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season.06 ヒーローショー・アゲイン
第2話:頂点の重み
 グリーンと再会した翌週。早朝練習を行うためワタルがロッカールームを訪れると、既に四天王が全員揃って出勤していた。それまで常に一番乗りで出勤していたワタルは目を見張る。念のため手元の腕時計を確認したが、時刻は朝の七時、壁の掛け時計とも合っているので故障ではないようだ。同僚たちは奥のソファスペースに腰を下ろし、トレーナー専門の雑誌などを読みふけったりタブレット端末でバトルビデオを眺めている。
「おはよー」
 出入り口で棒立ちしているワタルに気付いたイツキが素っ気なく挨拶する。ワタルはそれで我に返り、清涼感溢れる笑みを浮かべながら彼らの元へ歩み寄った。
「やあ、おはよう! 今朝はみんな早いね」
 自分の後にすぐやって来るシバはともかく、マイペースなイツキとカリン、そして常に遅刻寸前で出勤するキョウまでこの時間に居るとは大変珍しい。ソファの間に置かれたテーブルを覗き込むと、新聞やトレーナー雑誌、タイトルマッチのエントリーリストに英語やフランス語で書かれたポケモン専門書などが雑多に積まれている。情報の山を見て再び唖然とするワタルに、カリンがうんざりしながら説明した。
「昨日帰り際にスタジアム運営部から連絡があったんだけど……開幕戦にカロスで修行した挑戦者がエントリーして来たらしいのよ。対策練らなきゃいけないから、緊急の勉強会してるの。こんなに早く来るとは思わなくて」
 カリンが差し出したエントリーリストによると、その挑戦者はセキエイリーグへの挑戦権を得るため先にカントー・ジョウト地方を回ってバッジを八個入手し、その後二ヶ月間カロスに飛んで修行していたらしい。一般的なトレーナーは本部から支給される補助金だけで修業期間を過ごしているため渡航は困難だが、この挑戦者は社会人で経済的余裕があるらしく、入念な訓練が可能となったようだ。
「ネットに上がってるバトルビデオ漁ってるんだけどさー、解説がどれもフランス語だから何言ってるのかサッパリ! 動画だから何となくは分かるもののやっぱり詳細が知りたい、でも僕にはルージュラが喋っているようにしか聞こえない……キョウさん助けてー!」
 タブレット端末で動画を視聴していたイツキが、隣でフランス語専門誌の翻訳に没頭していたキョウの袖に縋り付く。彼はうんざりしながらそれを肘打ちで強引に振り払った。それなりに英語ができる彼の担当は、現地から取り寄せた専門誌の翻訳である。この作業は本来であれば本部内にある専門部署の役目なのだが、フェアリー騒動で手が回らず、プロ本人に余計な手間を掛けることになってしまったのだ。
「翻訳と並行してリスニングまでしろと! 英語と文法が似ているとはいえ、こっちも時間かかって効率悪いし早朝で頭も回らん。普段ならまだ寝てる時間なんだが」
 欠伸を噛み締めるキョウを見て、向かいの席で新聞を読んでいたシバが唖然とする。
「いつも遅れて来る原因はそれか! この時間、おれ達は既にここでトレーニングを始めているぞ!」
「深夜に夜行性ポケモンの訓練やってるんだよ、仕方ないだろうが。あー眠い……コーヒーまだ?」
 キョウは首を伸ばし、出勤時にセットしていたコーヒーメーカーを確認する。ガラス製のサーバーにドリップされたコーヒーの量はまだ三分の一程度、既に三十分以上経過しているというのにこれは明らかに少ない。その疑問をすぐに解決するように、ワタルがマグカップを五つ乗せた盆を持って再び彼らの前に現れた。
「出来てるよ!」
 ワタルは各々私物のマグカップを、四天王の前に置いていく。淹れたての香りがテーブルに漂う中、コーヒー嫌いのイツキのマグカップにはココアが入っていた。カリンはすぐにコーヒーを口にしながら、その気遣いに肩をすくめる。
「チャンピオン様は余裕ねえ……」
「胡座をかいていると直ぐに転落するぞ」
 シバも厳しい口調で釘を刺した。たとえフェアリーがやってこようと、手前で四天王が食い止めるから悠々構えていると思われているようだ。ワタルはそれを払拭するため、真摯な面持ちで頷き、仲間に尋ねた。
「勿論だよ。良かったらオレも勉強会に加わっていいかな?」
 テーブルを挟む二対のソファは三人掛けで、それぞれイツキとキョウ、シバとカリンが座っている。その申し出を容認する空気をいち早く察知したキョウが翻訳作業を行いつつ腰を浮かせた時――隣の少年が鋭い声を上げた。
「席が空いてないからダメだよ!」
 途端に、ロッカールームの空気がぴりりと張り詰めた。
 眼鏡のレンズ越しにイツキの鋭い瞳が低姿勢のチャンピオンを睨み付ける。先ほど呑気に動画を視聴していた様子からは考えられない変貌ぶりに、仲間たちはコーヒーを飲む手を止め互いに顔を見合わせた。一体何が気に入らないのか――ワタルが理由を尋ねるべきか思いあぐねいた時、出入り口のドアをノックする音が響きマツノが調子良く現れた。
「おはようございます! 皆さんこんな朝早くからお揃いで、研究熱心ですねえ〜っ」
 しかしすぐに不穏な雰囲気を察知し、たちまち萎縮する。すぐにでもドアを閉めて逃げ出したい気分だったが、ここへ来た目的を忘れるわけにもいかず、大げさに肩を狭めながらワタルの側に駆け寄った。
「あの、ワタルくん今時間大丈夫? 総監がお呼びです……多分、“あの件”じゃないかな……」
 背伸びしながら耳打ちするマツノの台詞を聞き、ワタルは直ぐに用件を察する。
「はい、今行きます」
 仲間に軽く微笑みかけると、彼はロッカーに置いていたテーラードジャケットを羽織り、出口へと身を翻した。不機嫌なイツキの様子は気になるが、この状況では総監の用事が先である。戻ってきたら彼の機嫌が直っていることに期待しつつ、そのままマツノと部屋を出る。ドアが閉じられたことを確認した後、カリンが眉をひそめながらイツキをちくりと咎めた。
「ちょっと、ああいう言い方はないんじゃない?」
 しかし少年はまるで悪びれることなく、ココアを口にしながら開き直る。
「だって僕らがこんなに頑張ってるのに、あんな余裕かまされたらムカつくじゃん。だから余計に四天王が弱いだのタイプ転向しろだの言われちゃうんだよ。僕らとワタルってそんなに差がある? 見た目も実力も劣ってないでしょ、こないだのバレンタインのチョコの数はダブルスコアで差を付けられたけど……でも僕らだって四天王だよ! この地方で十本の指に入るくらいは強いじゃん、なんでこんなにぶちぶち文句言われなきゃいけないワケ!」
 自信に満ち溢れた言い分は、昨年の無断欠勤などの失態を棚に上げている。しかしこれを皮切りに四天王が抑制していた不満が噴出した。シバは読んでいたトレーナー向けの雑誌をテーブルに並べながら、イツキの意見に激しく頷く。
「確かにそうだな。というか、この辺の雑誌でもおれ達は特に批難されていないじゃないか。誰が文句言ってるんだ」
 そう言って次々開かれていくページには四天王に関する記事が掲載されており、基本的にその実力を賞賛する内容ばかりだ。否定的な記事は一つもなく、これを読んだセキエイ挑戦者はその才腕に震え上がることだろう。高まる不平に、キョウは翻訳作業を続けながら息を吐いた。
「あのタヌキジジイに決まってるだろ。元キャリア官僚様だけに昔から意識が高うございますから、周囲にもそれを要求してあちこちで亀裂が生まれてるんだよ。不満を口にする奴を切り捨てていった結果、今は見事なワンマン組織が成り立っているが……」
 ジムリーダーに任命されてから総監には度々苦しめられ、同様の被害者も多く目にしてきた。恐らく父親もその類だろう。肩を落としながらマグカップを口へ運ぼうとした時、雑誌をめくっていたカリンがやや大仰な口調で微笑んだ。
「そのうち革命家が現れるかもね。このバベルの塔に制裁を、みたいな」
 イツキが頷き、シバが鼻で笑う――ヒーロー気取りか? そんな会話を耳にすると、たちまちキョウの頭の中に七年ほど前の夏の記憶が鮮明に引き出される。猛暑のセキチクジム、陽炎のように浮かんでいた師匠の姿。彼は似たようなことを言った――あのバベルの塔に制裁を加えてやる、と。
 燃え上がるような双眸は、冗談には思えない気迫があった。今思えば、あの真意は何だったのか懸念するところである。勇猛で狡猾な師が、NPO法人を利用してセキエイをバッシングする程度で終わるはずがない。キョウがぼんやりと考え込んでいると、隣で頷いていたイツキが陽気に声を弾ませた。
「それはまさに僕の使命だね」
 素っ頓狂な発言に、仲間たちは耳を疑った。イツキはテーブルにカップを置くと、冷めた視線も気にせず得意げに立ち上がる。
「僕は頭の固いお爺ちゃんを変えることには定評があるからね! 僕がワタルを倒し、チャンピオンになれば組織は変わるはず」
「去年ヤナギに根性を叩き直してもらったくせに、偉そうだな! 具体策もなしに寝言ほざくな」
 すかさずシバに斬りこまれ、イツキは一瞬尻込みしたが“勝てるポケモン特集”との見出しが躍るトレーナー雑誌が目に入った途端、突き動かされるようにそれを高らかに掲げる。
「チャンピオンになりたいのは本気だよ! フェアリーとか、この雑誌に書いてあるようなガチなマルチパーティ――ガブリアスにメタグロス、バンギラスとか……こういうのでワタルに挑めば試合を有利に運べるのかもしれないけどさ、僕は自分のエスパー軍団で頂点に立つからこそ意味があるってことを総監に分からせたいんだよ。初めてネオの念力を見たとき、超カッコ良くてこのタイプのポケモンをもっと見てみたいと思ったんだ。僕がエスパーに拘ってる理由はそれだけなんだけど、ここまで上り詰めたならもはや誇り、いや、ポリシーなんだよ! くっだらないかもしれないけど……これは“本当に強いトレーナーなら好きなポケモンで勝てるようになるべき”って言ってたカリンも分かるでしょ?」
 すがるようにカリンへ視線を向けると、話に聞き入っていた彼女は首を小さく縦に振る。
「もちろん故障したらシバみたいにリハビリして是が非でも回復させる心構えだし、万が一ハンデを背負ってもキョウさんみたいにポケモンの戦闘意欲を尊重して戦えるように努力するよ。拘って捕獲したんだから、そこまで責任負うのは当然だよね。その覚悟を持った上で、僕はエスパーでチャンピオンになりたいんです!……って総監に言ったら理解してもらえるかな」
 イツキは意気揚々と周囲に同意を求めるが、温度差は激しかった。
「残念だが、マスターシリーズで勝てと言われておしまいだ。」
 キョウがコーヒーを飲みながら、一言で切り捨てた。カリンも頷く。
「ワタルも総監にそんなことを言って折り合い悪くしたのよね」
 自尊心を傷つけられた少年は、ソファに倒れ込みながらふて腐れた。
「似てるゥ〜? 超クールな主張だと思ったのになあ……あーあ、総監って僕らの試合がそんなにつまんないのかな。ネットで叩かれるより、身内に失望される方がよっぽど悲しいよ。リーグ戦はいつも滅茶苦茶盛り上がってるのに、それでもまだ足りないなんて。僕自身は現状に満足してる訳じゃないし、皆には悪いけど四天王は通過点だと思ってるけどさ……少なくともお客さんは喜ばせてると思うよ」
 その憂いに、シバがぽつりと呟いた。 
「それすらも見えてないのかもしれんな」

+++

 本部ビルに移動したワタルは最上階へ繋がるエレベーターに乗り、総監室へと到着する。見目麗しい秘書に案内され中に入ると、リーグ組織を総べる長がデスク越しに待ち構えていた。改組時のように、応接スペースへ招かれることはなくなった。
「呼び出した理由は察しがついているかね?」
 総監が首を僅かに傾ける。ねちっこい先制は相変わらずだ。用件はマツノが想定していた“あの件”だろう。
「……プロの管理体制改善案でしょうか」
「正解、察しが良いね」
 総監は面白くなさそうに唇の端を持ち上げた。それは昨年初冬、シバがロケット団絡みの事故で負傷した際に命じられた課題である。以降ワタルは仕事の合間を縫って思いつく限りの改善策を洗い出していた。時折キョウの手も借り、現在は最終的にマツノと話を詰めていた段階である。
「話はまとまり、現在書面化の段階です。急な呼び出しで印字できませんでしたが八割がた作成しており、原本はスタジアム部門サーバにある支配人の業務用フォルダに……」
「君、印刷して」
 総監が出入り口のドアの傍で待機していた秘書に向けて指を鳴らした。彼女はファイル名も聞かずに退室し、三分で印刷した文書を持ってくる。無駄はないが、あまり良い印象を与えない行動だ。辟易するワタルを後目に、総監はそこに書き連ねられた対策案に目を通すと、たっぷりと溜め息をつきながら肩を落とした。
「各トレーナーに専門スタッフを付けてスケジュールや体調管理、専門医による定期的なポケモンのメディカルチェックか。そしてベンチには安全のため見えない壁を設置、過剰なバトル演出を防ぐ場合はICマーカーの気絶判定値の変更――どれもこれも金のかかる対策ばかりだな」
「申し訳ございません……しかし、故障や不慮の事故を防ぐためにはこれが最適です。スタジアム部門は今期大幅な黒字を見込んでおり、コストに関しては短期間で回収できるため問題ないとの見解で」
 この提案が通ると設備投資等により今年だけで三千万ほどのコスト増額だが、スタジアム運営は黒字であり、マツノは珍しく上機嫌で見積もりを作っていた。高額な設備装置である“見えない壁”も、一昨年製造元であるケーシィ・テックに大きな利益をもたらし業績を飛躍的に引き上げた功績から、信じられないほど安く見積もってもらったのである。
「それなら構わんよ。これだけやって、またトラブルを起こすことがないように」
「勿論です。資料は今週中に清書して提出いたします。では……」
 嫌味を気にせず恭しく一礼するワタルが気に食わず、総監は更にちくりと刺した。
「四天王はポケモンの調整にお忙しいってのに、君は随分と余裕があるね」
「……この後すぐ戻ってトレーニングです。手抜き調整は行っていません。今年も王座を防衛します」
「それは頼もしい、プロの鑑だ。マスターシリーズも面白くなることを期待するよ。デビュー戦からしばらくは過去最高の四天王なんて謳われたもんだが、他のリーグで選手の入れ替えが行われてからその評価も落ちている。今季の結果次第では、一度体制を見直すべきかもしれんな」
 ワタルは先週のグリーンの話を思い出す。勿論四天王が弱いなどと思ったことは一度もない。周囲と協力し、この目で時間をかけて選出した逸材揃いだ。専門家からの評価も高く、ファンの支持も厚い。それをつまらないと一蹴されることが許せず、彼は即座に反発した。
「彼らは決して実力不足という訳ではありません。セキエイが誇れる、百戦錬磨のポケモンを率いた一流のトレーナーです。現にタイトルは――」
「タイトルマッチなんて勝って当然だ。チャンピオンの前で挑戦者を阻む、それが四天王の仕事なんだから。しかし、現在タイトル戦を超えた収益を誇るマスターシリーズが今の体たらくでは先が知れている。昨年は君の圧勝がつまらなくて、夏頃から記録係から送られてくる結果して見ていないよ。私は一昨年に君がレッド君と戦った時のような試合が見たいんだ」
 総監は元々多忙で直接観戦に来る機会も少なかったが、昨シーズン後半は足すら向けていなかった。結果が分かっている試合は観る価値もないということだろう。ワタルはそれを聞き、ひどく失望する。
「確かにマスターシリーズでは私が勝利していますが――それでも試合は専門家、ファン共に評価されています。四天王のポケモンはそれだけ強く、優秀だということです。試合の中身はレッド君に引けを取りません。総監が気にされているのは、リーグ組織間の体裁ではありませんか?」
「当然だ、セキエイはポケモンリーグ総本山。私が各地に存在していたポケモン使いの訓練場をジムに建て替え、バッジを八個集めて競わせる仕組みを整備した結果、トレーナー界は大きく発展した。まさに頂点にあるべき存在。以前君が鳳凰会に告げように、ここは私にとっても“誇り”なんだ。それを汚されては困る」
 毅然と返す総監の双眸には、ワタルとはまた異なる王者の信念が宿っている。リーグ本部創設時から第一線で活躍している男の風格に、ワタルはそれ以上反発することができなかった。
「心得ておきます」
 短く答えて収めたが、本意ではなかった。しかしいつまでもこの場で争うのは分が悪い。
「分かったならまずはICマーカーの気絶判定調整に動きたまえ。まずはマスターシリーズのみで試行し、経過を見ていこうじゃないか。システム部門によると近々免許システムのアップデートを行うそうだからね、端末伝いにマーカーにデータ更新をかけるといい。ああ、それで思い出した……来月のリハーサルに政府の役人どもがポケモン保護対策の一環として、プロの手持ちの視察に来るようだよ。養護施設の子供も招待しているんだよね? 開幕前ということもあるし、リハにあまりハードな演出はよろしくない」
 総監は引き出しの中から当日の来客リストをワタルに突きつけ、語気を強めて言い放った。 
「リハの内容は“ヒーローショー程度”でよろしく頼むよ」
 それは茶番というニュアンスなのだろう。
 確かにヒーローショーは御都合主義の稚拙なエンターテイメントショーという印象が強い。しかしスタジアムで行われるリハーサルは開幕戦と同様の演出、プロによる最終調整を実施する。長きシーズンを戦うための最大の前準備だというのに、それをリーグ本部のトップが軽んじることに、ワタルは激しい憤りで身体を震わせた。しかしこれ以上総監と争うのは得策でない。唇を噛み締めながらリストを受け取って軽く会釈し、身を翻した。すると同時にドアが開いて、背広の上にトレンチコートを羽織ったオーキドが大きなスーツケースを足で転がしながら現れる。両手は十数冊の雑誌で塞がっていた。思わぬ人物の登場にワタルは目を丸くする。
 オーキドは出入り口脇にスーツケースを停めると、ワタルには目もくれず真っ直ぐに総監の元へ向かい、携えていた雑誌をデスクの上にばら撒いた。ポケモントレーナー向けの専門誌が十二冊、昨年発行されたものから最新号まで揃っている。そしてもう一種類、古びた大学ノートが五冊混じっていた。神妙な顔つきのオーキドに対し、総監は眉一つ動かさず応対する。
「何だこれは」
「カントー・ジョウト地方を旅するトレーナー向けの週刊誌だ。発行部数はこのジャンルで一番、初週の号に前月のマスターシリーズの結果を基にしたワタル君と四天王の分析データが載っておる。各号のページに付箋を貼ったからよく読んでみろ! 彼らが世界に恥ず実力を持っているなどどこにも記載がないぞ!」
 オーキドは最新号を掲げると、付箋でマークしたページを広げて総監の前に突きつけた。『セキエイタイトルマッチ・シーズン前レポート』という見出しが踊るページには、オフシーズンのトレーニング内容やインタビューを基にした記者のレビューが纏められている。各人、目を通すだけで挑戦者が竦み上がるだろう仕上がりの良さだ。ワタルは短期間で資料を掻き集めてくれたオーキドに心から感謝した。
「博士、ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げるワタルの声を聞いてオーキドは彼の前を素通りしたことに気付き、慌てて後ろを振り返った。
「ああ……すまんな、何も言わずに横を通り過ぎて。わしも四天王の件については一言言わせてもらいたかったからな」
 オーキドは語気を強めながら、不満げな面持ちの総監へ向き直った。
「プロは結果が全てだと言うが、少し柔軟になれ。ワタル君は一昨年のデビュー会見でチャンピオンとして負けないことを宣言し、今まで見事に有言実行してきたじゃないか。若いのに二年も勝ち続ける気概は並大抵のものじゃない。景気もまだまだ芳しくないこのご時世、圧倒的に強い存在は皆の希望となれる……つまり、ヒーローだ。圧倒的なヒーローのいるリーグは、それだけで他地方に誇れるじゃないか。現にイッシュにいる同業の研究者は、セキエイのことをコミックヒーローに掛けて『まるでメトロポリスだ』と羨んでおった」
 デビュー会見での無敗宣言を必死で守り続けているワタルは、オーキドの熱弁に思わず口元を緩ませた。共にセキエイを立て直した間柄として、ストレートに賞賛を受けると手放しで喜べる。しかし総監はますます不機嫌そうに押し黙ったままだ。
「そして後を追従する四天王も、タイトルマッチの勝率は基本的に九割を維持している。これはプロとして輝かしい数字だぞ、ほぼワタル君の元へ行かせない――そんな矜恃が感じられるじゃないか。そんな彼らが唯一勝利できないのがチャンピオン、誰もが納得できるように上手く成り立っている。人気もワタル君一人に集中している訳でもない。わしはこの人材を自らの手で発掘できたことが大変誇らしいぞ。お前はこれでもまだ不満だというのか?」
 最後まで口を挟むことなく友人の話に聞き入っていた総監は最新号のワタルのレビューページを開くと、ある一文を冷ややかに示した。
「“チャンピオンは既に万全の準備を備えている。より強固に鍛え上げられたドラゴンを率いて、昨シーズン以上の活躍を見せてくれることだろう……その力は四天王さえ及ばない可能性が高い”……このような評価を下される四天王は先行き不安だと思わんかね? 加えて、彼らは試合以外での監視も必要だ。手間のかからない似たような人材がいるなら、それに越したことはない」
 熱弁にも動じない友人に、オーキドは頭を撃ち抜かれるような衝撃を覚えた。どうやら彼は今シーズンの動向次第では本気でメンバーの入れ替えを考えているようだ。
「お前は昔から一度の失敗は二度と繰り返さないが……いくらなんでも今回は厳しすぎないか?」
 総監は涼しげに顎を上向ける。
「プロには厳しすぎるくらいがちょうどいい」
「しかし……!」
 オーキドはデスクにしがみ付いて更なる説得を試みようとしたが、相手はまるで素知らぬ顔、これ以上押し問答を続けたところで話は平行線のままだ。具体的で信憑性のあるデータを見せて熱弁を奮っても、相手を動かせなければ意味がない。ならば四天王を鼓舞して実力を見せるしかないだろう。
「分かりました、総監。その言葉を四天王にも伝え、さらなる精進に励みましょう」
 ワタルはオーキドを食い下がらせるため、総監に恭しく頭を下げる。
「頼んだよ」
 彼はそれだけ呟くと、オーキドを鬱陶しそうに睨みつけた。
「……で、お前はいつまでここに居座るつもりだ? フライトの時間に間に合わんよ」
「お前には重要なことが欠落しとる。これを読んで、少しは昔を思い出せ」
 そう言いながら彼が雑誌の上に置いたのは、すっかり黄ばんだ大学ノートだ。表には“♯1”と、号数だけが素っ気なく記載されている。ワタルにはそれが何なのか理解できなかった。おそらく彼らがタマムシ大学在学中に使っていた思い出の品だろうが、総監本人が一切の反応を示さないため、内容を推測することができない。首を捻っていると、オーキドがこちらへ振り返って床を踏み鳴らしながら歩んできた。これ以上話にならないと諦め、退室するつもりなのだろう。ワタルは出入り口の扉の脇に置かれていたスーツケースを動かし、オーキドを介助しながら共に部屋を出る。
「ありがとう、ワタル君。古い型だから、重くてかなわん」
「いえいえ、どういたしまして」
 そんなやり取りを交わしながら、扉を閉じる音が総監室に反響した。口うるさい人間が去るだけで、部屋はあっという間に静寂だ。ポケモンリーグ本部では職員のデスク上にモンスターボールを置くことを許可しており、手持ちと顔を合わせながら仕事をすることが可能である。本来ならばこれほど侘しい部屋はあり得ないのだが、総監のデスクにはノートパソコンと電話機、ペン立てとオーキドの置き土産である大量の雑誌が散らばっているのみだ。唯一の手持ちポケモンであるギャロップとオニドリルはもう何年もオフィスに持参しておらず、現在は孫の遊び相手になっている。総監は週刊誌を掻き集めてゴミ箱へ突っ込むと、大学ノートに手を伸ばして表紙をめくった。見出し行の一番上にはかっちりとした字で“オニスズメ育成術”と書かれており、その隣に記された日付は今から五十年以上も前、ノートの筆者が大学生の年齢だ。以下はその詳細が小さな文字だけでびっしりと埋め尽くされており、老眼では読むに耐えなかった。
「いつの間にオーキドへ渡していたんだろう。あいつもよく取っておいたものだ」
 ノートをぱらぱらめくると、後半から育成論はオニドリルへと変わっている。筆者のオニスズメが進化したのだろう。裏表紙の後ろには、友人との戦歴が書き記されていた。次のノートはポニータの育成レポート。その次はギャロップ――そして四冊目は“試合対策”である。オーキドのニドリーノ、ケンタロス、ナッシーやウィンディなど様々なポケモンのバトル対策が分析されている。解釈は古いが、先ほどのトレーナー雑誌にさえ引けを取らない内容のはずだ。そう考えると捨てるのが惜しくなり、総監はデスクの引き出しを開け、一旦中の物を出して一番下にノートを仕舞い込んだ。先に入っていた名刺入れや書類が入ったファイル、これまでの功績を讃える記念品が入ったケースを戻していくうちに古びた表紙がそれらに埋れていく。最後に片付けるのは、週末に予定している政府関係者とのゴルフコンペの詳細が入った封筒だ。ゴルフは今も続いている、唯一の嗜みである。それを一番上に乗せればノートは完全に隠れてしまうだろう。総監はそこで手を止めた。
 ――総監が気にされているのは、リーグ組織間の体裁ではありませんか?
 自分に尋ねた、その男の顔つきは気高くチャンピオンに相応しかった。一昨年のデビュー戦最終ラウンド――カイリューに跨り、黒いマントをはためかせながらフィールドの上を飛翔するその姿は、まさにヒーローそのものだ。あの時ほど心が震えた瞬間はない。すべての観客たちと感動を共有し、無心で試合を楽しんだ。
「……高望みしたって、またああいう試合が見たいんだ」
 総監はぽつりと呟くと、ノートの上に封筒を乗せ、ゆっくりと引き出しを閉めた。木材の重厚な摩擦音が、身体の奥まで鳴り響く。悪い余韻だ。掻き出すように深い息を吐く。
 そして、室内はしじまに包まれた。

「あいつは昔から理想が高く、周囲との衝突が少なくなかったよ。まあしかし実力が伴っていたからな、すぐに認めさせて今の地位を築いてきた。話が分からん連中は裏で根回しして黙らせ――決してクリーンなやり方じゃなかったが、環境庁から独立した頃はここもまだ殺伐としとったから、わしも止めんかった。それがどんどん増長して……今じゃ目も当てられん」
 高層階専用のエレベーターの中で、オーキドは遺憾を漏らした。階数ボタンのすぐ側で話を聞き入っているワタルに向き直り、顔を曇らせながら頭を下げる。重力も伴って、ひどい頭痛がした。
「本当にすまん、あいつがああなったのはわしら老いぼれの責任だ」
 突然の謝罪にワタルは動揺し、慌てて否定した。
「顔を上げてください。博士の責任ではありませんよ」
「いや……本当に恥ずかしい! 研究にかまけて本部の運営に携わらなかったことを今更後悔するなんてな……これからのリーグは君ら若者に任せんといかんのに、上がこれでどうする。わしは四天王よりそっちのほうが心配だよ」
「博士は元々研究者ですし……お忙しいのに、セキエイリーグの改組で尽力して下さったこと、大変感謝しています」
 ワタルが丁寧にお辞儀するとその誠意はオーキドへ伝わり、彼はそれ以上悔やむのをやめた。
「ありがとう……そう言って貰えると、東奔西走した甲斐があるってもんだ」
 一昨年の活躍はオーキドの長い生涯でも誇れる功績となっており、彼は講習会やリーグの試合解説の中で、度々この自慢話を持ち出してくる。機嫌を戻しそのエピソードが長々と語られようとしたところで、ワタルは先ほど気になっていた件を引き合いに出して話題をシフトさせた。
「ところで、さっき雑誌の他にノートも渡されていましたよね? 良かったら、詳細を伺っても?」
 雑誌に混じって置かれた、やけに古びた大学ノート。総監は無反応だったが、遠目に見ただけでもかなり使い込まれている品だった。ワタルが首を傾げると、オーキドはエレベーターの隅にもたれ掛かりながら、リラックスした様子で詳細を語り始める。
「ああ……あれはな、昔ポケモンバトルを楽しんでいた頃、あいつが手持ちやわしのポケモンを研究していた虎の巻だ。負けず嫌いで同じ失敗を繰り返さない性だから、傾向と対策がとにかくびっしり書き込まれてる。ポケモン免許端末に図鑑機能が付いているだろう? 実はオニドリルとギャロップの説明はそこから引用してるんだ」
 意外な回答である。ワタルは即座に腰ポケットから免許端末を取り出すと、図鑑ページのギャロップの頁を引いてみた。時速は最高二百四十キロ、メラメラと燃えながら新幹線と同じスピードで駆け抜ける――とある。
「スピードの検証というか、力試しとして当時開通間もない新幹線と並走してみたんだ」
 オーキドは白い歯を見せ、得意げに微笑んだ。ポケモンと乗り物を競わせることは今も少年たちの定番の遊びで、ワタルもカイリューで数々の公共交通機関を抜き去った記憶がある。たちまち総監に親近感を覚え、彼は頬を緩ませた。
「この件、初耳です。そのノート読んでみたいな、特にドラゴンの項目を」
「ドラゴンはな、今も当時も希少種だから……結局一匹も研究できなかったと、よく悔しがっとったなぁ。あいつはプライドが高いから君んとこの長老に頭を下げてドラゴンを分けてもらうのが嫌で、死に物狂いでミニリュウを探してたよ。当時ミニリュウは幻のポケモンって言われてて……ちょうど、今パルパークがあるセキチクの湖で見つかったという噂を聞いた時は二人で泊まり込みしながら通ってたなあ。学生だったからあっという間に所持金がなくなって、セキチクで立ち往生してキョウ君のお父上のところへ金を借りに行ったっけ……彼も昔よくバトルを楽しんだ仲だった。キクコもそうだ」
 現在の厳格な姿からは考えられない滑稽な行動に、ワタルはとうとう吹き出してしまった。上着の裏に入っているカイリューもその話が可笑しいのか、ポケットの中で小刻みに揺れている。その反応をオーキドは満足げに眺めつつ、過去を惜しむように深い息を吐いた。
「馬鹿みたいだろ、あの頃はよく馬鹿をやっとったもんだ。でも純粋にポケモンが楽しめていたかな……今は仕事になってしまって、義務や責任に縛られることも多い……わしは研究者として結果を残すことができたが、その栄光を維持し続けるのは難しいなあ。多くの時間を費やしてポケモンは全百五十種だと発表し、この道の権威だと評されたのも束の間、後から次々に新たな研究成果が出てきて……わしの教え子の功績だから勿論嬉しいんだが、時折侘しいこともある。この気持ち、君なら分かるだろう?」
 ワタルは少しも躊躇わずに頷いた。
「ええ、勿論です。一番上はそこから先が見えません。しかし現状維持ではなく、向上し続けなければならない。ポケモンと共に」
 挑戦者は誇り高く、闘争心を絶やさず突き進む――憧れのヒーローの教えは一度も忘れたことがない。ワタルの強い意志を汲み取ったオーキドは心から安堵したように頷いた。
「……その通り。あいつもそれを、分かってくれるといいんだが」
 そこでエレベーターが鳴って、一階のエントランスに到着したことを知らせる。オーキドはスーツケースを転がしながらホールへ歩み出ると、ワタルへ振り返って苦笑した。
「これからしばらくカロスへ出張だよ。半年は帰ってこられないかな……」
 それを聞き、ワタルはスーツケースがやけに大きなことに納得した。本部役員の中でも味方になってくれていた貴重な存在が長期不在になるのは手痛い。
「大変ですね……お身体に気を付けて。有益な情報があったら共有していただけると有り難いです」
「勿論だとも! そうだ、あいつにも頼まれているんだが、滞在するミアレシティの名物菓子を君にも送ってあげようか。その菓子――ガレット・デ・ロワは“王様の菓子”という意味があるらしい。君にぴったりじゃないかね。特大サイズを送ってあげよう」
 酒を嗜むので甘い物は少量で構わない、とワタルは抵抗したかったのだが、すっかり乗り気になっているオーキドの姿を見ているとそれも言い出せなかった。
「ありがとうございます。四天王といただきますね」
 にこやかに会釈するチャンピオンは、開幕を目の前にして悠々と構えている。一昨年、一心不乱にセキエイを立て直そうと奔走していた頃を思えば、随分と貫禄が付いたものだ。総監を説得できずに後悔していたオーキドだったが、この青年がいれば問題ないだろう。事実、セキエイが新体制になってから組織はオーキドの手から随分と離れている。彼はすっかり安心し、顔を綻ばせた。
「……君がいれば、セキエイは安泰かな。後は任せたよ。戻ってきた時には、王者がすげ代わっていたなんてことがないように! ここをきっちり守ってくれ」
「勿論です」
 ワタルは迷いなく、真摯に頷いた。
 これでこそチャンピオンだ――オーキドは確信し、彼の前に右拳をかざす。 
「健闘を祈る!」
「博士も、良い旅を」
 ワタルもそれに応えるように、右手の拳を押し当てる。そこから伝わる熱意は孫のグリーンと似ていた。彼もまた研究者として、更なる飛躍を遂げることだろう。オーキドはトレンチコートを翻し、颯爽と正面玄関へ向かっていった。いつになく大きな背中だ。ワタルは感心し、その後ろ姿をしばらく見送り続けた。

鈴志木 ( 2014/04/03(木) 19:51 )