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season.06 ヒーローショー・アゲイン
第7話:夢のスーパーヒーロー
 主役らが舞台袖に下がっても鳴り止まない、観客からの拍手と歓声、彼らの満足げな表情。北側スタンド最前列から一望できる活気溢れる場内の様子に、総監は幸福の安堵感に包まれていた。規模は違えど、今はオーキドや友人らとポケモンバトルに励んでいた若かりし時のように満たされている。この雰囲気が何より好きだから、ポケモンリーグを成すため身を粉にして働いていたのだ。
「久々に熱くなってしまいましたよ」
 上着を抱えた事務次官が総監に微笑む。声を枯らし、重責や鬱憤をすっかり吐き出してしまったような顔つきは自分と何一つ変わらない。総監は思わず頬を緩めた。
「上には是非、“楽しかった”とご報告ください」
 事務次官はすっかり仕事を忘れていたことを反省し、苦笑する。
「やっかまれるだろうなぁ……ま、もう少し世論を参考にして方針を変更するようになるかもしれませんね」
「そうしていただけると有り難い。ではこの後本部へ移動して、話を詰めていきましょう。その後は料亭で今回のバトル談義でも」
 試合後の酒場談義は、観戦をより有意義にする。総監の提案に事務次官の顔はたちまち明るくなるが、一つやり残していることに気が付いた。
「おお、それは楽しみですな――だが、その前に売店新メニューの“シバさん監修・スタミナホルモン盛り合わせ”のレポートを出さねば。これがなかなか乙な味でしてな……提出先を記したメールが入らないゲストはどうすればいいので?」
 傍にいた副総監のフジが本部支給のスマートフォン片手に近付き、すかさず助け舟を出す。共に声を枯らして試合に釘付けだったはずだが、いつの間に軽食を調達したのだろう――首を傾げる総監の背後で、ふいに少年の声がした。
「……総監!」
 振り向くと、同じく最前列で試合に噛り付いていたグリーンが立っている。バトルに熱中するあまり、本部ビルから同行させていたことをすっかり忘れてしまっていた。
「あの、助っ人の件ですが」
 意を決して切り出す彼に、総監は唇を引き結んだまま耳を傾ける。答えは分かっていた。
「お断りさせてください。自分はまだジムリーダーとして確たる結果を出せていません。たった一月の天下を取ったところで、彼らにはまだ届かないでしょう。今後一層の訓練に励みます。十分な実力が身に付いたその時に、またチャンスをいただきたく」
 毅然とした態度と真摯な眼差しは、先ほど夢中で応援したチャンピオンを彷彿とさせる。彼らはまだ若い、一度くらいの過ちで未来を取り潰すには勿体無い人材だ。つまらない言いがかりをつけるなど野暮である。
「いつでも待ってるよ」
 総監はそれだけ告げると、支度を終えた事務次官らと共に観客席を離れた。あっという間に北側スタンドは閑散となり、その場にはジムリーダー達が残されるのみだ。ハヤトとツクシが座席に伏して食事の感想に頭を悩ませる中、ようやく先輩カントーリーダーへ挨拶できる機会を得られたアンズが慌ててグリーンに駆け寄り、頭を下げる。
「あの……ご挨拶が遅れてすみません! 来月からセキチクシティのジムリーダーに就任するアンズです。何卒よろしくお願いします!」
 最初に挨拶を逃し、つい先ほどまで父親が出演するショーに夢中で、グリーンが試合中割り込んできた時も話しかけることさえ失念していた。それを察したヤナギはやや呆れ気味だ。ジムリーダーは基本的に実力社会ではあるが年功序列の風潮も根強く残っており、同じ地方同士、礼儀は徹底しなければならないのである。しかし若くして成功を収めたグリーンにとって、それは些細なことだ。
「ああ……四天王の娘ね。カントーの先輩リーダーはお前の親父さんの世話になってる人が多いから、皆に可愛がってもらえると思うぞ。今度の顔合わせ、安心して来いよ」
 緊張を緩和させるつもりで告げた台詞だが、傍にいたヤナギがちくりと牽制する。
「甘え過ぎは良くないぞ」
 その恩恵に肖ることができるのは、父親が苦労して築き上げた実力と信頼によるものだ。栄光の舞台に立つ父の背中は、己の足で追わなければ遠のくばかり。それを昨年痛感したアンズは、覚悟を決めてグリーンに尋ねた。
「あの、新人ジムリーダーって就任一年目は先輩がご指導してくださるんですよね。あたしの担当の方はもう決まっているんですか?」
「まだだけど……基本的に近場のリーダーが担当するからなぁ。この間の会議じゃ、エリカさんでほぼ決まりって雰囲気だったな。お前、タマムシの学校に通いながらジムを運営する予定なんだろう? ちょうどいいじゃないか」
 それを聞いたアンズは、つい先日父親も同様の予想をしていたことを思い出す。エリカは彼の弟子として厳しく指導されており、『あの時の恨みを返されるかもな』なんて脅かされていたものだ。それについての怯えはないが、私情を挟まれるのは嫌だった。
「グリーンさんに師事させていただくのはダメでしょうか!?」
 そこで咄嗟に口を突いた言葉――グリーンとヤナギは耳を疑った。アンズは両手を身体の前で組み、その意図を訥々と語り始める。
「我儘だとは分かっています。だけど……ヤナギさんの仰る通り、甘え過ぎは良くないんです。父を尊敬するあまり、あたしはつい皆さんの好意に甘えてしまって……でもそこから脱しないと、父のようなトレーナーにはなれないと思います。だから、あなたに教えていただきたいんです!」
 あのプレースタイルが並外れた苦労に裏打ちされているものだと知ったのは、自身も毒タイプを極めるべく父親の下で修行し始めた時だ。いくら鍛えどもドラゴン等にはパワーが追いつかないこの属性、それでも突き詰めたいと思うのはあの大きな背中をずっと傍で見てきたからだ。その気迫に、グリーンは困惑した。
「いや……でもオレはまだ経験が浅いし……前任が長いことジムを空けてたから今もまだ結構忙しい。それにセキチクからトキワまでは遠いよ、快速電車で来ても片道一時間半くらい掛かるんじゃないか?」
「移動時間は問題ありません! お忙しいのでしたら事務作業とか、出来る限り何でもお手伝いします! だからどうか……弟子にしてください!」
 アンズは一歩も引かず、グリーンに詰め寄った。
「オレがどうこう言える立場じゃないしなあ……」
 アンズの気迫に押されグリーンは困惑したが、これは彼の一存で決められる提案ではない。無駄な交通費を支給するのは本部だし、他のリーダーの沽券に関わりかねない問題だ。だがアンズはそれでも引かずに期待の眼差しを彼に向けている。呆れ果てるトキワのリーダーに、頼もしい意気込みを見せるセキチクの新人――懐かしい組み合わせにヤナギの心中がざわめき立った。最終的には袂を分かったものの、かつてはトレーナー界の未来を託そうとした誰よりも思い入れのある師弟関係だ。それがこうして再現されることに、大きな縁を感じる。
「……君さえよければ構わんじゃないか」
 やや舌が縺れながらグリーンに告げると、彼は目を丸くしながらヤナギを振り返った。怪訝そうな表情は、かつての一番弟子を思わせる。思わず頬が緩み、次の台詞は滑らかに発することができた。
「親の威光に頼らない、殊勝な心掛けじゃないか。私からカツラに話を通しておくから、この機会に弟子を取ってみてはどうだね。リーダー業務に一層の張りが出るぞ」
 ジムリーダー歴四十年以上を誇るベテランからの提案はそれだけで説得力がある。リーダーとして昨年以上のステップアップを図りたいグリーンはすぐに迷いを捨てた。
「なるほど……自分のスキルアップも兼ねていると考えればいいんですね。ヤナギさんが後押ししてくださるのなら……」
 前向きな反応を受け、アンズの顔がたちまち輝く。無邪気な様子に他意はないだろうが、拒絶を排除するような笑顔は彼女の父親を思わせ、ヤナギは苦笑した。
「君はお父上に似ているな。彼の良い所だけ真似て、これからも頑張りなさい」
「はい、ありがとうございます!」
 尊敬する父親に似ていないと他人から評価されがちなアンズは、その言葉にますます心を躍らせた。目の端に映る同期リーダーらの数歩先を行こうと逸る気持ちが、彼女の足を出口方向に動かす。
「そうと決まったら……グリーン師匠! 早速ジムへ移動しましょう、あたしがタクシー拾ってきますんで正面玄関で待っててください」
 いきなりの師匠呼びはくすぐったいが、悪い気はしなかった。少しだけ態度が大きくなり、グリーンはいつものぶっきらぼうな口調で弟子を咎める。
「オレはピジョットで来たからタクシーなんていらねえよ。って言うか、トキワのリーダーがタクシーでリーグ本部に来てみろ、経費の無駄だってネチネチ怒られるんだぞ。極力ポケモンに乗って移動するのがベターだ、覚えとけ」
「分かりました!」
 アンズは急いで座席に置いていたバッグを持ってくると、可愛らしいメモ帳を取り出してその旨を忘れずに書き記す――が、すぐにあることを思い出し、神妙な面持ちで顔を上げた。
「……ポケモンへの騎乗は身体への負担がかかり、毒の精度が落ちるから足にするなと父に言われていました。あたしも怪我した時くらいしか、ポケモンに乗ったことはありません。移動用として毒を持っていない他のポケモンを取り入れるのも、互いに悪影響を及ぼす可能性があるから良くないって」
「なるほどな、それだけ徹底してるからさっきの試合みたいに必中の猛毒攻撃が出来るのか。仕方ねえな――ほら、今回限りだぞ」
 グリーンはやや呆れながらも腰のベルトからモンスターボールを一つ取り外し、アンズの掌へ押し込んだ。彼女が目を丸くしながら手の中を覗き込むと、艶やかな毛並みのウインディがボール越しに尻尾を振って微笑んでいる。
「そいつは大人しいし人懐っこいから、お前でも乗れるはずだ。次は貸さねーぞ、トキワでの移動用に自転車持ってこいよな」
「ありがとうございます! どうか今後ともよろしくお願いします、師匠!」
 ウインディのボールを大切に両手で抱え込み、アンズは勢いよく頭を下げる。二度目の師匠呼びは、首筋を撫で回されるような感覚だ。耐え切れなくなったグリーンはさっと背中を向け、階段を一段飛ばしで駆け上がっていく。すぐにでもスタジアムから飛び出したい気分だった。
「頭下げてる暇あったらジムへ行くぞ! ジムリーダーは忙しいんだ、お前の訓練に多くの時間を割けねえよ!」
「はい、よく分かってます!」
 アンズは直ぐに後を追おうとしたが、にこやかに彼らを見守るヤナギの視線に気付き、慌てて振り返って頭を下げた。
「ヤナギさん、ありがとうございました! これからもよろしくお願いします!」
 どういたしまして――と無垢な笑顔に返す前に、アンズはスカートをふわりと翻し、師を追って出入り口通路へと繋がる階段を駆けていく。その時ほんの一瞬流れた風はまるで春のそよ風の様で、ヤナギのこめかみを僅かに揺り動かした。
 やはり、似ている。
 だが、あの頃とは似て非なる光景だ。まだまだ直情的で未熟な彼らは、互いに良い刺激を与えながら成長していくことだろう。きっと昔のような失態はない、こうして世代は交代していく。ヤナギは安堵しつつもやや寂しげに息を吐いた。すると、アンズが去ったことにようやく気付いたハヤトとツクシが焦燥を呈する姿が目に留まる。アドレスを交換するはずだったのに!――などと騒ぎ立てる姿に心底呆れたが、鍛え甲斐はありそうだ。ヤナギは背筋をぴんと伸ばすと、コンクリートの床を着実に踏みしめながら、彼らの元へ歩んで行った。

+++

 それから数日後のシーズン開幕戦当日。
 セキエイスタジアム周辺に、ようやく大きな賑わいが訪れる時だ。オフシーズン中まばらだったスタジアム前の広場は多彩な出店や多くのファンや見物客でごった返し、特設ステージではスポンサーが用意したタレントによるトークショーなども開催されていた。開場まであと一時間、そこから試合開始まではさらに一時間半あるというのにこのお祭り騒ぎ。本部とスタジアムを繋ぐ連絡通路からこの様子を眺めていたワタルは、呆気にとられていた。
「すごい賑わいだなあ……去年より多いんじゃないかな」
 衣装の胸ポケットからはみ出ていたボール越しに、カイリューが首を伸ばしてその様子を覗き込む。彼女は昨年の記憶と照らし合わせ、素直に頷いた。 
「人気が高まってきているってことだね。良いことだ」
 満足げにその場を立ち去ろうとすると、本部側の出入り口からやって来た女性スタッフが会釈しながら微笑みかけてくれた。
「開幕戦頑張ってくださいね! 今年の衣装、とても似合ってますよ。王子様みたい」
 そう言って彼女は足早にスタジアムへと向かって行く。ワタルはその例えに辟易した。つい先ほど着替えてからこの三十分の間で、数えきれないほどの人間に同様の指摘をされている。今年の衣装はデザイナーが『絶対王者』をテーマに掲げ、騎士服を思わせる紺色を基調とした詰襟の服装である。肩には金色の肩章がくっついており、マントは深紅のベルベット生地だ。重くて仕方がないし、四天王にはまるでコスプレだと大笑いされる始末。
「どうせ出番がないからって年々オレばかり華美になっていないかな……開幕戦はベンチ待機だってのに、これじゃあ一人浮いてしまうよ」
 溜め息をつく主人の胸元で、カイリューは必死に首を振ってその発言を否定した。彼女から見れば“ドラゴンに乗って自分の前に現れてくれるような王子様”で、憧れそのものだ。
 そんな相棒の気も知らず、ワタルはロッカールームに戻るため踵を返した。連絡通路からスタジアムに入ると、ロッカーへと続く道の両側には所狭しとスポンサー等から贈られた花が並んでいる。入りきらずに空き部屋へ押し込まれている物もあるようだ。スタンディングアレンジメントですっかり狭まった通路をスタッフらが窮屈そうに移動しながら、ワタルに気付いて激励の言葉を投げかけてくれる。皆いよいよ始まるシーズンに向けて心弾んでいる様子が見て取れた。そんな光景を眺めていると、舞台に立つ主役の気も引き締まる。
「いよいよシーズンが始まる……今年も心して挑まないとな。勿論、王座を譲り渡す気はないよ」
 そう告げると、相棒も誇らしげに頷いた。調整は万全、鍛え上げたドラゴン達が栄光の舞台を更に盛り立ててくれるだろう。襟元を正して歩き出し、ロッカールームへの扉が見えてきた所で、通路の先から荷物を抱えたスタッフがワタルを呼び止める。
「ワタルさん、ちょうどよかった。オーキド博士からお届け物です」
 駆け寄って来るスタッフにワタルは目を丸くする。
「博士から? 何かな……」
「伝票には“ケーキ”って書かれていますけど。カロス地方のミアレシティから冷凍便で届きました」
 先月オーキドがカロスへと発つ前に、出張先の名物菓子を送ると言っていたことを思い出した。受け取った段ボール箱に貼られている伝票の着日は本日の午前中配達で指定されており、祝い菓子のつもりなのだろう。
「ああ……思い出した。ありがとう」
「いえいえ。じゃ、試合頑張ってくださいね! 今年も王座防衛期待してます!」
 スタッフはにこやかに頭を下げると、そのまま持ち場へと駆けていく。ジャンパーを羽織った背中がすっかり小さくなったところで、ワタルはカイリューに向けて呆れるように苦笑した。
「よりによって開幕戦直前に送ってこなくても……なあ?」
 カイリューも同じ心境らしく、やれやれと言わんばかりに肩をすくめている。ワタルが冷たい段ボール箱を抱えたままロッカールームのドアを開くと、様々なケータリングの香りが彼の鼻孔をくすぐった。この時間、プロたちは着替えを終え、ソファスペースのテーブルに仕出し料理を並べて軽食を取っているのである。
「あっれー、コスプレイベントへ行ったんじゃなかったの、王子様」
 ソファでうどんを啜っていたイツキが顔を上げ、冗談交じりに声をかけた。
「外の様子を見て来ただけだよ。予想通りの大賑わいだった」
 ワタルはマントを床に擦っていないか気にしつつ、流し台へ行って段ボール箱を開封する。アールヌーボー調の洒落た包装紙に包まれたケーキ箱が出てきた。オーキドは筆不精なのか手紙は付いていない。包み紙を破らないよう丁寧に開封し、ケーキ箱の側面に貼り付けられていたイラスト付きの簡単なリーフレットを眺めていると、カリンが後ろから覗き込む。
「それは何? 差し入れ?」
「ああ、うん……オーキド博士から、ミアレの名物お菓子ガレット・デ・ロワだって。とても美味しいらしいから、よかったらみんなでどう? レンジで解凍すればすぐに食べられるそうだよ」
 リーフレットはフランス語だが、レンジの絵が印刷されているページに目安の温め時間が記載されていた。オーキドの意を尊重し、あえて試合前に食べてしまおうとの提案だが、シバは不満を露わにしながらそれを突っぱねる。
「試合前はいつも握り飯とバナナを食べると決まってるんだ。そんな砂糖の塊を口にしたら調子が狂う」
「僕も僕も。かけうどんって決めてるもん」
 イツキもそれに便乗した。これはワタルも何となく予想していたことだ。試合前に消化が良く、すぐにエネルギーへと変わりやすい軽食を口にするのはアスリートの常である。ゲンを担いで好調だった試合日と同じ食品を食べ続けるのも同様だ。貰い手が付かないケーキに困惑していると、それを察したカリンがある提案をする。
「ガレット・デ・ロワって“王様のお菓子”と言う意味なんでしょう。中にフェーヴって言う陶器製の小さなフィギュアが入っていて、それを引き当てた人には幸運が訪れるとか……これってゲン担ぎとしては最高じゃない。一切れいただこうかしら」
「へえ、そうなんだ……じゃあオレも貰おうかな。二切れじゃ面白くないから、やっぱり皆で食べないかい? リーフレットの絵を見る限り、ポケモンも食べられるようだよ。添加物不使用なんじゃないかな」
 シンク下に仕舞ってある皿とフォークを取り出しながら尋ねると、他の男達も断りきれない顔つきになっていた。
「そこまで言うなら……一口だけ食べて後はネオにあげよーっと」
 イツキは残り少ないうどんを平らげると、腰のベルトに装着していたボールからネイティオをその場に繰り出した。隣でブラックコーヒーを飲んでいたキョウはやや迷惑そうに眉をひそめる。
「気楽なもんだな。ポケモンにアレルギーが出たら困るから、俺は一人で食う。甘いの苦手だから小さく切ってくれ」
 メンバーの誰よりもポケモンの管理を徹底している彼は、得体の知れぬ食べ物をポケモンに食べさせようとはしない。他の仲間は彼ほど厳しく管理しておらず、シバはリハビリ中のカイリキーを、カリンは今回のスタメンから外しているバンギラス、ワタルは甘い物を好むカイリューをその場に召喚した。大型ポケモンが揃って登場し、室内はたちまち窮屈になりキョウはますます不満気だ。
 試食するメンバーが揃ったところでワタルは八号サイズ(直径約二十四センチ)の大きなガレットをレンジで解凍して等分し、皿に乗せて配り終えた。幸いなことに包丁を入れても陶器が刃に当たることはなかったし、断面からも覗いていない。食べてみないと当たりが分からない状況から、室内に張りつめた空気が流れる。彼らは皆プロ特有の負けず嫌いで、内心は誰もが当たりを引こうと浮足立っていた。「いただきます」と足並みを揃えてフォークを刺し、神妙な面持ちで口にする。ひと時の沈黙が流れ、ポケモン達が主人の動向を一心に見守る中――シバがいち早くテーブルにフォークを置き、傍にいたカイリキーに皿を手渡した。
「……予想通り死ぬほど甘ったるいな。これだから海外の菓子は苦手なんだ!」
 口の中を席巻する甘さを忘れるため緑茶で流ししていると、キョウも三分の一食べたところで皿を置く。
「ああ、確かに……味はそれなりなんだが、甘すぎる。それにどうやら俺のはハズレみたいだし、これ以上食べるメリットがないんだが」
 フォークの腹でガレットの表面を軽く押してみる限り、異物が入っているような感触は得られない。カリンも同様の方法でフェーヴの有無を確かめていた。
「私もハズレみたい。パイ生地の食感も良いし中のクリームが濃厚で美味しいけど、あまり油分が多いのはちょっと試合に響くわね……バンギラス、あと食べていいわよ」
 二口食べて皿をバンギラスへ向けるなり、彼は大喜びで引っ手繰ってガレットを丸呑みした。彼もまた甘いものを好むポケモンのようだ。
 成人トレーナーからは軒並み不評なガレットだが、これは彼らが酒好きということにも起因していることだろう。唯一未成年のイツキは苛立ちを露わにしているネイティオを横目に、夢中でガレットを頬張っている。
「外はサクサク、中にこってりしたナッツ系のクリームが入っててすごく美味しい! これは僕一人で食べられるや。一切れくらいなら試合中に気持ち悪くならないだろーし」
 分けてくれるって言ったじゃないか――皺がぐっと盛り上がるほど眉間を寄せようと一口も寄越さないイツキを見かねて、キョウが食べ残したガレットをネイティオに皿ごとくれた。賑わう室内に安心しつつワタルも二口目のガレットを口にするが、やはり陶器の感触はなく、ひどく甘い上品なアーモンドクリームとバターをふんだんに使った重すぎるパイ生地が口の中で頭痛のするほど甘い余韻を残して消えていくだけだ。
「おかしいな……説明書の絵を見る限り、カリンの言う“フェーヴ”が入っているはずなんだが……」
 リーフレットを再確認していると、うらめしそうな相棒の視線を感じ、ワタルは苦笑いしながらガレットをカイリューに手渡した。
「いいよ、後は君にあげるよ。確かに美味しいけど……オレも甘い物は少しでいいかな」
 カイリューは大喜びで皿を受け取ると、鼻先を近づけて香ばしい香りを堪能し、大きな口を開けて一口でガレットを平らげた。八号サイズのピースケーキも、大型ドラゴンにとっては微々たる量だ。カイリューは口の中に広がる濃厚な甘さをしばらく堪能していたが、ふいに違和感を覚えて顔を曇らせた。
「どうしたんだい?」
 コーヒーで口直していたワタルがカップを置き、カイリューを見上げる。その怪訝そうな表情は、誤って小石を口にしたミニリュウの頃を思い出す。と、いうことは――彼の予想通り、ペロリと出した舌先には王冠を模した陶器製の小さなフィギュアが乗っていた。
「当たりだよ、カイリュー! おめでとう!」
 ワタルは思わず立ち上がってカイリューの頭を撫で、その幸運を褒め称える。フェーヴは様々なデザインがあるが、オーキドが選んだのは伝統的な王冠型だ。カイリューは白磁に金色のペイントが施された小さな王冠をまじまじと眺める。チャンピオンのポケモンらしい証が何もない彼女にとって、それは最高の勲章だった。
「気に入ったなら、“持ち物”にしていいよ」
 ワタルが腰ポケットからハンカチを取出し、唾液まみれのフェーヴを拭いてやると王冠は輝きを一層増したように見えた。カイリューは益々歓喜し、それを大事そうに両手で包んで懐に仕舞い込む。それを所有することによる効果は、彼女のモチベーションが大幅に向上すると言ったところだろうか。しかし一方で、四天王とそのポケモン達はすっかり白けた様子だ。
「つまんないの。やっぱりそういうオチか」
 イツキが唇を尖らせ、カリンも参ったとばかりに肩をすくめる。
「私達が外した時点で、何となく予想はついてたわよねー」
 彼らは呆れた様子でコーヒーを煽ると、喉に張り付く甘みを流し込んで再び腹ごしらえへと戻った。本番はオープニングセレモニーを含めて三時間以上の長丁場となり、トレーナーは神経をすり減らしながらテクニカルエリアを駆けずり回るため多くの体力を消耗する。ワタルもカイリューを撫でながら、口直しに鮭おにぎりを口にした。四天王としてプロデビューしてから、試合前はずっと変わらずこれである。首を垂れるカイリューの触覚に取り付けた青いスワロフスキー製のICマーカーが照明に照らされ、きらりと輝いた。その中に小さく映り込む四天王の背中はやがて互いに干渉せず、各々プロの姿勢を作り上げている。今年で三年目の付き合いになるが、過度の馴れ合いはしない距離感が常に適度な緊張感を生み出していた。一時間ほど経った頃、ドアがノックする音が鳴ってスタッフが顔を覗かせる。ワタルとイツキだけがそちらを向いた。
「失礼します……皆さん、そろそろ時間ですのでベンチ裏への移動をお願いします」
 彼らは沈黙をもって同意を示すと、ガレットを食べる際に召喚したポケモンをボールに戻して立ち上がった。男達が次々と部屋を出る中、カリンは壁の姿見で入念な衣装チェックを行い、ボール越しにヘルガーからオーケーを貰って最後に退出する。
 花が並ぶ廊下には重々しい緊張感と、満員のスタンドからの歓声が漏れ聞こえてくる。ワタルでさえ掌がじわりと汗ばむ瞬間だ。通路脇に待機するスタッフの声援を受け、ベンチへと続く通路へと向かう――薄暗い道の真ん中で、出口であるフィールドから漏れる光を背負いながら一人の男が立っていた。
「総監」
 ワタルはその場で足を止め、思わず息を呑んだ。
「やあ、諸君。これからいよいよシーズン開幕だね。たまには激励に来てみたよ」
 上等な背広を纏い、首からマフラータオルと関係者パスを下げた初老の男がさっぱりと微笑む。総監に対し、まだ不信感が残る四天王は警戒気味だ。先頭に立つワタルはその不穏な空気を察しつつ、総監に尋ねた。
「総監もご観戦を?」
「うん、丁度この上……北側スタンドの接待用年間シートを確保して、事務次官とこれから観戦だ」
 総監は天井を指した後、首にかけていたタオルを左右に引っ張っておどけてみせた。総監は常に隙のない飄々とした態度を取っているが、今日はやけに砕けている。それに油断したイツキが、ワタルの背後から首を伸ばした。
「それ、誰のタオルですか?」
 タオルはスタジアムで販売されている観戦グッズの中でも一番の売れ筋である。プロトレーナーが各数種類作られているのは勿論の事、最近では手持ちポケモンの名前入りまで作られている人気ぶりだ。総監はイツキの質問を受けてタオルを取り外すと、赤地に白抜き文字で“Champion”と描かれている表面を掲げてみせた。イツキが顔を強張らせる。総監はその反応を確認すると慣れた手つきで裏返し、青地に同じく白抜きで“Elite Four”と描かれた裏面を見せ、にんまりと微笑んだ。
「リバーシブル」
 この小芝居に四天王の緊張感は解れ、たちまり不穏な空気は払拭された。後ろを気にしつつ、ワタルもつられて笑う。
「それ、いいですね。まだ残っていたら買おうかな」
 通路の奥からスタジアムDJが場内を盛り上げるアナウンスが聞こえ、大歓声が増幅していく。出番は間もなくだ――通路際に待機していたスタッフらがこちらをそわそわと気にしている。その視線に急かされるように、総監は本題を切り出した。
「……この間のリハーサル、楽しかったよ。あんなに叫んだのは久しぶりじゃないかな。スッキリした」
「私達はちょっと不満な結果に終わっちゃいましたけど」
 カリンがちくりと嫌味を溢す。総監は苦笑しつつ、肩をすくめた。
「今日、カロスの挑戦者に勝てば気も晴れるんじゃないかい? 多くの観客がそれを楽しみにしてるよ。栄光の舞台の上で、新たな脅威にも屈せず戦い続ける……その姿に子供らは夢を見て、トレーナーを目指す旅に出る。多くはその中で身の程を知って社会の歯車に落ち着く訳だ」
 やや含みのある台詞に、緩みかけていたワタル達の頬が硬直する。たとえ事実でも、立場上その発言を認めることはできないのだ。総監はそれをよく理解しており、彼らの気を晴らすようにもう一度大袈裟に肩をすくめる。
「私も似たようなものだ。ポケモンで仕事をすることを夢見てこの世界に飛び込んだが、気付いたらこんなひねくれ者になってしまったよ。お人好しじゃ上に立てないからね。そこは理解してくれると有り難い」
 そう言いながらタオルを首に戻す姿は人良さそうな好々爺だ。以前のような棘は感じられず、次第に彼の語調は熱を帯びていく。
「私はね、人並みの幸福を得たければ堅実に生きるべきだと思っている。死に物狂いで努力したって夢は必ず叶う訳ではなく、やがて身の程を知り現実と折り合いを付けるのが人の常。そうやって人は成長を重ね、着実な生涯を歩んでいく訳だが……そんな人生は往々にして退屈だ。旧友らと内輪のバトルに勤しむのも一興だが、それを本業とするプロの試合はまた格別の面白さがあるんだよ。プロや観客と感動や一喜一憂を共有できるこの臨場感、煌びやかな舞台……このショーを見ていると心躍り、ひとときの夢を味わえるんだ。その瞬間は己の体裁なんて気にならない。癖になるね」
 総監は白い歯を見せ、陽気に微笑む。
 興奮と感動を呼ぶ非日常的な舞台に現実を忘れ、ほんの僅かな夢を見る――それを茶番だと呼ぶ者もいるだろうが、退屈な日常のささやかな楽しみの光となることはスポーツショーのヒーロー像として一つの完成形だ。それを総監に認められ、ワタルの足元から高揚感がふつふつと沸きだしてくる。無機質な通路に不釣り合いな派手な衣装も、そのお墨付きを貰えればまるでヒーローのコスチュームだ。昨年とは違う観点に、ワタルはもう一度、総監にあの質問を聞いてみたくなった。
「総監は昨年、ポケモンはビジネスだと仰いましたが、それは今も変わりませんか」
「勿論」
 総監は迷わず答え、顔が強張るワタルに向けておどけてみせる。
「本部が稼がないと君らに高い年俸が払えないじゃないか。それはイコール、ドラゴンポケモンの維持ができないということだよ。まあ君の家は資産があるから、すぐには困らないだろうがね。この仕事はボランティアじゃないんだ、利益は大事。だが……」
 彼は少し間を置くと、長らく忘れかけていた情熱を口にした。
「私はポケモンが大好きだよ。そこは理解しておいてくれ」
 それだけ聞ければワタルには十分だった。喜びを湛えながら頭を下げ、感謝の意を述べる。
「この組織に所属できたことを光栄に思います。今夜のショーもお楽しみください。応援、よろしくお願いします」
 四天王もそれに続き、勇壮な面を上げて再び出口へと歩み出した。先頭を行く赤いマントを背負った後姿は大変に頼もしい。それに続く四人も同様で、既に今夜の結果は出ているような気がした。だが、それと試合の内容は別だ。総監は満足げに顔を綻ばせると、軽い足取りでスタンドへ引き返す。それを確認した後で、キョウがぽつりと不満を溢した。
「何を今更……こっちはどれだけ迷惑したと思ってる」
 リーダー就任から散々苦労してきた彼は総監に積年の不満があり、不信感を拭いきれていないようだった。一方で、シバは昨年の確執などすっかり水に流したように穏やかだ。
「いいじゃないか、これで今後は本部ともいい関係が築けるだろう。リハビリへの理解も得られるといいが……」
「なるほど、本部と仲良しすれば年末の契約更改でも成績以上の年俸アップが見込めるってことだよね? 来年いよいよ大型免許取れるから、張り切って布石を打たなくちゃ。名付けて、“みらいよち”交渉術!」
 イツキは拍子抜けするほど楽観的だ。その神経は日に日に図太くなっており、カリンを始め仲間はすっかり呆れ返る。
「ゴネる前に試合で結果出しなさいよ。あーあ、話長くて緊張解れちゃった。気楽にステージに立てそう」
 そんなことを言いながら伸びをする彼女も、イツキらと同様にリラックスしている。ワタルはやれやれ、とばかりに小さく息を吐いた。多少のわだかまりは残っているが、総監が今後もあの調子なら問題は時間が解決してくれるはずだ。次に目を向けるべきは、前。割れんばかりの歓声が待つ栄光の大舞台である。
「君らは相変わらずだな……準備はいいかい? 満員のお客さんがお待ちかねだよ」
 ワタルが顔を後ろへ向けて尋ねると、四天王が一斉に頷いた。その様相があっという間に百戦錬磨のプロトレーナーへと変わる。彼らは観客の誰一人、直前の馴れ合いなど想像できないほど厳粛に構えていた。ワタルは満足げに微笑むと、自らも試合へと臨む戦士の態度へと切り替えた。スタジアムDJの絶叫と共に、出口にスタンバイしていたスタッフが合図を送る。既に場内の興奮は屋根を突き抜けそうな勢いだ。
「さあ、行こう!」
 ワタルは颯爽とマントを翻すと、舞台に続く道へと踏み出した。

鈴志木 ( 2014/05/07(水) 21:56 )