ただあなたの役に立ちたい
夕方も開けた、見慣れているはずの門をまるで泥棒でもするかのように静かに開く。
「た、ただいまぁ・・・?」
はっきり言って、ラージアにとって今の状況は悪かった。今までにも夕方や、時には夜に散歩に行くこともあったが、そういったときにはすぐに帰ってくるよう言いつけられているのだ。しかし今はあと少しで丑三つ時という時間になってしまっているのだ。・・・原因は帰りに暗闇のせいで道に迷ってしまったことなのだが。
こんな時間にはなってしまったものの
師匠には自分が帰ったことを伝えようと、師匠の部屋へと数歩歩いた、その時だった。
「ファート様ならもう寝ているよ」
「ひゃぁあああ!?」
突然後ろから声が聞こえて、自分以外誰もいないと思っていたラージアは思わず叫んでしまった。
「・・・驚かせたことは謝るが、夜中に大声は出すな」
呆れたような声と共にラージアの視界に映ったのは黄色い巨体──エルトだった。
「ご、ごめんなさい、エルト様!」
慌ててエルトの方に向き直してから、しっかりと頭を下げて謝った。大声を出したことと、何より言い付けを破ってしまったことに。エルトは少し困ったような表情をしたが、すぐに少しぎこちなく微笑んでラージアの頭に手を乗せた。
「気にするな。何もなければそれでいい」
その言葉がどちらのことに対してなのか、あるいはどちらの事でもあるのかはわからなかったが、ラージアは全く気にせずにいることはできなかった。帰りが遅かったことに関しては何もなかったわけではない。
「・・・ありがとうございます」
とはいえその事をエルトに話すというのもラージアは避けたかった。ラージアは笑顔で感謝の言葉は言ったものの、結局リートのことは話さなかった。
「あぁ。わかったら早く寝ろよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
最後に寝る前の挨拶だけをすませると、エルトは足早に立ち去ってしまった。ラージアも自分の部屋に向かおうと歩き出した・・・が、少し数歩歩いてからまた立ち止まった。
疑問があった。何故エルトは最後に去っていく時に急いでいるようにしていたのか。何故エルトの微笑みは少しぎこちなかったのか。
何故ここにエルトがいたのか。
理由を付けようと思えばどれにもそれなりの理由は付けられる。眠たかった、普段あまり話すことのない相手だった、門の開く音が聞こえて見に来たから。しかしラージアは何か腑に落ちない様子だった。それはなんの根拠もない、ただの勘ではあったが。
今度こそ誰にも気づかれないようにと、エルトの後を追っていった。
ノックをすると、大丈夫だよという声が聞こえた。静かに扉を開く。大丈夫だとは言っていたものの、ファート様はまだ机に向かって作業をしているようだった。後ろ手で扉を閉め、二人きりとなったところで本題を切り出す。
「ラージャが帰ってきました」
そう、となおも作業をしたままファート様は生返事をした。しかし。
「ラミス家の者と会っていました」
その言葉を聞いた途端、まるで時間が止まったかのようにファート様は硬直してしまった。そんな状態がほんの数秒続いた後、今までとは全く違う低めのトーンで話してきた。
「それは、本当・・・?」
「はい。リート・ラミス、ラミス家の長男です」
「・・・」
そんな衝撃的な話を聞いたファート様はとうとう何も言わなくなってしまった。無理もない。自分の弟子が敵対関係にあるラミス家の者と仲良くしていたとなっては。
「どうされます?」
返事は期待していなかった。いや、されるはずがなかった。
一昔前、ファート様の弟子の一人にラミス家の男がいた。魔法の才能はずば抜けて高く、自慢の弟子だったという。しかし、彼はある日ファート様の研究していた禁術を知り、さらにそれを成功させてしまった。そしてその翌日、ラミス家の男は姿を消した。禁術の詳しい内容までは教えられてはいないものの、これは禁術の中でも極めて危険なもので、その効果はその者の子孫にまで継がれていくのだという。故にファート様はこのラミス家を監視し続けていた。もしも怪しい動きがあればすぐにラミス家を抹消することができるようにと、私のように実力を認められた者はこの事を聞かされていた。
「ラージャは・・・」
「まだ何も、二人ともただ友達として遊んでいるだけのようでした」
その真剣な表情から私が何か口出しするのはファート様の集中を削いでしまうだけだと察し、今はただ私が見た限りの二人の様子を伝えることしか出来なかった。
「エルト」
ピリピリとした緊張感の中、何かを決意したかのようにファート様が言葉を発した。
「二日後、東のラミス家を攻撃する」
私にはその決断の重さがわかった。ラミス家の攻撃、それは実質ラミス家の根絶を意味していた。そしてもしそれが失敗したとしてもラミス家はこの地を離れることを強いられることとなる。
それはラージャが友達をなくすことだった。ファート様はラージャを引き取ったあの日、希望の光を失っていた彼女を見て、ここにいる間は彼女には幸せでいてほしいと願っていたという。私たちも、本当は彼女と仲良く接することができれば良かったのだが、そうするには魔法が使えるかどうかということはあまりにも大きな壁だった。そんな彼女に出来た初めての友達。彼女の幸せを願っていた本人がそれを奪おうというのだ。
「・・・いいんですか?」
「いいきっかけだ。これで決着をつける」
「・・・わかりました」
もう決断したのだというようにはっきりとした口調ではあったが、それが余計に勢いで何とかしようとしているように思えた。
何を言ってももう無駄だと悟り、私は部屋を後にした。
扉を開ける直前、廊下で物音がしたように思えたが誰もいなかった。
廊下は走るな。そんなことはここに来てすぐに教えてもらったのに。それでも今の私にはどうでもいいことだった。リートが危ない。でも、何が出来るの?師匠を説得する?いや、私ひとりが何を言っても駄目だろう。私とリートが会ったのはつい最近のこと。それに対して師匠がリートたちに目をつけていたのはそんな短い時間じゃないと思う。何も知らない私が説得なんて無理に決まってる。なら、エルトたちに協力してもらう?駄目だ。ここでは師匠が絶対。それに、私なんかより師匠のほうがずっと信頼されている。協力なんかしてくれない。直接リートたちに話して逃げるように言ってみる?いや、残りの時間までにリートに会えるかどうかもわからないし、行って話したところで信用してくれるだろうか?信用してくれたとしても、すぐにこの地から離れるようなことが出来るだろうか?やっぱり駄目。この間リートは家族みんなこの場所がお気にいりなんだと言っていたばかりなのに。
どれだけ考えたところで解決策は出てこない。私ひとりの力では何も出来ない。悔しくて、でも諦めることも出来ないで、でも何も出来なくて・・・。師匠の部屋から十分離れたところでようやく走ることをやめて、壁に手をついて下を向いて息を落ち着かせようとした。すると前から誰かが近づいてくる気配を感じて、すぐに頭を上げる。
「リル様・・・」
そこにいたのは、ちょっとだけ驚いた顔をしたリルだった。でも私が顔を上げた瞬間は笑っていたような・・・
「ラージャ、今帰ってきたの?」
いや、きっと私の気のせいだろう。そのままの様子でリルは続けた。
「随分急いで帰ってきたね」
ハハっと、今度は軽めの、いつもの調子で笑った。
「あ、いえ、そうです」
明らかに動揺していたが、それには触れないで話は私が魔法を使ったときのことに変わった。
「そういえば、こないだ魔法を使えたんだって?」
「え、はい、師匠のお陰で」
「ってことはあの黒い星が何かあるの?」
黒い星、恐らく私が飲み込んだあれのことだろう。しかし、いつ見たのだろう。
「そうですね。あれのお陰で私にも魔法が使えて」
「へー、そりゃすごい。やっぱりさすがだね」
正直、今の私にそんなことを話している余裕なんてなかった。早くリートを何とか助ける方法を考えないと。それだけで頭がいっぱいだった。だったのに。
「そういえばファート様の部屋にあれの一回りでかいのがあったな」
「・・・え?」
私が飲み込んだ、あれのさらに大きなもの。そんなものがあったなんて、そもそもあの黒い星がひとつだけじゃなかったなんて。よく考えてみれば二つ以上あっても、というより研究のためにも二つ以上あるのは当たり前のことだし、何もあの大きさだなんて決められていたわけでもない。なのに全く考えたことがなかった。
「あれならそれなりに強い魔法が使えそうだね」
実際に見たのを思い出すようにしてリルは続けていたが、あまり聞いてはいなかった。
「ま、俺にはあんまり関係ないことだけどね。じゃあ、おやすみ」
言いたいことだけ言うと、私が挨拶を言い返すよりも早くその場を去っていってしまった。
取り残された私には、あるひとつの考えが浮かんでいた。師匠を説得することも、説得を協力してもらうことも、そしてリートたちを逃がすことを出来ない。もう師匠とリートたちの衝突は逃れられない。そしてそうなればリートたちが師匠に敵うはずがない。負けてしまう。それに師匠たちも無事で済むこともないだろう。
全部、私が招いたことだ。
私のせいだ。
それなら・・・
ふっと目が覚める。どうやら机に突っ伏したまま眠っていたらしい。明け方までずっと考え事をしていたせいだろう。考えていたことは勿論ラミス家、そしてラージャのこと。まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。
ラージャとリートが出会っているということを知ってまず最初に考えたことは、ラージャのこと。きっと彼女は何も知らないで会っていたんだろう。そして私がラミス家にしようとしていることを知れば当然止めようとするし、悲しがることだろう。初めの頃は、成り行きで迎え入れたようなところもあって彼女のことを優先的に考えるなんてことはまずなかった。それなのに今となっては悲しませたくないということだけでこんなに悩んでいる。これが親心なのかと馬鹿げたことを思いながら少しずつ覚めてきた目で部屋を軽く見渡し、そしてあることに気がつく。
ドクンッ、と心臓が締め付けられるような感覚に陥った。
部屋の魔力の結晶がどこにもなくなっていた。