プロローグ
season.06 ヒーローショー・アゲイン
シーズン開幕まであと一月と迫った三月中旬の某日、ポケモンリーグ本部に数多ある会議室のひとつに、四天王は招集されていた。四人でテーブルを囲み、彼らを呼び出したスタジアム支配人・マツノが配った資料の表題を見た途端、シバは唸り声を上げて彼に詰め寄る。
「なんだこれは! おれたちを馬鹿にしているのか!?」
「シ、シバくん落ち着いて……」
マツノは真っ青になって周囲に助けを求めながらシバを宥めるが、他の四天王は意に介さない。皆、退屈そうにぱらぱらと書類を弄び、目を通すつもりもないようだ。マツノは部屋の隅へ避難しつつ、必死で弁解する。
「も、もちろん私の意向じゃあないよ! 私だってこんな話したくないけど……この二年、アマやプロが誰もチャンピオンに勝てない事態を受け、ポケモンリーグ総本山であるセキエイリーグの実力が疑問視されないよう総監が提案されたんです。この――」
そう告げながら、彼は高らかに配布した書類を掲げた。
「“四天王のフェアリータイプ転向案”を!」
芝居がかった口調で弁明するも四天王の反応は薄い。場が更に白ける中、シバがテーブルを叩きながら吼えた。
「大体フェアリータイプって何だ! ピクシーやグランブルとは違うのか?」
マスメディアに全く触れない彼は最新情報に疎い。そこで、椅子を回転させながら遊んでいたイツキが得意げに説明する。
「ニュースで話題になってるよね。最近カロス地方で発表されたポケモンの新しい属性だって。ドラゴンにすっごく強いみたいだし、相手の技も効かないんだって! ドラゴンキラーだね! カントーやジョウトにいるポケモンもカロスに行けばその属性が開花するとか何とか」
フェアリータイプは今月初めに学会で発表されたポケモンの新属性である。元々個体は存在していたが、既存とは異なる属性を持っている可能性があると長きに渡り研究が進められ、この度ようやく結果が出た。今のところは遠く離れたカロス地方のみで確認されており、最近の新聞や専門誌はこの話題で持ちきりだ。旅行会社が提案するカロス向けのパックツアーはどこも予約で埋まっており、世間の関心の高さが窺えるが、それに比べればプロトレーナーたちは静観している。
「ざっと業界紙を読んだところ、毒タイプはそいつらに強いらしいからあまり心配しなくていいと思ってる」
キョウはようやく配布された資料に目を通しつつ、余裕たっぷりに呟いた。一方、その隣で爪の手入れをしているカリンはやや不安げな面持ちだ。
「いいわねーオジサマは。悪と格闘の技はあんまり効かないみたい。カロスからの挑戦者には要注意ね、シバ。ピクシーもグランブルもカロスっ子はフェアリーになっちゃうみたいよ。そういうの、他にもいるみたい」
「ならば早急に対策が必要だな……」
セキエイのタイトルマッチには様々な国で修行を積んだポケモントレーナーがやって来る。シバはすぐに訓練だと腰を浮かせるが、すっかり蚊帳の外に追いやられていたマツノがここでようやく脱線を重ねた話題をレールの上に戻した。
「……そうじゃなくてだね!」
シバの鋭い視線を避けつつ、マツノは話を続ける。
「フェアリータイプは最近話題になってて、カロス以外の地方リーグではまだ専門にしてるプロがいないんだ。話題性もあるし、アマチュアトレーナーの規範にもなる。何よりドラゴンに強いのは魅力的だと思わないかい? だから是非、誰か一人カロスに短期留学してその知識を得て欲しいんだよ。勿論既存のポケモンを蔑にはできないから私としては“二刀流”で――」
そこから先はテーブルを叩き割らんばかりの打音で遮られた。
「ふざけるな! 格闘タイプでもドラゴンに勝てる!」
専門とする属性で戦うことを追及しているプロトレーナーにとって、方針の変更は容易く受け入れられる事態ではない。シバはそれを熱弁しようとしたが、端から受け入れるつもりのないイツキがそれをおちょくった。
「えー、面白そうじゃん。妖精さんに囲まれたアニキなんてチョーカワイイ〜。女子から人気出るかもよ」
「なんだと!」
四天王結成当初はシバの怒声を聞けばみるみる委縮していたイツキだが、三年目の現在、すっかり面の皮は厚くなり堂々と軽口を叩くようになってきた。もちろん逃げ足も速く、煽った後はこのやり取りに笑うキョウの背後に避難することも忘れない。いかにも子供っぽいやり取りに、カリンはすっかり呆れ返っていた。
「二人ともやめなさいよ。ま、開幕まで一ヶ月しかなくて調整に追われているときに、飛行機で片道半日かかるカロスへ行こうなんて思わないわ。今の手持ちを切り捨てる気はないし、ふわふわしたフェアリーは私のイメージじゃない。お断りよ」
悪タイプのハードでワイルドな魅力を愛する彼女にとって、フェアリーは肌に合わない。それはイツキも同様で、ここぞばかりにキョウの背後から顔を出した。
「僕もヤダ。っていうか、ワタルの手持ちや使用技もドラゴンばかりって訳じゃないじゃん? フェアリーが来たらリザードンやプテラで食い止めるとか、破壊光線で蹴散らせばいい話だよね。それじゃ今までと何の変化もないし、ワタルの株が益々上がるだけじゃん」
他の三人も相槌を打つ。彼らはこれまでのマスターシリーズでドラゴン対策として弱点を突く属性持ちのポケモンやその技を積極的に起用していたものの、いずれもそれを上回る火力で圧倒されることが多かった。勿論マツノもその現状をよく理解していたので、上から降りてきたこの提案には最初から不服だ。
「……そうそう、そうなんだよ! 私もイツキくんと同じことを考えたんだけど……総監はとにかくこの状況に御立腹で、何かしら改善していきたいようなんだ。フェアリーが駄目なら次はカロスのみで反応が確認されている“メガシンカ”を取り入れたいようだし……」
資料を読み終えたキョウが、書類を手元から遠ざけながら溜め息をついた。
「馬鹿馬鹿しい、この時期に二刀流だのメガシンカだの言い出したって開幕までに金取れるクオリティに仕上げるのは無理な話ですよ。客も馬鹿じゃない、ミーハーな本部だと思われるのがオチです。それほどカロスの真似をしたくばセキエイをあっちに移転すればいい」
「そうですよねー……最近総監、無茶が多いから……」
頭を抱えながら報告に悩むマツノを見て、彼は渋々助け舟を出した。
「なら、四天王は多忙かつ戦力の育成で手一杯だとお伝え下さい。現に今月はポケモンの調整と、娘のジムリーダー試験に伴う面談と引継ぎで手一杯なんです。この後もフジさんやジム運営部署と打ち合わせで。イツキの主張とあわせ、この辺上手いこと誇張すれば諦めてくれるだろう」
三月の予定がびっしりと書き込まれた手帳を見せながら告げるキョウの話に、いち早く食いついたのはシバである。アンズがジムリーダー試験に挑戦していることは、他の仲間にとって初耳であった。
「娘、ジムリーダーになるのか!?」
「三次まで通ってて、ほぼ確定。世襲制度を潰したリーダーの後任がその娘とは、なんて皮肉だ」
と、謙遜する父親の表情からは喜びが漏れ出ている。
セキチクジムはキョウの弟子が前科者ばかりであるため後任が決まらず、二年間リーダー不在の状態が続いていた。各地のポケモンリーグへの挑戦権を得るためには街々のジムを巡り、八個のバッジを手にする必要がある。セキエイはリーグ総本山という性質上、カントー・ジョウト地方合わせて十六のジムの中から八個のバッジを得ることが条件になっていた。そのためジムの一、二か所が休業していたとしても他である程度フォローできることもあり、他地方に比べて影響は少なく、トキワのジムリーダーが不祥事を起こした際は八年も休業していたのである。これは例外的なケースだとしても、セキチクの不在期間も非常に長い。本部がキョウに文句を言い始めたところで、昨年の夏から父親の下で猛特訓を重ねたアンズがジムリーダー試験をほぼクリア。その上、私立タマムシ学園への受験にも成功している。プライベートの時間を全て娘のために注いだ甲斐あったと、キョウは大変な充実感を得ていた。
「すごいじゃない、おめでと! 今度お祝いしましょうよ、私が幹事やるわ」
カリンも弾んだ声で歓喜する。礼儀正しく父親想いの彼女は、セキエイのプロトレーナーやスタッフから特に人気が高い。イツキも賛同し、話はすっかりそちらへと逸れていく。
「賛成! ワタルも誘おうよ。多分参加するよね」
「おれも出るぞ! 就任祝いだ、飲食代全額出してやろう!」
誰よりもアンズを気に入っているシバが言明すると、仲間たちから大きな歓声が上がった。彼が全額負担を申し出ることは珍しいが、祝い事のため誰もその真意について疑わない。
「わーっ、さすがアニキ太っ腹! それならやっぱり、アンズちゃんはお嬢様なんだから敷居の高い店じゃなきゃ喜ばないでしょ。特上握りとかA5ランク牛が出るお店!」
イツキが企むように微笑むと、キョウもそれに便乗して頷いた。
「おお、よく分かってるな。うちの娘はそういう店じゃなきゃ満足しなくてねえ……カリン、その辺考慮してくれ」
「それなら三ツ星が見えるお店にしなくちゃね。ふふ、張りきっちゃう」
勝手に店のランクを引き上げようとする仲間らに動じず、シバは文句の一つも言わずに頷いた。
「どんな店でも来い!」
もはやタイプ転向の話題など消えてなくなり、話はすっかり祝いの会場選びへとシフトしていた。もはや口を挟む隙もなく、マツノは部屋の隅で和気藹々と話し合う四天王を見守ることしかできないし、元々上から放り投げられてきただけの案件、こんな無茶を彼らが聞き入れるはずもないことは理解しており、強要するつもりもなかった。あとは自分も宴席に加えてもらうよう頼んで、会議を終わらせるのみだ。
「……以上、お話しした予定からもお分かりいただけますように、残念ながら四天王は激務につきカロスバトル研修は不可能です。申し訳ございませんっ」
翌日の役員会議にて、マツノは床に旋毛を向けながら総監へ頭を下げた。首がもげるような苦痛だったが、総監の反応を全ての感覚機能で味わいたくはない。せめて視覚だけでも遮断せねばと思いつつ、重要な意見だけは述べておく。
「し、しかしですね……彼らも立派なプロのトレーナーですし、そ、それぞれ専門タイプに誇りを持っていますから……それを無闇に変更するというのは……ちょっと……」
ワタルが四天王に就任した頃からスタジアムの支配人を務めているマツノは、彼らの理念をよく理解しているつもりだった。四天王もチャンピオンも、手塩にかけて育てた選りすぐりのポケモンで現在の地位に上り詰めている。そんな彼らにタイプ転向を申し出たところで、誰が首を縦に振るだろう。しかし総監は違うようだ。
「それを受け入れ、現状に慢心せず、興行を更に盛り上げようとする姿勢こそプロフェッショナルだと思うんだがね。今年から政府がポケモン保護対策の一つとしてバトルをしない日、つまり“ポケモンの休日”プランを施行する関係上、セキエイリーグの試合数が減ってしまう。今のうちに何とかしたいんだ」
マツノは愕然とした。
昨年イツキの復帰戦にて、カリンが一度だけ彼のポケモンを使って試合を行ったケースがあったが、その場は盛り上がったものの、ベストを出せない彼女やポケモンには不満だった。日頃大変楽しそうにバトルを行うイツキが相手だったから、マツノには尚更悪目立ちしたように感じられたのだ。あの惨事を再び繰り返そうというのか――
「お言葉ですが……総監!」
マツノはたまらずに顔を上げた。
「わ、私もス、スタジアム支配人として彼らを傍で見ていますが、つ、つ、常に最善を尽くしてくれています。お陰で今期決算は過去最高の黒字見込みですし……アンケートで調査したファンの満足度も非常に高い。そ、それはプロトレーナーが確たるポリシーをもって戦っているからで……だ、だからこそワタルくんの無敗記録にも繋がっているのだと思います」
視界の端にアドバイザーのオーキドや副総監のフジが納得するように頷いている姿が入り、マツノがやや安堵したのも束の間、すぐに総監から冷やかな牽制が飛んでくる。
「ポケモンリーグはセキエイだけじゃないのをご存知かな」
「は、はいっ! 勿論です!」
マツノの身体が天井へ引っ張り上げられるように真っ直ぐ伸びた。
「政府から民営化された携帯獣管理局はポケモンリーグ本部となり、やがて各地に派生――宙ぶらりんになっていたトレーナーシステムを私が整備し、そのメゾットは国内外問わず浸透するようになった。国営機関となっているケースもある。が……地方リーグの役員連中から言われるんだよね。“本家リーグは最弱だ”。心外だよ」
にべもない言葉からは憎悪が滲み出ているように感じられた。会議室に暗雲が立ち込め、マツノはみるみる血の気が引いていくが、それでもスタジアム支配人としてプロやスタッフの努力をふいにはできない。「そ、そんなことは……!」と弁解しようと口を開いた途端、総監の口調がそれを遮った。
「対アマチュア戦なら四天王も勝率が高いから気にならないが、問題はマスターシリーズだよ。これは一番のドル箱ゲームだから他の地方でも真似され、どこもなかなか良い試合が見られるようだよ。特に対チャンピオン戦かな。毎度四天王が完敗してるウチとは大違い。去年のプレーオフはようやく拮抗していたかと思えば故障してしまうし……」
プロ同士が戦うマスターシリーズでは、月間成績一位の四天王が月末にチャンピオンに挑戦できる権利を得られる。しかしセキエイでは毎月のようにワタルが圧倒的勝利を収めており、一部では八百長ではないかと疑惑の声さえ上がる始末だ。
「タイプ構成はイッシュとさほど変わらんのだがなぁ、何が違うのやら……」
セキエイとイッシュリーグは所属トレーナーの専門タイプが似ており、その違いはゴーストと毒タイプのみである。首を傾げるオーキドに、総監は呆れるように肩をすくめた。
「イッシュと代わり映えしないのも問題なんだよね、マスターシリーズはあっちの方が盛り上がっているから悪目立ちしてしまう。まあショービジネスの本場だし、ハコのスケールすら違うんだが……元々はスーパーボウルの開催地にも選ばれていたスタジアムを買い取ったらしいからねえ。本家として負けたくないね、今年の興行成績次第では大きく改修したいと思っている」
「ほ、本当ですか……」
マツノは思わず揺れ動いた。
セキエイスタジアムの収容人数は約五万人、年々人気が高まるプロの試合を見るには既に窮屈になっており、ちょうど改修を検討していたところである。マスターシリーズが更に白熱すれば、より多くの観客を動員できるスタジアムを作ることができる――なんとか策はない物かと思いあぐねるマツノを見て、オーキドが不憫そうに助け舟を出した。
「しかしなあ……去年の成績を見る限り、四天王が弱いって訳でもないんだがな。ワタルくんが圧倒的だという見方もあるぞ。四天王時代から突出した成績だったし……彼を破ったうちの孫は良くやったもんだ」
オーキドの孫であるグリーンは一昨年短期間ではあるが、チャンピオンに君臨していたことがある。その座はすぐに幼馴染のレッドに譲ることとなり、その際の言動で彼は世間から非難を浴びることとなってしまったのだが、その後修行の旅を経てトキワシティジムリーダーへと返り咲いたのである。ちなみにその修行の地は――既に何度も語られているオーキドの孫自慢を聞き流していた総監は、ふとある事実を思い出した。
「……そういえば君の孫、チャンピオンの座を退いてからリーダーに就任するまでの間、カロスに修行留学してなかった? フェアリー持ってないの」
役員たちの視線が、一斉にオーキドへ向けられる。求められているものは明白だ。
「いや、手持ちには居なかったはずだが……もしかすると、戦い方は心得ているかもしれん。お前、まさか……」
「なるほど、それならカムバックしてもらうのも手だな」
これを聞き、またも危機を感じたマツノが慌てて割り込む。
「い、一度セキエイを退いたトレーナーは再任できないことになっているのでは……まさか四天王を誰か一人……」
「それも構わないが、以前はレッドくんとの新旧チャンピオン戦なんて開催したことだしねえ。“助っ人”枠なんかを作ればいいでしょう、グリーンくんはタイプに固執しないマルチプレーヤーだからいいアクセントになるんじゃないか。オーキド、彼にアポ取ってくれないかな」
冗談じゃない――マツノは思わず眉をひそめた。セキエイを凋落させたグリーンを安易に引き戻すなど、新たな火種を生むだけではないのか。結果のみに固執する総監に不満は募る。それはオーキドも同様で、彼は孫を心配していた。
「本気か? 孫はジムリーダーとして最近ようやく軌道に乗ってきたところなんだ、それを……」
話は総監の強い口調で遮られた。
「ひとまず話くらいさせてもらえないかな。面子を潰される悔しさをよく分かっている彼なら聞いてくれると思うんだがね」
その言葉には、反論を許さない強い意志が感じられる。どうやら本気でワタルの脅威となる存在を作りたいようだ。オーキド、マツノ、そしてフジ始めとする本部役員はリーグ本部の長たる佇まいに圧倒され、それ以上何も反論することができなかった。