのだとか…。
『そんな事よりも、一週間後の生徒会選挙は、もちろんアタイに投票してくれるわよね? 』
『いいや、そこはヤライなんかより、ウチに一票入れてもらうで! 』
やっぱりこの子達は、ウォルタ君云々よりも選挙の方が重要なのね。仲良し二人組には全く触れず、強気な二つの声が室内の話題を独占し始める。先陣を切って提起した彼女は、ボーイッシュなゾロアのヤライさん。彼女は演劇部の座長を務めていて、クラスでも中心的な人物として数えられている。その彼女に迎え撃つ様に名乗りを上げたのが、地方から出てきて訛りが独特なハクリューのハク。彼女は水泳部で、ヤライさんと同じく部長を務めている。去年はそれぞれのクラスでリーダー的ポジションであった事もあって、いざこざは今のところ無いけれど、冷戦状態が続いている。その発端になったのが、来週の木曜日に控えている、学園の生徒会選挙。その無言の緊張は、クラスの女子生徒たちを、二つの勢力に分かつほど…。
『ハクには悪いけど、柔道部はヤライに就かせてもらうよ』
『柔道部なんかたかが七人でしょ? 私のとこの大合唱部の前では、柔道部なんてオニスズメの涙ほどもないね』
リーダ格二人に追随したのは、それぞれの派閥として火花を散らしている二人。いかにも体育系の柔道部員の彼女は、平均よりやや大きめのワカシャモのベリー。足技が得意な彼女は、C組のティル君と同じく全国に名を馳せるほどの実力を持っている。少数精鋭ではあるけれど、学園内での存在感はかなりのもの…。
彼女に対し、ハク派として反駁に入ったのは、学年では毒舌キャラで定着しているチルタリスのラフさん。彼女が所属する合唱部は、柔道部とは正反対で学園イチの部員数を誇っている。部としての成績は…、あまり触れないでおくとして、彼女の音楽の成績はトップ。よく教室を間違えるのが玉に瑕だけれど…。
『合唱部がいても、こっちには陸上部もいるんだから! 』
『それなら、私の美術部だって負けないよ! 』
あぁ…、ここまで来たら、気が済むまで終わらないかもしれないわね…。半ばあきらめにも似た気分に満たされながら激論を傍観していると、負けじと小さな彼女が声を荒らげる。陸上部に所属しているパチリスのユリンさんは、身軽さを生かして机に跳び乗り、盛大にアピールする。体格的にハンデがある高跳びを専門にしている彼女は、無駄の無い身のこなしでスタッ、と着地。その瞬間、ヤライ派の女子達から盛大な歓声が上がっていた。
若干圧され始めたと感じ始めたのか、美術部のツバキさんも、半ばノリだけで声をあげる。彼女の画力は中々のもので、ハクさんの選挙ポスターは彼女が描いたらしい。ムードメーカーと言う事もあって、チアリーディング部でもやっていけそうな気がしないでもないけれど、彼女曰く創作活動の方が性に合っているのだとか…。
『…女子達がああ言ってるけど、ラテ達はどうするんだ? 』
『うーん、僕は周りに流されずに、自分が思う方に投票するよ』
『やっぱそうだよね。自分も思うように投票したいところだけど、部長があんな感じだからね…』
『大変なのはどの部も同じなんだねぇー』
『みたいですね。うちのマネージャーは、ヤライ派が多いみたいです』
『へぇー、それならテニス部とは真逆なんだね』
他のクラスがどうなのかは分からないけれど、うちのクラスでは真逆ね…。
熾烈な勢力争いを繰り広げている女子生徒達とは対照的に、男子グループはそれほど熱くはなっていないらしい。傍観している生徒のうち、クラスで唯一の帰宅部であるボーマンダのフィルト君が、女子達を横目に他三人にこう尋ねる。傍から見た感じでは我関せず、そういう印象を受ける彼だけれど、今回ばかりは気にしているらしい。
その彼と仲良さげに会話の華を咲かせているメンバーのうち、サッカー部で活躍しているらしいブラッキー、ラツェル君がこう答える。彼は男子生徒の中では中心的な存在で、中でも特に、今日は試合で欠席のフライ君と仲が良い。芯がしっかりしていて、私から見ても頼りがいがある生徒だと私は思っている。
その彼の後で呟いたのが、ヤライさんと同じ演劇部に所属している、ラティオスのヒイラギ君。私が視た限りでは、彼はどちらかというと、周りに振り回されやすそうなタイプ。ため息交じりにこう言っているけれど、私の予想では彼はヤライさんに投票しそうな気がする。…話が逸れたので彼自身の事に話題を戻すと、部活での彼は主演としてコンクールに出る事が多く、十二面相の二つ名で部内では通っているらしい。顧問の先生の話によると、彼は役を演じ分ける事に長けていて、俳優として将来活躍できるかもしれないと注目されているのだとか…。
更に彼らに続いて、ニド君とイグリー君もそれなりのリアクションで話に参加する。その二人の間に、冷静沈着な室長が自らの状況を語っていた。アブソルの彼、シリウス君はラツェル君と同じサッカー部。部活動での彼はあまり活躍している噂は聞かないけれど、それに反して学業はかなり優秀。これは私の主観なので他の先生がどう思っているのかは分からないけれど、理系がC組のコット君なら、文系がD組のシリウス君だと思う。
『はいはい、選挙の事が気になると思うけれど、そろそろ授業を始めるわよ』
流石にこのままにしておくと、始められるものも始められないわね…。直近の行事に関心があるということは、良い事だけれど、それ以前に授業の方が比重は大きい。黒板上の時計で時間を確認してから、右前足で強めに教卓を叩く。授業開始から五分ほど過ぎてしまったので、それを知らせるためにも大げさに…。バンッバンッ、と教室中に響き渡ったので、ズルズル引きずった喧騒がピタリと止むことになった。
『あっ、はい! ええっと、キュリア先生? 今日は英雄伝説の事を教えてくれるんですよね? 』
『そうよ。テキストの四十九ページを開いてくれるかしら』
前の授業は水曜日だったのに、よく覚えていたわね。溌剌な声で答えてくれたのは、唯一の中立派の彼女。私とは属性違いのキュウコンのコロナさんは、予め開いていたノートを見ながら、こう教えてくれた。彼女はたぶん、チアリーディング部っていう事があって、どっちに就くか、言及を避けているんだと思う。それ以前に、彼女は立候補している二人、ヤライさんとハクさんの両方と仲が良い。当事者の二人の間でも暗黙のルールになっているらしく、コロナさんとの間だけは、いつも通りの仲で接しているのだとか。
『コロナさんが教えてくれた通り、今日は紀元頃の英雄伝説について話すわね』
『先生、英雄伝説って、二人の国王が争った話よね? 』
『そうよ』
英雄伝説はおとぎ話になっているぐらい有名だから、もしかすると最も有名な史実かもしれないわね。教壇に立つ私は、今日の部分を教えてくれたコロナさんをチラッと見、授業の本題を提起する。するとヤライさんが、私が言う前に話のあらすじを質問した。
『だけど今日は、特別にウォルタ君に話してもらうわ。ウォルタ君、頼んだわ』
『そういう話でしたもんね〜』
先週までの予定なら、いつも通り私が教えるのだけれど、空気になりかけていたけれど、正面を向いていた視線を実習生の彼の方に逸らす。小さく頷きながら視線を送り、彼のために十五センチぐらいの段から跳び下りた。
『おっ、遂にウォルタさんも教壇に立つんやな!』
『一週間たってようやく本領発揮ってとこだね』
私と入れ替わる様に、ウォルタ君は満を持して生徒の前の教壇に舞い降りる。両脚でぴょんと跳び乗ったタイミングで、両派閥の彼女達が口々に声をあげる。今は張り合ているけれど、普段は仲の良い彼女達…。選挙以外となれば、和気藹々とした雰囲気が教室を満たすのが、うちのクラスの風紀、だと私は思っている。
『う〜ん、他のクラスではやってたけど、ここでは初めだからそうなるね〜。それじゃあ始めるよ〜』
ウォルタ君、頼んだわよ。二人の言葉に答えた彼は、教壇の前に立つと適当に受け答えする。若干気の抜けるような感じがするけれど、これはこれで無駄な緊張が無い状態で授業をすることが出来るかもしれない。その位置で彼は、少し後ろを向いて右の翼で白のチョークを握る。視線を元に戻すと、このような感じでクラス全体に呼びかけていた。
『英雄伝説は、ゼクロムっていう種族の王と、レシラムっていう種族の王の戦記っていうのは知ってるよね〜? 』
『はい。それぞれの王が治める国が、争っていたんですよね』
『そうだよ〜。だけどこのおとぎ話には、続きがあるんだよ〜。皆が知っての通り、二つの国は元々一つで、国王の仲違いで別々になった…。当然その影響で、住民をも巻き込む戦争が起きたんだ。戦乱の中だったけど、民衆の中から三人の賢者が現れたんだよ』
地方史教師の間では有名な話だけれど、おとぎ話ではそこまで語られていないからね…。ウォルタ君の講義に、私はうんうん、と頷きながら耳を傾ける。私自身は知っているので、この後はこうよね、と言う感じで復習しながら聞き入っていた。
生徒達も知らない事にへぇー、といったように、各々の反応を示しながら真剣に彼の話を聴いている。そこそこの話し声は聞こえているけれど、その中にしっかりと、ノートの上で鉛筆が駆けまわる音もしていた。
『どんな種族だったか、詳しくは覚えてないんだけど、その三人は戦火から民を守ったって言われているんだよ〜。それだけじゃなくて、その三人は“三賢者”って言われてるんだけど、二人の王の間に入って、停戦に導いたんだって〜。この一か月ぐらいの間で解明された事なんだけど、その功績が称えられて、二人の王がそれぞれ“真実”、“理想”って言われているように、三人も“絆”、“友情”、“志”の象徴とされるようになったんだよ〜』
『確かそうだったわね。何ていう名前の教授かまでは記憶していないけれど、“絆”の末裔だっていう人が明かした…、だったかしら? 』
丁度中間テストの期間中で問題を作っている最中だったから、うろ覚えだけれど…。ウォルタ君はこの史実を暗記していたらしく、終始卓上のテキストを見ずに語り通す。同時進行で黒板に、簡易的な図や文字を書いていく…。時事ネタも交えていたので、私の主観では分かりやすい講義をしてくれていた。
そこで私は、彼の話が一度途切れたタイミングを見計らって、例の時事ネタについて提起してみる。報道された当時は時期が時期だったので、その情報に確証は無かったのだけれど…。だけど生徒たちが訊ねる様子が無かったので、代わりに質問する事にした。
『そのはずですよ〜。コバ…、何て言う種族だったか忘れちゃったけど、ヒイラギ君みたいな珍しい種族だったはずだよ〜』
末裔って名乗るぐらいだから、そうでないと信憑性が無いからね…。ウォルタ君自身も覚えていないらしいけれど、それでも彼は持ち合わせている情報を公開してくれる。その最中に、発表した教授との共通点があるらしい、ラティオスのヒイラギ君の名前を挙げていた。
『自分と同じ…、っていう事は、その人も種族としての人数が少ないんですね』
『ヒイラギはカップル揃って珍しい種族だからなぁ! 』
『かっ、カップル? 』
『学園で一番有名なカップルなんだから、アタイ達が知ってない訳ないじゃない』
そうそう。ヒイラギ君達は、私達教師陣の間でも知られているぐらいだから…。樹上が少しずつ脱線し始めているような気がするけれど、ウォルタ君の補足情報によって教室中が一気に賑やかになる。本来なら授業以外の事だから注意しないといけないのだけれど、自然すぎる流れのせいで、私はそのタイミングを逃してしまった。キーワードを拾い上げたフィルト君を中心に、完全に話題が逸れていく…。当の本人は赤面しているけれど、教室内に再び和気藹々とした時間が流れ始めることになった。
File.2 Fin……