HEROSHOW










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season.05 悪女未満
エピローグ
 それは八年前、クリスマス間近のコガネシティ。日付が変わった頃より、夜空からくすんだ色の粉雪が舞っていた。その日もおれは悪臭漂う、殆ど何もない寂れた公園で夜を明かす予定だった。重度の喫煙者であるおれは就寝前の一服がホームレスになる前からの日課だ。この夜も公園前の歩道にうずくまり、あちこちに捨てられた煙草の中からまだ吸えるものを探していた。それがどれだけ卑しい行為かなんて分かっている、情けないがこの喫煙欲には勝てないんだ。訳あって自慢のポケモンたちを手放したときも、火が使えるデルビルだけは連れてきた。最初はライターみたいなものだと思っていたが、もうすっかり懐いちゃって、今ではおれの良い相棒だ。あいつのお陰でカリンちゃんにも出会えたしな。
 車道を行く車のライトに照らされ、ほとんど新しい煙草が一本、目に入る。おお、今夜は良い夢が見られるぞ――そう思いながら手を伸ばした時、ぴかぴかの革靴がその煙草を踏み、おれの目の前に未開封の“ピース”を差し出した。
 平和だと? 何の、悪い冗談だ。
 ありったけの殺意を湛えた形相を上げ、煙草を差し出した黒いコートの男を睨み据えた。やはり、あいつだった。
「……おれは乞食だが、お前の施しだけは受けん」
 奴はまるで臆することなく、おれを鼻で笑う。
「シケモクで最期を迎えるのは酷だろうと、一応の配慮なのだが」
「おれから身ぐるみ剥いで組織を奪い、もう八年か……ふん、見つけるのに随分と時間がかかったな」
「とっくに死んでいたと思っていましたし、わざわざ探すつもりはなかったのですが、あなたが我々のヤクの取引予定を麻取にタレこんでくれたお陰で、寒い中こんな薄汚い場所へ来る羽目になりましたよ」
 奴の後ろで呆れたように笑う男――おれの右腕の、アポロだった。隣には育て屋のラムダもいる。お前ら、あれだけ目をかけてやったってのに、掌返しか。八年間積もらせた悔しさに、おれはアスファルトに爪を立てた。このまま黙って殺されるくらいなら、何とか一矢報いてやりたい。
 公園暮らしの長さから、体力的にすっかり衰えてはいるが、それでもホームレス狩りをするガキどもを撃退できる程度の腕っぷしは残ってる。これでも昔はトキワでブイブイ言わせてた、マフィアのボスの端くれだ。渾身の力を振り絞り、奴の首を捻じ曲げてやろうと両腕を伸ばしたが――額に触れる冷たい鉄の感触がそれを阻んだ。サイレンサーの、銃口だ。
「私は“中国製の拳銃”しか買えなかったトキワの貧乏マフィアを立て直した。ただのジムリーダーにここまでやらせておいて、感謝して貰いたいくらいだ」
 奴のその顔は、まるで鬼のようだった。
 鋭い眼光がおれを射抜き、反抗心を根こそぎかっさらう。何をもってしても抗えない――助けを求めようにも、ここはコガネのオフィス街、こんな目立たねえ場所、真夜中に歩いてる奴は滅多にいない。こいつらから身を隠すため、こんな場所を寝床に選んだことを心底後悔した。もう少し賑やかな場所ならばお騒ぎして助けを呼び、まだあと数年生きながらえたかもしれない。カリンちゃんの成長を見守ることができたかもしれない。ああ、もう。最期まで、おれはついてないんだ。膝をガクガク震わせていると、危険を察したデルビルが傍にやって来る。
「うわァ〜オ! そいや旧ボス、“6v”デルビル持ってたんだァ〜。後の面倒、ワタシが見ときますんでね。ご安心を!」
 奴の背後に立っていた猫背のラムダが、下品な笑い声を上げながら近寄ってきた。こいつにゃ絶対にポケモンを渡せねえ、裏の育て屋として評判はいいがやり方がゲスい。闇市場でポケモンの最高ランクを表す“6v”デルビルをタマゴ五百個から産み出してくれた時も、残った個体を闇市場へ流しつつ三分の一は早死にしたとおれに報告して裏では“犬を食う国”へ売り飛ばし、利益をちゃっかり自分の懐へ収めやがった屑だ。こんな奴に、デルビルを渡すわけにはいかねえ。だったらせめて、あの子の傍で生き延びてくれ。
「デルビル、カリンちゃんの元へ行け……」
 デルビルはすぐに首を振った。
 くそ、最初はライター代わりだったのに……長年寄り添った忠誠心かな。主人としては何もしてやれなかったのに、胸に刺さる。
 だけどよう、おれといたって“犬死”するだけだぜ。だったら、あの太陽みたいに眩しくて良い子の元へ行ってくれよ。そしたらおれも少しは浮かばれるってもんだ――おれは咄嗟に頭を下げながらデルビルを抱え、公園の方角へと放り投げた。
「逃げろ!」
 満足に餌もやれていなかったから、相棒は軽々茂みの向こうへ落下する。やった! 思わずガッツポーズしたとき、背中に鋭い衝撃が走り、激痛が身体の隅々まで行き渡る。おれはアスファルトの上に崩れ落ちた。
 状況は直ぐに理解した。奴がおれを撃ったんだ。滅茶苦茶痛い。
 マフィアやってると鉛玉食らうことも一度や二度じゃなかったが――最後の最後で、なんて痛さだ。脂汗が噴き出て、のた打ち回った。
 遠くから、相棒の鳴き声がする。
「ちょっとちょっと〜、荒っぽく扱わないでくださいよネェ。足とか折れてたらどーすんの」
 ラムダが公園へ向かう足音がした。駄目だ、あいつに捕まるのは危険すぎる。最後の力をありったけ込めて絶叫した。
「来るなよ! 絶……対、来るなぁ!」
 すると今度は左肩に激痛が走った。奴が後ろで、おれを縁日の的当てみたいに撃っているんだ。
「やはりS&W製は良い。安定感がある……が、現状仕入れルートが定まらないのが課題だな」
 なんて、ほざきながら。
「この島国じゃサツの目をかいくぐって武器を大量密輸することが困難ですからね……良い取引先を探していきましょう。ですがサカキ様、あなたは様々なビジネスを成功させ、組織に最高の収益をもたらしてくださった。感謝してもしきれません――あなたは“地元企業を支援してくださる、ジムリーダーの鑑”だ。これからも忠義を尽くします」 
 アポロの声だ。
 お前、一番可愛がってやったのに、何で言い草だ。
「俺はこの後用事があるのでトキワに戻る。死体の処理は任せた」
「ええ、コガネの二流暴力団の喧嘩にホームレスが巻き込まれた――とでも偽装しておきますよ」
 革靴の足音が遠のく。
 おれの意識も、飛んでいきそうだ。
「くっそう〜、さすが“6v”デルビル、逃げ足はええな。捕まえ損ねたぜ」
「また品種改良すればいいでしょう」
「言うのは簡単だが、なかなか出ないからよゥ……あの孵化作業考えると、工場で刺身の上にタンポポ乗せてる方がまだマシ」
「その時間を有効利用して、お得意の変装の腕を磨かれてはいかがですか? はっきり言って現状は宴会芸レベルですよ。少しは使える技量にしてください」
「はいはい、大幹部様は手厳しいねえ。あー……それにしても……孵化面倒くせえなあ!」
 脇腹に硬いつま先がめり込み、血を吐いた。
「うおっ、生きてる!」
「間もなく死にます。自業自得ですね……我が組織を救済してくださった、サカキ様に感謝しないからですよ。そんなだから、リーグ本部に出し抜かれ銀行にも裏切られるんです」
「そうそ。リーグ本部がセキエイに移転して来た途端、ショバ取り上げられるわ銀行にも手を切られるわマル暴からいじめられるわ……散々だったところを、今のボスが救ってくれたのにねぇ。それでも我が物顔しようとするから、追い出されるんだよう。野たれ死んでろ、このボンクラ」
「銃創が残っているので野たれ死はできません。ここはメキシコのスラムじゃないんですから」
「あ、そ」
 言わせておけば。
 おれがまだ“ロケット団”の首領だったらな、トキワの廃工場でスクラップしてやったのによ。セキエイのショバをリーグに、組織を奴に取られなければこんなことには、こんなことには――

「死んだか?」
「ええ、たった今」


 トキワシティのとある路地の前で、男はタクシーを降りた。寝静まった小路に革靴の音が軽妙に響く。彼はオレンジ色の明かりが灯る、古民家のような建物の前で足を止めると、重い鉄扉の取っ手を掴んで後ろへ引いた。
「いらっしゃいませ」
 穏やかな店主の声が聞こえてくる。
 中は奥行きのある、オーセンティックなバーだった。木製のカウンターがオレンジ色の照明に照らされ艶やかに輝き、その奥には壁一面に様々な蒸留酒が整然と並んでいる。各々、一目見ただけで安物ではないと分かるほど上品で年季の入ったデザインだ。
「お疲れ様です、サカキさん。遅かったじゃないですか。もうヤナギ師匠、眠そうですよ」
 カウンターで酒を飲んでいた三十代半ばと思われる男が彼にお辞儀し、席を一つずれる。その隣には、白髪交じりの初老の男が座っていた。サカキと呼ばれた男は彼に会釈しながらコートを脱ぎ、二人の間の席へ腰を下ろす。
「待たせて申し訳ない」
「弟子の功績を祝う日に、遅刻するな」
 初老の男――ヤナギはちくりと咎めるが、弟子のキョウがあっけらかんと受け流す。
「先約があっちゃ仕方ありませんよ。先にヤナさんと例の焼肉屋で食事してまして――」サカキが上着の裏ポケットから煙草を取り出すなり、弟子は自然な動作で火のついたライターを差し出した。「あれ、サカキさん“ピース”なんて吸ってました? いつも葉巻でしょ」
 弟子の質問に、サカキは「たまには」と短く答えて煙草に火を点けた。吸い慣れない銘柄は新鮮味があり、静かに高揚していた気分を更に上向かせる。隣では点火したライターの火を使い回しながら、キョウも煙草を吸い始めた。並んで煙の立つ様子を見て、ヤナギが怪訝そうに戒める。
「プロのポケモントレーナーたる者、喫煙などもっての外だ。師弟揃って……とんだやくざ者だな」
「我々はカントー・ジョウトリーダー内でバッジ保持率ツートップですがね」
「確かにそうだが……」
 これを持ち出せばヤナギが閉口することをサカキはよく知っていた。ペーパーからいきなりジムリーダーへと任命された弟子を育成し、三年目にしてバッジ保持率二位へと引き上げた腕は周囲から高く評価されている。
「結果が出れば、それでいい。ポケギアのリプレース契約、おめでとう」
 キョウを一瞥すると、彼は煙を吐き出しながら得意げに微笑んだ。
 彼は本部が独占していたポケギアのシステムを、地元セキチクのデータセンターへ移行するよう取り付けたのだ。今夜はその契約祝いに呼ばれたのである。
「いえいえ、こちらこそご協力ありがとうございます」
 含みを持たせるような弟子の礼に、サカキは彼に内緒でこっそり裏で手回ししていたことが知れたことを悟った。それを話したのは、おそらくヤナギだろう。呆れるように師を睨んだ後、バックバーへと目線を動かし、そわそわと浮足立っている店主を横目に酒を吟味した。このバーの酒は上の棚に行くほど高額だ。その中で、金の箔押しでシロガネ山が描かれた黒いラベルが目に留まる。
「“主峰”、三十年をボトルで」
 店主を始め、その場にいたサカキ以外の男たちが目を丸くした。
「弟子の功績を祝う日だ。今夜は特別、気分がいい。奢ってやる」
 サカキは少しも気にせず、平然と構える。
 三十年物の“主峰”はなかなかお目にかかれない高級品だ。そんな酒を気兼ねなく注文した師をキョウは訝しんだが、日頃仏頂面で愛想の悪い彼が今夜は妙に物柔らかである。機嫌がいいことに越したことはないと、それ以上詮索はしなかった。
「さすが我が師匠、ご馳走様です。マスターも飲みましょう」
 店主は嬉々として頷き、すぐに小さなショットグラスを準備した。それぞれのグラスに酒を注ぎ、乾杯して各々ゆっくりと手元へ運ぶ。混じりけのない深い琥珀色で目を喜ばせ、グラスの縁に口を付けるなり、上品な花と年季の入った樽木が混ざる、豊かな香りが広がった。魅了されるまま手元を傾けると、とろみのある重厚なコクが舌を伝って心地よい刺激を与え、長く深い余韻を残す。様々な感覚機能を楽しませる最高の酒に誰もが頬を緩ませ、たっぷりとその味を堪能したところで、キョウがいち早くサカキに礼を言った。
「ご馳走様、貴重な酒をありがとうございます。まさに主峰と言う名に相応しい味で、圧倒的なトップに立っているサカキさんらしい。俺が保持率二位と言っても、途方もない差が開いていますからね……このままリーグチャンピオンも余裕でしょう」
「チャンピオンに興味はない。ジムリーダーの方が身軽だ。ただし挑戦者をセキエイへ行かせる気はない」
 つれなく答えた後、サカキはウィスキーを口にする。
「出た。ヤナさん、この人バッジ挑戦レベル1でも全く手加減しないから、トキワのひよっこトレーナーが泣きながらニビへ行ってしまうんですよ。大人げないですよねぇ、まあ愛想も人相も悪くて地元のガキ共は寄り付かないですけど」
 ポケモンジムはトレーナーの実力に合わせ、リーダーが八段階のレベルで戦うルールがあるが、サカキは初級レベルでも容赦ないとトレーナー界では有名で、最高ランク・レベル8での挑戦者が圧倒的に多かった。茶化すようにキョウがその話をすると、弟子の話に耳を傾け主峰を楽しんでいたヤナギが眉をひそめる。
「……聞いて呆れる」
 サカキは気にする素振りも見せず、再び主峰を舌へ絡ませる。
「俺は基本的にレベル8でなければ相手はしない。カスの相手は時間の無駄だ」
「でもリーダーで一位独走してると、張りがなくなりません? お恥ずかしい限りですが、二番手にいる俺はあなたに一度も勝ったことがない。セキエイへ行った方が戦い甲斐は有りますよ」
 弟子が尋ねると、師も頷く。
「これだけ変遷の激しい世界で頂点に立ち続ける実力は見上げたものだ。若いのがもっと台頭してくれば更に面白くなるかもしれん」
 二人の間に挟まれ、サカキは徐に二本目の煙草を指で挟む。そうやって構えるだけでキョウが再び火をくれた。この気の回る弟子は優秀な右腕だが、それでもまだ超一流のトレーナーとは言い難い。年齢的にも頭打ちで、恐らくこの先自分を抜くことはないだろう。やや遺憾に思いながら吐き出した白い煙を眺めていると――同じ色の包帯を巻いた、一人の少年の顔を思い出した。
「……そういえば五年ほど前、ヤナギさんのジムから帰還する際にフスベでトレーナー駆け出しのガキをポケモンから救ってやったことがある。大怪我をしていたくせに、俺がトレーナーと知った途端宣戦布告され――なかなかいい根性をしていた、将来性はあるだろう。手持ちもいきなり手間がかかるドラゴンだ」
 すると弟子は同じように煙草を咥えながら肩をすくめた。
「フスベでしょう? そりゃあ手持ちはドラゴンに決まってる。あの辺はドラゴン馬鹿の巣窟だから……だがサカキさんがそんな正義のヒーローみたいな真似をするなんて珍しい。あなたガキ嫌いでしょう。去年も隠し子の……」
 隠し子のスキャンダルを揉み消させたくせに――とヤナギの前でわざとらしく口を滑らそうとした弟子の台詞を、サカキは力強い口調で遮った。口うるさい師に知られては単純に面倒だ。
「目の前でエアームドの巣穴に落とされたんだ。素通りと言う訳にはいかんだろう。それに――ロマンがあるじゃないか。いつか俺のジムに挑戦しろと、名刺を一枚くれてやった。こういう楽しみが一つはあっていい」
 ウィスキーを手にしながら悠々と微笑むサカキを見て、ヤナギも満足げに頷く。
「珍しいことをする……その子供は今頃、トキワジムへ挑戦すべく訓練に励んでいるだろうな。そういえば、お前は“怒りの荒野”が好きだったな。その影響か」
「あれは師弟の話でしょう。どちらかと言えばコイツとの関係の方が近いが、この雑魚に倒されるとは思えない」
 サカキはやや呆れつつ、顎の先でキョウを示した。“怒りの荒野”は六十年代のマカロニウェスタン映画で、弟子が師に教わった“十の心得”を踏襲し、やがてその男を超える内容だ。古臭い趣味にあからさまな軽蔑――キョウは顔をひきつらせながら憎まれ口を叩いた。
「かびたマカロニ映画好きなんですね。ガンマンの十戒はまだサカキさんに教わっていないなー。アレに出てくる十の心得は父の部屋にパンフレットが置いてあったんでいくつか言えますよ。えー……、依頼するな……信用するな……銃と標的の間に立つな、最初の一発ですべてが決まり……」
 彼は頭をひねりながら本編で登場する十の教えの内、八つまで絞り出した。その次で苦悩している様子を見て、サカキはふと九つ目を口にする。
「……挑戦されたら逃げるな。全てを失う事になる」
 それは彼自身のポリシーでもある。だから、自然と口を突いたのかもしれない。
「これで九つ。最後は?」
 弟子が身を乗り出し、興味津々に尋ねる。
 サカキは焦らすように主峰を一口含んだ後、たっぷりと間を置き、丁寧に答えた。
「殺しは覚えたらやめられない」
 すぐに弟子がヤナギに向けて物騒だと笑い飛ばし、バーは一層和やかな雰囲気に包まれた。フィクションの話だったのだから、当然の反応だろう。しかしサカキがウィスキーと共に味わうその言葉の余韻は、これ以上ない高揚感に満たされていた。ふと一瞥した主峰のボトルは、まだ多くの琥珀色で満たされている。夜は長い――この充実した時間は、まだこれからだ。

■筆者メッセージ
これにてseason.05「悪女未満」完結です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
そして次回エピソードでようやく第二章は終了となります。最後はヒーローショーの再演で締めくくりたいと思います!
鈴志木 ( 2014/01/15(水) 22:23 )