HEROSHOW - season.03 背中を認める瞬間
第7話:決別
 アンズを背負い、ようやく帰宅したキョウを出迎えたのはワタルとカリン、そして家政婦のアキコであった。イツキは疲労困憊し、先に客間で寝てしまったらしい。熟睡しているアンズをカリンに任せたところ、彼女もすぐに陥落してしまった。よっぽど疲労が溜まっていたようだ。静寂に包まれた屋敷の縁側で、キョウは浴衣に着替えたワタルに謝罪する。
「迷惑かけてすまないね」
「気にしないでください。アンズちゃんもクロバットも無事でよかった」
 ワタルは心底安堵しながら微笑んだ。アドリブで祭りのイベントを引き継いだことなど、全く苦にしていないようだ。
「それより急に泊めてもらってすみません……」
「こっちの都合だし、むしろ申し訳ない」
 互いにぎこちないやり取りを続けていると、台所からアキコが顔を出した。
「旦那様、何か食べられます?」
「お願いできるかな。そういえば何も食べていなかった」
 思えば昼過ぎに家で食した茶菓子以降、何も口にしていない。既に日付は変わっていたが、キョウは途端に空腹を覚えた。
「ワタルさんたちがね、屋台料理のお土産を沢山持って帰ってきてくださったんですよ!すぐにお出ししますね。ワタルさんもお酒いかがですか」
「ありがとうございます」ワタルは家主を一瞥し、好意に甘えることにした。すぐにビイドロのカラフェに注がれた日本酒と、屋台料理が運ばれてくる。枝豆にイカ焼き、モツ煮、焼き鳥など。食欲をそそる匂いが二人の鼻孔をくすぐった。
「へえ、こんなに貰ったのか……」
「ええ。キョウさんに渡してください、って3人じゃ抱えきれないほど。さすがですね」
 ワタルはカラフェに手を伸ばそうとしたが、キョウに先手を越されて自分のグラスに酒を注がれた。お酌を返し、二人は縁側に座って控え目に乾杯する。屋敷内に夜風が吹き抜け、風鈴がちりんと音を立てた。羽音を立てず、悠々と庭を飛び回るクロバットを眺めながらワタルが尋ねる。
「クロバットは……大丈夫でした?」
「ああ、河川敷で迷ってたところを拾った。怪我もなく、安心したよ」
 彼はそれ以上何も言わず、話を切り替えた。
「お前らは何をしていたんだ?バトルショー?」
「そうしようか悩んだんですけど、カリンが合流したのでトークショーをやっていました。人が多いので、バトルになると大変だし……。自分で言うのも何ですが、盛り上がっていましたよ」
「ああ、そっか。そうだよなぁ、この間のトキワはギャラリーが少数だったから……」
「キョウさんも、ポケモンバトルなんかはしていませんよね?」
 ワタルはイツキが出したポケモン使用申請に、いつの間にか彼の名前も連なっていたことを疑問に感じていたのだ。キョウは「勿論」とはっきり答え、焼き鳥を口にする。
「良かった、問題になりますからね」
 ワタルは半ば疑いつつも、安心した様に息をついた。勘ぐられていることはキョウも察しているが、すべて白状するつもりはない。結果が良ければそれでいいのだ。彼は肩をすくめながら酒を口にする。
「お前さ……、本当に優等生だな。うちの弟子みたいな暴漢に絡まれでもしたら、どう対応するんだ?」
「その時はやむ負えないので【緊急】カテゴリで申請し、ポケモンで組み伏せれば……」
 プロトレーナーは野良バトルを制限されているが、その身に危険が及ぶ状況に直面した際は【緊急】で使用申請を出し、立ち向かうことも可能である。ただし申請機会は滅多になく、教科書通りの答えを述べるワタルにキョウが口を挟んだ。
「プロのポケモンが人間に手を出すと、裁判で返り討ちに遭うぞ。必ず相手弁護士が突いてくる」
「それは免許内蔵の音声レコーダーで――」
「音だけじゃ証拠能力は薄いよ。それで弟子には手を焼かされたな。つまり、【緊急】ってとても面倒になるだけなんだよな。本部は改善するつもりはない」
 ワタルは黙りこくった。
 多くのプロトレーナーは【緊急】カテゴリとは無縁の生活をしており、それを申請すればどうなるのかは想像できていない。
「まあマツノやフジさん、総監に言ったところで何も変わらないだろうな。あいつらは、事が起こってから動くタイプだから」
「あの人たち、やっぱりオレ達のことをスポーツ選手としか見てないんですかね……」
 強いアルコールが、ワタルの理性を解して本音を引き出した。イツキ復帰戦終了後の総監との会話を思い出す。ポケモンとはビジネス、自分はただの舞台役者。あの言葉は今も彼の胸に突き刺さっていた。項垂れるチャンピオンの傍に、キョウは焼き鳥の盛られた皿を近付けた。
「そうそう、俺達は本部の商品。昔から変わらないよ。総監なんかは、自分に刃向かう人間を弾く傾向があるしな。器が小せえんだから……。俺も睨まれてるみたいなんだよ」
 それを聞いて目を見張るワタルに、彼は手酌で酒を注ぎながら軽快な口調で話し始める。 
「俺さ、地元警察とか市長のサポート……それから色々と町の便利屋をやっていたんだよ。ジムは町に根差すべき、って考えていたからさ。就任時に印象が悪かったから、それを回復させたかったのは勿論、寄付も増えるから旨みが多い。だがあの人は、スポーツ選手が政治に絡みすぎるのは好きじゃないみたいなんだよ。四天王の選考審査に俺をねじ込んだのも、リーダーから蹴落とすのが目的だろうって他の役員は噂してる。ジムリーダーって昔は30以上で世襲、って制限つきだったけど最近は免許と才能さえあればガキでもできるようになっちまっただろ?それも総監の功績」
「つまり、スポーツ選手はスポーツ選手で良いと……」
「そう、まあその理由も分かるけどな。小賢しい大人より、教育を受けていないお子様の方が支配しやすい」
 ワタルの脳裏に、ふとある男の顔が浮かんだ。ジムの横領でリーダーの座を退いたあの男。彼は確か、世襲に背いてリーダーに就任したと聞いたことがある。そこから罪に手を染めるまでの経緯は、もしかするとこの非情な本部も絡んでいるのかもしれない。
「そうやってどんどん排除して……外に捨てたゴミに火がつく可能性なんて、考えてないんだろうなァ」
 キョウは日本酒を口にしながら、夜空に高く昇った月を見上げた。彼もまた、同じ男のことを回想する。
 
+++

 ジムリーダー3年目。
 ようやくジムが軌道に乗った彼は、ある日、師匠の前にプレゼン資料の束を差し出した。
「何だこれは」
 眉をひそめるサカキに、キョウは得意げに説明する。
「今度、本部がポケギアのシステムをリプレースすると聞いたので、地元企業へ移行できないか提案してみようかと」
 ポケギアはジムリーダー専用の通信端末である。主にリーダー同士での情報のやり取りに使用されているが、ハードの老朽化に伴い、入れ替えが予定されていた。
「無理だな」
 サカキは表紙さえ読まずに書類を突っぱねた。しかし弟子はめげることなく、もう一度彼の前に資料を突きつける。
「トレーナーに関するシステムは全てセキエイの本部ビルに集約されているんですよ。データセンターにすら移行しないなんて、時代錯誤も甚だしいと思いませんか?リスク分散を提案し、我が地元に旨みを提供しようかと」
 この当時からポケモンリーグ本部は閉鎖的なシステムを有していた。それがいかに危険なことか饒舌に語るキョウの姿を見て、サカキは溜め息をつきつつも資料をめくり始める。社会人での経験を活かした提案資料は、レイアウトや説明など、他のリーダーとは比べ物にならない程良くできていた。彼は次第にその内容に惹きつけられる。
「なるほど……。セキチクにポケギアの通信局、データセンターを置くのか……」
「そうです。モンスターボールの制御システムもあのタワーで管理されている。例えばテロや停電などでシステムが停止すると、この国全体のトレーナー網が死にます。ポケギアでボールをオープンしたり免許端末として使えるよう、バックアップを用意しておくんですよ。するとトレーナーシステム関連でトラブルが発生した際、ジムリーダー主導で街をサポートできます。これこそリーダーのあるべき姿だと――」
「本部はジムリーダーにそこまで求めていない。ただのスポーツ選手としか見とらん」
 そう言いながら、サカキは読み終えた書類を机に叩きつけた。キョウは不服そうに首を傾げる。
「地元はジムに支援を求めているのに?」
「詰まるところ、奴らはトレーナーが増えて金が入ればそれでいいんだ。ジムリーダーはただ、その相手をすればいいとな。今度、就任に伴う年齢制限がなくなるらしいが、若いリーダーが増えればこの状況に拍車をかけることになるだろう。本部はお前みたいな小賢しい屑が邪魔なんだ。そんな提案が通るとは思えん」
「元会社員、舐めないでくださいよ。困難な提案を通すのは得意です」
 諦める気など全くない弟子を見て、サカキは頬を緩ませた。
「そうだったな。ま、何かあったら俺の会社に拾ってやる。お前はなかなか優秀だ」
「サカキさん、会社なんて経営していましたっけ?」
「ポケモン関係の事業を、何年か前から……」
「へえ。ま、考えときます」
 キョウはその後の予定が迫っていたので、会社の件を問い詰めることはしなかった。むしろ酒場へ行った際の話題の一つにするつもりでキープしておこうと思ったのである。速やかに帰り支度を行い、ビジネスバッグを抱えて師匠に頭を下げた。
「では、また。お疲れ様です」
 その鼻先へ、サカキが拳を突きつけた。
「健闘を祈る」
「あ、どうも」
 師匠の意外な行動に、キョウは目を丸くしつつ左手の拳を突き合わせる。
「……何ですか、フィストバンプなんて年甲斐もなく。飲み屋の女の子に教えてもらったんですか?」
「昔からやってる。……とっとと出ていけ」
 キョウは噴き出しそうになりながら、トキワジムのオフィスを出て行った。無礼なやり取りをしていることは分かっているが、サカキは全く意に介さず、二人の間にはドライながらも確かな信頼関係が生まれていた。
 その後、彼は様々な手を使って本部や関連機関に根回しし、この案件を通すことに成功した。役員の揃った会議室内で、当時の副総監がやや不服そうに告げる。
「では、ポケギアのリプレース案件はフジさんとキョウくんで進めてください」
 解散後、勝ち誇った表情で帰り支度をしているキョウに、ジムリーダー代表として出席していたヤナギが話しかけた。
「なかなか上手くやっているようじゃないか」
「ご無沙汰しております、ヤナギさん。お陰さまで、契約を取ることができました」 
 キョウは背広の前ボタンを留めながら立ち上がると、恭しく頭を下げた。3年前に見た時は弱々しいペーパーだった彼だが、今では好成績をキープし、会議で役員達を丸めこんでいる。ヤナギは彼のポテンシャルとそれを引き出した自分の弟子に感心しつつ、配られた資料を掲げた。
「私もサカキから聞いて、これは良い内容だと思っていた」
 その言葉に、キョウは目を丸くする。「サカキさんが?」
「ああ……。この件を通すように手配りしてほしいとお願いされてな。あいつから願い出るなんて珍しい」
「へえ!あの人、結構いい所あるんですね」
 目を通しただけかと思っていたが、しっかり考えてくれていたらしい。弟子は素っ気ない師匠を見直した。
「愛想はないが、理解はある」
「ああ、確かに。理解の方は、ヤナギさんの教育の賜物ですね」
「持ち上げても何も出んぞ」
 思わず顔を背けるヤナギには誇らしさが滲み出ている。キョウは噴き出しそうになりながら、彼に提案した。
「ところで、これから一杯どうですか?我が師匠も呼んで、契約祝いでも。お礼させてください」
 ヤナギは二つ返事で了承する。この頃からキョウは同僚ジムリーダーとも打ち解け、仕事も順風満帆で全く問題ない日々を過ごしていた。
 
 しかし、状況が一変したのは5年目の夏の日だった。
 道場風のジム内はまだ弟子を取っていないため閑散としており、庭の木々に留まる蝉の鳴き声がうるさく響いてくる。キョウはバトルフィールドの片隅に胡坐をかき、煙草をふかしながら数字の並んだ一枚の書類を眺めていた。傍に置いた扇風機が、紙と煙を激しく揺らす。
「相変わらず殺風景なジムだな。いい加減、弟子を取ったらどうなんだ」
 と、入り口で声がした。
 目線を上げると、開け放たれた出入り口にサカキが立っている。この蒸し暑い日中にスタンドカラーシャツの前ボタンを全て留め、袖の長さもそのままだ。腕まくりしたワイシャツ姿のキョウとは対照的である。
「弟子がいると暑苦しいんですよ」
 彼はフィールドの反対側に腰を下ろしたまま答えた。煙草の煙が真っ直ぐに天井へ伸びていく。
「報復に来たんですか?俺が横領をチクったから」
「いや」サカキは否定しながら、ジムに足を踏み入れる。軽妙な靴音が道場内に反響した。
「最後に顔を出しておこうかとな」
「それはご足労ありがとうございます。まだ出頭前でしたっけ。最寄りの警察署までお送りしますよ」
 キョウは灰皿に煙草をねじ込むと、師匠を睨みつけながら立ち上がった。サカキは「結構」と口角を上げる。
「逃げるんですか。この国の警察から、逃げられるとでも?」
「逃げてみせるさ。……ところで、お前。今のポケモンリーグ本部をどう思っている?」
 サカキはフィールドの外周ラインを踏み越え、テクニカルエリア内で立ち止まった。事の重大さを気に留めない彼に、キョウは苛立ちながら答える。
「相変わらずのクソ組織だな、と」
「そうだろう。あの副総監がトップの座についてから、組織はますます腐ってしまった。プロを見下し、気に入らない者は排除する殿様商売。俺はもううんざりだ」
「それとアンタの横領の件は別でしょう。なに論点すり替えているんですか?自分が何やったか分かってます?」
「俺は本部を超える組織を作る。いずれ、あのバベルの塔に制裁を加えてやる」
「神にでもなったつもりか?馬鹿馬鹿しい!」
「一緒に来ないか?お前のような優秀な人材はこのまま手放すには惜しい」
「誰が……!何ヒーロー気取ってんだ、アンタ自分が犯罪者って状況分かってんのか!!」
「……確かにな」
 サカキは残念そうに息を吐くと、踵を返し、その場を去ろうとした。
(逃がすか……!)
 キョウはスラックスに通したベルトに装着されたボールを一つ選び、フィールドに投げ込む――目にも留まらぬ速さで、それはすぐに後方へと弾き飛ばされた。いつの間にか目の前にグライオンが現れている。彼はすかさず腰ポケットに突っ込んでいた免許端末を後ろ手に操作し、近距離無線で飛ばされたボールを開く。現れたのはベトベトン、両手を後ろに回したままハンドシグナルを送ってヘドロ爆弾を発射させた。爆弾が直撃したグライオンが、サカキの足元へ飛ばされる。
「上手くなったな」
 彼はフィールドに向き直ると、靴の先でグライオンを蹴って立ち上がらせた。
「しかし、お前にバトルを仕込んだのは俺だ」
「ポケモンを雑に扱うアンタと、もう一緒にしないでくれ。ベトベトン、ダストシュート……」
 グライオンの細いウエストは皮膚が他の箇所より薄く狙い所だ、というデータをすぐに頭から引き出し、彼は自身の脇腹をベトベトンに示しながら指示を出す。ゴミの塊を繰り出そうとするベトベトンを見て、サカキは直ぐに動いた。
「グライオン、叩き落とせ」
 グライオンは飛んできたゴミをベトベトンへ突き返しつつ、素早く背中を取って鋭い尾を振るう。わざとらしくキョウの右足にも切っ先が当たった。「……っ!」激痛が全身に走り、体制を崩す主人を見てベトベトンが動揺を見せたその隙を狙い、「辻斬り!」サカキの声と共にグライオンが一閃。その強烈な一撃でベトベトンはフィールドに突っ伏した。
「ハサミギロチン」
 昏倒しているベトベトンに、グライオンが両腕のハサミを向けた。師匠の容赦のない攻撃は、明らかにポケモンの命をも絶とうとしている。キョウは傍にあった扇風機を引っ掴んでグライオンへ投げ付け、注意を引きつけた隙にベトベトンをボールへ戻した。微かにセミの鳴き声が聞こえる道場内に、扇風機が破壊される音が響いた。
「俺はもうプロではない。ルールに捉われることもない。容赦なく戦わせてもらう」
「本部を乗っ取って、殺し合いでも広める気か……?」
 そんな冗談を言いながらも、キョウの内心は動揺と恐怖が渦巻いていた。フィールドの反対側にいる男は外見こそ彼が尊敬し、憧れていた師匠だが、中身はまるで違っている。影から滲む熱には、静かな狂気が混じっていた。
(これ以上戦うのは危険だ……)
 もう戦うのは辞めろと、本能が警鐘を鳴らす。これ以上正義感を見せ、ヒーローを気取って立ち向かうのは命を捨てるに等しい。
「やめておけ。どうせお前は俺に勝つことができない」
 弟子の葛藤を見透かすように、サカキは告げた。キョウは諦めるように息を吐きながら項垂れる。
「本当に、勝てませんね……」
「お前が俺にいつまでも勝てないのは、野心がないからだ。街の便利屋として動き……ジムを安定させることだけを考えてきた結果だな。まあ、プロとしてはそれもいいだろう。あの状況では仕方ない部分もある。しかし、一流のトレーナーは現状に妥協も満足もしないのだ。常に上を目指す」
 真っ当な見解だが、ジム経費を横領し続けていた小悪党には言われたくはなかった。キョウは舌打ちしながら顔を上げる。
「どの口で言ってるんですか?……プロは常に一流であれ、って飲み屋でいつも話していましたね。忘れていませんよ」
「だが、それでも俺に勝てないのは、まだまだ二流ということだ」
「……」
 キョウは唇を強く噛みしめた。口の中に鉄の味が広がる。
 ようやく仕事が軌道に乗り、バッジ保持率も2位に上り詰めることができたのに、まだ足りないというのか。悔しさをにじませる弟子を見て、サカキは微かに口角を伸ばした。
「しかし……先ほどのヘドロ爆弾の不意打ちは意外だったな、なかなか面白い指示をする。それは上手く物にしろ、そうすればお前はまだまだ上へ行けるだろう」
「言われなくても……」
 あの技は最近ポケモンに試験的に教えているブロックサインを利用したものだ。ようやく全ての手持ちポケモンが懐いたので、彼は効率的で毒ポケモンに合ったポケモンバトルを追及していた。弟子を取っていないのは、そちらの育成に時間を割きたくないためだ。
「誰もが認める実力になったとき……、いつか俺のところへ来るがいい」
 そう言いながらサカキはテクニカルエリアのラインを踏み越え、フィールドを歩んでくると、キョウの前に黒い名刺を差し出した。真ん中に大きく「R」と赤い文字が記されているのみ。最近、地元暴力団や警察が『ロケット団』という組織について噂しているのを聞いたことがある。日に日に巨大化していく新興犯罪組織で、なかなか尻尾を掴むことができないと誰もが頭を抱えていた。
『サカキさん、会社なんて経営していましたっけ?』
『ポケモン関係の事業を、何年か前から……』
 2年前のやり取りがすぐに脳裏に浮かぶ。キョウは全てを悟った。
「……なんで、アンタみたいなゴミクズを師匠だと思っていたんだか」
 彼は名刺を迷いなく破り、宙へ投げ捨てながらその場に腰を下ろした。膝が笑って、再び立ち上がることができない。
「ちょっとだけ憧れてたんですよ、あなたのこと。だから、横領も出来心だろうと思ってリスタートしてもらうつもりで告発したんですが」 
 彼は力なく笑いながら、サカキを見上げ、睨みつけた。
「なんだ、最初からただの屑だったんじゃないか」
 かつての師匠は足元に散らばった名刺を踏みしめながら、弟子の前に歩み寄った。
「では、これからのトレーナー人生に」右手の拳を彼の前に突出し、「健闘を祈る」と告げる。
「……それ、嫌いなんだよ。ガキみたいで、年甲斐もない」
 キョウは震える左拳を抑えながら、強がるように言い捨てた。
「ふん、最後までクソ憎たらしい男だなお前は。しかし、今までの弟子の中では一番の傑作だった。これからも立ち止まらず進め、挑戦者は誇り高くあれ!せいぜい精進したまえ」
 彼は弟子に背を向けると、グライオンを引き連れ出口へと向かって行った。暗黒を称えた後姿は近寄る者を呑み込んでしまう位に恐ろしく、引き止めることすら憚られる。
 再びジム内は静寂に包まれ、庭木に留まった蝉達の鳴き声が聞こえてくる。残された一番弟子はテクニカルエリアに座り込みながら、足元に散らばる黒い名刺をぼんやりと眺めていた。忘れていた暑さが戻り、額から汗が噴き出てくる。
(ロケット団……)
 この組織は、今後飛躍的に成長していくだろう。警察や暴力団が危惧しているほどに。
 そんな組織の資金源の一部を、自分は止めてしまったのだ。
 きっかけはトキワジムでオフィスワークのサポートをしている延長で見つけた小さな綻びからだった。憧れのヒーローの不正を信じられず、本部に告発したことで問題は表面化。今朝警察が動いたが、既にサカキは逃げ延び、その足で自分の所へやって来たのだ。今回は情けを掛けられたが、後々報復される可能性は高い。愛娘の顔が真っ先に浮かんできた。サカキと飲みに行った時、よく写真を見せていたことを悔やむ。
(……守らないと) 
 彼はスラックスのポケットから携帯電話を取り出すと、アドレス帳から頼れそうな人間をピックアップしていく。本部の人間の名前が次々に目に飛び込んでくるが、通話ボタンを押す気にはなれなかった。ふと、地元警察の知人の名前が目に入る。
 ポケモンの扱いに長けたプロと、犯罪者を逮捕するプロの行政。手を組めば大きな自衛となるだろう。本部は高圧的な行政を嫌っているが、今は大変心強い。彼は意を決すると、汗ばむ指で通話ボタンを押した。

+++

 そして記憶は今へと引き戻される。
 静寂の夏の夜に、りん、と風鈴が揺れた。キョウは他人事のように過去を回想しながら、日本酒を含む。
「俺は本部が切った人間がそのうち刃を向けるだろうと思って、地元警察と手を組んでみたんだがね。これは正解だった」
 ワタルは焼き鳥を口にしながら耳を傾ける。
「保護司をされていたんですよね」
「そうそう、腕っぷしの良い弟子はなかなか使えるんだよ。まあ手は焼かされたが、今いい結果が出ているから。他にも、警察にバトル教えたりとかな。セキチクはポケモン犯罪の検挙率いいんだよ」
 得意げに話す彼は、とても楽しそうだ。その努力が実を結んだことは、今回の夏祭りでワタルも実感していた。数えきれないほどの地元民が、四天王になった彼を誇りに思っているのだ。ポケモンバトルのスキルは勿論のこと、人徳や業務実績もあるトレーナーは珍しい。ワタルはぽつりと希望を溢した。 
「キョウさんのような方が、本部にもいてくださったらいいんですけど」
「へえ――じゃ、引退したらフロント入りしようかな」
 引退、と聞いてチャンピオンは動揺した。「まだまだ先になりそうですね」と苦笑するが、仲間の瞳はそう遠くない未来を向いている。
「最近、50までにはトレーナー業を退こうと思うようになってきていて……」
 キョウは現在44歳であるので、その引退予定までは6年余りしかない。ポケモントレーナーには定年がなく、ワタルの地元フスベシティには80を超える老トレーナーなどが多く存在する。それを考えると、50で現役を退くなどあまりにも早すぎるように感じた。しかも彼はトレーナー歴がまだ浅い。
「まだ十分やれますよ。四天王になったばかりじゃないですか」
「自業自得なんだけどさ……この年になってくると体力がもたないんだよ。テクニカルエリア走ってるとバテバテ。サインで運動不足をカバーしてる部分もあるから、少し前のイツキとの試合みたいなのは本当に辛い」
 イツキ復帰戦で体力のなさを痛感した彼は、禁煙治療を始めながら、より抜け目のないサインに注力している。体力をつけるつもりはないらしく、「一緒に訓練しましょう!」と張り切るワタルの意見さえ聞かなかった。
「や、もうついていけるかどうか……。さっきも土手から娘背負って歩いてきたんだが、これが思ったより辛くて……まだ足が棒になってる。明後日辺り筋肉痛かな」
「あれ?イツキくんのリトルカブでクロバット捜しに行かれましたよね。そういえばバイクはどうされたんですか?」
「あ」
 そこで、キョウは土手の上にイツキのリトルカブを停めっぱなしだったことを思い出した。すぐにグラスを置き、着物の袂からスマートフォンを取り出して弟子に電話する。ワンコールで野太い声が通話に出た。
『はいっ、お世話になっております!コウキです!』
「お前、今どこだ?」
 キョウはワタルの視線を感じ、縁側の下に並べていた下駄を突っかけて庭へと出た。これで相手の会話は聞こえない。クロバットが嬉しそうにすり寄ってくる。 
『今、祝勝会してます!いやー今夜も悪を一掃して酒が美味いッスよー!オジキもどうッスか!?トニーの店で焼肉してて……』
 酒がまわっているコウキの背後からは、賑やかな宴の様子がありありと伝わってきた。師はそれを迷いなく突っぱねる。
「いや、結構。それより、土手の上にカブが停めてあっただろう」
『ああ、あのだっせえド派手なヤツ!ありました、ありました!』
「……あれ、どうした?」
 すると、弟子は弾むような口調で答える。
『あれも族どものバイクッスよね?そりゃもう、全部まとめてスクラップにしてやりましたよ!フィールドも塵ひとつなく片付け、トンボかけときましたんで!』
「……あ、ああそう。お疲れ様」
 キョウはすぐに通話を切り、青ざめた面持ちでスマートフォンを袂に仕舞った。異変を感じ、ワタルも縁側から立ち上がって様子を尋ねる。
「ど、どうされました?」
「あー……、ちょっとマズイかな」
 彼はワタルに振り向くと、頭を抱えながら溜め息をついた。傍で見ているクロバットが首を傾げる。
 
 翌朝、リトルカブは小切手の紙切れ一枚となってイツキの元に戻ってきた。
 そこに書かれている金額は、イツキがバイクを手に入れ現在までかかった全ての経費を上回る。賠償金としては多すぎるが、それでも愛車を紛失したと聞いてイツキは涙が止まらなかった。カリンやアンズが見ているというのに、小切手をくしゃくしゃに丸めて男泣きする。
「お金で解決すればいいと思ってるでしょ……!ひどいよっ、ひどすぎる!!あのカブには僕のアマチュアからの思い出が詰まってるんだよ!?」
「本っ当に申し訳ない!」
 キョウは二回りも下のイツキに躊躇なく頭を下げた。若い頃はバイク乗りだったため、その悲しみは良く理解できる。しかしカリンは冷静だ。
「いいじゃない。そんなに貰えるんなら新しいのを買えば?」
「思い出はプライスレスだよ!!お金の問題じゃなーい!!」 
 イツキは喚き散らしながら庭へ飛び出した。ネイティオをボールから召喚し、相棒を抱きしめながらリトルカブが無くなったと号泣する姿は、さすがに皆の目にも哀れに映る。特に、騒動の原因であるアンズは悲痛な表情で頭を下げた。
「ごめんなさい、イツキさん。あたしのせいで……!」
 少女の謝罪はイツキに大人気なさを認識させ、彼は思わず動揺する。
「ア、アンズちゃんが謝ることじゃ……ない、けど……」
 複雑そうなイツキを見ていたキョウは、ふと代替案を思いついた。居間の壁に取り付けられているガレージの開閉スイッチを押し、キーボックスから鍵の束を持ち出して縁側から庭へ出る。
「……ちょっと来い」
「な、なに?」
 真っ直ぐに屋敷の外へ出るキョウを、イツキは目を丸くしながら追いかけた。ワタル達も後に続く。レクサスが収まってるガレージへ入り、奥の扉の鍵を開けた。
「こんなので代わりになるとは思わないが……」
 案内された部屋はコンクリート張りの7畳ほどの空間。壁際には雑貨が整然と収納されたメタルラックが置かれ、オイルなどの匂いがつんと鼻をくすぐる。部屋の真ん中には二輪バイクninjaと、もう一台ビニールシートを被せてある同じくバイクらしき物体が置いてあった。きょとんとするワタルとカリンに、後ろからアンズが補足する。
「ここ、お父さんのバイク置き場です。あたしとポケモンのかくれんぼスペースになっちゃってますけど……」
 丁寧に手入れされた黒塗りのオートバイ『ninja』を見て、悲壮感に満ちていたイツキの表情がぱっと華やいだ。
「うわっ、ninjaだ!超ーっかっこいい……!ま、まさかこれをくれるとか……」
「それでいいのか?こっちやるよ」
 と、言ってキョウはバイクに被せてあったビニールシートをそっと剥がした。現れたのは、重厚感のある赤い車体の大型オートバイ。圧倒的な存在感にワタルやカリンも感嘆の声を漏らす一方で、イツキは度肝を抜かれ絶句していた。
「これ……!!ドカの……!!!」 
 バイクに歩み寄りながら、少年は何とか言葉を紡ぎだす。興奮で全身が震えていた。キョウはシートを小突きながら、得意げに説明する。
「そうそう、ドゥカティのデスモセディチRR。これで許してくれないかな、イツキくん。免許取って乗るまでの維持費はこっちで負担するからさ」
 それを聞くなり、イツキの悲哀は完全に吹き飛び、身体の底から沸き上がってくる興奮が爆発した。
「許すも何も……っ、これ超いいバイクだよ!?しかも15年くらい前にヤマブキシティ直営店だけで販売された限定モデル!!かああ……っこいい!!いいの!?本当にいいの!?」
「ジムリーダーになってからバイク乗らなくなったからさ。メンテに割く時間も最近負担だし、持っていってくれ」
 白い歯を見せて頷くキョウに、イツキは飛び跳ねながら全身で喜びを表現する。呆気ない取引に、カリンは目を丸くした。
「すごーい、オジサマ太っ腹〜!っていうかこんなゴツイのに乗ってたなんて意外ね」
「これは買って直ぐ仕事が忙しくなったから、ほぼ乗ってないんだがな」
 デスモセディチはジムリーダーになる直前に購入したオートバイだ。激務に晒されてから試乗しかしておらず、落ち着くまでライパチに金を払ってメンテナンスを依頼していた。
「運転が難しそうなバイクですね」
 ワタルも興味津々にオートバイを覗きこむ。独特のモデルは乗り物に関心がない彼の気をも惹いた。
「元々レース用に作られたモデルだからな。……ところでイツキ、お前免許取るまで良く鍛えとけよ。そんなヒョロヒョロだと、身体持ってかれるぞ」
 既にあちこちチェックしているイツキにキョウが釘を刺すなり、彼は引きつり笑いを浮かべながらバイクの陰へ隠れた。イツキは同年代の少年の中では小柄である。この意見にはカリンも同意した。
「そうよね、どう見てもモヤシ向きのバイクじゃないし。っていうか足届くの?ワタルの方が似合うんじゃない?」
「な……、なにおう……!あ、足は届くよ、多分……」イツキの声が次第に萎んでいく。
「確かに、これはワタルに合いそうだな!いつもカイリューに騎乗してるから下半身はしっかりしてるし。ちょっと跨ってみろよ」
 オートバイを羨ましげに眺めるチャンピオンの体格を見て、キョウは彼の背中を叩きながら乗車するように勧めてみた。ワタルは恐縮しつつも、そのモデルに憧れるあまり「いいかな?」とイツキに伺いを立てる。
「どーうぞ……!」
 イツキの鋭い視線を受けながら、ワタルは控え目な動作でオートバイに跨った。やや前のめりで、細めのカイリューに騎乗しているような乗り心地だ。
「おおっ!いいなぁ、これ!」
 その姿は傍から見てもなかなか様になっており、私服を纏っていてもレーサー顔負けの風格がある。イツキ以外の者達から拍手が上がった。
「タッパもあるし足も長いから様になってるな」
 と、キョウはイツキに譲ったことをやや後悔した。カリンも改めて惚れ直す。
「そうね、体格もいいし……」
「ワタルさん、かっこいいー!」
 アンズも惚れ惚れとその姿に見入っていた。さて、この反応が面白くないのはこのオートバイの新しい持ち主である。
「降りてよ!それ、僕のデスモなんだから!!」
 イツキは地団駄を踏みながら園児の様に喚き、ワタルをオートバイから引きずりおろした。
「ご、ごめんごめん」
 平謝りしながらワタルが降りた後、彼はクロスでその跡を丁寧に磨き始める。溜め息をつきながらも、重厚感のあるフォルムを抱きしめた。すっかりデスモセディチに夢中で、原付がスクラップされていることなど忘れている。
「はあ〜、本当にかっこいいなー!ありがとう、キョウさん!後で送り先を連絡するから!」
「どういたしまして」
 キョウはしてやったり、とばかりに微笑んだ。利害が一致する瞬間を見て、カリンはワタルに耳打ちする。
「さすがオジサマね、すっかりカブのこと忘れちゃってる」
「ああ……。キョウさんらしいやり方だね」
 この一見和やかな光景を、アンズは遠巻きに微笑ましく見つめていた。

鈴志木 ( 2013/06/06(木) 18:07 )