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season.04 戦力外通告
第7話:迎えてくれる場所
 暗く冷たい河がシバの体温を奪っていく。
 その上あちこち負傷しており、傷口に汚水が流れ込む苦痛で意識は段々と遠のいていた。だが腰のベルトに装着したモンスターボールは決して離すまいと握り締めている。ボスゴドラと、相棒のカイリキーにガラガラ。まずは彼らの治療が最優先ということで頭が一杯だった。
(アズマオウ……おれを洞窟の外へ……)
 彼はアズマオウの尾びれを掴みながら、とにかく外へ出てくれるように願った。捕獲したばかりのポケモンとは意思が共有できない上、空気を含んだダイビングもままならない。息苦しい時間は永遠にも感じられ、このまま三途の川に流されてしまいそうだ。凍えるような寒さと相まって、底知れぬ恐怖が彼を支配した。
(ああ、どうか)
 ふいに、視界が澄み渡っていく。
 柔らかな光に抱かれて、前方にはっきり捉えたのは猛々しいギャラドスの姿。太陽の下へ出られたらしいのに、不運にも喰われてしまうのか――覚悟してモンスターボールを固く握りしめた時、肌に汚水が張り付いて一気に身体が浮き上がった。
 たちまち視界が開け、彼は軽い眩暈を覚える。暮れなずんだ空に、穏やかに揺れる緑の木々――洞窟とは別世界のようだ。殆ど機能しない頭と身体をフル稼働させ、ギャラドスがアズマオウを咥え、河から引き上げたことを理解する。
「シバ、大丈夫か!?」
 川岸から草を踏み鳴らす足音と共に、聞き慣れた声がした。彼は頬を緩ませ、安堵の息を吐きながら頷いた。
「……ああ、なんとか……」
「傷だらけじゃないか、早く病院へ!」
 ギャラドスの主人・ワタルはシバを岸へ移動させると、自身のマントコートを彼に掛けながらカイリューを傍に召喚した。
「ああ、カイリキーが……危ない……」
 シバは握りしめたカイリキーのボールを掲げながら力なく声を絞り出す。ワタルは大急ぎで相棒に鞍を装着した。
「お前も危ないぞ!」
 ものの数秒で鞍を取り付け、主人がその安全性を確認する間、カイリューはシバを両手でそっと抱え込んだ。準備が整うなり、ワタルが軽やかにその背に跨って相棒の肩を叩く。
「カイリュー、急いで病院へ」 
 カイリューは頷くと、林を抜け、ハナダシティの大空へと飛翔する。ワタルはすぐに大学病院へ問い合わせ、急患の連絡を入れながら目的地を目指した。これほど負傷している親友は今まで見たことがなく、手綱を握る手はじわりと汗ばんでいく。
「頑張ってくれよ……!」
 カイリキーの故障の原因を作り、そしてこの仕打ち。罪悪感と恐怖心が共に彼を急き立てる。万が一の悲劇など、考えたくもない。何が何でも親友を救いたかった。
 
 次にシバが目を開けると、病院のベッドの上だった。
 計器の音だけが静かに響く中で身を起こそうとするが、包帯が巻かれた上半身は痛みが残っており自由が利かない。仕方ないので頭だけ動かし、なんとか周囲の様子を窺っていると廊下側の窓の向こうから顔を出しているワタルと目が合った。親友は早足で集中治療室に駆け込み、安堵の表情を浮かべる。
「意識が戻ったのか! 良かった……今、ドクターを呼ぶから」
 そう言いながらナースコールに手を伸ばそうとした彼に、シバは一番の気がかりを尋ねた。
「カイリキーは」
 ワタルはたちまち顔を曇らせたが、希望を含んだ口調で答える。
「命に別状はないよ。今、別室で治療中だ。ボスゴドラとガラガラも同じく」
「……怪我、悪化してなかったか」
 数十分前に医者からカイリキーの悲惨な容体を説明されていたワタルは、親友へできる限り好意的に話そうかとも考えたが――この気にかけている様子を見る限り、戦力外にすることはないだろう。そう信じて、隠すのは止めた。
「先日入れたシャフトが折れて腕の中で刺さっていたようだが、命には問題ない。三日ほど入院すればリハビリを始め、動かすことが可能なようだ。開口一番ポケモンの心配をするなんて、お前らしくてある意味安心したよ。自分も大怪我をしているのに」
 ワタルはシバにナースコールを見せつけながらボタンを押す。これだけの手負いだというのに自身の容体を気にしない上、恩人に礼もなく、まずポケモンを懸念する――呆れてしまうが、ごく普段通りのシバだ。ピークを迎えていた罪悪感が徐々に薄らいでいく。
「……おれは結局、何も守れなかった」
 無念の吐息を漏らすシバに、ワタルは首を傾げる。
「キクコに頼まれ、オツキミ山麓の洞窟に花を手向けに行った。そこで色々あってロケット団に対峙し、虐げられているガラガラをなんとか救ったはいいが……カイリキーをまた負傷させてしまった……」
 小さな正義感が生んだ惨事だが、自身が生きていることさえ信じられない。急に現実に引き戻された頭はまだ混乱していた。
「ロケット団……?」
 詳細を端折った説明にワタルは困惑しつつ、その組織名にと胸を突かれた。脳裏に浮かぶ、一人の男。ニュースで警察の捜査状況が頻繁に取り上げられているが、彼は巧妙に身を潜めているらしく、ほとんど進展がないことをメディアに非難されている。気に留めてはいるが日常からは程遠いあの組織絡みの犯罪に、友人が巻き込まれてしまう日がやってくるとは。
「ああ……そうだ、通報しなければ」
 身を起こそうとしたシバを見て、ワタルはすぐに彼を止めた。
「分かった、オレが警察を呼ぶから。後の対応は任せてくれ」
 ワタルはにこやかに電源の落ちたスマートフォンを掲げながら治療室の出入り口へ歩んで行く。いつも彼が好んで着用している、爽やかなピンストライプのワイシャツに細身のパンツ姿。
 そこでシバは気付いた。
 数時間前に言い争っていたというのに、彼はごく普段通りの対応だ。そして自分も、同様の受け答えをしている。むしろ何故あれほど卑屈になっていたのか疑問に思うほどに、いつもの光景。
「……ワタル」
「ん?」
 ドアに手をかけていたワタルが振り返る。
「何故おれの場所が分かった?」
「病院から本部に連絡があってね。リハビリの時間になっても戻ってこない、と。免許の位置情報も消えていたし……最後に確認されたポイントから、ハナダのオツキミ山周辺を捜索していたんだ」
 シバはすんなりと納得した。この気配りが心地良い。すぐに感謝の意が浮かび、そのまま言葉にした。
「……ありがとう」
 するとワタルは嬉しそうに白い歯を見せた。
「遅いよ」
 軽快に革靴を鳴らしながら、治療室を後にする。

 しばらくして、再びの静寂が訪れた。
 シバは徐に深呼吸する。数日前まであれほど不愉快に感じられた消毒液の臭いが、今は心の靄を取り払ってくれるほどに清々しい。

+++

 三日後に発行された朝刊の一面は全社揃って、シバ負傷の記事になった。ハナダの洞窟に訪れたシバが不運にもロケット団幹部と遭遇し手負い、全治三週間。主人を守ろうとした故障持ちのカイリキーも応戦し負傷――しかし奇跡的にも傷は悪化せず。この事実は紙によって美談、もしくはトレーナーの責任を問う内容の二つに分かれていた。
 総監の見解は後者だ。
「次から次へとトラブルを起こしてくれますね」
 その日の夕方、彼はワタルを総監室に呼びつけデスクに並べていた全国紙数社の新聞記事を見せつける。背広を着たチャンピオンは、ピンと伸ばした背筋を直角に折り曲げ謝罪した。
「申し訳ございません」
 磨き上げた艶やかな革靴がワタルの目に留まる。すっかり謝罪慣れして、総監の嫌味も以前に比べ心に刺さらなかった。僅か二年でここまで鍛えられたことに我ながら感心する。
「今年だけで四天王さんたち、何度大きな不祥事を起こしているんだろうね」
 何度、という言葉を強調され、ワタルはやや不服だった。それでは度々トラブルを引き起こしているようではないか。さすがに黙ってはいられず、訂正する。
「不祥事と呼ぶならば……六月に、一度だけ」
 目立ったトラブルはイツキが無断欠勤した件のみのはずだった。しかし総監は眉を吊り上げ、不満気に尋ねる。
「ふーん……シバくんの件は大したことないと言うのかね?」
「マスターシリーズ中の故障は事故ですし、ハナダの事件は偶然です。故障のカイリキーをバトルに繰り出した件は私も問題があるとは思っていますが、状況的にそうせざるを得なかった部分もあります。最悪の場合、死に繋がっていたでしょう。結果としては無事に救出できましたし、一概に彼を責めることはできません」
「というか、彼はなんであんな辺鄙な場所へ?」
 総監は髭を撫でながら、探りを入れる様にワタルを睨みつけた。
「それは……私も詳細は聞いていませんが、あの辺に墓地があり、供養に行けない友人の代行をしたところ不運にも鉢合わせしたらしく……」
 髭を伸ばしていた総監の手が止まる。その双眸は僅かに動揺の色を示しており、ワタルは首を傾げるが――すぐに皮肉へと戻った。
「リハビリ開始前にわざわざ行くものかね。若者の考えることは分からん」
「一時間ほど余裕があったそうですから。私も同じ状況ならそうします」
「……で、また“来季挽回する”と豪語して話を締めるの? 君が有言実行なのは分かるが、一年通して大きなトラブルを何度も引き起こされては私も穏やかではない。四天王をまとめるチャンピオン殿として、今後の対策なんぞをお聞かせいただきましょうか」
 突然改善策を求められ、ワタルは肝を潰した。動揺する彼に対し、総監は呆れる様に肩をすくめる。
「何も考えてないって? だめだよワタル君、それじゃあね。チャンピオンはトレーナー界の大スター、頂点に立つヒーローだ。だが、そろそろ目を覚まして現実も見て欲しい。本部に所属する人間として、君らの勝手な行動がどれだけここに影響するか……それは昨年、君も身を以って実感しているだろう。だったら、配下の四天王をもっとしっかり管理したまえ。私の目にはカリンちゃんくらいしかマシな人間がいないように見える」
 昨年、あれほど目をかけてもらった恩はあったが――ワタルの額がじわじわと熱を帯びる。必死に冷静さを取り戻そうとしても、仲間を侮辱され、駒のように自分たちを扱う総監に納得できなかった。 
「……分かりました。しかし、シバの行いは完全に否定されるおつもりですか」
 せめてそれだけでも大目に見てくれれば気休めにもなる。だが、椅子に身体をうずめながら放った総監の言葉はそれを認めなかった。
「そもそも私は言ったんだよ。リハビリに付き添う暇があったら新しいエースを育成した方がいいと。非情かもしれないが、それはプロを続ける上で当然のことだ」
 だからシバはカイリキー転院後に見舞いに行かず、訓練を始めようとしていたのか? ワタルの心が沸き立っていく。いくらトレーナー社会を総べるポケモンリーグ本部総監の発言とはいえ、これを認めるわけにはいかない。親友のシバにとって、ポケモンとはライフワークのはずだからだ。
「一理ありますが、トレーナーはポケモンありきの存在です。そこを蔑ろにしてはプロ以前の問題ではありませんか」
「時には切り捨てる必要だってあるさ。君はまだ若いし、戦力外の経験も少ないだろうから分からんだろうけどね」
 重々しい総監の言葉――おそらく、経験に基づいているのだろう。しかし、ワタルは高ぶる感情のまま反発した。
「ええ、私はポケモンをビジネスとは捉えていませんから理解し難い」
「何?」
 総監は眉をひそめ、不快を露わにする。ワタルは構わず思いの丈を捲し立てた。
「チャンピオンと言う立場を与えてくださり、多大な恩恵を賜っていることは大変感謝しています。そのご厚意にはできる限り報いたい。ですが――我々は、プロである前にポケモントレーナーだ。ポケモンがいなければ成り立たない、大事なパートナーであり仲間、そして貴重な戦力です。手持ちに招き入れた以上――彼らの生涯を背負わなければならない。それがトレーナーの責任です。プロだからと容易にポケモンを切り捨てるのはもっての外だ。共に闘い、生きている存在を完全にビジネスには括れない!」
 高ぶる興奮と共に恐れさえも放出すると、たちまち世界は色褪せる。
 意見を真っ向から否定され、椅子の肘掛けに爪を立てながら憤りを隠せない総監の顔を見たワタルは、小さく深呼吸すると、すぐに浮かんだ対策を堂々と述べた。
「我々は立場上、一般トレーナーの鑑であるべきです。それを四天王にも進言し、スタッフと協力してプロ、そしてポケモンの管理体制を築きながら、一層の精進に努めさせて頂きます」
 そして丁寧に頭を下げる。
 総監の顔が直視できないが――胸のつかえが取れ、心は晴れやかだった。
「現場の人間は経営者の気も知らず、理想ばかり語る。君は誓い通りに動いてくれるが、私の考えを理解してもらえないなんて残念でならない」
 総監は呆れ返りながら露骨な溜め息を吐いた。
「私も残念です。ポケモンリーグ本部総監に、このトレーナーの基本的な思想を受け入れていただけないというのは」
 ワタルは顔を上げながら、一歩も引かない姿勢を見せつける。この強固な意志と勇壮な佇まいこそ、ドラゴン使いの名に相応しい。
「……随分と生意気な口を聞くようになったね。そのうちグリーン君みたいにならないことを祈るよ」
「チャンピオンの地位に甘んじず、瑕疵なきよう努めて参る所存です」 
 皮肉を馬鹿丁寧な言葉で返され、総監の腸は煮えくり返っていた。
「もう失せていいよ。これ以上居座られても目障りだ」
 ワタルは再度恭しく頭を下げると、颯爽と身を翻して出入り口へと向かう。形式的な礼をしても信念は曲げない背中へ、総監は肩をすくめながら毒を吐いた。
「君は高卒にしてはなかなか有能だから、引退後はフロント入りを考えてあげようかなって思ってたんだけど――融通が利かなさそうだから再検討だね。素直に従ってくれると思ったんだけどな」
 ワタルは扉の前で総監に向き直ると、居住まいを正し、彼を見据えながらきっぱりと告げる。
「臆病者は、戦士に非ず――私の一族の信条です」
 目を見張る総監へ最敬礼し、ワタルはほんの少しだけ頬を緩ませながら部屋を後にした。
 
 扉が閉じるなり、総監はデスク上の固定電話から迷わずフジの内線ボタンを選んで電話を掛けた。右腕は三コール目で応答するが、僅か数秒のこの時間さえ苛立ちを増長させる。端に飾っていたオニドリルとギャロップの写真立てを床に払いのけながら、開口一番、フジに怒りをぶつけた。
「フジ副総監、君は脇が甘すぎるよ。ハナダの洞窟の件、シバ君に知られたかもしれない」
『は……はい!? 新聞は……読みましたが……れ、例の件は公表されていないようですが……』
 恐怖で歯を鳴らす音が受話器越しに届く。フジは相当動揺しているようだ。
「たとえ公になったとしても、不慮の事故で亡くなったポケモンを埋葬していた――と、言えばある程度は誤魔化せるだろうが、ミュウツーだけはどうにもならん。あいつが死んでいることを願うばかりだ。奴に関するデータは間違いなく、本部内から全て抹消しているんだろうね?」
『も、もちろんです……』
 受話器の向こう側で、フジが何度も頭を下げている様子が目に浮かぶ。こうやって脅かしていると、総監の憤りも徐々に和らいできた。
「奴が表に出てくれば本部の未来はない――もう洞窟周辺は警察の捜査が始まっているだろう。我々は彼らにあまり良く思われていないからね、見つかったら大変だ」
 わざとらしく困窮をアピールすると、フジも察してか細い声で頷いた。
『すぐに、対処します……』
「よろしく頼むよ。そもそも君が調子に乗った結果あんなことになったんだから、後処理に責任を持つのは当然だ」
 弁解しようとフジが息を吸い込む前に、総監は受話器を叩きつけながら電話を切る。溜め息をつき、椅子を半回転させ窓の外に広がるセキエイの都市風景を見た。四十数年前はトキワシティ郊外の古ぼけた田舎町が、今ではすっかり近代的な街並みを築き上げている。ここまで様変わりすることができたのは、自分の尽力があってこそ――それなのに、彼は理解を示さない。
「私は飼い犬に手を噛まれるのが嫌いなんだ」
 チャンピオンの勇壮な背中を思い返しながら、総監は再び重い息を吐き出した。

+++

 総監室を出た途端、ワタルの身体に疲労がどっと押し寄せてくる。不思議そうに首を傾げる秘書たちに会釈しつつ、足早にエレベーターに乗り込むと、スタジアムとの連絡通路階がある五階のボタンを押した。身体に掛かる重力が一段と強く感じられる。
 ふと、上着の裏ポケットがもぞもぞと動きだした。相棒のカイリューだ。ボールを掌に乗せると、彼女は不安げに主人を見つめていた。
「やっちゃったよ」
 ワタルはまるで後悔することなく白い歯を見せた。憑き物が取れたような主の笑顔に、カイリューも嬉しそうだ。
「これからは意地でもチャンピオンを続けていかないとな……負けたらきっと無職だ」
 と、冗談っぽく言ってみるものの――あの総監の怒りを買ってしまったのだ。王座から降りてしまえば、それはすぐに現実となるだろう。プロトレーナーの頂点を走り続ける重圧がさらに増してしまった。
 だが、それでもポケモントレーナーとして信念を曲げることはできなかった。将来の個人的な地位と、戦友ともいえるポケモンや四天王を天秤に掛ければ、どちらを優先すべきか答えは明確である。
 足も自然にスタジアムへ動いた。
 連絡通路を抜け、職場へ到着すると徐々に心身が軽くなる。
 やはり自分はこの場所がいい。
 廊下の両側の壁に張られたスポンサーのポスター、ファンから贈られたスタンディングアレンジメントなど――ここは夢と栄光に溢れている。まさに理想の場所で、安らぎさえ与えてくれるのだ。
 ワタルは残務作業を済ませようと、ロッカールームの前までやってきた。躊躇いなくドアを開けると、奥のソファに座っていた四天王が一斉に彼を向く。
「あ、ワタルおかえりー!」
 イツキが弾むような声で右手を挙げた。
 ワタルは目を丸くする。ごく普段通りの光景だが――その中に一名、まだ入院中だったはずの男がいるではないか。
「シバ! お前、入院してるんじゃ……」
 慌てて部屋に入ると、上半身に包帯を巻いたシバが悪びれなくワタルに告げる。
「だいぶ回復したからさっき退院してきた。寝てるだけじゃ時間が勿体ない」
「はあ!? いくらお前でもそれは……」
 おせっかいな友人に、シバはうるさそうに頭を抱える。
「散々説教されて耳が痛い。お前までやめてくれないか」
 このやり取りを見る限り、二人の間に既に亀裂はない――他の仲間たちは顔を見合わせ、僅かに頬を緩ませる。しかしすぐにカリンが肩をすくめながら水を差した。
「ほんの数分前にいきなりやってきて、皆でワタルと同じこと言いながら責めてたのよ。医者の反対押し切って出て来るなんて馬鹿ね〜、本当に馬鹿! 脳みそも筋肉で出来てるの?」
「なんだと! こちらが大人しくしていれば貴様……」
 シバは容易く挑発に乗り、テーブルを叩いて立ち上がるが――ワタルが仲裁に入るより早く、カリンが語気を強めて鋭く言い放つ。
「っていうか、まずメンバーに言うことがあるでしょう?」
 そこで我に返ったシバは口を噤むと、ワタルやソファに座っている仲間たちを見渡した。口では叱責しつつも、彼らの眼差しに憤りは感じられない。それは何よりの救いだった。
「……面倒かけて、すまなかった」
 シバはぼそぼそと囁くように仲間たちに会釈する。彼らしい謝罪だ。
「それだけ?」
「いいじゃないかカリン、別にあれは事故なんだし……」
 茶化すように唇を尖らせるカリンをワタルが真面目に諌め、それを傍で眺めていたキョウが一笑する――いつもの光景だ。
 満員のスタジアムに向かえばたちまちプロの顔になる彼らだが、このロッカールームでは親しみやすい一人の人間となる。イツキはその雰囲気がとても気に入っていた。またこの関係が続くのだと思うと、嬉しくてたまらない。
「じゃっ、みんな揃ったし! ご飯食べに行こうよ!」
 突然立ち上がった彼の提案に対し、仲間たちは目を丸くする。
「シーズン終了の打ち上げもしてなかったし、シバの退院祝いも兼ねてさ〜! お店はそうだな……あそこっ、四月にみんなで行ったトキワシティの焼肉店! あのお店、お肉超美味しかったよね!」
 イツキはいかにその時の焼肉が美味だったか饒舌に語り、数分後、誰も反応していないことに気が付いた。目を点にしながら同僚たちを見渡すと、彼らは呆れた様に苦笑している。しかしその表情は大変意欲的だ。
 しばらくして、ワタルが「いいね」と微笑んだ。

+++

 焼肉店の個室座敷席にて、ワタルが中ジョッキを持って立ち上がる。
「それでは、シーズン終了とほぼ脱走に近いシバの退院を祝し――」
 乾杯の音頭が終わる前に、四天王はジョッキを高らかと掲げて「乾杯!」と声を張る。飲み物に飢えていた彼らは、ほとんどその中身を飲み干した。ワタルは苦笑しながらテーブルの端に座り直し、手振りで店員を呼ぶ。
「上ロース!」
 シバはメニューに目もくれず、ぶっきらぼうに注文した。
「え〜っ、僕カルビがいいんだけど」 
 コーラを口にしながら不平を漏らすイツキに、カリンが横槍を入れる。
「最初はサラダでしょ? 野菜入れなきゃ太るわよ」
 呼び出された男性店員はトレーナー界の大スターたちの圧倒的風格と自由奔放な注文に戸惑っていたが、ワイシャツ姿のチャンピオンが前に出て、にこやかに話をまとめ始めた。
「盛り合わせを頼めばいいよ。で、サラダを二人前。野菜焼きも頼もうか……それと、シバ! 飲み物はビールでいいかい?」
 空になっているジョッキを目ざとく指摘され、シバは黙って頷いた。一通り出揃ったところで、ワタルは慣れた様に注文を取りまとめる。
「注文お願いします。特上盛り合わせ五人前と、サラダ三人前、野菜セットと生中ひとつ。とりあえず以上です、よろしくお願いします」
 男性店員はワタルに尊敬の眼差しを送りながら一礼し、キッチンへと引っ込んでいった。満足そうなチャンピオンの背中に、キョウがジョッキを置きながらわざとらしく頭を下げる。
「チャンピオン様、お使いだてして申し訳ございません」
 五人でたまに食事に行くと、こうして場を取り仕切るのは気の回る彼の役割になる。ワタルは照れながら通路側の端の席に腰を下ろした。その際、垂れたネクタイをワイシャツの胸ポケットに仕舞う動作を不思議に思ったシバが首を傾げる。
「……ところでワタル、お前なんでスーツで出勤していたんだ? ネクタイまで……」
「ああ、これは……」苦笑しながら説明に悩んでいると、向かいの席に座っていたキョウが意地悪く微笑んだ。
「聞いたぞー。お前、タヌキジジイに喧嘩売ったんだろ。これで引退後の本部入りはなくなったな、おめでとう」
 その蔑称が本部総監をさしていることは仲間たちも周知の事実で、彼らは吃驚の声を上げた。
 ほんの一時間前の出来事だというのに、さすが耳に入るのが早い――ワタルは時折スマートフォンの画面に視線を落とすキョウに感服した。どうやら本部関係者からリークされているようだ。
「そういう器じゃないですからね、オレは」と、謙遜してみるが――八月に彼の邸宅で酒を酌み交わした際、数年後にキョウが引退しフロント入りを示唆していた件を思い出した。現在四天王である以上、今後に響いてしまうのは間違いないだろう。
「あ……影響したらすみません……」
 小声で謝罪すると、キョウは気にするなと言わんばかりにかぶりを振った。彼の事だから別の方法がいくらでもあるということだろうか――ワタルが安堵すると、サラダとシバの生ビールが運ばれてきた。
「なんで総監と? らしくないわね。シバが原因?」
 サラダを取り分けながら首を傾げるカリンに、ワタルはぎこちなく答え始める。
「ああ……そういう訳じゃないんだけどね。あまりにもビジネス優先してポケモンに責任を持とうとしないから、それは違うんじゃないかと意見したんだ。確かにプロの立場はあるしセキエイは興行的な面も強いが――」
 台詞は徐々に勇ましく、熱を帯びてくる。
「フィールドで戦うのはポケモンだ。一番の戦友を使い捨ての道具みたいには扱えないよ。彼らの誇りを尊重し、共存することこそがトレーナーの使命だと思ってる」
 何も後悔することはない。
 ここまで来てしまったら、己が信念を貫くのみだ。
 そう覚悟した時、ワタルは場が静まり返っていることに気が付いた。
「……堅苦しすぎるかな」
 苦笑しながらビールを飲んで誤魔化すワタルに、カリンがサラダの盛られた小皿を手渡しながら微笑む。
「いいんじゃない。いつもの“ヒーロー気取り”で、あなたらしいわ」
「ありがとう」
 気取っているつもりはないのだが、ヒーローと呼んで貰えるのは有り難い。破顔するワタルを、親友も後押しした。
「ずっとチャンピオンで居座っていれば文句を言われる筋合いはない」
「確かにそうかもな」
 ワタルは頷きながら生ビールを口にする。
 今の地位に居続ければ、それなりの正義は証明できる――簡単に言えても極めて困難な道だ。覚悟するように小さく息を吐くと、シバがすぐに空になったジョッキをテーブルに置きながら言明する。
「だからといって遠慮するつもりはないぞ。来季のマスターシリーズも容赦はせん」
 さすが、親友は情けを掛けない。
「ああ、待ってるよ」
 ワタルは嬉しそうに微笑んだ。
「僕も! 僕だって負けないよ!」
 一連のやり取りを聞いていたイツキが腰を浮かせ、シバと睨み合う。
 王座を死守することは一筋縄ではいかないだろう。ワタルは改めて実感しつつも、充実に満たされていた。自分は人、そしてポケモンに恵まれている。彼らと共に歩めばきっとこの先も乗り越えられるだろう。
 ワタルは通路へ機嫌良く顔を出すと、浮足立ちながら待機している店員へ朗らかに声を掛けた。
「すみません、ドリンクオーダーお願いします」

鈴志木 ( 2013/09/25(水) 20:03 )