第四話 広大な研究機関
「それじゃあ、順を追って説明していくわね」
エネコロロのシャサさんの案内でさっきの小部屋を出た私は、言われるままに彼女について行く。部屋を出たばかりだから何も分からない状態だけど、多分ここは社内でもセキュリティの浅いところ、なんだと思う。四方向に廊下が延びていて、その四隅に広めの四部屋が配置されている。外から見てもあまり広そうな印象は無かったから、例の研究部門は別の棟にあるのかもしれない。
「最初にこれを言うのもどうかと思うけど、左の方の階段から寮に上がれるわ」
「そういえば全寮制って言ってたから、建物から出なくてもよさそうね」
丁度今分岐点の真ん中に来れたから、シャサさんは手頃な左側から説明してくれる。この部分はそれなりに広くて吹き抜けになっていて、天窓があるらしく建物の真ん中でも結構明るい。
それにセキュリティで管理された建物の中に会社の寮があるって事は、社員のプライベートも会社が管理することになる。外出の自由があるのかどうかは分からないけど、そうしている辺り、ますます怪しくなってくる。リフェリア基準で考えると、プライベートまで監視されるなんてあり得ない。建屋から出たとことで、この周りには何も無いけど……。
「ええ。三課棟は生活に必要な一式がそろってるから、本当に出なくて済むのよ」
「って言うことは、この階の別の部屋に売店が入ってるのかしら? 」
「そうよ。それ以外にもフリースペースがあるから、オフの時はそこで過ごす感じね」
サシャさんは笑顔で話してくれているけど、内容が内容なだけに私は顔が引きつってしまいそう。確かに彼女の言うとおり充実してはいるけど、物凄く閉鎖的、私は率直にそう感じてしまう。潜入捜査とはいえしばらくこの環境で過ごすことを考えると、流石の私でも耐えられるか不安になってくる。……だけど不満に思ってる、って感づかれるわけにもいかないから、うわべだけの笑顔で適当に返事しておいた。
「へぇー。だけどシャサさん? 」
「シャサでいいわ」
「さっき三課棟って言ってたけど――」
「はぁ、またヒプニオは……。多分言い忘れてると思うけど、リツちゃんの配属は私と同じ三課。一課棟と二課棟は地下で繋がってるけど、殆ど三課の区域で過ごしてもらうことになると思うわ」
話の途中だったけど、気になることがあったから彼女に尋ねてみる。三課棟ってことは他にもあることになるけど、もしかすると所属ごとに寮が分かれているのかもしれない。一応彼女は流れに身を任せて色々話してくれたけど、あきれたようにため息をついてるから前にもあったのかもしれない。
「地下? 」
「ええ。今から案内するつもりだけど、研究室も地下にあるのよ」
「ほんとに秘密の研究所、って感じね」
それでさっきの場所から右の方に歩き始めたけど、彼女はこの会社……、いえ私の調査のメインのことも教えてくれる。研究施設にしては小さい建屋だからずっと気になってたけど、それが地下にあるなら納得できる気がする。それにわざわざ地下に隠すぐらいだから、ルヴァン社側もヤバいしてるっていう自覚はあるのかもしれない。だからこんなにセキュリティ固めてるのかもしれないけど……、これも考えすぎかしら?
「昔はそうでも無かったけど、代表が変わってからこうなったのよ。……さぁリツ、これから案内するからついてきて」
そのまま通路の突き当たりまで進むと、彼女は壁を背にしてこう言う。こっち側に何があるのかはまだ教えてもらってないけど、こっちに来たからにはどこかに階段があるんだと思う。だけど私が見た限りでは、左側に“第三食堂”って書かれた扉と例の端末だけ。……ん? 端末?
「もしかしてシャサ? ここにかざすと階段が出てきたり――」
「その通りよ! うちのこと、分かってきたようね? じゃあ試しに、今度はリツが開けてみるのがいいかもしれないわね」
「わっ、私が? 」
思ったことをそのまま訊いてみると、彼女は嬉しそうに答えてくれる。私はまさかここまで喜ばれるなんて思ってなかったけど、よく考えたら普通なことのような気がする。まだそうと決まったわけじゃないけど、人体実験をするなら陰でこっそりした方がいい。倫理的にもアウトな事をしてるわけだから、簡単にそのことがバレると会社の存亡そのものが揺らいででしまう。だからもし私がこの会社のトップなら、外部に漏れないよう徹底的に情報を隠す。……まぁ今の時点で情報屋の私の潜入を許してる時点で、ココの人事部の無警戒ぶりには呆れてくるけど……。
それでシャサさんは何を思ったのか、徐に私に提案してくる。予想外で思わずへんな声を出しちゃったけど、よく考えたらいい機会なのかもしれない。
「ええ」
だから私は何とか気を持ち直し……。
「じゃあ……、テレキネシス」
首から提げてるセキュリティカードを見えない力で浮かせる。
「こう、かしら? 」
八十センチぐらいの高さにある端末にそれをかざすと、ピッって短い音がする。すぐにガチャッってロックが外れたような音もしたけど、二、三秒待ってみても何も起こる気配がな――。
「そこの壁を押してみて? 」
起こる気配が何も無かったけど、首を傾げる私に気づいてくれたらしく、エネコロロの彼女がすぐに教えてくれる。正面の壁を鼻先で指してるから、私は言われるままに右の前足で押してみる。すると……。
「っ? 」
私の前足はそこで止まらず、壁もろとも前の方へと進んでいく。正面の壁は私達側から見て外開きの隠し戸になっていたらしく、その場所に薄暗い下り階段が姿を現した。
「驚いたでしょう? すぐ慣れるけど、私も初めて来たときは驚かされたわ」
私の反応に満足そうに笑みを浮かべると、彼女は一足先に暗がりの中へ足を踏み入れる。私も彼女の後に続くと、しばらくしてから後ろの扉がひとりでに閉まる音が聞こえた気がした。
「そういえばリツ? セレノムの“アラセリフ”の出身って訊いてるけど……」
「えっ、ええ。りっ、履歴書にはそう書いたけど、母が“カリア王国”の出なのよ」
薄暗い階段を十何段か降りた辺りで、シャサさんはふと私に問いかけてくる。一瞬何のことを訊いてきたのか分からなかったけど、町の名前を聞いた瞬間、私ははっとしてしまう。彼女は技のことを訊いてきたって思ったから、私は慌ててこのことについて説明を入れる。ついうっかり技を使ってしまったけど、“セレノム王国”に技を使う文化がない。だからといって正直に出身国を言うわけにはいかないから、私は似た文化圏の国名を出し、適当に設定をでっち上げた。
「“カリア王国”の? 」
「ええ。祖父母は無事だったけど、従兄弟の安否がまだ分からなくて……」
「そう。何か申し訳ないこと訊いてしまったわね」
もちろんこのことも嘘だけど、“カリア王国”で異変があったことだけは事実。私が情報屋として働く前だから、確か七、八年ぐらい前に戦争があったらしい。それまではリフェリアとも国交があったけど、それ以降国の状態はわかってない。一応ウールとか同業者が入国して調べてくれはしてるけど、それでも十分に分かってないのが現状なのよね……。
「さっ、気分変えましょ。今日は見せないけど、この部屋がサンプルの保管庫。空調で温度と湿度の管理をしてるから、もしかすると社内で一番快適な部屋かもしれないわね」
私がとっさに作った設定のせいで階段の明るさみたいになっちゃったけど、耐えられなくなったらしく、シャサさんは急に明るい声を出す。丁度今階段を降りきったところだけど、彼女は右の方に目を向けながら話し始めてくれる。白を基調とした壁に等間隔に扉が設けられていて、そのそれぞれに小さな札が付けられている。ここが三課棟だからだと思うけど、一番階段側の札には“小保管庫三の一”、向かいには“大保管庫十六”って書かれていた。
「へぇー。ってことは実験で作ったサンプルをここで管理してるのね? 」
「少し違う気もするけど、そんなような感じね」
生物関係の研究室だから、この先には培養した細胞とか……、そういうものを置いているのかもしれない。そう思ってシャサさんに訊こうとしたけど、変な感じで流されてしまった。それも何か引っかかるような言い方だったから、本当は少し違うのかもしれない。本音を言うと向かいの“大保管庫”の方を訊きたかったけど、変に感づかれるかもしれないから、ね……。
「他の保管庫もそんな感じだから、覚えておくといいわ」
「わかったわ」
ふと湧き出た疑問を奥の方に押し込んで、私は歩く足を止めずに耳を傾ける。階段を降りてからずっとまっすぐだったけど、“小保管庫”の扉五つ分過ぎた辺りで大通りに出た。緩やかなカーブがかかっていて、それがどこまでも続いてるように見える。廊下の広さもそれなりにあって、クレベースが二、三人横に並んでも余裕かもしれない。まだ地図とかそういうのを見たり聞いたりしてないから分からないけど、この感じだと廊下で一周できるような構造になってると思う。
「それからこっちの部屋が、研究三課の情報管理室。地下は環状構造になってるんだけど、さっき私達が通ってきた保管庫と階段が六時の位置。保管庫は他に四時と八時の位置にもあって、研究室は内側の五時と七時にあるって考えたら覚えやすいと思うわ。
「五時と七時って、時計みたいね」
私の予想はあっていたらしく、彼女はわかりやすく説明してくれた。一周するように造られてるって事は、多分設計当初からこういう計画がされていたのかもしれない。他の場所がどうかは分からないけど、出入り口から近い場所に研究室、その両隣に保管室を配置してるから、導線のことは凄く考えられていると思う。情報管理室が研究室の向かいだから、潜入中にこっそりその部屋に出入りすることになると思う。それに私が所属することになる課が四時から八時ってことは、もしかすると課ごとに区画が三等分されているのかもしれない。
「本当にそうよね。……さぁ着いたわ。ここが私達の職場の研究室三の二」
「っ結構広いのね」
しばらく時計回りに歩いていたけど、位置にして五分分、七時の位置にある扉の前でシャサさんは立ち止まる。七時で内側の扉だから、私が配属されるのは研究室の方なんだと思う。それで彼女に案内されるままに部屋の中に入ると、そこにはリフェリアでは見られない光景が広がっていた。なんて言ったらいいか分からないけど、扇形の部屋には何にんもの研究者達であふれかえっていた。
「最初のうちは使ってる溶媒で体調崩すかもしれないけど、すぐ慣れるわ。……新人連れてきたから、少し集まってちょうだい」
確かに彼女の言うとおり、研究室に入った途端独特な匂いがした気がする。そういう類のことは詳しくないけど、ビアンカに教えてもらって消毒用のアルコールぐらいなら分かってるつもり。体調を崩す程度がどのぐらいかは分からないけど、できれば調査に差し支えないぐらいだとありがたい。
それでシャサさんは適当に大部屋の中を見渡してから、大きな声でこう呼びかける。何人かは手が離せないみたいだけど、それでも十にんぐらいは集まってくれていると思う。ぱっと見種族も性別もバラバラで、いろんな所から集まったようか感じはある。
「へぇ、エーフィがうちにくるなんて、奇妙な巡り合わせがあったもんだねぇ」
「まあそういうこともあるんじゃねぇの? 」
「はい静かに。確かきみはリツと言ったね? 」
集まった途端二、三人がざわついた気がするけど、それを代表らしきランクルスが制する。その瞬間ピタリとやんだことを見ると、彼はそれなりに地位のある立場なのかもしれない。
「ええ。留学生でエーフィのリツっていいます。精一杯頑張るので、今日からよろしくお願いします」
私を見てざわついたのが少し気になるけど、ひとまず私は言われる前に自己紹介。ぺこりと頭を下げてから、一通り集まった全員に目を向ける。
「そっか、エーフィのリツだね? 僕はベベノムのべべ。多分僕がこの中で一番年下だから、気軽に話しかけてくれると嬉しいかな」
「べべノム……? のべべさんね」
「それで最後になりすまないが、俺が三課課長、ランクルスのホムクス。不満な事でも、相談したい事があればいつでも聞こう」
次々に自己紹介してくれたけど、私は活発そうな彼の事が気になってしまう。紺色の種族の彼は初めて見るけど、凄くフレンドリーで話しやすそう。一番小さいからそんな気はしていたけど、それはあながち間違いじゃなかったのかもしれない。遅れて課長の彼も名乗ってくれたけど、はじめ合う種族の彼の事が気になりすぎて、私はいまいちそれ以降の内容が入ってこなかった。
続く