7-1 赤黒い鎖
[Side Ratwel]
「サンドラさん、体調の方は大丈夫ですか? 」
「薬が効いたからか…、今のところは問題ない」
そっか、なら良かった。“弐黒の牙壌”で“ビースト”を討伐した僕達は、ソーフに看てもらっていたサザンドラ…、“エアリシア”の副親方のサンドラさんとダンジョンを脱出した。僕は脱出してからある程度の手当をするつもりだったんだけど、戦っている間にしてくれていたみたいだからその必要はなかった。ソーフに聞いた感じだと、分る範囲では目立った怪我とかはなくて、血圧もほぼ正常。救助隊じゃないから簡易的な診断しか出来ないけど、出来る範囲では問題なさそうだった。…だけどそれ以前に何の対策も無しに長時間いた事になるから、少しでも早く医者に診てもらう必要がある。だからイグレクさんと合流して“カピンタウン”まで送ってもらったんだけど、思ったより時間が経ってたみたいで病院の受付が終わっていた。近くの“トレジャータウン”に行っても同じだと思ったから、そのままライルさんとも合流して“アクトアタウン”に戻ることにした。夜って事もあるのかもしれないけど、僕は着いて起こされるまで熟睡してしまっていた。
そして話を今の事まで進めると、港に着いてからはベリーとソーフとは別行動をとる事にした。“カピンタウン”を出る前にしても良かったんだけど、アクトアの連盟支部の受付がギリギリだったから、二人には急いで依頼報告と明日の申請をしてもらってる。その間に僕は、一足先にランベルさん、それから保護したサンドラさんを連れてシリウス達のギルドに戻っているところ。着いてからは明日の準備をするつもりだけど、その道中でランベルさんは、赤黒い鎖が繋がったままのサンドラさんに声をかけていた。
「…だがダンジョンの環境にやられたのか、どうも匂いと言うものが分らなくなっている」
「嗅覚が…。シルクの時も障がいが残るかもしれない、って言われたけど、やっぱり…」
「そうかもしれないね。…シリウスさん、遅くなったけど今戻ったよ」
脱出した時には暗くなってたから、流石にどこの店も閉まってるかもしれないね。ぽつりと呟いたサンドラさんは、鎖をジャラジャラ引きずりながら続ける。表情も暗くなってるような気がするから、言ってる事は本当なのかもしれない。ダンジョンの環境の事はシルクの時で思い知ったけど、その時はシルクに聞く前に行方が分らなくなってたから、あまり実感がなかった。だけどサンドラさんから聞いた僕は、今更だけど背筋に冷たい何かを感じたような気がした。
走行している間に、僕達はシリウス達のギルドに戻って来れた。時間が時間だから入り口は閉まってるけど、薄明かりが漏れてる扉には鍵がかかってなかった。だからランベルさんは手前に開けながら、少し小さな声でロビーの奥に呼びかける。際どい時間だから、誰が起きてるかは分らないけ…。
「あっ、ランベルさん。ラテさんもお疲れさまです」
「明日になるかと思ってたけど、早かったね」
「ライルさんに頼んで乗せてもらったからね」
…あれ? こんな時間まで起きて何してたんだろう? ランベルさんが開けた扉の先では、僕の予想以上の人達が話し合っていたらしい。まず最小に反応したのは、何日か前からここのギルドにいる、サンダースのコット君。丁度彼の離れた正面がエントランスの扉だったから、ランベルさんが声をかける前に気づいたんだと思う。その彼に続いてライトさんが会釈してくれる。相変わらず火傷の跡が痛々しいけど、何とか気にしないようにして、僕は短く返事する。
「確かラテ君達の知り合いのラプラスだったよね? 」
「うん」
続いて僕達の方に振り返ったのは、ベリーとウォルタ君と同い年のティル君。彼もライルさんとは会った事があるから、確かめるように聞いてくる。だから僕はそうだよ、って言う意味も込めて大きく頷く。
「…けれどランベル? あとの二人の姿が見えないけれ…っ? 」
「ベリーちゃん達は支所の方…」
一方僕達の方に欠けているメンバーがいるのに気づいたらしく、ランベルさんのチームメイトのキュリアさんが不思議そうに尋ねてくる。コット君がいたからそんな気はしてたけど、この様子だと“壱白の裂洞”の方は上手くいったんだと思う。松明の光で照らされたキュリアさんとコット君を見た感じだと、サンドラさんと同じで怪我は殆…。
「さっ、サンドラさん! 」
「行方不明になってるって聞いてたけれど、無事だったのね? 」
「無事…、とは言えないかもしれんが…、一応な」
次々に言葉を遮っていたけど、驚いた表情を見せているキュリアさんの隣で、シリウスも珍しく声を荒らげる。マスターランクの二人は僕の後ろのサンドラさんに気がつくと、二人揃ってこっちに駆け寄ってくる。病み上がりみたいな状態だからキュリアさんの方が早かったけど、彼女は水路を跳び越えながらサンドラさんに問いかけてくる。それに表情は見てないけど、サザンドラの副親方は若干言葉を濁していた。
「ええっとキュリアさん? この人は…」
「さっき話した、“エアリシア”のギルド、その副親方のサンドラさん。…けれどどうしてランベルとサンドラさんが…」
「話すと長くなるんですけど、“弐黒の牙壌”で保護しました」
僕もランベルさんに紹介してもらうまで知らなかったけど、まさかいるなんて思わなかったからなぁ。おいてけぼりを食らいそうになっているライトさんは、キュウコンの彼女に問いかける。本当は僕達の方から紹介するべき何だと思うけど、僕がするよりも早くキュリアさんが話してくれる。ランベルさんも知ってたから同じだと思うけど、確かマスターランクの昇格試験の時に戦った、って言ってたような気がする。…だけど流石のキュリアさん、それから副親方同士のシリウスも事情は知らないはずだから、僕が短くこう付け加える。
「“弐黒の牙壌”で? ですけど何故“弐黒の牙壌”にサンドラさんが…」
「どこまで知っているかは分らんが、
奴隷として連れて来させられた」
「どっ、奴隷? 奴隷って事はもしかして、“ルノウィリア”…? 」
「僕も同じ事を思いました」
えっ? もしかしてティル君達も知って…。疑問に思ったらしいシリウスに、サンドラさん本人が事情を話し始める。サンドラさんは短く言い切っていたけど、その表情はどこか思い詰めたような苦しんでいるような…、そんな感じがあると思う。そんな彼に対して、ティル君が思わず頓狂な声をあげてしまう。奴隷、っていう物騒な言葉に驚いたんだと思うけど、その直後に出てきた言葉に、僕自身も同じようになってしまった。
「ってことは…、あれ? キュリアさん、もしかしてサザンドラさんの首の鎖って…」
「…ええ。ハクさんが言ってた“奴属の鎖”で間違いなさそうね」
「そう考えるのが…、自然かもしれないですね」
「“奴属の鎖”…? 」
初めて聞いたけど…、あの赤黒い鎖の事、だよね? 後から追いかけてきたコット君は、ここでふと何かに気づいたらしい。多分サンドラさんの真ん中の首元を見てるんだと思うけど、僕も気になってる鎖の事をキュリアさんに尋ねていた。サンドラさんがエアリシアの市民全員に着けられた、って言ってたけど、作動されたら野生みたいになってしまう、って事しか僕達は知らない。…だから今思う事じゃないと思うけど、シリウス達の中でも繋がったらしい例の鎖の事を、ほんの少しだけしれたような気がした。
「うん。私達は直接見てないんだけど、着けられたら理性を奪われる、って言ってたよね? 」
「そのはずだよ。俺もミナヅキさんからしか聞き出せてないけど、“月の次元”の“三神”から何とか、って言ってたから…」
“三神”? “三神”ってアルタイルさん達の事だよね? “月の次元”って事は、異世界のエムリット達のことだと思うけど…。
「彼女の言うとおり、作動されたら最後、理性を奪われ元に戻れなくなる…。“エアリシア”の弟子た…」
「ええっとその事でなんだけど、いいかな? 」
「えっ、はい。…ですけどライトさん、どうかしたんですか? 」
ライトさんも今日は別で動いてたみたいだけど、何か知ってる事があるのかな? 話が赤黒い鎖の事になってたけど、何を思ったのかライトさんが話に割って入る。この感じだと何か考えがあるのかもしれないけど、彼女は僕が尋ねている間に、パートナーのティル君、それから同じ時代出身のコット君の方にチラッと目を向ける。二人とも小さく頷いていたから、多分ライトさんがテレパシーで話したのか…、前もって相談していた事があったのかもしれない。それだけを確認すると、ライトさんは僕…、じゃなくてシリウスさんとサンドラさんの方に右目を向けて話し始めた。
「上手くいくかは分らないけど、サザンドラさんの鎖を外せるかもしれない、って思って」
「こっ、この鎖をか? 」
「そうです。全く同じじゃないんですけど、僕達の時代で似たようなものを見た事があるんです」
「見たって…、コット君、それってどういうことなの? 」
「ライトの左目が見えなくなる原因の一つなんだけど、似た鎖で操られたエンテイを解放した事があるんだよ」
「そっ、それは初耳ね」
えっ、エンテイって、伝説の種族だよね? ライトさんは操られたエンテイに左目を焼かれた、って言ってたけど、絶対にその事だよね?
「サザンドラさんの鎖を見て、やっと確信できたから。…それで話に戻すけど、ライトの“チカラ”で鎖を切れると思うんだけど、どうかな? 」
「ライトさんの…“チカラ”? 」
「うん」
ええっと確か…、イグレクさんの時に使ってた、
心を落ち着かせる“チカラ”の事だよね? 最初は何のことかさっぱり分らなかったけど、“チカラ”って言われて何となく分った気がする。僕は一回しか見た事がないけど、ライトさんの種族のラティアスは、乱れた他人の心を強制的に落ち着かせる事が出来る。発動させるラティアス本人によって個人差はあるみたいだけど、同じ時代の同族の中でもライトさんはそのチカラを使うのが一番上手い、ってフライが言ってたような気がする。後々分った事だけど、ダークライに悪夢を見させられてたイグレクさんを解放したのが、その“チカラ”。ライトさんがその“チカラ”を初めて使った相手が、シルクみたいだけど…。
「なんな事か分らんが…、外せるのなら、…頼む」
「…じゃあティル、いくよ」
「うん」
この“チカラ”って、ライトさんだけでもできたはずだよね? 一部始終を聞いていたサンドラさんは、エスパータイプの二人に対してこう囁く。僕もそうなんだけど、この様子だとサンドラさんはいまいちどういうものか分ってないんだと思う。僕は僕でティルさんが出てくるなんて思わなかったから、サンドラさんと同じで首を傾げてしまう。コット君以外の三人も同じような感じだから、多分今回僕達の時代に来てくれる前にした事、なんだと思う。
「…火炎放射、サイコキネシス」
一度大きく深呼吸したかと思うと、ティル君は多分心を落ち着かせる。もの凄く神経を集中させているらしく、心なしか深夜のロビーの空気が張り詰めてきたような気がする。かと思うと彼は喉元にエネルギーを蓄え、炎のブレスとしてそれを吹き出す。おまけにそれだけじゃなくて、三メートルぐらい吹き出されただけで、ティル君の炎はその場で静止していた。
「…“癒やしの…、波動”。…くぅっ…! 」
「らっ、ライトちゃん! ティル君、これって一体どうい…」
「気が散るから話しかけないでください! 」
ほんの少し遅れて、ライトさんも手元にエネルギー体を作り出し始める。多分技の癒やしの波動を基にしてるからだと思うけど、手元の丸いエネルギーは眩しいぐらいに白く光り輝いている…。それをふわっとその場に浮かせると、超能力を発動させているティルさんがそれを受け取る。かと思うとライトさんは、急に体中の力が抜けたように地面に墜ちてしまう。
ティル君はティル君で、懐から木のステッキを引き抜く。目を閉じた状態で精神統一し、それを切らさないようにして光球と炎、同時に操っていく…。訳が分らないって言う様子のランベルさんが尋ねていたけど、それはティル君本人に強い口調で遮られてしまう。もの凄く繊細な操作が必要らしく、夜で涼しいけど彼の額からは沢山の汗が滴り落ちてきていた。
「…これで」
もしかして…、シルクの戦法と同じような感じ、なのかな? 赤と白のエネルギー体は、渦を巻くように混ぜ合わされていく。それはシルクがいつもしているような、特殊技と特殊技を配合する時みたいな感じだった。こうして出来た赤みを帯びた光球は、ティル君の杖の先端に触れると長細く変形する。金属っぽい感じに変質したかと思うと、このタイミングでティル君は目をゆっくりとあける。
「…サザンドラ…さん、真上を…向いてくれますか…? 」
「構わんが…っ? 」
切れ切れの声でライトさんがこう頼むと、サンドラさんは首を傾げながらもそれに従っていた。
言われるままに真上を向いたサンドラさんの所まで、ティル君は一気に距離を詰める。一瞬の事だったからビックリしたけど、勢い余ってぶつかる事はなかった。
「動かないで、じっとしていてください」
その状態で両手で赤白い太刀を両手で構え、切っ先を首元の鎖に引っかける。サンドラさんに背中を付けるような体勢になったティル君は…。
「…っ! 」
両手に力を込めて思いっきり業物を前に振り抜いた。
続く……