Trente et deux 光差す湖で
Sideコット
「うわぁ、凄い…。こんなに綺麗なところがあったんだ」
「噂に聞いた通り、写生するにはぴったりだね」
うん、ぼくもこんなに凄い景色見るの、はじめてだよ。ぼくはフィルト君に乗せられて、だけど、ぼく達は洞窟の奥まで来ていた。半ばフィルト君を追いかける形だったから偶然なんだけど、カナが言う通り、息を呑むような光景が広がっていた。フィルト君がやっと通れるぐらいの通路を抜けると、そこに突然広い空間が現れる。天井の方に亀裂があるらしく、白い光の筋が何本も差し込んでいる。そこから入ってきた雨水が、この広い空間に湖を創りだしているらしい。天井からの光に照らされて、湖の水面がキラキラと光り輝いていた。
『でもまさか、こんな場所に繋がってるなんてなぁ、想像できなかったよな』
『確かにそうだよね。フィルトとコット君が言ってる声しか聞こえないけど…』
『でも、それはそれでいいんじゃないですか? ニトルさんのトレーナが来たいところに、来れたみたいだし』
ずっと乗せてくれてた彼から降りたタイミングで、フィルト君はこう呟く。感嘆…、っていうのかな、そんな感じの声をあげていた。そんなフィルト君に続いて、二トルさんもこう感想を言う。だけど彼は何かが引っかかっているらしく、この洞窟に入ってからずっとこう…。洞窟だからズバットとか、イシツブテがいても良いと思うんだけど、それらしいひとの姿を全く見かけていない。言われてみれば、例の声以外、何も聞こえなかった気がする。だけどぼくはそんな事より、目の前の景色と例の声の事で頭が一杯だった。ぼく達は違うけど、目的は達成できそうだから、それで十分だと思った。
『だよな。ユウカも満足してるみたいだしなぁ』
『うん。…ねぇ、きみって、ここにいるの? 』
確かに綺麗だけど、本当にここにいるのかなぁ…。ここまで誰にも会わなかったし…。トレーナーの目的が達成できて満足げなフィルト君に対して、ぼくはこくりと頷く。見た感じユウカさんは、初めて会った時も持っていたスケッチブックを取り出して、何かを描きはじめている。彼女は画家だ、ってカナが言ってたから、きっとこの風景を絵にしているんだと思う。だけどぼくはそんな事は全く気にせず、どこかにいるはずの声に、こう呼びかける。洞窟の奥に来るほど声が大きくなってきたから、近くには来ているはず…。二トルさんにも分かってもらえたから、きっとそうだ。そう思いながら、辺りをキョロキョロ見渡してみた。
『…やっぱり、違うのか…』
『ううん…、ごめん…、わっ、わたしは…、ここにいるから』
やっぱり違うのかな、そう言いかけていたけど、それは叶わなかった、いい意味で。ぼくの呼びかけに答えてくれたらしく、洞窟に入った時から聞こえている声が、こう呟く。その声はぼくが思った以上に近くにいるらしく、初めてハッキリと聞き取る事が出来た。高さ的に彼女の声には嗚咽が混ざり、絞り出すような感じだった。
本当に近くにいたらしく、何かが水をかき分ける音も聞こえてきた。二トルさんは水タイプだから、彼が中に飛び込んだのかな…、一瞬そう思ったけど、彼はフィルト君を挟んだ隣にいる。なら何の音だろう、そう考えながら目を凝らしてみたら、案外早くそれが分かった。
『洞窟に入った時から声だけはきこえてたけどよぉ、やっと会えたな』
『でも、キミだけ…? ラプラスって、群れで生活する種族のはずだけど…』
『うん…。雨が降った時に、群れからはぐれちゃって…』
へぇー…、きみの種族が、ラプラスって言うんだ…。ぼく達がいる方に泳いで来てくれたらしく、やっとその姿を見つける事が出来た。薄明るい湖の奥から姿を現したのは、全体的に水色っぽい体で大きな彼女…。のりものポケモンって言われているらしいラプラスが、亀裂からの光に照らされていた。五メートルぐらいのところまで来てくれた彼女に、フィルト君がこう声をかけていた。その彼女は、少しだけ目が赤く腫れている…。嗚咽が混ざってるから、泣いてたのかもしれない。
『なかま、と? 』
『うん。夜だったから気づかなくて…。ずっと泳ぎっぱなしだったから、休んでたんだけど、その時に寝坊しちゃって…。おまけに知らないうちに洞窟に迷い込んじゃってたみたいで、水が少なくなってて…、出れなくなっちゃったの』
寝坊かぁ…。寝坊しちゃうぐらいなんだから、相当疲れてたのかもしれないね…。本当に泣いていたみたいで、嗚咽が混ざった声で彼女は語る。何があったのかはまだ分からないけど、ぼくは少し、彼女の事が気になり始めていた。寝坊っていう言葉に、何故か親近感を感じていた。
『出れなくなった…? 』
『うん。洞窟のひとに出口を訊こうと思っても、誰もいないし、食べる物も何もないし…。ずっと独りだったから…、寂しくて…』
ええっと、雨が降った時って言ってたから…。
『四日間も、独り、だったの? 』
『うん…。三回ぐらい真っ暗になったから、たぶんそうだと思う…』
四日間も…? 出れなくなった、って言ってたから、ぼくはてっきり数時間の事かと最初は思った。だけどよく考えてみたら、最近雨が降ったのは四日ぐらい前…。予想以上の長い時間に、ぼくは言葉を失ってしまった。小さいぼくから見ると、ラプラスの彼女はフィルト君ぐらいか、それよりも大きいと思うけど、この感じだとぼくと同じぐらいの歳かもしれない…。それなのにずっと独りだったみたいだから、相当辛かったんだろうなぁ…、ぼくは率直にこう思った。
『その間に何回か声は聞こえたんだけど、気付いてくれなかったの…。センターとかジムとかって言ってたから…、人間だったのかもしれないよ。…だって、そうだよね、わたし達の声って、人間には鳴き声にしか聞こえないもんね。だからわたし、嬉しかった』
ぼくは文字が書けるから伝えられるけど、普通はそうだもんね。ラプラスの彼女は涙でクシャクシャになってたけど、それでもこう語っていた。ぼく達…、いや、誰かと会えたのが相当嬉しかったらしい。おしゃべりなイグリーじゃないけど、次々と言葉が溢れてきていた。相変わらず嗚咽が混ざってるけど、彼女はここにいる
経緯を語ってくれる。その彼女の心情を表すかのように、隙間からの光が少しだけ強くなる…、そんな錯覚を、ぼくは感じた。
『誰かと話すの、な…』
「…様、こちらになります」
「お前ら、でかした。灯台下暗しとはよく言うが、まさにその通りだな」
「デルタ様の仰る通りです」
何日ぶりだろう、もしかすると彼女は、そう言おうとしたのかもしれない。だけどそれは、別の声によって遮られてしまっていた。人数までは分からないけど、たぶん五、六人かな…。今まで気付かなかったけど、別の通路から幾つもの声が聞こえてくる。二番目の声は最初の声に、流石、という感じで声をかける。他の声から様付けされてるから、もしかするとそれは上司かその類なのかもしれない。敬語まで使われているから、まさにその通りだと思った。
『フィルト君、この人達も…』
「デルタ…、まっ、まさか…、嘘でしょ」
『二トル! 』
『うん。解散したはずだけど、この名前…、間違いないよ! 』
「ゆっ、ユウカさん、どうしたんですか? 」
えっ、なっ、何? どっ、どうしたんですか? ぼくはこの人達もそうなのかな、って言おうとしたけど、それはできなかった。本当に何でかは分からないけど、スケッチブックに向かっていたはずのユウカさんの声に、ぼくの言葉は遮られてしまった。信じられない、っていう感じで声を荒らげている…、そう思っていたら、その近くからも焦った声が聞こえてくる…。ビックリしながらそっちに振り返ると、二トルさん、フィルト君も、彼女と同じような様子だった。彼らの中だけで通じる何かがあるらしく、少ない言葉でそれを確かめ合っている。顔を互いに見合わせたかと思うと、彼らは何故か戦闘態勢をとり始めていた。
「デルタ…、グリースは三年前に解散したはずなのに…」
「貴様、このお方に何という無礼を…」
『フィルト君、この人達、知り合いなの? 』
『知りあいっつぅーレベルじゃねぇよ』
『何でここにいるのかは分からないけど、真ん中の人は解散した組織の幹部…。僕達が旅を始めた頃にあった組織で、僕は一回だけ戦った事があるんだ…。カジノとか銀行を襲ってまでお金を手に入れて、希少な種族を手に入れるためなら手段を選ばないような組織だったんだよ』
『えっ? 』
そっ、そんな事までして…。そんな組織、どこかで聴いたような…。この人達の事を知っているみたいだったから、ぼくはフィルト君達にこう訊いてみた。警戒してピリピリした雰囲気になってるから、何となくそんな気はしてたけど、フィルト君は信じられない、っていう様子でこう呟く。それは二トルさんも同じ…、あの二トルさんが、唖然としていた。二トルさんがそこまで言うんなら、危ない組織、なのかな。ちょっとしたデジャヴを感じながら、ぼくはこう、彼らの方をハッと見た。
「誰かと思えば、四年前の決戦の時にいたガキか…」
「っていう事はユウカさん、この人達って、プライズですか? 」
「俺達をあのプライズの連中と同じにするな」
「つべこべ言わずに、そのラプラスを俺達に渡すんだ! 」
『わっ、わたし? 』
話を聴いた感じだと、絶対にそうだよね? つい昨日、そういう人達と戦ったばかりだから、これだけど聞いて、すぐにピンと来た。忘れっぽいカナも流石に覚えていたみたいで、その組織の名前を口にしていた。その彼女に対し、一番端にいた一人がこう声を荒らげる。別の一人がラプラスの彼女を指さし、同じく大声をあげる。突然指名された彼女は、えっ、と頓狂な声をあげてしまっていた。
「そうだよ! まさかカナちゃんがプライズの事を知ってるとは思わなかったけど、少なくともそういう組織だよ! …その服のロゴ…、プロテージですね」
「あぁそうとも。前の組織が解散してから、ボスの一声で再結集したという訳だ」
「なら話は早いです。エクワイルのアージェントとして…」
「エクワイル…、気に食わねぇー響きだ。ジョウトで軌道に乗ったところで、奴らのせいで壊滅寸前だ…。おまけにあのエーフィ使いの学者ときた…。一度だけでなく、二度も…。あの学者さえいなければ、プロテージは壊滅せず、ボスも失脚しなかったはずだ…」
えっ? エクワイルって、ラフさんのトレーナーが入ってるっていう、あの組織だよね? 国際警察の末端組織だって言ってたけど…。それに学者にエーフィって、もしかして…。…いや、絶対にそうだよね。うん、絶対にそうだ! 敵意むき出しの会話によって、ぼくの中で何かが次々と型にはまっていく…。まず初めに、エクワイルっていう組織…。これには、昨日塔で助けくれたラフさん達が入っている。それから、ちょっと前に会った、フィフさんとそのトレーナーもそうらしい。フィフさんはラフさんたちの事を知ってるような感じだったけど、同じ組織なら、知ってても不思議じゃない。それから、二トルさん達。トレーナーのユウカさんも、エクワイル、って言いかけていた。ラフさん達を紹介してくれたのは彼らだから、ここの繋がりは何となく分かってた気がする…。肝心なのは、あの人が言った、学者とエーフィ。エーフィといえば、ぼくの従兄弟のフィフさん。フィフさんはテトラさんと知りあいだし、ニトルさんもそうだって言ってた。フィフさんとテトラさんのトレーナーのライトさん、それから多分ユウカさん…、この三にんは、みんな知り合いで、同じエクワイル。だから、この人が言っている学者とエーフィは、絶対にフィフさんの事だ! バラバラだったピースがはまり、ぼくはこういう結論に行きついた。
「ユウカさん、わたしも戦い…」
「いや、カナちゃんには危険すぎるよ! 」
「でっ、でもユウカさん、相手は六人ですよ? 一人でも多い方が…」
「ううん、こういう組織の幹部は危険すぎる…。カナちゃんが敵う相手じゃない。それに、向こうの狙いはラプラス…。だからカナちゃん、二トルとフィルトも就いてもらうから、一緒に逃げてラプラスを守ってあげて! 私はツバキとクロムと時間を稼ぐから」
えっ、ぼくも戦うつもりだったんだけど…! そのつもりだったカナを制し、ユウカさんはこう声を荒らげる。その方が良いはずだけど、彼女は頑なにこう説得してくる。腰のボールに手をのばし始めた相手にチラッと目を向け、すぐにカナに戻す…。ラプラスの彼女も見ながら、力強く主張する…。その表情には、昨日の塔でのラフさん達と、同じようなものが含まれていたような気がした。
「ラプラスを…。…はい! コット、逃げるよ! ラプラスの君も」
『あっ、うん』
「お前ら、三人は奴らを追え。ドンカラス、お前も奴らを打ちのめせ」
ちょっと悔しいけど、これは仕方ないよね…。でも昨日よりは、マシ、かもしれない…。ぼくもカナと同じで、ちょっと渋った。けど、ぼく達はきっと、同じ言葉で逆の決心をする。昨日は守られるだけだったけど、今日は違う…。ラプラスの彼女を守るのもそうだけど、モチベーションは凄く高い。ぼくはあのフィフさんの従兄弟なんだ、その事が、ぼくに自信を与えてくれていた。その思いを胸に、ぼくは先に駆けだした二トルさん、それからカナに続く。後ろから羽ばたく音と、水をかき分ける音が聞こえてきたから、たぶんふたりも、後ろについてきている。元いた場所から澄んだ笛の音色が聞こえた気がしたけど、そんな事は気にせず、ぼく達は出口を目指し始めた。