第6話:デスマッチ
「あッ……ボス! コイツ……四天王のシバじゃァないですか!?」
洞窟の深層部にまで届く、間抜けな声。
「あれ、ラムダさんの声だな」
声を耳にしたロケット団構成員が次々顔を上げる。
彼らは十人ほどでチームを作り、頭にはヘッドライト、身体にはライフジャケットを身に付け万全の準備で探索に臨んでいた。更にその手には小型マシンガン『ミニウージー』が握られている。
「……侵入者か? 戻るか?」
構成員の一人が、隣にいた仲間を一瞥する。問いかけられた男は、ヤニで黄ばんだ歯を見せながらかぶりを振った。
「心配ないだろう。ラムダさんはともかく、あのボスがいるんだからな。ポケモンも銃の腕も組織イチ。オレらが束になるより頼れるぜ」
そう言いながら、ミニウージーを用いてターゲットに狙いを定めるふりをした。これはその憧れのボスがリボルバーを構える際の仕草である。周囲から次々に賛同の歓声が上がったが、緩みかけた空気を再び引き締める様に、構成員の一人が溜め息をつく。
「そうだな。ああ、それにしても……早く獲物を捕獲してこんな気味の悪い洞窟抜け出してえよ」
最深部は湿度が高く、光も届かないおどろおどろしい世界だった。不思議とポケモンの気配もなく、外のハナダシティとは全く対照的である。構成員達は息を呑んだ。
「全くだ……それにしても獲物とやらは本当にいるのかあ? もう二時間くらい探してるけど気配すらねえぞ。四十年前、ここに閉じ込められたっきりなんだろ。くたばってんじゃねぇの」
「確かにポケモンとはいえ、ここで四十年生きるのはキツいよなぁ……」
同情の籠った息を吐いたその刹那――場の雰囲気が一変した。
十数名の構成員が一斉に不穏な風を感じ取り、ミニウージーを構える。職業柄、彼らは危機感知には人一倍長けていた。湿度が下がり、空気がピンと張りつめる。「来たか?」各々顔を見合わせたその時、汗ばんだ両手で握りしめていたマシンガンが、一斉にふわりと浮き上がった。
「あ……!」
声を上げたのも束の間。彼らの意識はそこで途切れた。
シバは向けられた銃口に臆することなく、ボスゴドラの入ったボールを握り締めながらはっきりと言い放った。
「そう、おれは四天王のシバだ。お前はロケット団首領のサカキか」
「その通り」
サカキは少しも躊躇うことなくリボルバーの引き金を引く――と、同時にボスゴドラがシバの前へ召喚された。鋼の皮膚が弾丸を潰し、かすり傷程度に止めたが、サカキの奥に待機していたゴローニャがすぐに動き、ボスゴドラの顔面へストーンエッジを叩き込んだ。
「ボスゴドラ!」
過酷なトレーニングを積み重ねてきた、四天王のシバでさえ反応できない動き。彼は驚愕しつつボスゴドラを振り返る。鉄鎧ポケモンはその一撃で気絶しており、鉄兜のような顔に無数のヒビが入っていた。絶句するシバに、再び銃口が向けられる。
「これが四天王の実力か? 取るに足らん。ご自慢の格闘ポケモンはどうした」
「……今日は持ち合わせていない」
唇を噛みしめながら告げるシバに情けを掛けることなく、サカキは引き金に掛けた指へ力を込めた。
「なるほど、あの世で後悔するといい」
冷え切った無慈悲な双眸が、シバの眉間に照準を定める。ボールの中でカイリキーが外に出ようと暴れている振動が腰から伝わってきた。だが故障している相棒をこの場に出すわけにはいかない――死を覚悟した瞬間、猫背の男が顔を上げてサカキに縋り付いた。
「いやいや、ボス! すぐ殺すのは勿体ないですぜェ!」
舌打ちする首領に慄きつつも、猫背は下品な引きつり笑いを浮かべた。
「このボスゴドラだってかなりの上物です……どうせ殺すなら、身ぐるみ剥がしてからにしましょ! ああ、もちろんお役目はこのラムダにお任せください! これ以上ボスの手を煩わせてはね、幹部の名が廃るってもんですよ」
「好きにしろ」
サカキは呆れながらも引き金から指を離すと、リボルバー銃をくるりと一回転させ、コートの裏ポケットへ仕舞い込んだ。
「へへっ、数分だけ命拾いしたなァ! 恩人として感謝してくれよな。ってことで……」猫背の男、ラムダはハブネークと共にシバへ詰め寄った。陽気な表情が一変し、どすの利いた声で目を見開く。「手持ちを全て出しな。もちろん財布も忘れずに」
ラムダはイツキのように貧弱な身体だが、不安定な口調や虚ろげな目つきから精神的に常軌を逸していることが見て取れる。罪を犯すことさえ躊躇わない、そんな狂気が感じられ、シバは恐れを隠すように唇を噛みしめた。
「……ポケモンは持っていない」
ラムダは両手を広げ、大仰に身体を振り乱す。
「嘘付けよゥ! その腰のベルトにもう二つ、いるじゃねぇか!――お、一つはウチのボール?」
「これは河を渡るために先ほど捕獲したアズマオウだ。ボールは入口で拾った」
それを聞くなり、ラムダは自身の失態を思い出してさっと青ざめた。ポケモン捕獲のため、大量に持参していたボールを洞窟の入り口で落とし、そのままにしていたのだ。背後で睨んでいるサカキを振り返りながら、「気ィ付けます……」と頭を下げ――責任転嫁するようにシバを睨みつける。
「オゥ、金魚なんていらねェから後一匹を出せ」
「こいつは手負いだ」
彼はカイリキーの入ったボールを握りしめ、外に出すまいと死守した。しかし相棒は臨戦態勢だ。主人の危機を救うべく、召喚してほしいと懇願している。
(出たところで戦えん……だが、おれが死んでは元も子もない……)
ボールを持って葛藤するシバを眺めながら、ラムダが手を叩いて嘲笑う。
「ひっひっひィ……無様だねえ! プロ中のプロの四天王様が、ロクに手持ちも構えずに野垂れ死になんてさ! お前の死体はここのポケモンどもに食われ、ファンは空っぽの棺桶に手を合わせるんだぜ。ひゃはは、こいつァ愉快だ!」
それを聞き、シバはふと気付いた。
誇りを踏みにじられ、死んでいくとはこのことだ。ワタルに指摘されるまで、自分は相棒をこのように切り捨てようとした。
そしてようやく前を向くことができたのに――何ひとつ守れぬまま、終わってなるものか。
ボールを握る手に、力が籠る。
(ここで死んだら、それまでの男だということだ)
心中覚悟――ボールの中で相棒も静かに頷いた。
シバは意を決すると、カイリキーに目配せして一歩後ずさった。その動きを見てサカキは逃亡を予測してゴローニャにもたれ掛っていた身体を浮かせたが、大男から漲る闘志を察し、それ以上動くのを辞めた。
「……野垂れ死にだと?」
炎を振りかざすような眼差しに、ラムダは思わずたじろいだ。
「ここで死んでなるものか。リーグ四天王として――ポケモンバトルで受けて立つ!」
咆哮が洞窟内に反響する。肌を震わせる威圧感にラムダは臆し、サカキに救いを求めようかとも考えたが――相手は誰もが挑戦を夢見るポケモンバトルのエリート、四天王の一人である。とはいえこの圧倒的に有利な環境ならばバトルでの勝利も難くないだろう。その優越感が彼を突き動かした。
「へええッ、プロと手合せできるなんざ光栄だねェ! やってやろうじゃないの! 公式ルール通りの試合ができると思ったら大間違いだけどな」
彼は顎を動かしてハブネークを前に来させると、腰のベルトに装着していた黒いボールに手を掛けた。初めから一対一で勝負をするつもりはないらしい。白けているサカキの気も知らず、宙に投げられたボールから現れたのは鋭利な鉤爪を携えたザングース。
そのDNAにはハブネークとの確執が刻み込まれているとされ、大変に相性の悪い組み合わせだ。互いを睨みつける二匹の間に、ラムダが得意げに割って立つ。
「……無謀なタッグだな」
「ふひひ、そんなのはド素人の考えさァ! ワタシは闇社会でも名の知れた“育て屋”でしてねェ……宿敵の記憶なんざチョコッと細工すりゃデリートできちまうんだよ」
(そんな風には見えないが……)
両者は今にも飛びかかって戦闘を始めてしまいそうなほど殺気立っている。それだけザングースとハブネークのタッグは危険で、『ダブルバトルに起用してはいけない』組み合わせの代表例としてトレーナーの常識である。シバは呆れつつも、この決闘に勝機を見出した。
(だが、これは勝てるかもしれん)
彼は再びカイリキーと目を合わせると、腕を振りかぶってラムダの前へカイリキーを召喚する。
「行くぞ、カイリキー!!」
ボールから飛び出たカイリキーは筋肉隆々の身体を大きく震わせ、ザングースとハブネークを圧倒する。一人と二匹は思わずたじろいだ。
「ひ、ひえッ……! コイツ……とんでもねぇ隠し玉用意してきやがった!」
しかし後方で眺めているサカキは冷静である。
「怖気付くな、そいつは手負いだ。右腕二本を故障している。役に立たん」
カイリキーの右肩から胴に掛けて白い包帯が幾重にも巻きつけられている。それを聞いてラムダは胸を撫で下ろした。
「カイリキー、おれがフォローする。生きてここから出るぞ」
シバはカイリキーの右側に立ってその背を軽く押した。
一流プロトレーナーのポケモンとはいえ、右腕二本を骨折しているカイリキーがザングースとハブネークに渡り合うのは困難だ。しかし捕獲したばかりで使える技も把握していないアズマオウを戦闘に出すのも非常に高リスク。となれば、頼れるのはポケモンと共に鍛え上げているこの肉体である。喧嘩慣れはしていないが、ある程度なら耐えられるだろう。
戦闘態勢のシバを見て、ラムダは腹を抱えて笑い出した。洞窟内に下品な嘲笑が響く。
「お前が戦うつもりかァ!? ヒャーア、こりゃ面白いや、すぐに後悔するぜ?」
「それはお前だ」
つれない反応はラムダを煽る。
「おい、ハブネーク! あいつの“減らず口”を溶かしちまえ!――毒突きだ!」
すかさずハブネークの刀状の尾がシバの元へ飛んできた。彼は反射的に回避するが、切っ先から緑の毒霧が噴射され鼻孔を刺激する。ほんの僅かな量だというのに、眩暈がするほど強烈だ。
「くっ……!」
体勢を崩したところへ、ザングースが地面を蹴って鉤爪を振りかざした。「切り裂く!」ラムダの狂気じみた笑い声と共に、カイリキーがとっさに主人の前へ出る。
「カイリキー……空手チョップだ!」
ザングースの肩口めがけ、左手の手刀を振り下ろす。強烈なパワーに、猫イタチポケモンは悶絶しながら前のめりにバランスを崩した。その背後からハブネークが首を伸ばし、ザングースを踏み倒しながらカイリキーの前に躍り出る。
「カイリキーの腕狙え、腕ぇ! 辻斬りィッ!!」
ハブネークはザングースを踏み台にして跳躍しながら、カイリキー目掛けて尾を振りかざした。咄嗟にシバがその尾へ腕を伸ばして掴みかかる。刃の手前をがっしりとホールドし、身を挺してポケモンに挑む姿にはラムダはもちろんのこと、傍観しているサカキすら目を見張った。
「う、嘘だろゥ!? 人間がポケモンを組み伏せるなんて……」
ハブネークは身長二.五メートルながら、その体重は五十二キロ程度と意外に軽く、腕っぷしに自信のある人間ならば何とか抑え込むことが可能である。必死で尾を引き抜こうとするハブネークのパワーに耐えながら、シバは自身を鼓舞するように咆哮した。
「格闘ポケモンとの訓練の賜物だ! カイリキー、こいつにメガトンキックを……!!」
決死の思いが相棒とリンクする。
何が何でも勝利を収め、ここから脱出しなければ――カイリキーは羽交い絞めにされているハブネークへ攻めかかる。しかし横から飛んできた疾風がそれを妨害し、足元の地面ごとえぐり取ってカイリキーを転倒させた。足蹴にされていたザングースによる反撃である。
「カイリキー!」
主人の呼びかけに対し、カイリキーはすぐに顔を上げた。怪我には響かなかったらしい。
「ヒャア! やるじゃねぇかよ、さすがタマゴ八十個から厳選したザングゥース!!」
距離を置いて歓喜するラムダをよそに、ザングースはそのまま身を翻してシバを狙う。後ろ脚の鉤爪で彼の足元を素早く引っかけると、脚を浮かせながら身体を反転させてシバをハブネークごと薙ぎ倒した。回転しながら地面に投げ出されたシバ目掛け、ザングースが首筋を狙ってその爪を振り上げる。彼は咄嗟に傍にあったラグビーボール大の岩を投げ、その攻撃を凌いだ。
容赦ない攻撃にシバは息を呑みつつ、指示を辞めたラムダを軽蔑するように吐き捨てる。
「あれで、トレーナーか……」
それはサカキも気付いており、顔を曇らせる。
(ラムダの命令を聞かず、本能のまま攻撃している……これは良くない)
彼はもたれ掛っていたゴローニャから身体を離し、戦闘準備をしておくように合図を送る。
一方、ザングースに足元を崩され転倒していたカイリキーも右腕を気にしつつ立ち上がろうとしていた。シバは急いで彼の元へ駆け寄り、その補助を行う。
「大丈夫か?」
右腕に鈍い痛みが滲んでくるが、気にしている暇はない――カイリキーは頷きつつ、主人の背後に忍び寄るザングースを目に留め、鋭い鳴き声を上げた。
シバが振り向きざま、間を引き裂くように飛んできた鉤爪。カイリキーは咄嗟に主人の腕を引いて攻撃を受け流そうとしたが、避けきれずに切っ先が肩から胸にかけ赤い筋を描いた。シバの胴体に激痛が走る。
「ぐ……!」
彼はよろめきつつも、カイリキーの右腕をかばうようにザングースへ向き直った。
「そのまま八つ裂きにしちまえぇッ!!」
目の端に飛び跳ねるラムダと、よろめきながら体勢を立て直しているハブネークが映った。シバは胸の傷を押さえつつ、カイリキーにぽつりと囁く。
「……先にハブネークを狙え。おれがザングースを食い止める」
カイリキーは耳を疑ったが、既に主人は覚悟を決めている。迷っている暇はない。
「行け、カイリキー! “ローキック”だ!!」
その指示に弾かれ、カイリキーは地面を蹴ってハブネークの眼前に飛び込んだ。背後ではザングースが前足を掲げて攻撃の構えを取っている。急がなければ主人が危ない。
敵の攻撃を察知したハブネークが刃物状の尾を振るいながら襲い掛かってくる。カイリキーはそれを上手くすり抜けると、柔らかな腹めがけて回し蹴りを食らわせた。牙蛇ポケモンはくぐもった悲鳴を上げて悶絶したが、悪あがきをするように頭を振り回してカイリキーの右肩に噛みつく。治療中の骨が砕かれ、カイリキーは絶叫した。
「カイリキー!」
シバが真っ青になりながらそちらへ気を取られた隙に、ザングースが彼の横腹へブレイククローを放つ。回避する間もなく、胴体から鮮血が噴き出した。
(くそ……!)
シバは焼けつくような痛みを堪えながらザングースの腕を掴み、背負い投げを試みた。このポケモンは一般的に体重が四十キロ程度しかない。ふっくらとした身体は容易く持ち上げられたが、抵抗され後ろ脚が後頭部を直撃した。頭をかち割られるような激痛と共に意識が引き剥がされ、視界が歪んだ。
遠くから「どうです、ボスゥ! こりゃア死んだでしょ!」と下品な歓声が聞こえる。
頭がぼやけ、暗闇の洞窟が白く霞んでいく。
死んでたまるか、ポケモンを残して死ぬわけには……!
彼は無意識のうちに、ハブネークに巻きつかれた相棒向けて右手を伸ばしていた。地面に崩れ落ちながら、カイリキーへ指示を出そうと唇を動かす。声は出なかったが、長年の相棒はその命令を理解した。
洞窟内を震わせるような唸り声を上げながら、カイリキーは地を踏みしめ四本の腕をハブネークに回す。敵は慌ててすり抜けようとしたが、身体は完全にホールドされその機会は奪われた。そのまま高々と持ち上げられたかと思うと、カイリキーの怒号と共に身体は弓なりに反れ、背骨に強烈な衝撃が走る。
“馬鹿力”で放たれたバックブリーカーで意識が飛んだハブネークは、ザングースめがけて投げ捨てられた。二匹は縺れながら地面に倒れ込む。
「ひ、ひえええっ!」
ラムダが手持ちの元へ駆け寄るのを横目に、カイリキーも虐げられ気絶していたガラガラを小脇に抱えて主人の元へ走った。もう右腕に感覚はないが、それを気にしている暇はない。
「う、ぐ……」
シバは頭を抱えながら必死で意識を引き戻す。
徐々に視界が鮮明になり、心配するカイリキーの背後にゴローニャがにじり寄ってくるのが見えた。ピンチはまだ続いている――息を呑んだその時、ハブネークとザングースにスプレー式の気付け薬“げんきのかけら”を吹きかけているラムダが慌てて顔を上げた。
「あ、あ……ボス! い、今ワタシがこいつら回復させてトドメ刺します、刺しますから!」
「その必要はない」
サカキはコートの裏ポケットから拳銃を取り出しつつ、ゴローニャの背後に立つ。醜態を晒し続けているラムダは焦りを感じていた。ここで挽回しなければ、評価が下がる――
「い、いや! 今作業終わりましたからっ! ホラ、お前ら立てッ!」
気付け薬で二匹の意識を取り戻し、乱暴に身を起こすが――その腕をハブネークが鬱陶しそうに振り払った。
「ぎゃアッ!!」
間抜けな声を耳にしたサカキが呆れながらそちらを向くなり、蛇は尾の先からザングース目掛けて毒を噴射する。不意打ちの毒は直撃し、ザングースはくぐもった声を上げながら顔を覆った。どうやらハブネークはザングースが先ほどの戦闘で何もフォローしてこなかったことを怒っているらしい。
「な、何やって……」
仲裁に入ろうとしたラムダの身体を薙ぎ払い、体毛を逆立て怒り心頭のザングースが反撃とばかりにハブネークを斬りつけた。二匹がそのまま立ち上がって睨み合うなり、宿敵の遺伝子が意識を支配する。こうなるともう周りは見えず、決着がつくまで戦うまでだ。
(……逃げるチャンスだ!)
サカキがそちらへ気を取られた僅かな隙を狙い、シバはカイリキーの腕を掴んで洞窟の河へ飛び込んだ。ガラガラを抱いた相棒と入れ替えるようにアズマオウを召喚し、ダイビングを命じて弾丸やゴローニャの攻撃が届かない深さまで潜る。
「逃げられたか……」
ポケモンを利用してあっという間に消え失せることは、優秀なトレーナーのスキルの一つでもある。
サカキは舌打ちしながらリボルバー銃をコートに仕舞うと、壮絶な喧嘩を繰り広げているザングースとハブネークへと向き直った。
「……さて」
スタンドカラーシャツの襟元を正しながら、ゴローニャを一瞥する。主人の命令に背くポケモンなど、彼にとって存在価値がない。それをよく理解しているゴローニャは両手を構えて技を繰り出そうした。
その刹那。
洞窟内に生温い風が吹き抜け、ザングースとハブネークが瞬時にラムダのモンスターボールへ強制送還された。
「あ、あれ?」
あっという間の出来事で、地面にへたりこんでいたラムダがぽかんと口を開ける。サカキもこれには驚愕しつつ、しかしある存在を察知する。
(まさか……)
彼は神経を研ぎ澄ましながらゆっくりと背後を振り返ろうとするが、目の端に十数丁のミニウージーがこちらに銃口を向け浮遊しているのを確認するなり、すかさず両手を上げた。
「ボ、ボス! ウージーが……! 浮いて……」
困惑するラムダを、サカキは力強い声で「黙れ」と一喝した。部下は直ぐに大人しくなり、寒気立ちながら両手を上げる。
『洞窟を荒しているのは貴様たちか』
それは人語であったが、明らかに人間の声ではなかった。機械的でもなく、聞く者に恐怖を植え付ける不気味な声色。サカキは息を呑んだが、平静を保ちながら言葉を紡ぐ。
「荒すなどとんでもない。むしろ洞窟荒らしを先ほど追い払ったところで」
ラムダも狼狽えつつも「そ、そうです! そうそう!」と同調するが、再びサカキに睨まれ閉口した。
『……では貴様達は何者だ?』
不気味な風がサカキに問う。彼は両手を上げたまま、はっきりと答えた。
「貴方とビジネスの話がしたく参りました」
反応はない。
「ご覧になりましたか? 手負いのポケモンを酷使する卑劣な男を。四十年前のポケモンリーグ本部の悪行を彷彿とさせますな。奴は本部の人間だ」
すると、洞窟を流れる風の気配が一変した。生暖かい湿った空気から、身も凍るような冷気になる。
リーグ本部に反応を示す――サカキがここへ来た“目的”が現れたということである。彼は口元を緩ませつつ、その者を取り込むように語り始めた。
「懐かしいでしょう、動けなくなるまで戦わせ……故障すればこの洞窟に遺棄する。時代は流れどその本質は変わっていない。私は貴方がその被害者だということを知っている」
「に、人間なんですか……?」
ラムダが仰天しながら口を挟んだ時、再び風が尋ねた。
『要求は』
「私も同じ、煮え湯を飲まされた者として提案したい。今こそ共に復讐する時だ、と」
サカキは両手を広げ、やや大仰に告げた。無数の――しかも構成員が所持していたはずのマシンガンを向けられているというのに堂々とした振る舞い。部下であるラムダの恐怖心も和らいでいく。
『共闘だと……人間など一人も信用できない』
しかし声の主はこの誘いを突っぱねた。サカキは微笑みながら、両手を下げる。
「それは残念だ。では命尽きるまでこの薄汚い墓場を彷徨っているといい」
マシンガンを気にせず歩き出した彼に向けて、銃口が一斉に動き出す。ラムダは身体を丸めて慄く一方で、サカキは至って冷静だ。これがまだ脅しであることは確信していた。
『私は私利私欲に塗れた下劣な人間どもが嫌いだ。ポケモンの力を借りなければ、戦うこともままならない――本質は恐怖に支配された弱き存在だというのに。それは私に縋ろうとする、貴様も同じだ』
その声色には、明らかな憎悪が込められていた。サカキは表情を崩さず、心外とばかりに肩をすくめる。
「私が恐怖に支配されていると?」
彼はゴローニャを一瞥し、間髪入れずに命ずる。
「ロックブラスト」
すかさずゴローニャから放たれた無数の岩石は、ミニウージーが動くより早く銃口を狙う。合わせて、サカキは声の方角を振り返りながら、コートに忍ばせていたリボルバー銃をそちらに向けた。銃声とウージーが潰れる音が、重なり合って洞窟内に反響する。
僅かな静寂の後、サカキは銃を下ろしながら闇に向かって両手を広げ、にこやかにアピールした。
「私は姿なき恐怖に怯えるような男ではない。分かって頂けたかな?」
すると風が止み、洞窟の奥からぼんやりとした白い影と共に、気味の悪い足音が聞こえてきた。その姿は徐々に鮮明になり、やがて形を成してサカキの前に姿を現す。
二メートルはあろうかという、二足歩行の薄紫の体をした生物だった。ほぼ全種類のポケモンを網羅している育て屋のラムダですら、初めて目にする全く新しい形相。だがその姿はどこか、都市伝説と言われている幻のポケモン・ミュウの想像図を連想させる。滑らかそうな頬には赤い筋が入っており、銃弾が掠めたらしいことを物語っていた。
「え? あれ……に、人間ですか?」
ラムダはぽかんと口を開けながら、首領に尋ねた。
「俺がここへきた目的の“ポケモン”だ」
「あ、最上級の……」
ゴミ、と口を滑らせそうになり、ラムダは慌てて噤んだ。
『恐れを知らない……貴様のような人間は興味深い』
新種のポケモンが三本指の掌をひらりと掲げるなり、散乱していたマシンガンや岩石が浮き上がって河の中へまとめて落下していった。サカキは銃をコートへ仕舞うと、そのポケモンに対する敵対心がないことを示しながら頭を少しだけ傾けた。
「それではコーヒーでも飲みながら“商談”でも?」
『人間の飲食物は口にしない』
ポケモンはそっけなく突っぱねながら、洞窟内を見回した。
この生物が登場したことで洞窟の隅で様子を窺っていた他の野生ポケモンは影をひそめ、その吐息すら感じ取ることができない。ゴローニャも平静を装いつつも、新種の異様な佇まい圧倒されている。よほどの強者なのだろう。サカキは満足そうに頬を緩ませる。
「なるほど……ところで貴方のことは何とお呼びすれば? “モンテ・クリスト伯”がよろしいか? 当時の名は不快だろう、確か――」
彼は考える仕草をすると、指を鳴らしてその名を引き出した。
「そう、“ミュウツー”でしたかな?」
ポケモンは眉間にしわを寄せながら、沈黙を以ってその問いを拒否する。物々しい雰囲気にラムダが怯える中、一人と一匹の会談が始まった。