第4話:ショータイム
リハーサル当日は朝から抜けるような快晴と穏やかな暖かさで、大変恵まれた天気だった。十時を回ったセキエイ高原私鉄駅前ロータリーはオフシーズンの平日と言うこともあり、人もまばらで買い物には最適だ。そんな中、上品なジュニアスーツを纏った少女が改札を抜けて広場へと飛び出してくる。彼女は慌てた様子で周辺施設を見渡すと、ここが目的の降車駅ではないことに気が付いた。
「あれっ、路線間違えたかな。ここスタジアム直結の駅じゃない!」
目の前にそびえるのは大型ショッピングモールやホテルなどの商業施設ばかりだ。そこから少し離れた先に、セキエイスタジアムの白い屋根と隣接するポケモンリーグ本部ビルが見える。その距離は彼女の足でここから二十分といったところだろうか。しかしそれでは指定された集合時間に遅れてしまう。迷わずロータリーで客待ちしているタクシーに飛び乗り、中年の運転手に目的地を伝えた。
「リーグ本部ビルまでお願いします!」
「はいよ」
この界隈で仕事をしている運転手は、その余裕がない様子から彼女が降車駅を間違えたことをすぐに見通した。セキエイ高原は観光地としても有名であり、このような事例は日常茶飯事である。車を発車させ、バックミラー越しに盗み見た少女は随分と可憐で、そして既視感があった。近頃メディアで持て囃されている、美少女二世ジムリーダーにそっくりだ。
「お客さん、もしかしてセキチクの……」
「そ、そうです。来月からセキチクのジムリーダーに就任するアンズですっ」
アンズは鏡でリボンタイの位置を直しつつ、バックミラー向けて頷いた。運転手の目尻が垂れる。
「やっぱりそうかあ。テレビで見るより可愛らしいね」
「ありがとうございます、嬉しいです」
「お父さんの練習を見に来られたの? それならスタジアムの方が……」
「いえ、今から本部でジムリーダーの就任式が行われるんです。父の車に同乗してここへ来ようと思っていたんですけど、早く出ちゃったみたいで……セキチクから電車乗り継いで来たのでギリギリに……」
彼女は苦笑いを浮かべつつ、鞄の中に忍ばせた携帯で時間を確認する。五分後に本部へ到着したとして、走って受付を済ませ目的階まで行けばなんとか集合には間に合うだろう。ディスプレイのバックライトに照らされ、ボールに入った相棒ポケモンが焦燥を浮かべていたので、笑顔を見せて安心させた。昨年の夏から父の元で猛特訓・猛勉強を重ね、コンパンはモルフォンに進化しジムリーダーの試験もパスした。せっかく結果を出したのに、最初で躓いては全てが台無しだ。
「急いでお送りするからね」
余裕のないアンズを察した運転手は、やや速度を上げてリーグ本部ビルを目指す。彼女は礼を言いながら、ふと窓の外へ目をやった。スタジアムへと続く歩道を、未就学児から小学生ほどの子供たちが連なって歩いている。保育者と思わしき大人の姿もちらほらと見えた。
(遠足かな? どうせなら試合を観に来ればいいのに……)
試合も楽しめる上、父のファンになってくれるかもしれないのに――などと考えていると、タクシーが停車しリーグ本部ビル前でドアが開いた。ワンメーターで済んだものの、財布にはぴったりの小銭がなく、彼女は急いで千円札を突きつける。
「すみません、細かいの無くて……あと、領収書下さい」
すると運転手は右手でそれを制し、白い歯を見せる。
「時間勿体無いからタダでいいよ。今回だけね」
それは自分が有名人ゆえのサービスだろう。こういった状況は幼い頃から度々遭遇しており、それに甘えないのが父親の信条である。好意を突き返すつもりで反論しようとしたが、父親と同世代と思わしき運転手に笑顔で先制された。
「僕ね、君のお父さんのファンなんだ。娘さんを乗せられて光栄だよ。ジムリーダー頑張ってね」
父親を誰よりも尊敬しているアンズは、その魅力を理解してくれるファンに弱い。たちまち陥落し、喜びを滲ませながら鞄に財布を突っ込んだ。
「ありがとうございます、父のようなリーダーを目指して頑張ります!」
タクシーを降りて運転手に一礼すると、フレアスカートを翻しながらエントランスへ駆け込んだ。受付で入館証を貰い、乗り手を待っていた無人のエレベーターへ飛び乗ると、目的階を押して鞄から手鏡を引っ張り出す。全力疾走したお陰で、アップにした髪が少し崩れていた。
「トイレに行って直す時間ないや……もう、踏んだり蹴ったりだよ、すみれちゃん……」
鞄の中を覗くと、モルフォンが呆れたようにこちらを見つめている。
「それもこれも、何も言わずに早く出ちゃったお父さんのせいだ。いつも遅くまで寝てるくせに、なんで今日だけ早起きするの……忙しいのかな。せっかくセキエイへ来たんだし、一緒にお昼か晩御飯を食べたいなー」
その提案をしようと携帯を取り出し、メールを打ち込んでいると、エレベーターは三十階のコミュニティホールに到着した。五百人収容可能な広々とした会場は背広を着た職員たちで溢れ、既に物々しい緊張感が漂っている。今年中学に進学するアンズには一層厳粛に感じ、作りかけのメールも放棄して携帯を鞄の中に仕舞いこんだ。
(緊張したら、掌に人を三回……)
後ろ手に掌をさっとなぞり、勢いよく飲み込むふりをする。ジムリーダー試験やタマムシ学園の入試で度々行ってきたまじないだが、一度も効果を発揮したことがない。アンズに気付いた職員たちの視線がこちらへ集中し、身体が火照って緊張はたちまちピークに達した。眩暈すら覚えて立ち尽くしていると、グレーのスーツに水色のネクタイを締めた初老の紳士が、彼女の肩を叩く。
「新人どのはそちらで待機だ」
反射的に頭を下げようとしたが、紳士の姿をもう一度見るなり、アンズは彼と初見ではないことに気が付いた。父親がジムリーダーだった頃、時々自宅へやってきては縁側で酒を酌み交わしていた男性である。白髪頭に鋭い眼光、しかしどこか親しみやすい雰囲気――
「あの……チョウジジムリーダーのヤナギさんですか? ご無沙汰しています、アンズです……」
これまでは“うちに来るといつも縁側で父とお酒を飲んでいるおじさん”だったのだが、同じ身分となった今、彼はジムリーダー界の重鎮である。丁寧にお辞儀しようとしたが、ヤナギは少しも笑っていない目で彼女の背中を押した。
「挨拶はまた後で。君は少し遅れすぎだ」
そのまま導かれた先は、自分と同世代ほどの少年が二人待機しているエリアである。同じようにジュニアスーツを着用し、緊張気味に棒立ちしている姿は、この春からキキョウシティとヒワダタウンでジムリーダーデビューする同期と見て間違いないだろう。同期の存在は事前にジム運営部門の担当者から聞かされていた。一人はアンズより少し背の高い、中世的な顔立ちの子供。年は彼女の一〜二歳上といったところだろうか。耳の下で切り揃えられた髪と柔らかで高い声、スーツは男物ではあるがその風貌から性別の判断に困惑していると、当人と目が合い、こちらへにこやかに微笑みかけてくれる。
「あっ、君。セキチクジムの新しいリーダーさん?」
「そ、そうです、アンズです……えーと、あなたは……」
「僕はヒワダジムを担当するツクシ。よろしくね!」
その一人称で、アンズはツクシが男性だということを確信した。彼は同期が美少女であることが嬉しいようで、隣で仏頂面しているスラリと背の高い少年の腕を引っ張った。
「写真で見る以上に可愛い女の子だね、ハヤトくん。華がある同期でよかったー」
その少年の右目に掛かった前髪から覗く、鋭い双眸がアンズを射抜く。
「同期で紅一点だからって、いきなり時間ぎりぎりに来ないでくれよ。こういう場は、三十分前に到着しておくのがマナー! そういう非常識な行動が、二世リーダーの評価を下げるんだ」
「……ご、ごめんなさい」
開口一番の辛辣な言い分には思わず身をすくめたが、アンズは言い訳できず素直に頭を下げた。ツクシがヒワダジムのリーダーと言うことは、ハヤトと呼ばれた少年はキキョウシティジムを担当するのだろう。そこのジムは自分と同じように、前任の実子が後を引き継ぐと言うことは聞いていた。
「まあ次から気を付けてくれれば構わないさ。二世って色々面倒だし、いつでも相談に乗るよ」
と、懐の大きさを見せつけつつ、ハヤトは得意げに胸を張る。
「やっぱり何と言っても、おれの父さんは世界一ポケモンの扱いが上手いからね。それは同時に、弟子やメディアの対応も手馴れてるってことだよ。その教えを受け継いだおれに任せれば……」
自分の父親は世界一ポケモンの扱いが上手い――この台詞ほど、今のアンズの感情を逆撫でするものはない。猛特訓の間に父親への尊敬は更に増幅し、彼こそ至高のトレーナーだと信じて疑わなかった。ハヤトの斜に構えた態度も相まって、まだまだ喧嘩っ早い彼女は場所も忘れ食って掛かる。
「ちょっと、あなたなーーーんにも知らないんですか! 世界で一番ポケモンの扱いが上手なのは四天王のキョウ!……つまりあたしの父に決まってるじゃないですか。タイトルマッチ観てます? ハンディ持ちのポケモンで強豪を圧倒する、解説のワタルさんも絶賛するほどの知識とリード技術があるんですよお!」
「分かってないなー、おれの父さんはポケモ……」
「いいえ、ごちゃごちゃ言わなくたってあたしの父の方が凄いですから!」
アンズはハヤトの言い分を聞かずに、容赦なく突っぱねた。品の良いジュニアスーツ姿と整った顔立ちに一目で男心をくすぐられたハヤトだが、勝気でファザコンとなればその熱も冷めてしまう。彼は呆れたように息を吐きながら、傍にいたツクシに向けて首を傾けた。
「ツクシ、さっきまで話を聞いてくれてただろ? おれの父さんの方が立派だよな?」
面倒が飛び火し、ツクシは露骨に顔をしかめる。これから苦楽を共にする同期間で、いきなり諍いが発生するとは困りものだ。しかしうやむやにしては更に状況を悪くすると判断した彼は、素早く二人を天秤にかけた。結果は明白である。
「……うーん、こう言っちゃ何だけど、立場的にはやっぱりジムリーダーより四天王の方が上だし、トレーナーとしてはカリンさんが好きだけど、キョウさんのペンドラーは格好良いし……」
「何だよ、君は見かけによらず物分かりが悪いんだな! 後の手合せで蹴散らしてやるよ」
憤慨するハヤトの眼差しは、はっきりと虫タイプを軽んじている。“歩く虫ポケ大百科”を自負するツクシは、遠慮せずに噛みついた。
「あっ、飛行ポケモンで一撃だなんて思ってる? 言っとくけどね、虫ポケモンは奥が深いんだ。簡単には負けないよ! イッシュまで行って捕獲したデンチュラで返り討ちさ」
臆することなく反発するツクシに、ハヤトは更に声を荒げた。
「世間ではそんな風に飛行タイプを馬鹿にするけどな、おれはそれが許せない! こうなったらみんなまとめて――」
「くだらない口喧嘩をしとらんで、さっさと奥の席へ行け!」
いつまで経っても持ち場へ向かわない三人を睨んでいたヤナギが、雷を落として彼らを会場の奥へ急き立てる。ベテランの喝に新人はたちまち怯み上がり、諍いなど忘れてパイプ椅子が並べられた座席へ飛んで行った。既に着席している本部役員や関係者たちが、彼らの情けない様子に失笑する。ジムリーダー部門を総べる副総監のフジに案内され、三人は一番前の席へ腰を下ろした。
「……いい笑われ者だ。親の顔が見てみたい」
真っ赤になったアンズの耳に、聞こえよがしの陰口が突き刺さる。それは彼女の経歴を知った上でのことだろう。冷ややかな言葉に打ちひしがれながら、彼女はその声がした方を一瞥した。同じ列の右端、口髭を蓄えたロマンスグレーの老紳士に睨まれ、慌てて前を向く。彼はポケモンリーグ本部総監だ。
(どうしよう……お父さんの評価下げちゃったかも……)
たりまち血の気が引いて、身体は寒さに震えていた。簡易ステージに上がったフジの祝辞など耳に入らない。これが父親の耳に入れば、叱責されるばかりでなくひどく失望されてしまうことだろう。それはアンズにとって、他人に非難されること以上の苦痛である。それから式が終わるまで、アンズは延々父親への弁解を考えていた。
一時間後、式はつつがなく終了した。
参加者たちは閉幕後、あっという間に解散しエレベーターホールへと向かって行く。総監の元にはフジを始めとする役員らが駆け寄り、十人ほどの集団となって出口へと向かった。その様子はさながら大病院の集団回診で、職員たちはすぐに会釈しながら道を開ける。秘書が予め止めておいたエレベーターへ乗り込もうとしたとき、通路の奥からワイシャツにジャケット姿の少年が駆けてきて総監に頭を下げた。
「総監、ご無沙汰しております」
「グリーン君。来ていたのかね」
凛々しい顔立ちをしたトキワジムリーダーが顔を上げる。
「はい。例のお返事をさせていただこうと思いまして、ジムリーダー就任式後にと……お時間は取らせません」
「悪いけど、これから役員連中と政府のお役人を招いてスタジアムのリハーサル観戦があるんだ。すぐに移動しなければ――」
総監はグリーンを突っぱねてエレベーターに乗り込もうとしたが、真っ直ぐに背筋を伸ばした彼の誠実な態度を見るなり、すぐにそれを撤回した。セキエイを傾けた張本人がここまで成長している姿は本部の業績にも重ねられ、一層のイメージアップとなるだろう。総監はお飾り人形に手を伸ばすように、グリーンへ微笑みかけた。
「君も来るかい? 役人に顔を売るのは色々と利益があるよ」
「ご一緒させていただきます」
本部に後ろめたさを感じているグリーンには拒否権がない。潔く従い、エレベーターに同乗した。祖父と同年代の役員らに囲まれる空間は大変に居心地が悪い。腰のベルトに装着した相棒・フシギバナのボールを指で撫でながら平静を取り繕っていると、総監がドアを向いたまま彼に尋ねる。
「で、先に答えを聞かせていただこうかな。勿論、いい結果だと信じているが――」
すると、その問いを遮るようにエレベーター内に館内放送を知らせるチャイムが響き渡った。役員たちがざわめき、グリーンが天井のスピーカーを見上げると、聞き覚えのある爽やかな声が流れ始める。
『リーグ本部にお勤めの皆様、お仕事お疲れ様です。セキエイリーグ・チャンピオンのワタルがただ今の時刻をお知らせいたします! 時刻は現在十一時二十分、もうすぐお昼ですね。もしもお仕事に余裕があるようでしたら、少し早めに切り上げお隣のセキエイ・スタジアムで開放的なランチを楽しまれてはいかがでしょう! 売店の新メニューの試食も兼ね、なんと本日限り全メニュー無償で提供させていただきます! 自分や四天王が監修したお弁当や、お手軽なホットスナックなどなど……日頃の感謝を込めて大サービスします!』
事態が把握できずぽかんと口を開けたままの役員やグリーンを尻目に、総監が真っ先に声を荒げる。
「これは一体……どういうことだ! 副総監、マツノ支配人へ連絡しろ!」
茫然としていたフジだが、この叱責に弾かれるように懐からスマートフォンを取り出し、マツノへ電話を掛ける。しかし生憎と留守電だ。真っ青になっている間に、清涼感溢れるアナウンスはさらに続いていく。
『更に更に……十二時よりスタジアムにてセキエイ・タイトルマッチ開幕戦のリハーサルを兼ねた児童養護施設向けのヒーローショーが行われます! それに伴ってスタジアムを全席無料で解放しますので、普段座れないとっておきの座席で、お食事がてら楽しんではいかがでしょうか! 早い者勝ち選び放題! さあ皆様、新しいシーズン到来に向け心機一転大いに楽しみましょう!』
青ざめる役員に真っ赤になる総監――リハーサルには政府の役人も招くため、本部の面目を潰すことにもなりかねない。容赦なく下って行くエレベーターに焦りを感じたフジは慌ててボタンへ手を伸ばし、最寄りの階で降りようとするが、グリーンによって阻まれた。
「現地に行って直接ショーを止められた方が得策かと」
「確かにそうかもしれないな。面と向かって問いただしてやった方が私の胸もすく」
憎悪を双眸に湛え、総監はドアの前で居住まいを正す。全身から滲む憤りは底知れず、役員たちは怯み上がった。グリーンもそれに倣うように俯いていたが、実際のところ緩む口元を隠すためである。
(あいつ、何やるんだろ!)
チャイムが鳴り、エレベーターがスタジアム連絡階に到着する。ドアが開くなり、にぎやかな雑踏が彼らの視界へ飛び込んできた。もはや止めることができない本部職員の大移動だ。
一方、コミュニティホールでも同様の騒ぎが発生していた。その内容に惹かれ、職員たちは残らずエレベーターや階段へと向かっていく。この事態に、新人ジムリーダーたちは呆然と立ち尽くすばかりだ。ふと、ひどく落胆している職員の姿がアンズの目に入った。これから外せない仕事があるのだろうか。不憫に感じたのも束の間、タイミング良くワタルのアナウンスが続く。
『席を外せない、そんな方も大丈夫! 今から会場の模様をウェブキャストで配信します。その特典として、スタジアム外からアクセスしたユーザさんのみ、シーズン中に使えるフードサービス券をプレゼント! 詳細とウェブキャストへのパスは本部内のメールアドレスに一斉送信してますので、そちらをご確認ください。そして上役の皆様、どうか寛大な処置をお願いします』
あちこちでスマートフォンが振動する音が響き、新人リーダーたちも一斉にそれを取り出した。事前に取得していた本部メールアカウントへスタジアム事業部からのメールが一件受信されている。本文にはアナウンスの詳細とウェブキャストのパスが記載されており、アンズが徐にそれをタップすると、続々と人が集まるスタジアムの様子が中継されていた。彼女の背後でヤナギが舌打ちする。
「あのチャンピオン……何を考えているんだ」
二つ折りガラパゴス携帯のヤナギはPC向けのメールが受信できないため、詳細を確認できない。長くジムリーダーを務めている彼でも、これは前代未聞の事態だ。行動に迷っていると、このイベントに魅力を感じたアンズが弾かれるように声を上げた。
「ヤナギさん、あたしたちも行きましょう! 何だか面白そうだし、美味しいご飯も食べられます!」
きらきらと目を輝かせていた彼女だが、ハヤトへ顔を向けるなり、つんと澄まして挑発した。
「あたしのお父さんが世界一だってこと、証明してあげる!」
「望むところさ」
彼は容易く煽りに応え、アンズと共にエレベーターホールへ向かって行く。スタートレーナーとそのポケモンを間近で見られるかもしれないだけに、ツクシも迷わず彼女らの後を追った。残されたヤナギは唖然としていたが、しかしこの盛り上がりは異常である。彼はポケモンバトルの興行化に未だ反対の意を示していたが、ここまで人を動かす力を持つセキエイリーグには自然と興味が湧いてしまう。好奇心は先行し、やや不安ながらも人でごった返すエレベーターに乗り込んだ。本部内のメインエレベーターは全七基だが、この時ばかりはフル稼働しているに違いない。
ふとヤナギが乗り合わせた他の職員たちに目をやると、彼らは皆手元のスマートフォンに視線を落とし配信中のウェブキャストに釘付けだ。まだショーは始まっていないようだが、待ちきれないらしい。あちこちの会話からスタジアムの詳細なグルメ情報まで耳に入ってくる興奮ぶりだ。同じプロトレーナーでも、これほど多くの人間を魅了することができる――自治体をサポートしつつ、弟子を育成しながら延々と挑戦者を迎え撃つジムリーダーとの大きな違いに、彼は困惑した。
(まるでレジャーだ……)
二十年ほど前にコガネ百貨店へ買い物に行った際、一階エレベーターに乗り合わせた子供たちが屋上で開催されるヒーローショーを待ちきれない様子で親と会話していた姿を思い出す。今の状況はそれと酷似している。期待に目を輝かせる、そんな様子までそっくりだ。
チャイムが鳴り、エレベーターがスタジアム連絡階に到着した。既に多くの人で賑わっている通路に驚愕しつつエレベーターホールに降りた時、ヤナギは茶髪の天然パーマ頭の青年とぶつかった。
「君、気を付けなさい」
ちょうど青年は携帯で電話中で、小柄なヤナギに気付かなかったらしい。彼は慌てて謝罪すると、再び通話を続けながら混雑する連絡通路へ駆けて行く。
「ああ、うっかり人とぶつかって……それで、通信障害は復旧した? やっぱりただのケーブル抜け? 良かったぁ……抜けないようにテープでコネクタ固定しとけ。ほんじゃワイはこれからスタジアムやから、デスクの電話を携帯に転送しといて! 席取っとくから、手ェ空いてる奴はどんどん見にきいや。こんな機会は滅多にないで!」
大声で捲し立てる通話内容から察するに、彼は本部のエンジニアのようだ。多忙な職種故にシーズン中は試合が見られないのであろう、喜びに気を逸らせながら顔が緩んでいる。他の職員たちも同様だ。それを見たヤナギは、スタジアム直結駅から会場へと続く長いアプローチを思い出した。その道は試合前になるといつも賑やかで、多くのファンが心を弾ませながら同じ方向へ流れていく。
「ヤナギさん、早く早くー!」
少し先を行くアンズが、ヤナギを急き立てた。
「そんなに急かさんでくれ……本部の全職員かき集めたってスタジアムの三割も埋まらんよ」
「だって、せっかく前の方で観られるんですよ!」
「観るったって、所詮ヒーローショーじゃないか……」
素人役者の三文芝居に違いない、と喉まで出かかった皮肉を引っ込めた。父親の出演を楽しみにしているアンズの前でそれを言うのは野暮だ。
スタジアムへ入るとロッカールームへ繋がる通路は全て封鎖されており、職員たちはあちこちのポイントに立っているスタジアムスタッフに誘導されながらスタンド席へと移動した。スタンドへと繋がる入り口を潜った途端に視界が開け、五万人収容の広大な会場が彼らを圧倒する。整然と並ぶ青い座席に取り囲まれた巨大なバトルフィールドがスポットライトの光を受け、ショーの舞台のように輝いている――スタジアムには数える程度しか足を運んだことがなかったヤナギは、最上段から見渡したその景色に改めて息を呑む。自身もジムリーダーとして似たような場所で仕事をしているのに、目と鼻の先に存在する誰もいないステージはまるで別世界だ。
「ここに来るとすっごくワクワクしますよね! 先に席取らなきゃ!」
アンズが声を弾ませ、同期らと共に最前列の席へ駆けて行った。フィールドを囲むスタンド席は急勾配で足を踏み外せば大事故にもなりかねないのだが、彼女たちはお構いなしだ。プロが待機する北側ベンチ上の座席へ駆け寄り、前から五列目を四席確保する。それより前の席は既に職員たちで埋まっていた。
「ヤナギさん、僕らお昼貰ってきますね! ついでにお使いしますよ。何かリクエストはありますか?」
そう尋ねるツクシは手ぶらである。何せ今回は最上段通路に並ぶ、多種多様な売店のメニューが全品無料サービスだ。食べ盛りの新人たちは全店制覇しそうなほど息巻いている。ヤナギは呆れつつも、向かいの南側スタンド上に掲げられているイツキの看板を見て、すぐに答えを出した。
「では、チャーハンと餃子を」
それは昨年イツキを特訓した最終日、定食屋で二人で注文したメニューだ。ツクシが了解し、アンズたちと売店へ駆けて行く後姿を見送った後、ヤナギはフィールドへ視線を向けた。薄灰色の特殊樹脂をベースに作られた栄光の舞台は入念に手入れされ、この地方頂点を争うに相応しい。そこを囲むスタンドが期待と羨望を増長させ、そこで戦う者たちへ自然とプレッシャーを与えるのだ。
昨年イツキはその重圧に折れてしまったが、再び立ち上がらせたのは他ならぬ自分だ。それが誇らしく、思わず頬が緩んだ。常に激怒していたあの修行の日々も、過ぎてしまえば良き思い出である。あれをきっかけにまた弟子を取るようになりジムリーダーの監督も再開したが、やはり彼の才能は別格だ。
(……今まで取った弟子の中では、二番目の逸材だったかな)
しかし一番と呼べるにはまだ遠い――そんなことを考えていると、最前列に座っていた職員たちが次々と捌けて行き、上等な背広を纏った男たちの集団が現れる。ヤナギの周辺でくつろいでいた職員たちも、一斉に別の席へ移動し、辺りは彼一人になってしまった。ヤナギは目を丸くしたが、その顔触れを見て納得する。総監率いる役員軍団と、似た雰囲気の来客と思しき十人ほどの集団だ。その中にはぽつんとトキワのジムリーダーまで混じっており、居心地悪そうな彼と目が合った。グリーンはヤナギに助けを乞うように苦笑する。
「随分とギャラリーが多いリハーサルですねえ……賑やかで結構」
来客の代表者は、軽蔑を含んだ口調で肩をすくめる。この眼鏡をかけた、恰幅の良い五十代ほどの男性にヤナギは見覚えがあった。時折新聞などで顔写真を目にする、政府の事務次官である。帯同している他の来客も、政府に属する錚々たる官僚たちだ。
「おや、あそこには団体客もいる」
東側スタンドの最前列に児童の集団を発見した事務次官は、感心したように首を伸ばした。
「彼らはトキワの児童養護施設の入所者です。我々が招待しましてね……ま、観客は多いほど盛り上がる」
総監は引きつった笑みを浮かべながら、スタンド席全体を見渡した。座席は前の方から順調に埋まっており、食事片手に席に着く職員たちの表情は皆喜ばしげだ。スター選手のリハーサルとはいえ、彼らにはシーズン中も専用エリアで立ち見観戦できる特典を与えているのに、これから始まる茶番を何故これほど楽しみにしているのか――総監には理解できなかった。今すぐにでも中止させたかったが、来客の対応を優先してしまい、今更取りやめさせるのは困難だ。奥歯を軋ませていると、支配人のマツノが両手を擦り合わせながらやけに眩い笑顔で駆け寄ってくる。
「これはこれは事務次官殿、そして政府の皆様! セキエイ・スタジアムへようこそいらっしゃいました〜! わたくし、スタジアム支配人のマツノと申します!」
グレンチェックのイタリアンスーツに身を包んだ彼は、上着の裏ポケットから手際よく名刺入れを取り出すと、官僚たちとの名刺交換に応じる。総監はそれを鬼の形相で睨んでいたが、マツノはどこ吹く風だ。
「広々として良いステージですねえ」
事務次官からにこやかに称えられ、マツノの目尻ががくりと下がる。
「お褒めに預かり光栄です! シーズンが始まりますと、いつも五万人強の観客で埋め尽くされるんですよ。それはもう圧巻で……是非、観戦にいらしてくださいね。鳥肌が立つほど興奮しますよ!……ああ、ちなみに今回はその雰囲気をできるだけ再現しようと、“総監の助力で”本部職員やスタジアムスタッフに観客として協力してもらっています」
「なるほど、そう言うことか。粋な計らいだねえ、総監」
総監はマツノを突き刺すように睨みつけ、黙って頷いた。役員たちは総監の怒りと支配人の暴走に真っ青だが、マツノが口を挟む隙を与えないので性質が悪い。彼は北側スタンド最前列付近だけに設置されている革張りの座席に触れながら、にこやかに事務次官に問う。
「ところで事務次官、こちら北側ベンチ上の最前列――スタジアムで最も高額なお席なのですが、おいくらだと思いますか? ちなみにこの一帯は年間シートです」
「確か……八十万くらいじゃなかったかね?」
首を傾げながらの事務次官の答えに、マツノは軽快に指を鳴らして得意げに胸を張った。
「お、惜しい! 正解は百! 百万円の年間シートなのです! ご存じのとおり、最前列付近は接待目的で使われていることが多いのですが、お国を支える皆様とは言え、なかなか座ったことがないんじゃあありませんか?」
事務次官は苦笑する。図星だ。
「鋭いねェ、その通りだよ。最前列も初めてかな……素晴らしいね、この眺めは……リハーサルはポケモンバトルをするのかな?」
栄光のバトルフィールドは想像以上に目と鼻の先、巨大なポケモンが大変映えることだろう。興奮のあまり事務次官は本来の目的を忘れて、バトルについて言及してしまった。すると揚げ足を取るように、すかさず総監が切り返す。
「何を仰います! まだ幼い子供たちやバトル規制策を掲げる官僚様に野蛮な試合はお見せできませんし、無駄な血が流れないよう、プロは今、万全の調整を行っている所なのですよ――規制規制うるさい世の中、悪者にされるのはまっぴらご免ですからね。今日は開幕セレモニーリハーサルのついでに、金もとれないクオリティのヒーローショーを実施するだけです」
攻撃的で辛辣な言い分に、たちまち周囲が凍りつく。無言で立っていたグリーンや、少し離れた席でこの顛末を傍観していたヤナギも思わず眉をひそめた。不快に感じた事務次官が言い返そうとしたとき、マツノが素早くそこへ割って入る。
「ええ、ですから今回は全席無料開放なのです! シーズン中はなかなか座れないお席、存分にお楽しみくださいませ。それと皆様、お昼はタマムシの名店“蝉しぐれ”の松花堂弁当をご用意させていただきましたので、どうぞお召し上がりください」
そう言いながら最前列に官僚集団と役員らを無理やり着席させると、近くに控えていたスタッフにお茶と弁当を配らせた。グリーンは本来頭数に入っていなかったので高級弁当は配布されない。仕方ないので一つ後ろの席に着き、肩にかけていたショルダーバッグから姉が持たせてくれた弁当を取り出して食べることにした。風呂敷を解いていると後方で名を呼ばれ、振り返るとヤナギがお茶のペットボトルを差し出してくれている。
「飲みなさい。君も大変だな」
会釈しながらそれを受け取ると、屋台料理を抱えた新人ジムリーダーたちが戻って来る。アンズがグリーンの存在に気付いて挨拶しようと立ち上がったが、面倒になりそうだったので右手を振り、後回しにするようジェスチャーした。今はお偉方の後ろで大人しくしている方が得策だ。現に総監は不穏な空気を漂わせており、舞台裏へ引っ込もうとしたマツノの背に向け強い口調で牽制する。
「マツノ君、後できちんと説明してもらうよ」
マツノは一瞬だけ動揺を見せたが――唾を飲み込み、振り返って勢い良くお辞儀した。
「全て私の一存です。責任は私が取ります」
彼は踵を返すと、急いでその場を離れる。その実、動悸は収まらず今にも卒倒しそうなほどだった。足は震えて両手はぐっしょりと汗ばんでいる。総監を裏切ったことには激しく後悔していたが、それでも事務次官の機嫌を取れたことは誇らしい。彼はスタンド上段を駆け上がると、通路に並ぶ売店で生ビールを買ってその場で半分飲み干した。上から眺めるスタンド席は前に行くにつれ人で埋まっており、本部職員の大半がここに集まっていると思われる。放送の効果は上出来だ。
「やったよ、ワタルくん。後は君の頑張りにかかっている。私の進退も託しちゃったけどね……」
マツノは今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべながら、やけっぱちで残りの酒を煽った。腕時計に目を落とすと、時刻はちょうど十二時。彼は緊張を抜くように息を吐き出す。すると場内の照明が一斉に落ちて、辺りが薄らとした闇に包まれた。白い屋根が高く昇った太陽の光を僅かに通しているが、それでも周囲を驚かせるには十分過ぎる演出だった。スタンドがざわつく中――フィールド南側ベンチから軽快な靴音がして、小さなシルエットがテクニカルエリアへと歩んでくる。皆が反応した途端、一筋のスポットライトがその場所を照らし、燕尾ベストに派手な装いをした少年が姿を現した。いよいよショーの始まりだ。
「レディース・アーン・ジェントルメン! ボーイズ・アンド・ガールズ! ようこそポケモンリーグへ!」
彼が右手を前へやり、大袈裟にお辞儀すると場内から大きな拍手が巻き起こる。彼はその雨粒を得意げに受けながら、芝居じみた口調で自己紹介を始めた。どうやら台本があるようだ。
「僕は四天王のイツキ! あちこちを旅して回り、エスパーポケモンの修行に明け暮れた。そしてようやく四天王の一人になったんだ。僕はもっと強くなる、夢はでっかく――そう、チャンピオンにね」
台詞が決まると、スタンドから称賛の拍手が降り注ぐ。イツキは両手を大きく広げ、更にその興奮を煽った。
「おれの半分も訓練していない奴が何を言う。一昨年のデビューからずっと調子に乗り、去年スランプに陥ってセキエイから逃げ出したのは誰だ?」
彼の後ろにもう一つの光が灯り、一層高い歓声を受けながら大男が登場する。鍛え上げた上半身は見せつけるように何も纏っておらず、体格はイツキより二回りは大きい。少年は大仰に怖気づいた。
「お、お前は格闘ポケモン使いのシバ! ううっ、痛いトコロを突く……だけどさあ、そっちだって人の事言えないでしょ。去年のプレーオフでポケモン共々大怪我して皆に迷惑かけたのは誰? 意地張るからめっちゃ空気悪くしてたじゃん! 病院も脱走して大騒ぎになってたし〜っ。知ってる? あの後ワタルがお菓子持って病院へ謝りに行ったんだよ」
イツキは調子に乗って病院のくだりからアドリブを付け足し、観客の笑いを誘ったが、演技を忘れて煽りに乗ったシバが食って掛かる。そこへすかさず奥から第三者の腕が伸び、一触即発だった彼らの肩を掴んで喧嘩を成敗した。やや遅れて三つ目のスポットライトが点灯し、引きつり笑いを浮かべた和装の中年男が姿を現す。スタンドで鑑賞していたアンズは思わず腰を浮かせた。
「はいはい、擦り付け合いはそこまで。イツキくんはスランプを抜けてそこからの成績は好調、シバだって治療してカイリキーのリハビリに取り組んでいるじゃないか。経過は順調で、来年には復帰できるらしいな」
その台詞に、観客たちは顔を見合わせ歓喜にざわめき立つ。シバは愉悦を感じつつ「さすが、頼れる年長だ」と頷いたが、苦虫を噛み潰している仲間の顔を見て台詞を読み間違っていることに気付いた。初登場は一応専門タイプと名前を認識させる流れになっているのだ。
「ああ……さすが毒使いのキョウだな。周りを……よく見ている」
彼は掌の隅に小さく書かれたセリフを読み上げながら、なんとかそのシーンを乗り切った。イツキとキョウが呆れていると、四つ目のスポットライトがベンチ前を照らし、雑誌を持った美女が駆け込んでくる。
「大変よ、あなたたち! この雑誌を見て!」
「どうしたの、悪タイプ使いのカリンお姉さん」
わざとらしくイツキが尋ねると、カリンも大仰に雑誌をスタンド向けて掲げ、中に挟んだ付箋に掛かれている台詞を読み上げた。
「折角調整を頑張っているのに、この雑誌に酷いことが書かれているの。“セキエイリーグはチャンピオンが圧倒的に強いが、四天王は地方リーグの中でも最弱である。試合を観る価値もない、結構な賞金とポケモンのバトル経験だけが得られるトレーナーのカモ”。誰、こんなひどいことを書いたのは!」
語気を強めた台詞がスタジアム内に反響する――スタンドがざわつき、事情を知る職員たちは動揺を露わにした。元凶である総監は突如やり玉に上げられ、肝を握りつぶされたように硬直している。隣で三文芝居に眉をひそめている事務次官に悟られぬよう努めたが、腸は煮えくり返っていた。ここはすぐにでも中止させるべきだと腰を浮かせたとき、スポットライトが消えて照明が赤黒く変化する。おどろおどろしい雰囲気に、養護施設の観覧席から悲鳴が上がった。
「それはオレだ!」
力強い声がしたかと思うと、スタジアム天井の梁から一匹の黒いドラゴン――サザンドラが飛び出して来た。背中に装着された鞍の上には、赤いシャツにぴったりとした黒いパンツ姿の青年が漆黒のマントをはためかせながら跨っている。
「チャンピオン・ワタル!」
四天王は声を揃えてそちらを指した。ワタルは北側スタンド前へ降下すると、彼らを見下すような冷たい口調で言い放つ。
「君たちがタイトルマッチで挑戦者を倒してくれるのは有り難いが、マスターシリーズではオレにサッパリ歯が立たない! お陰で最近じゃ八百長なのかと疑われる始末……君らには失望したよ。金や時間をかけて何度も試験を行い、この目でその実力を見出したはずだったのに――そんな声が上がるなんて心外だ。でも、プロは結果がすべてだからね。結果が出せないトレーナーは、このスタジアムに相応しくない」
本部職員たちは呆気にとられ、これを真に受けた児童らはとうとう泣き出した。「チャンピオン殿、演技が美味いねえ……真に迫ってる」と、呑気に語る官僚たちの隣で、総監は怒りと恐怖で身体を震わせていた。この流れを見れば、おのずとショーの意図が明らかになる。
「うわあっ、チャンピオンが暗黒面に堕ちてる!……じゃなかった、堕ちかけてる!」
イツキが台詞を読み違えながら悲鳴を上げると、カリンがそれに続いた。
「このままじゃセキエイが危ないわ。私たちが彼を元のド真面目優等生に戻さなきゃ!」
「しかし、どうやって?」
シバが首を傾げると、彼女は東側スタンドの前まで駆け、両手を大きく広げた。
「皆の声援が必要よ! お願い、ときわ子どもの森の皆、力を貸して!」
目を真っ赤に染めてショーに夢中になっていた子供たちが、次々と立ち上がってワタルに目を覚ますよう訴えた。しかし必死の声も空しく、彼は無慈悲な眼差しを四天王に向けたまま、サザンドラへ技を命じる。
「サザンドラ、竜巻!」
サザンドラは大きく翼をはばたかせると、四天王の頭の上を狙って強風を放った。上手く調整しているので威力は春一番程度、カリンがそのタイミングで手放した雑誌が南側ベンチへと吸い込まれていった以外は、特に実害はない。
「わーっ、すごく強いよ……どうしよう……」
慌てて前に出たイツキが、何かを思いついたように大きく腕を振って指を鳴らした。
「そうだ! 目には目を、歯には歯を、ポケモンには――ポケモンだ!」
その合図に合わせ、四天王が懐から一斉にモンスターボールを取り出し、宙に放り投げる。
イツキはネイティオとルージュラ、キョウはクロバット、シバはローブシン、カリンはマニューラと、それぞれが専門とするポケモンたちが登場するなり、意図を察した観客たちは腰を浮かせて歓声を上げた。
場内のムードはバトルへの期待一色である。サザンドラを地上一メートル付近まで降下させたワタルは、軽やかにテクニカルエリアに着地すると、ベルトに装着したモンスターボールをまとめてフィールドに投げ込んだ。サザンドラを始めとし、中から現れたポケモンはボーマンダ、ガブリアス、フライゴン、リザードンという錚々たるドラゴン族である。ワタルは力強くマントを翻しながら、会場の隅々まで響き渡る声量で吠え猛た。
「全員まとめてかかってこい! このドラゴン軍団を前に、四天王の真の強さを証明して見せろ!」