過去の記憶と壊音の霹靂(2)
「見殺しって…どういうことかな?」
先生は驚きの余り目を見開く、少年は一度小さく頷くと続けた。
「……僕の家は昔から代々伝わる名家と呼ばれる所だったらしくて…そこで両親と使用人さん達と暮らしていました。」
「ほぉ、名家……それは凄いな…因みになんて姓なんだい?」
「姓……ですか?」
「あぁ、名字のことだよ、私だったら桜咲(おうさき)って言うように君にもあるだろう?」
「名字……。」
少年は近くから木の枝を拾うと、カリカリと地面に書き始める。そして書き終えると桜咲にも見えるようにその場を離れた。
「……これが君の……。」
「はい……姓は八雲…名は虹……八雲虹(やくもこう)…これが僕の名前です。」
「そうか……やっと君の名前が分かったよ…今まで君、としか呼べなかったからね、それにしても八雲ってなんかかっこいいな。」
桜咲先生は八雲の頭をポンポンと軽く叩く、アブソルは地面に書かれた自分の名前をじーっと見ていた。
「八雲……虹……これが僕のアブソルではない本当の名前……。」
「あれ?この名前ってもしかして嫌だった……とか?」
桜咲は八雲が無反応なことから何か不満があるのではと戸惑う、八雲はそれを聞くと慌てて弁解した。
「いえ!そういうことでは……その…かっこいいと褒めてもらったことなんて始めてだったのでどう反応したら良いのか分からなくて……。」
「あぁ、なるほど…ごめんね…話逸らしちゃって…それで八雲君…一体何があったんだい?」
「えっと…どこから話せば良いものか…。」
八雲は過去を話し始める。アブソルも近くに寄ってしっかり聞き漏れのないようにするがふとコオォという違和感ある音に気付く。
「この音……なんだ?」
アブソルは音の方に顔を向ける。瞬間…黒の影が勢いよく押し寄せ、アブソルを包み込んだ。
「そんな!?、これから僕の過去が分かるのに!」
アブソルは必死に戻ろうともがくが抵抗虚しく、潮の流れのようにアブソルを流していった…再び別の場所へ勢いよく落とされる。
「うぐっ!?……着地…失敗した……。」
背中の痛みにもがきながらアブソルは立ち上がり、周りを確認する、そこは木の家だった、どうやらここはその一室らしく、下は畳、前には掛け軸があったりと和を感じる所だった。
「あれは僕が四歳だった時でした……。」
「僕の声…どこから!?」
アブソルは虹の声が聞こえる方向を探す、だが響くように広がるため、場所が特定できない。アブソルに語りかけているようだった。
「……今度は先の未来じゃなくて更に過去に飛ばされたのか…。」
アブソルは虚数の天井に声を掛ける……が返事はもちろん無い。
「お父さん!お願いします!」
「ハハッ!虹は今日も元気だなぁ…よし!父さんも負けないぞ!」
「えっ!?」
父さん、と言う言葉を聞いた途端、アブソルは勢いよく後ろを振り返る、そこには更に小さい虹ともう一人……。
同じ白の髪と穏やかさが現れる目をもった父がいた。
「あれが……僕の……。」
アブソルが父を見つめる中、小さい虹は木で作った薙刀を持って父に真っ直ぐ突き刺す、対する父は片手の木刀であっさりと受け止め、一回転すると虹の動く方向を変えてしまう。
「とと………あれ?」
「受け流しただけだよ、さぁ、どうするかな?」
「ううっ……ならばこれで!」
虹は再び薙刀を構えると今度は横に振り始める、父はほぉ、と一言呟くと軽い身のこなしでサッサッと避けていく、たまに上から木刀を叩きつけ、薙刀の勢いを殺すこともあった。
「早い……でもあの動き……どこかで見たような……?」
何度か振った所で虹の息が切れ始める、薙刀の振りも気がついたら雑になってきていた、父はそれをみると虹の薙刀をまた躱し、右前へ前転する。
「よいしょ!」
「えっ!?」
そして同時に木刀を振り、虹の左足に軽く当てる、虹は見事に体制を崩し、前へと転んでしまった。
「しまっ……!」
慌てて体制を整えようとするが起き上がろうとした所で喉元に剣先を突きつけられる、完全に虹の負けだった。
「あれは…ヘラクロスさんとの試合でやった動き…父さんから覚えていたのか。」
「はい!そこまで!お父さんの勝ち〜♪」
父と虹の声ではない…高い声が響いた、声の方向をみると一人の黒髪の長い美しさ溢れる女性が腕を組んで立っている。後ろでは緑の服をきた二人の使用人らしき人がタオルと飲み物を持っていた。
「あの人……まさか!?」
アブソルはその黒髪の女性の顔をよく見る、虹と同じ青い目をしていた。
「お母さん……見てたの?」
「時雨(しぐれ)……いつの間に……。」
「二人共集中しすぎ、お茶とタオル持ってきて貰ったよ、ちょっと休憩したら?」
時雨と呼ばれた女性は使用人にお願いと言うと虹の前で腰を下ろす、すると何故か虹の頬を摘み、むいーんとのばし始めた。
「おはーはん……ひひにいふぁい(お母さん……地味に痛い)。」
「ふふっ、柔らかい♪…はいタオルっと。」
時雨はふにふにを楽しんだ後、虹の頭にタオルを置く。
「そ〜れワシワシ〜♪」
「ちょっ!?お母さん…1人でできるよ……。」
「ダーメ、まだ虹は四歳だからもっと甘えちゃっても良いのよ?」
「えぇ……。」
時雨は虹が甘えてこないので寂しかったらしい…ギューッと虹を抱き寄せる…虹はされるがままの状態だった、これが僕か…とアブソルは近くで見ていて情けなく感じてしまう……。
「滉陽(こうよう)様…こちらを。」
「あぁ…すみません…いつもありがとうございます。」
父は滉陽という名前らしい…使用人からタオルをペコペコ頭を下げながら受け取ると自身の汗を拭き始めた。
「…僕は強くなりたかった……でもその理由は分からなかったんです…。」
「え?」
再び虹の声が上から響いてくる。
「何故強さを求めるのか、それは正しいものなのか…心当たりなんてありませんでした、気がついたら求めているのです…守らなくては…と、いつしか僕はそれを本能かのようなものだろうということで収まっていました。」
「強さを求める……理由か……。」
アブソルも強さとは何か考え始める……がやはり正解など分からなかった…。
「お父さん!今日はどうだったかな?僕の動き、前よりは良くなった?」
「あぁ、冷静に場を読んで動けるようになったな、機転の回し方が早くて父さんもおどろいたぞ。」
「負けたけどね……ハハッ……。」
「虹……負けから学べることだってたくさんあるんだぞ?大切なのは敗北した理由を考え、次にどのようにしていけば良いか、勝利だけが全てじゃないんだ。」
「うん!」
「あらあら…お父さんにしては珍しく良い事言ったわね。」
「時雨様…滉陽様の言葉…どこかで聞いた覚えが…。」
使用人の一人がそういうと時雨は慌てて右手を自身の口に当てる。
「静かに、言っちゃダメよ?これ昨日の昼ドラのセリフだってこと。」
「お母さん……バッチリ聞こえてる…。」
無駄だった、使用人さんはまだ小さく声をおさえていたので隠すのは完璧だったのだが時雨の声は滉陽にも聞こえるように逆の完璧で聞こえてしまっていた。
「うぅ…私の威厳が…。」
そのせいで滉陽は今精神を軽くやられ、ありふれた悲しみの果てに浸っている……。さっきまでのカリスマが見えたのは幻か……。
「あらら…ごめんね、お詫びに今日の夕食は二人の好物、コーン入りのシチューにするわよ!」
「本当かい!?時雨!」
「「復活が早い!」」
滉陽は夕食で釣られた、過去の虹と口が揃ったアブソルはため息も吐く…分かってしまったのだ…自分の父は肝心な所以外ポンコツだった…と。
「わ〜いやったぞ!、今日はご馳走だ〜♪」
「あの…それ…僕のセリフ……。」
こんな子供っぽい言葉を吐いているのは虹ではない……滉陽だ……お父さん……しっかりしてくれ、過去の僕はもう四歳にして父のみっともない姿を見て苦笑いしか浮かべてないよ…アブソルは心の中で早く気づけと強く思っていた、見ているこっちが恥ずかしい…。
「お父さんは小さい頃から自衛隊への練習に面白半分で参加し、更にはついて行ったらしく…様々な武器の扱いを知っていました、使用人さんからそれを聞いた僕はそれでお父さんに強くして欲しいと頼んだのです…最初はお父さんも驚いていましたが…快く受け入れてくれました。」
響く方の虹の声を聞くとアブソルは滉陽だけに視線を向ける。
「自衛隊の練習に行くのもどうかと思うけどついていくなんて…剣の扱いも上手いし…まさか僕のお父さん結構凄い人なのか!?」
しかし目の前には未だにはしゃぐ滉陽の姿……。
「…………そうは見えない……。」
アブソルは苦笑いした、虹の声は続く。
「お母さんはいつも優しく支えてくれる人でした、毎日寝るまで本を読んでくれたことは昨日の事のように思い出せます…。」
今度は時雨に視線を向ける。
「……へぇ…毎日か…家事もあって疲れるだろうに…。」
「因みに読んでくれた本は絵が5ページくらいしかなく文字がたくさんならんであるページが多くて…50ページ位で僕は寝ていました。」
「お母さん……それ幼児の本じゃない…小説だ……。」
アブソルはいつ僕はビリー・ザ・キッドの本を読んでもらったのだろうとつい疑問に思ってしまった…あの本以外小説だったのでは…そう考えると自分の想像力は大層豊かだろうなとアブソルは考えていた。
「とても幸せでした、使用人さんは沢山いるけどみんな優しくて…大人数の家族みたいで…毎日こんなんだったらなぁ…って思っていました。」
「うん…僕もそう思うよ。」
アブソルがそう呟いた途端、周りの空間は暗闇に一瞬で飲み込まれる、また場所が変わる。
「でも、この日の夜……その願いは一生叶わないものとなりました……。」
「…………。」
アブソルは夜になった外を2階の窓から見る、沢山の使用人さん達が外で寝ている……否、倒れているのだ、その身体は赤く染まっており、全員ピクリとも動かない。
「……一生叶わない…か…。」
アブソルは嫌なくらい冷静だった。おそらく自分が意識だけなので何も出来ないと分かりきっていたからだろう、アブソルは虹と両親を探しに部屋をすり抜けて出ていく。
「……ここもか…。」
家の外だけではない…中も死体でいっぱいだった…その中で一つの死体がアブソルの目を引く。
「ッ……!、父さん…。」
そこには見るも無残な滉陽の死体が転がっていた、拳銃で何発も撃たれたのだろう…身体中穴だらけだった。
ガサッ!……ガコンッ!
「!?」
アブソルは物音の方向に視線を向ける、スーッと開いた障子をからは3人の見知らぬ男が服を血で染めながら出てきた。
「…これで全部か?」
「多分な。」
「結構殺しましたよね……ハハッ。」
全部…とはおそらく父達の事だろう、金目のものでは無い…殺すことを目的に行った無差別な殺人……。
「笑ってられるのも今のうちだ…三人の顔は覚えた…いつか……必ず殺す!」
アブソルは感情が揺らぎ、男達…快楽殺人犯に叫ぶ…その声は届くことはないと分かっていながらも。
「んでどうするよ?、これ?」
「放っておいたら警察にバレるからな、証拠の隠滅をするぞ。」
「あ、じゃあこれで、木造の家だからよく燃えますよ。」
敬語で話す男はライターを付け、思い出…代々受け継がれてきた大切な家に火をつける、火はどんどん木に移り、燃え広がる。
「離れるぞ、俺たちも巻き込まれる。」
「ですね、死体も燃えてますし、証拠は残らないでしょう。」
「チッ…もっと手応えあるヤツいねぇのかよクソが。」
「そう言いつつも一番撃ってますよね…。」
「まぁな…新しく調達したこれを試したかった。」
「それ結構レア物の銃だからな…話はここまでだ、行くぞ。」
「あぁ。」
「はーい♪」
男達は近くで用意していた車で走り去っていく、アブソルは親の仇が乗っている車を夜の闇に消えるまで睨んでいた…悔しさを噛み締めて。
バキン!
「ん?」
木が崩れるにしては大きな音に違和感を感じ、後ろを振り返る、虹が立っていた、壁を拳で突き破ってきたらしい…物置から出てきたことから考えるに、両親からここに隠れているようにと言われ、閉じ込められてしまったのだろう、その握りしめた手からは血が止まらない……父の変わり果てた姿を見て涙も止まらなくなる。
「お父さん……ごめんなさい…僕が…僕がもっと強ければ……。」
家は炎によってどんどん崩れていく、虹はせめて遺体だけでもと滉陽の身体を引っ張るが力が足りない…虹は使用人と滉陽を見渡すと、泣く泣くそれを諦めて我が家から離れていった……瞬間、その家は家族と共に形を保てず崩れさり、跡形もなくなっていく。
「……お母さんの遺体は見つけられませんでした…一緒に燃えてしまったのでしょう…僕は近くの森に身を隠し、悲しみの涙をその日、延々と大声で上げていました…思えばこれが…僕の産声以外の始めての悲しみを含めた涙だったかも知れません……。」
「…………くっ……。」
アブソルも我慢の限界だった…使用人さん達だけでも悲しいのに父までも……更には母は遺体すら見つからない…殺された怒りを忘れ、森へと走る虹を追いかけることなく、アブソルは未だに燃え続ける我が家の前で座り込み、静かに冷静を捨てて涙を流す。
「……戦える力を持っていたのに……僕は親に守られていた?…あいつらの声を聞いてそれに怯えながら…ただ死への恐怖で動けなかったというのか……?」
アブソルは自身の拳を地面に叩きつける。
「冗談じゃない!こんなに悔しいことがあってたまるか!こんなのって……こんなのって……残酷過ぎる……!」
「僕は……弱かった……そのせいで……帰りを待ってくれる家族も……死んでしまった……。」
「本当に………見殺しだ…僕は…家族を見捨てた…一人の弱い人間だったんだ……。」
アブソルは心が整理がつかないまま、再び暗闇に連れ去られた。