第三話 潜入開始
「リツァ、くれぐれも深追いだけはしないようにね」
「ええ、肝に銘じておくわ」
しばらく時が経ち、今日は“ラクシア”を発った翌日。昨日は途中無人島で一泊し、現地調達した木の実を食べてから目的地を目指した。私自身潜入捜査なんて初めてだけど、リフェリスがその手のプロだから色々と教えてもらうことができた。
それで喫茶店のモーニングサービスが終わるぐらいの時間に、私達は目的地の“セレノム王国”、沿岸部の郊外都市である“キルトノ”に到着する。ちょうど今入国管理局に行って手続きを済ませてきたところだけど、別れ際にリフェリスが念を押してくる。昨日散々聞いた台詞だから耳にたこができてるけど、私も同じようなセリフでこくりと頷く。
「じゃあリツァ、俺はしばらくセレノムにいるつもりだから、たまには顔を見せてよ? 」
「そのつもりよ」
それで去り際に彼はこう付け加え、右の翼で会釈。これがいつもの彼の挨拶だけど、最初からそのつもりだから私はにっこりと笑いかけて応じる。一応騎士団のファルツェアさんのサポートはあるけど、直接会えて……、それも私がよく知ってる彼もいるから、これ以上に頼もしいことはないと思う。私の笑顔に口元を緩めてから、彼は予定があるらしく内陸の方へと飛び立っていった。
「さぁて、確か街の外れにある、って言ってたわね」
彼の背中を見送ってから、私は目的の研究施設へと歩き始める。港の入国管理局から出たばかりだから、他国向けの木箱が至る所に山積みになっている。大きさもバラバラでよく崩れないわね、って見る度に不思議に思うけど、そこは“セレノム王国”が誇る学問で何とかしてるんだと思う。
「折角だから観光もしていきたいけど、後回しになりそうね」
集荷場を抜けて町並みが広がってきたから、私はふとこんな願望が浮かんでくる。セレノムには今まで何回か来たことがあるけど、その殆どがネタの調査でちゃんと観光できてない。その分国の歴史とかには詳しくなれたけど、やっぱり、ね……。けど今回もその調査で来てるから、頭をぶんぶんと振ってその考えを外に追いやった。
「ええっと、ちょっとお尋ねしてもいいかしら? 」
「ん、俺のこと? 構わないけど、この辺じゃあ見かけない顔だね」
街に着いたのはいいけど、私はついうっかりして例の施設の場所を聞き忘れてしまっていた。初めての潜入の事で頭がいっぱいだった、って言われると何も言い返せないけど、このままだと調査を始めたくても始められない。だからって事で、私はふと目についたジュプトルに声をかけてみる。すると彼は一度辺りをキョロキョロ見渡し、すぐに自分のことだって気づいてくれたらしい。右手の指で自分自身を指し、一言付け加えてから私の問いかけに応じてくれた。
「今朝この街に来たばかりでね。それで一つ訊きたいんだけど……、この街にある“ルヴァン社”の研究施設の場所を教えてもらえないかしら? 」
彼が聞く体勢になってくれたって事で、私は単刀直入に訪ねてみる。研究施設を運営している団体名はリフェリスから聞いていたから、多分これで私の目的を分かってもらえると思う。学問が盛んな国だから、郊外の“キルトノ”にも沢山の研究施設があるって事はリフェリア国民の間でも常識になってる。
「“ルヴァン社”の? ってことは留学しに来たのかな? 」
「ええ、そうよ」
この団体がどのぐらい有名なのかは分からないけど、この感じだと知名度はそれなりにあるんだと思う。社名を出しただけで目的……、建前上そうしてることを分かってくれたから、多分間違いないと思う。
「それなら街を北東に抜けた山の麓にあるよ。……だけど今は湿潤期だからね、汚れたくなかったら東から迂回するのをお勧めするよ」
「北東の山ね? 分かったわ。ありがとう」
「どういたしまして。勉強、がんばれよ! 」
「ええ! 」
国民性なのかそういうひとなのかは分からないけど、彼は地元民しか知らなそうな事まで教えてくれた。彼から聞くまでうっかり忘れてたけど、“セレノム王国”がある“アイナ大陸”には乾季と雨季がある。前に調べたことがあるけど、山を挟んだ東と西で、この二つの時期が入れ替わるらしい。それで彼が言うには、ちょうど今“セレノム王国”がある大陸の西側は雨季の真っ只中なんだとか。
それで耳寄りな情報を教えてもらえたから、私はすぐに復唱確認する。合ってたみたいで一言お礼を言うと、彼は気さくな笑顔で会釈してくれた。
――――
「ここがそうね」
“キルトノ”の街から何時間から歩いて、私は目的地の施設の前に辿り着く。街で会った彼は好意でいい情報を教えてくれたけど、そもそも予定よりもかなり遅れていたから、本来の北東のルートを進むことにした。時期が時期なだけに天候は土砂降りだったから、街を出る前にレインコートを買うのを忘れずに、ね。研究所がある山の麓は“カリア王国”との国境が近いから、今は雨も小降りになってるけど……。
「すみません」
それで研究施設の門の前まで来れたから、私はそのそばにある小屋の方へと足を向ける。こういう門の側には必ず門番とか守衛の控え室があるから、許可をもらって中に入れてもらうためにもね。私が行くって事は昨日のうちに速達で書状を出したから、遅くても昨日の日暮れ頃には届いているはず……。
「はいなんでしょう? 」
側の小屋の中を覗くと、私の予想通り守衛らしきアーマルドが腰を下ろしていた。ちょっと高いから前足をかけて二足立ちになっちゃってるけど、気づいて外に出てきてくれたから、楽な体勢になる事はできた。
「昨日書状を送ったリツという者なのですけど……、話しは通っているかしら? 」
背が高い彼が見下ろしたのを確認してから、私は例の案件を口にする。ここで私は自分のとは別の名前を口にしたけど、これも潜入捜査のスペシャリストの助言に従ったから……。最初は何で偽名を使わないといけないのか分からなかったけど、リフェリスがいうには万が一の時のための保険、らしい。私自身の身元がばれないようにするためだと思うけど、嘘の名前を使うのはちょっと気が引けるわね。だから発音が似てる名前にしたんだけど……。
「留学希望でエーフィのリツですね? 人事部の方から話は伺っています。迎えのものが参りますので、少々お待ちください」
「ええ、お願いします」
書状を送ったのがギリギリの時間だったから心配だったけど、この様子だと杞憂に終わったらしい。内心ホッとしながら耳を傾け、彼の指示を注意深く聞き取る。高い塀に囲われていから中の様子は見えないけど、アーマルドの彼は小屋の中へ入っていったから、多分社内の担当者に連絡を取ってくれているんだと思う。どんな風に連絡を取っているのかは、調査不足で分からないけど……。
「お待たせしました。担当の者がすぐ参りますので、少しだけお待ちください」
「そうさせてもらうわ」
そのすぐってのがどのぐらいかは分からないけど、少なくとも三十分とか……、気の遠くなるぐらい待たされることは無いと思う。“ルヴァン”の勤務態勢はどうなのか分からないけど、世間一般からすると昼休みからそれなりの時間が経ったぐらい。定時にするような時間まではあと二時間ぐらいあるけど、すぐって事は私がつく時間はある程度予測されていたのかもしれない。
「待たせてすまない。キミがエーフィのリツかい? 」
「ええ。ということはあなたが、人事部のヒプニオさんね? 」
「そうだ」
すると案外早いタイミングで、門の外から誰かやってくる気配がする。すぐに分厚い門が開き、中からひとりのスリーパーが姿を現す。年配の彼がアーマルドと私の間で視線を行き来させると、すぐに私に対して尋ねてくる。頷いてからあらかじめ守衛から聞いていた名前で読んでみると、彼は大きく頷いてくれた。
「よかった。書状を送るのがギリギリだったから心配だったけど、安心したわ。遅くなって申し訳ないですけど、今日からよろしくお願いします」
「こちらこそだな」
一言ずつ挨拶を交わし、私は彼の案内で門をくぐる。塀の中に入ってみると、私が見た限りでは研究棟らしき建物が三軒ぐらい軒を連ねてる。外装はコンクリート製の三階建てだから、豪雨とか災害があってもびくともしなさそう。
「早速で済まないが、先にこれを渡しておく」
「ええっと、これは……」
何軒かあるうちの正面の玄関前、その屋根の下に入ったところで、ヒプニオさんはおもむろに何かを取り出す。一見何の変哲も無い十センチぐらいのカードで、彼はすぐに私に手渡してくれる。これが本当になんなのか分からないけど、ひとまず私はそのカードを見えない力で浮かせてみる。彼は一瞬驚いたような顔をしてたけど、咳払いでごまかしてからすぐに話し始めてくれた。
「社内で使えるセキュリティカード。このカードを端末にかざすと入れるようになるから、覚えておいてほしい」
「って言うことは、鍵って考えればいいのかしら? 」
「そう思ってくれて構わない」
そのカードが鍵になるなんて想像もつかなかったけど、多分カード自体に何か秘密があるんだと思う。リフェリアとは違う形で凄く驚いたけど、これはリフェリアの“記録水晶”みたいに、国が誇る技術の一つなのかもしれない。すぐに彼は自分のものを取り出し、使い方を教えてくれたけど、それまで私は半信半疑だった。言われたとおりに巻末にカードをかざしてみると、ピッって小さな音が雨音に紛れて聞こえたような気がした。
「留学希望のキミなら知っていると思うが、我々“ルヴァン”は生物学専門の研究機関だ」
「それを学ぶために来たんだから、知ってるわ」
玄関の中に入ると、そこは全室らしき小さな部屋。五畳ぐらいの広さだと思うけど、飾り気は全くなく、部屋の真ん中に机と椅子が二脚あるだけのシンプルな造り……。私達が入ってきた側とは反対側にも扉があるけど、その近くにも例の端末が一つ、備え付けられている。鍵を二重にしてる辺りさすが研究機関って思うけど、これはあんな研究をしてるって事を社外に漏らさないようにするためのものなのかもしれない。
「だけどヒプニオさん? これは……」
「あぁこれか? 気にしなくて構わない」
向かい合うように席に着いてから話し始めたけど、私はあることが気になったから彼に問いかけてみる。席に着いた途端種族上持っている振り子を左右に揺らし始めたから、そのことについて……。だけど彼にとっては大して気にすることじゃないらしく、私の問いは適当に流されてしまった。
「で、我が社は全寮制で、勤務時間は朝八時から夕方の五時、五時から深夜二時の二交代制。間一時間の休憩を挟んで八時間で、延長は三時間まで。規則はこうなっているから、キミにはこれに沿って学んでもらうことにする」
「分かったわ。九時から六時の八時間ね? 心得ておくわ」
八時間勤務で残業が最大三時間なら、ごく一般的な勤務態勢だと思う。職業柄私は勤務時間に縛られたことは無いけど、潜入する以上は郷に従うことになると思う。そうなると多分、ここの研究について調べられるのが、終業後か就業前の時間帯になると思う。全寮制で高い塀で囲われている事からすると、自由時間とか外を出歩くタイミングは殆どない気がするけど……。
「理解が早くて助かる。それで今日はまず……、丁度来たな」
説明してくれている最中だったけど、何の前触れも無く彼の方の扉からピッって小さな音がする。この時初めて外で聞こえた音が気のせいじゃない、って分かったけど、その音がするとすぐに扉が開いた。彼自身はまるで予知してたかのように、振り返らずにだけかが来たのに気づいていたけど、その扉から入ってきたのはひとりのエネコロロ……。
「噂通り、教え甲斐がありそうな子ね」
「ええっと、あなたは……」
「研究部三課のサシャだ。今日……、明日から彼女の下に就き、我々“ルヴァン”のノウハウを学んでもらう事になる」
声的に女のひとだとおもうけど、彼女は私を一通り見定めると、笑顔を浮かべてぽつりとつぶやく。情報が伝わるのには早すぎる気がするけど、そんなことを考えるまもなくヒプニオさんが紹介してくれる。
「はっ、はい。エーフィのリツといいます! 今日からよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそよ」
ひとまず私は椅子からぴょんと降り、情報提供元……、いえ先生になってくれるサシャさんに向き直る。深く頭を下げながら偽名を名乗り、にっこりと笑いかけてくれる彼女と握手を交わした。
続く