レイングッズ・コンペティション
レイングッズ・コンペティション
 身体に張り付くような湿気と、どんより曇った梅雨時の曇り空。まさに絶好の仕事日和だ。僕は足元からじわじわと湧き出してくる興奮が抑えきれなかった。
「それでは最後に、ハナダ合羽店さんお願いします」
 きた! さあ、いよいよウチの出番。トリを務められるなんて光栄だ。
 長テーブルに並んでいるフレンドリィショップグループの役員たちが初めて僕だけに注目してくれる。ようやくやってきたチャンスの順番。僕は水分を多く含んだ空気を吸い込み、右手に紙袋を携えて前に出た。ようやく終わるコンペティションに、競合数社のライバル達もリラックスムード。だが僕に注目するその双眸には、明らかに軽蔑が混じっていた。それもそのはず、ここに集まっているライバルは天下のフレンドリィショップに自社製品を売り込みにきた営業部のエース様揃いだからだ。僕はその中でも一番若い二十七歳。経験も浅く、当然一番浮いている。
 だが若いからって舐めるなよ。社運を託されているのは僕も変わらない。
「ハナダ合羽店のワタヤと申します。よろしくお願いいたします!」
 僕は役員たちに向けて勢いよく頭を下げた。一人の老練な役員が、僕の名刺を見ながら尋ねる。
「へえ、チャンピオンと一字違いなんだね」
 よし来た! 僕はここぞとばかり顔を上げた。
「はい! よく言われるんです。残念ながらドラゴンポケモンは育成が難しくて所持しておりませんが」
 これは僕の鉄板自己紹介だ。セキエイのチャンピオンがグリーンからワタルに代わって本当に感謝している。営業として、印象に残る名前ってのは強力な武器の一つだ。僕は彼に国民栄誉賞を贈りたい。
「ワタルさんクラスの実力があれば、君は営業なんてやっていないでしょう」
 眼鏡をかけた、薄毛の代表取締役が苦笑する。この人こそ商品の契約を左右する、コンペの支配者。僕はこの人のお眼鏡にかかるべく全力を注ぐつもりだ。
「仰るとおり。ポケモンバトルは趣味でして、御社には常日頃お世話になっております。今後は会社的にもぜひお付合いしていただきたく思います」
「それにはあなたのプレゼンが物を言いますね」
 代表取締役は挑戦的な眼差しをこちらへ向けた。そう、全ては僕の営業力にかかっている。
 このフレンドリィショップ主催の『レイングッズ・コンペティション』は、ポケモンの『あまごい』技によるトレーナーの降雨対策グッズを各社売り込む企画だ。全国展開しているフレンドリィショップに自社製品が置かれるのだから、大企業様はもちろんのこと、僕らみたいな中小企業は何が何でも契約が欲しい。これが決まれば会社は当分安泰だ。最近の不景気で業績不信が続いている会社を盛り立てる、願っても無いチャンス。そして社長に恩を返す時だ。
「はい、当社が紹介いたしますのは、社運をかけて製作したこの折りたたみレインコート『カプセルコート』です!」
 僕は携えた紙袋から、モンスターボール大のカプセルを取り出した。その小ささに、代表取締役は勿論、役員たちも腰を浮かせる。
「それがレインコート?」
「はい、御社で販売されているモンスターボールと同等のサイズです。我が社の技術を駆使して、圧縮しています」
 カプセルはプラスチック製、爽やかなスカイブルーの塗装を施し、中央に黄色いボタンが嵌め込まれているのみのシンプル設計だ。このボタンを押せばいいだけ、ということは誰が見ても一目瞭然。
「へえ……で、そのボタンを押せばいいと……?」
「はい、こちらのボタンを一押し!」僕は満面の笑みを浮かべながらボタンを押した。するとカプセルが開閉し、蓋がひっくり返って大人用の半透明レインコートが現れる。役員たちが思わず感嘆の声を漏らしたのは勿論、他社の営業らが目を見張っていたのも見逃さなかった。
「いかがですか? ものの三秒で丈夫なレインコートが現れます。これならトレーナーのポケットにも収まりますし、ボールを装着するベルトにも取り付けられるようになっています。すぐあまごいに対応可能です!」
 僕は役員たちにカプセルを配りながら説明する。それを三百六十度じっくり眺めながら、代表取締役が尋ねた。
「……しまう方法は? これだけ小さいカプセルに収納しているんだ。戻すのは大変でしょう」
 待ってました! とばかりに満面の笑みを浮かべると、代表は急いたとばかりに肩をすくめ、すかさず僕の言葉を遮った。
「答えは既に用意されているようだから、これは最後に伺った方がいいかな。まずは性能を見せてくれるんですよね」
「そうさせていただけると有り難いです。収納技術も売りの一つですから」
「では楽しみにとっておこう」
 収納はトリに回した方が最も印象的でスマートだ。さすが代表は空気が読める。僕は深呼吸すると、居住まいを正して本戦モードにスイッチを切り替えた。
 さあ、いよいよショーの始まりだ。泣き出しそうな梅雨空の下、フレンドリィショップ所有のポケモンバトルフィールドが僕のステージ。ハードコート仕様のなかなか良い環境だ。湿気を含んだ空気を肺へ吸い込み、まずは紹介の口上を。
「我が社は長年、レインコート制作に携わっておりましたので、技術・品質共に世界にも誇れるものだと自負しております。生地の防水性、動きやすさ、機能的なデザインなど……何一つ他に劣る点がありません。そこで今回僕は……就職祝いに祖母から贈られた一張羅のスーツで参りました」
 僕は両手を広げ、祖母からプレゼントされたスーツをアピールする。役員たちなら一目で分かるだろうけど、タマムシデパートでイージーオーダーした結構値の張る品だ。わざわざ濡れるあまごいコンペにこれで挑む覚悟、分かってくれよな。
「うん、なかなかいいスーツだね。濡らすのが勿体ない」
「ありがとうございます。フレンドリィショップ代表にお褒め頂けるなんて、祖母も喜ぶはずです! しかしご安心ください、スーツは少しも濡れることなくこのコンペを終えることが可能ですから」
 僕はレインコートを羽織りながら、再度役員にアピールした。曇り空を跳ね返すような自慢のスマイル、決まってる? コートはちょうど踝まで届くロング丈だ。
「丈はこちらの“ロング”、そして膝丈“ミドル”の二種類となっております。より動きやすいポンチョタイプも製作予定です」
 役員たちは頷きつつも、「やっぱり半透明はちょっとチープだな……」と耳打ちしている。色に関してはいくらでも修正が可能だから気にしないふりをした。
「さて、準備はできましたので早速あまごいによるパフォーマンスをお見せしたいと思います」
 僕は上着の裏ポケットからモンスターボールを取り出し、中にいる相棒と顔を見合わせた。よろしく頼むよ、ヌオー! お前はウチの期待の星! と、熱い視線を送ると――奴はとぼけた表情そのままに、ガチガチに固まって緊張していた。ちょっと不安だが、まあ何とかなるさ。
 パフォーマンスでは各社持参したポケモンにあまごいを命じ、商品を使ってその防水性をアピールする。他社と言えば梅雨の憂鬱を解消するようなカラフルな傘、可愛いポケモンをモチーフにしたレインシューズ、帽子など……勿論レインコートをアピールする会社もあった。でも僕に言わせればあんな物、ウチの足元にも及ばない。レインコート一筋でやってきた社長が作った今回の商品には誰も勝てない。それは僕も同じことだ。あの熱意と技術に届くまでは途方もない年月を要するし、死ぬまで敵わないかもしれない。でも別にそれでいい。
 今の僕の使命は会社の代表として、この素晴らしい商品を売り込むことにある。それが営業の本質だ。

「頼むぞ、ワタヤ! 会社の未来はお前にかかってる!」
 今日の朝一番。社長は僕の背中を力強く押し、たっぷり激励してくれた。
 ハナダ合羽店は地元で三十年続く老舗のレインコート製作・販売店だ。従業員十名の小さな会社で、この不景気で業績赤字が続いている。一昨年ボーナスがカットされ、去年から銀行員と深刻そうに話している社長の姿が多く目につくようになってから、そろそろ危ないだろうな……とは勘付いているものの、僕は知らないふりを続けていた。
「どうかこのカプセルコートで、会社の長い梅雨が明けてほしいなぁ……」
 小太りで薄頭の社長は愛おしそうにカプセルを撫でながら、ぽつりと呟いた。ブルーカラーの職人気質、はっきり言ってこの人は経営なんて向いてない。でも人が良くて、就職が決まらなかった僕を救ってくれた恩人だからそれに報いたかった。
「任せてくださいよ! ここで逆転満塁ホームラン、決めてやりますから!」
 僕は少しでも社長を励ましたくて、大げさにガッツポーズする。契約が取れる保証はないけど、気持ちが大事だ。
「お前はやっぱりガッツがあるな。うちのヌオーと共に頑張ってくれ」
 社長が手を叩くなり、会社の外の水たまりで泥遊びをしていたヌオーがさっと顔をあげ、汚れ姿のまま事務所へ入ってきた。こいつはいつもこんな感じ。泥遊びが大好きで、そのまま平然と会社へ上り込んでくる。
 ちなみにこのヌオーは会社で管理している唯一のポケモンだ。元々は社長所有のポケモンなんだけど、保険や医療費を会社経費で計上しているので法人管理って名目になっている。
「カプセルコートが売れなかったら……多分うちはもうダメだろうなぁ」
 社長はタオルでヌオーの泥を落としながら、ぽつりと漏らした。
「プ、プレッシャーかけないでくださいよ! うちにはカプセル以外にも素晴らしいコートがあります!」
 僕は内心気が気ではなかった。口ではそう言いつつも、実際は社長と同じ不安を抱えている。
「……ごめん、ごめん。そうだね、俯いてばかりじゃだめだ。雨が上がるまで、前を向いて仕事しよう。じゃあ、こいつをよろしくな」
 社長に背中を押され、身だしなみを整えたヌオーが僕の前に歩み寄る。とぼけたいつもの表情は、心なしか緊張と小さな覚悟を湛えているような気がした。やっぱり社長の気持ち、こいつなりに汲み取っているのかも。その姿を見ていると、ふとあるアイディアが浮かんできた。
 
「それでは早速あまごいをお見せしましょう――」僕はそこで力強く両手を打ち鳴らした。「と、言いたいところですが!」にこやかな笑顔に戸惑う役員、そして競合たち。
「せっかくこのような素晴らしいバトルフィールドがあるんです。ポケモンバトルでその魅力をお伝えしたいのですが、よろしいでしょうか!」
 当然、これまで雨だけ降らせていた競合たちは目を丸くしながら顔を見合わせる。ポケモンバトルで商品をアピールした会社は一つもない。出番が来るまでどこかバトルをやり出さないかヒヤヒヤしていたが、杞憂に終わった。
「面白いね。構わないよ。ただ、負けると印象は悪いけどね」
 代表取締役はにこやかに頷く。
「ええ、もちろん! それでは、他社様どなたか……僕とお手合わせしていただけませんか」
 僕は頭を傾けながら、挑発的な視線を競合に送った。これはあんたらにとっても、悪くない条件だ。もう一度商品をアピールできるチャンスだし、僕に勝つことができればポイントを稼ぐことができる。負ければマイナスなのは一緒だがね。
「では、私が」 
 数秒の沈黙の後、高級スーツを着こなした細身の男が立ち上がった。ここまで最も印象的なプレゼンをした、大企業・ヤマブキ商社の営業マンだ。あのレインシューズの紹介は見事で、不覚にも購買意欲を掻き立てられてしまった。
「よろしくお願い致します」
「若さに溢れる、なかなか勇気あるプレゼンだね」
「ありがとうございます。御社の商品はレインシューズでしたよね。僕も履いてみたいです」
「勿論。私も、そちらのレインコートを使わせて頂きたく」
 そんな上っ面だけ馬鹿丁寧なやり取りをして、準備は万端。靴を履き替え、向こうもレインコートを羽織った。取り澄ましてはいたが、カプセルからコートを取り出す瞬間はさすがに感心した様子。僕は帰ってからこれを社長に自慢するつもりだ。
「では、お願いします!……頼むぞ、ヌオー!」
 僕は左足を高く上げながら、モンスターボールを振りかぶってフィールドへ投げ入れた。召喚されたヌオーはこの只ならぬ会場の空気に戸惑っていたが、戦うことを察知してペタペタと戦場へ歩んでいく。締まらない背中だ……。
「行け、ミロカロス!」
 対して相手が繰り出したのは――ポケモン屈指の美しさを誇る、ミロカロス。見た目だけなら、いきなり負けている。それは先のプレゼンでも登場していたので、覚悟はしていた。僕はたじろいでいるヌオーを呼んで振り向かせ、自分の心臓を叩いた。
「大丈夫、ポケモンも人間も見た目じゃない! 大事なのはココだよ」
 ヌオーは首を傾げつつ、僕の真似をする。こいつ、絶対分かってない。しかし少しは緊張が解れただろうから、まあいいや。
「それじゃあ行こう! 早速――『あまごい』だ!」
 ヌオーは空に向けて両手を掲げた。ぽつりぽつりと滴が舞い落ち、すぐフィールドだけに雨が降り注ぐ――何度見ても不思議な現象だ。高校のマラソン大会の朝、悪友と示し合わせてこの方法で学校だけに雨を降らせ、大目玉を食らったことを思い出した。そういう馬鹿なことばかりしていたから、僕は成績が落ちて冴えない人生を送ることになってしまったんだよな。フィールドの反対側にいる、ヤマブキ商社のエリート営業マンとは大違い。
「準備はできたようだね。じゃあ行くよ、『たつまき』!」
 営業マンが余裕たっぷりに微笑むと同時に、ミロカロスがステンドグラスのような尾を仰いで突風を発生させた。時雨はたちまち暴風雨へと変わり、ヌオーに襲い掛かってくる。やべえ――と、呟くより早く吹き飛ばされたヌオーが、僕のボディへ直撃。僕より重いその身体は社長が餌をやりすぎて八十キロを超えており、視界が一瞬真っ白になった。
「ああ、ごめんごめん。避けられると思っていたんだけど」
 ヤマブキ商社の営業マンが嫌味っぽい微笑みを浮かべる。わざとだな……。
「い、いえ……おかまいなく……」
 僕はよろめきながら立ちあがりつつ、ヌオーを抱き起した。会社でもよく面倒を見てやっていたから、そこそこ懐かれているが、なんだか気に食わなさそうな表情を浮かべている。
「……社長に指示してもらうのが一番なのは分かってるけどさ、今は仕方ないんだ。僕で我慢してくれよ」
 するとヌオーは分かっている、と言うかのように頷いた。しかしまだ納得いかない顔。なんだよ? 掴めないでいると、すかさずミロカロスの尾がヌオーの前へ飛んできた。「アクアテール!」避ける隙も与えない一撃、僕へも水しぶきが飛んでくる。レインコートのお陰でスーツは無事だが、ヌオーは再びフィールドへ叩きつけられた。普段水を被っても屁でもないが、尾の直撃という物理ダメージは大きかったようだ。 
「ヌオー!」
 急いでヌオーへ駆け寄り、その身体を再び抱き起す。ちょっと、この強さは想定外だった……周囲から嘲りの視線が矢のように突き刺さる中、ヌオーは不満げに僕を睨む。察しろ、と言わんばかりの眼差し。何故だか元カノを思い出した。フリーター時代から付き合ってくれていたけど、今の会社に就職すると共に別れた、二つ年上の女の子。

「やっと就職が決まったと思ったら、ハナダ合羽店って何?」 
「いや、小さいけど老舗だよ。パチ屋のバイト中にさ、社長にスカウトされたんだ。営業やらないか、って」
「……ワタくん、そんな小さな会社で満足なんだ」
「なんで。正社員になれただけでもラッキーだよ。二十五でフリーターなんて焦ってたところだったから……社長すごくいい人でさ〜。飼ってるヌオーも憎めないやつだし……」
「月収いくら?」
「えーと、まずは手取りで十五くらい? ハナダなら十分暮らしていけるかなーって」
「それじゃ、生活できないよ」
「え? 一人なら問題……」
「もう無理、ワタくんとは付き合えない。二十五歳にもなって、そんな会社で満足するなんて最低。あたしの気持ち、わかってよ!」
 彼女はそのまま、勝手に注文し一人で完食したフルーツパフェと紅茶の代金を出さずにカフェを出て行った。食い逃げの文字が脳裏をよぎったが、この状況は社長に言わせると『お前と結婚を考えているのだから、もっと収入の良いところへ就職しろ』ということらしい。そういえば、あいつ別れる寸前は幼い子を見かけるたび「子供っていいよね」ってアピールしていたような。僕が悪いのだろうか。僕が、もっと元カノを分かっていれば? でも結婚するつもりはまだなかったし。

「営業トークは冴えてるのに結構鈍いとこあるなあ、ワタヤは」
 そんなことを社長に言われたけど……本当に、鈍いかも。いやいや、ヌオーより鈍いってどういうことだ。冷静になれ、自分。
 篠突く雨が、次第に僕の焦りを冷ましていく。外野の視線なんて雨に流してしまえ。
 どうやってヌオーを勝たせ、レインコートをアピールする? ミロカロスより魅せられる? これは営業の腕の見せ所じゃないか。
 僕はヤマブキ商社の雨靴に視線を落とした。うちはこれよりずっといいものを作ったんだ。コンパクトで、防水性にも優れた究極のレインコート。本当に凄いんだぞ、これは! 会社のプライドにかけて絶対に契約を取りたいんだ。だからこれ以上、無様な姿を晒してなるものか。僕は営業、貪欲に仕事してナンボだ。勝利と契約、どっちも手に入れてやる!
 ふいに、フィールドに目が留まった。アスファルトに樹脂加工を施したハードコート。なんていい環境なんだろう、普通は土のクレイコートが一般的なのに。そしたらこの雨靴ドロドロに汚してやるのにさ。
「泥……」
 その二文字を聞いて、ヌオーがつぶらな目を見開いた。ポケモンと意思を共有し、雲間から光が差したような瞬間。
「そ、そっか! なるほど、そういうことか……」
 僕はようやく、ヌオーの気持ちを汲み取ることができたと思う。こいつは泥遊びが大好きで、土があってこそ本領を発揮する。営業として実力を引き出せていなかったとは情けないが、巻き返せば許してくれるだろう。
「ごめんな、でもこっから挽回だ!」
 僕はヌオーの肩を叩くと、フィールドの隅に置いていた紙袋を引っ掴み、持ってきたすべてのカプセルコートを他社に押し付けた。そして役員たちにも聞こえるように声を張り上げる。
「皆様、当社のレインコートをご着用ください! 今から天候がさらに荒れますので、お召し物を汚してしまう可能性があります」
 当然彼らは唖然としていたが、個人別にお伺いを立てている暇はない。背後のフィールドで「みずのはどう!」と声がして、ミロカロスが再びヌオーへ襲いかかってきた。コートの着用を確認している暇はない。
「準備はよろしいですか! よし、ヌオー!! ――“すなあらし”だ!」
 ヌオーは頷くと、フィールドに砂を含んだ突風を発生させ、襲い来る水の波動を打ち消した。水流に大量の砂が混じり、泥となってヌオーの顔へ飛散する。ベストな粘り気だったらしく、奴は満面の笑みを浮かべ、調子に乗ってより強力な砂嵐を巻き起こした。それが雨水を含んで泥の嵐と化し周囲は阿鼻叫喚、ミロカロスの美貌をも崩れさせる。僕もここまできたら、もうヤケクソだ。
「いいぞ、ヌオー! マッドショット食らわせてやれ!」
 僕の声を聞き、ヌオーはもう大喜び。足元に散乱する泥を前足で次々ミロカロスへ打ち込んでいき、たまに起爆性の弾、つまり“どろばくだん”を混ぜてミロカロスを攻撃。
「ミロカロス、今は耐えろ! もうすぐ嵐が止むから――」
 徐々に泥嵐が緩み始める。既にミロカロスは泥攻撃により息も絶え絶え、トドメを刺すには今しかない。僕は調子に乗って泥遊びを始めたヌオーを小突き、アイコンタクトを送る。試合、決めるぞ! 途端に、奴の顔が頼もしく変化した。
「さあヌオー、トドメだ!だくりゅ……」  
 と、僕が決め技を叫ぶ前にヌオーは誇らしげに両手を掲げ、すぐさま濁流を巻き起こしてミロカロスを泥ごと飲み込んだ。強力な水流は六メートル超のポケモンをも容易く仕留め、昏倒させるには十分な威力。こいつ、こんなにデキるポケモンだったのか……。
 ミロカロスがフィールドに突っ伏すと同時に嵐が止んで、周囲は水を打ったように静まり返る。人々の茫然とした眼差しを受け、舞台に立ち尽くしていた僕は我に返った。泥まみれのレインコートを羽織ったまま、放心している代表取締役の前に歩み出る。
「勝利の興奮もそこそこに、さあフレンドリィショップ様、ご覧ください! このレインコートを脱ぎますと――」マントを翻すように軽やかにコートを脱ぐと、あら不思議!「僕の一張羅には泥はね一つございません!」興奮のどよめきが僕を心地よく包み込む。でもまだまだ、仕上げは残っている。
「撥水性にも優れていますから、五回ほどはたけば泥は九割方落ちますよ! あとはヌオーに洗い流してもらいましょう」
 僕がさっとコートをはたくなり、泥が気持ちよく滑り落ちていく。役員や競合たちもつられて真似をし始めた。爽快な歓声が次々上がっていく。そこへすかさず、ヌオーが水鉄砲を噴射して泥を洗い流していくのだ。
「さて、使い終えましたコートを仕舞うのもワンタッチです。このコートには形状記憶素材が使われています。袖を整えて三度ほど折り畳み、コートの後ろにあるカプセルのスイッチをもう一度押すだけ! そうすると――」
 僕はコートのちょうど腰の部分、開閉したカプセルが付属している箇所を役員たちに示した。ボタンを一押し、そうするだけで繊維が引っ張られ、あっという間に畳んだコートがカプセルサイズまで圧縮する。役員、競合他社含めての驚愕の歓声が沸き上がった。間違いなく、今日一番人々が興奮した瞬間だ。視界の端に悔しがっているヤマブキ商社営業マンの姿が映る。
「素晴らしい! これほど偉大な技術、私は久しぶりに目の当たりにしたよ。レインコートもここまで技術革新ができるんだねえ! これはトレーナーも大変重宝することだろう」
 度肝を抜かれていた代表取締役が突然立ち上がって、僕の手を掴んだ。ああ、これは手ごたえ十分だ。僕は感極まりつつ、勢いよく頭を下げる。
「ありがとうございます! ぜひ、ご検討いただきたく!」
 
 そのままコンペは予定より五分切り上げてお開きとなったが、僕はすぐ役員や他社の営業達に囲まれ、カプセルコートの詳細を尋ねられた。軽く優越感を感じていると、上着の裏ポケットにしまっていた携帯が振動する。腕時計を見ると、本来の終了時刻ちょうど。周囲に断りを入れてすぐに通話ボタンを押す。勿論相手は社長だ。
『どうだった!?』
 この気が気ではない口ぶり、きっと仕事手つかずのまま時計の下で待っていたんだろうなぁ。僕は苦笑しつつ、しかしこの湿った空気を吸い込んではっきりと答える。
「手ごたえありです! 虹が見えました!」
 受話口の先で、社長やパートさんたちの歓声が響いてきた。格好つけすぎたかな? 僕はちょっと恥ずかしくなって思わず空を一瞥したが――相変わらずの、曇り空。だけど雲間から僅かに青空が覗いている。
 もうそろそろ、晴れる頃かな? 僕は晴れ間をヌオーにもボール越しに見せてあげながら、アイコンタクトを取ってみた。するとこいつは意味不明、とばかりに首を傾げる。そりゃそうだよな。でも、ちょっとくらい気を遣ってくれよ、戦友。

■筆者メッセージ
小樽ミオさん主催「雨傘の花束」企画投稿作品を加筆修正。
自分の長編「HEROSHOW」にて、ポケモンがあまごいを発動させた際に女性トレーナーがメイク崩れを防止するため傘を差すシーンがあるのですが、それをヒントにお話を作りました。現場に無理難題を押し付けることもあるけれど、会社の中核を担う営業さんたちを私は尊敬しています。
鈴志木 ( 2013/09/10(火) 18:28 )