B6 身を削って
[Side Fif]
『…リアンさん、何から何まで助かったわ』
「同じ化学者のよしみやで、気にせんでええって」
リアンさんのお蔭で準備が進んだ、って言っても過言じゃないかもしれないわね。リアンさんの家で泊めてもらえる事になった私は、そこの設備に思わず息を呑んでしまった。彼の自宅兼店舗のその建物は、地上二階地下一階の三層構造。一階は店として利用し、二階部分は居住スペース…。そして私が一番驚いたのが、地下の倉庫兼研究室。リアンさんが言うには空きスペースだったらしく、彼が何年かかけて改装したらしい。その設備はそこそこ良くて、大掛かりな測定機器は無いけど一式のガラス器具は揃っていた。そのお陰で私は、これからの調査に必要なある程度の薬品を合成する事ができた。
それからもう一つ、私の視力は格段に低下してしまっていた。初めは暗くて目が慣れていないせいだと思っていたけど、リアンさんの家に入れてもらってもそれは変わらなかった。初めての事だから上手く言葉に出来ないけど、カメラのピントが完全にズレた状態と、水の中で目を開けた状態を合わせたような…、そんな感じ。だから明るい屋内でも、視界がぼやけてリアンさんのシルエットが辛うじて見える程度…。足型文字だからどのみち読めないけど、文字を読むなんて以ての外…。だけどリアンさんにダメ元で頼んだら、度が強めのメガネを貸してもらえる事になった。
「…んで、シルクさんはこれから草の大陸に行くんやんな? 」
『ええ。まだ具体的には決めてないけど、荷物を預けてるからそのつもりでいるわ』
「そういゃあそんな事言っとったね。…んじゃあシルクさん、そん時までに度がキツい眼鏡仕入れとくで、取んにきてな」
『そうさせてもらうわ』
いつになるか分からないけど、よろしくお願いしますわね。話を今、明け方に戻すと、店の入り口まで見送ってもらっている私は、同族の彼にこくりと頷く。メガネで元の視力まで完全に矯正されてる訳じゃないけど、零点七ぐらいまでは見えるようになっていると思う。そんな彼は私に対し、こんな風に声をかけてくれる。彼に全部話したわけじゃないけど何となく察してくれているから、私が言ったこと以上の事は訊かれていない。そんな彼の気遣いに感謝しつつ、私は頼み事を含めて大きく頷く。そのまま私は、一言感謝の言葉を伝えてから、街の船着き場へと歩みを進める事にした。
――――
[Side Fif]
「…また顔を出して頂戴ね」
『…ええ』
本当にいつになるか分からないけど、出来ればそうしたいものね…。始発便に跳び乗った私は、海路で草の大陸で向かう。港があるパラムタウンで下船し、そこから徒歩で目的の町、トレジャータウンを目指す。朝一番の船って事もあって、船内は殆ど他の乗客はいなかった。だから徹夜で合成していたから、少しだけど仮眠をとることができた。
…それでひとりで地道に歩いて、トレジャータウンに着いたのが大体十時ぐらい。病院を脱走している身としては町には寄りたくなかったけど、預けている荷物が無いとこの先の調査がスムーズに進まない…。私の知り合いが多い街だから足跡は残るけど、極力人目は避けてるから大丈夫なはず…。それに前来た時とは違ってメガネをかけてるから、語りかけない限りは大丈夫なはず。…現に今も、この時代での荷物を預けている管理人さんに話しかけるまで、私が
私であると気付かれなかった。この町には以前
お世話になったギルドがあるからリスクは大きいけど、管理人さんにはバレなかったから大丈夫だと思う。…そんな訳で私は、何食わぬ顔で管理人のガルーラさんから荷物を受けとる。ぺこりと頭を下げてから、足早に彼女の元を後にした。
『これでいる物は揃ったから、次は…』
「――ク! 来てるっていう噂は本当だったのね! 」
「…っ! 」
びっ、ビックリした…。だっ、だけど、まさかもうバレたって事は…。知り合いが多いこの町から一刻も早く立ち去りたい私は、足早に人々の間をすり抜ける。町の出口に早歩きで向かいながら、私は次に必要な事を頭の中で整理していく。…だけどその途中で、ある意味恐れていたことが起こってしまう。私の存在に気付いたらしく、斜め後ろの方から話しかけられる。嬉しそうに話しかけてきた彼女に対して、私は思わず驚きでとびあがってしまった。
『ちぇっ、チェリー…』
「シードから聴いたわ。“時渡り”の途中で事故に遭ったそうね? 」
『えっ、ええ…』
「だけど何ともなさそうで安心したわ! 」
もしかして、私が入院してたって事、知らない…? 早鐘を打つ鼓動を抑えながら振り返ると、そこには私の友人のひとり…、ピンク色のセレビィが、安堵の表情を浮かべて話しかけてきているところだった。彼女の言う通り私はアクシデントに見舞われたけど、その事は入院した事と無関係…。そうなると彼女は、私の予想でしかないけど、今私が置かれている状況を知らない可能性が高い。そう感じた私は、何とかいつもの笑顔を作って彼女の問いかけに頷いた。
『ひとまずは、ね…』
「けど一人って事は、まだ合流出来てな…」
『ううん、一応会えてはいるわ』
「なら良かったわ。…って事はシ…」
『チェリー、訳は話せないけど、今はフィフ、って呼んでくれないかしら? 』
嘘をつくことになるけど、そうでもしないと…。彼女は他に気になる事があったのか、続けて私に問いかけてくる。その問いに私は肯定しそうになったけど、そうすると折角脱出してきた水の大陸に連れ戻されるかもしれない。そういう訳で私は、胸が痛むけど首を横にふる。けどチェリーは私の知られている名前を呼びそうになったから、慌てて遮って頼み込んだ。
「訳は、って…。何か言えない事でもあるのね? “星の停止事件”の時のウォルタ君もそうだったけど、それは偽め…」
『いいえ、この名前も私のものに変わりないわ。例えるなら…、幼名、みたいなものかしら? 』
生まれた時に亡くなった母親から貰った名前だから、あながち間違いじゃないかもしれないわね…。いつもとは違う名前を言ったから、当然チェリーは戸惑ってしまう。だけど彼女にとってこれは初めての事じゃないはずだから、何となくだけど察してくれたとは思う。だけどこのままだと話が別方向に進みそうだったから、その前に私は自分のペースに引き戻す。この事は間違ってないから、有耶無耶にしながらもこんな風に答えておくことにした。
「幼名…」
『それから一つ頼まれて欲しいんだけど…』
今の私を知らないって事は、もしかすると協力してもらえるかもしれないわね。
『エムリットのアルタイルさんの居場所…、教えてもらってもいいかしら? 』
ダンジョンに潜ったり戦う事も多くなるから…、彼女にも協力してもらった方が良いかもしれないわね。立て続けに私は、戸惑うチェリーにこう頼んでみる。チェリーも頼りになるけど、彼女だと私が考えていることが出来ない…。だから私は、その“チカラ”を持っているひとの名前を出し、彼女の返事を待つことにする。
「アルタイルの…? …忙しくてあまり時間はとれないと思うけど、多分大丈夫だと思うわ」
『それでも十分よ。…じゃあ、お願いするわね』
「えっ、ええ…。昨日会ったばかりだけど…」
三十分もあれば十分だから、問題ないかもしれないわね。訳は移動しながら話すつもりだから、今は伏せておいた。…だけどチェリーは首を傾げながらも、とりあえずは、って感じで頷いてくれる。この様子だと確実に会える訳ではなさそうだけど、会えない事も無いんだと思う。…兎に角チェリーは戸惑いながらも了承してくれたから、私…、達は早急に目的の人物がいる地へと向かう事にした。
――――
[Side Fif]
『…大体状況は分かったわ』
まだ公にはされてないみたいだけど、これも無視できないわね…。チェリーとふたりで移動している間に、私は最近起きている事を彼女から聴いていた。多分全部話してくれた訳ではないと思うけど、粗方理解したつもりでいる…。私が調べようとしていた事は後で言うとして、チェリー達…、この時代の伝説の種族とその当事者達は、秘密裏にある事案の解決に着手しているらしい。まだ動き始めたばかり…、それもチェリーは人伝に知っただけみたいだけど、異世界から何者かが侵入してきているらしい。…だけど人数と種族はまだ分かってないみたいで、ある当事者が調べに行って…、その報告待ち、と言う状況らしい。だから今は、チェリーを含めた伝説関係の人達に、分かっている限りの情報を伝えはじめたばかりなんだとか…。
「私も昨日聴いたばかりだけど、“会議”に出席したアルタイルならよく知ってると思うわ。…さぁ着いたわ。多分昨日と同じなら、ここにいるはずよ」
『ここが…、そうなのね? 』
随分開けた場所ね…、向こうに誰かいるみたいだけど…。話している間に着いたらしく、フワフワと浮くチェリーは一度立ち止まる。ふぅと一息ついてから、彼女は目的地に着いた事を教えてくれる。ここまで何時間か歩いていると思うけど、私の体感ではトレジャータウンからあまり離れていない…、そんな気がする。若干ぼやけた視界で見た限りでは、ここは多分どこかの森林…。…その中にある、湖の岸辺。そこそこ広めの湖らしく、矯正している私の眼でもその広さは分かる。いつもの私なら視認できたと思うけど、多分そこそこの街一つ分の広さはあると思う。それに加えて、多分気のせいだと思うけど小さな人影が二つぐらい、何百メートルか先にあるような気がする…。
「そうよ。昨日会ったばかりだか…、うん、いるわね」
気のせいじゃなかったらしく、チェリーは進む先の人影を確認する。何にんいるかまでは言ってなかったけど、この感じだと多分、目的のエムリットはいたんだと思う。それから彼女は黙ってしまったから、多分私が話すのに使っている方法…、“テレパシー”で呼びかけてくれているんだと思う。メガネ越しでもよく見えないけど、心なしか遠くの方の人影が動き出したような気がし…。
「…だけどチェリー? 発ったにしては早すぎるんじゃない? 」
「それが状況が変わってね、彼女の事、覚えてるかしら? 彼女も協力してくれるかもしれないわ」
『えっ…』
「…へっ? 」
えっ、まっ、まさか、この人も一緒にいたなんて…。チェリーがこの湖の畔にいたよひとに呼びかけてくれたらしく、ふたりが私達の方に飛んできてくれる。多分六十メートルぐらいの距離があると思うけど、私はその距離でようやくふたりの種族を確認する事ができた。…だけど私は、そのふたりのうちの一人の種族に、思わず唖然としてしまう。…ひとりは私が会いに来た人で、エムリットのアルタイルさん。彼女とはあまり深い関係じゃないけど、何年か前にこの時代で知り合った。“星の停止事件”の真っただ中にしか会ってないけど、多分彼女の方も覚えてくれていると思う。彼女は声が聞こえる距離まで来たって事で、多分話し方をテレパシーから声に変え、チェリーと話の続きをしているんだと思う。不信そうに問いかける彼女に、チェリーは私にチラチラと視線を下ろしながら返事していた。
一方のもうひとりはというと、予想外だったらしく驚きを隠せていない。もちろん私もそうだけど、彼女はまさか私と再会するなんて夢にも思っていなかっんだと思う。
「し、シルクさん?
あの事件が解決して、元の世界に帰ったんじゃあ…」
『ええ、あの時は確かに帰ったわ。…だけどこの時代には頻繁に来てて…。…そんな事より、まさかミウさんに会えるとは思わ…』
「ちょっ、ちょっと待って! フィフ、まっ、まさか、“原初”様と知りあいだなんて…、言わないでしょうね? 」
「その通りよ。チェリーには話した事無かったけど、シルクさんも
あの事件の当事者…。ミウさんと同じで私達の恩人、と言えるかもしれないわね」
そうだったわね…。その彼女、ミュウのミウさんは取り乱しながらも私に迫ってくる。ミウさんとの事は話すと長くなるけど、彼女は
あの事件の協力者。初めて会った時は姿を変えていたけど、あの時の事は今でも鮮明に覚えている。…それで
例の事件に関して、エムリットの彼女はいわゆる被害者…。助け出す時に“闇”に囚われたスイ…。…っとまた話が長くなるから割愛するけど、私、アルタイルさん、それからミウさんは、別諸島で起きた事件で知り合った関係。ミウさんとアルタイルさんはその前から知ってたみたいだけど…。
…話を元に戻すと、この中で唯一
あの事件の当事者でないチェリーは、あまりの事に私の言葉を遮る。この感じだとアルタイルさんは話していないのか、その彼女にも問いただしていた。だけどそんな彼女に対して、アルタイルさんは私達三人の間を視線で行き来しながら語ってくれた。
「そうなりますね。…けど何でシルクさんもここに? 」
『アルタイルさんに一つ、頼み事があって…、って感じかしら? 』
今の私ではどの位もつか分からないから、“感情”のアルタイルさんに見張ってもらえば…。
「そういうことね。…だけどシルクさん? ちょっと心を覗いちゃったけど、何か隠してない? 言おうか迷ってるみたいだけど」
『…やっぱりミウさんの前で隠し事は出来ないわね』
ミウさんに訊かれた私は、要件を言うべきか一瞬言葉に詰まってしまう。だけどそれが不信感を与えてしまったらしく、私は気付かない間にミウさんに心を読まれてしまっていたらしい。ミウさん自身は凄く申し訳なさそうにしてたけど、そうさせてしまったのは私…。図星を突かれたって事もあって、私は意を決してこう言葉を伝えた。
「えっ、しっ、シル…、じゃなくてフィフ? かっ、隠し事って…」
『…ごめんなさい。正直に言ったら連れ戻される、って思って…。…単刀直入に言うと、半日ぐらい前まで、私は生死の境を彷徨うぐらい危険な状態だった。…昏睡状態から抜け出せたのは…、多分夜の十時ぐらい、かしら…。だけど個人的に調べたい…、調べないといけない事があるから、入院させられてた病院を抜け出してきたわ。…多分神経系に障がいが残ってるんだと思うけど、メガネが無いと殆ど何も見えない…。…こんな状態だから、薬漬けにして辛うじて動けてるような状態なのよ…。この時代に来る前に断裂した声帯を反応基質にして、飲んだ強力な薬品で不可逆反応を起こしてる…。…そうね、私が創って飲んだその薬は、もしかすると普通の人が飲んだらコップ一杯で死ぬかもしれないわね…。食塩水を飲んだら反応は止められるけど、私の切れた声帯が完全に無くなるまでが、私が活動できる時間。声帯が薬の八十等量になるように調整したから、何週間かは動けると思うけど…』
“チカラの代償”で回復出来ない…、薬品の効果も薄い私だから有効だけど、他の人…、伝説の種族でも、濃度が濃すぎるから、確実に逝くわね…。
「声帯を断裂、って…。…だからずっとテレパシーで話してたのね…」
「ですけどシルクさん、そんな自己犠牲なところ、変わらないですね」
『そうでもしないと、何時も何も解決しないのよ…。…それで話を元に戻すけど、アルタイルさん、ミウさん、チェリーも、三十分間私を見張っていてくれないかしら? 』
「見張って、って…。まさかシルクさ…」
『ええ、そのまさかよ。これからの調査の為にも、今の自分の限界を知っておきたいのよ』
「だけどそれだと…」
『そのくらい分かってるわ。…だから、三にんに頼みたいのよ。…ミウさん、アルタイルさん、ふたりは長くて三十分間、私の“心”を読み続けて。…チェリーは、私が言ったタイミングで、頼んだことをして…』
「いいけど…、シルクさん、あなたは一体何をするつもりなのよ」
『…“従者の証”を外して、“チカラ”を暴走させる…。私は“狂乱状態”って呼んでるけど、普段の私なら、二十五分間、私が
私でいられるわ…。…だけど弱った今の状態では、どのくらいもつか分からない…。…だから、その限界を知るためにも頼みたいのよ』
「…大体分かったけど、もし時間を越えたら…」
『チェリーが分かる言葉で例えるなら、“闇のディアルガ”、ミウさんとアルタイルさんなら、“闇に捕らわれし者”…。それと同じ状態になる、って言っても過言じゃないかもしれないわね。…だけどその分、“狂乱状態”の間、私の場合物理攻撃が出来るようになって、技の威力も格段に跳ね上がる…。比べた事は無いけど、“チカラ”を抑えていない伝説の種族の専用技ぐらいの威力は出ると思うわ。代わりに徐々に自我が無くなっていくけど…。…だからチェリー、私が自我を失うギリギリで、外した“従者の証”を私に着けさせて』
「うそ…、“闇に捕らわれし者”って…」
『そういう事だから、頼んだわ』
「………っ! 」
一通り語り通した私は、そのまま技を発動させる。チェリー、ミウさん、アルタイルさんは慌てて私を止めようとしたけど、構わず見えない力で首元のスカーフを解いた。すると私は、急に体の奥底から膨大なエネルギーが湧き出してくるのを感じ始める。それと同時に、今にも暴れ出しそうな負の力も…。
続く