Episode2『自由進化』
side―なし―
ここはオーキド研究所の庭。
森も含んで壮大な面積を誇る敷地で一人の老人―オーキドが長い旅路に出ようとする愛孫の後姿を眺めていた。
その愛孫の後姿は遠ざかって行き、徐々に視界に映る姿も小さな物になっていく。
「…頑張るんじゃぞ、リーフ」
孫の門出を祝うかのように…でも、どこか寂しさを漂わせる声でポツリと呟く。
そして、心の奥底には今まで人と関わろうとせずに唯…一人で居続けた彼女に対しての憂いの気持ちが彼の心を蝕んでいく。
だが、今回彼女には新たな仲間で初めての友達になったトウヤとメイが傍に居る。
それは彼女にとって初めて出来た友達で、彼女の祖父―オーキドにとっては彼女を照らしてくれる光のような存在…。
「そうじゃ、もうリーフは一人ではない…。だから、心配は何もいらないんじゃ…。それに、もう少しで彼奴が来るかもしれんから…準備をしておかないといけないかもしれないのぉ…」
フッと目を細め、リーフ達の後姿が見えなくなると同時に踵を返して研究所の中へと戻っていった。
これから訪れてくるであろうヒトカゲを受け取りに来る少女の姿を脳裏に思い浮かべて…。
時間帯はすでに正午を回っていた。
それを示すかのように、外で遊んでいた子供達は空腹に襲われ、其々の家へと繋がる帰路を走っていく。
オーキド邸ではポケモン達の餌を求める鳴き声が飛び交い合い、それに気付いたオーキドの助手が忙しなく餌の準備を行っていく。
其々が昼食の準備などに追われる中、ある一軒家で一匹の進化ポケモン―イーブイがまだ夢から目覚めようとしない主人を起こす為に部屋の中へと入っていく。
カーテンで光が閉ざされた部屋の中で気持ち良く眠る少女―クリアの姿があった。
「ふにゃぁ…」
幸せそうな鼾をかきながらも、大の字になって眠るクリアの周りには皺くちゃになったタオルや毛布などが散乱していた。
「ブイィ…」
そんな寝相が悪いクリアに対して大きく溜め息を付くイーブイ。
だが、クリアと長い付き合いであるイーブイにとってそれはもう日常の光景の一つであり、どこか諦めた表情を浮かべると主である彼女を起こす為に床を思いっきり蹴って飛び上がる。
空中へと舞い上がったイーブイはクリアの腹部へと狙いを定めて勢いよく落下していった。
「―――ごふぅぅ!!」
ボキッと言う鈍い音と同時に目覚めたクリアから痛々しい悲鳴声が上がり、痛みの余りに上半身を起こす。
「げほっ…げほっ、痛いからやめてよブイ!」
彼女は激痛を訴えるお腹を優しく擦りながら、起こした張本人であるイーブイを「むぅ〜」と頬を脹らませて睨み付ける。
彼女が付けたニックネームで自身のポケモン―ブイの名を口にする。
「ブイ…!」
ブイはそんな彼女に対して満面の笑みを浮かべ、近くに転がっていた目覚まし時計を取りにテトテトと走っていく。
「ブイ…どうしたの? 目覚まし時計なんか咥えてきて…」
目覚まし時計を口に咥えて戻って来たブイに小首を傾げるも、
「あれ、今ってもう十二時なんだ…」
その時計の針が指示した数字を目にした瞬間に彼女から血の気が引いていき、額から幾つ物冷や汗が流れ落ちていく。
「――って、もう約束の時間が過ぎてる!?」
そう、今年で十歳を迎える彼女は今日の朝にオーキドから初心者用ポケモンの一匹―ヒトカゲを受け取り、旅に出る予定であったのだ…。
だが、時間の針は十二時を指しており、彼女がもう遅刻している真実を伝えてくる。
「急がないとぉ――!」
身支度を済ませる為に慌ててベッドから飛び降り、一階へと向かうクリア。
そんなお寝坊さんな主に苦笑を浮かべ、散乱したベッドの上を綺麗にしていくブイ。
最後にカーテンを開いて、太陽の光が一つの光柱となって薄暗かった部屋へと入り込む。
ブイはその眩しさに目を細めながも、晴れ晴れとした空を黒い瞳に映して微笑んだ。
「ブイ!」
今日は心に残る旅立ちの日になりそうだと…。
side―シオン―
「ついたね、ニャース…。オーキド博士の研究所だよ」
「ニャァ…」
私達は今、オーキド研究所の門口まで来ていた。鉄柵の門は閉じられており、その奥にある大きな研究所を見て唖然とする。
その研究所の所有する敷地の広さを目前にして、脳裏には懐かしき思い出が蘇ってくる。
「アララギパパ博士の研究所と同じ位に敷地が広そうだから迷子になっちゃうかもしれない…。だから、今度は気をつけないと…」
そう、昔にお父さんの友達であったアララギパパ博士の所に遊びに行っていた事を思い出してつい本音が表に出てしまう。
あの頃は、まだ四歳で幼かったから良く草原の中を駆けまわって、迷子になったり転んだりしては泣いての繰り返しで博士やお父さん達に迷惑かけていたなぁ…。
それに他にも…。
「コォ―ン…!」
思い出にふけていると、オーキド研究所の庭の方から一匹のポケモンの悲鳴が聞こえてくる。
私達はその行き成りの悲鳴に驚愕するも、声が飛んできた方向に視線を移すとその先には広大な面積の湖が視界に映る。
それはオーキド邸の中に敷かれた一つの水ポケモン達の居住エリアみたいな所だと判断でき、その中央で一匹のポケモンが溺れていた。
そのポケモンは胴体が茶褐色の毛で覆われ、それよりも濃い茶色の毛で覆われた二本前足を水面上でばたつかせて何とか上半身を浮かび上がらせている状態であった。
「―えっ?」
私はその余りの出来事に脳裏で混乱の渦が巻き起こるも、直に私達の存在に気付いたそのポケモンがダークブラウンの瞳でこちらに助けを求めてくる。
その弱り切っている瞳を目にして、周りにポケモンや人が居ないか辺りを見回すも気配すら感じられない。
「コォォォ―――ン!」
助けを求める声は一層強くなるも、それに反してポケモンの小さな体躯が次第に沈んでいく。
「どうしよぅ…」
困り果ててオロオロしていると、その情けない姿に苛立ちを感じたニャースが私の前に立って自慢の爪を鋭く尖らせて門口を鋭い瞳で見つめた。
「まさか門口を破壊するなんて言わないよね…ニャース…?」
私はそのニャースの行動から彼が門口を壊して助けに向かおうと考えているのではないかと思い、不安な表情になって問う。
ニャースは深く頷くと、鉄柵の門を粉々に切り裂いてポケモンの救助に向かって行く。私の「止めて…」と言う制止する声も聞かずに…。
「あぁ――もぅ、ニャースったら…!」
忠告を聞き入れない自身のポケモンに頭を抱えるも、一瞬オーキド博士を呼ぼうかと思考する。
でも、目前には粉々になった鉄柵の門の破片が彼方此方に散乱しており、伝えるとこれがばれてしまう。
だから…、
「後で良いよね…」
怒られると不安になり、現実から目を逸らす。
心の中でオーキド博士に御詫びしつつも、溺れる一匹のポケモンの元へと向かって走るのであった。
side―クリア―
「やばい、遅刻だよ…ブイ。もっと早く起こしてくれたらこんな事にならなかったのに」
オーキド研究所へと続く道を走りながら、肩に乗せているブイに対して非難の声を上げる。
だって、もっと早く起こしに来てくれてたら間にあうのは確実だし…。
文句を言い続ける私にブイは怒った表情で睨んでくる。
「うぅ…、なんで睨むのよ。全部私が悪いって言いたいの…」
「ブイ!」
その言葉に断言してくるブイ。そして、背中などに負っている痣などを見せ付けてきた。
私はその幾つ物傷跡を目にして一瞬誰が遣ったんだと思い腹を立てるも、昼間に腹部に受けたダメージで苦しむ私にブイが満面な笑みを浮べていた事を思い出してある答えに辿り着く。
「もしかして、それ…私の寝相の悪さが原因で付いた痣とか…」
「……ブイ!」
力強く頷くブイ。
そう、私は寝相が結構悪い方で時たまに起こしにやってきたブイに対して蹴りを入れたり、挙句の果てには布団をブイに投げ飛ばしたりしていたらしい…。まぁ…、本人に聞くまでは分らなかったけど…。
だから、あの笑みは私が痛がっていた所を見て純粋に喜んでいたのは間違いなく、先程の攻撃は今までの私に対しての積年の恨み。
そして、あの幾つ物痣は最近出来た物…。だと言う事は、今日の朝に起こしに来たブイが寝相の悪い私から受けた傷…。
「でもさ、そんなの記憶に残ってないし…。ましてや、わざとじゃないから不可抗力だと思うんだよ…意識がないからね。――うん!」
「……」
―わざとじゃない。
私自身に対して非がない事を強調するかのように被害者であるブイに力説していく。そんな私に冷たい視線を向けるブイ。
なんだか…、お前本当にそう言えるのかって感じな視線を送ってくる。そう言えば、過去にも思いっきり蹴飛ばして二階の窓から地面に落下させた事もあったけ…。
「御免なさい…」
その事を思い返すと妙に心が痛み、素直に謝ってしまう。ブイは諦めのついた表情で頷いてくれた。
そうこうしている間にオーキド研究所が見えてくるも、良く目を凝らすと門が無残にも破壊されているのが理解出来た。
どうしたんだろう…。
「泥棒でも侵入したのか、とにかく急ぐから確り捕まっててねブイ!」
「ブイ!」
心の中で複雑になりつつも、走る速度を上げる。
オーキド博士達、大丈夫かな…。
私達は今、溺れているポケモンを助ける為にオーキド邸の湖エリアまで遣って来ていた。
「無理、助けられないよ…」
でも、いざ溺れている子を目前にすると臆病風に吹かれてペタンと地面に座り込んでしまう。
折角、臆病な自分を変える目的で勇気を振り絞って、カントー地方に旅立ってみても直にこの様だ…。
「ニャァ……」
ニャースは困り果てたように鳴き声を上げて見つめてきた。でも、完全に弱腰になった私はそのニャースから逃げる様に視線を逸らす。
―――その刹那。一人の少女が風を切るかのように横切った。その右肩には茶色い毛皮を身に纏った一匹のポケモンが乗っている。
少女は座り込んでいた私に目も暮れずに、
「―行くよ、ブイ!」
溺れている子を救助する為にパートナーに指示を出す。そのポケモンはやる気一杯で、自信ありげな表情を浮かべて地面に飛び降りた。
「待って、せめて水タイプのポケモンがいないと…」
私はそのポケモンが水タイプでは無いと感づくと、制するような言葉を彼女に投げた。
その少女は私の存在にようやく気付いたのか、小さくニッと笑って振り向いてくれた。
「心配しないで…」
彼女がそう口にすると、黒かった瞳が薄紫がかった白色に染まっていく。
「必ず私が…」
それに呼応するかのように茶色い毛のポケモンが全身に光を身に纏い、両耳や尻尾が魚の鰭や尾鰭の形状に変化していく。
「――助けるから! 行くよ、ブイ」
人魚を思わせる姿へと進化を遂げたポケモンは湖に潜り込む。水中を自由に泳いで、直にその目的のポケモンを助け出す。
そして、褒めてほしいのか主人である少女に近寄り、甘えるような瞳で見つめる。
「お疲れ様、ブイ。もう戻って良いよ、まだその姿には慣れてないだろうし…」
彼女はブイを抱き上げてそっと頭を撫で始めた。
労いの言葉に一言鳴き声を上げると、再度眩い光を身に纏って今度は先程の愛くるしい姿に戻ってしまう。
「あなたは一体…?」
私はその非現実的な光景を目にしてしまい、先程までの恐怖心がどこかへと吹き飛んでしまった。
ニャースも驚愕の余りに目を丸くしている。
「うん…? あぁ、私はクリア。君は…?」
クリアがブイの頭を撫でていた手を止め、自己紹介をしてくれる。
「わ、私は…シオン」
私もまた彼女の元気な声音に少し吃驚しながらも、答える。
――自由自在にポケモンを進化・退化させられる少女…。私はその不思議な力を扱う少女に一種の憧れを抱き始める。
この子と旅を一緒に出来れば、駄目な自分を絶対に変えられるのではないかと都合の良い願望を胸の奥底に抱くのであった。
―to be continued―