01
梅雨空は正直、あまり好きではありません。
どんよりとした空は、さまざまな雨を降らし、
そして、さまざまな生き物に、水の恵みを与えます。
しかし、その反面、さまざまな災害も、引き起こします。
水の恵みは好きです。
でも、だからといって、雨ばかりは嫌いです。
でも、梅雨は嫌いではありません。
草タイプのポケモンですから。
でも、梅雨の雨は、好きではありません。
長く降り続ける雨は、私を暗闇に閉じ込めるから。
そして、それは昔を思い出させるから。
「今日も、雨かぁ」
音も立てずにさらさら零れ落ちる小雨。
そよ風に吹かれ、流されたそれは、しっとりと頭上の葉をぬらしていた。
「大丈夫? 寒くない?」
視線をやや後方に向ける。
そこには、もう一匹の私がいた。
「……うん、大丈夫、むしろ涼しいよ」
しっとりとぬれた口元をほころばせる。
気づいたときから、私たちは一緒だった。
生まれたときも、悲しいときも、うれしいときも。
何もかもを、わけあって、生きてきた。
そう、私たちはチェリンボ。
桜の木に実をつけるさくらんぼのようなポケモン。
「浮かない顔、してるね」
穏やかな口調で話しかけるもう一人の私。
「別に? 毎日雨だから、少し憂鬱なだけ」
私はごまかした。
「……」
それを知ってかしらずかもう一人の私はそれ以上は追及しなかった。
そう、私たちはずっと一緒だけど、お互いのことを全部はわかっていない。
私たちは背中合わせで生きている。
だから、お互いの顔を飽きるほど見たことがない。
言葉も、真正面から交わすことなんて、ほとんどない。
「……ねぇ、私のこと、どう、おもう?」
私は言葉を出した。
「……? 君は、君なんじゃないの?」
相も変わらず、同じ口調でもう一人の私は言葉を返した。
「ちがうの、その……」
口ごもる。
「……?」
不思議そうにもう一人の私が声をあげるのが聞こえた。
それこそが、私の疑問。
生まれて、ずっといるのに、
どうして、こうも伝わらないのだろう?
どうして、あなたの考えていることが、何もわからないのだろう?
「……やっぱりいい」
少し考えて、私は答えを出した。
「……」
もう一人の私は何も言わない。
それが、どんな表情をしているのかわからない。
それが怖い。
「……」
背中に大粒の雨を感じた。
雨はいつの間にか激しさを増し、大地に降りしきる音を響かせる。
「今日はやみそうもないから、寝るね」
草タイプのポケモンがいう言葉じゃないように思う。
沈黙がいやだからという逃げ口上だった。
「……僕は、もうちょっと雨に当たっていたいな」
「……え?」
それは予想していない言葉だった。
「もう少し、おしゃべり、したいな」
それは勇気を振り絞ったような言い方。
「ねえ、その……いい、かな?」
はじめは驚きしかなかった。
その次に湧いたのは、
うれしさなどではなく、嫌悪だった。
「なんで……そんな言い方するの?」
まるで他人のような態度に、私は苛立ちを抑えられなかった。
「……」
もう一人の私はそれに何も言わなかった。
「答えてよ!」
わかってる。
こんなことをいえば困ってしまうことは。
でも、それでも、
知りたかった。
「いやだよ……! わからないよ……!」
チェリンボというポケモンは、二つの意志がつながったポケモンだ。
だが、進化後のチェリムは、一つの意志のみのポケモンだ。
それが指し示すこと、
「……わかるんだ、日に日に私の後ろが軽くなっていくことが」
まだ私自身が何も考えていなかったころ、
早く大きくなりたいと思っていたころ。
何も考えずに、それを、振りまいた。
それでも、私は何もいわずに笑ってくれた。
恨み言も何も言わずに、答えてくれた。
「わかってるんだよね? 私が、わかってるくらいだから……」
雨は強くなり、背後にいる彼の息遣いも、その音で感じ取れない。
「……ねぇ、答えてよ?」
地面を打ち付ける雨音は、焦燥を呼び起こす。
私だけが、ここに残されているような。
「いやだよ……一人にしないでよ……!」
どうしようもなく、怖かった。
「……ねぇ、君は、僕のことを、どう、思っていたのかな?」
不意に、そんな言葉がかけられた。
「どう……?」
雨音にかき消されそうなその声。
あと、どれくらい聞けるのだろう?
「少なくとも、僕は、君のこと、大切な家族だと思ってるよ?」
その言葉は、素直にうれしく感じた。
「……恨まないの?」
私は言葉を返した。
あえて、核心には触れない。
それは意味のないことなのに。
自分で言うのが怖かった。
「恨んでないと言えば、それはうそになる」
否定の言葉は、やはりいつもの私だった。
「気づいたときには、混乱したよ。
君の事を激しく憎んだし。この境遇を悲しんだ。
こんなことなら、僕に自我がなければよかったのに、とも思った」
きっと、もう一人の私のことだから、私自身よりももっと早く、気づいたはずだ。
「けど、今思うとね、それが僕の役目なんだって、思うんだ」
「役目?」
「そう、短い間だったかもしれないけど、君と同じときを過ごして、同じ時間を生きる。
それが、僕の役目」
顔は見えなくとも、そのとき、もう一人のわたしの表情、感情が手にとるように伝わった。
「……そんな」
「そして、わかる。もうあまり時を経たずして、君は進化する」
「いやだ――!」
「ねぇ、僕が、どうして今日、呼び止めたか、わかるかい?」
そんなの、一つしかない。
「言葉が、欲しかったからだよ。君の」
かけたくない。
「別に大層な言葉なんて要らない。普通の言葉だけで、いいんだ」
かけられるのだろうか?
「……無理だよ」
かけられるわけがなかった。
「そっか……」
はじめて悲しい響きを帯びた。
「……私、寝るね」
逃げたかった。
雨脚はさらに強まり、私の足元に水溜りを作る。
それを見ると、引き込まれそうな気がしてすぐに逃げた。
「……おやすみ」
もう一人の私が言う。
けど、私は返さなかった。
「……」
梅雨の夜は、湿気をまとわせて、いやに蒸し暑い。
時折風がふくと、まとわりついた湿気が冷えついて、肌寒くなる。
時が流れていないように感じる。
それは、どうしようもなくいやだった。
過ぎて欲しくないけど、それはいやで。
求めてはいけないのだろうけど、求めてしまって。
「……!」
呼吸が荒くなる。
「眠れないのかい?」
「ぁ……」
小さく声をあげる。
だけど、私はそれだけで言葉をとめた。
「……気のせい、か」
やはり、言葉は寂しそうだった。
「結局、こんな形になっちゃったな……」
眠れぬ夜の中で、もう一人の私の独り言が流れる。
「まぁ……無理だよね。そう、思うしか、ないや……」
初めての弱音だった。
「……もっと、君のこと、知りたかったな。
そして、僕のことも、知って欲しかったなぁ……」
誰に当てることもなく、一人、小さくつぶやく。
眠っていたら、気づかないほどの声。
もし、本当に眠ってしまえば、それは私には永遠に届かない言葉。
「……君は、どんなポケモンになるんだろうね?
きっと、桜の花言葉に似合う、かわいいポケモンになるのかな?」
花言葉なんて、私は知らない。
「知ってる? 桜の花言葉は、内面の美しさをあらわすんだよ?
君も、それに負けないポケモンに、なれるといいね……」
きっと、それは無理かもしれない。
「あっ、君なら心配ないか、だって、僕のこと、思いやることの出来る、
心があるんだもんね……」
それは、ただ……。
「僕がさ、いなくなっても……、気にしないで欲しいな……」
言葉が、途切れ途切れにささやかれる。
「……これも、きっと、届かない、んだよね」
不意に、言葉が切れた。
「……もっと、君が、心を開いてるうちに、いろいろ、聞きたかったな……」
そこに出されたのは、後悔の言葉。
「これで最後だと思うと……やっぱり……納得できないや……」
寂しそうな私の声。
最後。
最後、なんだよね……。
その言葉を聴くと、嫌でも、現実が入ってくる。
大きくなっても、ずっと、二人のままだと思ってた。
ずっとずっと、一緒だと思ってた。
だけど、現実は違った。
二人でずっと一緒にいたかった。
だけど、進化すれば、私たちは、私になる。
それからずっと、避けたくて。
私はもう一人の私と向き合うことをやめた。
そうすれば、少しでも現実から目を背けられると思ってたから。
だけど、それはただのその場しのぎで。
いま、大きな利子をつけて、帰ってきた。
今更、どうすればいいのだろう?
「……ぅ」
自然と、嗚咽が出る。
「……っ、ないてるの……?」
私が気づいた。
何かいおうとしたけれど、
言葉が何も見つからない。
「……! ……!」
そのまま、子供に戻ったように、なくことしか、私には出来なかった。
「……好きなだけ、なけばいいよ」
もう一人の私がいった。
「僕も、なくから。……好きなだけ、なくから」
暗い夜空の中、二つの嗚咽が響く。
「……別れたく、ないな」
どれくらいないただろう。
なきつかれて、寝てしまいたかったけど、私は起きていた。
「……わかってしまったときから、ずっと、怖かった」
いつか、この日が来ることが。
「だから、ずっと避けていた。
言葉を交わすことさえ、怖かった」
おはよう、おやすみ。
時間を感じる、その言葉を、いってしまえば、あえなくなりそうな気がして。
「そうしたら、あなたのことが、わからなくなった。
そしたら、もっと怖くなってしまった」
現実は変わらないのに、私だけが、取り残された。
「なんてことはないんだね。
私が、分かろうとしなかったから、わからなく、なっちゃったんだね」
こうしている間にも、時は、確実に進むのだ。
「……ごめんね。
……もう、手遅れなのかもしれないけど、ごめん……」
遅すぎるのかもしれない。
でも、いなくなってからわかるよりかは、ましなのだと思う。
「……手遅れ、か」
もう一人の私が、小さくつぶやいた。
「まだ、手遅れなんかじゃ、ないよ」
「え……?」
その言葉に、思わず背後を振り向いた。
「……おはよう」
そこには、どんよりと濁った雲が晴れた、薄明かりの空があった。
「今日は、晴れるみたいだね」
いつもの穏やかな口調で、そう喋りかけた。
「……」
すこしびっくりしている私。
「挨拶は?」
それにも、もう一人の私は穏やかにそういってくれた。
「……おはよう!」
後どれくらい、時間があるのかはわかりません。
かわらずのいしを探しにいくことも、考えました。
ですが、もう一人の私は、それを、断りました。
それは、私の将来を案じてのことだそうです。
はじめは、酷く、悲しかったです。
ですが、それも、もう一人の私は、優しく慰めてくれました。
そして、私も、それに答えることにしました。
残りのときを、少しでも刻み込むために。
あれから、数日も経たないうちに、僕は進化しました。
だけど、そのときは、もう、それほど悲しくありませんでした。
もちろん、はじめは進化した自分の姿に、戸惑いました。
けど、もう一人の私がいなくなったことについては、
それほど、悲しくなかったです。
……後悔のないように、残りをすごせたからだと思います。
暗闇の中、打ち付ける雨は、いつの間にか弱くなっていました。
どれくらいのときが流れたのか、よく、わかりません。
少し、ぼーっとする思考の中、日差しを感じました。
ふと、花びらを開くとそこには、虹が、ありました。
まだ、さわさわと雨は降り続いています。
きっと、一時間も経たないうちに、日差しは消えてしまうのかもしれません。
ですが、この光景は、僕のどんよりとした気分を慰めるのに、十分でした。
狐の花嫁は、早速、僕に、幸せを振りまいてくれたようです。
……せめて、花びらが、自然に閉じるまでは、このままでいたいと思います。
梅雨空の中に咲く、桜は貴重ですから。
……おはよう。
見えますか?
虹の中に咲いている僕の姿が。