キヅナ学園奨学記 - 本編
File.1 理系クラス 2年C組

 『それでは、今日も一日頑張りましょうか』
 『はい! 』
 時刻は午前八時二十五分。朝の職員会議を終えた私達は、各々に一限目の授業のある教室へと向かう。そのうちの一人である私、新任教師でエーフィのシルクは、隣を歩く背の高い彼を見上げ、こう頷く。赴任してから三ヵ月経つけど、やっぱりまだこの朝のドキドキが治まらない。だけどこのドキドキは、私は嫌いじゃないわ。
 『シルク先生は、今日の一限目は二のCが最初の授業でしたね』
 『ええ。ランベル先生は、A組の物理だったかしら』
 私がこう頷くと、背が高くて眼鏡をかけた彼、デンリュウのランベル先生は私にこう訊いてきた。彼は私と同じで、理系クラスの担任。私もC組の担任だから、彼のクラスの生徒たちの事もある程度は知っているわ。
 先輩教師の彼がこう訊いてきたから、私は再び首を大きく縦にふる。更に私は、分かってたけど敢えて、同じ質問を彼にしてみることにした。
 『まぁ、そうですね。シルク先生、また後ほど』
 『ええ』
 こんな感じで話している間に、私は自分が受け持つクラスの教室前にさしかかっていた。なので話がまだ途中だったけど、そこで切り上げる。ランベル先生は二、三歩ほど後ろ向きで歩くと、こう言いながら会釈。また話そう、っていうニュアンスを含ませながら、遠慮気味に手を小さくふってくれた。
 それに私も、満面の笑みでこう答える。月曜朝のルーティーンになってるので、私はこれが無いと一週間が始まる気がしない…。…上手く言葉に出来ないけど、新米教師の私にとっては、この時間が気合を入れるための日課になっていた。
 『…さぁ、今日も一日、頑張るわよ! 』
 二つ隣の教室で授業があるランベル先生の背中を見送ってから、私は自分が受け持つ教室の扉に向き直る。誰にも聞こえないぐらいの小さい声で、自分に言い聞かせるようにこう呟く。テキストとか名簿はサイコキネシスで浮かせているから、今は実質手ぶらの状態。こくりと小さく頷いてから、右の前足で下から二番目の取っ手を手に取った。
 『皆さん、おは…っ! 』
 『おっ! あぁ…、今日も失敗やなぁ…』
 『シルク先生だけは上手くいかねぇーんだよなー』
 『だから黒板消しじゃなくてチョークの方が良いって言っただろぅ? 』
 はぁ…、まだこの子達は懲りないのね…。引き戸を右から左に開けると、ヒュッっと真上で風を切る音…。それを聞きとった私の耳が、ピクッと微かに動く。いつもの事だから敢えてその方は見ないけど、この感じだと、上から黒板消しが降ってきている。物質特有の臭いからすると、多分黒板を消した直後で、布の部分が真っ白のもの…。クラスの問題児が仕掛けたトラップが、私の脳天に狙いを定めていた。
 さっきの言った通り、いつもの事だから私はすぐに対策に移る。テキストを浮かせるために維持しているサイコキネシスを、その上の方にまで範囲を広げる。すると私を狙う罠は、十センチほど上でピタリと止まる。王道過ぎる手法にうんざり…、小さくため息をついていると、主犯格の問題児三人が、それなりの反応をしていた。
 ちなみに、私に命中するかと一瞬期待した彼は、ベイリーフのフルロ。あーあ、と半ば残念そうに声をあげたのがデルビルのヘクトで、最後がヒノヤコマのフレイ。教室に入った時の彼らの言動から想像が出来ると思うけど、彼らはいわゆる学年一の問題児グループ。彼らの悪行は、担任の私だけでなくて他の先生にも及んでいるらしい。ランベル先生とラグナ先生にも相談してるけど、先生たちもかなり手を焼いているらしい…。
 『ヘクト達もまだ飽きないの? そんな事考えてる暇があったら、もう少し勉強した方が良いんじゃないの? 』
 『だよね。…それにしてもフルロ達も本当に懲りないよね。生指のラグナ先生がブチ切れたって噂だけど』
 『らしいね。僕としてはそれで、無駄に時間がとられるから、迷惑な話だよ』
 そうね、コットにとっては、そう感じるかもしれないわね。教室の入り口手前、奥の方で騒いでいる三人に対して、その反対側の席のサンダース…、コットがうんざりした様子でこう呟く。彼はさっきの三人とは正反対で、文武両道で成績もそこそこ良い。所属している陸上部では、リレーの走者として活躍しているらしい。
 そしてその彼の隣で仲良さげに答えたのが、水泳部でシャワーズの二トル。彼らは所属している部活は違うけど、入学する前に通っていた学校が同じなんだとか。
 『いつもの事ね…。さぁ、今日の欠席は…』
 『ええっと、先生。クロム君とライトさんがまだ来てないみたいなんですけど、欠席ですか? 』
 …相変わらずね…。名門校志望のコットに同情しながら、いつもの件を聞き流す。その状態で私は、教卓に両前足をつきながら教室全体を見渡す。その中で私は十四席ある席のうち二つが空いているのに気付く。そのタイミングを見計らってなのかは定かじゃないけど、真ん中あたりの席の彼、演劇部に所属しているミュウのショウタがこう尋ねてくる。彼の席の両側が空いているから、もしかすると登校してからずっと気になっていたのかもしれない。
 『ええっとクロム君は…、県大会で公欠。D組のフライ君もそうみたいだけど、ラグビー部は今日、準決勝で強豪校と戦ってるそうよ』
 『クロム達、夜遅くまで残って毎日練習してるみたいだしね。…僕達も頑張らないと! 』
 『ラグビー部と演劇部は、格が違うもんね…』
 そうよね。彼らの活躍を聴いてると、私達のバレー部も、頑張らなきゃって思うのよねー。私は彼の質問に、職員会議で聞いた事をそのまま伝える。私が顧問を務めてるバレー部とつい比べてしまうけど、言葉を借りるようだけど本当に別格…。二トルも私と似たような心情らしく、公欠でいないクロム達の事を評価…。それと同時に、自分達と比べる事で自らを鼓舞していた。
 そこへ遠慮気味に付け加えたのが、リオルのリル。サッカー部に所属している彼は、ショウタともう一人といるのを休み時間によく見かける。どこか控えめな感じがあるけど、私が見た限りでは、彼なりに学園生活を謳歌しているっぽい。
 『だよね。だからって先生、今以上に練習をキツくしないでね。…で、先生? ライトさんは、いつも通り? 』
 『まっ、ライトの奴はいつも通りなんじゃねぇーの? 』
 『やっぱそうやんな! 僕はライトが遅れてくるのに二千賭けるで』
 『んじゃあ俺は間に合うにベットだ! 』
 『そうね…』
 ライトも、まぁ別の意味で問題と言えば問題、かしら…。リルの後に声をあげたのは、うちの部活のエース、青いニンフィアのテトラ。彼女はどちらかというと体育系。溌剌としていてクラス内でもリーダー的立ち位置にいる。また彼女はクラスだけでなくて、学年の中でもかなり人気がある生徒。…俗に言う高嶺の花とは、彼女の事を言うのかもしれないわね。廊下で小耳に挟んだ話だと、学年の男子の中に熱狂的なファンがいるらしく、非公式にファンクラブがあるのだとか…。…誰が入っているのかは、試合の時にすぐ見つけられるから大体わかるけど…。
 で、話に戻ると、もう一人の欠席者について、例の問題児たちが食いついたらしい。その中だけで、盛り上がり始めていた。
 『あと一分もすれば本鈴が鳴るから、それまでに間に合わなかったらそうなるわね』
 『らっ、ライトさん…、今日こそは間に合うといいけど…』
 いつもの事だけど、この様子だと今日も遅刻ね…。問題児三人のやりとりを軽くスルーして、私はエースの問いかけに答えるために黒板上の時計に目を向ける。時間感覚は鈍感な方だから自信はなかったけど、ひとまずは予定通りに進んでいるらしい。一定の間隔で時を刻む針は、短い方が九、長い方が十を指そうとしていた。なので私は、いつも通りとも言えそうなセリフを呟きながら、目線を生徒たちの方に戻した。
 私がこう言ったから、後ろの方の席で若干そわそわしながら一人がこう呟く。こう呟いたのは、合唱部に所属しているラプラスのネージュ。彼女はクラスの中ではあまり目立たない存在だと私は思っているけど、隣のクラスのキュリア先生が言うには、部では割と積極的らしい。これは私の勘でしかないけど、ネージュはC組よりもD組の方が友人が多いのだと思う。
 
 キーンカーン……

 『…やっぱり、今日も…』
 そうこうしている間に、教室のスピーカーから定刻を告げる鐘の音が響き渡る。高らかに響くそれは生徒たちをはじめ、教師の私達にも一日の始まりを告げてくれる。あぁ、また今日も一日が…
 『はぁ、はぁ…、よし、間に合っ…』
 『遅刻よ』
 本鐘が鳴り終わり、最後の一音が響いているタイミングで、いきなりバーンッと派手な音が教室に反響する。普通ならここで誰もがとびあがるところだけど、このクラスではこれがいつもの光景…。誰ひとり驚くことなく、すんなりと受け流されていた。
 文字通り蹴破る…、あっ、種族上開け放つが正しいのかな? 勢いよく引き戸を開けて教室に滑り込んできたのは、うちのクラスでは遅刻の常習犯の室長。息を切らせながら、チアリーディング部でラティアスのライトは、時計の針を見てこう声をあげた。
 このタイミングだと際どい所だけど、私の中ではギリギリアウト。なのでライトはセーフのつもりでいるみたいだけど、私はこう短く吐き捨てた。
 『えー、でも先生! まだ五十分じゃないです…』
 『いつも言ってるわよね、鐘が鳴り終わるまでに…』
 『だけど先生、今日はちょっとした訳が…。予定では間に合うはずだったんですよ。だけど途中で困ってるおばあちゃんがいて…』
 『はぁ…。はいはい、言い訳はいいから、早く席について。授業を始めるわよ』
 はぁ、これでうちの室長だから、困ったものよね…。ああだこうだ言い訳を言うライトに、私は盛大なため息と共にこう説く。正直言って耳に胼胝(たこ)ができるぐらい訊いたセリフだから、相手にせず席の方に追いやる。問題児三人が仲間内だけで盛り上がってるみたいだけど、気にせずにお決まりのセリフを言い切った。
 『ええっと、今日はどこからだったかしら? 』
 『金曜日は四十二ページまで進んだから、今日は反応の原理からだと思います』
 土日を挟んだから曖昧だったけど、私は取りあえず、予め教卓に置いていたテキストをパラパラ開き、そのページを探しはじめる。するとすぐに、私から見て右奥の席のコットが口を開く。ページだけでなくて章題まで教えてくれたから、すぐに見つけることが出来た。そんな彼に感謝しつつ、私は頭の中を授業に切り替えた。
 『コットが言った通り、今日は化学反応の原理…、活性化状態について説明するわね。予習してる子は何となく分かってるかもしれないけど、活性化状態と聞いて何を想像するかしら? ティル? 』
 もしかすると、ここで躓く生徒がいるかもしれないわね…。私は卓上のテキストと正面を目線で行き来しながら、最初の質問を生徒たちに投げかける。その過程で私は、ある生徒がふと目に留まった。なので私は、気付かせる意味合いも含めて、その生徒を指名した。
 『…スゥ…zzz…』
 『…テイル君、ティル君…? 』
 『…ぅん? 』
 やっぱり、寝てたわね。私の予想通り、彼は授業が始まっても心地いい夢の世界から帰ってきてはいなかった。左隣の席のリルにトントン、と軽く叩かれて起こされたのは、このクラスで唯一柔道部に所属している、マフォクシーのティル。彼は最前列で爆睡しているけど、彼なら仕方ないと私は思っている。私自身も甘すぎると思ってはいるけど、何しろ彼は、全国でも通用するような実力を持つ選手…。柔道部のルクス先生によると、昨日も夜遅くまで地方予選で、帰りが遅くなったらしい。だけど彼だけ特別扱いする訳にも、いかないわよね…。
 『活性化状態と言われて、何をイメージするかしら? 』
 『ん…、練習メニューか何か…』
 あぁ、完全に寝ぼけてるわね…。
 『活性化? 何かすげぇーもんに進化とかするんじゃねぇーの? 』
 『いや…、さっ、流石にそれは違うと思うけど…』
 夢心地のティルをさしおいて、左角のヘクトが自信満々に声をあげる。そこに予習してきてくらたらしい、ネージュが消え入りそうな声で、こう呟いていた。
 『そうね…、違う気もするけど、考え方としては近いものがあるかもしれないわ。簡単な反応を例に説明すると…』
 何も知らない状態なら、案外そっちの方向から考えたら、分かってくれるかもしれないわね。一瞬ヘクトが素っ頓狂な意見を出したのかと思ったけど、よくよく考えてみるとそうではなさそうな気がした。その前と後でモノが変わる、っていう意味では合致している。マグレだとは思うけど、内心的を射た発言に驚きながらも、私は議論を続ける。
 『苛性ソーダと塩酸が反応して、水と塩が出来るって事は、流石に解るかしら? 』
 『ええっと、苛性ソーダって、水酸化ナトリウムの事です? 』
 『そうよ』
 化学物質は種族の数とは比べものにならないぐらいあるけど、これなら想像するのが簡単かしら? 私の背丈では上の方まで届かないから、サイコキネシスで白いチョークを浮かせる。生徒たちの方を見た状態のまま、黒板に白い文字を書いていく。そのタイミングで一人、疑問に思ったらしく質問をしてくれる。左の前足を机について右を挙げたのは、今年の四月に転校してきた、ブラッキーのアーシア。アーシアは偶々席が隣だったテトラに誘われて、同じバレー部に入部してくれた。バレーの経験はなかったみたいだけど、テトラが教えてくれているから、凄い速さで上達している。学業の方もそこそこ出来てるみたいだから、私が期待している生徒のうちの一人、と言ってもいいかもしれないわね。
 『化学反応は、ただ混ぜればいいだけじゃなくて、目には見えてないけど一種の“壁”を超えないと起こらないのよ』
 『壁、ですか? 』
 『そうよ。このエネルギー状態の壁が活性化状態で、一度その状態にならないと反応しないのよ。そして、反応前のエネルギー準位とその後の差を、活性化エネルギーと…』
 『それだと先生』
 『はい、トリさん? 』
 『それだと殆どの物質が反応しないんじゃないですか? 』
 詳しく話し始めると長くなるけど、まとめるならこんな感じかしら…? 生徒たちに分かってくれるように、私は言葉を選びながらそのモノの説明に入る。あえて強調した単語にショウタが反応してくれたから、小さく頷いてさらに続ける。定義の部分にさしかかった瞬間、私と同じ種族の彼女、美術部に所属しているエーフィのトリが、確信を突いた質問をしてくれた。
 『いい質問ね。確かに組み合わせによっては、大文字ぐらいの熱が必要だったり、何週間も時間が必要なものも存在するわ。…だけどあるものを加えると、その壁を低くすることが出来るのよ。そのモノが分かる人はいるかしら? 』
 初見でこの問題が解ったら、大したものだと思うわ。
 『はい…、自信は無いのですけど…』
 『アーシアさん、何だと思いますか? 』
 『何かの金属を、入れるのですよね』
 『…半分正解、ってところかしら』
 場合にもよるけど、いい線いってるわね。
 『起こす反応にもよるけど、一般的な物質は白金かしら。この時の白金の様な、実際に反応しないけど活性化状態を下げる働きがある物質を、触媒と言うわ』
 『触媒…、うーん…。先生、よくわからなかったからもう一回説明してもらってもいいですか? 』
 …流石に何の例えも無しに話すのは、無理があったかしら…? アーシアさんの答えに補足するかたちで説明したけど、この感じだと教室の反応はイマイチ…。コットとアーシアは何とか分かってくれてせわしなく書く手が動いているけど、それ以外はキョトンとしている。そもそも問題児三人組は聴いてないと思うけど、それ以外の生徒の上に大量の疑問符が浮かんでいるような気がした。その生徒たちを代表してなのか、遅刻常連のライトが手を挙げてこう提案してきた。
 『分かったわ。…うーんと、それなら、技の発動と関連づけて説明し直すわね』
 誰でもわかるといったら、やっぱり身近な技との関係が一番ね。
 『例えば塩酸を技のエネルギー、苛性ソーダをみんなそれぞれが持ってる物理、あるいは特殊技のパワーと仮定するわね。そのままの状態だと、どんな技を発動するのか決まってないから、技の準備段階…、つまり活性化状態にまで到達しないわ。そこで肝心なのが、技のイメージ。イメージを膨らませる事で、技が発動される…。このイメージが、触媒と同じような働きをしている。…こんな感じかしら? 』

 結果的に私一人で語りつくすことになっちゃったけど、ひとまず私は、図を描きながらこう説明する。技と言えばどの生徒にも当てはまって考えやすい事のはずだから、これで何とか分かってもらえたはず…。不安になりながら教室全体を見渡してみると、私が見た限りでは、疑問符の数は減っていると思う。心なしか、ペンを走らせる音が少しだけ勢力を増しているような気がした。
 
 キーンカーン…

 『あっ、もうこんな時間? どうかしら、活性化状態について分かってもらえたかしら? 』
 私が一通り話し終えると、ベストなタイミングで学園のチャイムが響き渡る。時間配分を間違えてまだまだあると思い込んでいた私は、思わずビクッ、ととび上がってしまう。だけどそれを無理やり無かったことにして、何食わぬ顔で時計の方を見上げる。教室の端でクスクス笑う声が聞こえた気がしたけど、気にせず私はこう問いかけた。結果的に授業が遅れる事になっちゃったけど、生徒たちの理解度が増えるのなら、それでもいいような気がした。


File.1 fin…

■筆者メッセージ
※画像が見辛くてスミマセン
Lien ( 2016/11/14(月) 23:31 )